奇談・都市伝説
2022年07月31日
「パリ万博の消えた貴婦人」の話をご存じでしょうか。
ぐぐると例えばこんな記述が出てきます。
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1889年のパリの街は活気に沸いていた。フランス革命100周年を記念する第4回万国博覧会が開催されていたのである。この日のために建造された高さ約312メートルのエッフェル塔を最大の呼び物に、博覧会への参加国は35カ国、5月から10月までの開催期間中の来場者は3,225万人。商店や宿泊施設にとっては絶好の稼ぎ時であった。
そんなパリの街を海外旅行中の一組の母娘が訪れた。二人はそれまでインドを訪問しており、パリに寄ったのは博覧会を見物するためであったが、母親は体調が優れないらしく、ホテルに着くや否や、病状はかなり深刻な様相を呈してきた。ホテル付の医者にも手に負えず、他の医師の応援が必要だという。しかし医師は容態の変化に備える必要があり、この場を離れるわけにはいかない。娘は自分で医者を探すべくホテルを飛び出した。
馬車の御者は事態を理解していないのか、それとも所詮他人事かと思っているのか、馬車の走りは精彩を欠いていた。のろのろとパリの街を右往左往し、ようやく頼りになりそうな医者を見つけてホテルに戻ったときには、既に数時間が経過していた。娘はホテルの従業員に母の具合を尋ねる。しかし彼は思わぬ言葉を口にした。
「お客様はお一人で宿泊されておりますが」
従業員が言うには、娘は一人で宿泊しているのであり、母親など連れてきていないのだという。そんな筈はないという彼女の訴えにも彼は首を傾げるばかり。一体何の冗談なのか。実際に母がいる部屋に行けばわかると、娘は従業員らを連れて自室に向かった。だが、扉を開けて彼女は愕然とする。壁紙や調度品……部屋の何から何までが異なっており、母親の姿は影も形もなかった。持っていた鍵と扉の鍵穴は一致する。部屋を間違えたわけではない。
母を診察した医者に聞けばわかるはずだと、娘はホテル付の医者をつかまえて問い質した。しかし彼もまた、「そのような方を診た覚えはありません」と、従業員同様に母親の存在を否定。娘はホテル中の人間に母の行方を尋ねたが、誰一人として母親の行方はおろか、そのような人が宿泊していた事実すら知らないと答えるばかりであった。
こうして母親の痕跡はパリから消えうせた。哀れな娘は気が狂い、精神病院に入れられたと伝えられている。
真相は次のようなものであった。母親はインドでペストにかかっており、ホテルに着いた直後に息を引き取っていたのである。だが万博の最中、このような事実が知れ渡ったら街中が混乱し、ホテルの営業は大打撃、パリの威信にも傷がつく。そこでホテルはパリ当局と共謀して、娘を外に出している間に母親を別の場所に隔離し、突貫工事で部屋を改装、関係者全員で口裏を合わせ、最初からそんな人物が存在しなかったかのように振舞ったのだった。
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…この話、私は幼少期から類話を何度も読んだことがあるのですが、時にはフィクションに織り込まれ、時には「実話である」と主張されることもあった様に思います。
でもそれらが何という本に載っていたのかは記憶の霧の中に消え失せ、そもそもそれらが本当に存在していたかすら定かでなくなってくるのです。
物語中の母親の様に。
にも関わらず、忘れた頃にまた類話として再登場…
この話は私の人生に何度もしつこく絡んでくる、正体不明の怪物の様なものです。
話の内容よりもむしろ存在自体に何やらモヤモヤした気分にさせられて、不安になるのです。
ネット時代に突入してからも何度か検索したのですが、ことの真相は解らないまま…
だったのが、ネットは年数が経つ程に情報量が増えていくため、数年後に検索しなおすと素晴らしい情報を得られることが。
現在では例えば下記のサイトで都市伝説であろうと結論付けられていて、出典にかなり近づくことができます。
冒頭に貼り付けた『パリ万博の消えた貴婦人』のエピソードもここから引用させていただきました。
http://roanoke.web.fc2.com/foreign/Vanishing_Hotel_Room.htm
…ああっ、どうやら私が幼少期に読んだのは『名探偵トリック作戦』の様ですね。
『MASTERキートン』、読んだ読んだ!
町山智浩の『トラウマ映画館』は多分、最近この話を思い出すきっかけになった本。
『フライトプラン』は未見だけど、あらすじ聞いて「なんか聞いたことのある話…」と思ったやつだー!
あ~スッキリした!
と、言いたいトコですが…
別のモヤモヤが発生。
『フライトプラン』って、最近そっくりの映画ってなかったでしたっけ?
「もう誰も信じられない」系の飛行機サスペンスで。
…調べてみたらそれはどうやら『フライト・ゲーム』の様です。
今度こそスッキリ。
…と思いきや、
「そういえば『ニューヨーク東8番街の奇跡』にもそっくりの映画がなかったっけ?
いや、『ジュブナイル』じゃなくて、洋画で。
なんか『ショートサーキット』と『WALL-E』程度には似てるやつで。
タイトルだけ似てる『34丁目の奇跡』とも別で」
とか完全にいらんコト考えてしまうモヤモヤ沼。
まぁそれは別にいいです。
それより先日、プチ『パリ万博の消えた貴婦人』体験をしてしまったんですよ。
閉店間際のスーパーで「総菜全品4割引き」の立札があったので「こりゃ安い」と思い、何点か購入したのですが…
レジで会計を済ませてレシートを見ると、2割しか引かれてない…
「アレ? 4割引きっていうのは私の見間違いかな?」と思って総菜売り場に戻ってみると…
さっきまであった筈の立札自体、影も形も無くなっているのです。
そんなバカなー!?
全ては私の勘違い?
いえ、そんな筈はありません。
そもそも値引きの立札自体が最初から無かったのなら、スーパー側がレジで2割引きする理由もありません。
何があったのかは解りませんが、何かがあったことだけは確実です。
閉店間際のスーパーで日常の全てが瓦解していくディック感覚を味わうという、恐怖体験でした。
ほらアレですよ、映画版『コンタクト』のラストで、録画はされてなかったけどテープは18時間分回ってた、的な。
そういえば『コンタクト』は合理主義者の主人公が自分自身が持ち出した「オッカムの剃刀」によって自らの経験を否定せざるを得なくなる話でしたね。
ところで先ほど紹介した二つ目のサイトには載っていませんが、手塚治虫の『きりひと賛歌』にもモロ同様のシチュエーションがあった筈。
…とか言いつつ、同書をめくってみても何故かどこにも該当シーンが見つからない、なんてコトもこの話の流れならありそうで怖いですが。
【付録】
上記で紹介したサイトが消えちゃった時に備えて内容を保存。
Unbroken Snow 世界の行方不明・失踪事件】
『パリ万博の消えた貴婦人と客室 (1889?)』
http://roanoke.web.fc2.com/foreign/Vanishing_Hotel_Room.htm
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パリ万博の消えた貴婦人と客室 (1889?)
1889年のパリの街は活気に沸いていた。フランス革命100周年を記念する第4回万国博覧会が開催されていたのである。この日のために建造された高さ約312メートルのエッフェル塔を最大の呼び物に、博覧会への参加国は35カ国、5月から10月までの開催期間中の来場者は3,225万人。商店や宿泊施設にとっては絶好の稼ぎ時であった。
そんなパリの街を海外旅行中の一組の母娘が訪れた。二人はそれまでインドを訪問しており、パリに寄ったのは博覧会を見物するためであったが、母親は体調が優れないらしく、ホテルに着くや否や、病状はかなり深刻な様相を呈してきた。ホテル付の医者にも手に負えず、他の医師の応援が必要だという。しかし医師は容態の変化に備える必要があり、この場を離れるわけにはいかない。娘は自分で医者を探すべくホテルを飛び出した。
馬車の御者は事態を理解していないのか、それとも所詮他人事かと思っているのか、馬車の走りは精彩を欠いていた。のろのろとパリの街を右往左往し、ようやく頼りになりそうな医者を見つけてホテルに戻ったときには、既に数時間が経過していた。娘はホテルの従業員に母の具合を尋ねる。しかし彼は思わぬ言葉を口にした。
「お客様はお一人で宿泊されておりますが」
従業員が言うには、娘は一人で宿泊しているのであり、母親など連れてきていないのだという。そんな筈はないという彼女の訴えにも彼は首を傾げるばかり。一体何の冗談なのか。実際に母がいる部屋に行けばわかると、娘は従業員らを連れて自室に向かった。だが、扉を開けて彼女は愕然とする。壁紙や調度品……部屋の何から何までが異なっており、母親の姿は影も形もなかった。持っていた鍵と扉の鍵穴は一致する。部屋を間違えたわけではない。
母を診察した医者に聞けばわかるはずだと、娘はホテル付の医者をつかまえて問い質した。しかし彼もまた、「そのような方を診た覚えはありません」と、従業員同様に母親の存在を否定。娘はホテル中の人間に母の行方を尋ねたが、誰一人として母親の行方はおろか、そのような人が宿泊していた事実すら知らないと答えるばかりであった。
こうして母親の痕跡はパリから消えうせた。哀れな娘は気が狂い、精神病院に入れられたと伝えられている。
真相は次のようなものであった。母親はインドでペストにかかっており、ホテルに着いた直後に息を引き取っていたのである。だが万博の最中、このような事実が知れ渡ったら街中が混乱し、ホテルの営業は大打撃、パリの威信にも傷がつく。そこでホテルはパリ当局と共謀して、娘を外に出している間に母親を別の場所に隔離し、突貫工事で部屋を改装、関係者全員で口裏を合わせ、最初からそんな人物が存在しなかったかのように振舞ったのだった。
【考察】
有名な都市伝説である。方々で語られている(注1)が事実ではない。
冷静に考えればこの話は無茶苦茶である。母親の存在を証明するのは何もホテルの記録ばかりではない。フランスの入港記録など証拠は他にいくらでもあるし、ホテルに入るまでにも相当多くの人に母娘は目撃されている筈だ。また、混乱を回避するのが企みの動機だとされているが、それなら娘に事情を説明したうえで騒ぎ立てないよう説得する方がよほど理にかなっている。ホテルの一室を改装し、口裏を合わせるという大掛かりな企みそれ自体、無駄に関係者を増やして騒ぎを大きくするばかりで本末転倒である。誰か一人真相を吐けば一巻の終わりだ。
荒唐無稽な話であるが、1889年という時代設定が、「この時代なら人権意識も薄そうだし、こんな無茶も通ったかもしれない」と思わせ、一定の信憑性を確保するに至っているのだろう。
とはいえ、話のアラばかり探したところで、言いがかりをつけているだけの感は否めない。以下でより実証的にこの話を考察してみたい。
■ 複数のパターン
上記概略では最も人口に膾炙している話のパターンを紹介したが、この話には細部の異なる複数のバリエーションが存在する。
(1)年代
1898年の第4回パリ万国博覧会時に起きた事件とされることが多いが、1900年の第5回パリ万国博覧会、1925年(同第6回)、1931年の植民地博覧会における事件とされることもある。
(2)ホテル
コンティネンタルホテル、クリヨンホテル等、ホテルの具体名が挙げられる場合もある。また、母娘の泊まった部屋について、部屋番号や壁紙の色といった具体的なディテールが描写されることもある。
(3)その後の展開
アメリカの外交官、あるいは娘の婚約者が真相を暴くという展開になることもある。
(以上は主としてベン・C・クロウ『アメリカの奇妙な話1 巨人ポール・バニヤン』(ちくま文庫)に拠った)
様々なバリエーションが存在するという事実は、元々の話が非常にあやふやである――つまり作り話であることを類推させるに足るものである。実話であればここまで細部が異なったりはしまい。また、どのパターンにおいても肝心の母娘の名前が明らかにされないあたりも、都市伝説の典型を示していると言えよう。
■ 出典
次に、この話の出典を探ってみたい。推理小説家エドワード・D・ホックの「革服の男の謎」という短編(『サム・ホーソーンの事件簿Ⅳ』(創元推理文庫、木村二郎訳)に収録)に、次のような記述がある。
待合室の本棚をあけて、アレグザンダー・ウルコットの『ローマが燃えるあいだ』というエッセイ集を選んだ。その中の「消えた貴婦人」というエッセイは、若いイギリス女性とその病弱な母親の伝説を扱っていた。その親子はインドからイギリスに戻る途中、1889年のパリ万国博覧会を訪れた。滞在していたホテルで母親が消えたが、従業員は母親の存在を否定した。2人の部屋には見覚えのない家具と壁紙があった。母親のいた形跡はまったくなかった。最後に、その母親がインドでかかったペストで急死したことを、イギリス大使館の若い男が突きとめた。パニックで旅行客がパリから逃げ出し、万国博覧会を台無しにするという事態をさけるために、みんなで沈黙を守ることが必要だったのだ。最後の脚注で、この話の出典は1889年のパリ万国博覧会開催中に発刊された《デトロイト・フリー・プレス紙》のコラムであると、ウルコットは書いていた。しかし、そのコラムの筆者は自分でその話を作りあげたのか、それとも、どこかで聞いたのか覚えてはいなかったらしい。
アレクサンダー・ウールコット(Alexander Woollcott 1887~1943)はチャップリンの「黄金狂時代」を激賞したことで知られる実在した評論家であり、『ローマが燃えるあいだ』(“While Rome Burns”1934)も彼の手による実在の著作である。「革服の男の謎」自体はあくまで小説であるが、ウールコットが1934年の時点で本件について触れているのはまず間違いあるまい。わざわざ実在の人物・作品に嘘を言わせるとは考えにくいからである。
ところが外国のこのサイトによれば、ウールコットが出典として挙げている「デトロイト・フリー・プレス」の記事は存在しないのだという。代わりに同サイトは、「消えた客室」に似た話が登場する最初期のものとして、Belloc Lowndesの“The End Of Honeymoon”(1913)、Lawrence Risingの、“Who Was Helena Cass”(1920)を挙げている。どれも小説である。
結局、どこまで辿ってもエッセイや小説ばかりで、確固たる資料が出てこない。恐らく、19世紀末ごろから「消えた客室」に似たような話がフォークロア的に語り継がれており、ウールコットやBelloc Lowndesがそれを題材に物を書いたのだろう。あるいは、Belloc Lowndesこそがこの話の生みの親なのかもしれない。このようにして一度活字になった話が、いつしか実話として語られるようになったのだろうと思われる。
■ 無の恐怖
殺人は畢竟、肉体を破壊し、特定の人物を物的に消失せしめる企てに過ぎない。だが、この話においてホテルが行おうとした企ては、特定の人物を物的に消失させるだけにとどまらず、その人物がこの世に存在した痕跡までもを消失させようというものであった。無論、こんなことは不可能である。そんな不可能事を力ずくで実現させようとしているところに、私はこの話の不気味さを感じてならない。
ある人物が失踪し、誰一人としてその人物の記憶を有さず、この世からその人物の記録が一切合財消え去ってしまったとすれば、それはもはや単なる無である。人を無に還そうという単なる殺人を超えた凶悪な意図、そして「存在」という最も本質的な要素が人工的に消去される恐怖が、この話の底には流れている。
(注1)
参考までに以下のサイトを挙げておく。
○ http://ryoshida.web.infoseek.co.jp/kaiki/32hahaoya.htm
○ http://elder.tea-nifty.com/blog/2006/10/post_f719.html
【参考文献等】
○ ベン・C・クロウ著 西崎憲監訳 『アメリカの奇妙な話1 巨人ポール・バニヤン』 筑摩書房<ちくま文庫>、2000
○ エドワード・D・ホック著 木村二郎訳 『サム・ホーソーンの事件簿Ⅳ』 東京創元社<創元推理文庫>、2007
○ Snopes.com http://www.snopes.com/horrors/ghosts/hotel.asp
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【エンターテイメント日誌】
『「バニー・レークは行方不明」と、パリ万博・消えた貴婦人の謎』
http://opera-ghost.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/post-846e.html
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「バニー・レークは行方不明」と、パリ万博・消えた貴婦人の謎
町山智浩(著)「トラウマ映画館」で紹介され、ずっと興味を持っていたオットー・プレミンジャー監督の映画「バニー・レークは行方不明」(1965)DVDが漸くレンタル開始となったので早速観た。
こういうプロットだ。
アメリカからロンドンにやって来たシングルマザーのアン・レークは引っ越し早々、4歳の娘バニーを保育園に送り届けるが、その数時間後に娘が行方不明になってしまう。半狂乱になって兄と行方を探すアン。しかし保育園のどこにも子供が存在したという痕跡がない。保育士の誰もバニーを見ていない。写真もない。捜査に乗り出した警部(ローレンス・オリヴィエ)は、消えた娘というのは彼女の妄想ではないかと疑い出す……。
なおイヴリン・パイパーが書いた原作小説(ハヤカワ・ポケット・ミステリ刊)は1957年の作品である。
僕には既視感(デジャヴ)があった。小学校2,3年生の頃に読んだ物語を彷彿とさせたのである。
おぼろげな記憶を頼りに、漸くその本を突き止めた。「名探偵トリック作戦」(藤原宰太郎、学習研究社、1974)のカラー巻頭漫画「消えた母の秘密」であった。
【問題編】
1889年フランス革命100周年を記念する万国博覧会が開催されていたパリの街を船で旅行中の一組の母娘が訪れた。二人はそれまでインドを訪問しており、パリに寄ったのは博覧会を見物するためであった。しかし母親の体調は優れず、ホテルの部屋で寝込んでしまう。ホテル付きの医者に診せるが彼の手には負えない。娘は自分で医者を探すべくホテルを飛び出した。
漸く頼りになりそうな医者を見つけてホテルに戻ったときには既に数時間が経過していた。娘はホテルの従業員に母の具合を尋ねる。しかし彼は思わぬ言葉を口にした。
「お客様はお一人で宿泊されていらっしゃいますが」
そんな筈はないという彼女の訴えに彼はただ首を傾げるのみ。部屋に行けばわかると、娘は従業員らを連れて自室に向かった。だが、扉を開けて彼女は愕然とする。 壁紙や調度品……部屋の何から何までが異なっており、母親の姿は影も形もなかった。彼女が持つ鍵と鍵穴は一致する。ルーム・ナンバーを間違えたわけではない。
娘は母を診察したホテル付きの医者を問い質した。しかし彼もまた、「そのような方を診た覚えはありません」と否定。彼女はホテル中の人々に尋ねたが、誰一人としてそのような人が宿泊していた事実は知らない。異国で一人ぼっちになった娘は途方に暮れるばかりであった。
【解決編】
真相は次のようなものであった。母親はインドでペストに罹っており、ホテルに着いた直後に息を引き取った。だが万博の最中このような事実が知れ渡ったらパリの街中が混乱し、ホテルの営業は大打撃を被る。そこでホテルはパリ当局と共謀して、娘が外出している間に母親を別の場所に隔離し、突貫工事で部屋を改装、関係者全員で口裏を合わせて最初からそんな人物が存在しなかったかのように振舞ったのだった。
これはベイジル・トムスンの短編集"Mr. Pepper, Investigator "(1925)の中の1篇「フレイザー夫人の消失」(新潮文庫「北村薫のミステリー館」収録)が原典だった。また直木賞を受賞した推理作家・北村薫によるとコオリン・マーキーの「空室」(【新青年】1934年4月号掲載)も同趣旨の物語であり、さらにそれらの大本を辿るとパリ万博で実際にあった話だという。しかしいくらなんでも実話とは信じ難いので、一種の都市伝説みたいなものなのだろう。はっきりと原作者が特定出来ないということ自体、ミステリアスである。
アメリカの評論家アレクサンダー・ウールコットはエッセイ「ローマが燃えるあいだ」(1934)で「消えた貴婦人」について触れ、この話の出典は1889年のパリ万国博覧会開催中に発刊されたデトロイト・フリー・プレス紙のコラムであると書いている。 しかしウールコットが出典として挙げている記事は、調べてみると実際には存在しないのだという。
「フレイザー夫人の消失」はアルフレッド・ヒッチコック監督の映画「バルカン超特急」(1938)やウィリアム・アイリッシュの短編小説「消えた花嫁」(1940)、ディクスン・カーのラジオ・ドラマ「B13号船室」(創元推理文庫「幽霊射手」収録)の元ネタにもなっている。
そして「バルカン超特急」や「バニー・レイクは行方不明」を参考にして、ジュリアン・ムーア主演の映画「フォーガットン」(2004)やジョディ・フォスター主演「フライトプラン」(2005)が相次いで製作された。
さらに漫画「MASTER キートン」(作:勝鹿北星/画:浦沢直樹)の「青い鳥消えた」というエピソードが「バニー・レイクは行方不明」に酷似している。
これだけ多数のヴァリエーション(パスティーシュ)を生むということは、やはりそれだけ魅力のある物語なのだろう。僕も幼少期に読んだ「消えた母の秘密」を未だに覚えているのだから強烈な印象を受けたわけで、正にトラウマと言って差し支えない。どうしてこれほどまでに惹かれるのだろう?じっくり考えてみた。
自分のことを周囲の誰も覚えてくれていないという恐怖。ーそれは自分の死後も何事もなかったように世界が続いていくことへの畏怖の念でもあるだろう。
自分が愛し、親しくしている人々が、実は単に自分の幻想だけの存在なのではないかという恐怖。フランソワ・オゾンの映画「まぼろし」やテリー・ギリアム監督「未来世紀ブラジル」のラストシーンを想い出して欲しい。
結局これらは、人間の実在の不確かさ、生きることの意味への不安にも繋がっているのだろう。
2015年9月 8日 (火)
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