小林よしのり

2022年03月21日


以前にも取り上げたNHK『ヒューマニエンス 40億年のたくらみ』。 
誰しも気になる新型コロナと絡めてか、「ウィルスは悪魔か天使か?」という回があった。 
主なゲストは武村政春。 

番組ではまず「ウィルスが赤潮のプランクトンを殺して生態系を調整している」という話が紹介された。 
…それって赤潮の様に過密な状況だと感染症が広がりやすいだけでは…? 
そしてプランクトンを殺しまくってるのに「調整してる」… 
まぁ生態学ってそういうトコあるよね。 
「捕食者が被食者の個体数調整をする」とかさ。 
その論理だと新型コロナがヒトを殺しまくっても「人口調整」で済む気がする。 


「~の役に立つ」といった説明は胡散臭い。 
例えば「戦争は人口調整の役に立つ」といったものがそうだ。

淘汰によって生じたものなら、例えば「翼は空を飛ぶ役に立つ」といった形で存在理由の説明にはなっているが、 
「戦争は人口調整の役に立つ」は結果であって原因や理由ではない。 
人口過剰のストレスから戦争になることはあるかもしれないが、それは戦争の主な理由ではない。 

また、「役に立つ」というのは「誰にとって」役に立つのか?

男性は女性に向かってしばしば「君を守る」と誓う。 
だが、女性側は「え、誰のために誰から守るの?」と違和感を感じる場合もあるだろう。 
(これは例えば『こっち向いてよ向井くん』という漫画の冒頭で描かれている) 
現代の生活において敵部族や野獣に襲われることはまずない。
これが「僕が君を他の男から守るよ」という意味なら、それは女性のためというよりは、単に男性にとって「役立つ」配偶者防衛に過ぎないのではないか? 


樹木は生態系に対して多様な環境を提供する。 
樹冠部から根に至るまであらゆるレベルに空間があり、幹・枝・葉・花・実・根などの構造物がある。 
それを様々な生物が利用する。 
だが樹木は生態系全体に資するために生えている訳ではない。

それは他の樹木との光を求めた競争の産物だ。 
植物(プラント)の葉とは、光合成を行う工場(プラント)だ(プラントをプラントで説明するって…)。 
そこには効率よく日光が当たらねばならない。 
他の植物の陰になると成長できないため、樹木は幹によって樹冠部を高く持ち上げ、他の植物より有利になろうとする。 
勿論、他の樹木も同じことをする。 
結果、森には同じくらいの高さの樹木が林立することになる(森を林に例えるって…)。 
どんぐりの背比べだ(植物を植物に例えるって…)。 

太くて長い幹を成長させるには莫大なコストがかかるが、熾烈な樹冠持ち上げ競争の結果はせいぜいのところトントンで、特に有利性は生まれない。 
だが競争から脱落する訳にもいかない。 
こんなことなら樹木が「全員一律、幹を10m低くしようぜ!」という協定でも結べば全員が安上がりでしかも結果は同じ筈だが、その様な協定を結ぶ方法もなければ守らせる方法もない。 
仮にその様な協定が結ばれたとして、1本の樹木だけが抜け駆けして協定を破れば、その樹木は光を独占でき、一気に有利になる。 
だから不毛な競争は止むことがない。 
そして誰もが競争が始まる前とほぼ変わらない位置にいるだけでとりたてて有利にはならない。 
これは「赤の女王仮説」と呼ばれ、その名は『鏡の国のアリス』における「その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない」という赤の女王の台詞に由来する。 


これに似た例は人間界でも見られる。 
女性のメイクがそうだ。 
メイクすることで美人になれるが、誰もが同じ理由でメイクするので、結局はそれほど有利になることはない。 
だが自分だけノーメイクにすると不利なのでメイクをやめることもできない。 
だがこの不毛な競争のためには怖ろしいほどのコスト―費用と手間暇、さらにたゆまぬ技術の習得など―がかかる。 
しかし女性が一斉にメイクをやめる協定を結ぶ気配はない。 
↑アナロジーを別のアナロジーで説明するって…) 

話が脱線したが、ウィルスも樹木と同じで、他の生物のためではなく、自身の(より正確には遺伝子の)自己複製のためにだけ存在する。 



番組では「胎盤はウィルス由来」という話もあった。 
これは発表された時、衝撃的すぎて学会が静まりかえったという。 
このウィルス由来の遺伝子をゲノムが活用する、というのを番組では将棋に例え、「敵の駒を自分の駒として使う」様なものだ、としていた。 
このウィルスに感染しなかったのが単孔類、感染したのが有袋類で、2回感染したのが真獣類なのだという。 
さらに「ウィルスは宿主の遺伝子を盗み出して別の目的に使ったりもしてる」といった説明が入る。 
スタジオは「すごい! ウィルスどんどんいいやつになってるね」と盛り上がる。 
ヒトとチンパンジーのゲノムは98.5%同じとされるが、番組によれば 
『相同性という概念は似てるもの同士を比べるという方法なんですね。ですので計算する時に似てない部分を切り落とすんですよ』
…ということで、ゲノムの1/4は比べられないらしい。 
そこがウィルス由来の遺伝子の宝庫なのだという。 

…まぁびっくりな話ではある。 

だが胎盤は以前から「雄の遺伝子由来」とも言われてきた。 
雌から見れば、妊娠中の子は自分の子の一匹に過ぎない。 
限りある資源はその子だけでなく、将来の子に振り向けたり自分用に取っておきたい。 
だが胎児から見れば、遺伝子共有率が半分しかない弟妹や母親より自分の方が大事なので、全ての資源を自分に振り向けてほしい。 
こうして母子の利益は衝突する。 
ちなみに妊娠糖尿病はより多くの栄養を求めて胎児が信号物質を放出し、母体がそれに対抗するために信号の感受性を低めるという軍拡競争の結果、起きる。 
雄から見ると自分の遺伝子を受け継ぐ子供が何より大事なので、父親である雄と胎児の利益は一致する。 
そこで雄は雌の体内に自分の遺伝子で胎盤を作り、母体の栄養を胎児に振り向けさせる。 

この様に、体の中では本人以外の遺伝子が、本人以外の利益のために働くことは普通にある。 
遺伝子の影響は個体の体を飛び出し、様々な場所に影響を及ぼす。 
例えば巣の色や形に(ビーバーの巣は数平方kmの地形に影響を与える)。 
あるいは寄生された宿主の体や行動に(最近の寄生虫本は児童書でさえ行動操作の話をするのが流行だ)。 
そして雄は美しい色や歌声を介して雌を誘い、行動を操作する。 
ドーキンスはこの様に遺伝子がその影響を体外の離れた場所にも及ぼせることに気付き、それを『延長された表現型』と名付けた。 
そして個体とは自身のゲノムが作り上げる産物というより、『延長された表現型』のネットワークの結節点として理解できる、とブチあげたのだ。 

遺伝子は自己複製のためなら何でもする。 
その場その場の都合で敵にもなるし味方にもなる。 
進化は盲目的で場当たり的なものなのだ。 

番組でも 
「ウィルスは宿主の遺伝子を盗み出して別の目的に使ったりもしてる」 
「ウィルスが宿主のDNAを盗ったり挿入したりするのはウィルスにとってメリットがあるから」 

という話をちゃんとしている。 

そりゃウィルス等によって挿入された配列だってそのうち何かに転用されるだろう。 
素材の一つがたまたまウィルス由来だっただけで、その機能のためにわざわざ送り込まれた訳でもないし。 
細胞はゲノム由来かウィルス由来かなど気にしない。 
水平伝達してもその後は垂直伝達に変わる(生殖細胞に感染すれば、だが)。 
「自然選択の素材となるのは突然変異」という常識にちょっとした例外が付け加わるだけのことだ。 
変異の供給源は突然変異以外にいろいろあって良い。 
もともと放射線とか化学物質とか突然変異の原因はいろいろあるし。 
よく考えれば当たり前やろ… 

こういう「一見すると意外だが、よく考えたら当たり前」なことはままある。 
例えば… 


●エピジェネティクス 

「遺伝するのは遺伝子だけやで」 
   ↓ 
「よう調べたら遺伝子以外でも遺伝が起きるで! 
 それって獲得形質の遺伝やん… 
 ラマルキズムは正しかったんや!」 


…結局 遺伝子をオン/オフするだけで、全く新しい形質をもたらす訳でもないし、エピジェネティックな機構自体が遺伝子の制御下にあるねんからソレはないやろ… 


●レトロウィルスの発見 

「情報は『DNA→RNA→蛋白質』と伝わるんやで。 
 これが分子生物学のセントラルドグマ(中心教義)や」 
   ↓ 
「よう調べたらレトロウィルスは『RNA→DNA』と逆転写するで! 
 セントラルドグマの崩壊や! 
 ラマルキズムにワンチャンあるでコレ!」 


…いや結局 蛋白質からDNAに情報が伝わらない以上、獲得形質は遺伝しないからラマルキズムは復活せぇへんやろ… 


●プリオン病の発見 

「自己複製する分子なんてDNAとかRNAくらいやろ」 
   ↓ 
「プリオンって蛋白質なのに自己複製するやん!?」 


…折り畳まれ方が異常な蛋白質に触れることで正常な蛋白質も異常になってしまうだけで、蛋白質そのものが自己複製してる訳ちゃうし。 


この『ヒューマニエンス 40億年のたくらみ』でもそういう例があった。 
「“自由な意志” それは幻想なのか?」の回だ。 
そこでは有名なリベット実験を取り上げていた。 

これは何か行動をしようとするよりコンマ数秒前に脳内の準備電位が上がる、ということを解き明かしたベンジャミン・リベットによる実験だ(番組内では何故かリベットとは少し違う手順で再現)。 
意志が発生するよりも前に脳内の物理的状態が変化している、ということは「意思が体を動かしている」のではなく、「体が意思を作り出している」訳で、この実験は「原因と結果が逆やん…思てたんと違う!」と世界から衝撃をもって受け止められた。 

だが唯物論は「心が物理的実体を生むのではなく、物理的実体が心を生む」としている訳で、よく考えたら当たり前ですよな。 
そもそも何もないところから勝手に意思だの心だのが出てきたらそれは霊とかと同じオカルトな訳で、そら物理的基盤はあるに決まってるやん…。 

…これらは、 
「確かにびっくりではあるけど、これまでの概念に付け加えがあるだけで、根底からひっくり返す訳ではない」 
程度の話に過ぎない。 


ウィルスをやたらと危険視するのは一面的な見方でしかない。
それを正すことは意義のあることだ。 
だが同時に、「すごい! ウィルスどんどんいいやつになってるね」というのもまた一面的な見方でしかない。 
「ウィルスの大半は無害」「有益なウィルスもいる」 
と言われても、自己複製子ってそういうもんやろ、としか… 



しかし、こういった言説を持ち出すのは『ヒューマニエンス』だけではない。 

例えば、福岡伸一の↓この言葉。 

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 いや、ときにウイルスが病気や死をもたらすことですら利他的な行為といえるかもしれない。病気は免疫システムの動的平衡を揺らし、新しい平衡状態を求めることに役立つ。そして個体の死は、その個体が専有していた生態学的な地位、つまりニッチを、新しい生命に手渡すという、生態系全体の動的平衡を促進する行為である。 
 かくしてウイルスは私たち生命の不可避的な一部であるがゆえに、それを根絶したり撲滅したりすることはできない。私たちはこれまでも、これからもウイルスを受け入れ、共に動的平衡を生きていくしかない。

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福岡伸一のこれらの発言のどこがトンデモなのかについては以下のエントリで扱っている。 


【チコちゃんに叱られろ:前編】 
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/12835660.html

【チコちゃんに叱られろ:後編】 
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/12835675.html


…そちらでは主に進化論の観点から批判するにとどめたが… 
コレ価値観的にもかなりヤバくないですか? 

ウィルスを『根絶したり撲滅したりすることはできない。私たちはこれまでも、これからもウイルスを受け入れ、共に動的平衡を生きていくしかない』、そして『病気は免疫システムの動的平衡を揺らし、新しい平衡状態を求めることに役立つ。そして個体の死は、その個体が専有していた生態学的な地位、つまりニッチを、新しい生命に手渡すという、生態系全体の動的平衡を促進する行為である』 

つまり「ウィルスの根絶・撲滅を目指すのはムダ、むしろ病気も死も動的平衡の役に立つ」という訳。 
「動的平衡」ってそんなに大事なん…? 
「自然のバランス」とかと同じ、口当たりの良いふわっとした概念だから気付きにくいけど… 
それって例えば「病気や死は淘汰を促進させ、人類の改良に役立つ」という、優生主義的な言説とどこが違うの? 
この「集団全体の役に立つから個人の犠牲はやむを得ない」的な考え方は、「個人より集団の利益を優先する」という全体主義や保守主義と親和性が高い考え方やろ…。 
こんなんよくリベラル寄りの朝日が載せたな…! 


繰り返しになるが、「誰にとって」役立つのかを考えることは重要である。 
「ウィルスは進化の役に立つ」という場合、その過程で起きるのは淘汰、つまりは死による置き換えだ。 
それは進化する集団レベルでは福音かもしれないが、個人レベルで言えば死体の山なのだ。 

「集団全体の役に立つから個人の犠牲は仕方ない」というのは、肝心の自分が死んでも意味があるのか? 
私なら御免だ。 
「国のためなら死ねる!」とか言う人はご立派かもしれないが、私にそれを押し付けるのはやめてほしい。 

ついでに言えばそういった自己犠牲を行う「利他的な個体の集団」は、自己犠牲を行わない「利己的な個体の集団」よりも結束力が高くて強そうに思える。 
だがそういう「利他的な個体の集団」に「利己的な個体」が現れると、自己犠牲を行う者より行わない者の方がより多くの子孫を残すため、その集団は「利己的な個体の集団」に置き換わってしまう。 


…やや脱線したので話を戻して。 
福岡伸一は人類が天然痘ウィルスを根絶したり、ポリオウィルスをその一歩手前まで追いつめてることは評価しないんですかね? 
福岡伸一とか池田清彦とかスティーヴン・ジェイ・グールドとか、還元主義嫌いで全体論寄りの人たちは色々言う割に結局ふわっとした話だけで何も出てこない。 
ちなみにドーキンスはこういった言説に対して 
「自動車の仕組みを説明する時はエンジンとかブレーキとかに分けてそれぞれが何をしているか説明するやろ。 
そこで『全体は部分の総和以上のもので云々』とか言うて何の役に立つねん」
 
的なことを言っている。 


こういうふわっとめな説明には既視感を覚える。 
『ジュラシック・パーク』の原作版だ。 

映画版にはごく僅かな要素しか残っていないが、原作小説はカオス理論の説明にかなりの紙幅を割いており、非常に勉強になる。 
当時、原作者のマイクル・クライトンはカオス理論に夢中だったのだろう。 
登場人物の一人・数学者でカオス理論が専門のイアン・マルコム(演じるのは『ザ・フライ』のジェフ・ゴールドブラム)は「生物は必ず道を見つける」から、パークの運営は上手くいく筈がない、と予言する。 
これは 
『ウイルスは私たち生命の不可避的な一部であるがゆえに、それを根絶したり撲滅したりすることはできない』 
とする福岡伸一の態度にあまりにも似通っていないだろうか?

そしてジュラシック・パークは予言通りに崩壊を迎える。 
だが映画評論家の町山智浩は、パーク崩壊は産業スパイのネドリーがセキュリティーを解除したからで、カオス理論とは無関係だと指摘する。 
…うん、確かにそうですな。 

福岡伸一の発言もコレと同じで、「自分のキーワードを適用範囲を超えて振りかざす痛い人」にしか見えず、あまり真剣に捉える必要を感じない。 
勿論、ウィルスの根絶が極めて困難であることや、ウィルスが必ずしも悪者でないことには合意する。 
だがそれは生物に少し詳しい人なら誰でも知っていることに過ぎないのに、福岡伸一はそれを逆に強調しすぎている様に感じる。 


そういった強調をやりすぎて「新型コロナは安全」とか言い出しているのが(ネトウヨさんの生みの親として有名な)小林よしのりだ。 
『ゴーマニズム宣言SPECIAL コロナ論2』では先述の「胎盤はウィルス由来」や「ウィルスは必ずしも悪者ではない」が何の根拠もなく「新型コロナは安全」に結びつけられている。 

その手の言説は、例えばこういう話に似ている。 

サメを過度に危険視すべきではない。 
人を襲うサメは数種に過ぎず、多くのサメは無害だ。 
サメに襲われて死ぬ人より交通事故で死ぬ人の方が圧倒的に多い。 
サメは生態系のバランスを取るのに貢献している。 


まぁどれも正しい。 
「生態系に貢献」というのはあくまで結果であり、サメはサメ自身の(正確には遺伝子の)自己複製のために存在するのだが、貢献しているのは事実だ。 

だがだからといって「危険な種のサメがウヨウヨいる海域で無防備に泳いでも大丈夫」ということにはならない。 


そしてこういった主張が社会に与える危険性は福岡伸一の比ではない。 
最近は↓こんなのまで描いている。 


IMG_4495

(『ゴーマニズム宣言 2nd Season』週刊SPA! 2021年 1/12・19 合併号より) 

(コロナは)『基礎疾患のある老人を、死に導いてくれる。』
『それは寿命なんだよ! 人は必ず100%死ぬんだからね!』


…じゃあ小林よしのりはオウムにVXガスで殺されても
「VXガスは速やかな死に導いてくれる」 
「何歳で死んでも、それは寿命なんだよ! 人は必ず100%死ぬんだからね!」 

で済ますんでしょうな。 







【追記】 

ちなみに帯に「ヒトの死亡率=100%」なるコピーを踊らせて売っていたのが、還元主義嫌いな人々の話にちらっと名前が出た池田清彦が書いた『やがて消えゆく我が身なら』である。 
これまた
「ヒトは誰しもいずれ死ぬ、なんて誰でも知ってることだよね…これを『ほほう、こりゃ気付かなかったがその通り!』と喜ぶ様な層をターゲットにしてんのか?」
と思っただけだった。 
なお、この本は2005年3月1日発売だが、その直後の2005年7月1日に根立順子という人が『人間の死亡率100%』という本を出している様だ。 

あと小林よしのりの漫画(引用した画像)について、町山智浩は 

『小林よしのり「(コロナは)基礎疾患のある老人を死に導いてくれる」 

 なんで「くれる」なの? 
 感謝してるの?』 


とつぶやいている。 



【参照】 

以下のエントリでウィルスの存在理由(あまり比喩的でない、真の理由)をできるだけ平易な言葉で説明している。 


『ウィルスの存在理由』 
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/12835555.html







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