文化人類学・民族学

2022年07月19日


私の妻は古風な京女。 
古い家に育ったせいか、昔の言葉や風習など妙なことをよく知っているのです。 

七草粥を作る時に「♪とんどのとりが~」と聞いたことのない歌を唄い始めたのでびっくりして調べてみたら「鳥追い」という害鳥を追い払う儀式だったり。 
http://www.worldfolksong.com/songbook/japan/warabeuta/nanakusa-song.html 


そんな彼女は一応看護師なので、
「なんかまぶたがピクピクするねん…」 
と言ったら 
「『にんじんむし』や」 
と返されたです。 

「…『にんじんむし』? それ何?」 
「『にんじんむし』は『にんじんむし』や」 
「…何でそんなこと知ってんの?」 
「『にんじんむし』やからや!」 

…理由になっていません。 
この人の話は大体こんな感じでよくわからない…。 


検索してみたら、実質4件しかヒットしないどすげぇマイナーなものでした。 
しかもきちんと解説したものは『和漢百魅缶』という、妖怪や怪異を集めたサイトのみ。 


【和漢百魅缶:にんじんむし】
http://wakanmomomikan.yu-nagi.com/momomi/maki-1303.htm

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にんじんむし(人神虫) 

播州や信州などに伝わる人間の体内にいると言われてる謎の虫。まぶたのあたりがピクピク痙攣するのはこの虫の仕業だとか。 
また、お灸をすえるときなどは、この虫の上に立ててはいけない、とされていて、「にんじんそこのけ、にんじんそこのけ」というおまじないを唱えたりしたと言います。 

☆ 莱莉垣桜文 附註 
にんじん虫の居場所を動かすおまじないの文句は、地域によって色々あるようです。対州に伝わる「にんじん」も仲間だと思われます。 
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ちなみに「にんじんむし」で画像検索するとキアゲハ終齢幼虫の画像が山ほど出てくるので苦手な方は要注意。 
ああ、あの子 人参につくもんね… 


で、この『和漢百魅缶』、五十音順の内容索引をいくらスクロールさせても「あ」行すら終わらなくてびっくりの超大作でございました。


【和漢百魅缶 内容索引】
http://wakanmomomikan.yu-nagi.com/mo.htm


で、そこでたまたま知った↓コレの話が面白い。 

http://wakanmomomikan.yu-nagi.com/momomi2/maki-1517.htm 

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なまきばし(生木箸) 

山仕事をする人たちの間に伝わっているもので、木の枝を手折って、そのまま箸に使ったりした時は必ず、食後に半分に折って捨てないと、食べたご飯が体の中で暴れだして痛みが生じるんだトカ。 

☆ 莱莉垣桜文 附註 
「しりふきばし」や「はしなめうさぎ」や「おにがつえつく」など、箸をそのままにしておくと特定のものがそれを取ったりして害のもとになるとされてます。

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で、ハイパーリンクを辿ると… 

http://wakanmomomikan.yu-nagi.com/momomi2/maki-2185.htm 

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しりふきばし(擦尻箸) 

豊後の直入郡につたわる「なまきばし」の類で、山で弁当をたべたときの箸を折って捨てないと、おばけがそれでおしりをふくと言われていました。つかったおはしでおしりをふかれた人間は、病気になったといいます。 

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http://wakanmomomikan.yu-nagi.com/momomi2/maki-2583.htm 

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はしなめうさぎ(舐箸兎) 

土州の長岡郡につたわる「なまきばし」の類で、山で弁当をたべたときの箸をその場に捨てるときは、くちをつけた部分を地面の中につきさして捨てないと、うさぎがそれをなめると言われていました。つかったおはしをなめられた人間は、貧乏になるといいます。 
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http://wakanmomomikan.yu-nagi.com/momomi2/maki-3288.htm 

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おにがつえつく(鬼が杖突く) 

「なまきばし」の類で、山で弁当をたべたときの箸を折って捨てないと、おにがそれを拾ってしまって杖にしてしまうと言われていました。信州安曇郡につたわるもの。 

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…どれも名前が秀逸ですな。 
そして大体、良くないことが起きる模様。【※註1】 

「おにがつえつく」は鬼の割に「箸が杖」ってやけにミニマムですが、まぁ『鬼』は本来、怪異の総称なので… 
そしてコイツだけ不幸に触れてませんが、他者に使われちゃう時点で「嫌な感じ」なのかもしれません。 



日本では箸や茶碗は「属人器」といって、特定の個人に属するものなのですね。 
ちなみに誰のものとは決まっていないけれど、食事の間は個人に割り当てられる器は「銘々器」、大皿から取り分けたりするのは「共用器」と呼びます。 

属人器は個人に所属するので、亡くなった人や嫁入りで出て行った娘の茶碗を割る、という儀式があちこちにあるのですね。 
いなくなった人のものを置いておいても使えない、それほど日本人は属人器を他者が使うことを嫌がるのです。 


江戸時代あたりだと一般家庭内において「個人の所有するもの」は殆どなかった様です。 
そもそも部屋の中にはあまりモノを置かず、寝具ですら使用時だけ出してくる、というのが日本の文化だったので、スペースも生活道具も家族で共用だった訳ですね。 

食事もその都度『箱膳』という箱型のお膳を出してきてその上に並べ、食後は食器を箱膳にしまって片づけていました(ただし、毎回は洗っていなかった模様…)。 

この『箱膳』だけは個人の所有で、娘さんなんかは貰った付け文(ラブレター)などをこっそり隠せる場所は箱膳くらいしかないので、ここにしまうのが定番だったらしいです。 
「身近にある、最も個人的なスペースに重要なものを隠匿する」という意味では中高男子がエロ本を隠すのがベッドの下なのと同じですね。 

この箱膳文化の影響で属人器という概念が発達したとかなんとか。 


で、この『なまきばし』とその眷属には「誰かに自分の箸を使われるの嫌」という属人器文化の影響がてんこもりで非常に興味深いです。 


現在でもアイドルなんかは悪質なファンによる回収を怖れて、割り箸や紙コップなどを捨てる時に気を遣うと聞きます。 
「ドルオタに箸をねぶられたりしたら気持ち悪すぎて病気になっちゃう!」という感覚は『なまきばし』と全く同じ… 
やはり人間は昔も今もあまり変わらないものですね。 

「キモい異類に箸だけは舐められたらアカン」のです。 【※註2】










【※註1:良くないことが起きる】 

これはフレイザーが言うところの『感染呪術』の典型例。 
感染呪術では「接触したものにはその属性が感染する」とされる。
子供がよく言う「ウンコ踏んだ奴はウンコ、そいつに触られたやつもウンコやぞ〜」とかもその例。
「自分が使った箸」は自分自身と同じであり、それを怪異に使われることは自分が怪異と接触したのと同じ。 
そして怪異の属性が自分に「感染」し、不幸になる、という図式。 



【※註2:キモい異類】 


これは私も他ならぬキモオタの1人だからこそ言っても許される類のことなので、皆さんはくれぐれもオタ差別などされぬ様お願いします。




(00:03)

2022年07月02日


   前回の続き。 
   長すぎたので2回分け。 


『ポトラッチ2:チョコレートから叶姉妹まで 前編』
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/15057800.html




   (承前) 







  【繊細さ自慢】 


こういった「逆説的な弱点アピール」は「繊細さ自慢」につながることがある。 


  [エンドウ豆のお姫さま] 

アンデルセン童話に「エンドウ豆のお姫さま」っていうのがあるですね。 
十枚重ねの布団の下にひとつぶのエンドウ豆があっただけで眠れなかったというデリケート極まりないお姫様の話。 

なんかこれ、私は日本の貴族の娘バージョンで知ったよーな記憶があるのですが、ぐぐっても出てこない…。 
単なる記憶違いなのだろうか? 
それとも日本にも類話があるのかな? 
教えて宗像教授! 


  [薄味嗜好] 

先述の嗜好品や食品をめぐる、「ごくわずかな差に価値を見出す」ポトラッチは「その差が少なければ少ないほどステイタスになる」という奇妙な逆転を見せる様になる。 
そうなるとその「わずかな違いを検知する能力」を持つ者には、料理にはかすかな味がついていれば充分、となり、高級な料理は極端な薄味となる。 
薄味の料理を貴ぶ傾向は私の知る限り日本・中国・韓国で強いが、探せば他にもあるよーな気がする。 

「逆説的な弱点アピール」とは異なるが、これもまた一種の繊細さ自慢だろう。 




  【ステイタスになりえるか微妙なポトラッチ】 


この様にポトラッチは幾度もねじくれまがった、奇怪なものになることが多い。 
その結果、ポトラッチは時に一部の人にしか理解できないものになる。 

例えば、田舎に移住し古民家を再生して、薪で沸かすのに1時間かかる五右衛門風呂に浸る、という生活は時間に余裕のある人にしかできない一種のポトラッチとなりうる。 
しかしそこまでやってしまうと、多くの人は羨ましさと同時に「いや、それは流石にちょっと遠慮しときます」という気分になるだろう。 

「好きな人にはステイタスだが、興味のない人は羨ましがる前にちょっと引く」というグレイゾーンなポトラッチは他にもいろいろある。 


些事にいたるまで人件費をかけて雇い人にさせるのは贅沢かもしれないが、「タバコに火を点けるのも人に任せる」あたりまでくると贅沢を通り越して嫌味になるだろう。 
だがこれを好んで行わせる人がいるのも事実である。 


機械式腕時計は経済的に成功した男性がしばしばはまる趣味の一つだ。 
一流職人の手によって生み出される腕時計は恐ろしく高価だが時間の精度に関してはクオーツ式時計にははるかに及ばない。 
だが腕時計マニアはしばしば機械式腕時計の独特の味わいを称揚する。 
彼らに頼めば、手作りの温かみだとかそれに類するあれやこれやについて嬉々として語ってくれるだろう。 
しかしその温かみやらへっちゃくれやらは、基本的に先述のスプーンの話と同じである。 
その味わいとやらが数百万円の対価に見合うとは、常識的に考えればとても思えない。 
もちろんだからこそそれはポトラッチとして成立するのだ。 
女性に好まれる宝石屋貴金属の類にも同じことが言える。 

しかし一方で高級腕時計や宝飾品は芸能人や成金・暴力団といった人々に好まれ、悪趣味の象徴となることもある。 
これらの人々は浮き沈みの激しい根無し草の生活であるため、高飛びに備えてこういった「携行しやすく容易に換金できる動産」を身に着けられるだけ着けるらしい。 
全財産を持って旅するロマ族(ジプシー)が派手な格好をしていたのも同じ理由によるのだろう。 

近年ではデコケータイやお姫様趣味としてラインストーンなどのイミテーション宝石が人気となっているが、個人的にはこれらは非常に陳腐で悪趣味なものに思えてならない。 
よく夜店で売られている子供向けのプラスチックの巨大な宝石を散りばめた玩具のアクセサリー、あれの親戚にしか見えないのだが…。 
ああいったものを好む人々は本当にそれらを高級感あるものとして捉えているのか、それとも悪趣味なものが一周してオシャレと捉えられているのか、はたまたとにかくキラキラしていているものに魅かれるというカラスなみの単純な理由なのか…いずれにせよ私にはよく解らない。 


それら過剰なゴージャス趣味の体現者が叶姉妹だ。 


皆さんご存知とは思うが、叶姉妹は実際には(「上流階級」というやや間違った意味での)セレブではない。 
経済的にはごく普通の家庭に育っている。 


Wikipediaではこう記述されていた。 
(現在は改訂により削除) 


『まれに誤解されるが、叶姉妹は芸能ユニットであり、メディアでの行動や発言は、あくまで商業上の設定に基づく職務として行っているものである』 

『テレビ番組などに出演を始めた当初は「親が大変なお金持ちであるため、自分達もお金持ち」という設定を使っていた』 


要するに彼女たちは「セレブ芸人」であり、本来なら「髭男爵」の隣あたりのポジションでショート・コンツェルンを展開しているべき立場なのである。 

まぁそれが芸風だというのであれば、どういうギミックで登場しようが個人の自由だとは思う。 
しかしそれがあくまで芸風であると開示していないところはやや問題であろう。 
公言していない以上、経歴詐欺と言われても仕方あるまい。 

叶姉妹はしばしば高級娼婦だと思われているが、これも本人によるギミックである様だ。 
特殊翻訳家の柳下毅一郎氏がTVブロスの連載コラムにおいて叶恭子の自伝本『蜜の味―ミレニアム・ミューズ』を評論していたのだが、そこには 
『ヨーロッパ貴族に一夜を求められ、対価として白紙の小切手帳を示されたのでどうして良いか判らず、とりあえず「10億円」と書いてみたらそのまま切って渡された』 
というエピソードが紹介されていた。 
なお、これに対して柳下氏は「で、税金は?」と突っ込んでいる。 

同書についてAmazonのカスタマーレビューに目を通すと、大ファンだという人も含め、多くの評でこの本の内容が大真面目な事実として受け入れられてはいないことが判る。 

だがこれらのレビューによれば、この本の巻末には 
『すべては事実に即したノンフィクション作品ですが、人名や要所要所に出てくるお金の額など、他にも場合によってフィクションにしたケースもありました(編集部)』 
と明記されていたという。 
やっぱりギミックちごてガチのセレブやて公言してもうとるやんけー!。 
とはいえ、フィクションの混入率はぼかしてあるのでどうとでも言い逃れはできる。 
実際、帯には『BELIEVE OR NOT?』と書いてあるらしい。 
まさに「信じるか信じないかはあなた次第」という訳だ。 



他にもこういう経歴の怪しい有名人は多数いる。 
例えば… 

ジャン=クロード・ヴァン・ダムとの婚約を匂わせるなどのビッグマウスで話題作りをしていたプリンセス・テンコ―。 

工学博士号を持つところからドクターを名乗っていたのに、それが「特許大学」という会社によるインチキ学位だったとバレたDr.コパ。 
   [Wikipedia:特許大学] 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E8%A8%B1%E5%A4%A7%E5%AD%A6 


石材業者と組んで詐欺まがいの手口で高価な墓石を売りまくっていた細木数子。 
   [Wikipedia:細木数子] 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E6%9C%A8%E6%95%B0%E5%AD%90 
フロッピーディスクも石油ポンプも発明などしていなかったドクター中松(職業:特許ゴロ)。 
[Wikipedia:中松義郎] 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%BE%E7%BE%A9%E9%83%8E 


彼らは、そして叶姉妹は、経歴の胡散臭さという点においてはニセ有栖川宮あたりと同レベルなのだ。 
ニセ有栖川宮はなりすましたのが皇族というあたりが気まずすぎたのかあっさり捕まったが、他の者たちはのうのうと今も活躍し続けている。 
やってることはほぼ同じなのに。 
   [Wikipedia:有栖川宮詐欺事件] 
https://ja.wikipedia.org/wiki/有栖川宮詐欺事件


もうアレだ、叶姉妹は鬚男爵じゃなくってクヒオ大佐の横にでも並んでた方が良いんじゃね? 
ビッグマウスっぷりでは全然引けをとらないですよ? 
   [デイリー新潮:「戦闘機パイロットのクヒオ大佐」を名乗り、結婚詐欺を繰り返した生粋の日本人] 

https://www.dailyshincho.jp/article/2020/09221145



自分がセレブだと自称する誇大妄想系な人でも、葦原将軍くらいになると逆に許せるのだが…。 
   [Wikipedia:葦原金次郎] 
https://ja.wikipedia.org/wiki/葦原金次郎


で、この叶姉妹、バラエティー番組等で「うわぁ、やってもたぁ…」という発言がちょこちょこある。 
セレブな生活を語ろうとビッグマウスに出たものの、なんかこうポトラッチとして微妙にハズした設定になってしまっていまいちキャラを保ちきれていないというか…。 
例えば『ダウンタウンDX』だったかで披露したエピソードがこんな。 


プライベートなお出かけの時のファッションが総額11億円。 
でも行き先がTSUTAYA。 


「ふふ、たかだかTSUTAYAに行くのにもこの衣装…私ってゴージャスでしょ!?」とでも言いたいのだろうが、本当の金持ちならそもそもTSUTAYAなんか行かへんやろ。 
深夜に他に遊びに行くとこがなくてついつい集まっちゃう地方のヤンキーやないねんから。 


さらに「バスタオルって使い回すことある?」という話題の時【註】。 


ここはやはり 
「え、洗濯? うちではバスタオルは使い捨てにしてるのでクリーニングはしませんわね」 
とか言うのかと思いきや、 
「姉は一度使ったバスタオルは2度と使わないので、私が洗濯したものを使うんです」 
的なことをおっしゃる美香さん。 
「わがままな姉に振り回される妹」というキャラを意識し、「着るものは全て姉のお下がり」という設定を踏襲した発言なのだろうが、ポトラッチとしては中途半端すぎやろ。 


これらは「発言が意外に庶民的」というパターンだが、破壊力があるのは「ポトラッチの方向性がぶっとびすぎて全然羨ましくない」というパターンの方である。 


その最たるものが「休日の過ごし方」という話題。 


我々庶民には考えつかない様な贅沢な過ごし方を叶姉妹が教えてくれるのかと思ってわくわくしていたのだが、ここで恭子さんから想像を超える衝撃的発言が。 


「グッド・ルッキング・ガイを集めて、人間チェスを…」 


うわぁ…人間チェス!? 
絵ヅラを考えてみたらそれ、贅沢というよりはおまぬけですよ恭子さん…
そらぁさぞかしグッド・ルッキング・ガイも失笑をこらえるのに必死だったでしょうなぁ。 

この発言を受け、スタジオは「えーっ!?」という声に包まれ、恭子さんはすまし顔で平然と「でも普通のチェスを人間でするだけのことですからね」などと言い放っていたが…。 
それ「えーっ!?」の意味が全然違うから。 
何そのリアリティーのなさ。 
その設定、事前に一度でもビジュアルで想像したんか? 
TSUTAYAやバスタオルのショボさに比べて何やねん…どうしたその振り幅の凄さは。 
大体、「人間」を冠するものって「人間椅子」(椅子に入って奥様の体に触りてぇ)とか「人間核弾頭 ドルフ・ラングレン」とか「戦う人間発電所 チェルノブ」とか、ちょっとアレなもんが多いよね…。 



そんな僕らの想像力の斜め上を行く叶姉妹の微妙にハズしたポトラッチ発言に今後も目を離せません。 










【註:バスタオルを使い回す】 

ちなみにバスタオルは一度使った後、「洗濯せずに何日か使う」という人や「家族間で使い回す」という人は結構いる。 
使用済みのバスタオルは時間が経つにつれて雑菌が増殖するという意見もあるが、そのせいで病気になったとかいう話は寡聞にして知らない。 
むしろ数十年前まではそれが普通の感覚だった訳で、ごく短い間に我々の生活も随分デオドラント化されたものだ。 

逆に若い娘さんに「えーバスタオルって家族全員で一枚だよね? うちは昔からそうだよー」とか言われて「ええ子やぁ・・・」と思ったことあり。 

男子はこういう若干古風でダサい(死語)子に弱い。 
↓こんなのとか。 


【easteregg】
『デートのとき水筒もって来るような女の子と付き合いたい』


(00:11)

2022年06月30日


以前に『ヒトのやること大体同じ』シリーズと題して4回に渡り、一見すると未開の部族に伝わる奇習にしか見えない文化が実際には我々の文化と変わりないことを紹介してきた。


『ジョーカー事件はアモクだよ説』 
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/15038623.html
『神待ちはカーゴカルトだよ説』 
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/15057769.html
『富裕層のやることはポトラッチだよ説』 
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/15057775.html
『お歳暮はクラ交易だよ説』
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/15091784.html


今回はその中でも最も我々に見覚えのある文化について扱った『富裕層のやることはポトラッチだよ説』 の続き。





   (承前) 





ポトラッチは様々な意味を持ちうるが、端的に言えば過度な贅沢を通じて自分のステイタスを上昇させる行為…『誇示的消費』である。 
それは我々の生活のあらゆる場所に顔を出すが、とりわけ「これはポトラッチ的だな」と思えるものをリストアップするとこうなる。 


【不動産とそれに付属する設備】 


ポトラッチの本質は「ちょっとの差にえらいコスト」である。 


  [高い天井や眺めの良さ] 

天井高や眺望といった、実用性とはあまり関係のない付加価値こそ最もコストがかかる部分であり、それ故にそれは贅沢品となり、それらを備えることはステイタスとなる。 

ただし、それらの不動産的価値についてあけすけに語るのは下品とされているので、婉曲表現がなされる場合もある。 
例えば誰かが「私、庭で大きな犬を飼うのが夢なの」と語る時、彼女の関心が犬ではなくその収容スペースの方にあることは想像に難くない。 


  [別荘やプール、クルーザー] 

こういったものは年に何日も使わない割に場所を取り、メンテナンス費等のランニングコストも莫大である。 
私有するにはいささかコストパフォーマンスが悪い。 
それ故にそれらは憧れの贅沢品となりえる。 


  [高級車] 

フェラーリは 

◉まともに動く状態を維持するだけで整備士が必要 

だとか、 

◉雨漏りするので苦情の電話をしたら「お客様、雨が降ってるのに当社の車を走らせた、ですって!?」と逆に叱られた 

とか、伝説に事欠かない(まぁあくまで伝説であって、全てが事実とは限らないだろうが)。 
にも関わらず非常に高価なのは、フェラーリを維持できることがステイタスを上昇させるからに他ならない。 


  【旅行】 


そういった生活の延長として、ポトラッチ精神は旅先でも如何なく発揮される。 


  [遠い国の綺麗なビーチ] 

綺麗な海、綺麗な砂浜、綺麗な空。 
そしてその中にあって、「何もすることがない」という贅沢。 
この最高の環境で何もせず、ただビーチでごろごろするだけ…これこそがステイタスである。 
リゾート地で見るもの全てに嬌声をあげ、余裕なくあくせく遊ぶのは庶民の反応。 
あらゆる楽しみを知り尽くして今さらそれらに興奮することもなくなり、贅沢に倦むことに慣れていてこその裕福層なのだ。 
ただし、これを自宅のカウチで24時間やってもステイタスにはならない。 
それはただの引きこもりである。 


ポトラッチは旅の手段である交通機関にも関わってくる。 


  [新幹線のグリーン車] 

数時間の快適さに結構な金額。 
でもまぁお金に余裕がある人の中にはこのゆったりさ加減は切実にありがたい、という人もいるだろう。 


  [飛行機のファーストクラス] 

だがここまでいくとサービス内容と金額の乖離が大きく、ポトラッチ的な意味合いの方が大きくなってくる。 


私が最もバカバカしいと思うのはこれ。 
   ↓ 

  [豪華客船] 

こいつはすでに交通機関ではなく旅の目的そのものとも言えるが、それだけにとにかく無駄の塊でできている。 
洋上なのにわざわざショッピングセンターでお買い物とかね。 
コンサートホールで音楽鑑賞とかね。 
歓楽街に寄港するのにカジノ完備とかね。 
そんなん普通に家の近所なり寄港地なりの街でしたらええやん。 
じゃあ日常の街中では出来ないことをやればOKかといえば、最近は海上でロッククライミングとかできる豪華客船もあって油断できない。 
それはそれで別に海の上でやらんでもー! 

でも豪華客船で一番アホだと思う設備はコレ。 
船上のプール。 
『船』というのは何かというと、「水をわざわざ排水して作ったスペース」な訳ですよ。 
そうやって苦労して作った空間にまたわざわざ水貯めてプール作るとかね、もう何がやりたいねん? 
これぞ究極のポトラッチ【註1】。 




  【人件費】 


膨大な数の使用人を抱える、など人件費をもってステイタスとするのもポトラッチとしてよくある方法である。 
無駄な人件費の極北はコレ。 


  [隠遁者] 

金持ちは庭に金をかける。 
イングリッシュガーデンなんか見た目は牧歌的な田舎の風景だが、アレは必死に自然さを演出しているだけで実は作意の塊の、めちゃめちゃ手がかかる代物なのだ。 

で、18世紀ごろのイギリスでは「風景のすみっちょに世捨て人とかいたら絵になるんじゃね?」とかいう謎の考えに基づき、金持ちは自分の庭園に「隠遁者」を住まわしてたらしい。 
それを眺めながらままならぬ人生に思いを馳せる、それが最高にお洒落だったのだろう。 
まぁ本当にそういうことを考えていたらこんなことにお金を出したりしないと思うが。 

隠遁者と言っても7年契約とかで雇われてる、ビジネスライクな存在。 
ギャラは結構良かったらしいが、何しろ7年間一歩たりとも外出禁止、おしゃべり厳禁。 
住居完備賄いつきの家庭的な職場だが、7年の間に死ぬこともしばしばあるのでちょっぴりリスキーなお仕事ではある。 
ちなみに給料の支払いはあと払い、つまり7年後。 
まぁ使う場所もないので生活に困りはしなかっただろうが。 
この奇妙な長期契約が結ばれる理由は、あまりの辛さに逃げ出したり精神に異常をきたして自殺する者がいたかららしい【註2】。 


  【歪んだ器】 


茶道の世界では歪んだ形の茶器が珍重されたりする。 
現代でも、手作りの歪んだデザインの器やカトラリーは人気だ。 
こういった倒錯した心理がどの様に生まれるのか、スティーブン・ピンカーは スプーンを例に以下のような巧みな説明を行っている。 

かつてはスプーンの最上のものといえば、完全に左右対称で細かな装飾が入り、組になった何本かが完璧に同じ形をしたものだった。 
そういったものを作り出すには超絶的な職人技が必要であり、それらを所有することはごく一部の裕福層だけに可能なことだったのだ。 
したがって完全な形のスプーンを持つことが贅沢でありステイタスだった。 

しかし近代的な工場生産の時代に入ると完全に対称で同じ形をした装飾的なスプーンを作るのはごく容易になり、それらは最も安価な品になった。 
そして現在、最も高級なスプーンは職人の手によって作られたいびつな形のもので、その手作りの味わいが珍重されている。 
工場生産の時代にあえて職人の手業で作られたものは人件費の分高価であり、「歪んだスプーンにあえて大金を出す」という行為は裕福な者にだけできるステイタスだからだ。 

時代によって何が「良い」かは変わっていくが、その背後にある論理は常に「その時代に最も金がかかるもの」なのだ。 

驚異的なのはその論理が当の本人にも全く自覚できないことだ。 
実を言えば私もいびつな食器の類が大好きなクチだ。 
だが私自身は(少なくとも意識的には)純粋に審美的な理由から好んでいる、と思い込んでいる。 
「あーこれ良いなー」と感じる気持ちが時代に規定され、コストやレアさと関連づけられた、ステイタスを求める行為だとは露ほどにも思えない。 
だが疑いの余地なくその審美性とやらの基準はそれらの影響下にあるのだ。 




歪んだ器を愛でた代表的な茶人と言えば千利休。 
彼は織田信長・豊臣秀吉に仕えたが、信長・秀吉とくればこのエピソード。 


  【草履を懐で温める】 


これって土足という汚いものを懐中という大切な場所の代表選手みたいなトコに入れた結果が「若干温もっただけ」という、コストパフォーマンスの悪さが究極のポトラッチとして信長にバカ受けしたのではあるまいか? 




  【嗜好品】 


嗜好品とは、明確な味や栄養といったはっきりした利点が特にないにも関わらず、かすかな香りや風味を嗜むために摂取されるもののことだ。 
それらは生活に必ずしも必要のない贅沢品であり、それ故にポトラッチ的色彩を帯びやすい。 

嗜好品がしばしば産地や年数や等級などによって細分化され、そこには何らかの差が確かに存在するものの一般には解りにくい、という状況を生みだしがちなのはそのせいだろう。 
誰にでも違いが判るものでは意味がないからだ。 
一部の人間にしか判別できない些細な違いに大金がかかるからこそそれはポトラッチになりうる。 
だからこそ年末になると「芸能人格付けチェック」で利きワインとかやってるわけだ。 
僅かな違いを判別し、その差に大枚をはたけることがステイタスなのだ。 


明確な味でも栄養でもない刺激を求めた結果、それらはしばしばお茶、チョコレート、アルコール、タバコやドラッグなど酩酊感覚や高揚感といった、ちょっとした精神変容を起こすものに行き着く。 


  [ワイン] 

細分化と格付けが最も進んだ嗜好品、それがワインだ。 
したがって低価格帯の商品と極上品の価格差も激しい。 
実はワインの味は必ずしも値段に比例しない。 
だが「これは高価なワインだ」と知って飲むと美味しく感じるという心理的効果があるらしい。 
本来は価値が値段を決めるべきなのに「値段が価値を決めてしまう」ということは往々にしてある。 
それが行き過ぎて値段が味を変えてしまうこともあるという訳だ。 



一般的な意味では嗜好品に入らないにせよ、嗜好品的な側面の強い食品もある。 
蕎麦、牡蠣、チーズ、生ハムやソーセージといった加工肉、ハーブなどの香辛料。 
これらは繊細な風味の違いが問題にされる点で嗜好品に近い。 


 [牡蠣]  

オイスターバーでは日持ちのしない生牡蠣を「銚子産、厚岸産、アメリカ産、ノルウェー産…」などといった具合に世界中から集めて格付け・細分化しており、これは流通の発達した現代になってから登場してきた新しいポトラッチとして興味深い【註3】。 

  

高い栄養価を持ち明確な味を持つ食品でも、ランクが細分化された米、肉、果物などはポトラッチ的側面が強いと言えるかもしれない。 


  [果物] 

日本ではフルーツは贈答品によく使われる定番である。 
しかし、こういった習慣は日本独自のものらしい。

【御免Δ(←デルタ)】
『海外記事「外国人が異常に高いと感じる日本の6つのもの」とその反響』
http://goyaku.blog45.fc2.com/blog-entry-413.html

【高帽子の翻訳 海外反応】
『外国人「日本の果物は高すぎる!」  海外反応』
http://wthjapan.blog.fc2.com/blog-entry-35.html
海外ではフルーツは比較的安く、贈答品に適していないのだろう。 
ひいてはポトラッチになりえない、ということでもある。 

日本人は食べ物の見た目に異常にこだわるため、傷のつきやすいフルーツはランク付けの対象になりやすく、傷の全くないものは高値で取り引きされる。 
そのため、よりデリケートでなおかつ痛みが目立ちやすいフルーツほど珍重され高価になる傾向があるのだろう。 
桃とかそうですね。 
白桃うまー。 

  
  [肉] 

こいつも『芸能人格付けチェック』に毎回登場しますな。 
しかも高級肉と比較させられるのはスーパーでグラム1000円の肉とか。
しかし思えばグラム1000円って結構良い肉ですよ? 

以前のエントリでも書いたが、大抵の食品で低価格帯のものは価格の差がそのまま味の差であることが多い。 
グラム200円の肉と400円の肉の違いは歴然としている。 
だが高価格帯の商品は価格の差と味の差が正比例するわけではない。 
グラム5000円の肉と10000円の肉の違いはさほど明白ではないだろう。 
価格帯が上に行くほど、味の改善効率はどんどん低下する。 
しかしそのわずかな差に平然とお金を出せることこそがステイタスなのだ。 
倍の金額で味が大きく向上するなら、それを買うことは意外ではない。【註3】 
わずかな違いにばかばかしいほどお金がかかるからこそ、それはポトラッチとして有効なのだ。 
ほんのひと味、美味しくするために平然と何倍ものお金を上積みできる生活、それこそはステイタスになりえる。 
したがってグラム1000円の肉と最高級の肉の間にはさほどの差異は存在せず、よほど舌が肥えていないとブラインドでは区別がつかないのも無理はない。 

そして問題なのは「良い肉とは何か」ということだ。 
これまた以前に少し触れたが、日本では高級な肉ほど柔らかくてサシが強くなり、最も高級なものは「ほぼ脂身やんけ」という領域に達する(奇妙なことに純粋な脂身はタダ同然なのだが)。 
対して欧米では強い噛み応えといかにも肉らしい味を持つ赤味の肉が好まれる。 

つまり安い肉ほど「肉の味がちゃんとする」とも言える訳だ。 
また、良質な肉ほどその脂は良い香りがしてむっとせず、意外にさっぱりと食べられるものである。 

『芸能人格付けチェック』で挑戦者が「Aの肉の方が脂があっさりして赤身の味が強い」と感じたとしよう。 
この場合、彼が「Aの肉はサシが足りず、赤味の味がする、これは安物だ」と考えたとしても、逆に「Aは肉本来の味がちゃんとして脂のしつこい味がしない、これは高級品だ」と推論したとしても、それなりの説得力はある。 
味の分析がきちんとできたとしても、正解に辿り着くためには恣意的な文化がどちらを高級としているかを知っていなければならない。 

要は文化的に何が「良い」とされてるかによってどちらが美味しいかは変わりうる訳だ。 
美味しさというのはその程度のものなので、個人差や文化の差でグラム1000円の方を美味しいと考える人がいても特におかしくはない。 



文化的に何が良いとされているかは結構曲者で、例えば煎茶で高級品とされる玉露は旨みが大変強いが、これをそういった文化を知らない素人が飲んでも「うわぁ、何このわざとらしいまでの旨味…これはアリなのか?」と感じるだけで、それが良いものなのか悪いものなのか判断はつかないだろう。 
基本的に嗜好品にはそういった「風味の経験と習熟&文化的な習得」が必要なものが多い。 


また何がよしとされているのか、地域や時代によって違いがある場合も多い。 

麺類などの薬味としてのネギを例にとると、関東においてネギと言えば通常は白ネギであり、それは刻んだ後 料理の味に影響を与えないように水にさらして臭みを抜き、主に歯応え・食感を楽しむものとされている。 
一方、関西においてネギとはすなわち匂いの強い青ネギのことであり、それはその強烈な香りを積極的に楽しむためのものである。 
関西では香気の強い(つまりは臭い)ネギこそが高級品なのである。 



  【贈答の返礼】 

話が関西に及んだついでに。 
京都にはいかにも因習に縛られた古都らしい、「おため」という贈答に対する返礼の不文律がある。 

【NIKKEI STYLE】
『東京人も知っておきたい 関西流お祝い返し「おため」』
https://style.nikkei.com/article/DGXZZO42033560R30C12A5000000/

…うーん、ザ・ポトラッチ…今でもこんなんやってんのん、怖いわ! 

で、そこまでいかなくてもお土産などをいただいた時のちょっとしたお返しも「おため」と呼ぶのだが、これも「速やかに、そしていただいた以上のものを返さなくてはならない」という妙なプライドからしばしば贈答合戦に発展する。 

私の知人の京女は「京都人は『鉄砲返し』やしな!」と言ってこの不毛な消費に参戦するのだが、この「鉄砲返し」なる言葉も実にポトラッチ的。 
おそらくはタイムラグなしでもの凄い威力、という隠喩に由来するのであろうが、これももともとは体面を重んじて行われる奇妙な因習を指す。 

【ひかりの杜】
『鉄砲返し 鶴見区』
http://www.aoisousai.net/article/14242968.html 

だがこの手の気の遣い合いは我々が日常的に行っていることでもある。 

アメリカ人の書いたエッセイ等にしばしば描かれているのだが、あちらでは夫婦間のクリスマスプレゼント交換は基本的に気が重いものらしい。 
送る側は相手より金額がはるかに低いプレゼントになってしまったと言っては落ち込み、あるいは金額にものを言わせたプレゼントになってしまったと言っては落ち込み。 
貰う側は貰う側で明らかに安っぽい歯ブラシセットや、趣味の合わない高価なネクタイに「うわぁ、これ前から欲しかったんだ、ありがとう」と言うのが苦痛だったり。 

やはり贈与というのは基本的に相手に返礼の義務を背負わせる攻撃の一種なのだろう。 
下記のエントリの注釈で「最後通牒ゲーム」について触れた。 

『公平性を求める心─あなたの心のキュウリを投げるサル─』
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/10241126.html

実はパプアニューギニアのある部族では最後通牒ゲームで相手に半分以上を渡すプレイヤーが多いのだが、受取る側はこれをしばしば拒否する。 
これは贈答に対するそれ以上の返礼を負担に思うためらしい。 
つまり「贈与するのはかまわないがされるのは嫌」なのだ。 
そしてまたしてもパプアニューギニア。 



  【デリケート自慢】 

金持ちが白いスーツを着るのは、汚れの目立つ白を綺麗に維持するのは困難だからである。 
つまりあれは「自分は汚れ仕事はしない」という宣言であり、同時に「私はスーツが少しでも汚れたらすぐに買い替えることができる。だから白いスーツでも困らない立場にあるんだよ」というアピールなのだ。 

同様に、上流階級の女性がしばしば爪を信じられないくらい長く伸ばすのは「こんな爪では何もできないけれど、私は料理や家事などする必要がない生活をしているから平気なのよ?」という信号なのである。 

逆説的だが、敢えて弱点を持ち、それを晒すことで「私はこんなハンデがあっても平気なくらい力があるのだ」とアピールすることができるのだ。 


  [ハンディキャップ理論] 

生物学の世界でも「ハンディキャップ理論」という、動物が派手な色彩や構造物を持ったり目立つ行動を取ることで自分の力を見せつけ、敵から襲われにくくなったり異性にモテる様になる、というひねくれまくった説がある。 

ちなみにライオンは2日かけて100回以上の交尾を行うが、これは雌が雄のスタミナを確認しているらしい。 
つまり雄は実際に交尾に必要なスタミナ以上の力を見せつけないと雌にモテない訳だ。 
これは一見奇妙に見えるが、よく考えればヒト女性も似た様なことをしている。 
つまり、家庭を運営するのに必要な生活費以上の収入のある男性がモテるのと構図は同じなのだ。 

だが女子が男子の質を見極める時、ヒトでは懐の具合を探られるのに対して、ライオンではセックスの強要…何この格差社会。 
女子っこはライオンの雌っこに倣って、収入ではなく交尾スタミナに注目してくれればいいのに。 

…と思ったけど、そっちはそっちでまったくもって自信レスなことに気付いてみたのでもういいです。 




なお、ヒトの脳がこんなにも複雑なのは、必要以上に複雑で壊れやすい器官を形成して運用するだけの遺伝子の優秀さをアピールしているのだという説がある。 
まさにポトラッチ…! 
脳については「動物の行動を統御する重要な体の部位で、高級にして複雑なものほどこわれやすく、最も高級なものは、はじめから壊れている」 という素敵な言葉を目にしたことがあるのだが、はからずもこれは本質を突いていた訳だ。 

ちなみにこの説によると女子っこが男子を脳の出来具合(具体的には面白トークなど)で選んだために男子の脳は巨大化したのだが、男子の脳を評価するには男子と同等の知力が必要となるため、女子の脳も男子に迫る勢いで巨大化したのだという。 
何ともひねくれまくった話…。 

脳の巨大化を説明する仮説はいろいろあるが、この説は特に有力視されてはいない。 
だが男性の脳が(体格差を考慮しても)女性よりわずかに大きい理由をエレガントに説明している点は評価したい。 




   (続く) 








【註1:豪華客船は究極のポトラッチ】 

私は豪華という名の虚飾にはあまり興味がないらしい。 
海外旅行も(旅自体にあまり興味はないのだが)「エジプトにピラミッド見に行きたい」とかはまぁ見聞を広めたり現地でしか味わえないホンマモンの迫力に感動したり古代に思いを馳せたり意義があると思うのだが、「マカオで豪遊したい」とかはどうにも理解できない。 

…と思いきや、エジプト行って「ミイラ、ガン見してきました」と報告してきた同僚が 
「同年代の女子3人で行ったんですけど、他の二人は『ピラミッドは宇宙人が作った』とかガチ信じで、『みんなが飛行機やと思ってるもんの8割はUFOやで』とか言ってくるんですよ…」 
とか言っててドン引き。 
ロマン溢れすぎもどうかと。 



【註2:隠遁者】 

ソースは『図説「最悪」の仕事の歴史』という本。 







【註3:倍の金額で味が大きく向上】 

なのでお薦めは味の改善効率、つまりコストパフォーマンスの最も高い領域の品物を買うことである。 
個人的な経験則で言うと、大体底値の2倍あたりが狙い目。 
例えば鶏肉なら、スーパーの安物の倍くらいの値段のものを高級店や専門店(京都には鶏肉専門店が多い)で買って親子丼にして食べるとその旨さに驚かされたりする。 
一般的な安物のパスタが一皿1200円くらいまでと考えるなら、パスタに出せる値段は2400円まで、となる。 
これ以上の値段を取る店はポトラッチ度が高く、もしあなたがお洒落な内装や慇懃なサービス、背伸びしたデートに興味がないのなら、値段に見合った味は期待できないと思う。 






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