佐藤優
2022年06月04日
※前回エントリの続き。
【これまで】
佐藤優『「悪」の進化論』をのぞいてみちゃう 前編
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/14882211.html
佐藤優『「悪」の進化論』をのぞいてみちゃう 中編
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/14882224.html
(承前)
P.505では佐藤優はマクグラスからこんな部分を引用しています。
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われわれが探求しようとしている2つの概念―「心のウィルス」と「ミーム」という概念にも同じことが言われるに違いない。どちらも科学の正統派の学会誌に掲載されたことがない。両方の概念とも、反主流派の人々につきまとうが、その概念が証拠に基づいているからというよりも、それらが潜在的に反宗教的である(そして容易に誇張される)との理由から、主として擁護されている。
これら二つのうちで、さらに信じがたいのは、「心のウィルス」という概念である。一九九〇年代、ドーキンスは神が健康な心に感染するある種の心のウィルスであるとの考えを紹介した。それは強力なイメージであり、HIVによる身体の感染症やコンピュータ・ウィルスによるソフトウェアの感染の危険性にますます気づくようになった一般の人々の心に訴えるものであった。ウィルスは、汚らわしく破壊的である。そしてそれは、まさしくドーキンスが伝えたい神への信仰に関するメッセージなのである。
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『どちらも科学の正統派の学会誌に掲載されたことがない』
…かつては専門のジャーナルまであったし、「ミーム 論文」でぐぐってもいろいろ引っかかりますけど?
ミームにも物理的な実体や構造がある筈なので、仮想的なものながら、「ミームの図」なるものも存在します。

図は『現代思想』1992年5月号(特集 ドーキンス)より。
あと生物学者は『ウィルスは、汚らわしく破壊的』という、ヒトの偏見丸出しの捉え方はあまりしてないと思うです。
むしろ美しいとすら思ってるんじゃないですかね…
ドーキンスなら「能動的で生殖系列の自己複製子のうち、極端なショートカットを行うもの」くらいに考えてそう。
そしてそれは神というミームにもそのまま当てはまります。
勿論、宗教攻撃に利用している面は否定しませんが、マクグラスが言うほどの「汚らわしく破壊的」な意味はなさ気。
マクグラスさんも元生物学者ならそれくらい判ってそうなものだけど、わざとやってるんでしょーか?
つーか、宗教ビリーバーは神を批判されるとすぐに不敬だの、神への冒涜だとのと騒ぐけど、どんだけ豆腐メンタルやねん…。
彼らが相手にしてる無神論者って↓こういう辛辣かつ真理を突いた言葉をぽんぽん出してくる人らやで…?(こちらもドーキンスbot・無神論系botより)
◉『「侮辱」というのは、信仰脳がそれ以上論理的に議論できなくなったときに掴む最後の綱だ』 ― リチャード・ドーキンス
◉『あんたが不快に感じるからと言って、あんたが正しいということにはならない』 ― リッキー・ジャーヴェイス
◉『あいつは勘弁してやれ。部族の習慣が自然の法則だと信じてるんだから』 ― ジョージ・バーナード・ショー
◉『時間・痛み・困窮というコストをともなうにもかかわらず、普遍的に見られる過剰な宗教的儀礼は、進化心理学者にとって、マンドリルの赤いお尻のように鮮やかに、宗教が適応的なものであることを示すものであるにちがいない』 ― マレク・コーン
◉『われわれは他人の宗教を尊重しなければならないが、あくまでそれはその人の奥さんが美人だとか子供が賢いという言い分を尊重するのと同じ意味と程度においてのことである』 ― H・L・メンケン
…なお、宗教さんサイドは「あんた地獄に落ちるわよ!」という、事実に反する不快な脅迫とか平気でしてきたことをお忘れなく~。
そういう人たちのモラルって一体どうなってるんでしょーかね…。
P.507でも↓マクグラスの引用が。
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しかし、生物学的なウィルスは、単なる仮説ではなく、同定され、観測可能であり、その構造と作用機序が突き止められている。それとは対照的に、この仮説としての「心のウィルス」は、本質的に反論の多い解釈であり、ドーキンスの気に入らない観念の信用を傷つけるために考案された。
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『この仮説としての「心のウィルス」は、本質的に反論の多い解釈であり』
って…宗教関係者以外でそんなん言ってる人いる?
こういう「仮説」という言葉で信頼感を貶める作戦は、創造論者が進化論攻撃によく使うやつですね。
「進化論は仮説に過ぎない」ってやつね。
ところが科学者さんサイドは
「ん? 勿論、科学は全てが仮説だよ?地球が丸いことだって仮説だし」
と思ってるので、
創造論者「進化論は仮説だ!(つまり信頼性が低く、定説にはなってない!)」
科学者「お、おう…そうやで(他のあらゆる理論と同じく、進化論も仮説だしなぁ…で、それがどうしたの?)」
創造論者「認めよったー! 俺らの勝ちや!」
みたいになりがち…
マクグラスさんも元生物学者ならそれくらい判ってそうなものだけど、わざとやってるんでしょーか?
(大事なことなので2回言いました)
さらにP.509で佐藤優は↓こう言います。
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ここでのマクグラスの指摘はシャープだよね。
ドーキンスが言っている「心のウィルス」って検証できる? できないよね。一方のウィルスの存在は様々な検査や観測によって検証できる。一方検証不能でありもう一方は検証可能。
でも、ドーキンスは読者に対して「あなたは心のウィルスに感染しています」「あなたの信仰している上は心のウィルスが作り出したものですよ」と脅かすわけだね。そして「キリスト教なんて悪い宗教だから、私が治療してあげましょう」「そうすれば、あなたは幸せになりますよ」と言う訳だけど。そうなるとドーキンスのやっている方がよほど悪質な宗教じゃないか?
そもそも「神は心のウィルスだ」と言う命題は反証不可能だよね。「神はウィルスじゃない」という証明はできない。第一、宗教というのは心の中にあるものであって、現代科学はその心の正体さえ解明できているとは言えないわけだから、その反証は二重に不可能だ。反証不可能な命題は科学の俎上には乗らない。科学において重要な事は反証が可能であるということだからね。
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…いや、なんで「ウィルス」と「ミーム」を並べて考えるねん…
並べるべきは「神」と「ミーム」やろ。
反証不能を持ち出すなら神こそが反証不能であり、振る舞いのパターンどころか存在すらも証明されてないやん…。
「反証可能性」とか「悪魔の証明」とかオカルトさん・トンデモさん側が懐疑主義的な用語を持ち出す時は自分たちがそれを全く守ってない定期。
ドーキンスはこう言っています。
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創造論者は現代における、太陽が地球を回ると信じていた天動説支持者と同等だ。しかし、天動説ですら、ある程度の証拠に基づいていた。少なくとも、地球と太陽が存在してることは分かってるからね。
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佐藤優のこの辺の議論は、「家畜の品種と人為淘汰は実証的だから認めるが、新種の形成は実証的でないから認めない」とする創造論者の手口と似てますね。
つまり進化論者は「育種と進化」や「ウィルスと神様ミーム」は似ている、と説得するのですが、アンチは「家畜やウィルスは実証的だが、進化やミームはそれほど実証的でない」と言い立てるのです。
しかしそもそも進化論者は「より実証的な例」として家畜やウィルスを説得材料に挙げている訳ですから、家畜やウィルスの方が実証的なのは当たり前じゃね?
それって「大人より子供の方が体が冷えやすい理由」を「ほら、お風呂のお湯よりコップのお湯の方が冷めやすいやろ?」と説明したら「子供と大人の体格差はコップと浴槽ほど極端じゃないからそれは説明になってない!」と言われた様なもんなんじゃ…。
ちなみに進化論者の育種を持ち出すやり方は、「断絶があるように見えるものも実際には中間段階を経てなめらかにつながる」という進化論的な発想が見てとれて興味深いよね。
『そもそも「神は心のウィルスだ」と言う命題は反証不可能だよね。「神はウィルスじゃない」という証明はできない。』
↓
…いや、ソレ『悪魔の証明』やん…
「○○ではない」といった消極的事実の証明は困難なので、「ない」とする側にそんな証明はする必要が無くて、挙証責任は「ある」と主張する側にあります。
したがって通常、佐藤優に出来るのは
「ないことは証明できないんだから、僕らは『神はウィルスじゃない』ことを証明する必要はないよね?
挙証責任があるのはそっちなんだから、さぁやってみて下さいよ、うりうり」
と迫ることだけです。
それを
「『神はウィルスじゃない』という証明はできない→反証不可能→科学の俎上には乗らず棄却」
ってどういうコトやねん…。
そんなんがアリなら同じロジックで
「神は存在しないという証明はできない→反証不可能→科学の俎上には乗らず棄却」
だって成り立つよね?
もっと言うなら
「私が神でないという証明はできない→反証不可能→科学の俎上には乗らず棄却」
だって成り立っちゃうよ?
めっちゃカオース!
佐藤優、『悪魔の証明』も『反証可能性』も全然理解できてへんやん…。
『第一、宗教というのは心の中にあるものであって、現代科学はその心の正体さえ解明できているとは言えないわけだから、その反証は二重に不可能だ。』
↓
脳科学の発達が追いついていないため、ミーム学には今のところ実証的な研究が少ないのは確かです。
でもそれは「原理的に反証不能」という訳ではなく、単に科学の成熟度の問題なので、佐藤優の「反証不可能」は的外れですよね…。
「心の正体」も単に未解明なだけで、原理的に解明不能な訳ちゃうやろ…
「反証可能性がない」というのは「原理的に反証する方法がない」ことであって、技術的問題がクリアになってないとかのコトとは違うんですけど。
それに「心」は科学の対象として実際に様々な方法でアプローチされ、多くの知見が得られてるのにそれは完全スルーですか?