石原慎太郎
2021年03月05日
2013年に映画『エリジウム』が封切られた時、初日に観に行った。
ブロムカンプ監督の前作『第9地区』があまりにも素晴らしく、スクリーンで観逃したことを深く後悔していたからだ。
予告編の時点で
「地上の貧民を搾取することで成立する、天空にある科学技術の粋をこらした都市…それなんてザレム?」
と思っていたのだが、観てみたら予告編から想像される内容そのまんまだった。
宇宙人もUFOも出てこず、超兵器や残虐シーンも薄めの『第9地区』って感じ…
一応面白いんだけどやや残念。
そしてテレビCMはナレーションが(当時存命だった)永井一郎…
絶対「スペースコロニー → ガンダム → 永井一郎」っていう連想やろ…。
内容的にはやや残念だったが、地球から見える、青空に浮かぶエリジウムの姿などビジュアルイメージはなかなかのもの。【註1】
やっぱSFは絵だねぇ。【註2】
「あっ! 何あれ?」
「ヱリジウムよ」
「え~、あれがー?」
「ええ。ここからでも肉眼で、ちゃーんと形が分かるのよ」
「ふ~ん…でっかいのねぇー」
「直径は60キロを越えるそうよ。
なんでも、地球脱出用のコロニーらしいわ。
噂だと軍人を優先させるから、民間人で乗れるのは4千人に1人ですって」
「そんな・・・」
「私を軽蔑してもいいわ…
ノリコ、あなたのコネでタカミの席、どうにかならない?
あの子には、未来が欲しいの…」
「…キミコ…」
とかいうシーンが思い浮かぶ。 <おたく者
で、スペースコロニー映画ということでパンフにJAXAの中の人がコメントを寄せているのだが…
これが『エリジウム』をディスりまくった「よく載ったな…」という代物で、ざっくりまとめると
「お前らコロニー舐めすぎ。補給と維持運用にどんだけコストかかると思ってんの?」
というもの。
映画では超高級住宅街・スペースコロニー「エリジウム」の住人は各ご家庭に備わった医療ポッドによってあらゆる病気を治療できて、地上の貧民にもそれを使わせろや、というのがストーリー。【註3】
で、それに対しても「ふーん、地上の人間に医療が行きわたると人口爆発が起きるけどその辺大丈夫なわけ?」みたいなことが書いてある。
シニカル―!
しかしこの論点は重要で、マルサスは1798年にすでに『人口論』において
「人口が指数関数的に増えるのに対し、食料は幾何級数的にしか増えないから人大杉で地球がヤバい」
的な指摘をしている。
なお、その『人口論』を読んで
「ということは生存競争は不可避…そしてその環境にちょっぴり有利な性質を持つ個体が生き残るはず…まさに他人の不幸で飯が美味いメシウマ状態で草不可避wwwwww 進化ってこうして起きるんじゃね?」
と考えたのがダーウィンである。
メシウマとかちょっと古いと思われるだろうが、『種の起源』の発刊は1859年なのでいたしかたなし(鬼嘘)。
で、ダーウィニズムに触れたついでに言及しておくと、松井孝典の『最後の選択―文明・人類はどこへ行くのか』という本の中でドーキンスがスペースコロニーについて聞かれ、こんな感じに答えている。
「人口爆発に対する解決策としてはスペースコロニーは無力。
広い地球でも足りなくなるのに、狭いコロニーなんてすぐにいっぱいになるやろ…
もしコロニー内で人口抑制できる、というなら、その方法とやらを地球でやれば、コロニーなんていらんやん」
さらに脱線しちゃうと、この本の著者である松井孝典は日本における惑星科学の第一人者であるが、石原慎太郎「障子ちんこ」元都知事のいわゆる「ババア発言」で名前が出た人として有名である。【註4】【註5】
障子ちんこ元都知事は
『女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪です』
『男は80、90歳でも生殖能力があるけれど、女は閉経してしまったら子供を生む能力はない。そんな人間が、きんさん・ぎんさんの年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害』
『文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババァ』【註6】
等の香ばしい発言を行ったが、それらを松井孝典の「おばあさん仮説」が元ネタだと主張。
急に無茶振りされた松井孝典は
『石原氏の発言を見ると、私の言っていることとまったく逆のことだからね。私はこういう言い方はどこでもしたことはないし、おばあさん仮説という理論を私はいろんなところで話しているから、それを見てもらえば分かるでしょう』
と反論した。
ちなみに「おばあさん仮説」とはヒト女性の閉経と長寿を説明する理論である。
「女性は閉経によって生殖を止め、子孫の育児に集中することで有利になったのではないか」というのがその概要。
この仮説を提唱したのはG.C.ウィリアムズ。
遺伝子淘汰説を唱えた偉大な科学者である。
この遺伝子淘汰説をわかりやすく説明するべく、ドーキンスが考えたキャッチフレーズが「利己的な遺伝子」であった。
そういう訳なので、おばあさん仮説は(よく検証されてはいないものの)トンデモ説という訳でもなく、障子ちんこによる松井孝典への責任転嫁は濡れ衣もいいところだった。
…と思っていたのだが、実は松井孝典による「おばあさん仮説」はこのウィリアムズによるものとは若干違い、さらなる捻りが加えられているらしい。
どうやらこれまたざっくりまとめると、孝典流おばあさん仮説とは以下の様なものであるらしいのだ。 【註7】
「おばあちゃんが生殖を止めて子育てに参加 → 人類、有利に → 文明勃興 →おかげで 地球環境崩壊wwwwwババアのせいで地球がヤバいwwwww」
…やっぱ濡れ衣じゃないかも。
【註1:ビジュアルイメージ】
使っておいて何なのだが、この言葉は直訳すると「映像的な画像」であり、ほとんど同義反復に近い。
さらにひどい例としては、広告写真のすみっちょ等に書かれる「画像はイメージです」というのもある。
これに至っては「画像は画像です」としか言っていない。
「力こそパワー!」みたいな。
【註2:SFは絵だねぇ】
この名言は野田昌宏によるもの。
この人は宇宙軍大元帥の肩書きを持つ日本SFの功労者である。
長く日本テレワークの社長を務めるが、同社は製作していた「発掘!あるある大事典」のやらせ・捏造事件で消滅。
だが何よりガチャピンのモデルとして知られる。
【註3:医療ポッド】
ちなみにエリジウムの人口はたったの8000人らしい。
全員が医療ポッドを月イチで使ったとして年間およそ10万回、ポッドが一回5分で一日8時間稼働として年間3万5千回の使用だから、各家庭になくても病院に3台もあれば充分な数だと思うのだが…
まぁこれをわざわざ個人所有するのが金持ちというものなのだろう。
トム・クルーズなんて婚約者が妊娠した際にうれしがって超音波検査機まで買い込み、自ら操作。
これに批判が集まって、カリフォルニア州では「素人に超音波検査機を売ってはいけない」という通称「トム・クルーズ法」が成立しちゃったし。
【註4:松井孝典】
肩書は東京大学名誉教授、宇宙政策委員会委員長代理、国家基本問題研究所客員研究員、行政刷新会議民間議員など。
政治的なのが多いなぁ。
【註5:障子ちんこ】
以下、石原慎太郎の代表作『太陽の季節』より引用。
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風呂から出て体一杯に水を浴びながら竜哉は、この時始めて英子に対する心を決めた。裸の上半身にタオルをかけ、離れに上ると彼は障子の外から声を掛けた。
「英子さん」
部屋の英子がこちらを向いた気配に、彼は勃○した陰○を外から障子に突きたてた。障子は乾いた音をたてて破れ、それを見た英子は読んでいた本を力一杯障子にぶつけたのだ。本は見事、的に当って畳に落ちた。
その瞬間、竜哉は体中が引き締まるような快感を感じた。彼は今、リングで感じるあのギラギラした、抵抗される人間の喜びを味わったのだ。
彼はそのまま障子を明けて中に入った。
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…こんな作品書いといて性表現の規制とかよく言えるよなー…。
【註6:ババア発言】
障子ちんこによるババア発言とされるのは異なるメディアに掲載された以下の3つ。
『これは僕がいってるんじゃなくて、松井孝典がいってるんだけど、“文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものは「ババア」”なんだそうだ。“女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪です”って。男は80、90歳でも生殖能力があるけれど、女は閉経してしまったら子供を生む能力はない。そんな人間が、きんさん・ぎんさんの年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害だって…。なるほどとは思うけど、政治家としてはいえないわね(笑い)。まあ、半分は正鵠を射て、半分はブラックユーモアみたいなものだけど、そういう文明ってのは、惑星をあっという間に消滅させてしまうんだよね』
『この間すごい話をしたんだ、松井さんが。私は膝をたたいてその通りだと。女性がいるから言えないけど…。本質的に余剰なものは、つまり存在の使命を失ったものが、生命体、しかも人間であるということだけでいろんな消費を許され、収奪を許される。特に先進国にありうるわけだ。でね…、やっぱりやめようか(笑)。あれが実は地球の文明なるものの基本的な矛盾を表象している事例だな』
『そして、他の動物、他の生命体とのかかわりの中で、人間が人間というものの存在を主張し過ぎたために、非常に横暴な存在になった。そして、彼が例を挙げたのは、ほとんどの動物は繁殖、種の保存ということのために生きて、それで死んでいくが、人間の場合にはそういう目的を達せない人でも、つまり、人間という尊厳の中で長生きをするということで、彼はかなり熾烈な言葉でいいまして、私はそのときに、なるほどなといいながら、しかし、それは政治家にはいえないから、あなたみたいな専門家じゃなきゃとてもいえませんなといって、そのときに慨嘆したんだ。(中略)私が思わずひざをたたいた所以の一つは、私の友人でもありました深沢七郎氏が書いたうば捨て山という、あの、要するに「楢山 節考」という、年をとったそのおばあさんを、その部落の貧困のゆえに、あえて生きている人間を捨てに行くという、これは年をとった女の人が、他の動物の生存の仕方に比べれば、かなり横暴な存在であるという表現の、実は逆説的な一つの証左でありまして、私はいろんなことを思い合わせながら、その松井さんの話を非常に印象深く聞いたわけです』
【註7:孝典流「おばあさん仮説」】
ソースはこの辺り。
Wikipedia:『松井孝典』の項 『石原慎太郎「ババア発言」について』より
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おばあさん仮説は、ヒトの女性が生物としては例外的に生殖可能年齢を超えて生存することで「おばあさん」が集団の記憶装置としての役割を果たし、そのことで文明の誕生が可能になったとするものだが、松井はさらに結果としてヒトの文明が地球環境を蝕む結果をももたらしているというもので、「おばあさん」の存在が地球環境を蝕んだことを論じている。
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より具体的な発言はこの辺とか。
↓ココから抜粋。
【「石原ババア発言」と松井孝典氏の思想について】
http://space.geocities.jp/toz_0602/0_1_Book/Kasetsu_Obaasan2.htm
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大阪ガス環境シンポジウム 2001 21世紀の地球システムと人間圏
人類学者や進化生物学者たちは、現生人類には他の人類、他の哺乳動物にない特徴があったといいます。その一つは、「おばあさん」が存在したことです。哺乳動物でも類人猿でもネアンデルタールでも、雌は生殖機能がなくなると数年で死ぬのが普通です。生殖年齢をすぎても何十年も生きる哺乳動物は現生人類以外存在していない。このおばあさんの存在が現生人類の繁栄をもたらしたという考え方があります。なぜおばあさんが存在すると繁栄するのか。おばあさんは、自分がお産を経験しており、その知識が次世代へと伝わっていきます。自分の娘のお産を安全にすることができるわけです。また、生まれた子どもの面倒をみる。こうしたことから、女性の出産から出産までの期間が短くなる。結果として出産回数の増加になる。いずれもが人口増加に結びつきます。現生人類は異常な人口増加を宿命として持っている人類だという考え方です。だからアフリカから出てどんどん世界に広がっていかざるをえなかったのではないか。
(中略)
結局、現生人類がなぜ人間圏を作ったのかを考える時、いま挙げた二つのことが大きな理由としてあったのではと考えられます。そうすると、人間圏が大きくなっていく限り、我々は 20 世紀に成立した概念や制度をもとに 21 世紀を考えることを改めることができないのではないかという気がします。つまり、右肩上がりというのは我々が持って生まれた習性なのかもしれません。これに基づく概念や制度は、人間圏がある境界条件のもとで発展する時、人間圏の内部システムを構築するために有効に働くものでした。ということは、我々はこのまま突っ走るかもしれないということです。今のような環境問題に対する考え方も、一見するとそれで解決するかのような幻想をふりまいていますが、私たちは今までの生き方を変えず、行き着くところまで行くという選択をする可能性があるのです。
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(11:48)