雨宮純

2022年05月09日


今回、紹介するのはこの本。


雨宮純『あなたを陰謀論者にする言葉』 

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これは懐疑主義に興味のある人なら、今最も読むべき1冊だ(残念ながら大型書店にもあまり置いてないが…)。 


自己啓発、自然派、スピリチュアル、陰謀論…それらには一種独特の胡散臭さが付きまとう。 
それらはトンデモと結びつきやすかったり、その分野自体がトンデモだったりする。 
どれも意識高い系で自分たちを「目覚めた人」と見做す選民思想の鼻もちならない匂いがする。 
それらをかけもちする人も多く、そういったものをつないでいくと何となくひとかたまりになっている気がするが、輪郭がはっきりせず上手く言語化できなかった。 
そのもやもやしたものを解きほぐし、はっきりした輪郭を与えてくれるのが本書だ。 
こういったものものたちの背後にある精神史に迫り、カウンターカルチャーやニューエイジ、さらにその源流である神智学や人智学まで、その歴史を辿る。 
陰謀論者のバックボーンを理解するために、これまで欠けていた視座を与えてくれる極上の一冊だ。 


そもそも陰謀論者には「右ルートの人」と「左ルートの人」がいる。 
右翼はあらゆる陰謀論に弱いが、左翼も健康デマには弱い。
陰謀論は「政府や権力は信用できない」という反権力的発想で、実は左翼とも親和性が高かったり。

極右と極左はともに反米路線で過激で暴力的で、どこか似通っていたりもする。 
ネトウヨさんが現状への不満を表明し、「悪いのは全て〇〇だ!」と自分たちの外部に原因を求める姿は、かつての学生運動の熱狂にそっくりだ。 
そして自然派やスピリチュアルは反権力を標榜するカウンターカルチャーの影響が大きく、左翼的発想と結びついている。 
だが一方でそれらはパワースポットとされる社寺や、「昔の知恵」つまりは伝統への敬意という点で右翼的でもある。 
そんなこんなでややこしいが、本書はこれまであまりクローズアップされてこなかった(というより殆ど意識すらされてこなかった)、「左ルート」を理解するのに最適だ。 


例えば自然派ママはしばしばマクロビオティックやホメオパシー等の健康法・代替医療にハマり、放射線を過度に怖れて「放射脳」になり、ヨガを嗜む。 
…何故ここでヨガなのか? 
それは本書を読めば解かる。 
それらは一本の糸で結ばれ、歴史的につながっているのだ。 
だがそれは陰謀論の様に何でもかんでも特定の組織に原因を求めたりする粗雑な話ではない。 
もっと繊細で微妙でありつつ説得力に満ちた、知的なものだ。 


著者はもともとオカルトビリーバーで、ノストラダムスの大予言がハズレたのをきっかけに懐疑主義的になったという。 
幅広いジャンルに精通しており、これはやはり「元ビリーバー」なればこそ。 

例えば聖書の矛盾を批判した本があるとする。 
聖書はそれ自体が膨大で、さらにその解釈をめぐって2000年に渡って揉め続けてきた巨大ジャンルだ。 
そんな本を書けるのは、やはり最初から聖書を信じたことのない生粋の無神論者ではなく、教義を知り尽くした元信者の方が有利だろう。 
明らかに間違っていると判っていることについて膨大な手間暇を割いて学ぶことはなかなかに難しい。 

もともと懐疑主義者にはビリーバーからの「転び」が多い。 
怪しげなものが好きでなければ、批判できるほど知識を蓄えたりしないだろう。 
私だって元はムー民だし。 


陰謀論はなぜ人を惹きつけるのか? 
それは「世界の仕組みを理解すること」が快感だからだ。 
それ自体は最も人間的で崇高なことだ。 
だが複雑な世界を理解することは難しい。 
そこで一部の人々は「誰でも理解できる、過度に単純化した偽の答」に飛びつく。 
それが陰謀論だ。 
世界の仕組みをちゃんと理解できない人が「ネットde真実」に目覚め、目覚めていない人を上から目線で憐れむ。 
これは能力の低い人ほど自分の能力を過大評価する「ダニング・クルーガー効果」だ。 
専門家は逆に謙虚すぎて「自分は何も解かっていない」というインポスター症候群に陥りやすい。 

陰謀論にハマると、あらゆる事象が一本の糸につながっていく、壮大なパズルが解けた時の様な悦楽に浸ることが出来る。 
だが陰謀論の糸は太すぎる。 
何でも説明する理論は何も説明しない。 

糸をたどり、世界を説明する快楽は陰謀論などの嘘に頼らなくても、科学という標準的な方法でちゃんと手に入る。 
しかもこちらは虚しい嘘ではなく、実証性のある「真の説明」なのだ。 
少しばかり難解かもしれないが、複雑な世界を、複雑なまま受け入れ、理解する勇気を持っていただきたい。 



余談ではあるが、著者の雨宮純は週末は女装男子らしい。 
女装男子で「雨宮純」… 
古株のオタとしては、80年代に既に女装少年モノの成年コミックを描いてた「雨宮じゅん」(「雨宮淳」表記もある)を思い出しちゃうなぁ… 






【追記】 

本書ではヴィーガンについて、トンデモと親和性の高いジャンルとして言及され、あまり好意的に取り上げてはいない。 
だが陰謀論に「左ルート」と「右ルート」がある様に、ヴィーガンにも「まともなルート」と「トンデモルート」の二つがある。 
「トンデモルート」のイメージのせいか、懐疑主義系コミュで理知的なヴィーガンがふくろ叩きに遭ってるのを見たこともある。 
だがヴィーガンの論理は実に洗練されていて、高名な懐疑主義者にはヴィーガニズムに好意的な人も多い。 
まぁ洗練され過ぎてて理解するのが難しいため、噛みつかれやすいのだろう。 
確かに「トンデモルート」のヴィーガンはしばしばスピなこと言い出したりしてちょっとアレだが、「まともルート」の人はちゃんと区別して尊重した方が良いのでは…。 




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