竹内久美子
2025年03月22日
先日アップしたエントリ
『新藤加菜さん「橋本琴絵は科学ベース」「竹内久美子先生のファン」…それは科学ちゃうやろ』
ですが、めたくそ加筆したので再掲。
なお、旧版エントリに直接加筆しちゃったので、旧版そのままのバージョンは現存しません。
なので「新旧比較したろ!」とかやってもあまり違わないです、すみません!
何かとアレな港区議の新藤加菜。
新作はXにおける↓こちらでーす。



『高学歴左翼女は』『ポカホンタスみたいな顔してる人が多い』そうです。
この「ポカホンタス」は実在した人物の方ではなく、それをモデルにしたディズニーアニメ版のことでしょう。
そちらのキャラクターデザインはネイティブ・アメリカン固有の美しさを表現したもので、ディズニープリンセスの1人にもなっています。
【ディズニー公式】
『ディズニープリンセス』
https://www.disney.co.jp/fc/princess
それをあられもないルッキズムの具にするとか、その時点で差別的だしネイティブ・アメリカンに失礼やろ。
そもそもネイティブ・アメリカンって、人種で言うとモンゴロイドやで…?
氷河期の海退を利用してユーラシア大陸からベーリング海峡を渡って北米に移住した人らやし。
そら日本人と似てるっちゅーねん。
まぁ人種という概念自体にあまり意味がないですが。
【FNの高校物理】
『人類のアメリカ大陸への進出』
http://fnorio.com/0080evolution_theory1/Advance_to_the_north-south_America1/Advance_to_the_north-south_America1.htm
5年くらい前にネットで「ポカホンタス女」という蔑称が流行しました。
コレは「海外に行ってかぶれて帰ってきて海外age・日本sageする女性」を揶揄したもので、「彼女らの見た目がポカホンタスみたいになりがち」という点に由来します。
【ニコニコ大百科(仮)】
『ポカホンタス女』
https://dic.nicovideo.jp/t/a/ポカホンタス女
新藤加菜のポカホンタス発言もコレの影響下にあるのでしょうが、何故か批判対象は「海外出羽守」から「高学歴左翼女」にシフト。
まぁ新藤加菜から見れば「どっちも日本批判をしてくる鬱陶しいやつら」という点で似たもの、ということなんかな〜(はからずもダジャレで不本意)。
こちらの「ポカホンタス女」もコレといった根拠はなく、割と偏見の産物。
そもそも海外と日本ではメイクの流行も違えば個性の捉え方や自己実現の目指すところも違います。
和をもって尊しとなす、量産型バンザイ、出る杭絶対殺すマンな同調圧力の国・日本と、その窮屈さからの脱却を謳う「ポカホンタス女」とではそら価値観合わへんやろ。
コレは同じ上京者でも、「方言は恥ずかしいもの」として一刻も早く首都圏方言に染まろうとしがちな東北人と、最初から方言を捨てる気がない関西人とで、意識が全く違うみたいなモン。
そんなこんなで、別に「ポカホンタス女・即・悪」という訳ではないよね。
なお、新藤加菜は差別だと言われない様に↓こんな予防線を張る、という実に格好悪いムーブをしてるのですが…

はい、出たー!
「コレを差別だと理解できるのは、お前自身に差別意識があるからだ」
「差別差別と騒ぐ奴こそが差別者」
というネトウヨさんお得意の珍論法。
「差別だと理解する」のと「差別する」のは全く別のコトやろ…
ほな何ですか?
もし誰かが新藤加菜に「アホ」とか言って「それは誹謗中傷だ」と返されても、
「ソレが誹謗中傷だと理解できるのは、新藤加菜自身に誹謗中傷する意識があるからだ」
とか言えば無罪放免なんですか?
それに「差別を指摘すること」こそが差別だと言うなら、「差別の指摘を差別だと指摘すること」もまた「差別の指摘」の一種、ということに。
なら結局、新藤加菜のやってることは差別ですよね?
コレ私が言ってるんじゃないんよ。
新藤加菜自身がそう言ってるんよ。
そんなことにも気付かない新藤加菜って真性のアレなん?
あ、もし新藤加菜がコレ読んで、「真性のアレ」というのがアレのことだと理解できたなら、その時点で新藤加菜こそが真性のアレってことですからね?
コレ私が言ってるんじゃないんよ。
新藤加菜自身がそう言ってるんよ。(天丼)
こんなんアリなら、いかなる差別の指摘も「それはむしろお前こそが差別者だからだ」という呪文さえ唱えれば全て無効となり、そもそも差別の指摘自体が成立しなくなるんですけど。異世界転生チートスキルか?
この人、この世に差別などというものは存在しない、とでも言うのでしょうか…?
その割にご本人は
『「ポカホンタス」を容姿差別だと解釈する人がいるのであれば』
と言ってますが…
その可能性に思いが至る、ということは新藤加菜自身のロジックに従えば
「それこそが新藤加菜に内在する差別意識の現れ」
というコトになる筈なんですが。
そんな自己矛盾にも気付かなかったんですかね…?
同様に、ネトウヨさんお得意の
「差別差別と騒ぐ奴こそが差別者」
も、そう主張する側こそ「お前こそが差別者だ!」と騒いでる訳で。
そうなると
「『差別差別と騒ぐ奴こそが差別者』と騒ぐ奴こそが差別者」
となっちゃう筈なんですが、ソレに気付いたネトウヨさんって一度も見たことない。
まぁネトウヨさんは論理ではリベラルには敵わないので、一点突破を図ってきがち。
そのためか「ソレはブーメランだ!」というカウンター狙いで論理を逆立ちさせてこようとします。
でもその「ブーメラン」が自分の後頭部にスココーンと刺さってるのにはお気付きでないご様子。
頭からブーメラン生やし、どっくどく出血しながら「ブーメランガー!」言うのが得意技。
さらに新藤加菜は自分が科学の側に立ってるつもりの様ですが…
『例えば漢がウエストがくびれて乳と尻の大きい女に惹かれるのは、生殖能力が高いと遺伝子レベルで判断しているからです』
の部分。
『漢』って科学畑ではしない表現よね。
むしろバイオレンスな漫画でよく見るやつ。
『遺伝子レベルで判断』もやけに素人っぽい、通俗的な表現ですね。
その辺を突っ込まれた新藤加菜の返答↓がまたふるってまして。

『橋本琴絵も新藤加菜も科学ベース』
というパワーワード。
どこの世界線の話ですかそりゃ。
橋本琴絵を支持してる科学者とか見たことない。
批判してる研究者はもごっそ見てきましたけど。
では先ほどの新藤加菜の↓この発言のどの辺が科学的なのか検証してみましょう。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
顔の話は余計だなどと言いますが、見た目は大切ですよ。
反ルッキズムを掲げる人々も根本は科学を否定しています。
例えば漢がウエストがくびれて乳と尻の大きい女に惹かれるのは、生殖能力が高いと遺伝子レベルで判断しているからです。
美人は1日にして成らず。
小さな努力を日々積み重ね、細かな気遣いができる証拠です。
ポカホンタスたちは、自分が日本社会において自信を持てなかったことを、自責ではなく社会のせいにしている他責思考の持ち主が多い。
きめ細かな気遣いすらできない、怠惰なデブを「ボディポジティブだ」と過剰にもてはやすような多様性ポリコレは、科学の否定。
少子化を引き起こす大きな理由のひとつです。
イデオロギーを科学より優先させるのが、ポリコレに洗脳された人々であり、好んでポカホンタスになる女の実態です。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
男性がウェストの細い女性を好むのは事実です。
ヒトの異性に対する好みは時代や地域や文化によって様ざま…ぽっちゃりプランパーBBWがモテモテな国もありますが、それでもウェストのくびれた女性がモテる傾向にあることは変わらず、WHR(ウェスト・ヒップ比:ウェスト÷ヒップ)は0.7あたりが最もモテるあたりも共通。
コレはヒトが普遍的に持つ特徴、ヒューマン・ユニヴァーサルの様です。
では何故ウェストがくびれてるとモテるのか…?
女性ホルモンが多いとウェストがくびれやすいので、くびれを女性ホルモン濃度、ひいては繁殖力の指標にしている、という説もあります。
しかしそれではそもそも「なぜ女性ホルモンが多いとくびれるのか」が説明されてないやん。
生物学には「4つのなぜ」があり、
①至近要因
②究極要因
③個体発生でどの様に獲得されるのか
④系統発生でどの様に獲得されるのか
に分かれています。
例えば「なぜ目は見えるのか」については、
①「視細胞が脳に情報を伝達し〜」
という直接の仕組み
②「視覚を獲得することで周囲の環境についての情報を得、餌などの資源を探したり危険を回避することで〜」
という生存や繁殖上の有利さ
③「このホルモンがこの細胞の形成を誘導し〜」
という発生上のルート
④「祖先の種が表皮に持っていた光感受細胞が世代を重ねるにつれ〜」
という系統発生上のルート
といった風に、4つそれぞれ別のレベルの疑問と答があるのですね。
ちなみに言い出しっぺはノーベル賞学者のニコ・ティンバーゲン。
ドーキンスのお師匠さんです。
この「4つのなぜ」はどれも間違ってないし大切ですが、特定の場面に於いてはどの「なぜ」が重要なのかの区別が大事。
進化において特に重要なのは究極要因…つまり「何のために出来たのか」です。
雌雄で性差のある形質は性選択の結果と考えられるため、女性のウェストのくびれも性選択…
つまりは繁殖における競争で有利になる要因があったのでしょう。
例えばドーキンスはコレを
◉骨盤が広い女性の方が安産なので多産になる
↓
◉腰が広い女性がモテる様になる
↓
◉それだと骨盤は狭いのに太ってるだけの女性もモテちゃうコトになる
↓
◉男性は骨盤自体が広い女性を見分ける様になる。
そういう女性は腰が広いが、脂肪でかさ増ししていないのでウェストは細い筈
↓
◉腰が広くてウェストが細い女性がモテる様になる
↓
◉その結果、ヒップが豊かでウェストがくびれた女性が繁殖上で有利になり、その様な女性が増える
↓
◉くびれたウェストの完成 ←今ここ
…といった風に説明しています。
なるほど、コレは究極要因に沿った説明になってますね。
ただしコレは「例えばこういう風にも説明できるよ」程度の提案で、ガチの主張ではない模様。
しかしヒトの性選択は一筋縄ではいきません。
通常、有性生殖する動物は雄がきらびやかに着飾ったり闘争用の武器を持ち、雌は地味なもの。
そして派手な雄が「選ばれる側」、地味な雌が「選ぶ側」です。
(コレには例外もあるのですが、「潜在的繁殖速度」とかややこしい話になるのでココでは割愛)
ところがヒトではしばしば、「女性が選ぶ側」というのはセオリー通りなのに、「着飾るのは女性側」という逸脱が見られるのです。ふっしぎ〜。
コレに対する完全な説明は今のところありません。
という訳で、新藤加菜の説明は肝心の究極要因を全く説明してない上に、通常は女性が選ぶ側の性であることをガン無視。
意味のない説明だよ。
が、くびれの至近要因や個体発生上の説明としては間違ってはいません。
また、見た目が繁殖力の指標になるのは生物の世界ではよくあること。
じゃあ新藤加菜の主張は科学的にOKか?というと、さにあらーず。
めがっさギルティーなやらかしをしちゃってます。
仮に、ヒトの見た目がそのまんま繁殖力の指標であるとしましょう。
でもソコからどう逆さに振っても、
「だから我々は見た目重視の価値観で行くべきだ」
というコトにはなりません。
「どうであるか」という事実命題から、
「どうであるべきか」という価値命題を引き出すことは出来ないからです。
ソレは「自然主義的誤謬」(「ヒュームの法則」違反)という論理的な誤りです。
「ヒトは進化の過程で、見た目重視で生きてきたのだから、ソレは自然なコトなのだ。だからそれでいいのだ」
とか言い出すなら、
「ヒトは進化の過程で、重い病気やケガをしたらそのまま死んでいたのだから、ソレは自然なコトなのだ。だからそれでいいのだ。反対の反対は賛成なのだ(古い)」
というコトになり、近代医療は全否定されてしまいます。
科学は事実のみを扱い、価値観にはたずさわりません。
科学も社会のいとなみである以上、「科学者の社会的責任」は発生しますが、ソレはコレとはまたレイヤーの違う話です。
科学は価値観にノータッチ。
新藤加菜がいくら望んだところで、科学は「ルッキズムが正しい」というお墨付きなど与えてくれません。
それはカテゴリー・エラーというもの。
『イデオロギーを科学より優先させるのが、ポリコレに洗脳された人々であり、好んでポカホンタスになる女の実態です』
とか超絶おまゆう。
ちなみにピクサー映画『インサイド・ヘッド』に記憶の中の情報を取り出して「コレって事実? それとも意見?」と悩む、という小ギャグがあるのですが…
両者の区別は映画のターゲット層である子供にすら期待されてる、ってコトやぞ。
なので
『多様性ポリコレは、科学の否定』
『イデオロギーを科学より優先させるのが、ポリコレに洗脳された人々』
というのは全くの的外れ。
むしろ科学の守備範囲を超えてそのご威光をイデオロギーに利用しようとしてるのが新藤加菜やん。
『反ルッキズムを掲げる人々も根本は科学を否定しています』
というのも無茶くちゃ。
反ルッキズム派は、いかなる科学的事実も否定していません。
ヒトを含む動物がしばしば見た目を指標にパートナーを選ぶという事実を否定し、「そんなことはない!」などと主張している人がいるというなら教えて下さい。
反ルッキズム派は単に「我々はそうするべきではない」と言ってるだけです。
例えば、ヒトは簡単にギャンブルにハマりますよね。
コレは単なる事実です。
しかし我々は「ギャンブルに手を出すべきではない」と主張することもできます。
でもそれは多くの人がギャンブルにハマっているという事実を否定している訳では全くありませんよね?
ソレと同じ。
そして
『美人は1日にして成らず。
小さな努力を日々積み重ね、細かな気遣いができる証拠です』
の下りですが…
ええっ!?
ついさっきは
『生殖能力が高いと遺伝子レベルで判断しているからです』
言うてたやん。
つまりくびれ等の形質はごまかしの効かない、遺伝子の質を伝える正直な信号だってコトですよね?
それが次の行ではもう「努力次第で美人になれる」、つまり「遺伝子の質はいくらでもごまかせる」みたいな扱いに。
どっちやねん。
まぁ実際には
「遺伝子の質の差はいかんともくつがえしがたい」
という側面もあり、同時に
「努力(整形やメイクも含む)によってかなりフォローできる」
という部分もあり…
といったところで、特に矛盾はしないのでしょうが…
どうも新藤加菜はこの『美人は1日にして成らず』云々が、何故か自説の補強になると思ってるっぽいトコが痛々しいよね。
逆や逆ー!
自分から持ち出した「遺伝子の質」の話を自分で否定していく斬新なスタイル。
あと
『少子化を引き起こす大きな理由のひとつです』
というのはよく分かりませんが、これまたネトウヨさんがよく持ち出す
「多様性を認めるとセクマイが結婚しなくなって少子化につながる」
みたいなやつのコトでしょうか?
セクマイは「多様性が認められたから、結婚やめとこかー!」となる訳ではありません。
多様性が認められても認められなくても結局はほぼ結婚しないので特に影響はない、と何度リベラル側が説明すれば…。
という訳で今回もトンデモ度が高めでしたね。
ところで新藤加菜のこれらと主張が丸カブリな人物、どこかで見覚えありませんか?
「高学歴左翼女はポカホンタス」に似た主張…
リベラル男性やフェミニスト女性の容姿を貶めたり、「保守女性は美人が多い」と言い出したりする。
進化論を持ち出してウヨい主張を正当化。
事実と価値観の区別が出来てない…
もうお分かりですね…?
そう、竹内久美子です。親の顔よりよく見るやつ。
という訳で、「新藤加菜 竹内久美子」でググってみましょう。

最初に引っかかったのが↓コレ。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
私は動物行動学者の竹内久美子先生のファンで、著書全て読んでいるんです。
過激フェミニストたちの行動原理を、動物行動学という立場から推察している対談、最高でした。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
うわぁやっぱりー!
隠しきれない竹内久美子臭。
芸風が完全に同じやったよね。
あと竹内久美子は動物行動学者ちゃうよ。
自称「動物行動学研究家」やで?
Wikipedia「竹内久美子」の項にも
『なお産経紙上コラムでは、竹内はあくまで「私が長年学んできている、動物行動学、進化生物学の分野」と書いており、「研究してきている」とは書いていない』
とあるですよ?
ファンを自称するならそれくらい知っておきましょうね。
ちなみに私は自称「竹内久美子研究家」です。
なお、竹内久美子には↓こんな著作も。

(※書影は当該書籍より引用)
あと竹内久美子は著書『賭博と国家と男と女』において
「脚が長い男性やウェストのくびれた女性は、内臓に寄生虫がいる可能性が低いから異性にモテるのだ」
的な珍説を披露してます。
へー…じゃあ女性の脚が長くなったり、男性のウェストがくびれないのはどうしてですか?
普通に考えて、性的二形が見られるのは性選択の結果やろ…
ていうか「寄生虫がいると脚が短くなったりウェストが太くなる」と考える理由、あります?
まぁ
「寄生虫にやられた雄は装飾の色彩などがショボくなる、装飾は寄生虫がいないことの指標として発達したのだ」
という有力な説があるので、自分も似た様なコト言うて新発見をした気になりたかったんですかねぇ…
竹内久美子の珍説は大体こんな感じで、元ネタが透けて見えるよーなんばっかりなんよね。
ソレを本人は
「私がブッ飛びすぎた斬新な説を唱えるから、頭の堅い学界のお偉方に睨まれてる!
科学ってこういう自由な発想が大事じゃないの?」
くらいに美化してるっぽいことが発言の端々から読み取れます。
そういう検証抜きのデタラメは科学ではないし、竹内久美子の発想は珍奇ではあってもちっとも斬新ではないんですけどね〜…。
という訳で、竹内久美子に私淑する新藤加菜は見事に師の芸風を受け継ぎ、さらに発展させてはります。
スバラシイことですね!
それにしても日本を代表するトンデモさんの影響下にある癖に、よく他者に向かって『科学の否定』とか言えたもんだな〜…科学を否定してんのはあんたらだっちゅーの。
そして新藤加菜はこのわずか10日後に、地球平面説信者と同じ論理に訴えちゃうことに…
『新藤加菜さん、地球平面説信者と同じロジックを持ち出してしまう』
https://wsogmm.livedoor.blog/archives/26838902.html
で、その地球平面説信者は↓こんなん言い出してたり。


…うわぁ。
『科学のために立ち上がろう』ですか…。
現代科学を完全否定してる癖に、まるで自分たちが科学の体現者であるかの様な謎発言。
コレってトンデモさんあるあるムーブよね。
そして新藤加菜や竹内久美子がやってることがまさにコレ。
トンデモさんが科学を標榜しようなんておこがましいとは思わんかね…………………

(※画像は手塚治虫『ブラック・ジャック』「ときには真珠のように」より引用)
新藤加菜と竹内久美子はもはや↓コレに出られる…というか是非とも出ていただきたいレベル。

(※画像は https://x.com/omocoro/status/1537722841436758017?s=46 より引用)
さて、新藤加菜が竹内久美子のファンとなると、ひとつ分からないことが出てきます。
ルッキズム側の視点に立てば、竹内久美子って『ポカホンタス』と同じ側にいるよね?

(※画像は https://www.zakzak.co.jp/article/20221204-UMFI6EXKYZLM5HP5QBZK7FZQTE/ より引用)
ルッキズムの恩恵からは縁遠そう(まぁ私もですが…)。
そんな竹内久美子が左翼の見た目を嘲笑してる謎。
ルッキズムの権化である新藤加菜が橋本琴絵を慕うのはまぁ理解できるとして。
竹内久美子のことはどう思ってるんだろう…
「きめ細かな気遣いすらできない、怠惰な竹内久美子を『ファンです』と過剰にもてはやすようなネトウヨさんは科学の否定」
「イデオロギーを科学より優先させるのが、ネトウヨさんに洗脳された人々であり、好んでポカホンタス側になる竹内久美子の実態です」
とは思わないんですかね?
あ、コレ私が言ってるんじゃないんよ。
新藤加菜自身が言ってることに代入しただけですからね?
(※記事内の画像は特記がなければXの当該アカウントより引用)
(00:06)
2025年02月09日
何かとアレな港区議の新藤加菜。
新作はXにおける↓こちらでーす。



『高学歴左翼女は』『ポカホンタスみたいな顔してる人が多い』そうです。
この「ポカホンタス」は実在した人物の方ではなく、それをモデルにしたディズニーアニメ版のことでしょう。
そちらのキャラクターデザインはネイティブ・アメリカン固有の美しさを表現したもので、ディズニープリンセスの1人にもなっています。
【ディズニー公式】
『ディズニープリンセス』
https://www.disney.co.jp/fc/princess
それをあられもないルッキズムの具にするとか、その時点で差別的だしネイティブ・アメリカンに失礼やろ。
そもそもネイティブ・アメリカンって、人種で言うとモンゴロイドやで…?
氷河期の海退を利用してユーラシア大陸からベーリング海峡を渡って北米に移住した人らやし。
そら日本人と似てるっちゅーねん。
まぁ人種という概念自体にあまり意味がないですが。
【FNの高校物理】
『人類のアメリカ大陸への進出』
http://fnorio.com/0080evolution_theory1/Advance_to_the_north-south_America1/Advance_to_the_north-south_America1.htm
5年くらい前にネットで「ポカホンタス女」という蔑称が流行しました。
コレは「海外に行ってかぶれて帰ってきて海外age・日本sageする女性」を揶揄したもので、「彼女らの見た目がポカホンタスみたいになりがち」という点に由来します。
【ニコニコ大百科(仮)】
『ポカホンタス女』
https://dic.nicovideo.jp/t/a/ポカホンタス女
新藤加菜のポカホンタス発言もコレの影響下にあるのでしょうが、何故か批判対象は「海外出羽守」から「高学歴左翼女」にシフト。
まぁ新藤加菜から見れば「どっちも日本批判をしてくる鬱陶しいやつら」という点で似たもの、ということなんかな〜(はからずもダジャレで不本意)。
こちらの「ポカホンタス女」もコレといった根拠はなく、割と偏見の産物。
そもそも海外と日本ではメイクの流行も違えば個性の捉え方や自己実現の目指すところも違います。
和をもって尊しとなす、量産型バンザイ、出る杭絶対殺すマンな同調圧力の国・日本と、その窮屈さからの脱却を謳う「ポカホンタス女」とではそら価値観合わへんやろ。
コレは同じ上京者でも、「方言は恥ずかしいもの」として一刻も早く首都圏方言に染まろうとしがちな東北人と、最初から方言を捨てる気がない関西人とで、意識が全く違うみたいなモン。
そんなこんなで、別に「ポカホンタス女・即・悪」という訳ではないよね。
なお、新藤加菜は差別だと言われない様に↓こんな予防線を張る、という実に格好悪いムーブをしてるのですが…

はい、出たー!
「コレを差別だと理解できるのは、お前自身に差別意識があるからだ」
「差別差別と騒ぐ奴こそが差別者」
というネトウヨさんお得意の珍論法。
「差別だと理解する」のと「差別する」のは全く別のコトやろ…
ほな何ですか?
もし誰かが新藤加菜に「アホ」とか言って「それは誹謗中傷だ」と返されても、
「ソレが誹謗中傷だと理解できるのは、新藤加菜自身に誹謗中傷する意識があるからだ」
とか言えば無罪放免なんですか?
それにこんなんアリなら、いかなる差別の指摘も「それはむしろお前こそが差別者だからだ」という呪文さえ唱えれば全て無効となり、そもそも差別の指摘自体が成立しなくなるんですけど。異世界転生チートスキルか?
この人、この世に差別などというものは存在しない、とでも言うのでしょうか…?
その割にご本人は
『「ポカホンタス」を容姿差別だと解釈する人がいるのであれば』
と言ってますが…
その可能性に思いが至る、ということは新藤加菜自身のロジックに従えば
「それこそが新藤加菜に内在する差別意識の現れ」
というコトになる筈なんですが。
そんな自己矛盾にも気付かなかったんですかね…?
同様に、ネトウヨさんお得意の
「差別差別と騒ぐ奴こそが差別者」
も、そう主張する側こそ「お前こそが差別者だ!」と騒いでる訳で。
そうなると
「『差別差別と騒ぐ奴こそが差別者』と騒ぐ奴こそが差別者」
となっちゃう筈なんですが、ソレに気付いたネトウヨさんって一度も見たことない。
まぁネトウヨさんは論理ではリベラルには敵わないので、一点突破を図ってきがち。
そのためか「ソレはブーメランだ!」というカウンター狙いで論理を逆立ちさせてこようとします。
でもその「ブーメラン」が自分の後頭部にスココーンと刺さってるのにはお気付きでないご様子。
頭からブーメラン生やし、どっくどく出血しながら「ブーメランガー!」言うのが得意技。
さらに新藤加菜は自分が科学の側に立ってるつもりの様ですが…
『例えば漢がウエストがくびれて乳と尻の大きい女に惹かれるのは、生殖能力が高いと遺伝子レベルで判断しているからです』
の部分。
『漢』って科学畑ではしない表現よね。
むしろバイオレンスな漫画でよく見るやつ。
『遺伝子レベルで判断』もやけに素人っぽい、通俗的な表現ですね。
その辺を突っ込まれた新藤加菜の返答↓がまたふるってまして。

『橋本琴絵も新藤加菜も科学ベース』
というパワーワード。
どこの世界線の話ですかそりゃ。
橋本琴絵を支持してる科学者とか見たことない。
批判してる研究者はもごっそ見てきましたけど。
では先ほどの新藤加菜の↓この発言のどの辺が科学的なのか検証してみましょう。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
顔の話は余計だなどと言いますが、見た目は大切ですよ。
反ルッキズムを掲げる人々も根本は科学を否定しています。
例えば漢がウエストがくびれて乳と尻の大きい女に惹かれるのは、生殖能力が高いと遺伝子レベルで判断しているからです。
美人は1日にして成らず。
小さな努力を日々積み重ね、細かな気遣いができる証拠です。
ポカホンタスたちは、自分が日本社会において自信を持てなかったことを、自責ではなく社会のせいにしている他責思考の持ち主が多い。
きめ細かな気遣いすらできない、怠惰なデブを「ボディポジティブだ」と過剰にもてはやすような多様性ポリコレは、科学の否定。
少子化を引き起こす大きな理由のひとつです。
イデオロギーを科学より優先させるのが、ポリコレに洗脳された人々であり、好んでポカホンタスになる女の実態です。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
男性がウェストの細い女性を好むのは事実です。
ヒトの異性に対する好みは時代や地域や文化によって様ざま…ぽっちゃりプランパーBBWがモテモテな国もありますが、それでもウェストのくびれた女性がモテる傾向にあることは変わらず、WHR(ウェスト・ヒップ比:ウェスト÷ヒップ)は0.7あたりが最もモテるあたりも共通。
コレはヒトが普遍的に持つ特徴、ヒューマン・ユニヴァーサルの様です。
では何故ウェストがくびれてるとモテるのか…?
女性ホルモンが多いとウェストがくびれやすいので、くびれを女性ホルモン濃度、ひいては繁殖力の指標にしている、という説もあります。
しかしそれではそもそも「なぜ女性ホルモンが多いとくびれるのか」が説明されてないやん。
生物学には「4つのなぜ」があり、
①至近要因
②究極要因
③個体発生でどの様に獲得されるのか
④系統発生でどの様に獲得されるのか
に分かれています。
例えば「なぜ目は見えるのか」については、
①「視細胞が脳に情報を伝達し〜」
という直接の仕組み
②「視覚を獲得することで周囲の環境についての情報を得、餌などの資源を探したり危険を回避することで〜」
という生存や繁殖上の有利さ
③「このホルモンがこの細胞の形成を誘導し〜」
という発生上のルート
④「祖先の種が表皮に持っていた光感受細胞が世代を重ねるにつれ〜」
という系統発生上のルート
といった風に、4つそれぞれ別のレベルの疑問と答があるのですね。
ちなみに言い出しっぺはノーベル賞学者のニコ・ティンバーゲン。
ドーキンスのお師匠さんです。
この「4つのなぜ」はどれも間違ってないし大切ですが、特定の場面に於いてはどの「なぜ」が重要なのかの区別が大事。
進化において特に重要なのは究極要因…つまり「何のために出来たのか」です。
雌雄で性差のある形質は性選択の結果と考えられるため、女性のウェストのくびれも性選択…
つまりは繁殖における競争で有利になる要因があったのでしょう。
例えばドーキンスはコレを
◉骨盤が広い女性の方が安産なので多産になる
↓
◉腰が広い女性がモテる様になる
↓
◉それだと骨盤は狭いのに太ってるだけの女性もモテちゃうコトになる
↓
◉男性は骨盤自体が広い女性を見分ける様になる。
そういう女性は腰が広いが、脂肪でかさ増ししていないのでウェストは細い筈
↓
◉腰が広くてウェストが細い女性がモテる様になる
↓
◉その結果、ヒップが豊かでウェストがくびれた女性が繁殖上で有利になり、その様な女性が増える
↓
◉くびれたウェストの完成 ←今ここ
…といった風に説明しています。
なるほど、コレは究極要因に沿った説明になってますね。
ただしコレは「例えばこういう風にも説明できるよ」程度の提案で、ガチの主張ではない模様。
しかしヒトの性選択は一筋縄ではいきません。
通常、有性生殖する動物は雄がきらびやかに着飾ったり闘争用の武器を持ち、雌は地味なもの。
そして派手な雄が「選ばれる側」、地味な雌が「選ぶ側」です。
(コレには例外もあるのですが、「潜在的繁殖速度」とかややこしい話になるのでココでは割愛)
ところがヒトではしばしば、「女性が選ぶ側」というのはセオリー通りなのに、「着飾るのは女性側」という逸脱が見られるのです。ふっしぎ〜。
コレに対する完全な説明は今のところありません。
という訳で、新藤加菜の説明は肝心の究極要因を全く説明してない上に、通常は女性が選ぶ側の性であることをガン無視。
意味のない説明だよ。
が、くびれの至近要因や個体発生上の説明としては間違ってはいません。
また、見た目が繁殖力の指標になるのは生物学ではよくあること。
じゃあ新藤加菜の主張は科学的にOKか?というと、さにあらーず。
めがっさギルティーなやらかしをしちゃってます。
仮に、ヒトの見た目がそのまんま繁殖力の指標であるとしましょう。
でもソコからどう逆さに振っても、
「だから我々は見た目重視の価値観で行くべきだ」
というコトにはなりません。
「どうであるか」という事実命題から、
「どうであるべきか」という価値命題を引き出すことは出来ないからです。
ソレは「自然主義的誤謬」(「ヒュームの法則」違反)という論理的な誤りです。
「ヒトは進化の過程で、見た目重視で生きてきたのだから、ソレは自然なコトなのだ。だからそれでいいのだ」
とか言い出すなら、
「ヒトは進化の過程で、重い病気やケガをしたらそのまま死んでいたのだから、ソレは自然なコトなのだ。だからそれでいいのだ。反対の反対は賛成なのだ(古い)」
というコトになり、近代医療は全否定されてしまいます。
科学は事実のみを扱い、価値観にはたずさわりません。
科学も社会のいとなみである以上、「科学者の社会的責任」は発生しますが、ソレはコレとはまたレイヤーの違う話です。
科学は価値観にノータッチ。
新藤加菜がいくら望んだところで、科学は「ルッキズムが正しい」というお墨付きなど与えてくれません。
それはカテゴリー・エラーというもの。
『イデオロギーを科学より優先させるのが、ポリコレに洗脳された人々であり、好んでポカホンタスになる女の実態です』
とか超絶おまゆう。
ちなみにピクサー映画『インサイド・ヘッド』に記憶の中の情報を取り出して「コレって事実? それとも意見?」と悩む、という小ギャグがあるのですが…
両者の区別は映画のターゲット層である子供にすら期待されてる、ってコトやぞ。
なので
『多様性ポリコレは、科学の否定』
『イデオロギーを科学より優先させるのが、ポリコレに洗脳された人々』
というのは全くの的外れ。
むしろ科学の守備範囲を超えてその威光をイデオロギーに利用しようとしてるのが新藤加菜やん。
『反ルッキズムを掲げる人々も根本は科学を否定しています』
というのも無茶くちゃ。
反ルッキズム派は、いかなる科学的事実も否定していません。
ヒトを含む動物がしばしば見た目を指標にパートナーを選ぶという事実を否定し、「そんなことはない!」などと主張している人がいるというなら教えて下さい。
反ルッキズム派は単に「我々はそうするべきではない」と言っているだけです。
例えば、ヒトは簡単にギャンブルにハマりますよね。
コレは単なる事実です。
しかし我々は「ギャンブルに手を出すべきではない」と主張することもできます。
しかしそれは多くの人がギャンブルにハマっているという事実を否定している訳では全くありませんよね?
ソレと同じ。
そして
『美人は1日にして成らず。
小さな努力を日々積み重ね、細かな気遣いができる証拠です』
の下りですが…
ええっ!?
ついさっきは
『生殖能力が高いと遺伝子レベルで判断しているからです』
言うてたやん。
つまりくびれ等の形質はごまかしの効かない、遺伝子の質を伝える正直な信号だってコトですよね?
それが次の行ではもう「努力次第で何とかなる」、つまり「遺伝子の質はいくらでもごまかせる」みたいな扱いに。
どっちやねん。
まぁ実際には
「遺伝子の質の差はいかんともくつがえしがたい」
という側面もあり、同時に
「努力(整形やメイクも含む)によってかなりフォローできる」
という部分もあり…
といったところで、特に矛盾はしないのでしょうが…
どうも新藤加菜はこの『美人は1日にして成らず』云々が、何故か自説の補強になると思ってるっぽいトコのが痛々しいよね。
それはちゃうやろ、と言っておきます。
あと
『少子化を引き起こす大きな理由のひとつです』
というのはよく分かりませんが、これまたネトウヨさんがよく持ち出す
「多様性を認めるとセクマイが結婚しなくなって少子化につながる」
みたいなやつのコトでしょうか?
セクマイは「多様性が認められたから、結婚やめとこかー!」となる訳ではありません。
多様性が認められても認められなくても結局はほぼ結婚しないので特に影響はない、と何度リベラル側が説明すれば…。
という訳で今回もトンデモ度が高めでしたね。
ところで新藤加菜のこれらと主張が丸カブリな人物、どこかで見覚えありませんか?
「高学歴左翼女はポカホンタス」に似た主張…
リベラル男性やフェミニスト女性の容姿を貶めたり、「保守女性は美人が多い」と言い出したりする。
進化論を持ち出してウヨい主張を正当化。
事実と価値観の区別が出来てない…
もうお分かりですね…?
そう、竹内久美子です。親の顔よりよく見るやつ。
という訳で、「新藤加菜 竹内久美子」でググってみましょう。

最初に引っかかったのが↓コレ。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
私は動物行動学者の竹内久美子先生のファンで、著書全て読んでいるんです。
過激フェミニストたちの行動原理を、動物行動学という立場から推察している対談、最高でした。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
うわぁやっぱりー!
隠しきれない竹内久美子臭。
芸風が完全に同じやったよね。
あと竹内久美子は動物行動学者ちゃうよ。
自称「動物行動学研究家」やで?
Wikipedia「竹内久美子」の項にも
『なお産経紙上コラムでは、竹内はあくまで「私が長年学んできている、動物行動学、進化生物学の分野」と書いており、「研究してきている」とは書いていない』
とあるですよ?
ちなみに私は自称「竹内久美子研究家」です。
なお、竹内久美子には↓こんな著作も。

(※書影は当該書籍より引用)
あと竹内久美子は著書『賭博と国家と男と女』において
「脚が長い男性やウェストのくびれた女性は、内臓に寄生虫がいる可能性が低いから異性にモテるのだ」
的な珍説を披露してます。
へー…じゃあ女性の脚が長くなったり、男性のウェストがくびれないのはどうしてですか?
普通に考えて、性的二形が見られるのは性選択の結果やろ…
ていうか「寄生虫がいると脚が短くなったりウェストが太くなる」と考える理由、あります?
まぁ
「寄生虫にやられた雄は装飾の色彩などがショボくなる、装飾は寄生虫がいないことの指標として発達したのだ」
という有力な説があるので、自分も似た様なコト言うて新発見をした気になりたかったんですかねぇ…
竹内久美子の珍説は大体こんな感じで、元ネタが透けて見えるよーなんばっかりなんよね。
ソレを本人は
「私がブッ飛びすぎた斬新な説を唱えるから、頭の堅い学界のお偉方に睨まれてる!
科学ってこういう自由な発想が大事じゃないの?」
くらいに美化してるっぽいことが発言の端々から読み取れます。
そういう検証抜きのデタラメは科学ではないし、竹内久美子の発想は珍奇ではあってもちっとも斬新ではないんですけどね〜…。
という訳で、竹内久美子に私淑する新藤加菜は見事に師の芸風を受け継ぎ、さらに発展させてはります。
スバラシイことですね!
(※画像は特記がなければXより引用)
(23:57)
2025年01月06日
『詩人はとある小島に流れ着いた
犬と猫とコウモリとピエロが彼を迎えた
「私はこの世の全てを憎む
憎んでも憎んでもまだ余るこの世の全てを
言葉で燃やし尽くして見せよう
力を貸してくれ」
しかし怯えたピエロの密告により
男は警官隊の銃弾に倒れた
その夜
犬はワンワンと吠え
猫はニャーニャーと鳴き
そしてコウモリは黙して語ることがなかったのであった』
『大槻ケンヂ詩集 花火』所収
「詩人オウムの世界」より
皆さまご存じの通り、当ブログは竹内久美子批判にむちゃんぽ力を入れています。
そして著書、特に自伝本やらインタビューやら読んでると竹内久美子がなぜあんな感じの残念な仕上がりなのか、何となく見えてくるものが。
という訳で今回はその辺の話を掘り下げていきます。
竹内久美子は性的な話はゲッスいゴシップに至るまでしまくる割に、不思議なくらい自分のパートナーや性的経験の話は全くしません。
芸風からして真っ先にしそうなモンなのに。
そしてちょっと前まで「竹内久美子」でぐぐると、「竹内久美子 夫」とか「竹内久美子 独身」とかが検索ワードのサジェストに上がったものです。
やはり皆さんその辺が気になる様ですね。
しかし調べても竹内久美子さんにパートナーがいるという情報は出てきませんでした。
以上、竹内久美子さんに関する情報をまとめてみましたがいかがでしたか?
そしてお得意の性愛について書く時、普通は読者の「常識」に迎合して
「愛やセックスは素晴らしいものですね。
しかしそれらも動物行動学の視点で見ると少しばかり違って見えます」
みたいな、ベタな前口上くらい付けそうなモンじゃないですか。
でも竹内久美子がそういう風に書いたの、見たことない。
一方で、
「私も女性同士のエロ画像でも性的に興奮するので不思議に思ってた」
とか
「秋篠宮様の指がたまんねぇ、むほ〜!」
みたいな話は平気でしてはります。
なので「恥ずかしいから」とかではなさげ。
個人的な「性的興奮」については平然と語る、あけっぴろげもおっぴろげな人物が、パートナーや性的経験については不自然なほど頑なに語らない…
となるとパートナーはそもそもいないとか、経験値がごく低いのではないか、という推測が成り立ちそうですね。
あと竹内久美子はセックスだけでなく、ヒトを含む動物の利他行動についても礼賛しません。
例えば、南米に棲むチスイコウモリは空腹の仲間に餌(ウシなどの血液)を吐き戻して分け与えるのですが…
コレは利他行動の鮮やかな例として有名です。
しかし誰にでも分け与えると、「自分は貰うが人には与えない」というフリーライダーにいいようにしてやられてしまいます。
そこでチスイコウモリは「過去に吐き戻しをしてくれた個体の顔を覚え、そういう個体には恩返しするけど、くれなかった相手には自分も与えない」という方法でフリーライダーを排除します。
コレには高度な個体識別能力と記憶力が必要なので、げらっぱ凄いことですよね。
特にネトウヨさんはフリーライダー絶対殺すマンなので、ココにはいたく心を動かされそうなもの。
しかし竹内久美子は児童書『悪のいきもの図鑑』で、チスイコウモリを「吐き戻ししてくれなかった個体には自分も吐き戻しをしないイジワル動物」として描きます。
えっ何で!?
まぁ動物に善だの悪だのといった倫理を当て嵌めることが既に間違ってるのですが。
そういう意味ではこの本のコンセプト自体がアウト。
しかも普段、「人間に置き換えて考えると無茶に思えることも、動物行動学的にはこの様に説明がつくのである」とかいう話がお得意なのに、なぜ急にチスイコウモリの適応戦略をディスるという奇行に!?
この本はざんねん系動物本ブームに当て込んだものなので、悪く言うしかないという事情はあるにせよ、チスイコウモリに関しては通常の真逆です。
普通は仲間に厚いぐう聖扱いやろ。
※この件について詳しくは↓下記のエントリを参照。
『【またかよ】竹内久美子2018「リベラルは睾丸が小さく浮気などできない」→竹内久美子2020「睾丸の大きい男は行動も怪しい」…小さくても大きくても何か言われる模様』
https://wsogmm.livedoor.blog/archives/14117080.html
この様に、竹内久美子は利他行動に妙に冷淡なのですよね…
いや、まともな研究者なら妙な擬人化は避けるのでそうなるのも理解できるのですが、竹内久美子は上記の様にその辺ガバガバなのに。
そして竹内久美子最大の悪癖、「近代以降の話まで全部進化で説明しちゃう安易な態度」は何なのか…
自然選択が働くほどの時間ないやん。
「この形質は進化的に有利だから保存されてきた」といった説明を「適応主義」と呼び、その切れ味の良さは自然選択説の威力を見せつけてくれますが…
竹内久美子のは適用範囲を超えた「行き過ぎた適応主義」です。ダメ、絶対。
自伝本やインタビューを読むと、竹内久美子は発達障害で人間関係に苦労してきたことがうかがえます。
そして周囲への恨み節がすごい。
それを大体「あいつらは左翼だから」ということにして片付けます。
「自分ではなく周りのせいにする」は左翼の悪癖だと思われがちですが、右翼もしてるやん。
その左翼嫌いは、幼い頃からの「何となくの権威的なものへの反感・逆張り」によるものの様です。
根は深いが理由は浅い。
…コレって社会に適応できず、愛を知ることもなかったディスコミっ子が世を拗ねて動物行動学を振りかざし、
「どう?
あんたたちが崇めてる愛だの人間性だのとかいう御大層な代物は、動物行動学で分析すれば全て『遺伝子のコピーのため』、たったコレだけで説明できちゃうのよ!」
とブチ上げて知識の高みから周囲を見下ろしてるだけなんじゃ…?
何故そんなことが分かるのか? というと…
私自身が全く同じコトやってたからだよ!
まぁ私は趣味レベルで本を読んでただけですが、竹内久美子は京大で日高敏隆門下としてガチ研究しといてコレ。
しかし動機はどうあれ、動物行動学という学問そのものには価値があります。
…なんだからそこでやめときゃいいのに、何でも嘲笑してやりたいので適用範囲外にまで当て嵌めてトンデモ化。
にも関わらずそのトンデモ大風呂敷が世間に受けちゃった結果、「コレもう何言っても信者が付いてくるやん」状態になり、皇室ネタやら陰謀論やらあらゆる方向に新規出店することになったのでは?
同じ轍を踏んだとはいえ、私はそうはなりませんでしたからね!
そもそも私は高校生の頃に竹内久美子を読んで大ハマりしてました。
あ、ここからウゼェ自分語り始まるよ〜!
当時の私は集団に馴染めず、いじめられたりするストレスフルな日々。あ、今も馴染めてないですよ?
今から思えば普通にハッタショ。
しかしバカなので「不登校」とか「引きこもる」という発想がなく、毎日元気に通学してました。
そして善良な両親に育てられた「良い子ちゃん」でもあったのでいじめてくる奴らの気持ちがビタイチ分からず、
「あんなことをしていったいなにがたのしいんだろう、ぼくにはさっぱりわからないなあ」
と(平仮名で)思ってました。
いじめられっ子と言っても空気が読めない私は「いじめられる側」としての自覚が薄く、
「お前、自分の立場分かってんのか?」
などと言われても
「対等やろ、お互い人権があるねんから」
とか言い返してました。(ノ∀`)アチャー
しかしいじめの中である日、少年は覚醒します。
「モラルは自分を守ってなどくれへんのや。
いじめる側の気持ちが分からん…?
良識とやらを捨て去って考えればそんなことないで。
圧倒的な力の高みから他人を見下ろすなんて、楽しいに決まってるやろー!」
闇堕ちデビルボーン。
私は問題が解決しなくても、理由が分かればわりと納得できちゃうタイプの子でした。
それからの私は社会に背を向け、常識を疑い、モラルに唾を吐き、世界を憎悪しました。
今だったら大規模掲示板群によくいるタイプ。
この頃、ラヴクラフトの小説にハマります。
いわゆるクトゥルー神話は
「人間の存在に意味などない。強大な力を持つ神々は人間など意に介さない。ヒトがアリを踏んでも気付かない様に」
という宇宙的恐怖を描いてたからです。
今思えばめちゃめちゃ地味でつまんないのに。
江戸川乱歩にもハマります。
乱歩作品は、まだ何もせぬ内からこの世の全てに飽き果てちゃったダメ人間が猟奇殺人を犯す、みたいな話ばかりで、荒んだ私の心にそっと寄り添ってくれました。
焼き魚の上のはじかみの様に。
大槻ケンヂの鬱屈した小説『グミ・チョコレート・パイン』の如き暗き青春。
グミチョコではのっけから大槻ケンヂ(をモデルにした主人公)が1日3回規則正しくオナヌーしてたことが赤裸々に描かれていますが、私もご多分に漏れず、過剰な性欲に悶々とする日々…おまけにわりと恋愛体質。
おかしいよね、一生DT確定顔なのに(Cバージン)。
「少し喋っただけの女子をすぐ好きになっちゃう弱男」とかありがちな上に迷惑すぎる。
そして男子校育ちというDTエリート教育を受け、DT貴族に属していた当時の私にとって女子とは「こちらを見て何ごとか笑いさざめく謎の上位存在」…あまりに遠い、蜃気楼の様なものだったのです。ほぼ土地の精霊。
理解できなかったのは女子だけではありません。
いじめっ子たちは「コイツら悪魔の申し子か?」というくらい嫌なやつらでしたが、常にそうという訳ではないことにも気付きました。
彼らは仲間同士では仲良くやってるし、クラスメイトたちもいじめの黙認という形で彼らに協力しています。
何ならいじめという共同作業や共犯関係を通じて、お仲間同士の絆を強めてるまである。
イルカのオスは一頭のメスを集団で追い回し、押さえつけてレイプすることがあります。
メスから見ればレイプ魔ですが、オス同士で言えば利他行動。
ヒトも仕事の後、上司の奢りでフーゾクに行き、帰りにラーメン食べながら「さっきの娘、ちちショボかったっすね〜」とか感想を述べ合う、みたいなことするじゃないですか。
女性をモチーフとして介在させながらその実、ホモソーシャルが目的で、何ならミソジニー混入。
もうお前らがセックスしろよ、ボノボはそうしてますよ?
話がズレましたが、いじめっ子たちは私の様に社会性がない訳ではなく、むしろ世渡り上手で情に厚い一面も持っているのです。
何かボタンのかけ違いがあっただけで、出会い方が違ってたら私と親友になる未来もあったのかも。
などとこちらは夢想したりもするのですが、あちらはそうではない模様で無邪気にチェーンでしばいてきたりするのでした。
♪せーつーなーい片想い、あなたは気付か〜ない〜(古い)。
そんなある日、私は人生を変える本に出会います。
竹内久美子の『そんなバカな! あるいは神について』です。
そこにはヒトが時に利己的に、時に利他的にふるまう理由が書いてありました。
全ては遺伝子の戦略なのだ、と。
そうだったのか…!
やはり世間様が大事だ大事だと騒ぐ人間関係だの社会だのには何の意味もなかったんだ!
そして私には一生手に入らないであろう、愛とやらにも。
竹内久美子は私が社会を、人間関係を、他者を、唾棄すべきものだとすることに正当性を与えてくれたのです。
アホの高校生だったので、あちこちに論理の飛躍があることには全く気付きませんでした。オデ、ニンゲン、キライ。
数年後、元ネタであるドーキンスの『利己的な遺伝子』を読んだら、竹内久美子の様なトンデモには絶対に陥らない様な予防線が何重にも貼ってある良書で驚愕。
竹内久美子、アレ全部ぶっちぎってトンデモ方向に行ったんか…逆に器用やな。
そして私は竹内久美子のことなどすっかり忘れ、進化生物学の本を貪る様に読み漁りました。
社会に適応できなくてアイデンティティーを確立出来なかった私は、その代わりに自らの来し方・依って立つところを生物学に求めたのです。
ここでヒトの心に興味がある人は心理学、
心の源泉に興味を抱く人は大脳生理学、
ヒトの起源に興味を持つ人は古人類学などに向かうでしょう。
さらにもっと根源的なところ…
なぜ「何もない」のではなく「何かが存在する」のか、とかに興味のある人は理論物理学とか哲学とかに行くのもアリ。
しかし私の心を捉えたのは、
「ヒトは何故かくも我儘だったり、かと思えば優しかったりするのか?」
というテーマでした。
コレは進化生物学では「利他行動」をめぐる問題として盛んに研究されています。
もう一つ、強く興味を持ったことがあります。
持ち前の惚れっぽさを発揮した私はある女子とええ感じになったのですが、その後 数年間に渡り「燕の子安貝を取ってきて、あと火鼠の皮衣も〜」レベルのえぐい搾取を受けることに。
お金で解決できない分、タチの悪いやつ。
ぼったくりバーや結婚詐欺師が天使に見える。
皆さんにお伝えしておきますが、自分の裁量で動かせる範囲内のお金で片付くトラブルなんて、全然トラブルちゃうよ。
ここでもまた「ヒトの利己性」に直面した訳ですね。
そして何故にヒトは(というか私は)かくも異性に弱いのか。
コレまた進化生物学では「性選択」をめぐる問題として熱い議論が続いてます。
ちなみにドーキンスはこう言ってます。
『我々は、たとえその相手との関係が長期的に見て誰の利益にもならないことを良心の正しい判断が告げる場合でさえ、特定の異性の魅力に抗しがたいことがある』
…どうしたドーキンス!?
何か苦労してるなぁ…
そして竹内久美子による俗流のやつではない、ちゃんとした進化生物学を理解した結果、
「竹内久美子ヤバすぎるやろ…
コレは誰かがちゃんと批判しないと!
でも研究者はそんなことに時間を使ってられないよなぁ…
じゃあ私がやるか」
となった訳です。
まぁ一般人より拗らせた元ファンの方が敵に回すと恐ろしいよね。
ちなみにオカルト批判にも熱心な私ですが、もちろん元ムー民。
小学5年生の頃にガチハマりしてました。
という訳で、私が進化論に興味を持ったり竹内久美子批判に異常に熱心だったりするのには個人的な動機があるのですね。
「シンジくんがアスカではなくマリとくっついたのは、庵野監督がみやむーにフラれた後で安野モヨコに救われたから」みたいな話やな…
そんなこんなで竹内久美子の気持ちが分かりすぎる(まぁ単なる自己投影かもしれませんが)。
実際、世を拗ねてた高校時代を知る友人に久しぶりに会ったら「ネトウヨになってるかも、と思ってた」と言われました。
あっぶなー!
私も竹内久美子みたいになるトコでしたわ。
そんなんしているうちに何とか世界と仲直りした私でしたが、性愛は相変わらずの謎。
ドーキンス先生も
「遺伝子がちょい書き替わったくらいで複雑な行動が変化する、というのが信じられへん?
ほな性行為について考えてみなはれ、納得やろ」
みたいなコト言うてはります。
それくらいセックスというのは奇妙な行為。
大体、「君の排泄器官と排泄器官の間に僕の排泄器官を入れてみないか」とか交渉するの、頭おかしいやん。
そんなんに合意する女性はおらんやろ…
ところがソフィスティケートされた方法でお願いされると、結局のところ多くの女性は同意し、しばしば悦びさえもって、男性の奇妙キテレツ摩訶不思議な望みを叶えてくれるのです。(※ただし以下略
♪みんなっみんなっみっんな〜 叶えてくれる〜
ふっしぎっなポッケで 叶えてくれる〜。
いやホントふしぎ。
そんな私なので、ほとんどの世界線では今なおバキバキDTライフをエンジョイしてるのですが…
この世界ではおそらくは何らかのバグにより、謎の分岐が発生。
さらにはぐれメタルばかり追いかけた結果、妙な方向の経験値が無駄に高まりました。
非モテの癖に生意気な、と思われるでしょうが…
これまた何らかのバグにより、表示されるグラフィックは何故かはぐれメタルではなく、しびれだんびらやボストロールだったのでご安心下さい。
しかし私はちょっぴり相貌失認のケがあり、人の顔を認識するのがやや苦手で、特徴というかアクの強い顔の方が好きなので無問題。
美人さんはみな同じ顔に見えるので、アイドルとかは全く見分けが付きません。
♪アイドルより〜普通に〜女芸人がっ好っき〜(永野)。
美人とは、目が離れてるとか顎がしゃくれてるといった、極端な特徴のない平均顔のことなので、把握するとっかかりがなくて困るです。
あとプレイヤーキャラクターもぜんぜん格好いい勇者とかではなく、デスピサロ(変型後)みたいなグラフィックなことも申し添えておきますね。
このゲーム、バグが多すぎないですか?
それと経験値の大半は皆さんがほぼ興味を持つことのない特殊プレイによって得たもの…いわば変態行為手当。
客観的に見ると全然羨ましくないやつなので重ねてご安心下さい。
バニラはあんま知らねぇ。
※バニラ:無難なセクロス。バニラ味は万人好みであることに由来し、元々はゲイ界隈の用語らしいですが、近年は異性愛でも使うっぽい。
ちなみに「バニラ」という言葉の由来はスペイン語で「鞘」を表す「vaina」(バイナ)に縮小辞をつけた「vainilla」(バイニーリャ)。
コレが英語の「vanilla」になった模様。
バニラビーンズは耳かきみたいな形の細長い鞘に入ってますからね。
そして「baina」と綴りが似た「vagina」(膣)も原義は「鞘」で、関係の深い単語だったり。
実際「vagina」という名称は膣だけでなく、関節の腱鞘にも使われます。
例えば前脛骨筋腱鞘はラテン語(学術用語は大体コレ)で「vagina tendinis musculi tibialis anterioris」。
vanillaとvaginaの語源が同じだと思うと、バニラが「普通のセックス」を表すのは愉快な偶然ですね。
そう考えると、フーゾク産業への入口となるのが
「♪バ〜ニラ・バニラ・高収入♡」
なのもさもありなん。
ついでに、うちの地元には「grains de vanille」(グラン・ヴァニーユ)という、どちゃくそ美味しくてお洒落な洋菓子店があるのですが…コレはフランス語で「バニラの種」という意味。
このお店、裏路地にひっそりとあるのですが、すぐ横が大きな産婦人科という鋭い地形なのでそこの見舞客でめちゃめちゃ賑わってたり。
「鞘」のおかげで大繁盛。
なお、バニラには媚薬・催淫剤としての歴史もあったりして奥が深い(鞘だけに)。
ちなみに京都のバニラカーは景観条例の関係で薄墨仕様。侘び&寂び。

↑バニ子の瞳が「¥」になってないという。
キャラのアイデンティティーが大ピンチ。
音量も控えめ。
さらについでに、学術用語は大体ラテン語、という話ですが…
例えば生物の学名はギリシャ風ラテン語で付けるナスになってるヌス。
なので「下品なエロ用語も、格調高いラテン語で言うたら許されるやろ」という風潮があります。
逆に言えばわざわざラテン語を使う言葉はエロワード率高し。
森鴎外の『ヰタ・セクスアリス』なんて英語で言えば「セックスライフ」やろ。(超訳)
例えばチャップリンは16歳の妻に口腔性交させてたのがバレちゃって大ピンチになったのですが、コレは当時はド変態行為。
なので難解なラテン語を使って
「すんません、『フェラチオ』させてましたー!」
と公表。
コレに対して当時のアメリカ人は
「フェラ…チオ…? 何ソレ」
となった模様。
コレについてはさらに興味深い話があるので、↓ココ参照。
【映画評論家町山智浩アメリカ日記】
『チャップリン フェラチオ ロリータ』
https://tomomachi.hatenadiary.org/entry/20040527
なお、現代日本ではすっかり市民権を得たフェラチオですが、一般化したのはせいぜい80年代のAVブーム以降で、それまでは日本でもとんだ鬼畜行為でした。
普及しすぎたかもしれません。
何故か日本ではフェラチオという言葉の方も浸透していますが、アメリカではその後忘れられ、今では「blow job」が一般的。
コチラは「吹く作業」的な意味ですね。
火吹き棒的なイメージなのかアメリカ人。
ちなみにかまどで火吹き棒を吹く「火男」がなまって「ひょっとこ」になった、という説があるのですが…
息を吹くために口をすぼめ、煙がしみて片目を閉じ気味にしてる訳ですね。
だとすると、「ひょっとこフェラ」という薄い本界隈の造語…
アレは、「blow job」(吹く作業)をする人を「ひょっとこ」に例えるという、思わぬ角度で正鵠を射ていたのでは…。
なお、正鵠は「射る」でも「得る」でも問題ない模様。
ついでに、山の中に出る妖怪は一つ目に一本足が多いのですが…「呼子」とか「一本ダタラ」とかそうよね。一本ダタラ土俵入り。
コレは山の中でタタラ製鉄を行なっていた民が、タタラ(ふいご)を踏み続けるために片足が発達し、火を見続けるために片目を失うことが多かったコトに由来する、という説が。
コレも「ひょっとこ」みたいな話で興味深い。
などというフェラチオ大脱線ついでに、もうちょいフェラチオトリビアを。
…フェラチオトリビアって何?
【トリビア】
◉フェラには上位互換があり、「フェラ」「フェラミ」「フェラゾーマ」と威力が増していく。
◉バイストン・ウェルではミ・フェラチオが成長したのがエ・フェラチオ。
※当ブログは基本的には正確な情報を載せることを目指していますが、一般的なサイトとのバランスを取るため、時おり意図的な嘘をそれと分かる形で混入させています。
さらについでにvagina周りの話をすると…
医療業界では産婦人科を「ギネ」と呼ぶです。
由来は「Gynakologie」、ドイツ語で「婦人科」。
まぁ本来は産科は含まない様ですが。
あと女性型ヒューマノイドを「ガイノイド」(gynoid)と呼びますよな。
この辺はギリシャ語に由来する「女性の・女性器の」という意味の接頭辞「gyno-」(母音の前ではgyn-)から来ているのですが…
この「gyn」のあたり、「vagina」とつながってそうな綴り。
一方、男性型ヒューマノイドはアンドロイド。
「andro-」は「男性の・人間の」を意味する接頭辞…
男性ホルモンのアンドロゲンとかにも使われてます。
なので両性具有はアンドロギュノス(androgynos)…
ふたなり系の薄い本で100万回くらい見たやつ〜。

(※画像は桜玉吉『しあわせのかたち』より引用)
男性に人間全般を代表させちゃうのは英語でも割とそうで、「man」は「mankind」(人類)とか「human
」に使われてますよな。
なお、「woman」は「wif」+ 「man」で「妻になる人」が語源。
男性に「人間」全般の意味があるのに、女性は「女性器」て酷ない? ほぼ「まんさん」呼び。
なので女性型も含めてヒューマノイド全般をアンドロイドと呼ぶことあるよね。
「-oid」は「〜の様な・もどき」という意味の接尾辞。
一方、「gyno」に「人類全般」的な意味はないどころか女性器の意味合いが付与されており、ガイノイドはいわば「膣もどき」(超訳)。
この辺、女性への偏見や扱いの酷さが言語に残っている気が。
いつも通りに脱線につぐ脱線でしたが、人様の性的経験にツッコむ以上、自らの話も開示しなければ失礼なので今回は心のパンツを脱ぎました。
むしろ脱ぎすぎたかもしれません(微妙に古い)。
他者との距離感がバグってるので適切な脱ぎ具合が分からない。
なお、世を儚んでいた大槻ケンヂはその後、不安神経症などでメンがヘルに。
後を追う様に私も同じルートを辿ります。
しかしその後、オーケンは逆ギレ的に世界を肯定する詩を書く様になっていくのでした。
私がどうなったかは皆さんご存知の通り。
…で、竹内久美子はいつまでソコにいるつもりなんでしょうか?
この世界を 憎しむだけの想いは
忘れたよ 今はもう 静かにさあ
『大槻ケンヂ詩集 花火』所収
「小さな恋のメロディ」より
(00:05)
2024年12月05日
『絶望に効く薬ーONE ON ONEー』という漫画がありまして。
漫画家の山田玲司がいろんな著名人にインタビューし、その人生について語ってもらって最後に一言「希望の言葉」を引き出す、という構成。
その中に竹内久美子や千葉麗子がゲストになってる回があることをキャッチしたので、入手してみました。
チバレイは2005年刊の5巻、竹内久美子は2006年刊の7巻に載ってます。

(※画像は『絶望に効く薬ーONE ON ONEー』5巻より引用)

(※画像は『絶望に効く薬ーONE ON ONEー』7巻より引用)
お二人がまるで悟りでも開いたかの様に描かれてて素敵〜(素で敵)。
チバレイはネトウヨ仲間である加藤清隆にセクハラされちゃってた人ですね。応援してるぞがんばれ。
かつては「ゲームやパソコンに詳しくコスプレもしちゃう」というサブカルチャー系アイドルの嚆矢としてオタクにバカウケ。
政治的には当初は左寄りで反原発運動に関わってましたが、突如としてネトウヨ化しちゃいます。
「左出身の右」というのは「右出身の左」である雨宮処凛と対照的。
そしてチバレイ、「パヨク」という言葉の成立に深く関わってるんよな。
【ハンJ速報】
『ネトウヨ「パヨクの語源は千葉麗子が左翼活動家時代に付き合ってた男が言った「ぱよぱよちーん」から来てるんですよw」俺「お、おう」』
https://nanyade.livedoor.blog/archives/30703392.html
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16 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です :2021/08/15(日) 00:03:11.22 ID:I1zB5R450.net
反レイシスト運動やってたIT関連の久保田というオッサンが昔、千葉麗子と付き合ってたんだけど、その時に千葉のことを「ぱよちん」とか呼んだり
「おはぱよー」とか声をかけてたわけ。馬鹿ップル会話てとこな。
千葉麗子は当時は左派運動や反原発運動に関わってた
で、千葉とオッサンはその後別れたわけだがそれが理由かはわからんが、千葉は紆余曲折あってその後、ウヨ側に鞍替えした。
ここまでの経緯でまずネトウヨは「一方的に千葉が好意をよせられてた」というデマを流しているで注意な。
しかし、実際には、別れ話で千葉がおっさんの実家におしかけたりしている。千葉がストーキングしてたんだよ。
また、大人の恋愛で自由ではあるけど、一応、オッサンと千葉は不倫関係だった。
で、時は流れ、はすみとしこって言う幸福の科学関係者のレイシストのイラストレーターが、シリア難民差別の作品を公開したんだけど
それなりに騒動になったんだよ
これに、「いいね」をしてる人達の情報を、反レイシスト側がまとめる運動をしてた。
で、そん時に、その反レイシスト側に、千葉と付き合ってたオッサンもいた。
で千葉がそのオッサンの個人情報を私怨もあって漏らした。で、当然のようにウヨ側が報復で、そのオッサンの個人攻撃を徹底的に始めた。
そこから、そのオッサンの過去の「はずかしい、馬鹿っプル語」を揶揄して
ネトウヨ側が「ぱよぱよちーん」と連呼を始めた
で、ネトウヨは「ぱよぱよちーん」と「サヨク」をくっつけて「パヨク」て言葉を作って左派側や、反レイシスト側を「パヨク」と呼びだした
ほんとにアホらしいけど「アホみたいですよ」と言ってもウヨ側は「効いてる!効いてる!」とかで続けてるわけだ
まぁ案の定、世の中で表舞台では広まらないけどな
ハセカラ語みたいな、「単なるネット苛めの言葉」だからね
(後略)
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左翼に対する謎の蔑称「パヨク」、震源地はチバレイの痴話喧嘩やないか!
この件はネトウヨさん側の見解でもチバレイが絡んでいる点ではおおむね一致。
【ピクシブ百科事典】
『ぱよぱよちーん』
https://dic.pixiv.net/a/ぱよぱよち〜ん
それにしても何故くみっふぃーやチバレイなんぞがゲストに選ばれたのやら。
まず第一の理由としては、山田玲司・竹内久美子・千葉麗子、全員メンがヘルになったことがあること。
そもそもこの連載自体、メンタルいわした山田玲司が復活するために、絶望のドン底から這い上がった人や、逆に飄々と生きている人たちに「希望の言葉」を聞いて周る、みたいなコンセプトだし。
くみっふぃーとチバレイは「メンヘル乗り越えた枠」な訳ですね。他に大槻ケンヂとかもこの枠で登場。
そしてこのコンセプトからも分かる通り、この連載は単なるインタビューではなく、山田玲司の個性が強く打ち出されています。
まぁタイトルも『絶望に効く薬ーONE ON ONEー』なので、インタビュアーは舞台の黒子役ではなく、ゲストと本気でぶつかり合う主役なのです。
で、くみっふぃー&チバレイ起用の謎、この山田玲司の側を深掘りすることで割と理解できる様になるのですよね…
私、昔は結構な山田玲司ファンだったし。
『絶薬』も3巻くらいまではリアタイで買ってたり。
ただいろんな人へのインタビュー集なので、「是非読んでみたい!」と思えるゲストは1冊につきせいぜい1人か2人くらいしかおらず、あとは「…誰?」という感じになってしまうので、何となくフェードアウトしちゃいましたが。
山田玲司の代表作は90年代に連載していた『Bバージン』。
いやもうホントに、この作品がなかったら私なんて一生DTでしたよ。
今も精神的にはDTのままですが…僕は精神的DT貴族に属するッ!(魔少年DT)。
だって『Bバージン』、非モテの生物オタが一念発起して自分を改造し、意中の女性と付き合うまでの話やで?
しかも女性の心理や口説き方まで解説されてるし、それでいて女性を単なる獲物やターゲットとして捉えてる訳でもなく純愛を貫くし。
作者の山田玲司は生物好きが高じてグリーンピースを絶賛したり、温暖化問題を扱った本を書いたりと割と政治的な人物。
チバレイ回の載ってる5巻では辻元清美にもインタビューしてます。
環境問題に興味があってリベラル寄りなのは良いのですが…
作品もそうなんですが、この人、冷静に分析とかしてるけど根が熱血なんですよね。
それ自体はむしろ美点なんですが、やっぱ最後には精神とかを優先させちゃうので、スピリチュアル系に弱い一面も。
で、作中でガイア理論がどうのこうのと言い出したりもしてたり。
ガイア理論というのはですね、ジェイムズ・ラヴロックという人が言い出した、
「地球って温度やら一定に保たれてるやん?
コレって生物みたいじゃね?
もしかして地球って生き物なんじゃね?」
というおもしろ仮説。
ガイアというのはギリシャ神話に出てくる地母神の名前です。
アニメ『六神合体ゴッドマーズ』にガイヤーというロボがいましたが、これもガイアの表記揺れでしょう。
他のロボもいろんな神話に出てくる神から名を採ってるし。呉越同舟。
コイツは男性的デザインでしたが、ガイアは本来、女神です。
まぁ大地を司る神は大体そうよね。
胸を強調したアニメ絵ポスターが「性的搾取だ」としてちょいちょい炎上しますが、『のうりん』だけは許したれよ、農業に地母神的な巨乳キャラが出てくるのは仕方なくないですか?
ただし温泉娘、テメーはだめだ。
そしてガイア理論が浸透するにつれて何やら妙な誤解が広がり、ガイアはスピリチュアルめいた人たちの玩具に。
「もし巨大隕石が衝突しようとしても、ガイアがそれを許さないだろう」
みたいなコト言い出す人まで現れちゃいました。
どう許さないのかガイア。
地球パンチで砕くのか、地球がひゅるっと身をかわして避けるのか。妖星ゴラス。
このガイア仮説をめちゃ批判してたのがおなじみドーキンス先生です。
そもそもドーキンスは「生態学」を表すエコロジーという言葉が「ちきゅうにやさしい」みたいに扱われるのにおかんむり。
なのでそっちの方のエコロジーを嫌味で「ポップ・エコロジー」(俗流エコロジー)と呼んだりしてたのですね。
そしてその筋から
「じゃあお前はポップ・エソロジスト(俗流動物行動学者)やんけ」
と嫌味で言い返されてみたり。
あんたら子供か?
そういや竹内久美子も山田玲司に「ポップスター」と呼ばれてましたね(冒頭で引用したコマを参照)。俗流スター。
そしてポップ・エコロジーの教祖に祭り上げられたラヴロックとの間で
ド「星は繁殖せーへんから生物ちゃうやろ」
ラ「ほーう、ほなお婆ちゃんは生物ちゃうねんな?」
みたいな泥試合。
お互い大人気なさすぎやろ。
まぁドーキンスは「自然選択を通じた進化」で全てを説明する人なので、生物の様に複雑なものが説明もなくにょいにょい生えてくるというガイア仮説を嫌うのも理解できます。
「自然選択がはたらく」とは平たく言えば「繁殖率に差がある」ということ。
星は自身のコピーを作らないので繁殖率もクソもなく、自然選択が働かないですからね…。
ただしラヴロック自身はポップ・エコロジーからは距離を置いてたり、ドーキンスの『利己的な遺伝子』を好意的に評価してたり、という一面も。
また、ラヴロックは「デイジー・ワールド」という仮想的な例で、どの様にして惑星が「温度を保つ」といった生物の様な恒常性を獲得するかの説明モデルを提出してはいます。
コレはどういうものかと言うと…
デイジー(ヒナギク)に覆われた惑星を想像してみましょう。
さらに「気温が上がり過ぎると、デイジーは白い花を咲かす」と仮定します。
すると太陽光線が多い時は白いデイジーが増えて光線を反射させ、惑星の温度は上がり過ぎずに一定を保つ…という訳ですね。
しかしよく考えるとコレはちょっとおかしい気が。
そもそもこのデイジーは何故暑いと白くなるのでしょうか?
例えば「太陽光線を反射させることで自分が暑くなるのを防ぐため」だとしたら…
ソレは地球の温度調節のためではなく、自分自身のためにやってるだけです。
だったら惑星の温度を下げるのはデイジーの目的ではなく、単なる副産物ということになります。
たまたまの副産物なら、むしろ環境に対してダメージを与えることだって同様にありえるのでは…
実際、酸素がそうです。
現在の我々は酸素がないと生きられませんが、もともとは酸素は生物にとって猛毒でした。
そこへ新登場したシアノバクテリアが光合成の副産物として毒性物質である酸素を環境中に撒き散らしたおし、おかげで多くの生物が絶滅。
そんな中、逆に酸素を利用する生物が現れて、その子孫が我々という訳。

(※画像は
https://x.com/boketejp/status/992962155103309825?s=46
より引用)
そうではなく、「デイジーは自分は得しないのに惑星全体のために白くなるのだ」とするなら…
わざわざ白くなるには何らかのコストが発生する筈です。
それを行うことは惑星全体のために行う「利他行動」ですね。
では白くなる「利他的なデイジー」の中に、白くならない「利己的なデイジー」が現れたとしたら…?
利己的デイジーはコストを支払わない分、利他的デイジーより有利となってびちびち増え、「白くなるデイジーの惑星」はやがて「白くならないデイジーの惑星」に変わってしまいます。
コレは当ブログではお馴染みの「群選択」の問題点と同じですね。
『「国益を考えろ!」←は?』
https://wsogmm.livedoor.blog/archives/18477246.html
そうなるとそもそもこの惑星が一旦は「白くなるデイジー」に覆われた理由も怪しくなってきます。
群選択では、自己犠牲を厭わない「利他的な個体の群」はわがままな「利己的な個体の群」より有利だから選択されたのだ、と説明します(このロジックには先述の欠点があることに留意)。
じゃあこの惑星は、利己的なデイジーに覆われた惑星との間の繁殖競争に勝って進化したんか、という話になり、ここでドーキンスの「星は繁殖しねぇだろ」という指摘が効いてきます。
という訳で、デイジー・ワールドという都合の良い仮想的な例を持ち出したところで、ガイア仮説はやはりおかしい、ということにしかならんのよ。
このガイア仮説、今は割と忘れられてますが、80年代〜90年代には結構さわがれたものです。
あの名作漫画『寄生獣』は、作中にドーキンスの「利己的な遺伝子」は登場しちゃうわ、パラサイトたちは徹底して利己的だわで、そっち系の話だと思われがち…
しかし、あのパラサイトって作品の冒頭で
『地球上の誰かがふと思った』
『人間の数が半分になったらいくつの森が焼かれずにすむだろうか……』
『地球上の誰かがふと思った』
『人間の数が100分の1になったらたれ流される毒も100分の1になるのだろうか…』
『誰かがふと思った』
『生物(みんな)の未来を守らねば…』
という理由でいきなり誕生してるんですよね…。
この
「地球全体のバランスを取るための仕組みが存在する」
「バランスを取るためのその仕組みがどうやって出来たのかは全く説明しない」
というあたりはむしろ完全にガイア理論なんよな。
ついでに言えば、『寄生獣』のパラサイト…
革新的なアイデアだと思われがちですが、実は
「人間や犬を襲って同化し、外見上は見分けがつかない」
「寄生された人間は会話などもでき、行動から見破ることも難しい」
「いきなり変形して頭がばっくり割れたり触手とか出す」
「体のごく一部を本体から切り離すことで見破ることができる」
など映画『遊星からの物体X』(ジョン・カーペンターによるリメイク版)に激似。
話を戻しまして。
山田玲司は『Bバージン』の後、『ドルフィン・ブレイン』という作品を描いています。
これはイルカの脳を移植された少年が地球環境を破壊する巨悪と戦う物語なのですが…
コレって公害や開発で棲家を追われた妖怪がよくやるムーブよね。
あと後発ながら映画『アバター』も、原住民の肉体(アバター)を手に入れたおっさん…つまりは「自然派な肉体に変わっちゃった男」が環境破壊する企業と戦う