池田信夫

2025年05月22日



さて、今回は↓このエントリの続きです。


『ウヨちゃん作文発表所「アゴラ」創設者の池田信夫、なぜか異常に猿をディスるという奇行にはしってしまう』
https://wsogmm.livedoor.blog/archives/27688006.html



池田信夫の新刊がだいぶアレ、という話をしてきましたが…
そのヤバさはここからが本番。


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(※書影は当該書籍より引用)


前回のは
「無知な人が進化論について語ったらこうなった」
的な間違いでしたが…
今回のは
「進化論について相当深い勉強をしたにも関わらず、無知なままだった」
という珍しいタイプの間違い。

池田信夫は↓こう書いてます。


p.29
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しかし一九九〇年代に、ハミルトンの理論でも説明できない現象が報告されるようになった。中でも有名なのは、細菌の感染についての実験である。細菌が宿主に感染し、その栄養で繁殖する場合、繁殖力が強い利己的な個体ほど多くの子孫を残すが、あまりにも繁殖力が強いと宿主が死んで、コロニー全体が滅亡してしまう。だからほどほどに繁殖して宿主ともども生き残る利他的な細菌が生き残る、というのが新しい「集団淘汰」の理論の予想だった。
 それに対して、血縁淘汰理論が正しければ、繁殖力が最大の利己的な個体が勝つはずだ。これは医学的にも重要な問題なので、世界中で多くの実験がおこなわれたが、結果は一致して集団淘汰理論を支持した。最初は細菌の感染力が強まるが、宿主が死ぬと細菌も死ぬので感染力は弱まり、菌の広がる範囲が最大になるように感染力が最適化されたのだ。
個々の細菌にとっては感染力を弱めて宿主を生かす事は利他的な行動だが、その結果、集団が最大化されて遺伝子の数も最大化される。同様の集団レベルの競争は、社会性昆虫のコロニーにも広く見られる。このように生物の集団は個体レベル(血縁淘汰)と集団レベル(集団淘汰)で進むというのが、「多レベル淘汰」と呼ばれる新しい進化理論である。
 従来の理論では、生物は遺伝子の複製と言う一つの目的を最大化する機械だと考えられていたが、新しい理論では生物は個体と集団という二つのレベルの合計で適応度を最大化すると考えられている。これは生物学では論争中の問題で、集団淘汰も最終的には個体レベルの淘汰として説明できるという批判も多いが、社会的な行動を説明する上では、個体と集団のレベルを区別することは重要である。

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『中でも有名なのは』って、全然有名ちゃうし。
そもそもこの『多レベル淘汰』(マルチレベル選択)は進化論というよりは科学哲学の領域に属するトピックで、殆どの進化生物学者は興味を持ってません
現在、マルチレベル選択を分かりやすく解説した日本語の文献はほぼなく。
たまにあっても、最も信頼できる進化論ブログ『shorebird 進化心理学中心の書評など』でボロカスに批判されてたり。

実際、池田信夫が紹介しているこの実験も、本書の注によればソースはソーバーとD.S.ウィルソンによる未邦訳の文献やんけ!
しかもこの実験、

◉マルチレベル選択の予想→ほどほどに繁殖して宿主ともども生き残る利他的な細菌が生き残る
◉血縁選択理論の予想→繁殖力が最大の利己的な個体が勝つ


って勝手に仮定してるやん。
でも血縁選択説って、例えば社会性昆虫などで自らは繁殖しない個体がいる真社会性の進化を説明できる理論やで…?
そもそも自己犠牲的・利他的な行動を説明するために発展してきた理論やろ…

大体、大抵の病原体って少数が宿主に入り込んで爆発的に増殖するねんから、特定の宿主の体内にいる病原体はほぼほぼ同じ株で構成されてるやないですか。
つまり
「たまたま弱毒化して自己増殖率を抑えた利他的な株が出現する→宿主が死なないので、結果的にこの株は成功する→ 自分だけ増殖しまくる利己的な株が出現すると詰むけど、同一の株で構成されてるのでそういうことは滅多に起きず、利他的な株同士で協力して成功する」
というシナリオな訳ですよね。
つまりその利他的な株から見れば、
「周囲にいるのは皆さんどうせ僕と同じ株ばかりなんだから、皆が繁殖率を抑えてる間に抜け駆けして増殖しちゃう『利己的な株』は出現しなさげだな。
じゃあ弱毒化しといたのは正解だったな、メリットあるけどデメリットないやん」

ってコトですね。
血縁者同士で協力しあってるやん。
それはもう血縁選択やろ。


実際、先ほどの文章の最後の方で
『集団淘汰も最終的には個体レベルの淘汰として説明できるという批判も多い』
と認めてしもてたよね。

さらに池田信夫自身が全然違うトコの注に↓こっそりこう書いてます。


p.219
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ただ淘汰の単位は個体で、集団の生き残りは個体が生き残る条件だから、多レベル淘汰は結果的には血縁淘汰に帰着するので、ほとんどの場合に個体とは別の集団の利益を考える意味はない、というのが多数の生物学者の意見である。ウィルソン(前掲書)の訳書の解説(巌佐庸)を参照。
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…マルチレベル選択が割と否定されてんの、認めてはりますやん。
血縁選択と同じだとも認めてるし。

つまり↓こういうコトです。


「あのー、オカンがね、好きな進化理論があるらしいんやけど、その名前をちょっと忘れたらしくてね​。
でまあ色々聞くんやけどな、全然分からへんねんな」
「分からへんの? ほな俺がね、オカンの好きな進化理論、ちょっと一緒に考えてあげるから、どんな特徴言うてたかってのを教えてみてよ」
「あのー、個体に働く選択と、群に働く選択を、どっちも計算に入れる理論やって言うねんな」
「おー、マルチレベル選択やないかい。その特徴はもう完全にマルチレベル選択やがな。すぐ分かったやん、こんなんもー」
「でもこれちょっと分からへんのやな」
「何が分からへんのよー」
「いや俺もマルチレベル選択やと思うてんけどな、オカンが言うには、その理論には血縁者同士で仲良くする要素が欠かせへんって言うねんな」
「あー、ほなマルチレベル選択と違うかー…血縁者同士のイチャイチャで説明すんのはもう血縁選択やもんね」
「そやねん」
「ほなマルチレベル選択ちゃうがなこれ。ほなもう一度詳しく教えてくれる?」
「オカンが言うには、その理論は群選択に似てるけど違うやつやって言うねんな」
「マルチレベル選択やないかい。その特徴はもうマルチレベル選択でしょう」
「でもオカンが言うには、その理論は典型的には血縁選択と同値やって言うねんな」
「ほなまともな理論ちゃうかー。独自の予測ができてこその理論やもんね。別の理論と実質同じ理論なんかホンマモンの理論ちゃうからね、俺の目はごまかされへんよ。俺ごまかしたら大したもんや。それはもう血縁選択ちゃうか?」
「でもオカンが言うには、その理論は血縁選択ではないって言うねんな」
「ほな血縁選択ちゃうがな。オカンが血縁選択ちゃうって言うんなら、それは血縁選択ちゃうやんか。俺が血縁選択って言うてた時、どんな気持ちで聞いてたん?」
「で、オトンが言うにはね、ラマルキズムちゃうかって」



…という訳で、マルチレベル選択はかなり筋悪なのですが、池田信夫は何故こんなマイナーなモン掘り出してまで主張しちゃうのでしょうか?
それは読み進めていくと判明します。


p.33
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人間は利己的な動機と利他的な動機を遺伝的にもち、理性と感情の葛藤に引き裂かれてきた。利己的な欲望から利他的な行動を論理的に導こうとする(ゲーム理論のような)功利主義をエドワード・ウィルソンは否定し、同情、報復、名誉などの感情は利己的な目的に帰着できず、それ自体に進化的な意味があるとした。
 こうした感情は利己的な欲望と同じくほとんどの動物にそなわっており、人類の場合はしばしば利己心を圧倒するぐらい強い。それが人類が激しい戦争を繰り返してきた原因である。
愛国心のために命を捧げる感情は「利己的な遺伝子」の合理的戦略ではなく、集団を守るメカニズムなのだ。
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↑このあたりで池田信夫が変な理論をわざわざ推す動機が見えてきたよーな…
コレって、
「愛国心はこのマルチレベル選択によって人類に実装されたプログラムなのだ」
とすることで愛国心を正当化したいからでは…?

確かに「個体や遺伝子よりも集団の存続が優先される場合もあるやろ」とするマルチレベル選択は、ウヨちゃん大好き愛国心と親和性がある様に見えます。

しかし悲しいかなツギハギの「物知りお爺ちゃん構文」でしかないので、そもそも仮に愛国心がプログラムされてたとしても正当化はされないというコトが分かってないご様子。

「どうであるか」という事実命題から「どうであるべきか」という価値命題は導けません。
ソレは「自然主義的誤謬」(「ヒュームの法則」違反)です。
「愛国心はプログラムされてる、だから正当化できるんだ」と言うなら、「性欲はプログラムされてる、だからレイプは正当化できるんだ」ことになってしまいます。


池田信夫の「物知りお爺ちゃん構文」はさらに磨きがかかり、混乱を深めていきます。
↑先ほどの文章は↓こう続きます。


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 言語も学習によって生まれたものだが、遺伝的にそなわっているのは言語習得能力だけで、言語は遺伝しない。言語が遺伝するなら、すべての人類が同じ言葉を話すはずだが、言語は極めて多様で、親から教わらないと話せない。宗教も言語と同じで「同じものを信じる感情」は集団淘汰でそなわったと考えられるが、「普遍宗教」は存在しない。このような集団能力は人類が生き残る上で重要だった。それを「集団淘汰の法則」と呼ぶと、次のように要約できる。

利己的な個体は利他的な個体に勝つが、利他的な集団は利己的な集団に勝つ。

 集団の中では他人を裏切る利己的な個人が強いが、戦争では団結する利他的な人の多い集団が強い。人間の脳の中には、個人的な欲求とともに、
集団的な感情が遺伝的に備わっており、両者はトレードオフになっている。文化の進化の中では、個人とは別のレベルで継承される言語や宗教などがあるからだ。個人的な利己心と集団的な利己心のトレードオフの中で、前者を抑制し、後者を強めるのが同族意識である。これは後天的な獲得形質なので、遺伝する事はありえないが、文化的には継承される。これをドーキンスはミーム(文化遺伝子)と呼んだ。
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…あれ?
愛国心をマルチレベル選択で説明してた筈なのに、いつの間にかミームで説明してしもてるやん。

ミーム、つまり文化は説明力がめちゃ高いです。
例えば自殺を「遺伝子のせい」で説明しようとすると、「自殺遺伝子」を仮定しなければなりません。
しかし自殺する個体は生存や繁殖の上で極めて不利なので、そんな遺伝子が広がるとは考えにくいですよね。
しかし自殺を勧める文化ならばミームによって急速に広がり、感染者を死に追いやることも可能です。
実際、『完全自殺マニュアル』がベストセラーになったコトもありますし。

同様に、戦争で真っ先に死んじゃうリスクを高める愛国心などという物騒なシロモノも、文化(ミーム)でなら簡単に説明できます。

だったら訳の分からんマルチレベル選択とか持ち出さなくても、最初から文化(ミーム)で説明しとけば良かったんじゃ…?


しかし池田信夫は何しろ「物知りお爺ちゃん」なので、あちこちで得た断片的な知識をあーでもない、こーでもないと組み上げてみたくて仕方なかったんやろなぁ…
その結果、素人のDIYによる奇怪な建築物が爆誕してしまいましたー。


あと『利己的な個体は利他的な個体に勝つが、利他的な集団は利己的な集団に勝つ』​の部分。
コレはマルチレベル選択の主張としては正しいのですが…
普通に考えれば
「集団レベルでは利他的な集団が強いが、個体レベルでは利己的な個体が勝つ」
ということは
「もし利他的な集団があれば有利だろうけど、そういう集団はすぐに利己的な個体に乗っ取られるので、出現することは極めて稀でっしゃろ」
という結果になる筈。
なのにマルチレベル選択説論者は
「個体レベルでは利己的な個体が強いか知らんけど、集団レベルでは利他的な集団が強いのだから、そういう集団はもちろん出現するよね?」
と素朴に考えちゃってない?

例えば
「この患者は薬を飲めば病気が治る。でも薬はめちゃ高価で買えない」
としましょう。
コレは
「薬は病気に勝つが、貧困は患者に勝つ」
という状況です。
普通に考えれば
「ほな病気は治らへんやん」
となるところですが、何故か
「いや、薬さえ飲めば治るんやから大丈夫やん」
と言ってる人がいる、的な。


↑池田信夫のこの文章はさらに↓こう続きます。


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 氷河期には地表が氷河でおおわれ、乏しい食料をめぐる争いが日常化していて、人類の人口は数千人まで減ったとも言われる。人々はつねに飢餓に直面していたので、氷河期の特徴を残すアボリジニーなどの未開社会は平等主義で、食物は平等に分け合う。この時期には集団で戦争した形跡はほとんどない。
 人間と似た集団レベルの競争は、社会性昆虫のコロニーには見られるが、類人猿は集団で戦う事はほとんどない。強い敵からは逃げればいいからだ。人間でも、狩猟採集社会には戦争の遺跡はほとんどみられないが、定住して農業をおこなうようになってから、戦争するようになった。このとき利己的な個人が戦争に参加しないと、利他的な(集団主義の)集団に征服されてしまう。霊長類の中でも、集団のために自己を犠牲にするのは人間だけである。
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え、戦争の始まりが農業革命以降なら、せいぜい1万年しか経ってないやん。
ほな多レベル選択とやらのおかげで愛国心が進化する時間、ないやん


このあたりの記述は2018年の池田信夫blogに原型となる記事があるのですが…


【池田信夫blog】
『利他的な集団は利己的な集団に勝つ』

https://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/52021399.html



↑そちらでは↓こうなってます。


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こういう「利他的な遺伝子」が文化的に継承される上で、重要な役割を果たしたのが戦争である。狩猟採集民は数十人の小集団で移動して戦争を繰り返し、死者の15%程度は殺されたと推定される。こうした激しい戦争は、2万年前の氷河期の終わりごろまで続いた
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あれ?
こっちでは戦争はずっと昔からあったコトになってるやん。
…つまり2018年以降に「戦争は農耕が始まってから起きる様になったんやで」という説を耳にして飛びつき、取り入れてツギハギしたという「物知りお爺ちゃん構文」。

なお、↑この記事には他にもツッコみどころが満載。



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ただ淘汰の単位は個体であり、集団が淘汰されることはありえない。この点は血縁淘汰理論と同じで、集団の生き残りは個体が生き残る条件だから、マルチレベル淘汰は血縁淘汰に帰着するともいえる。ほとんどの場合に個体とは別の集団の利益Beを考える意味はない、というのが多数の生物学者の意見のようだ。
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​いや、『集団が淘汰されることはありえない』と思うなら、マルチレベル選択を信じたらあかんがな。
でもマルチレベル選択不要派のドーキンスですら
「集団がヴィークル(遺伝子の乗り物)として選択(淘汰)されることはありえなくはない」
くらいは言うやろ。
まぁ
「ただし、選択の単位はあくまでも遺伝子」
と付け足しはするやろうけど。


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しかしウィルソンの理論は、社会を考える上では役に立つ。個人的な利己心と集団的な利他心の葛藤の中で、前者を抑制して後者を強めることが宗教や道徳の重要な機能だ。利他的な感情は獲得形質なので遺伝することはありえないが、文化的には継承される。これをドーキンスはミーム(文化的遺伝子)と呼んだ。
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は?
『利他的な感情は獲得形質なので遺伝することはありえない』
って何やねん!?
ヒトの情動が誰もが持つ普遍的なもの、ヒューマン・ユニヴァーサルだというのはダーウィンの頃から知られた事実やで!?


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農耕社会になると、大集団で定住するために国家によって戦争を抑止するシステムができ、一神教や階級社会が生まれた。国家の規模は、戦争の規模にほぼ比例する。このような社会の進化を考える上では、集団の利益を個人の利益に帰着させる血縁淘汰より、集団の利益が文化的に継承されると考えるマルチレベル淘汰のほうがわかりやすい。
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いや、マルチレベル選択は遺伝についての理論なので文化いっこも関係ない。
文化の継承も考慮に入れる「二重相続理論」というのもあるけど、ソレはマルチレベル選択とは全く別

池田信夫、ツギハギの「物知りお爺ちゃん構文」を重ねるうちに前人未到のとんでもないトコにたどり着いてはるー!

こんなに偉そうにソレっぽい単語を散りばめといて、こんだけ根っこから何も分かってない人、初めて見ましたー。


しかし池田信夫がこの手の批判を受けるのはコレが初めてではありません。
遥か昔の2007年(ペルム紀)に進化論にめちゃ詳しいNATROM師父(私淑)にむちゃんぽ批判されてはります。


【NATROMのブログ】
『種を守る「利他的な遺伝子」』

https://natrom.hatenablog.com/entry/20070427/p1


↑コレに対して池田信夫が反論した模様。
それに答えたのが↓コレ。
池田信夫からの反論自体は当時の池田信夫側のブログが消えているため、読めない模様。


『池田信夫氏からの反論』
https://natrom.hatenablog.com/entry/20070429/p1


池田信夫は
「NATROM、素人やん。
『種淘汰』というありもしない言葉を使ってるし」

みたいなコトを言ったらしく、↑ココで反論されてます。
は?
『種淘汰』という概念は普通にあるよ。
種の絶滅率の差で説明するやつ。
素人は池田信夫の方でしたね。

そもそもNATROM師父、今はトンデモ医学批判に軸足を移してはりますが、当時は創造論などの反進化論を批判する記事を大量に書いてる日本最強の進化論系論客だったんですけど。
識者相手に素人呼ばわりとか一番カッコ悪いダメムーブやん。


ちなみにNATROM師父は池田信夫とは別に、愛国心を「利己的な遺伝子」で説明しようとするトンデモさんを批判する記事も書いてたり。


『愛国心の遺伝子』
https://natrom.hatenablog.com/entry/20060620/p1


その注釈には↓こうあります。


『自分は犠牲になるつもりはないくせに、やたらと集団のための自己犠牲を賛美して、他の個体に自己犠牲を強いるような利己的な個体はさぞや成功するであろう(皮肉)。』


さらにNATROM師父は2005年の段階で、あまりにもアレすぎる限界ウヨちゃんを延々と追いかけてネタにし続けるという素晴らしい仕事をしています。

当ブログのスタイルは↓この一連のシリーズに影響受けまくり。


【進化論と創造論】
『「理系保守」ブログをウォッチングするためのガイド』

https://natrom.sakura.ne.jp/guide/guide.html



いや〜、↑コレからもう20年経ってしまいましたが…
その後も次々と新手が生まれ続けるウヨちゃんたち。
彼らが↑このレベル(の低さ)を今なお維持し続けているコトには驚きを禁じえません。


アインシュタインは
『無限なものは二つあります。
宇宙と人間の愚かさ。
前者については断言できませんが。』

と言った、とされてますが…
いやぁ、ほんっとヒトの可能性って無限大ですね、愚かしさに関しては。







(00:10)

2025年05月19日



言論プラットフォーム『アゴラ』というサイトがありまして、ココは妙にウヨい言説を大量生産しています。

例えば当ブログで以前に取り上げた↓コレもアゴラに載ってたやつ。


《ネトウヨさん「日本学術会議が税金で赤旗を購入してる、許せん!」←は?》
https://wsogmm.livedoor.blog/archives/17622101.html


あと↓ココで取り上げた右寄りファクトチェック系ブログ『事実を整える』ですが…


《右寄りファクトチェック系ブログ『事実を整える』、ウヨちゃんの望むカタチに事実を整形し放題》
https://wsogmm.livedoor.blog/archives/26745951.html


あそこに載ってる記事は何故か大量に『アゴラ』に転載。


そのアゴラを作ったのが池田信夫です。


Wikipedia『池田信夫』の小見出し「主張」には↓こうあります。

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橋下徹が消費税の地方税化を訴えていることに関して「冗談でなければ無知としか思えない」などとする批判記事を掲載したところ、逆に橋下から「池田信夫はモノ知りレベルで官僚機構の課長レベル。この程度なら次長、部長、局長は無理で、何よりも細かな知識を述べるだけで事の本質を突いていない。これは行政をやったことがないから」と批判を受けた[8]。2012年5月、橋下が大飯原発の再稼動を容認したため、「君子豹変す」と橋下に対する評価を改め、同年12月に行われた第46回衆議院議員総選挙の投開票を目前に控えたツイートでは、独自に算定した「IQ」値による各政党トップのランク付けを発表し、橋下を第一位にした[9]。
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「反原発はすべてバカである。これほど便利な目印はない」とし、原子力発電に反対する人は「全て馬鹿」と結論づけている。また企業への就職の面接の篩に使えると主張している[25]。

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地球温暖化については地球温暖化懐疑論を唱えており、また民主党の二酸化炭素25%削減政策をポピュリズムと呼んで批判している[30]。

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人は生まれながらにして基本的人権を持つという考え方は「根拠のない迷信」と述べている[31]。

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偏った意見をやたら強い言葉で主張する人だなぁ…。

また同じくWikipediaによれば著書には
◉『朝日新聞 世紀の大誤報 慰安婦問題の深層』
◉『戦後リベラルの終焉 なぜ左翼は社会を変えられなかったのか』

などがあり、特に
『原発「危険神話」の崩壊』
という本は、このタイトルなのに東日本大震災から1年経たない2012年2月発売。ナイス度胸。



あと『新!脱「愛国カルト」のススメ』でもつい最近池田信夫批判記事が。


【新!脱「愛国カルト」のススメ】
『【差別デマ】「生活保護世帯には保険証の使いまわしが多い。彼らは日共の集票基盤」はデマである【池田信夫】』
https://stopaikokucult.blog.jp/archives/1082078823.html




そんな池田信夫が↓こんな本出してましたー。



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タイトルからして『平和の遺伝子』、帯には「進化心理学や歴史学の最新の研究を用いて」とあります。
コレは私がチェックせねばー!


先にちょろりと巻末の「注」を見てみると、ソース元の文献がズラリ列挙されてます。
いずれ劣らぬ名作揃い。
あれ…?
意外とマトモなのか…?

しかしやけに専門的な用語を持ち出して進化論に詳しそうな雰囲気を醸しつつ、何か勘違いしてるのが池田信夫の持ち味。

という訳で、進化関係の話が集中する第1章を読んでみたのですが…
期待通りのトンデモー!


まず感じるのが文章のへたっぴさです。
例えば…

p.25
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その成果としてわかったのは、文化も進化すると言
いうことである。これは
文化が遺伝形質を変えるという意味ではない。遺伝的な突然変異はランダムに起こり、偶然それが環境に適応して遺伝形質が変化するのは一万年単位である。文化は一生の間にも大きく変化し、その影響は個体変異なので、これが遺伝形質を変える事はありえない。文化は遺伝形質の制約の中でしか変化できないのだ。
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↑コレ読みながら
「はぁ?
文化も遺伝子に影響を与えますけど?
文化と遺伝子は共進化するし。
ボールドウィン・ウォディントン効果をご存知ない?
乳糖耐性の獲得は?」

などと突っ込んでたのですが…

池田信夫はこれらを知らない訳ではなく、後々自分でちゃんと触れてます。
なら先に書いとけよ、文章ド下手か?

例えて言うなら、
「タラバガニというカニがいる。
鱈の漁場にいるのでタラバガニというらしい。
美味しいカニである」

とか延々と書いてあるので
「はぁ? タラバガニはカニじゃなくてヤドカリの仲間ですけど?
そんなことも知らんのかコイツ」

と思ってたら、3ページ先にそのことが書いてある、みたいなコト。
そんなん最初に
「タラバガニはカニの様な見た目だが、実はヤドカリの仲間である」
とか書いときゃええやん…

とかくこの手の悪文・構成のへたっぴさが多く、読みにくい。
あとおよそ生物畑の人なら使わないであろう表現が多く、正確なんだか不正確なんだか判断しづらいのも読みにくさの一因。


では読みにくいだけで内容的にはちゃんとしてるのかというと…
第1章が始まってからわずか半ページのトコに↓こんなトンデモが。


p.25
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だが結果的には、キリンが目的をもって首を伸ばしたように見える。ランダムな突然変異で、首があれほど長くなるとは考えにくい。それは時計のバラバラの部品から偶然、時計ができるほど確率の低い事象である。これは遺伝的な進化では、いまだに解けない謎だが、文化の進化では答えは明らかだ。親は子供に自分と同じ行動をさせるという目的を持っているので、文化はラマルク的に進化するのだ。そのスピードは、遺伝的な進化よりはるかに早い。
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うわぁ…
いきなり総合説を否定かよ、さすがトンデモさんだな
現代進化論の根幹やぞ。
こんなん、航空力学の本の1ページ目に
「大体、空気より重いモンが飛ぶ筈ないし」
とか大真面目に書いてある様なもんやで?

適応的な進化はランダムな突然変異だけで起きる訳ではなく、必然的な形質の保存とセットで起きるものです。
頼むからドーキンスの『盲目の時計職人』くらい読んで下さい…

ところが池田信夫は他のトコでは割とまともな説明もしていたり。
なんでこんな奇妙なコトに?
と思ったのですが…

実はコレ、「物知りお爺ちゃん構文」なんですよね。
読書家で物知りなお爺ちゃんって町内に1人くらいいるじゃないですか。
そういう人はいろんな分野の断片的・トリビア的な知識を文脈無視で身に付けているため、しばしばトンデモが混入してるのです。
読書家のお爺ちゃんが知識を一所懸命ツギハギしてるので、例えば歴史について博学な一面を披露したかと思えば、いきなり
「知ってたか? 義経は大陸に渡ってジンギスカンになったんだぞ」
とか言い出したりする。

それ。
池田信夫がやってるのはそれ。
そら橋下徹にも『物知りレベル』言われますわ。
普通はその分野の常識に従って、「あ、コレはトンデモだな」などと自分で仕分けをして、おかしな知識の流入を防ぐものなんですけどね。


ちなみに
「ランダムな突然変異で適応的な進化を説明するのは、バラバラの機械が偶然の力で組み立てられる様なものである」
といった言説の誤りについては以下のエントリを参照。


『パンスペルミア説に群がる人々』
https://wsogmm.livedoor.blog/archives/9352753.html



↑このエントリは当ブログごく初期のものですが謎に人気があり、今でもわざわざ検索して読みに来て下さる方がちょこちょこいます。


そんな池田信夫の「物知りお爺ちゃん構文」は他の面でも遺憾なく発揮されています。

池田信夫、何故か猿disが酷い
少しでも生物かじった人なら霊長類、わけても類人猿を舐めプしたりはしないもの。
ヒトが自分たちだけの固有の能力だと思い込んでるモノって、大抵は萌芽的な形で類人猿も持ってたりするので〜。
ところが池田信夫は本書でこう書いてます。


​p.27
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他人の行動を学習する能力はごく一部の類人猿にしかなく、人間の記憶能力は霊長類の中で最大である。
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​p.27
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他人を信じる能力は、人間に固有の遺伝形質で、子供が親の行動をまねて身に付ける能力は類人猿には見られない
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え、他者の行動を模倣、なんて類人猿でなくても普通にあると思いますけど。
幸島のニホンザルとか知らないんですかね?
芋を海水で洗う行動を模倣することで有名ですけど。
まぁそこから「100匹目の猿」というトンデモ伝説が生まれたりもしましたが、それはまた別の話。


​p.28
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人間は常に他人と話していないと落ち着かない。おしゃべりのほとんどは他人の噂で、実用的な意味はないが、互いに同じ人を知っていることを確認している。これは類人猿の毛づくろい(グルーミング)とよく似ている。
 猿は起きている時間の二〇%近くを毛づくろいに費やす。これ自体は無意味な行動​​だが、自分の弱点である背中を他の個体に見せて仲間だと言うことを示し、集団への帰属を確認しているのだ。
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いや、毛づくろいには「外部寄生虫を除去する」というめちゃめちゃ大事な役割があるやろ…生存率に響きまくり。
背中とかは自分ではできないけど、仲間と相互に行えば双方お得。
ここに互恵的利他主義が進化するルートが開けるんやないのー!
あまり好きな言葉ではありませんが、Win-Winというやつ。

ちなみに保険のおばちゃんが勧誘に来た時、
「でも保険は保険会社が儲かる様に出来てますやん」
と言ったら、
「そこはWin-Winで」
と返されて驚愕。
保険は片方が得すれば片方が損するゼロサムゲームなので、Win-Winは絶対ねーよ


あとついでに言えば、ヒトの噂も実用的な意味はあります。
部族内で誰がどんな行動をしたか、どこに抗争の火種があるのか、どの派閥に付くべきか…といった情報を得る方法は、かつてのサバンナでは噂話しかありませんでした。
今でもそれらは社内やママ友サークル内などでの重要な情報源ですよね。


​p.31
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ゴリラやチンパンジーは群れを作らず、絶えず争っている。個体が自分で戦って生きる能力を持っているので、他の個体と協力する必要がないからだ。
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ゴリラは一頭の雄と多数の雌がハーレムを形成して集団生活してます。
チンパンジーも群を作り、他個体と共同して隣の群に戦争を仕掛けたりしますけど。


​p.31
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狩猟技術は、遺伝的なものではないので、現代人は忘れているが、霊長類の中では人類だけが持つ特技だった。
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チンパンジーは共同でアカコロブス等の狩猟を行いますが?


​p.32
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チンパンジーに原始的な言語を教えると命令は聞くが、他の個体の気持ちを推測することはできない。親と子を結びつけるのは遺伝子を共有する血縁度だから、親が子を守るために「利他的」に行動する事はあるが、家族を超えて協力することは無い
 それは類人猿には「心の理論」(theory of mind)が欠けているからだ。
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心の理論、類人猿にもあるやろ…。
Wikipedia『心の理論』にも↓こうあります。

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心の理論(こころのりろん、英: Theory of Mind, ToM)は、ヒトや類人猿などが、他者の心の状態、目的、意図、知識、信念、志向、疑念、推測などを推測する直観による心の機能のことである[1]。
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また小見出し「動物における心の理論」は↓こう。

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他個体の行動に合わせて自分の行動を変えることや、他個体を操作することを示唆する証拠が霊長類を含む多くの動物で見られる。例えば霊長類学者リチャード・バーンは、下位のチンパンジーが餌を発見した際、上位のチンパンジーに餌を横取りされないように、餌から目をそらして、通り過ぎるのを待つ、という「欺き行動」が見られたことを報告している。ただし、「心の理論」を最初に提案したデイヴィッド・プレマックは論文「チンパンジーは心の理論を持つか?再考」('Does the chimpanzee have a theory of mind' revisited)において、人間以外の霊長類が「心の理論」を持つことを示す証拠は未だ乏しいことを認め、チンパンジーは多くの点で限定的な「心の理論」しか持たないとしている
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…つまり最も懐疑的な学者でさえ、「チンパンジーは心の理論を全く持っていない」とは考えてないやん。


​p.34
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人間と似た集団レベルの競争は、社会性昆虫のコロニーには見られるが、類人猿は集団で戦う事はほとんどない。強い敵からは逃げればいいからだ。
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だからチンプは戦争するって。


​p.34
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類人猿は他の個体に命令できるが、協力できないので巣が作れない
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チンパンジーの協力については研究が進んでいます。
例えば↓ココ参照。


【J-Stage】
『チンパンジーの協力行動』

https://www.jstage.jst.go.jp/article/psj/25/2/25_2_55/_pdf/-char/ja


あとチンパンジーはほぼ毎日、寝床を単独で作ってます。
自力で作れるので特に協力の必要はなく。
この寝床は気持ちよく、それをヒントに開発されたベッドも市販されてたり。


【IWATA KYOTO】
『チンパンジーのベッドをヒントに作られた人類進化ベッド』

https://www.iozon.co.jp/jinruishinkabed


↑たっか…!
でもめちゃ気持ち良さげ。


…という訳で池田信夫、サルをみくびりすぎ。
「我々は特別なのだ」というウヨちゃん特有のエスノセントリズム(自民族優越主義)が種の壁を超えて発揮されとる。
やたらと猿を不必要に見下してますが…猿に親でも殺されたんか?
ちなみに橋本琴絵は完全にネアンデルタール人に親を殺されてるよね。


『あまりにアレな橋本琴絵』
https://wsogmm.livedoor.blog/archives/9991922.html



猿dis以外にもトンデモ部分はいろいろあります。
例えば…


p.29
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子供は親の遺伝子を1/2持っているので、親が自分を犠牲にして、二人以上の子供を救うと、失われる遺伝子より多い遺伝子を残せる。社会性昆虫では、働きには生殖能力がないが、女王の生殖を助ける。ここでは働きは、自分と半分遺伝子を共有する女王蜂に子を生ませることで、遺伝子を増やしているのだ。
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社会性昆虫は蜂だけちゃうやろ…シロアリは無視ですか?
あと蜂の多くは半倍数性という特殊な性決定システムを持っていて、働き蜂と女王蜂は『半分遺伝子を共有する』​どころか共有率は3/4に達します。
コレは「ちょっとした例外に過ぎず、たまたま池田信夫が言及し忘れただけ」とかで片付くものではありません。
この遺伝子共有率の高さが「働き蜂は自分の子孫を残さないのにコロニーのために奉仕する」という利他行動の進化を促しており、ココはめちゃくちゃ重要かつ基本中の基本。
ソコを間違うとかありえへんで…!



p.35
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 これは遺伝的な進化と似ているが、メカニズムは全く違う。DNAのゲノムは固定されたハードウェアだから、突然変異はランダムであり、環境が変化したとき、それに適応できない個体が淘汰されるという形でしか遺伝的な進化は起こらない。これには長い時間がかかり、急激な環境変化があると種が絶滅してしまう。それに対して、人類は大きな脳が発達し、文化や言語を長期記憶にソフトウェアとして記憶できる。
 文化は肉体より変化の幅が広く、突然変異とは違って目的を持つので、
進化はランダムではない。たとえば人間の手で動物を殺すことはできないが、石器を使えば可能になる。このような技術は子供に教えることができるので、文化的進化は蓄積できる。このように文化の進化は目的をもつため、スピードは遺伝子よりはるかに早い。これが人類が短期間に驚異的に繁殖した最大の原因である。
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ゲノムは進化的なタイムスケールで見ればどんどん変化していくものですよ?
ゲノムは通常、書き換わっていくソフトウェアと見做され、ハードウェアと捉える人はあんまおらんやろ…。
例えば『ゲノム編集』という言葉にもソレが表れてますよね。

あとやはり『突然変異はランダム』という点を妙に強調したり、(遺伝的な進化と違って、文化的な)『進化はランダムではない』と述べたり、自然選択を誤解してる感。

​あと『文化の進化は目的をもつため、スピードは遺伝子よりはるかに早い』​とありますが…。
まぁ速いのは確かなのですが、『目的をもつため』かどうかはちょっと。
文化的なアイデア(ミーム)も結局、「脳内に様々なバージョン違いのアイデアを並べてシミュレートし、上手く行きそうなやつを採用してる」ので、自然選択の「突然変異と保存」と仕組みは同じだという意見もあります。

そもそもこの人、進化論における「目的」という言葉の使い方━━テレオロジー(目的論)的なソレではなく、テレオノミー(適応の科学)的な意味━━を理解してるかめちゃ怪しいんですけど。



p.37
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進化は保守的なので、ほとんどの突然変異は淘汰され、普通は特定の器官が一方的に巨大になる進化は起こらない。ところが動物の脳の大きさは過去四億年で一〇〇倍になり、しかも脳の大きい動物ほど繁殖している。そこには脳を一方的に大きくするフィードバック・ループがあった。
脳の巨大化に目的はなかった
が、結果的には長期記憶の容量が大きくなり、文化を共有できるようになった。
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『動物の脳の大きさは過去四億年で一〇〇倍になり、しかも脳の大きい動物ほど繁殖している』
は違うやろ。
大きな脳を持つ動物では100倍になったかもしれませんが、今なお動物の大半は脳自体を持っていないか、ごく小さな脳しか持ってません。
脳の大きい動物はおおむね生態的地位が高く(つまり生物ピラミッドの上方に位置していて)、環境が許容する個体数はごく少ない上、少産少死の傾向にあります。
なので特に『脳の大きい動物ほど繁殖している』ということはなさげ。

現在を「脳が大きい動物の時代」だと考えるのは、実にウヨちゃんらしいハイパー化したエスノセントリズム(自民族優越主義)ですね。

動物界全体から見れば、巨大な脳を持つ動物なんて種数でも個体数でもごくごく一部に過ぎません。
我々が我々に似たサイズや形(ボディ・プラン)の動物にばかり目を向けるから、そう感じないだけです。
例えば動物園で飼育されている動物の大半は脊椎動物ですが、確認されている動物137万種に対して、確認されている脊椎動物は7万種もいません。
およそ5%に過ぎひんがな。


という訳で池田信夫流の進化論、もうめちゃくちゃです。
しかしここまでは単に進化論をちゃんと理解してないだけ
ココからウヨい思想を進化論で正当化しようとして失敗するという、ものすごカッコ悪いムーブに出はります。
…が、もう既に充分長くなったので皆さんもお疲れでしょう。私も疲れましたー。

という訳で本日はここまで〜。
この続きはまた明日、という紙芝居システム。
水飴買わない子は見るんじゃないよ!(昭和中期)





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