保守

2022年05月01日


近年、ネトウヨさんを中心に保守派の皆さんが 
「ヘイトスピーチも表現の自由だ」 
とか 
「寛容を説く左翼が、『不寛容な意見』に対しては不寛容だ。寛容を主張するなら『不寛容な意見』にも寛容であれ」 
みたいな主張をしてくる様になりました。 

そもそも「表現の自由」というのは左翼的言説の筈。 
右翼は抑圧的な政策が大好きな割に、それらが自分を守ってくれそうな時だけ「表現の自由」とか「人権」とか「民主主義」とか、左翼的な用語を持ち出します。 
でも使い慣れてないのでどこかおかしい定期。 

それと平和主義批判もそうなんですが、ジレンマやパラドックスの「片側だけ」批判するのは片手落ちというか、都合の良いとこだけつまみ食いするチェリーピッキングでしょ。 

平和主義批判については以下を参照。 


2022年3月29日のエントリ
『保守「平和主義者の攻撃性ガー!」←は?』 

http://wsogmm.livedoor.blog/archives/14365927.html



「寛容を説く者が、『不寛容な意見』に対して不寛容なのは矛盾している!」 
と言うなら、じゃあ仰る通り 
「寛容ゆえに、『不寛容な意見』も受容する」 
ことにしましょう。 
するとどうなるでしょう? 
「寛容な筈なのに、不寛容に無批判」 
なことになります。 
これも明らかな矛盾なのに、そっちはええんかい!? 


そしてこのジレンマについて、左翼側はポパーの「寛容のパラドックス」を持ち出します。 
こういったものです。 

Wikipedia:寛容のパラドックスより 
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寛容のパラドックス(paradox of tolerance)とは、カール・ポパーが1945年に発表したパラドックス(逆説)である。このパラドックスは、「もし社会が無制限に寛容であるならば、その社会は最終的には不寛容な人々によって寛容性が奪われるか、寛容性は破壊される」と述べる。 

ポパーは、「寛容な社会を維持するためには、社会は不寛容に不寛容であらねばならない」という一見矛盾した結論に達した。なお、ポパーは不寛容な哲学の発言を禁止するべきではなく、合理的な議論で打ち返すべきであり、拳固やピストルを用いて自説を押し付け反対者の自由を禁じようとした時に、不寛容に対して不寛容である権利を要求するべきであるとした[1]。 

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ちょっと話はズレるのですが、これ群選択をめぐる話に似てますよね。 
「群れのために命を捨てる、自己犠牲的な個体」で構成された集団は強い。 
しかしそういう集団は、内部に「自己犠牲をしない利己的な個体」が出てくると、そういう個体の方が有利なため、乗っ取られてしまいます。 
「自己犠牲的な個体」の群れは、外集団との競争に強いが、内部からの転覆には弱い、というジレンマを抱えています。 


話を戻すと、「寛容のパラドックス」はネットミーム化され、こんな画像が拡散しました。 

IMG_5141


この状況に異を唱えたのが、高名な表現の自由戦士であらせられる青識亜論さんです。 
ココ↓にまとまっているので、その発言を抜き出してみます。 

【Togetter】 
『ポパーと寛容のパラドックス、その誤用について』 

https://togetter.com/li/1198591 


◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

◉《『自由社会の哲学とその論敵』からの抜粋ですね。しかしポッパーは同じ部分で、合理的な論議で反論できる限りにおいて、不寛容な哲学を口にすることを法で禁止することはきわめて愚かしいものであるとも述べています。》 

◉《「たとえばわれわれは不寛容な哲学を口に上せることをいつも禁止すべきであるという意味を含ませはしない。われわれはそうした哲学を合理的な論議で打ち返し世論によって掣肘をすることができる限り、禁止は確かにきわめて愚かしいことであろう」と。》 

◉《ポッパーは不寛容な人々が「拳固やピストル」で自らの教説を押し付け、反対者の自由を禁じようとしたときについて、「不寛容なものたちを寛容しない『権利』を要求するべきである」と述べるものです。そしてまた、ポッパーは民主主義の完成がそうした逆説を克服するとも予言しています。》 

◉《ポッパーの哲学の寛容なところは、自由な批判の応酬によって、人は正しい道へと少しずつ近づいていけるのだと示したことです。「自分が間違っていてあなたが正しいのかもしれない。そして努力すればわれわれは真理にもっと近づけるであろう」という標語とともに。》 

◉《ポッパーはこうも述べています。「自由の敵たちはいつのときも自由の擁護者に破壊の罪名で非難してきた。」ポッパーは民主主義に多大な信頼をよせた哲学者の一人であり、彼の言っていることは、まず対話を行うということです。》 

◉《というか、該当する箇所がどこかわからず、この分厚い本を最初からずっと読み通すはめになりました……まさか注釈の抜粋とは……。》 

◉《ちなみにいちおう付言しておきますと、当該書でポッパーが自由の敵として批判しているのは、ヘイトスピーチというよりもマルクス主義です。》 

◉《自由主義をあれほど愛したポッパーを援用して、あたかも表現規制を肯定したかのように述べるのは絶対許せないので、何度でも反論しますよ。》 

◉《前にも書きましたが、ポッパーが想定した「不寛容」の中身は、マルクス主義による共産党独裁が想定されています。したがって、当該部分を援用して言えるのは、暴力革命を引き起こすような思想に対する不寛容であって、ヘイトスピーチのことではありません》 

(ここのみウルフワンさんによる発言) 
◉《思想には全面的に同意しているわけではありませんが、あなたの言論の自由を守る姿勢には全面的に共感する者です。 
私も言論の自由は非常に大事なものだと考えていますが、暴力革命を引き起こすような主張に対してはある程度は不寛容であってもいいでしょうか?》 
↓ 
◉《いいえ。そうは思いません。革命を説くような思想であろうと、表現の自由は認められるべきです。ポパーの場合、東西冷戦の真っただ中で、共産主義革命の脅威が身近なものとしてあったため、「注釈」を付けざるをえなかったのでしょうが、私は余計な付け足しだったように思います。》 

◉《もちろん、これは歴史を知る者の傲慢で、後知恵にすぎません。私は持てる思想的な力のすべてを注ぎ込んで自由を擁護した哲学者・ポパーに、心の底から敬意を払いたいと思います。》 

◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎



…なるほど、ご宗旨は理解しました。 
では私が思ったことを書いていきましょう。 


◉《『自由社会の哲学とその論敵』からの抜粋ですね。しかしポッパーは同じ部分で、合理的な論議で反論できる限りにおいて、不寛容な哲学を口にすることを法で禁止することはきわめて愚かしいものであるとも述べています。》 
◉《「たとえばわれわれは不寛容な哲学を口に上せることをいつも禁止すべきであるという意味を含ませはしない。われわれはそうした哲学を合理的な論議で打ち返し世論によって掣肘をすることができる限り、禁止は確かにきわめて愚かしいことであろう」と。》 

   ↓

…コレ哲学者間の議論の話やろ? 
ポパーはネット界で一般人がヘイトスピーチを垂れ流し、それが社会に影響を与える様な世界には生きてませんでしたからねぇ… 
今、生きてたら「これあかんやつや!」言うと思うよ。 
批判されても国籍透視・工作員認定で返してくる様な人たちとどうやったらまともに論議できるんですか? 
こんなん「バーカバーカ、お前の母ちゃんデーベーソ~!」言うてくる幼児と変わらんやん。 
議論の土俵に上がるには最低限の知性と礼節は必要でしょ。 
幼児の悪態も尊重し、同列に扱うのが議論なんですかね? 
じゃあ何でもアリのノールールなんだから誰だってずーっと喚いてりゃいい訳で、そもそも議論なんて必要ないよね。 

ちなみに哲学者のダニエル・デネットは、創造論とのバトルをテニスに例え、 
「彼らは、こっちのサーブの時には『ちゃんとネットを張れ』と言う癖に、自分たちのサーブでは『ネットは下げろ』と言う。ネットは張りっぱなしか、下げっぱなしかのどちらかだ。そして下げっぱなしならルールなんて無いんだから何とでも言える。『神はアルミホイルに包まれたチキンサンドだ』とかね。それで彼らが『え、どういう意味?』と聞いてきたら、『そっちがルール無用なんだからこっちも説明なんかしない。こっちとしてはお互いの時間を無駄にしないために、ネットは張りっぱなしを推奨してるんだけどね』言うたる!」 
みたいなコトを言ってます。 

似たところでは、新無神論botがこんなコト↓言うてました。 
『キリスト教徒と議論するのは、まるで鳩とチェスをするようなものだ。こちらがどれだけチェスが得意でも、彼らは好き放題駒を倒し、ボードの上で糞をし、勝ち誇ったように歩き回る。』 

上手いこと言うなぁ…。 

あと『合理的な論議で打ち返し世論によって掣肘をすることができる』ってどういうレベルの話なんですかね? 
例えば誰かが暴力に訴えても、言論によってそれを批判できるならOKなんですか? 
違いますよね? 
批判できても殴られた傷は治りません。 
同様に、批判できてもヘイトスピーチによって受けた心の傷も治りません。 
「批判で反論できるんだからOK」なのは、あくまで議論内の話です。 
議論ではない、暴力やヘイトスピーチには当て嵌まらないでしょ…ポパーだって『合理的な論議で』って言ってるんだし。 
それを都合よく無視して論議以外の話に押し広げるのはやめていただきたいものです。 


◉《ポッパーは不寛容な人々が「拳固やピストル」で自らの教説を押し付け、反対者の自由を禁じようとしたときについて、「不寛容なものたちを寛容しない『権利』を要求するべきである」と述べるものです。そしてまた、ポッパーは民主主義の完成がそうした逆説を克服するとも予言しています。》 
   ↓

暴力はアカン、いう話ですよね。 
じゃあ構造的暴力であるヘイトスピーチも同じ扱いで良いのでは? 

あとまだ民主主義は完成してないよね。 
ヘイトスピーチ垂れ流す様な人がいっぱいいる今の社会のどこが民主主義の完成だって話だし。 
そういう人たちがいなくなれば、そらわざわざ規制する必要もなくなるよね~。 
それまでは規制が必要では? 


◉《ポッパーの哲学の寛容なところは、自由な批判の応酬によって、人は正しい道へと少しずつ近づいていけるのだと示したことです。「自分が間違っていてあなたが正しいのかもしれない。そして努力すればわれわれは真理にもっと近づけるであろう」という標語とともに。》 
   ↓

ヘイトスピーチ大好きなネトウヨさんはしばしば(ポパーの好きな)「反証可能性」のない議論を持ち出すよね。 
例えば「あなたたちの主張には証拠がないでしょ」という話をしても「それは特定民族が政治とマスコミを牛耳ることによって隠されているのだ」という陰謀論に逃げ込んだりする。 
なので彼らは「自分が間違っていてあなたが正しいのかもしれない」とは思わない。 
ポパーはそういう反証可能性のない主張は切り捨てろ、と言ってる訳ですが。 

あと保守はヒトの理性に懐疑的なので、「そして努力すればわれわれは真理にもっと近づけるであろう」とは思わないのでは? 
保守は人間への不信がスタート地点。 
・人は愚かなので理性など信用できない 
・歴史の風雪に耐えてきた既存の社会システムは信頼性が高く、支持できる 
・故に、急に大きな変更は加えるべきではない。左翼の「革新的な社会」といった設計主義は失敗する 

…というのが保守主義の根底な訳です。 
ちなみに私、この悲観的で厭世的な世界観は大好きです。 
唯物論とか禅とかと同じ匂いがぷんぷんするよね! 

私自身、過去には「話し合いで解決できる」と考え、ネトウヨさんと対話していましたが、今はそうは思えません。 
そもそも彼らの方がしばしば「話し合いで解決すりゃ苦労はないんだよ、だから平和主義はお花畑なんだよ」的な主張をし、実際に話し合いのテーブルに着こうとすらしない訳で。 
しかし、この「話し合いで解決できないこともある」という認識については彼らが正しかったと言わざるを得ません。 
「人の理性が当てにならないということを、自らの愚かしさをもって証明する」とは…こりゃ一本取られましたね! 

元「と学会」会長の山本弘は、これまで多くのトンデモさんと対話したけど誰一人として改宗はさせられなかったそうです。 
したがって、私が(ネトウヨさんを含む)トンデモさん批判をしているのは、彼らを説得するためではなく、他の人が彼らの様にならないためです。 
トンデモにつける薬はありませんが、ワクチンならありますからね(そしてこのワクチンというアナロジーすら、反ワク陰謀論の台頭で伝わりにくくなるという皮肉)。 


◉《ポッパーはこうも述べています。「自由の敵たちはいつのときも自由の擁護者に破壊の罪名で非難してきた。」ポッパーは民主主義に多大な信頼をよせた哲学者の一人であり、彼の言っていることは、まず対話を行うということです。》 
   ↓

…ネトウヨさんの側が対話を否定してヘイトスピーチを垂れ流してる訳ですが。 
あと国粋主義的で民主主義自体を否定しがちだし。 

それと、専門家ほど歴史修正主義や創造論などのトンデモとは議論してはならない、という問題も。 
トンデモさんサイドにしてみれば、専門家を議論の場に引きずり出し、世間に「ほーん、学界でも論争中で、どっちにもそれなりに理があるんや」と思わせただけで大成功。 
下駄を履かせてもらって対等に扱われ、両論併記でトントンに持ち込んでしまえば大勝利です。 
これはライバル関係にあったリチャード・ドーキンスとスティーヴン・ジェイ・グールドが「あの人たちと議論しちゃダメ~!」という共同声明を発表しようとしたほどの問題です(…が、その直前にグールド死去)。 


◉《というか、該当する箇所がどこかわからず、この分厚い本を最初からずっと読み通すはめになりました……まさか注釈の抜粋とは……。》 
   ↓

都合次第で、あれほど大好きなポパーの言葉を急に卑小化し始める青識さん。 
ついでに言えば…青識さんのこれらの反論を錦の御旗にして得意げになってるネトウヨさんとかお見かけしますが、そんなに青識さんの言葉が信用に値するなら、青識さん自身はネトウヨさんについては否定的であることも忘れないでいただきたいものです。 

あと逆に、実は「寛容のパラドックス」がポパーと全くの無関係だったとしても、それはそれで何も困りません。 
名言の類はかなりの割合でその発言者とされる人の言葉ではなかったりしますが、名言であることに違いはないでしょう。 
それに例えば、もしチャールズ・ダーウィンが『種の起源』を書いてなくても、アルフレッド・ラッセル・ウォレスなど他の誰かが類書を書いた筈です。 
それと同じで、ポパーがいなくても哲学者の誰かが「不寛容のパラドックス」について述べたでしょう。 
ポパーほどの自由主義者はなかなかいないのであれば、その人はもっと強火で表現規制を主張したかもしれませんね。 
また、ポパーは偉大でしたが、誰も無謬ではありません。 
例えばポパーはダーウィニズムを「反証不能」だと否定し、後にそれを撤回しています。
そのダーウィンもまた現代にも通用する先見性を持った偉大な人物でしたが、ラマルキズムを受け入れる等のミスも犯しています。 
ダーウィンを金科玉条の如く扱う必要はないのと同様、ポパーを金科玉条の如く扱う必要もまたないでしょう。 


◉《ちなみにいちおう付言しておきますと、当該書でポッパーが自由の敵として批判しているのは、ヘイトスピーチというよりもマルクス主義です。》 
◉《自由主義をあれほど愛したポッパーを援用して、あたかも表現規制を肯定したかのように述べるのは絶対許せないので、何度でも反論しますよ。》 
◉《前にも書きましたが、ポッパーが想定した「不寛容」の中身は、マルクス主義による共産党独裁が想定されています。したがって、当該部分を援用して言えるのは、暴力革命を引き起こすような思想に対する不寛容であって、ヘイトスピーチのことではありません》 

   ↓
この辺は前述した部分とカブるので割愛。 


(ここのみウルフワンさんによる発言) 
◉《思想には全面的に同意しているわけではありませんが、あなたの言論の自由を守る姿勢には全面的に共感する者です。 
私も言論の自由は非常に大事なものだと考えていますが、暴力革命を引き起こすような主張に対してはある程度は不寛容であってもいいでしょうか?》 

↓ 
◉《いいえ。そうは思いません。革命を説くような思想であろうと、表現の自由は認められるべきです。ポパーの場合、東西冷戦の真っただ中で、共産主義革命の脅威が身近なものとしてあったため、「注釈」を付けざるをえなかったのでしょうが、私は余計な付け足しだったように思います。》 
   ↓

つまり脅威が身近に迫っていればポパーほどの自由主義者であっても表現規制を肯定せざるをえなかった、ということですよね。 


◉《もちろん、これは歴史を知る者の傲慢で、後知恵にすぎません。私は持てる思想的な力のすべてを注ぎ込んで自由を擁護した哲学者・ポパーに、心の底から敬意を払いたいと思います。》 
   ↓

その辺はご随意に~。 





あと、青識さんが持ち出すポパーの大著の註釈部分、Wikipediaにあったので引用してみましょう。 


Wikipedia:寛容のパラドックス 
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哲学者カール・ポパーは、1945年に『開かれた社会とその敵』第1巻(第7章、注4)においてこのパラドックスを定義した[2]。 

「寛容のパラドックス」については、あまり知られていない。無制限の寛容は確実に寛容の消失を導く。もし我々が不寛容な人々に対しても無制限の寛容を広げるならば、もし我々に不寛容の脅威から寛容な社会を守る覚悟ができていなければ、寛容な人々は滅ぼされ、その寛容も彼らとともに滅ぼされる。――この定式において、私は例えば、不寛容な思想から来る発言を常に抑制すべきだ、などと言うことをほのめかしているわけではない。我々が理性的な議論でそれらに対抗できている限り、そして世論によってそれらをチェックすることが出来ている限りは、抑制することは確かに賢明ではないだろう。しかし、もし必要ならば、たとえ力によってでも、不寛容な人々を抑制する権利を我々は要求すべきだ。と言うのも、彼らは我々と同じ立場で理性的な議論を交わすつもりがなく、全ての議論を非難することから始めるということが容易に解るだろうからだ。彼らは理性的な議論を「欺瞞だ」として、自身の支持者が聞くことを禁止するかもしれないし、議論に鉄拳や拳銃で答えることを教えるかもしれない。ゆえに我々は主張しないといけない。寛容の名において、不寛容に寛容であらざる権利を。 

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…こうして見ると、青識さんは随分と自分に都合よく、ポパーが表現規制に慎重になっている部分だけを切り出していることが解ります。 
この部分を全体として見ると、「ギリギリまで議論は尽くすべきだが、不寛容には断固としてノーを突き付けるべきだ」というポパーの強い意志が窺えますよね。 
ポパーにスゲー敬意を抱く割に、都合よく歪めてないですか…? 

まぁこの青識さんという人は、自分はあまり強い主張はせずに相手の矛盾をチョンチョンつつくというやり口を得意とする方。 

これって911陰謀論者とかにありがちですよね。 
具にもつかないことでどこまでも喰い下がり、「この陰謀論者め!」とか言われると「は? 私は別に陰謀があったなんて言ってませんよ。ただおかしな点があるからもっと調査が必要だ、と言ってるだけです」とすっとぼけ。 
陰謀を信じてないなら何でそんなに必死なん? 

1860年オックスフォード進化論争において、トマス・ヘンリー・ハクスリーはサミュエル・ウィルバーフォース大司教からの 
「ふーん、で、その祖先のサルってのは、君の父方? 母方?」 
みたいな質問に 
「別にサルが祖先でもかまへんのやで。誰かさんみたいに、素晴らしい才能を嫌味にしか使わない輩と血がつながってる方が恥だし」 
的に返した、と言われてます。 
青識さんもその素晴らしい知性を何故かリベラルへの皮肉にしか使わず、強いリベラル批判も保守擁護もしないの何でだろう。 

ちなみに先ほどの進化論争はかなりの部分が伝説で、実際は混乱の中で何があったかは詳細不明だし、ハクスリーもウィルバーフォースも勝利宣言しててどっちが勝ったとも言えないのですが、おおむねこんな感じの応酬があったのは事実の様です。
現在のネットと一緒でワロタ。 

話題が生物系に偏ったついでに触れておくと、青識さんにはこんな発言も。 


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青識亜論(せいしき・あろん) 
@BlauerSeelowe 
優生思想的な発想がどこまで許されるのかという点について、もちろん「劣性遺伝子保持者」の出産を抑止しようとすることが許されないとしても、例えばある種の国家にとって有益な才能を持つ人々の出産に対して、国が特別に補助金を出すことは許されるか、などは思考実験としてありえそうですね。 
午後6:01 · 2020年7月25日·Twitter Web App 
166 件のリツイート 215 件の引用ツイート 507 件のいいね 

青識亜論(せいしき・あろん) 
@BlauerSeelowe 
「劣性」という表現は誤解を招くとの指摘を頂いていますので、「劣等な」ぐらいに修正させてください。いわゆる生物学的な劣性遺伝を指しているのではありません。紛らわしい表現で申し訳ありません。 
午後7:24 · 2020年7月25日·Twitter Web App 
64 件のリツイート 45 件の引用ツイート 128 件のいいね 
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劣性遺伝の意味を理解していなかったのは別にいいのですが、バッチリ間違ってたのに『誤解』とか『紛らわしい表現』とか、訂正の仕方がカッコ悪い…! 
典型的な「謝罪になっていない謝罪」ですね。 


この前の有馬哲夫批判のエントリといい… 
ポパーを振りかざす右派はろくでもないの法則でもあんのか?


【参考】 

2022年4月2日のエントリ
『右翼系の本を読んでみる2 有馬哲夫編(前編)』 

http://wsogmm.livedoor.blog/archives/14087696.html


2022年4月3日のエントリ
『右翼系の本を読んでみる2 有馬哲夫編(後編)』 

http://wsogmm.livedoor.blog/archives/14087738.html


ついでに、先述のTogetterへのコメントがココ↓にあるのですが… 


【CERON】 
『ポパーと寛容のパラドックス、その誤用について - Togetter』 

https://ceron.jp/url/togetter.com/li/1198591 


何や皆さん「誤用だ」「誤用だ」時代劇みたいに言うてはります。 
気になるものをピックアップすると… 


◉引用するなら、せめて読みましょうね。ちなみに、本論ではなくて注釈部分なので、ご注意を。 
青識亜論(せいしき・あろん)(@BlauerSeelowe) - 2021/07 

◉ツイフェミさん達がポパーを理解していないことの証左 
エリザベート嬢@アンケートにご協力ください!(@LXtL49Ld6oK3G5Y) - 2021/01 

◉絶対このフレーズ貼ってる人はまとめの内容は理解できないんだよな。理解できないからこそ貼って歪めた理屈で主張する訳で。 
やあき@2500連休突破(@akrmyt11) - 2018/08 

◉寛容と不寛容。絵だけ出して浅いこといってるのがいるなと思っていたらちゃんと解説してくれてるのがあった。こっちは読んでみて素直にせやな。と思うような内容。自説に有利な事を切り取り引用はすぐにバレるし浅いので考えてないことすぐ分かるような・・・。 
ほえほえ@DX塾(@hoehoe1234) - 2018/08 

◉これに反発してる人達が却って差別の体現者でしかなくなっていく辺りの様子、軽くホラーだよなぁと感じるの。表面をなぞって念仏を唱えて解決するほど簡単じゃ無いから反差別は難しい。 / “ -…” 
ティン🦐きゃす(틴 주조)(@tincasts) - 2018/07 


…では順に取り上げて行きましょう。 

◉《引用するなら、せめて読みましょうね。ちなみに、本論ではなくて注釈部分なので、ご注意を。》 

…と、青識さん自ら発言。 
これ、「該当部分を読め」と言ってるのか、「通読しろ」と言ってるのかよく判りませんが… 
該当部分についてなら、問題が山積みなのは前述の通りです。
通読なら… 
宗教の人は議論になるとしばしば「わが教団に入信して聖典を読んでもっと勉強すれば解りますよ」とか言い出すのですが、 コレもそれと同じですよね。 
一次ソースにあたるのは重要ではありますが、あらゆるジャンルの全てのソースに当たってさらにその原典を通読するのは不可能です。 
例えば、有能で専門領域の違う研究者同士がお互いに「その問題について語りたければせめてアレとコレくらいは読みたまえ! この分野の常識だ!」とか言い出したら収集つかないじゃないですか。 
まぁそうやって戦線を拡大していくうちにうやむやにするのがお好みな人もいる様ですが。 

こういうのは大抵、実際には自分的にもかなり難解なことをさも基本であるかの様な顔してマウントを取ってくるもんです。
『ビッグバン☆セオリー ギークなボクらの恋愛法則』でも、天才物理学者シェルドンがエンジニアのハワードにわざと難しい授業を行う、というエピソードがあるし。 
青識さんは別のつぶやきではこの部分を『めちゃくちゃ分厚い哲学書の中の、それも注釈』と言ってるんですよね。 
つまり「普通は読まねーよ」って自分でも思ってるんじゃないですかね。 
そしてそう指摘されたら指摘されたで「分厚い哲学書を読みこなすことなんて基本中の基本でしょ」ムーヴでさらにマウントしてくるに5000ペリカ。 
ついでに言えば、私も先ほどの話を持ち出して「劣性遺伝も知らないなんて!」とマウントを取ろうと思えば取れますが、そういうペダンティックな態度を取ろうとは思いません。 
劣性遺伝の意味なんて、メタルギアソリッドの中でも間違えられてたし。 


◉《ツイフェミさん達がポパーを理解していないことの証左》
◉《絶対このフレーズ貼ってる人はまとめの内容は理解できないんだよな。理解できないからこそ貼って歪めた理屈で主張する訳で。》 
◉《寛容と不寛容。絵だけ出して浅いこといってるのがいるなと思っていたらちゃんと解説してくれてるのがあった。こっちは読んでみて素直にせやな。と思うような内容。自説に有利な事を切り取り引用はすぐにバレるし浅いので考えてないことすぐ分かるような・・・。》 
◉《これに反発してる人達が却って差別の体現者でしかなくなっていく辺りの様子、軽くホラーだよなぁと感じるの。表面をなぞって念仏を唱えて解決するほど簡単じゃ無いから反差別は難しい。 / “ -…”》 


…とか言ってる人たちが『ポパーを理解していない』上、『まとめの内容』におかしな点があること『は理解できないんだよな。理解できないからこそ貼って歪めた理屈で主張する訳で。』Togetter『だけ出して浅いこといってる』。『自説に有利な事を切り取り引用はすぐにバレるし浅いので考えてないことすぐ分かるような・・・。』反差別に『反発してる人達が』何やらいろいろ言ってるけど、結局のところ『差別の体現者でしかなくなっていく辺りの様子、軽くホラーだよなぁと感じるの。表面をなぞって念仏を唱えて解決するほど簡単じゃ無いから反差別』批判『は難しい。 / “ -…”』 

…という超絶ブーメラン。 


さて、そんな青識さんですが、最近こんなの↓発見。 


【ゆあチャンネル】 
『【孤絶】青識亜論さん、構ってくれるひとがいなくなった淋しさを呟きに滲ませる。』 

https://yourchannel.blog.jp/archives/13642927.html 


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青識亜論(せいしき・あろん) 
@BlauerSeelowe 
フェミニストのみなさん、それからリベラルのみなさんに顕著なのですが、なんで「対話しなくてもいい理由」とか「議論しなくてもいい理由」を一生懸命、探そうとするんでしょうね。そんなにも対立者が愚劣なら、簡単にチャチャッと論破してしまえばいいだけの話なのに。 
午後9:48 · 2022年3月3日 
956 返信 共有 
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…トンデモさんを見れば分かる通り、愚劣なのに論破できない人っているよね。 
ていうか論破されてるのに気付いてない人。 
mixiの懐疑主義系コミュでは昔、こういう人をモンティ・パイソンのスケッチ(ネタ)になぞらえて「黒騎士」って呼んでたなぁ…。 

元ネタはコレ↓ 
https://www.youtube.com/watch?v=ZmInkxbvlCs 


で、この青識さんのツイートに対する『他の皆さんの意見』↓がふるってます。 

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kmm295猫 
@kmm295 
自分が対話するに値する人のなのかどうかの検証を忘れてますよ。 


ケーススタディ 
@kidAmous 
不二家はパパミルク味のミルキーを作れって署名を作る度を越した悪ふざけを批判されたら「悪ふざけじゃありません!本気でやってます!」と強弁するような人と対話したい人、いるとおもいます?自業自得ですよ 


安達瑶b『内閣裏官房』5刷です 
@adachib 
「簡単にチャッチャッと論破されているのに」「それに気がつかない無敵の人」を相手にするのは、単に時間とリソースの無駄だから。 


時安邦治 
@opalpanda 
「簡単にチャチャッと論破」って、すでに対話じゃないよな。


詭弁やダブスタを許さない市民の会 
@kdycp 
対話に値する人間かが大事だからじゃね?論点逸らしだの詭弁だの、そんなんばっかりやってる人間と、いったい誰が対話するんだよ。自己評価高すぎだろ。 


小熊のおやびん🧘🏻‍♀月 
@30000kaikamu 
対話のふりをした嫌がらせに耳を傾けるのは時間の無駄だからじゃないですか? 
それと対話すること自体悪意の拡散に繋がりますから。 
それを好む仲間とワチャワチャやって楽しんで下さい。 



ケイタク 
@keitaku1110 
はい論破、はい負けました。 
そんなもので事態がどうにかなるような愚劣な社会になったらそれこそ人類はお終いだ。 



まんなっか 
@mannakkayo 
論破が目的の方とは議論や対話しても建設的でないからでは?( ;・ω・`) 


南条 
@sunset2943 
こんなまともに他者と会話する気ゼロなのが丸わかりなやつが「対話です!」とか言ってきたら「チーズバーガー2個やるからどっか行ってくれ」となっても仕方ない 


Shigeru Kono 
@Shigelangelo 
この人は対話を論破合戦と思ってるようですが、その時点でもう対話は成り立たない。自分から対話を拒否してますね。しかも対話が成り立たないのを相手のせいにしてる。近頃こんな勘違いをよく目にするようになった。 


葵真碧(mao aoi)@棘は永久BANされましたw 
@maochin39blue 
その「論破」とやらにどれ程の意味があるのかわかってないんだな。この人。 


紅い狸ハート青ハート黄 
@Nyctereutes1834 
対話や議論はの目的は、相手を「論破」することではない。 
互いの認識をすり合わせて共通の理解を得ることが目的である。 
根本の目的を勘違いしたまま、絡みに行くから相手にされないのでは? 



セヴァストーポリ 
@uge4g 
(訳)ぼくちんに構ってくれないとさびし~よ~ 


流 竜馬 
@ngr_ryoma 
論破されても、それを理解できない相手に対しては、どこまでつきあえばいいのか…? まあ、自分で「論客」なんて称しちゃう人だからな。独自の世界観があるのだろう。 


深澤うろこ@文学ラジオかくしゃべ 
@fukasawauroko 
「簡単にチャチャッと論破」するための議論なんか時間の無駄ですね 


イナモトリュウシ ∃xist🫒@キモオタサハ 
@yksplash_ina 
あんたに「対話する価値がない」だけでしょ 


Lhasa 
@AtTheBlackLodge 
みんなが青識さんルールでTwitterやってないだけだと思いまっす。 


ハート青ハート黄マーマー神かもしれないハート青ハート黄 
@metamer 
少なくともパパミルク太郎君に関しては「その価値も必要性もない」からですね。 
だって対話とか議論は勝負して論破することが目的じゃなく、意見を交わすことにより互いに気づきや理解を得ることですよ。 
チャチャっと論破なんてくだらないこと言って、底の浅さを露呈して楽しそうですね。 



つりがねむしハート青ハート黄 
@Tsurigane_mushi 
自分が「対話」という名のシーライオニング(延々と「何故ですか」と言い続け、相手にだけ説明責任を負わせる)等の「言葉の嫌がらせ」をやり続けた結果、「あいつらは本当は対話の意思がない」と判断されたのを、「リベラルは対話する気がない」とすり替えるの、いかに対話する価値がないかを証明してる 


中間系アカウント@第4の道 
@1RUtKkm0siUxizt 
すみません。あえて申し上げます。これには青識さんにも原因があるかと思います。 
対話はディスカッションでありディベートではありません。青識さんはディベートと捉える向きがあります。重要なのは論破ではなく、妥協点を探ることでは無いでしょうか。 



ルディ@Kalimba練習中 
@Rudy_hul 
「チャチャっと論破」 
こういうオタク臭いとこで信用無くしてるのまだ分からんの…
ああ言えばこう言う、こう言えばああ言うで論点を変え、ポジションを変え、匿名掲示板時代から続く便所のラクガキの方法論で不毛なやり取りを延々続けるあんたらが「俺は論破された~」なんて思うわけないじゃん。 



ケーススタディ 
@kidAmous 
・自分から延々と質問を続け相手を疲弊させる 
・「えーと」「あの」「うん」「ですから」を多用し、相手を小馬鹿にした態度を隠そうともしない 
・そのくせ自分が答えに詰まったら「はぁ」「そうですか」と不貞腐れる 

こんな人と対話なんかしたくないです。 


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…えらい言われようやな! 
しかしいちいちごもっとも。 

昔mixiの懐疑主義系コミュにこんな感じの人がいて、全く問題がなさそうなこと(それこそただの挨拶とか)にまでいちいち噛みついてくるので、議論好きで粘り強い懐疑主義者にも敬遠されて「猜疑主義者」とか呼ばれてたよーな。 


ちなみに青識さんは「丁重に質問を繰り返すことで相手を疲弊させるシーライオニングだ」だの何だのと批判されました。 
ソクラテスの問答法(産婆術)というのも「相手に質問を繰り返して矛盾をつつき、誤りに気付かせる」というものであったらしく… 
いやソレ「悪魔の二歳児」か一休さんに出てくる「どちて坊や」なんじゃ…? 
そもそもあまりに「どちて?」を繰り返し、根拠の根拠を遡及していくと、『ミュンヒハウゼンのトリレンマ』…つまり、果てしの無い「無限退行」か、話が同じところをぐるぐる回るだけの「循環論法」か、「理由はないの! とにかくそうなの!」で話を打ち切る「ドグマの導入」のいずれかに行きついちゃうんですけどね~…。 






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