福岡伸一
2022年03月21日
以前にも取り上げたNHK『ヒューマニエンス 40億年のたくらみ』。
誰しも気になる新型コロナと絡めてか、「ウィルスは悪魔か天使か?」という回があった。
主なゲストは武村政春。
番組ではまず「ウィルスが赤潮のプランクトンを殺して生態系を調整している」という話が紹介された。
…それって赤潮の様に過密な状況だと感染症が広がりやすいだけでは…?
そしてプランクトンを殺しまくってるのに「調整してる」…
まぁ生態学ってそういうトコあるよね。
「捕食者が被食者の個体数調整をする」とかさ。
その論理だと新型コロナがヒトを殺しまくっても「人口調整」で済む気がする。
「~の役に立つ」といった説明は胡散臭い。
例えば「戦争は人口調整の役に立つ」といったものがそうだ。
淘汰によって生じたものなら、例えば「翼は空を飛ぶ役に立つ」といった形で存在理由の説明にはなっているが、
「戦争は人口調整の役に立つ」は結果であって原因や理由ではない。
人口過剰のストレスから戦争になることはあるかもしれないが、それは戦争の主な理由ではない。
また、「役に立つ」というのは「誰にとって」役に立つのか?
男性は女性に向かってしばしば「君を守る」と誓う。
だが、女性側は「え、誰のために誰から守るの?」と違和感を感じる場合もあるだろう。
(これは例えば『こっち向いてよ向井くん』という漫画の冒頭で描かれている)
現代の生活において敵部族や野獣に襲われることはまずない。
これが「僕が君を他の男から守るよ」という意味なら、それは女性のためというよりは、単に男性にとって「役立つ」配偶者防衛に過ぎないのではないか?
樹木は生態系に対して多様な環境を提供する。
樹冠部から根に至るまであらゆるレベルに空間があり、幹・枝・葉・花・実・根などの構造物がある。
それを様々な生物が利用する。
だが樹木は生態系全体に資するために生えている訳ではない。
それは他の樹木との光を求めた競争の産物だ。
植物(プラント)の葉とは、光合成を行う工場(プラント)だ(プラントをプラントで説明するって…)。
そこには効率よく日光が当たらねばならない。
他の植物の陰になると成長できないため、樹木は幹によって樹冠部を高く持ち上げ、他の植物より有利になろうとする。
勿論、他の樹木も同じことをする。
結果、森には同じくらいの高さの樹木が林立することになる(森を林に例えるって…)。
どんぐりの背比べだ(植物を植物に例えるって…)。
太くて長い幹を成長させるには莫大なコストがかかるが、熾烈な樹冠持ち上げ競争の結果はせいぜいのところトントンで、特に有利性は生まれない。
だが競争から脱落する訳にもいかない。
こんなことなら樹木が「全員一律、幹を10m低くしようぜ!」という協定でも結べば全員が安上がりでしかも結果は同じ筈だが、その様な協定を結ぶ方法もなければ守らせる方法もない。
仮にその様な協定が結ばれたとして、1本の樹木だけが抜け駆けして協定を破れば、その樹木は光を独占でき、一気に有利になる。
だから不毛な競争は止むことがない。
そして誰もが競争が始まる前とほぼ変わらない位置にいるだけでとりたてて有利にはならない。
これは「赤の女王仮説」と呼ばれ、その名は『鏡の国のアリス』における「その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない」という赤の女王の台詞に由来する。
これに似た例は人間界でも見られる。
女性のメイクがそうだ。
メイクすることで美人になれるが、誰もが同じ理由でメイクするので、結局はそれほど有利になることはない。
だが自分だけノーメイクにすると不利なのでメイクをやめることもできない。
だがこの不毛な競争のためには怖ろしいほどのコスト―費用と手間暇、さらにたゆまぬ技術の習得など―がかかる。
しかし女性が一斉にメイクをやめる協定を結ぶ気配はない。
(↑アナロジーを別のアナロジーで説明するって…)
話が脱線したが、ウィルスも樹木と同じで、他の生物のためではなく、自身の(より正確には遺伝子の)自己複製のためにだけ存在する。
番組では「胎盤はウィルス由来」という話もあった。
これは発表された時、衝撃的すぎて学会が静まりかえったという。
このウィルス由来の遺伝子をゲノムが活用する、というのを番組では将棋に例え、「敵の駒を自分の駒として使う」様なものだ、としていた。
このウィルスに感染しなかったのが単孔類、感染したのが有袋類で、2回感染したのが真獣類なのだという。
さらに「ウィルスは宿主の遺伝子を盗み出して別の目的に使ったりもしてる」といった説明が入る。
スタジオは「すごい! ウィルスどんどんいいやつになってるね」と盛り上がる。
ヒトとチンパンジーのゲノムは98.5%同じとされるが、番組によれば
『相同性という概念は似てるもの同士を比べるという方法なんですね。ですので計算する時に似てない部分を切り落とすんですよ』
…ということで、ゲノムの1/4は比べられないらしい。
そこがウィルス由来の遺伝子の宝庫なのだという。
…まぁびっくりな話ではある。
だが胎盤は以前から「雄の遺伝子由来」とも言われてきた。
雌から見れば、妊娠中の子は自分の子の一匹に過ぎない。
限りある資源はその子だけでなく、将来の子に振り向けたり自分用に取っておきたい。
だが胎児から見れば、遺伝子共有率が半分しかない弟妹や母親より自分の方が大事なので、全ての資源を自分に振り向けてほしい。
こうして母子の利益は衝突する。
ちなみに妊娠糖尿病はより多くの栄養を求めて胎児が信号物質を放出し、母体がそれに対抗するために信号の感受性を低めるという軍拡競争の結果、起きる。
雄から見ると自分の遺伝子を受け継ぐ子供が何より大事なので、父親である雄と胎児の利益は一致する。
そこで雄は雌の体内に自分の遺伝子で胎盤を作り、母体の栄養を胎児に振り向けさせる。
この様に、体の中では本人以外の遺伝子が、本人以外の利益のために働くことは普通にある。
遺伝子の影響は個体の体を飛び出し、様々な場所に影響を及ぼす。
例えば巣の色や形に(ビーバーの巣は数平方kmの地形に影響を与える)。
あるいは寄生された宿主の体や行動に(最近の寄生虫本は児童書でさえ行動操作の話をするのが流行だ)。
そして雄は美しい色や歌声を介して雌を誘い、行動を操作する。
ドーキンスはこの様に遺伝子がその影響を体外の離れた場所にも及ぼせることに気付き、それを『延長された表現型』と名付けた。
そして個体とは自身のゲノムが作り上げる産物というより、『延長された表現型』のネットワークの結節点として理解できる、とブチあげたのだ。
遺伝子は自己複製のためなら何でもする。
その場その場の都合で敵にもなるし味方にもなる。
進化は盲目的で場当たり的なものなのだ。
番組でも
「ウィルスは宿主の遺伝子を盗み出して別の目的に使ったりもしてる」
「ウィルスが宿主のDNAを盗ったり挿入したりするのはウィルスにとってメリットがあるから」
という話をちゃんとしている。
そりゃウィルス等によって挿入された配列だってそのうち何かに転用されるだろう。
素材の一つがたまたまウィルス由来だっただけで、その機能のためにわざわざ送り込まれた訳でもないし。
細胞はゲノム由来かウィルス由来かなど気にしない。
水平伝達してもその後は垂直伝達に変わる(生殖細胞に感染すれば、だが)。
「自然選択の素材となるのは突然変異」という常識にちょっとした例外が付け加わるだけのことだ。
変異の供給源は突然変異以外にいろいろあって良い。
もともと放射線とか化学物質とか突然変異の原因はいろいろあるし。
よく考えれば当たり前やろ…
こういう「一見すると意外だが、よく考えたら当たり前」なことはままある。
例えば…
●エピジェネティクス
「遺伝するのは遺伝子だけやで」
↓
「よう調べたら遺伝子以外でも遺伝が起きるで!
それって獲得形質の遺伝やん…
ラマルキズムは正しかったんや!」
…結局 遺伝子をオン/オフするだけで、全く新しい形質をもたらす訳でもないし、エピジェネティックな機構自体が遺伝子の制御下にあるねんからソレはないやろ…
●レトロウィルスの発見
「情報は『DNA→RNA→蛋白質』と伝わるんやで。
これが分子生物学のセントラルドグマ(中心教義)や」
↓
「よう調べたらレトロウィルスは『RNA→DNA』と逆転写するで!
セントラルドグマの崩壊や!
ラマルキズムにワンチャンあるでコレ!」
…いや結局 蛋白質からDNAに情報が伝わらない以上、獲得形質は遺伝しないからラマルキズムは復活せぇへんやろ…
●プリオン病の発見
「自己複製する分子なんてDNAとかRNAくらいやろ」
↓
「プリオンって蛋白質なのに自己複製するやん!?」
…折り畳まれ方が異常な蛋白質に触れることで正常な蛋白質も異常になってしまうだけで、蛋白質そのものが自己複製してる訳ちゃうし。
この『ヒューマニエンス 40億年のたくらみ』でもそういう例があった。
「“自由な意志” それは幻想なのか?」の回だ。
そこでは有名なリベット実験を取り上げていた。
これは何か行動をしようとするよりコンマ数秒前に脳内の準備電位が上がる、ということを解き明かしたベンジャミン・リベットによる実験だ(番組内では何故かリベットとは少し違う手順で再現)。
意志が発生するよりも前に脳内の物理的状態が変化している、ということは「意思が体を動かしている」のではなく、「体が意思を作り出している」訳で、この実験は「原因と結果が逆やん…思てたんと違う!」と世界から衝撃をもって受け止められた。
だが唯物論は「心が物理的実体を生むのではなく、物理的実体が心を生む」としている訳で、よく考えたら当たり前ですよな。
そもそも何もないところから勝手に意思だの心だのが出てきたらそれは霊とかと同じオカルトな訳で、そら物理的基盤はあるに決まってるやん…。
…これらは、
「確かにびっくりではあるけど、これまでの概念に付け加えがあるだけで、根底からひっくり返す訳ではない」
程度の話に過ぎない。
ウィルスをやたらと危険視するのは一面的な見方でしかない。
それを正すことは意義のあることだ。
だが同時に、「すごい! ウィルスどんどんいいやつになってるね」というのもまた一面的な見方でしかない。
「ウィルスの大半は無害」「有益なウィルスもいる」
と言われても、自己複製子ってそういうもんやろ、としか…
しかし、こういった言説を持ち出すのは『ヒューマニエンス』だけではない。
例えば、福岡伸一の↓この言葉。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
いや、ときにウイルスが病気や死をもたらすことですら利他的な行為といえるかもしれない。病気は免疫システムの動的平衡を揺らし、新しい平衡状態を求めることに役立つ。そして個体の死は、その個体が専有していた生態学的な地位、つまりニッチを、新しい生命に手渡すという、生態系全体の動的平衡を促進する行為である。
かくしてウイルスは私たち生命の不可避的な一部であるがゆえに、それを根絶したり撲滅したりすることはできない。私たちはこれまでも、これからもウイルスを受け入れ、共に動的平衡を生きていくしかない。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
福岡伸一のこれらの発言のどこがトンデモなのかについては以下のエントリで扱っている。
【チコちゃんに叱られろ:前編】
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/12835660.html
【チコちゃんに叱られろ:後編】
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/12835675.html
…そちらでは主に進化論の観点から批判するにとどめたが…
コレ価値観的にもかなりヤバくないですか?
ウィルスを『根絶したり撲滅したりすることはできない。私たちはこれまでも、これからもウイルスを受け入れ、共に動的平衡を生きていくしかない』、そして『病気は免疫システムの動的平衡を揺らし、新しい平衡状態を求めることに役立つ。そして個体の死は、その個体が専有していた生態学的な地位、つまりニッチを、新しい生命に手渡すという、生態系全体の動的平衡を促進する行為である』
つまり「ウィルスの根絶・撲滅を目指すのはムダ、むしろ病気も死も動的平衡の役に立つ」という訳。
「動的平衡」ってそんなに大事なん…?
「自然のバランス」とかと同じ、口当たりの良いふわっとした概念だから気付きにくいけど…
それって例えば「病気や死は淘汰を促進させ、人類の改良に役立つ」という、優生主義的な言説とどこが違うの?
この「集団全体の役に立つから個人の犠牲はやむを得ない」的な考え方は、「個人より集団の利益を優先する」という全体主義や保守主義と親和性が高い考え方やろ…。
こんなんよくリベラル寄りの朝日が載せたな…!
繰り返しになるが、「誰にとって」役立つのかを考えることは重要である。
「ウィルスは進化の役に立つ」という場合、その過程で起きるのは淘汰、つまりは死による置き換えだ。
それは進化する集団レベルでは福音かもしれないが、個人レベルで言えば死体の山なのだ。
「集団全体の役に立つから個人の犠牲は仕方ない」というのは、肝心の自分が死んでも意味があるのか?
私なら御免だ。
「国のためなら死ねる!」とか言う人はご立派かもしれないが、私にそれを押し付けるのはやめてほしい。
ついでに言えばそういった自己犠牲を行う「利他的な個体の集団」は、自己犠牲を行わない「利己的な個体の集団」よりも結束力が高くて強そうに思える。
だがそういう「利他的な個体の集団」に「利己的な個体」が現れると、自己犠牲を行う者より行わない者の方がより多くの子孫を残すため、その集団は「利己的な個体の集団」に置き換わってしまう。
…やや脱線したので話を戻して。
福岡伸一は人類が天然痘ウィルスを根絶したり、ポリオウィルスをその一歩手前まで追いつめてることは評価しないんですかね?
福岡伸一とか池田清彦とかスティーヴン・ジェイ・グールドとか、還元主義嫌いで全体論寄りの人たちは色々言う割に結局ふわっとした話だけで何も出てこない。
ちなみにドーキンスはこういった言説に対して
「自動車の仕組みを説明する時はエンジンとかブレーキとかに分けてそれぞれが何をしているか説明するやろ。
そこで『全体は部分の総和以上のもので云々』とか言うて何の役に立つねん」
的なことを言っている。
こういうふわっとめな説明には既視感を覚える。
『ジュラシック・パーク』の原作版だ。
映画版にはごく僅かな要素しか残っていないが、原作小説はカオス理論の説明にかなりの紙幅を割いており、非常に勉強になる。
当時、原作者のマイクル・クライトンはカオス理論に夢中だったのだろう。
登場人物の一人・数学者でカオス理論が専門のイアン・マルコム(演じるのは『ザ・フライ』のジェフ・ゴールドブラム)は「生物は必ず道を見つける」から、パークの運営は上手くいく筈がない、と予言する。
これは
『ウイルスは私たち生命の不可避的な一部であるがゆえに、それを根絶したり撲滅したりすることはできない』
とする福岡伸一の態度にあまりにも似通っていないだろうか?
そしてジュラシック・パークは予言通りに崩壊を迎える。
だが映画評論家の町山智浩は、パーク崩壊は産業スパイのネドリーがセキュリティーを解除したからで、カオス理論とは無関係だと指摘する。
…うん、確かにそうですな。
福岡伸一の発言もコレと同じで、「自分のキーワードを適用範囲を超えて振りかざす痛い人」にしか見えず、あまり真剣に捉える必要を感じない。
勿論、ウィルスの根絶が極めて困難であることや、ウィルスが必ずしも悪者でないことには合意する。
だがそれは生物に少し詳しい人なら誰でも知っていることに過ぎないのに、福岡伸一はそれを逆に強調しすぎている様に感じる。
そういった強調をやりすぎて「新型コロナは安全」とか言い出しているのが(ネトウヨさんの生みの親として有名な)小林よしのりだ。
『ゴーマニズム宣言SPECIAL コロナ論2』では先述の「胎盤はウィルス由来」や「ウィルスは必ずしも悪者ではない」が何の根拠もなく「新型コロナは安全」に結びつけられている。
その手の言説は、例えばこういう話に似ている。
サメを過度に危険視すべきではない。
人を襲うサメは数種に過ぎず、多くのサメは無害だ。
サメに襲われて死ぬ人より交通事故で死ぬ人の方が圧倒的に多い。
サメは生態系のバランスを取るのに貢献している。
まぁどれも正しい。
「生態系に貢献」というのはあくまで結果であり、サメはサメ自身の(正確には遺伝子の)自己複製のために存在するのだが、貢献しているのは事実だ。
だがだからといって「危険な種のサメがウヨウヨいる海域で無防備に泳いでも大丈夫」ということにはならない。
そしてこういった主張が社会に与える危険性は福岡伸一の比ではない。
最近は↓こんなのまで描いている。

(『ゴーマニズム宣言 2nd Season』週刊SPA! 2021年 1/12・19 合併号より)
(コロナは)『基礎疾患のある老人を、死に導いてくれる。』
『それは寿命なんだよ! 人は必ず100%死ぬんだからね!』
…じゃあ小林よしのりはオウムにVXガスで殺されても
「VXガスは速やかな死に導いてくれる」
「何歳で死んでも、それは寿命なんだよ! 人は必ず100%死ぬんだからね!」
で済ますんでしょうな。
【追記】
ちなみに帯に「ヒトの死亡率=100%」なるコピーを踊らせて売っていたのが、還元主義嫌いな人々の話にちらっと名前が出た池田清彦が書いた『やがて消えゆく我が身なら』である。
これまた
「ヒトは誰しもいずれ死ぬ、なんて誰でも知ってることだよね…これを『ほほう、こりゃ気付かなかったがその通り!』と喜ぶ様な層をターゲットにしてんのか?」
福岡伸一のこれらの発言のどこがトンデモなのかについては以下のエントリで扱っている。
【チコちゃんに叱られろ:前編】
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/12835660.html
【チコちゃんに叱られろ:後編】
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/12835675.html
…そちらでは主に進化論の観点から批判するにとどめたが…
コレ価値観的にもかなりヤバくないですか?
ウィルスを『根絶したり撲滅したりすることはできない。私たちはこれまでも、これからもウイルスを受け入れ、共に動的平衡を生きていくしかない』、そして『病気は免疫システムの動的平衡を揺らし、新しい平衡状態を求めることに役立つ。そして個体の死は、その個体が専有していた生態学的な地位、つまりニッチを、新しい生命に手渡すという、生態系全体の動的平衡を促進する行為である』
つまり「ウィルスの根絶・撲滅を目指すのはムダ、むしろ病気も死も動的平衡の役に立つ」という訳。
「動的平衡」ってそんなに大事なん…?
「自然のバランス」とかと同じ、口当たりの良いふわっとした概念だから気付きにくいけど…
それって例えば「病気や死は淘汰を促進させ、人類の改良に役立つ」という、優生主義的な言説とどこが違うの?
この「集団全体の役に立つから個人の犠牲はやむを得ない」的な考え方は、「個人より集団の利益を優先する」という全体主義や保守主義と親和性が高い考え方やろ…。
こんなんよくリベラル寄りの朝日が載せたな…!
繰り返しになるが、「誰にとって」役立つのかを考えることは重要である。
「ウィルスは進化の役に立つ」という場合、その過程で起きるのは淘汰、つまりは死による置き換えだ。
それは進化する集団レベルでは福音かもしれないが、個人レベルで言えば死体の山なのだ。
「集団全体の役に立つから個人の犠牲は仕方ない」というのは、肝心の自分が死んでも意味があるのか?
私なら御免だ。
「国のためなら死ねる!」とか言う人はご立派かもしれないが、私にそれを押し付けるのはやめてほしい。
ついでに言えばそういった自己犠牲を行う「利他的な個体の集団」は、自己犠牲を行わない「利己的な個体の集団」よりも結束力が高くて強そうに思える。
だがそういう「利他的な個体の集団」に「利己的な個体」が現れると、自己犠牲を行う者より行わない者の方がより多くの子孫を残すため、その集団は「利己的な個体の集団」に置き換わってしまう。
…やや脱線したので話を戻して。
福岡伸一は人類が天然痘ウィルスを根絶したり、ポリオウィルスをその一歩手前まで追いつめてることは評価しないんですかね?
福岡伸一とか池田清彦とかスティーヴン・ジェイ・グールドとか、還元主義嫌いで全体論寄りの人たちは色々言う割に結局ふわっとした話だけで何も出てこない。
ちなみにドーキンスはこういった言説に対して
「自動車の仕組みを説明する時はエンジンとかブレーキとかに分けてそれぞれが何をしているか説明するやろ。
そこで『全体は部分の総和以上のもので云々』とか言うて何の役に立つねん」
的なことを言っている。
こういうふわっとめな説明には既視感を覚える。
『ジュラシック・パーク』の原作版だ。
映画版にはごく僅かな要素しか残っていないが、原作小説はカオス理論の説明にかなりの紙幅を割いており、非常に勉強になる。
当時、原作者のマイクル・クライトンはカオス理論に夢中だったのだろう。
登場人物の一人・数学者でカオス理論が専門のイアン・マルコム(演じるのは『ザ・フライ』のジェフ・ゴールドブラム)は「生物は必ず道を見つける」から、パークの運営は上手くいく筈がない、と予言する。
これは
『ウイルスは私たち生命の不可避的な一部であるがゆえに、それを根絶したり撲滅したりすることはできない』
とする福岡伸一の態度にあまりにも似通っていないだろうか?
そしてジュラシック・パークは予言通りに崩壊を迎える。
だが映画評論家の町山智浩は、パーク崩壊は産業スパイのネドリーがセキュリティーを解除したからで、カオス理論とは無関係だと指摘する。
…うん、確かにそうですな。
福岡伸一の発言もコレと同じで、「自分のキーワードを適用範囲を超えて振りかざす痛い人」にしか見えず、あまり真剣に捉える必要を感じない。
勿論、ウィルスの根絶が極めて困難であることや、ウィルスが必ずしも悪者でないことには合意する。
だがそれは生物に少し詳しい人なら誰でも知っていることに過ぎないのに、福岡伸一はそれを逆に強調しすぎている様に感じる。
そういった強調をやりすぎて「新型コロナは安全」とか言い出しているのが(ネトウヨさんの生みの親として有名な)小林よしのりだ。
『ゴーマニズム宣言SPECIAL コロナ論2』では先述の「胎盤はウィルス由来」や「ウィルスは必ずしも悪者ではない」が何の根拠もなく「新型コロナは安全」に結びつけられている。
その手の言説は、例えばこういう話に似ている。
サメを過度に危険視すべきではない。
人を襲うサメは数種に過ぎず、多くのサメは無害だ。
サメに襲われて死ぬ人より交通事故で死ぬ人の方が圧倒的に多い。
サメは生態系のバランスを取るのに貢献している。
まぁどれも正しい。
「生態系に貢献」というのはあくまで結果であり、サメはサメ自身の(正確には遺伝子の)自己複製のために存在するのだが、貢献しているのは事実だ。
だがだからといって「危険な種のサメがウヨウヨいる海域で無防備に泳いでも大丈夫」ということにはならない。
そしてこういった主張が社会に与える危険性は福岡伸一の比ではない。
最近は↓こんなのまで描いている。

(『ゴーマニズム宣言 2nd Season』週刊SPA! 2021年 1/12・19 合併号より)
(コロナは)『基礎疾患のある老人を、死に導いてくれる。』
『それは寿命なんだよ! 人は必ず100%死ぬんだからね!』
…じゃあ小林よしのりはオウムにVXガスで殺されても
「VXガスは速やかな死に導いてくれる」
「何歳で死んでも、それは寿命なんだよ! 人は必ず100%死ぬんだからね!」
で済ますんでしょうな。
【追記】
ちなみに帯に「ヒトの死亡率=100%」なるコピーを踊らせて売っていたのが、還元主義嫌いな人々の話にちらっと名前が出た池田清彦が書いた『やがて消えゆく我が身なら』である。
これまた
「ヒトは誰しもいずれ死ぬ、なんて誰でも知ってることだよね…これを『ほほう、こりゃ気付かなかったがその通り!』と喜ぶ様な層をターゲットにしてんのか?」
と思っただけだった。
なお、この本は2005年3月1日発売だが、その直後の2005年7月1日に根立順子という人が『人間の死亡率100%』という本を出している様だ。
あと小林よしのりの漫画(引用した画像)について、町山智浩は
『小林よしのり「(コロナは)基礎疾患のある老人を死に導いてくれる」
なんで「くれる」なの?
感謝してるの?』
とつぶやいている。
【参照】
以下のエントリでウィルスの存在理由(あまり比喩的でない、真の理由)をできるだけ平易な言葉で説明している。
『ウィルスの存在理由』
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/12835555.html
なお、この本は2005年3月1日発売だが、その直後の2005年7月1日に根立順子という人が『人間の死亡率100%』という本を出している様だ。
あと小林よしのりの漫画(引用した画像)について、町山智浩は
『小林よしのり「(コロナは)基礎疾患のある老人を死に導いてくれる」
なんで「くれる」なの?
感謝してるの?』
とつぶやいている。
【参照】
以下のエントリでウィルスの存在理由(あまり比喩的でない、真の理由)をできるだけ平易な言葉で説明している。
『ウィルスの存在理由』
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/12835555.html
(00:37)
2022年03月20日
字数制限のため2回分け。
【チコちゃんに叱られろ:前編】
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/12835660.html
の続き。
(承前)
あと『ウイルスこそが進化を加速してくれる』ってトンデモ理論「ウィルス進化論」めいてるよね…
「ウィルス進化論」にはフレッド・ホイルによるバージョンと、中原英臣&佐川峻によるバージョンがある様ですが、結局はどちらもトンデモ物件です。
詳しくは↓こちらのエントリを参照。
【パンスペルミア説に群がる人々】
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/9352753.html
上記日記でついでに茂木健一もちょっぴり批判していますが…
「学術的にはさしたる業績もないのに、自分が考えた訳でもない概念をキーワードにして一般向けの本を書き、メディアに露出して有名になった学者」
という意味で茂木健一と福岡伸一は似てるよね…
茂木健一は「クオリア」、福岡伸一は「動的平衡」がキーワードです。
「動的平衡」は「動的状態」を自己流にアレンジしてはいますが、発想としてそれほど目新しいものではありません。
そしてコレ↓。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
いや、ときにウイルスが病気や死をもたらすことですら利他的な行為といえるかもしれない。病気は免疫システムの動的平衡を揺らし、新しい平衡状態を求めることに役立つ。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
…コレ、病気にならなかったり死ななかったら
「何かあっても柔軟に対応し生命を維持する…これぞ動的平衡!」
ってなるし、病気になったり死ねば
「免疫システムや生態系を揺らす…これぞ動的平衡!」
ってならね…?
つまりどっちに転んでも「動的平衡」で説明できてしまう訳で、これはちょっと気まずいのでは…
何でも説明できるというのは何も説明しないのと同じです。
例えばあらゆることを「全ては神の思し召し」で説明しちゃうと、何も考えずにこの言葉さえ持ち出せば全ては説明できることになっちゃいます。
しかしこれが何かの説明になってると本気で考える人はいないでしょう…少なくともまともな思考力を持つ人の中には。
どっちに転んでも「動的平衡は正しい」ということになるなら、「動的平衡は間違っている」ということを示すことは不可能です。
こういう反証可能性のない議論は科学ではありません。
例えば代替医療のホメオパシー等では、症状が良くなると
「この療法のおかげ」
とされますが、悪化しても
「これは良くなる前に一時的に悪化する『好転反応』だから、効き始めてる証拠だよ」
などと、やはり効果があることにされます。
そもそも「動的平衡」という概念は「動く」と「動かない」という対立した概念を両立させたもの…
弁証法で言うところの「止揚」(アウフヘーベン)っぽくないですか?
弁証法というのはむっちゃ簡単に言うと矛盾や対立を超えていくことを目指すものです。
例えば「トンカツ食べたい」という命題(テーゼ:正)に対して「いや、俺はカレーが食べたい」という否定命題(アンチテーゼ:反)があるとします。
これを弁証法的に解決するなら「カツカレー食べれば良くね?」という帰結(ジンテーゼ:合)に至ります。
物事は矛盾を生むがそれを乗り越えた解決策がある、ということですね。
動的平衡の場合、
「生物は動的、つまり変化していくのが特徴やで」
という命題(テーゼ:正)に対して
「いや、平衡状態を保つ、むしろ変化しないことが特徴やろ」
という否定命題(アンチテーゼ:反)があり、「どっちも正しいやろ…生命の本質は変化しつつ安定する『動的平衡』なんや!」
という帰結(ジンテーゼ:合)に至る訳です。
…つい納得してしまいそうになりますが、弁証法は矛盾を否定しないので、行き過ぎると矛盾があっても平気で常に言い逃れができちゃうんですよね…
反証可能性を重視する『反証主義』を唱えた哲学者、カール・ポパーは「弁証法は反証可能性ないからダメ―!」と否定しています。
というか反証主義というやつは、共産主義が大嫌いなポパーが共産主義者がよく持ち出す弁証法を批判するために考え出したもの、的なフシも…。
ちなみにこの弁証法の用語である「アウフヘーベン」は一時、横文字大好きな小池百合子東京都知事がよく使ってました。
アンタ右派でしょ…。
…という訳で、「動的平衡」自体が結構なトンデモ案件疑惑。
あと
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
そして個体の死は、その個体が専有していた生態学的な地位、つまりニッチを、新しい生命に手渡すという、生態系全体の動的平衡を促進する行為である。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
だそうですが…
これは
「生息地が過密になるのを避けるため、子孫に縄張り等を譲るために死や老化が存在する」
という昔からある議論の変奏曲でしょう。
しかしわざわざ死んでも、縄張り等が自分の子孫に受け継がれず、他者に明け渡されることになってしまえば元も子もありません。
また、有性生殖する生物では子孫より自分の方が大事です。
子供はそのゲノムの半分をセックスパートナーに汚染され、遺伝子の共有率が半分しかありません。
その点、「自分」は自分との遺伝子共有率は100%です。
したがって自分で自分の縄張りを防衛した方が良い筈です。
つまり自分ファーストですね(またしても小池百合子イズム)。
死や老化の原因はいろいろありますが、大事なのは
「死を積極的な適応と考える必要はない」
ということです。
つまり死ぬこと自体に有利性はなくても良いのです。
仮に不老不死の生物がいたとします。
「何をしても決して死なない」
という絶対的不死は火の鳥の血でも飲まないと無理なので、ここは当然
「老化せず寿命はないけど事故等で死んじゃうことはある」
という相対的不死ですね。
そういう生物は実は長生きしません。
一定の確率で事故等で死ぬので、長生き個体も長い目で見るとどんどん減って、遠からずほぼゼロになります。
これは「創業当初から継ぎ足しされてきた秘伝のタレ」が、計算すると「数年で創業時からの分子は1個も残ってない」ことになるのと同じです。
奇跡的に何万年も生き残る者が1匹か2匹いたとしても無視できるレアケースでしょう。
つまり不老不死は
「獲得してもしなくても、結局はほどほどのトコで死ぬ」
のです。
したがってわざわざ不老不死が進化することはまずありません。
しかし逆はどうでしょう?
仮に不老不死の生物がいたとします。
もしその生物に「元気を前倒しする突然変異」が起きたとしましょう。
その生物は生まれて数年はものすごく活動的になりますが、その後はひよわになります。
生まれて数年ならまだ事故等で死亡している率は低く、多くの個体がその恩恵に浴しますね。
そしてその活動性の高さを利用してより死亡率は低く、繁殖率は高くなる…つまりその突然変異を持つ個体は増えます。
同様の変異が何度も起きれば、それはもはや「不老不死」ではありません。
普通に老化し、寿命が限界づけられた生物です。
え、そんな突然変異が起きるのは都合が良すぎる?
では公平のために逆の突然変異も同じくらい起きるとしましょう。
「元気を後倒しする突然変異」です。
コレが起きると生まれて数年はひよわになりますが、その後は活動的になります。
生まれてすぐにひよわになるのでは生き残りにくいので、この生物は数を減らします。
ようやくその後、元気になっても、その頃にはあまり生き残っていないでしょう。
こうして自然選択の結果、老化&限られた寿命が進化します。
と言っても老化そのものに積極的な有利性がある訳ではありません。
若い時の活動性との交換取引(トレード・オフ)による、消極的な理由です。
それでも必然的に老化は進化しえます。
つまり死は単に不可避な副産物かもしれず、無理に「何かの役に立つから進化した」と考える必要はないのです。
勿論、「動的平衡の役に立つから進化した」と考える必要もありません。
…みたいな話はドーキンスの本にバッチリ書いてあるんですが。
しかし福岡伸一は
「進化には複合的な要因が考えられるのでは」
とか言い出し、ダーウィニズムを不完全と評しています。
で、替わりにラマルキズムを持ち出してみたり…なんともアナクロ~!
さらにBSEのプリオン原因説に懐疑的だったりと、結構なトンデモさんです。
で、その割にドーキンスの『虹の解体』を翻訳したり、『神は妄想である』の帯に
「ドーキンスファンなら読まずにはいられない。」
というコメントを寄せてたり。
そういや先述の中原英臣&佐川峻コンビもウィルス進化論というトンデモ説を唱えてドーキンスには反対の立場を取ってるのに、ブルーバックスから『利己的遺伝子とは何か―DNAはエゴイスト!』という解説本を出してましたな…
そこで
「立場は違うけど、ドーキンスに成り代わって書く!」
みたいなコト書いて、どっかで
「『利己的な遺伝子』自体が啓蒙書なのに、啓蒙書の啓蒙書を書いてどないすんねん」
的な批判されてみたり…。
ほんっとこの人ら、ドーキンスを支持してない癖に乗っかるよね…。
ちなみに福岡伸一は『チコちゃんに叱られる』に複数回出演し、通常はスタッフ側が用意するチコちゃんへの質問コメントまで自分で考えちゃうというはしゃぎっぷりを披露してました。
中原英臣は『ビートたけしのTVタックル』のコロナ回に出演(2020年2月23日)。
…医学博士でウィルス進化論の人だからってウィルスに詳しい専門家だと見做されたんでしょーか?
それ全然違うから。
なお、ウィルス進化論は
「キリンの首はウィルス感染によって一気に伸びた」
というものですが…
何故ウィルスがそんなことをするのか、ウィルス自身に一体何の得があるのか、どの様な仕組みでそうするのか…その辺の説明はやはりありません。
そしてこのあたりの「説明になってない感じ」は…
『生物は変わるべくして変わる』
とか、同語反復としか思えないコト言ってた今西錦司を彷彿とさせますね。
で、その今西錦司に憧れて学者になった人がいます。
福岡伸一という人です。
…なんか今回、「ひとつの日記で何人を批判できるか」が裏テーマなのか…? というくらい書きまくっちゃいましたね…。
上記日記でついでに茂木健一もちょっぴり批判していますが…
「学術的にはさしたる業績もないのに、自分が考えた訳でもない概念をキーワードにして一般向けの本を書き、メディアに露出して有名になった学者」
という意味で茂木健一と福岡伸一は似てるよね…
茂木健一は「クオリア」、福岡伸一は「動的平衡」がキーワードです。
「動的平衡」は「動的状態」を自己流にアレンジしてはいますが、発想としてそれほど目新しいものではありません。
そしてコレ↓。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
いや、ときにウイルスが病気や死をもたらすことですら利他的な行為といえるかもしれない。病気は免疫システムの動的平衡を揺らし、新しい平衡状態を求めることに役立つ。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
…コレ、病気にならなかったり死ななかったら
「何かあっても柔軟に対応し生命を維持する…これぞ動的平衡!」
ってなるし、病気になったり死ねば
「免疫システムや生態系を揺らす…これぞ動的平衡!」
ってならね…?
つまりどっちに転んでも「動的平衡」で説明できてしまう訳で、これはちょっと気まずいのでは…
何でも説明できるというのは何も説明しないのと同じです。
例えばあらゆることを「全ては神の思し召し」で説明しちゃうと、何も考えずにこの言葉さえ持ち出せば全ては説明できることになっちゃいます。
しかしこれが何かの説明になってると本気で考える人はいないでしょう…少なくともまともな思考力を持つ人の中には。
どっちに転んでも「動的平衡は正しい」ということになるなら、「動的平衡は間違っている」ということを示すことは不可能です。
こういう反証可能性のない議論は科学ではありません。
例えば代替医療のホメオパシー等では、症状が良くなると
「この療法のおかげ」
とされますが、悪化しても
「これは良くなる前に一時的に悪化する『好転反応』だから、効き始めてる証拠だよ」
などと、やはり効果があることにされます。
そもそも「動的平衡」という概念は「動く」と「動かない」という対立した概念を両立させたもの…
弁証法で言うところの「止揚」(アウフヘーベン)っぽくないですか?
弁証法というのはむっちゃ簡単に言うと矛盾や対立を超えていくことを目指すものです。
例えば「トンカツ食べたい」という命題(テーゼ:正)に対して「いや、俺はカレーが食べたい」という否定命題(アンチテーゼ:反)があるとします。
これを弁証法的に解決するなら「カツカレー食べれば良くね?」という帰結(ジンテーゼ:合)に至ります。
物事は矛盾を生むがそれを乗り越えた解決策がある、ということですね。
動的平衡の場合、
「生物は動的、つまり変化していくのが特徴やで」
という命題(テーゼ:正)に対して
「いや、平衡状態を保つ、むしろ変化しないことが特徴やろ」
という否定命題(アンチテーゼ:反)があり、「どっちも正しいやろ…生命の本質は変化しつつ安定する『動的平衡』なんや!」
という帰結(ジンテーゼ:合)に至る訳です。
…つい納得してしまいそうになりますが、弁証法は矛盾を否定しないので、行き過ぎると矛盾があっても平気で常に言い逃れができちゃうんですよね…
反証可能性を重視する『反証主義』を唱えた哲学者、カール・ポパーは「弁証法は反証可能性ないからダメ―!」と否定しています。
というか反証主義というやつは、共産主義が大嫌いなポパーが共産主義者がよく持ち出す弁証法を批判するために考え出したもの、的なフシも…。
ちなみにこの弁証法の用語である「アウフヘーベン」は一時、横文字大好きな小池百合子東京都知事がよく使ってました。
アンタ右派でしょ…。
…という訳で、「動的平衡」自体が結構なトンデモ案件疑惑。
あと
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
そして個体の死は、その個体が専有していた生態学的な地位、つまりニッチを、新しい生命に手渡すという、生態系全体の動的平衡を促進する行為である。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
だそうですが…
これは
「生息地が過密になるのを避けるため、子孫に縄張り等を譲るために死や老化が存在する」
という昔からある議論の変奏曲でしょう。
しかしわざわざ死んでも、縄張り等が自分の子孫に受け継がれず、他者に明け渡されることになってしまえば元も子もありません。
また、有性生殖する生物では子孫より自分の方が大事です。
子供はそのゲノムの半分をセックスパートナーに汚染され、遺伝子の共有率が半分しかありません。
その点、「自分」は自分との遺伝子共有率は100%です。
したがって自分で自分の縄張りを防衛した方が良い筈です。
つまり自分ファーストですね(またしても小池百合子イズム)。
死や老化の原因はいろいろありますが、大事なのは
「死を積極的な適応と考える必要はない」
ということです。
つまり死ぬこと自体に有利性はなくても良いのです。
仮に不老不死の生物がいたとします。
「何をしても決して死なない」
という絶対的不死は火の鳥の血でも飲まないと無理なので、ここは当然
「老化せず寿命はないけど事故等で死んじゃうことはある」
という相対的不死ですね。
そういう生物は実は長生きしません。
一定の確率で事故等で死ぬので、長生き個体も長い目で見るとどんどん減って、遠からずほぼゼロになります。
これは「創業当初から継ぎ足しされてきた秘伝のタレ」が、計算すると「数年で創業時からの分子は1個も残ってない」ことになるのと同じです。
奇跡的に何万年も生き残る者が1匹か2匹いたとしても無視できるレアケースでしょう。
つまり不老不死は
「獲得してもしなくても、結局はほどほどのトコで死ぬ」
のです。
したがってわざわざ不老不死が進化することはまずありません。
しかし逆はどうでしょう?
仮に不老不死の生物がいたとします。
もしその生物に「元気を前倒しする突然変異」が起きたとしましょう。
その生物は生まれて数年はものすごく活動的になりますが、その後はひよわになります。
生まれて数年ならまだ事故等で死亡している率は低く、多くの個体がその恩恵に浴しますね。
そしてその活動性の高さを利用してより死亡率は低く、繁殖率は高くなる…つまりその突然変異を持つ個体は増えます。
同様の変異が何度も起きれば、それはもはや「不老不死」ではありません。
普通に老化し、寿命が限界づけられた生物です。
え、そんな突然変異が起きるのは都合が良すぎる?
では公平のために逆の突然変異も同じくらい起きるとしましょう。
「元気を後倒しする突然変異」です。
コレが起きると生まれて数年はひよわになりますが、その後は活動的になります。
生まれてすぐにひよわになるのでは生き残りにくいので、この生物は数を減らします。
ようやくその後、元気になっても、その頃にはあまり生き残っていないでしょう。
こうして自然選択の結果、老化&限られた寿命が進化します。
と言っても老化そのものに積極的な有利性がある訳ではありません。
若い時の活動性との交換取引(トレード・オフ)による、消極的な理由です。
それでも必然的に老化は進化しえます。
つまり死は単に不可避な副産物かもしれず、無理に「何かの役に立つから進化した」と考える必要はないのです。
勿論、「動的平衡の役に立つから進化した」と考える必要もありません。
…みたいな話はドーキンスの本にバッチリ書いてあるんですが。
しかし福岡伸一は
「進化には複合的な要因が考えられるのでは」
とか言い出し、ダーウィニズムを不完全と評しています。
で、替わりにラマルキズムを持ち出してみたり…なんともアナクロ~!
さらにBSEのプリオン原因説に懐疑的だったりと、結構なトンデモさんです。
で、その割にドーキンスの『虹の解体』を翻訳したり、『神は妄想である』の帯に
「ドーキンスファンなら読まずにはいられない。」
というコメントを寄せてたり。
そういや先述の中原英臣&佐川峻コンビもウィルス進化論というトンデモ説を唱えてドーキンスには反対の立場を取ってるのに、ブルーバックスから『利己的遺伝子とは何か―DNAはエゴイスト!』という解説本を出してましたな…
そこで
「立場は違うけど、ドーキンスに成り代わって書く!」
みたいなコト書いて、どっかで
「『利己的な遺伝子』自体が啓蒙書なのに、啓蒙書の啓蒙書を書いてどないすんねん」
的な批判されてみたり…。
ほんっとこの人ら、ドーキンスを支持してない癖に乗っかるよね…。
ちなみに福岡伸一は『チコちゃんに叱られる』に複数回出演し、通常はスタッフ側が用意するチコちゃんへの質問コメントまで自分で考えちゃうというはしゃぎっぷりを披露してました。
中原英臣は『ビートたけしのTVタックル』のコロナ回に出演(2020年2月23日)。
…医学博士でウィルス進化論の人だからってウィルスに詳しい専門家だと見做されたんでしょーか?
それ全然違うから。
なお、ウィルス進化論は
「キリンの首はウィルス感染によって一気に伸びた」
というものですが…
何故ウィルスがそんなことをするのか、ウィルス自身に一体何の得があるのか、どの様な仕組みでそうするのか…その辺の説明はやはりありません。
そしてこのあたりの「説明になってない感じ」は…
『生物は変わるべくして変わる』
とか、同語反復としか思えないコト言ってた今西錦司を彷彿とさせますね。
で、その今西錦司に憧れて学者になった人がいます。
福岡伸一という人です。
…なんか今回、「ひとつの日記で何人を批判できるか」が裏テーマなのか…? というくらい書きまくっちゃいましたね…。
(00:02)
2022年03月19日
コロナ禍に乗じて福岡伸一がトンデモ発言をしていたので取り上げておきます。
福岡伸一については少し前に、下記のエントリでこう評しました。
【科学的にも正しく尊い「男系男子」?】
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/9846059.html
ちなみにこの福岡伸一は…なんていうか全体論者的な人物で、「還元論だけでは説明できないんじゃよー」みたいなことを言う割に、じゃあ全体論で何が説明できるのかというとその辺は曖昧という、「スティーヴン・ジェイ・グールド日本版」みたいな人という印象。
まぁ「ホリスティック医学」とかの全体論めいた主張とか、現代ダーウィニズムを批判して「構造主義生物学ガ―!」と吠えてる池田清彦とか、あの辺って「掘っても結局何も出てこない」気がするよね…個人的にはそれと同じフォルダにしまってます。
…が、この人、発言はソツがないというか、間違ってはいないんですよ。
見事に正統的な説明をしてくる。
ただ「全体論者の筈のあなたがその還元的説明を持ち出す…?」とは思いますが…
竹内久美子なんかよりははるかに正確。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
…と、あまり褒めも否定もしなかったのですが…。
朝日DIGITALに↓こんな記事が。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
テーマ特集新型コロナウイルス
アピタル
「ウイルスは撲滅できない」福岡伸一さんが語る動的平衡
2020/4/6 5:00 有料会員限定記事
青山学院大学教授・生物学者の福岡伸一さん
ウイルスとは電子顕微鏡でしか見ることのできない極小の粒子であり、生物と無生物のあいだに漂う奇妙な存在だ。生命を「自己複製を唯一無二の目的とするシステムである」と利己的遺伝子論的に定義すれば、自らのコピーを増やし続けるウイルスは、とりもなおさず生命体と呼べるだろう。しかし生命をもうひとつ別の視点から定義すれば、そう簡単な話にはならない。それは生命を、絶えず自らを壊しつつ、常に作り替えて、あやうい一回性のバランスの上にたつ動的なシステムである、と定義する見方――つまり、動的平衡の生命観に立てば――、代謝も呼吸も自己破壊もないウイルスは生物とは呼べないことになる。しかしウイルスは単なる無生物でもない。ウイルスの振る舞いをよく見ると、ウイルスは自己複製だけしている利己的な存在ではない。むしろウイルスは利他的な存在である。
福岡伸一さんの連載「動的平衡」はこちら
今、世界中を混乱に陥れている新型コロナウイルスは、目に見えないテロリストのように恐れられているが、一方的に襲撃してくるのではない。まず、ウイルス表面のたんぱく質が、細胞側にある血圧の調整に関わるたんぱく質と強力に結合する。これは偶然にも思えるが、ウイルスたんぱく質と宿主たんぱく質とにはもともと友だち関係があったとも解釈できる。それだけではない。さらに細胞膜に存在する宿主のたんぱく質分解酵素が、ウイルスたんぱく質に近づいてきて、これを特別な位置で切断する。するとその断端が指先のようにするすると伸びて、ウイルスの殻と宿主の細胞膜とを巧みにたぐりよせて融合させ、ウイルスの内部の遺伝物質を細胞内に注入する。かくしてウイルスは宿主の細胞内に感染するわけだが、それは宿主側が極めて積極的に、ウイルスを招き入れているとさえいえる挙動をした結果である。
ここから続き
これはいったいどういうことだろうか。問いはウイルスの起源について思いをはせると自(おの)ずと解けてくる。ウイルスは構造の単純さゆえ、生命発生の初源から存在したかといえばそうではなく、進化の結果、高等生物が登場したあと、はじめてウイルスは現れた。高等生物の遺伝子の一部が、外部に飛び出したものとして。つまり、ウイルスはもともと私たちのものだった。それが家出し、また、どこかから流れてきた家出人を宿主は優しく迎え入れているのだ。なぜそんなことをするのか。それはおそらくウイルスこそが進化を加速してくれるからだ。親から子に遺伝する情報は垂直方向にしか伝わらない。しかしウイルスのような存在があれば、情報は水平方向に、場合によっては種を超えてさえ伝達しうる。
それゆえにウイルスという存在が進化のプロセスで温存されたのだ。おそらく宿主に全く気づかれることなく、行き来を繰り返し、さまようウイルスは数多く存在していることだろう。
その運動はときに宿主に病気をもたらし、死をもたらすこともありうる。しかし、それにもまして遺伝情報の水平移動は生命系全体の利他的なツールとして、情報の交換と包摂に役立っていった。
いや、ときにウイルスが病気や死をもたらすことですら利他的な行為といえるかもしれない。病気は免疫システムの動的平衡を揺らし、新しい平衡状態を求めることに役立つ。そして個体の死は、その個体が専有していた生態学的な地位、つまりニッチを、新しい生命に手渡すという、生態系全体の動的平衡を促進する行為である。
かくしてウイルスは私たち生命の不可避的な一部であるがゆえに、それを根絶したり撲滅したりすることはできない。私たちはこれまでも、これからもウイルスを受け入れ、共に動的平衡を生きていくしかない。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
…ちなみに当初はこの記事、後半は有料だったのですが、「コロナ禍だし今だけ無料!」という扱いだったので無料で読めました。
なおその後、朝日新書『コロナ後の世界を語る 現代の知性たちの視線』 に収録された模様。
さて、早速 気になる部分を再度引用してツッコんでいきたいと思います。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
…利己的遺伝子論はウイルスを生命体と捉える…?
ドーキンスそんなこと言ってない。
そもそもドーキンスは「自己複製するのは生物だけとちゃうで。例えば文化もそうやで」という立場で、文化の自己複製子を「ミーム」と名付けてます。
福岡伸一は「動的平衡」をキーワードにしてて、コレをやたらゴリ押ししてきます。
そしてすぐに自分が間違いだと見做すものと「動的平衡」を並べて「この単純で素朴な考えに比べて動的平衡はしなやかで深遠」みたいな顔をするのですが…
コレ、ちょいちょい相手が言ってもいないことを批判する「藁人形論法」なんよね…。
例えば福岡伸一は『ツチハンミョウのギャンブル』という本を出しているのですが、コレは週刊文春連載時は『パンタレイ パングロス』という、韻を踏んだタイトルでした。
福岡伸一自身の言葉によれば、パンタレイ主義とは『あらゆることは偶然で、すべては移ろっていく』、パングロス主義は『すべては宇宙の偉大なる設計者によってあらかじめ計画・配剤されている』ということらしいです。
もちろん福岡伸一は前者を肯定し、後者を否定しているのですが…
え、パンタレイとかパングロスってそんな意味ですっけ…?
「パンタレイ」(panta rhei)の意味はヘラクレイトスの「万物は流転する」ですね。
こちらは「大体合ってる」感じですが、「偶然」の要素までこの言葉に入れちゃうのは強引な気が。
そして「パングロス主義」はヴォルテールの『カンディード、あるいは楽天主義説』に登場するパングロス博士に由来します。
パングロス博士は「鼻は眼鏡をかけるためにある」とか言っちゃう人物。
ダーウィニズムは大変切れ味が良いのですが、それ故に時にやり過ぎます。
証拠もなしに何でもかんでも「この形質は○○という目的のために進化したのだ。全ては適応の結果なのだ」とする行き過ぎた適応論をこのパングロス博士になぞらえて「パングロス主義だ」と批判したりするのですね。
…つまりコレ、ゴリゴリのウルトラダーウィニストを指す言葉で、『すべては宇宙の偉大なる設計者によってあらかじめ計画・配剤されている』という創造論的な考え方とは真逆じゃねーか!
で次。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ウイルスの振る舞いをよく見ると、ウイルスは自己複製だけしている利己的な存在ではない。むしろウイルスは利他的な存在である。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
…う~ん、コレは利他とか利己という言葉の定義が混乱してるなぁ…。
まず利己行動とは「自分の自己複製を有利にする行動」、利他行動とは「自分の自己複製を犠牲にして他者の自己複製を助ける行動」のことな訳ですよ。
利他行動をする生物は自分の自己複製を犠牲にしている訳ですから、仮に現れても増えることなく消えていきます。
つまり真に利他的な生物は定義により、長く存続することはできません。
でも一見すると利他的に見える行動はしばしばあります。
これを利己的遺伝子説は「一見すると利他的に見える行動も、よく見ると遺伝子レベルでは利己的なのだ」と説明します。
この「一見するとそう見える」というゆるい意味では、「利他行動は実は利己行動の一形態である」という訳ですね。
その意味では利己的遺伝子説は「生物は利己的であり、利他的ではありえない」とは言ってません。
むしろ「どうして生物はしばしば利他的に見えるのか」を説明するために利己的遺伝子説が生まれたのです。
つまり「○○は利己的ではなく利他的」という言説は
・【厳密には…】 → 「定義により」ありえない
・【ゆるい意味でなら…】 → そもそも利己と利他は対立するものではなく、利他は利己に内包される
…ということですから、どっちに転んでも間違いです。
ちなみに村上和雄というトンデモさんがいるのですが、この人も同様の発言をしてました。
たしか『ナイトサイエンス教室〈1〉生命の意味』という著作だったと思うのですが、「僕は利他的な遺伝子というのもあると思う。それについてドーキンスとやりあってもいい」みたいなコト言って「この人、分かってNEEEEE!」感を醸し出してましたな。
なお、この人は著者紹介で「ノーベル賞に一番近いとされる科学者」と書かれてたりするのですが【註1】…
それってソースは何ですか?
村上和雄は遺伝子にオンオフのスイッチがあるという事実から『君のやる気スイッチをオンにする遺伝子の話』とか『スイッチ・オンの生き方』などという、タイトルの時点で乱暴かつ安易な本を書いてみたりもしています。
が、村上和雄を語る上で最も重要なキーワードは「サムシンググレート」 でしょう。
これは「生命は進化論では説明できない。なんかもっとこう、偉大な何か(サムシンググレート)があると思うんだよね~」的な、超絶ぼんやりした考え方です。
…それって神やん。
そして「神とは言わないけど、偉大な何かが…」的な言い逃れを繰り出すのって、どっかで見たことあるよね?
これってアメリカで
「いやいや、神とは言ってないですよ?
神とは言ってないけど、『知性あるデザイナー』が生命を作ったという科学的な仮説も成り立つので、生徒には公平に進化論と知性あるデザイナー説の両方を教えましょう!」
とか言って科学教育に宗教を持ち込もうとしてる『ID理論』と同じやんけ!【註2】
しかも村上和雄は天理教の信者で、著書でサムシング・グレートを「あれは親神様のことです」と認めちゃってるんだよな~…
まぁこの人は自著のタイトルが 『どうせ生きるなら「バカ」がいい』とか『アホは神の望み』とかなので、親神様の望み通りに生きたら良いと思います。
でもそれを科学や教育の世界に持ち込むのは勘弁な!
話が福岡伸一から村上和雄にズレたので戻します。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
それは宿主側が極めて積極的に、ウイルスを招き入れているとさえいえる挙動をした結果である。(中略)
つまり、ウイルスはもともと私たちのものだった。それが家出し、また、どこかから流れてきた家出人を宿主は優しく迎え入れているのだ。なぜそんなことをするのか。それはおそらくウイルスこそが進化を加速してくれるからだ。親から子に遺伝する情報は垂直方向にしか伝わらない。しかしウイルスのような存在があれば、情報は水平方向に、場合によっては種を超えてさえ伝達しうる。
それゆえにウイルスという存在が進化のプロセスで温存されたのだ。
(中略)
その運動はときに宿主に病気をもたらし、死をもたらすこともありうる。しかし、それにもまして遺伝情報の水平移動は生命系全体の利他的なツールとして、情報の交換と包摂に役立っていった。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ほほ~…
つまりウィルスは宿主にとって短期的には死をもたらす厄介者だけど、長期的には進化をもたらすから、そちらの利益を選んで受け入れることにした、と…?
「う~ん、今は死んじゃいそうだけど何万年か先にええことありそうやし耐えとこ!」
という道を歩んだ生物は全滅しますよね?
進化は盲目的な過程であり、その様な長期的展望は持ちえません。
遺伝情報の水平移動がしばしば起きるのは事実ですが、それが「宿主側の適応の結果として生じ、維持されている仕組みである」と考える理由って何かあります…?
一方、利己的遺伝子論なら「それは寄生者側の適応として、より効率的に自己複製するために生じ、維持されているのだ」という形でわりと簡単に説明がつきます。
そもそもヒトは何にでも理由を求める生き物。
それ自体は良いことなのですが、しかしその性質は「全ては神が作った」という宗教や「全てはフリーメーソンの計画通り…!」という陰謀論をも生み出してきました。
進化論にも「生存のための戦略」といった擬人的な表現が頻発します。
しかしそれらはあくまでも比喩的なもので、
「動物は神によって人間の『ために』作られた」
といった、テレオロジー(目的論:「何の役に立つのか?」)ではなく、
「ライオンの牙は狩りをする『ために』ある」
というテレオノミー(適応の科学:「何が有利性となって進化したのか?」)として厳に区別されている…はずなのですが…【註3】
どうやらヒトは「○○は××の役に立つ」という例を見ると「○○は××のために作られた」という考えに飛びついてしまう様です。
例えば有名な『ガイア仮説』がそうです。
地球全体が生命体の様に自己調節をしている、という仮説ですが、どの様な仕組みを通じてそんな能力が獲得されたのかについてのちゃんとした説明はありません。
ここには
「地球の○○という特徴は環境の維持に役立つ」
↓
「○○は環境維持のための仕組みに違いない」
という発想が見て取れます。
しかしそのような仕組みがどうやって生まれたのかの説明はありません。
ガイア仮説と言えば、超名作漫画『寄生獣』もガイア丸出しでしたね(そういやこっちもシンイチだなぁ…)。
この作品はこんなナレーションで始まります。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
───地球上の誰かがふと思った
『人類の数が半分になったら いくつの森が焼かれずにすむだろうか……』
───地球上の誰かがふと思った
『人間の数が100分の1になったら たれ流される毒も100分の1になるだろうか……』
───誰かが ふと思った
『生物(みんな)の未来を守らねば……………』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
…そしてパラサイト爆誕。
つまり
「パラサイトは人工調整の役に立つ」
から存在する、と。
コレ
「地球の○○という特徴は環境の維持の役に立つ」
から存在する、というガイア仮説と同じやん…
もうその
「○○は××の役に立つから説明抜きに即・存在できる」
というナイーブな考え方、やめましょうよ…
私に3本目の腕があったら便利かもしれませんが、それだけの理由で突然腕が生えたりしないっつーの。
福岡伸一は先述のように妙なパングロス主義批判をしていますが、その割に自分自身が「鼻は眼鏡をかけるためにある」とか言っちゃう超楽観主義のパングロス博士とほぼ同じことをしてるんじゃないですかね…?
あと進化モノSFって大体は神だのオーバーロードだの超越的な存在が出てきて、そいつらの起源は説明しないのな…。
知性抜きの盲目的な進化を扱った作品は貴重です。
ちなみに『寄生獣』には利己的遺伝子論の話も出てくるのですが…ガイア仮説を提唱したラヴロックはドーキンスの論敵。【註4】
ドーキンスは
「惑星間で淘汰が起きる、とかじゃない訳よね? じゃあどうやってこんな仕組みが進化すんの?」
的な批判をしてます。
ラヴロックもラヴロックで、ドーキンスが
「星は子供を作らないから生物じゃねぇよ」
的な批判したのを受けて
「だったら閉経したお婆ちゃんは生物じゃねぇのかよ」
的に反論してます。
子供の言い争いかよ…。
さらに「百匹目の猿」の話を捏造したことで知られるトンデモさん、ライアル・ワトソンは『シークレット・ライフ ─物たちの秘められた生活』において
「かつて地球には炭素生物だけでなく珪素生物もいたが、消えた…だが彼らは炭素生物、つまり我々にシリコンチップを大量生産させることで復活を遂げたのだ」
的な主張をしています。
コレも珪素生物が炭素生物にどの様な影響を与えてシリコンチップを作らせたのかの説明はありません。
これではガイアも珪素生物云々もただの思い付きに過ぎないでしょ…。
ほなアレか?
アミノ酸の旨味たっぷりなラーメンスープは、生命発生以前のアミノ酸が溶け込んだ「生命のスープ」が我々ヒトを操って自分達を再現させとるんか?
こんなユルいアナロジーなんていくらでも考え出せます。
ラーメンスープと「生命のスープ」の類似性はあさりよしとおが漫画『HAL―はいぱああかでみっくらぼ』で指摘してるので、オリジナルのやつを紹介しましょう。
ウチの近所にあったタコ焼き屋のタコ焼きはふわトロ系。
あまりに柔らかいので、容器の中でたこ焼きが丸型を保てず、自重で押しつぶされ、押し合いへし合いしてひとかたまりになってました。
よく見ると四角くそれぞれのタコ焼きの境目が見える感じ。
柔らかい皮にドロドロの生地がくるまれてて、中にらせん状に巻いたタコの足(紅ショウガによって染色されがち)や、エネルギーたっぷりで高カロリーな、だけど別の料理(天プラ)に由来する天カスや、もろもろの具材が入ってる…
コレ、細胞じゃね?
柔軟な細胞膜にドロドロの原形質基質がくるまれてて、中にらせん状に巻いた染色体(塩基性の色素によく染色されがち)や、エネルギーを司る、だけど別の生物(αプロテオバクテリア)に由来するミトコンドリアや、もろもろの細胞内小器官(オルガネラ)が入ってる…その同じユニットがいくつも集まり、押し合いへし合いしてひとつの組織を作る。
そう、タコ焼きは細胞による細胞の拡大再生産であり、細胞はタコ焼きを作るために生まれてきたのです! ΩΩΩ<な、なんだってー!?
…ユルいアナロジーから「○○は××のために作られた」といった類の話を持ち出す言説は↑これレベルの妄言じゃないですかね…。
※字数制限のため2回分け。
【註2:科学教育に宗教を持ち込もうとしてる】
なお、日本では教育に宗教を持ち込んだりしないよね…と思いきや、この「サムシンググレート」はいくつかの教科書や教材に紛れ込んでいます。
教育学者の高橋史朗がこのサムシンググレートに肩入れしてるんですよね~…。
高橋史郎は「親学」というトンデモな教育メソッドを唱え、「江戸しぐさ」も信じてたり、持論の権威付けに『ゲーム脳の恐怖』の森昭雄を利用したりと節操がない人なんですが…。
ちなみに高橋史郎は「新しい歴史教科書をつくる会」元副会長・「日本会議」役員で、新宗教『生長の家』くずれなんですよね…
『生長の家』はかつては反共路線で政治の世界にも熱心に手を出していました。
まぁ今で言うと『幸福の科学』みたいなもん。
その後、教団は路線変更して政治からは距離を置く様になったのですが、一部は教団と袂を分かち、政治の世界に残り続けたのですね。
その中にこの高橋史郎や日本会議事務総長の椛島有三らがいます。
私は一部の左翼の様に、日本会議を右翼の背後で糸を引く団体とは見做してません。
特定の組織を諸悪の根源とするのは「フリーメーソンガー!」「イルミナティ―ガ―!」とかの陰謀論と変わらないし。
あんなん右翼爺ちゃんの草の根運動やろ…。
しかし、右翼の動きについていろいろ調べていくと「日本会議」の名や『生長の家』くずれの人士に何度も行き当たるのもまた事実。
別にそれらが統一的な意思の元で何かの策略を張り巡らしているとは思いませんが、それらが同じ志向の人間を引き寄せ、助け合ったりしてるうちに右翼への人材供給源になったんだろうな、程度には注目しています。
【註3:テレオノミー(適応の科学)】
ドーキンスはテレオロジー(目的論:「何の役に立つか?」)とテレオノミー(適応の科学:「何が有利性となって進化したのか?」)の区別に厳格です。
彼は「ワニの歯を虫歯にしやすくする遺伝子」を仮定し、それのせいでワニが餌を食べにくくなって、その分、周囲の個体により多くの餌が渡るなら、これを「利他行動のための遺伝子」と呼んでも良い、的なことまで言ってます。
何とも自由~!
つまり我々が感じる「目的」ではなく、結果が全て、という訳ですね。
ただし、ここでは適応について語っているのであり、進化(遺伝子頻度の変化)には様々な理由があるけれど、適応をもたらせるのは自然選択だけなので、適応はあくまで自然選択の枠組みで説明されなければならない訳です。
虫歯遺伝子の話は突拍子もない様に見えますが、ちゃんと自然選択のフレームに組み込まれてます(利他的な遺伝子は自然選択によって支持されないであろう、という方向ではありますが)。
これだけ「『○○のための遺伝子』の意味はガバガバでもいいよ~」というドーキンスですが、話がテレオノミーから外れてテレオロジーに堕することは許しません。
ちなみに最近は
「科学者による『ぼくのかんがえたうちゅうじん』の類は《どういう仕組みで生きてるか》は考えてあっても《どうやって進化したか》は考えてなさそう」
コレも珪素生物が炭素生物にどの様な影響を与えてシリコンチップを作らせたのかの説明はありません。
これではガイアも珪素生物云々もただの思い付きに過ぎないでしょ…。
ほなアレか?
アミノ酸の旨味たっぷりなラーメンスープは、生命発生以前のアミノ酸が溶け込んだ「生命のスープ」が我々ヒトを操って自分達を再現させとるんか?
こんなユルいアナロジーなんていくらでも考え出せます。
ラーメンスープと「生命のスープ」の類似性はあさりよしとおが漫画『HAL―はいぱああかでみっくらぼ』で指摘してるので、オリジナルのやつを紹介しましょう。
ウチの近所にあったタコ焼き屋のタコ焼きはふわトロ系。
あまりに柔らかいので、容器の中でたこ焼きが丸型を保てず、自重で押しつぶされ、押し合いへし合いしてひとかたまりになってました。
よく見ると四角くそれぞれのタコ焼きの境目が見える感じ。
柔らかい皮にドロドロの生地がくるまれてて、中にらせん状に巻いたタコの足(紅ショウガによって染色されがち)や、エネルギーたっぷりで高カロリーな、だけど別の料理(天プラ)に由来する天カスや、もろもろの具材が入ってる…
コレ、細胞じゃね?
柔軟な細胞膜にドロドロの原形質基質がくるまれてて、中にらせん状に巻いた染色体(塩基性の色素によく染色されがち)や、エネルギーを司る、だけど別の生物(αプロテオバクテリア)に由来するミトコンドリアや、もろもろの細胞内小器官(オルガネラ)が入ってる…その同じユニットがいくつも集まり、押し合いへし合いしてひとつの組織を作る。
そう、タコ焼きは細胞による細胞の拡大再生産であり、細胞はタコ焼きを作るために生まれてきたのです! ΩΩΩ<な、なんだってー!?
…ユルいアナロジーから「○○は××のために作られた」といった類の話を持ち出す言説は↑これレベルの妄言じゃないですかね…。
※字数制限のため2回分け。
続きは以下で。
【チコちゃんに叱られろ:後編】
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/12835675.html
【註1:著者紹介で「ノーベル賞に一番近いとされる科学者」と書かれてたりする】
例えば村上和雄の著作『奇跡を呼ぶ100万回の祈り』のAmazon商品紹介にはこうあります。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
世界のダライ・ラマ14世推薦!
遺伝子工学の世界的権威であり、
ノーベル賞に一番近いとされる科学者・村上和雄氏による、
国難にあえぐ日本への愛と希望のメッセージ。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━【チコちゃんに叱られろ:後編】
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/12835675.html
【註1:著者紹介で「ノーベル賞に一番近いとされる科学者」と書かれてたりする】
例えば村上和雄の著作『奇跡を呼ぶ100万回の祈り』のAmazon商品紹介にはこうあります。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
世界のダライ・ラマ14世推薦!
遺伝子工学の世界的権威であり、
ノーベル賞に一番近いとされる科学者・村上和雄氏による、
国難にあえぐ日本への愛と希望のメッセージ。
【註2:科学教育に宗教を持ち込もうとしてる】
なお、日本では教育に宗教を持ち込んだりしないよね…と思いきや、この「サムシンググレート」はいくつかの教科書や教材に紛れ込んでいます。
教育学者の高橋史朗がこのサムシンググレートに肩入れしてるんですよね~…。
高橋史郎は「親学」というトンデモな教育メソッドを唱え、「江戸しぐさ」も信じてたり、持論の権威付けに『ゲーム脳の恐怖』の森昭雄を利用したりと節操がない人なんですが…。
ちなみに高橋史郎は「新しい歴史教科書をつくる会」元副会長・「日本会議」役員で、新宗教『生長の家』くずれなんですよね…
『生長の家』はかつては反共路線で政治の世界にも熱心に手を出していました。
まぁ今で言うと『幸福の科学』みたいなもん。
その後、教団は路線変更して政治からは距離を置く様になったのですが、一部は教団と袂を分かち、政治の世界に残り続けたのですね。
その中にこの高橋史郎や日本会議事務総長の椛島有三らがいます。
私は一部の左翼の様に、日本会議を右翼の背後で糸を引く団体とは見做してません。
特定の組織を諸悪の根源とするのは「フリーメーソンガー!」「イルミナティ―ガ―!」とかの陰謀論と変わらないし。
あんなん右翼爺ちゃんの草の根運動やろ…。
しかし、右翼の動きについていろいろ調べていくと「日本会議」の名や『生長の家』くずれの人士に何度も行き当たるのもまた事実。
別にそれらが統一的な意思の元で何かの策略を張り巡らしているとは思いませんが、それらが同じ志向の人間を引き寄せ、助け合ったりしてるうちに右翼への人材供給源になったんだろうな、程度には注目しています。
【註3:テレオノミー(適応の科学)】
ドーキンスはテレオロジー(目的論:「何の役に立つか?」)とテレオノミー(適応の科学:「何が有利性となって進化したのか?」)の区別に厳格です。
彼は「ワニの歯を虫歯にしやすくする遺伝子」を仮定し、それのせいでワニが餌を食べにくくなって、その分、周囲の個体により多くの餌が渡るなら、これを「利他行動のための遺伝子」と呼んでも良い、的なことまで言ってます。
何とも自由~!
つまり我々が感じる「目的」ではなく、結果が全て、という訳ですね。
ただし、ここでは適応について語っているのであり、進化(遺伝子頻度の変化)には様々な理由があるけれど、適応をもたらせるのは自然選択だけなので、適応はあくまで自然選択の枠組みで説明されなければならない訳です。
虫歯遺伝子の話は突拍子もない様に見えますが、ちゃんと自然選択のフレームに組み込まれてます(利他的な遺伝子は自然選択によって支持されないであろう、という方向ではありますが)。
これだけ「『○○のための遺伝子』の意味はガバガバでもいいよ~」というドーキンスですが、話がテレオノミーから外れてテレオロジーに堕することは許しません。
ちなみに最近は
「科学者による『ぼくのかんがえたうちゅうじん』の類は《どういう仕組みで生きてるか》は考えてあっても《どうやって進化したか》は考えてなさそう」
みたいな批判をしてたり。
【註4:ラヴロックはドーキンスの論敵】
ちなみにラヴロックは『利己的な遺伝子』を好意的に読んでたり、ガイア仮説が環境保護系の人たちによって宗教の様に祭り上げられていることからは距離を置いたりと、意外にナイスガイでもあるので念のため。
あと『寄生獣』がガイア理論と利己的遺伝子という相反する説の両方に触れてる件は、今調べてみたらすでに言及している人がいました↓
【『寄生獣』と利己的遺伝子とガイア理論の衰退の話】
https://togetter.com/li/787273
【註4:ラヴロックはドーキンスの論敵】
ちなみにラヴロックは『利己的な遺伝子』を好意的に読んでたり、ガイア仮説が環境保護系の人たちによって宗教の様に祭り上げられていることからは距離を置いたりと、意外にナイスガイでもあるので念のため。
あと『寄生獣』がガイア理論と利己的遺伝子という相反する説の両方に触れてる件は、今調べてみたらすでに言及している人がいました↓
【『寄生獣』と利己的遺伝子とガイア理論の衰退の話】
https://togetter.com/li/787273
(23:58)
2022年03月18日
NHKの科学番組大好きっ子の私ですが、NHKはちょいちょいトンデモ方向に「やらかし」があるんですよね~…
有名なトコロでは「花に追われた恐竜」とか「奇跡の詩人」とか。
(これらについては最後にオマケの資料集を付けておくので参照を)
最近、『ヒューマニエンス 40億年のたくらみ』が面白いんだけど、ちょこちょこ結構アレな部分が…。
という訳で良かったトコ、トンデモだったトコ等々まぜこぜに取り上げていきたいと思います。
【『オトコとオンナ “性”のゆらぎのミステリー』】
この回は性は男女だけではないという「性スペクトラム」や、ヒトは本当に一夫一婦制なのかについて(類人猿の雌雄の体格差や睾丸の大きさについてのおなじみのやつ)切り込んでいます。
ちなみに進化生物学者など伝統に捉われない論理的な人は一夫一婦制を強くは支持しない傾向にあるのですが…
SF作家・山本弘の『BISビブリオバトル部』シリーズ、前作ではヒロインが同時に男性2人と付き合うポリアモリーを描いてたり、最新作『夢は光年の彼方に』(WEB連載中)ではその男性2人にBL展開っぽいのが。
あと『ざんねんないきもの事典』の類書『ゾウは足音を立てずに歩く どうぶつ「生きかた図鑑」』に「ヒトのように一対一でオスとメスがカップルになる動物は少数派」と書かれていて「え、ヒトって言うほど一対一ですかね…?」と思ってしまったです。
男女の体格差や睾丸サイズから見るとヒトは「一夫多妻、もしくはゆるやかな一夫一妻」ってトコだと言われてますけど。
さてこの番組、NHK制作・LGBT寄りだったり、伝統的価値観(実はさほど伝統的ではありませんが…)に逆らう内容・ディレクターが中国系っぽい名前…
ネトウヨさんが何か言いそう。
中国が性の多様性に理解があるとはとても思えませんが、ネトウヨさんは「夫婦同姓は中韓の文化侵略」「スパイを送り込みやすくするための陰謀」とか言っちゃうからなぁ…
そして「Y染色体が消える?」の話が。
これは『NHKスペシャル 女と男~最新科学が読み解く性~』 「第3回 男が消える?人類も消える?」(2009年1月18日放送)の内容の繰り返し。
「ヒトのY染色体はいつ消えてもおかしくない」という内容なのですが…
確かにヒトのY染色体は小型化していますが…
それは機能を持つ部分が少ないため、不要な部分が削れてきてるだけで、本当に重要な機能が削れたらそういうY染色体は自然淘汰にはじかれるので、なくなることはないんじゃないですかね…
もしなくなるとしたら、それはY染色体抜きでもなんとかする方法が進化した時でしょ…それなら別になくなってもええがな。
というかそういう動物は既にいるし。
↓ココとか参照。
【北海道大学 理学部 生物科学科 研究トピックス】
『トゲネズミ ~Y染色体がなくなってもだいじょうぶ。オスはしたたかに残り続ける~』
『トゲネズミ ~Y染色体がなくなってもだいじょうぶ。オスはしたたかに残り続ける~』
https://www2.sci.hokudai.ac.jp/dept/bio/research/1076
ココのパートはどうもNHKサイドが「以前の番組に準じた形で!」と押してきたんちゃうんか、と。
専門家の先生がちょっと言いにくそうにさらっと解説してたっぽく見えたし、NHKのやらかしは大抵、番組サイドが用意したストーリーに沿わせる形でむりくり歪曲を行うことで発生してます。
【『“体毛” 毛を捨てたサル』】
この回では、古脊椎動物研究所の犬塚則久がヒトの胎児にびっしり毛が生えていることについて「先祖の形を繰り返している」「おなかの中で育つその過程で長い進化の過程を再現している」と発言。
それヘッケルの反復説やん!
「個体発生は系統発生を繰り返す」という反復説は現在では支持されてません。
ヘッケルは熱心な進化論者でしたが、そもそもどうして個体発生がわざわざ系統発生をなぞるのか、その理由は曖昧…
まぁその辺は時代的な制約もあったのであまり責められませんし、その後、めちゃめちゃそれっぽい説明に置き換わります。
適応的な進化というのはしばしば「前肢を翼に変える」等、もともとある構造を転用して進む訳です。
だったら発生プログラムも祖先のものを流用し、そこに何かを付け加えているに違いない。
魚の発生プログラムにヒレを四肢に変えるプログラムを追加して四足動物を作る、といった具合に…
そう考えると反復説というのはちゃんと進化論を取り込んでるし、実にもっともらしいんですよね…。
しかしよく考えると、変更点が必ず祖先のプログラムの最後に追加されなければならない理由はありません(まぁ発生初期に大きな変更を加えるのは改良より改悪につながりやすいでしょうが)。
脊椎動物の胚がある段階ではどれも似てる、というのは事実です。
これは「この段階だけは変更しにくいため」と考えられます。
その前か後に変更を付け足すのはOKですが、変更がほぼ不可能な、むちゃくちゃ保守的なフェイズがあるのですね。
砂時計のくびれの様に、自由度の幅が急に狭くなるのでこの説を「発生砂時計モデル」と呼びます。
という訳で反復説は間違ってはいるのですが妙に魅力的…日本探偵小説三大奇書のひとつ『ドグラ・マグラ』に取り入れられたりもしています(当時は間違っているとは思われていませんでしたが)。
まぁ「胎児が進化の歴史を繰り返していく」というのは何だか壮大かつロマンチックな話ですもんね。
そして困ったことに今でもそれなりに人気があります。
カルト人気な三木成夫の本とかモロに反復説ですし。
町山智浩も創造論を批判する文脈で反復説を進化論が正しい証拠として挙げていましたな(まぁこの辺は一般にはあまり知られていない話なので無理もないとは思いますが)。
そしてその創造論は今でも「ヘッケルの反復説の図は捏造だらけ」と進化論を攻撃しています。
ヘッケルの図に捏造があったのは事実ですが、今は進化論自体が反復説を推してないんだから、そんなこと言われても困るんだよなぁ…。
まぁ途中までの考え方はそう的外れでもないし、間違ってはいるけれどいろいろ学ぶ点は多い、ビミョーな位置にあるのが反復説。
それ故に変なトンデモ発言は慎んでほしいものです。
【『“嗅覚” 生命のバロメーター』】
この回では福岡伸一が信じがたいトンデモ発言。
嗅覚の退化について語っている時に「いらなくなったから遺伝子が消えるっていうのは本当は進化論的には難しいですよね。用不用説になってしまいますよね」
と言い出し、嗅覚の進化の専門家・東原和成に軽くかわされてました(東原は最初の一文に不用意に同意した後、二文目にはノーコメント)。
…なんっじゃぁぁああこりゃああ!?
退化は普通に適応的な進化の一種で、適応的な進化をもたらすのは自然選択だけ。
用不用説を持ち出す理由なんてどこにもありません。
この人、「退化=用不用説」だと思ってんのか!?
しかも福岡伸一は「ダーウィニズムだけでは不完全」として用不用説を持ち出したことのある人物…
「用不用説になってしまいますよね」って、なったところでアンタは困らへんがな。
それとも「いや~困っちゃうな~、つい用不用説の正しさを指摘しちゃったよ、困った困った」的な意味なんでしょーか?
全然指摘できてませんが。
【『“自由な意志” それは幻想なのか?』】
タイトル通り、かなり攻めた回。
番組中でゲストのいとうせいこうが自由意志のあやふやさについて「この前ラーメン食べたんだけど、後から思えば昼にラーメンの話してたわ」みたいなトークをしていたのですが…
それに近いことを検証していたのが『水曜日のダウンタウン』の「打ち合わせ中 隣の部屋からカレーの匂いを送り続けたらその後全員カレー食う説」(2019年6月26日放送)。
多くの芸人がカレーの匂いを嗅がされた後、実際にカレーを食べに行っていましたが、本人はその因果関係に無自覚でしたな。
この回のキモは有名なリベット実験。
これは何か行動をしようとするよりコンマ数秒前に脳内の準備電位が上がる、ということを解き明かしたベンジャミン・リベットによる実験です(番組内では何故かリベットとは少し違う手順で再現してましたが…)。
意志が発生するよりも前に脳内の物理的状態が変化している、ということは「意思が体を動かしている」のではなく、「体が意思を作り出している」訳で、この実験は「原因と結果が逆やん…思てたんと違う!」と世界から衝撃をもって受け止められました。
でも唯物論は「心が物理的実体を生むのではなく、物理的実体が心を生む」としている訳で、よく考えたら当たり前ですよな。
そもそも何もないところから勝手に意思だの心だのが出てきたらそれは霊とかと同じオカルトな訳で、そら物理的基盤はあるに決まってるやん…。
なお、リベット自身は自身の成果を受け止めきれず、
「ほな自由意志は幻想ってコトか? 誰かが『人、刺したろ!』と殺人を犯しても、それは心が思う前に体が勝手に動いた結果で、その人には責任はないってコトか?」
↓
「いや、その前に『あか~ん!』と止めるために介入する時間がギリあるからセーフ! 自由意志はやっぱりあるで!」
と考えた様です。
ではその「介入してくる自由意志」とやらはどっから湧いてきたんですかね…?
…が、ダニエル・デネットやトール・ノーレットランダーシュの様ないけいけドンドン派に言わせれば、
「そやそや、自由意志なんて幻想や。
パソコンのアイコンって見えるし押せるしまるで存在してるみたいやけど、あんなん光のパターンで実在はせぇへんやろ?
それと同じで、自由意志は『便利な幻想』なんや」
というコトになります。
私は旧来の考え方にしがみつくリベットより歯切れの良いデネット側が好き。
で、興奮しておかんに「NHKがおもろい番組やっててな、自由意志より先に脳内の…」と話そうとしたら、おかんが喰い気味に「わかったわかった、後でゆっくり観るわな」と解説が始まる前に遮断してきよった~!
やっぱね、リベット実験みたいに「結果が原因に先行してる様に見える現象」も実在するんだな~、と痛感したですよ。
あるいはリベット自身の解釈の様に、「興味を持てない話を無理くりされる」という決定論的イベントが発生する前に『あか~ん!』と止めるために介入する時間がギリあって、話が始まるのを阻止したのかも…
おかんの自由意志、おそるべし!
【長めの補遺というか脱線】
『“自由な意志” それは幻想なのか?』の回では意思の源泉を「偶然」「ゆらぎ」「波」で説明してます。
しかも特に根拠なく。
これは決定論と自由意志論という古来の議論に則っているのでしょうが…
個人的には何か違う感じ。
一般的に「決定論と非決定論(偶然)」が対立し、かつ「決定論と自由意志論」が対立してるため、「非決定論(偶然)=自由意志論」だと思い込んで「意思の源泉は偶然、つまり非決定論的→自由意志の正体は偶然」と言いたいのだと思いますが…
逆に「脳の働きは物理的なもの、つまり自由意志の源泉は決定論的→自由意志は存在しない」としても良い訳で(というかこっちが定石)。
例えば『シュレーディンガーの猫』の思考実験の様に、放射性元素が原子崩壊するとそれを検知するデバイスがあるとしましょう。
原子崩壊がいつ起きるかは予想できず、非決定論的です。
このデバイスが全身に組み込まれたロボットがあるとしましょう。
右腕のデバイスが反応すれば右腕を挙げ、左脚のデバイスが反応すれば右脚が上がる…そんなロボットです。
つまりこのロボの動きは非決定論的です。
…ではこのたまにランダムにカクカク動くだけのロボを「彼は決定論的ではない…つまり彼は自由意志に基づいて動いているのだ」などと言えるでしょうか?
言えないですよね?
偶然で動いても自由意志にはならんでしょ…
つまるところ、「決定論と非決定論(偶然)」という場合の『決定論』と、「決定論と自由意志論」という時の『決定論』は別モノなんじゃないですかね…
この「脳の働きは決定論的だから自由意志は存在しないかも→いや、脳の働きは偶然だから非決定論的、つまり自由意志は存在する!」という無理くりな自由意志の救出は、リベットの「自由意志は幻想かも→いや、介入する時間がギリあるからセーフ! 自由意志はやっぱりあるで!」とそっくりですね…
まぁ自由意志はあまりにも明白に存在するので、それを否定することはヒトにとって心理的に難しい模様。
でもそれって「自由意志という幻想があまりにも強力にハードワイアードされてるからそう感じる」だけなのかもよ。
まぁこの辺の話はややこしいので、別にコレを「NHKのやらかしだ!」と鬼の首でも獲ったみたいに叫ぶつもりはありません。
むしろトガった神回だと思ってます。
【オマケ:資料集】
《「花に追われた恐竜」》
この問題は長らくネット上に良い資料がなかったのですが、いつの間にかちゃんとまとめてくれてる記事が2本も…!
ネットは日々記事が蓄積していくので、調べてもよく解らなかったことは時々調べなおすと数年後に急に良記事が出たりするよ!
【科学史趣味者の雑記帳】
『恐竜はなぜ「花に追われなかった」か? 「最新恐竜事典」「最新恐竜学レポート」など』
http://blog.livedoor.jp/semiwide38/archives/9039204.html
【note】
『今更ですが「花に追われた恐竜」』
https://note.com/stn10_18/n/nf34e2cc1325e
↑よくある擬人的表現を「ラマルキズム」だと批判するのはやり過ぎ…
…これらを見ると、NHKはそれなりに整合性を持たせようとしてもいますが、結局は用意されたストーリーにむりくり沿わせるスタイルに変わりはない感じ…。
《「奇跡の詩人」》
【ニコニコ大百科】
『奇跡の詩人』
https://dic.nicovideo.jp/a/%E5%A5%87%E8%B7%A1%E3%81%AE%E8%A9%A9%E4%BA%BA
【excite.ニュース】[NHKドキュメンタリーに批判殺到…大問題になった『奇跡の詩人』とは?]
https://www.excite.co.jp/news/article/E1476415935441/
↑政治的には良いこと言ってるけどスプーン曲げは信じちゃう森達也のトンデモ発言が紹介されてるよ!
ちなみにこの事件自体、NHKスタッフは「だって実際に起こったんだししょうがない」的な言い訳をしてて、「それでも僕の目の前でスプーンは曲がったんだ!」的に清田君を擁護しちゃう森達也とそっくりです。
森達也は基本的に「石持て追われる側」へのシンパシーが強火なのでこうなっちゃうんやろなぁ…。
ココのパートはどうもNHKサイドが「以前の番組に準じた形で!」と押してきたんちゃうんか、と。
専門家の先生がちょっと言いにくそうにさらっと解説してたっぽく見えたし、NHKのやらかしは大抵、番組サイドが用意したストーリーに沿わせる形でむりくり歪曲を行うことで発生してます。
【『“体毛” 毛を捨てたサル』】
この回では、古脊椎動物研究所の犬塚則久がヒトの胎児にびっしり毛が生えていることについて「先祖の形を繰り返している」「おなかの中で育つその過程で長い進化の過程を再現している」と発言。
それヘッケルの反復説やん!
「個体発生は系統発生を繰り返す」という反復説は現在では支持されてません。
ヘッケルは熱心な進化論者でしたが、そもそもどうして個体発生がわざわざ系統発生をなぞるのか、その理由は曖昧…
まぁその辺は時代的な制約もあったのであまり責められませんし、その後、めちゃめちゃそれっぽい説明に置き換わります。
適応的な進化というのはしばしば「前肢を翼に変える」等、もともとある構造を転用して進む訳です。
だったら発生プログラムも祖先のものを流用し、そこに何かを付け加えているに違いない。
魚の発生プログラムにヒレを四肢に変えるプログラムを追加して四足動物を作る、といった具合に…
そう考えると反復説というのはちゃんと進化論を取り込んでるし、実にもっともらしいんですよね…。
しかしよく考えると、変更点が必ず祖先のプログラムの最後に追加されなければならない理由はありません(まぁ発生初期に大きな変更を加えるのは改良より改悪につながりやすいでしょうが)。
脊椎動物の胚がある段階ではどれも似てる、というのは事実です。
これは「この段階だけは変更しにくいため」と考えられます。
その前か後に変更を付け足すのはOKですが、変更がほぼ不可能な、むちゃくちゃ保守的なフェイズがあるのですね。
砂時計のくびれの様に、自由度の幅が急に狭くなるのでこの説を「発生砂時計モデル」と呼びます。
という訳で反復説は間違ってはいるのですが妙に魅力的…日本探偵小説三大奇書のひとつ『ドグラ・マグラ』に取り入れられたりもしています(当時は間違っているとは思われていませんでしたが)。
まぁ「胎児が進化の歴史を繰り返していく」というのは何だか壮大かつロマンチックな話ですもんね。
そして困ったことに今でもそれなりに人気があります。
カルト人気な三木成夫の本とかモロに反復説ですし。
町山智浩も創造論を批判する文脈で反復説を進化論が正しい証拠として挙げていましたな(まぁこの辺は一般にはあまり知られていない話なので無理もないとは思いますが)。
そしてその創造論は今でも「ヘッケルの反復説の図は捏造だらけ」と進化論を攻撃しています。
ヘッケルの図に捏造があったのは事実ですが、今は進化論自体が反復説を推してないんだから、そんなこと言われても困るんだよなぁ…。
まぁ途中までの考え方はそう的外れでもないし、間違ってはいるけれどいろいろ学ぶ点は多い、ビミョーな位置にあるのが反復説。
それ故に変なトンデモ発言は慎んでほしいものです。
【『“嗅覚” 生命のバロメーター』】
この回では福岡伸一が信じがたいトンデモ発言。
嗅覚の退化について語っている時に「いらなくなったから遺伝子が消えるっていうのは本当は進化論的には難しいですよね。用不用説になってしまいますよね」
と言い出し、嗅覚の進化の専門家・東原和成に軽くかわされてました(東原は最初の一文に不用意に同意した後、二文目にはノーコメント)。
…なんっじゃぁぁああこりゃああ!?
退化は普通に適応的な進化の一種で、適応的な進化をもたらすのは自然選択だけ。
用不用説を持ち出す理由なんてどこにもありません。
この人、「退化=用不用説」だと思ってんのか!?
しかも福岡伸一は「ダーウィニズムだけでは不完全」として用不用説を持ち出したことのある人物…
「用不用説になってしまいますよね」って、なったところでアンタは困らへんがな。
それとも「いや~困っちゃうな~、つい用不用説の正しさを指摘しちゃったよ、困った困った」的な意味なんでしょーか?
全然指摘できてませんが。
【『“自由な意志” それは幻想なのか?』】
タイトル通り、かなり攻めた回。
番組中でゲストのいとうせいこうが自由意志のあやふやさについて「この前ラーメン食べたんだけど、後から思えば昼にラーメンの話してたわ」みたいなトークをしていたのですが…
それに近いことを検証していたのが『水曜日のダウンタウン』の「打ち合わせ中 隣の部屋からカレーの匂いを送り続けたらその後全員カレー食う説」(2019年6月26日放送)。
多くの芸人がカレーの匂いを嗅がされた後、実際にカレーを食べに行っていましたが、本人はその因果関係に無自覚でしたな。
この回のキモは有名なリベット実験。
これは何か行動をしようとするよりコンマ数秒前に脳内の準備電位が上がる、ということを解き明かしたベンジャミン・リベットによる実験です(番組内では何故かリベットとは少し違う手順で再現してましたが…)。
意志が発生するよりも前に脳内の物理的状態が変化している、ということは「意思が体を動かしている」のではなく、「体が意思を作り出している」訳で、この実験は「原因と結果が逆やん…思てたんと違う!」と世界から衝撃をもって受け止められました。
でも唯物論は「心が物理的実体を生むのではなく、物理的実体が心を生む」としている訳で、よく考えたら当たり前ですよな。
そもそも何もないところから勝手に意思だの心だのが出てきたらそれは霊とかと同じオカルトな訳で、そら物理的基盤はあるに決まってるやん…。
なお、リベット自身は自身の成果を受け止めきれず、
「ほな自由意志は幻想ってコトか? 誰かが『人、刺したろ!』と殺人を犯しても、それは心が思う前に体が勝手に動いた結果で、その人には責任はないってコトか?」
↓
「いや、その前に『あか~ん!』と止めるために介入する時間がギリあるからセーフ! 自由意志はやっぱりあるで!」
と考えた様です。
ではその「介入してくる自由意志」とやらはどっから湧いてきたんですかね…?
…が、ダニエル・デネットやトール・ノーレットランダーシュの様ないけいけドンドン派に言わせれば、
「そやそや、自由意志なんて幻想や。
パソコンのアイコンって見えるし押せるしまるで存在してるみたいやけど、あんなん光のパターンで実在はせぇへんやろ?
それと同じで、自由意志は『便利な幻想』なんや」
というコトになります。
私は旧来の考え方にしがみつくリベットより歯切れの良いデネット側が好き。
で、興奮しておかんに「NHKがおもろい番組やっててな、自由意志より先に脳内の…」と話そうとしたら、おかんが喰い気味に「わかったわかった、後でゆっくり観るわな」と解説が始まる前に遮断してきよった~!
やっぱね、リベット実験みたいに「結果が原因に先行してる様に見える現象」も実在するんだな~、と痛感したですよ。
あるいはリベット自身の解釈の様に、「興味を持てない話を無理くりされる」という決定論的イベントが発生する前に『あか~ん!』と止めるために介入する時間がギリあって、話が始まるのを阻止したのかも…
おかんの自由意志、おそるべし!
【長めの補遺というか脱線】
『“自由な意志” それは幻想なのか?』の回では意思の源泉を「偶然」「ゆらぎ」「波」で説明してます。
しかも特に根拠なく。
これは決定論と自由意志論という古来の議論に則っているのでしょうが…
個人的には何か違う感じ。
一般的に「決定論と非決定論(偶然)」が対立し、かつ「決定論と自由意志論」が対立してるため、「非決定論(偶然)=自由意志論」だと思い込んで「意思の源泉は偶然、つまり非決定論的→自由意志の正体は偶然」と言いたいのだと思いますが…
逆に「脳の働きは物理的なもの、つまり自由意志の源泉は決定論的→自由意志は存在しない」としても良い訳で(というかこっちが定石)。
例えば『シュレーディンガーの猫』の思考実験の様に、放射性元素が原子崩壊するとそれを検知するデバイスがあるとしましょう。
原子崩壊がいつ起きるかは予想できず、非決定論的です。
このデバイスが全身に組み込まれたロボットがあるとしましょう。
右腕のデバイスが反応すれば右腕を挙げ、左脚のデバイスが反応すれば右脚が上がる…そんなロボットです。
つまりこのロボの動きは非決定論的です。
…ではこのたまにランダムにカクカク動くだけのロボを「彼は決定論的ではない…つまり彼は自由意志に基づいて動いているのだ」などと言えるでしょうか?
言えないですよね?
偶然で動いても自由意志にはならんでしょ…
つまるところ、「決定論と非決定論(偶然)」という場合の『決定論』と、「決定論と自由意志論」という時の『決定論』は別モノなんじゃないですかね…
この「脳の働きは決定論的だから自由意志は存在しないかも→いや、脳の働きは偶然だから非決定論的、つまり自由意志は存在する!」という無理くりな自由意志の救出は、リベットの「自由意志は幻想かも→いや、介入する時間がギリあるからセーフ! 自由意志はやっぱりあるで!」とそっくりですね…
まぁ自由意志はあまりにも明白に存在するので、それを否定することはヒトにとって心理的に難しい模様。
でもそれって「自由意志という幻想があまりにも強力にハードワイアードされてるからそう感じる」だけなのかもよ。
まぁこの辺の話はややこしいので、別にコレを「NHKのやらかしだ!」と鬼の首でも獲ったみたいに叫ぶつもりはありません。
むしろトガった神回だと思ってます。
【オマケ:資料集】
《「花に追われた恐竜」》
この問題は長らくネット上に良い資料がなかったのですが、いつの間にかちゃんとまとめてくれてる記事が2本も…!
ネットは日々記事が蓄積していくので、調べてもよく解らなかったことは時々調べなおすと数年後に急に良記事が出たりするよ!
【科学史趣味者の雑記帳】
『恐竜はなぜ「花に追われなかった」か? 「最新恐竜事典」「最新恐竜学レポート」など』
http://blog.livedoor.jp/semiwide38/archives/9039204.html
【note】
『今更ですが「花に追われた恐竜」』
https://note.com/stn10_18/n/nf34e2cc1325e
↑よくある擬人的表現を「ラマルキズム」だと批判するのはやり過ぎ…
…これらを見ると、NHKはそれなりに整合性を持たせようとしてもいますが、結局は用意されたストーリーにむりくり沿わせるスタイルに変わりはない感じ…。
《「奇跡の詩人」》
【ニコニコ大百科】
『奇跡の詩人』
https://dic.nicovideo.jp/a/%E5%A5%87%E8%B7%A1%E3%81%AE%E8%A9%A9%E4%BA%BA
【excite.ニュース】
https://www.excite.co.jp/news/article/E1476415935441/
↑政治的には良いこと言ってるけどスプーン曲げは信じちゃう森達也のトンデモ発言が紹介されてるよ!
ちなみにこの事件自体、NHKスタッフは「だって実際に起こったんだししょうがない」的な言い訳をしてて、「それでも僕の目の前でスプーンは曲がったんだ!」的に清田君を擁護しちゃう森達也とそっくりです。
森達也は基本的に「石持て追われる側」へのシンパシーが強火なのでこうなっちゃうんやろなぁ…。
(23:52)