佐藤優

2022年06月04日


   ※前回エントリの続き。 


   【これまで】

佐藤優『「悪」の進化論』をのぞいてみちゃう 前編

http://wsogmm.livedoor.blog/archives/14882211.html

佐藤優『「悪」の進化論』をのぞいてみちゃう 中編 
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/14882224.html




   (承前)







P.505では佐藤優はマクグラスからこんな部分を引用しています。 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 われわれが探求しようとしている2つの概念―「心のウィルス」と「ミーム」という概念にも同じことが言われるに違いない。どちらも科学の正統派の学会誌に掲載されたことがない。両方の概念とも、反主流派の人々につきまとうが、その概念が証拠に基づいているからというよりも、それらが潜在的に反宗教的である(そして容易に誇張される)との理由から、主として擁護されている。 
 これら二つのうちで、さらに信じがたいのは、「心のウィルス」という概念である。一九九〇年代、ドーキンスは神が健康な心に感染するある種の心のウィルスであるとの考えを紹介した。それは強力なイメージであり、HIVによる身体の感染症やコンピュータ・ウィルスによるソフトウェアの感染の危険性にますます気づくようになった一般の人々の心に訴えるものであった。ウィルスは、汚らわしく破壊的である。そしてそれは、まさしくドーキンスが伝えたい神への信仰に関するメッセージなのである。 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

『どちらも科学の正統派の学会誌に掲載されたことがない』 

…かつては専門のジャーナルまであったし、「ミーム 論文」でぐぐってもいろいろ引っかかりますけど? 
ミームにも物理的な実体や構造がある筈なので、仮想的なものながら、「ミームの図」なるものも存在します。 
FullSizeRender
図は『現代思想』1992年5月号(特集 ドーキンス)より。 


あと生物学者は『ウィルスは、汚らわしく破壊的』という、ヒトの偏見丸出しの捉え方はあまりしてないと思うです。 
むしろ美しいとすら思ってるんじゃないですかね… 
ドーキンスなら「能動的で生殖系列の自己複製子のうち、極端なショートカットを行うもの」くらいに考えてそう。 
そしてそれは神というミームにもそのまま当てはまります。 

勿論、宗教攻撃に利用している面は否定しませんが、マクグラスが言うほどの「汚らわしく破壊的」な意味はなさ気。 
マクグラスさんも元生物学者ならそれくらい判ってそうなものだけど、わざとやってるんでしょーか? 

つーか、宗教ビリーバーは神を批判されるとすぐに不敬だの、神への冒涜だとのと騒ぐけど、どんだけ豆腐メンタルやねん…。 
彼らが相手にしてる無神論者って↓こういう辛辣かつ真理を突いた言葉をぽんぽん出してくる人らやで…?(こちらもドーキンスbot・無神論系botより) 


◉『「侮辱」というのは、信仰脳がそれ以上論理的に議論できなくなったときに掴む最後の綱だ』 ― リチャード・ドーキンス 

◉『あんたが不快に感じるからと言って、あんたが正しいということにはならない』 ― リッキー・ジャーヴェイス 


◉『あいつは勘弁してやれ。部族の習慣が自然の法則だと信じてるんだから』 ― ジョージ・バーナード・ショー 


◉『時間・痛み・困窮というコストをともなうにもかかわらず、普遍的に見られる過剰な宗教的儀礼は、進化心理学者にとって、マンドリルの赤いお尻のように鮮やかに、宗教が適応的なものであることを示すものであるにちがいない』 ― マレク・コーン 


◉『われわれは他人の宗教を尊重しなければならないが、あくまでそれはその人の奥さんが美人だとか子供が賢いという言い分を尊重するのと同じ意味と程度においてのことである』 ― H・L・メンケン 


…なお、宗教さんサイドは「あんた地獄に落ちるわよ!」という、事実に反する不快な脅迫とか平気でしてきたことをお忘れなく~。 
そういう人たちのモラルって一体どうなってるんでしょーかね…。 



P.507でも↓マクグラスの引用が。 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 しかし、生物学的なウィルスは、単なる仮説ではなく、同定され、観測可能であり、その構造と作用機序が突き止められている。それとは対照的に、この仮説としての「心のウィルス」は、本質的に反論の多い解釈であり、ドーキンスの気に入らない観念の信用を傷つけるために考案された。 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

『この仮説としての「心のウィルス」は、本質的に反論の多い解釈であり』 
って…宗教関係者以外でそんなん言ってる人いる? 

こういう「仮説」という言葉で信頼感を貶める作戦は、創造論者が進化論攻撃によく使うやつですね。 
「進化論は仮説に過ぎない」ってやつね。 
ところが科学者さんサイドは 
「ん? 勿論、科学は全てが仮説だよ?地球が丸いことだって仮説だし」 
と思ってるので、 

創造論者「進化論は仮説だ!(つまり信頼性が低く、定説にはなってない!)」 
科学者「お、おう…そうやで(他のあらゆる理論と同じく、進化論も仮説だしなぁ…で、それがどうしたの?)」 
創造論者「認めよったー! 俺らの勝ちや!」 


みたいになりがち… 
マクグラスさんも元生物学者ならそれくらい判ってそうなものだけど、わざとやってるんでしょーか? 
(大事なことなので2回言いました) 



さらにP.509で佐藤優は↓こう言います。 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ここでのマクグラスの指摘はシャープだよね。 
ドーキンスが言っている「心のウィルス」って検証できる? できないよね。一方のウィルスの存在は様々な検査や観測によって検証できる。一方検証不能でありもう一方は検証可能。 
 でも、ドーキンスは読者に対して「あなたは心のウィルスに感染しています」「あなたの信仰している上は心のウィルスが作り出したものですよ」と脅かすわけだね。そして「キリスト教なんて悪い宗教だから、私が治療してあげましょう」「そうすれば、あなたは幸せになりますよ」と言う訳だけど。そうなるとドーキンスのやっている方がよほど悪質な宗教じゃないか? 
 そもそも「神は心のウィルスだ」と言う命題は反証不可能だよね。「神はウィルスじゃない」という証明はできない。第一、宗教というのは心の中にあるものであって、現代科学はその心の正体さえ解明できているとは言えないわけだから、その反証は二重に不可能だ。反証不可能な命題は科学の俎上には乗らない。科学において重要な事は反証が可能であるということだからね。 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

…いや、なんで「ウィルス」と「ミーム」を並べて考えるねん… 
並べるべきは「神」と「ミーム」やろ。 

反証不能を持ち出すなら神こそが反証不能であり、振る舞いのパターンどころか存在すらも証明されてないやん…。 

「反証可能性」とか「悪魔の証明」とかオカルトさん・トンデモさん側が懐疑主義的な用語を持ち出す時は自分たちがそれを全く守ってない定期。 

ドーキンスはこう言っています。 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
創造論者は現代における、太陽が地球を回ると信じていた天動説支持者と同等だ。しかし、天動説ですら、ある程度の証拠に基づいていた。少なくとも、地球と太陽が存在してることは分かってるからね。 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

佐藤優のこの辺の議論は、「家畜の品種と人為淘汰は実証的だから認めるが、新種の形成は実証的でないから認めない」とする創造論者の手口と似てますね。 
つまり進化論者は「育種と進化」「ウィルスと神様ミーム」は似ている、と説得するのですが、アンチは「家畜やウィルスは実証的だが、進化やミームはそれほど実証的でない」と言い立てるのです。 
しかしそもそも進化論者は「より実証的な例」として家畜やウィルスを説得材料に挙げている訳ですから、家畜やウィルスの方が実証的なのは当たり前じゃね? 

それって「大人より子供の方が体が冷えやすい理由」「ほら、お風呂のお湯よりコップのお湯の方が冷めやすいやろ?」と説明したら「子供と大人の体格差はコップと浴槽ほど極端じゃないからそれは説明になってない!」と言われた様なもんなんじゃ…。 

ちなみに進化論者の育種を持ち出すやり方は、「断絶があるように見えるものも実際には中間段階を経てなめらかにつながる」という進化論的な発想が見てとれて興味深いよね。 



『そもそも「神は心のウィルスだ」と言う命題は反証不可能だよね。「神はウィルスじゃない」という証明はできない。』 
    
   ↓ 

…いや、ソレ『悪魔の証明』やん… 
「○○ではない」といった消極的事実の証明は困難なので、「ない」とする側にそんな証明はする必要が無くて、挙証責任は「ある」と主張する側にあります。 

したがって通常、佐藤優に出来るのは 
「ないことは証明できないんだから、僕らは『神はウィルスじゃない』ことを証明する必要はないよね? 
挙証責任があるのはそっちなんだから、さぁやってみて下さいよ、うりうり」 

と迫ることだけです。 

それを 
「『神はウィルスじゃない』という証明はできない→反証不可能→科学の俎上には乗らず棄却」 
ってどういうコトやねん…。 

そんなんがアリなら同じロジックで 
「神は存在しないという証明はできない→反証不可能→科学の俎上には乗らず棄却」 
だって成り立つよね? 

もっと言うなら 
「私が神でないという証明はできない→反証不可能→科学の俎上には乗らず棄却」 
だって成り立っちゃうよ? 
めっちゃカオース! 

佐藤優、『悪魔の証明』も『反証可能性』も全然理解できてへんやん…。 



『第一、宗教というのは心の中にあるものであって、現代科学はその心の正体さえ解明できているとは言えないわけだから、その反証は二重に不可能だ。』 

   ↓ 

脳科学の発達が追いついていないため、ミーム学には今のところ実証的な研究が少ないのは確かです。 
でもそれは「原理的に反証不能」という訳ではなく、単に科学の成熟度の問題なので、佐藤優の「反証不可能」は的外れですよね…。 

「心の正体」も単に未解明なだけで、原理的に解明不能な訳ちゃうやろ…
「反証可能性がない」というのは「原理的に反証する方法がない」ことであって、技術的問題がクリアになってないとかのコトとは違うんですけど。

それに「心」は科学の対象として実際に様々な方法でアプローチされ、多くの知見が得られてるのにそれは完全スルーですか?

それに「信用できるのはデータのみ」でやってた行動主義への反省から、認知科学はモデル先行でデータからは出てこない研究が普通にあります。 

「宗教は心の中に」というのは、『隙間の神』にしか見えません。 
神は昔は宇宙の全てを統べていましたが、科学による解明がすすむことで神の居場所はどんどん減っていきました。 
そこで宗教関係者は「未だ科学の明かしていない未知領域にこそ神がいる」と主張する様になりました。 
科学的知識の隙間に神がいる、という訳です。 

それが(今のところ)宇宙で最も複雑な物体であるヒトの脳の中、つまり心だと。 
逆に言えばもう他に神の隠れる隙間って無いんですよね…。 

こんなん「カッパは文明に追われたけど、人のいない山奥にはまだいる」みたいなモンやろ… 



『反証不可能な命題は科学の俎上には乗らない。科学において重要な事は反証が可能であるということだからね。』 

   ↓ 

まぁ前述の様に佐藤優は反証可能性を理解してるとは思えないんですが… 

カール・ポパーの『反証可能性』は主に物理学系で考えてたため、歴史や進化など「一度しか起きないこと」は追試も再現実験もできず、反証しづらいんですよね… 
ポパーも当初は進化論を科学として認めませんでしたが、後に態度を軟化させています。 
ポパーは「共産主義」「精神分析」「進化論」という、当時の知的流行の全てを『反証可能性』によってぶっつぶそうとしました。 
◉「弁証法を持ち出せば何とでも言える…反証不能だから共産主義は間違ってる!」 
◉「『○○が原因だ』と診断され、本人が認めればそれが原因、認めなくても『否認するのは抑圧の証拠。だから○○が原因だ』となる…反証可能性のない精神分析は間違ってる!」 
◉「追試も再現実験もできない、そんな反証可能性のないものは科学ではない…進化論は間違ってる!」 

という訳ですね。 
しかし進化論だけはつぶせませんでした。 

ちなみに集団遺伝学を築いたJ.B.S.ホールデンは進化論を反証するものとして「カンブリア紀のウサギの化石」を挙げています。 
…めっちゃ反証可能やん! 

あと『反証可能性』といえば、佐藤優がお好きなパラダイム論って反証できんの? 
アレこそ科学の発展の仕方についてのひとつの解釈で、データに裏打ちされてないんですけど。 
あとクーンのパラダイム論自体がポパーの反証可能性に否定的なんだけど、その辺はどうなってるんですかね…? 



メンデルの遺伝の理論は説明力は高いですが、「遺伝する粒子」が何かは当時は不明でした。 
ニュートン力学は科学史上稀に見る説明力の高さ・切れ味の良さを誇りますが、重力の正体はいまだによくわかっていませんよね?
よく分からなくても説明力が高ければそれは科学に取り入れられます。
霊とか超能力とか神の存在もよくわかっていませんが、これらを科学に組み込まないのは説明力が低いからです。 
こんなん導入したところで何の予想も立ちません。 

ミーム学的解釈だと「しばしば宗教家が妻帯を禁じられる理由」は「ミームの自己複製により貢献させるため」とエレガントに説明できます。 
宗教的解釈だと「神がそれを望んでるから」とか「それが神への忠誠を表すから」とかしかないですよね? 
そして「何故、他の行為ではなくそれを神が望むのか」「何故、他の行為ではなくそれが神への忠誠を表すのか」という新たな謎を生み、疑問は解決しません。 



そもそも選択(淘汰)は「変異」と「生存率の差」と「遺伝」があれば起きます。 
新幹線N700系の先頭形状にも使用されている遺伝的アルゴリズムによる設計手法とか、コンピュータによる進化シミュレーションとかが成り立つのもこの原理のおかげです。 
で、文化だってその3要素を満たしているのだから、当然 選択(淘汰)が起きる筈だ、ということで考え出されたのが「ミーム」という概念な訳です。 
そして遺伝子と同様にミームにも「持ち主の役には立っていないが、自身のコピーに長けた寄生者」がいる筈だ、と強く予想され、実際にそうとしか思えないものがいくつも見つかりました。 

これのどこがおかしいのでしょうか? 
おかしいというのならどこがおかしいのか、3要素が揃っているのに選択(淘汰)が起きないというのならその理由はどこにあるのか、指摘するべきです。 

そうでなければ 
「いくらいろいろ並べられても、私は納得できないな~…」 
と言い垂れるだけの『個人的懐疑に基づいた論証』に過ぎません。 
911陰謀論やアポロ計画陰謀論の信者によくこういう人がいますね。 
あと 
「これが神の助けなしに自然に生じたなんて信じられない!」 
とか言っちゃう創造論者とかね。 



ドーキンスを拝金教呼ばわりした時、佐藤優は↓こう言いましたよね? 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「ヒトはお金で動く」、それをもうちょっとソフィスティケートして言うと「ヒトは利害得失のみによって動く」ということをドーキンスは暗黙の裡に前提にしている。ということは、ドーキンス自身がそういう価値観を持っている人だということだよね。「カニは自分の甲羅に合わせて穴を掘る」。そういうことだよね。 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

そして↓ココではこう言う訳です。 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 でも、ドーキンスは読者に対して「あなたは心のウィルスに感染しています」「あなたの信仰している上は心のウィルスが作り出したものですよ」と脅かすわけだね。そして「キリスト教なんて悪い宗教だから、私が治療してあげましょう」「そうすれば、あなたは幸せになりますよ」と言う訳だけど。そうなるとドーキンスのやっている方がよほど悪質な宗教じゃないか? 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

で、後者の発言を前者に当て嵌まめるとこうなりますよね? 


「ヒトは宗教で動く」、それをもうちょっとソフトにして言うと「それは悪い宗教だから、私が正しい道に導いてあげましょう」「そうすれば、あなたは幸せになりますよ」ということを佐藤優は暗黙の裡に前提にしている。ということは、佐藤優自身がそういう価値観を持っている人だということだよね。「カニは自分の甲羅に合わせて穴を掘る」。そういうことだよね。 


…つまり佐藤優理論を佐藤優自身に当て嵌めれば、佐藤優が「ドーキンスのやってることだって宗教だ!」と言いつのるのは、佐藤優自身が宗教的な発想を持っているからに過ぎない、ということになるんじゃないですかね…。 


てか、そもそもミームって、ドーキンスは「自己複製子は遺伝子だけではない」という例として出しただけで、あまり強い主張はしてないんだよなぁ…。 
例えばWikipedeaの『ミーム』の項には↓こうあります。 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ダーウィニズムの有効性について議論したジャロン・レニエとドーキンスの対談 "Evolution:The discent of Darwin" の中で、レニエはミームについて、「アイディアは遺伝子のできないことでも何でもできます。私たちは,その長期的価値に基づいて,その直接の生存可能性に基づいてではなく,アイディアを保持しておく能力をもっています。アイディアは,絶滅すること無く,互いに影響しあうことがありえます。」と述べ、ドーキンスは「あなたの言うことの大部分には賛成するよ。しかし,もし私のもともとのミームについての提案を見れば,それが完全にレトリック上の手段だったことがわかるはずさ。人々に,彼らが今読んできた利己的遺伝子についてのことはあるけれど,DNAがすべてじゃないってことを分からせるためのね。ミームは表現手段を提供したんだ。遺伝子だけが自己複製する存在ではないというための。たぶん,アイディアも同じ役割を演じているんだとね。私は,ミームがヒトの文化を説明するものだなんて言ってないよ。」と述べた[12][注 2]。 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

…まぁコレは流石にドーキンスも言い過ぎな気もするけど… 
ドーキンスはスーザン・ブラックモアの『ミーム・マシーンとしての私』に序文を寄せて、「ミーム関係は深入りするつもりないから他の人に任せた!」みたいな態度を表明してたりもするので、それを強めに言うとこうなるのでしょう。 

それに宗教だけが心のウィルスじゃないし。 
Wikipediaの『ミーム』の項には以下のものがマインド・ウィルスとして挙げられています(元ネタはおそらくリチャード・ブロディの『ミーム―心を操るウイルス』でしょう)。 
●CM  
●テレビ番組  
●ジャーナリズム  
●陰謀論  
●政府  
●宗教  
●迷信 
●ブラックマーケット 
●ペット 
●キャラクター  
●ネズミ講  
●マルチ商法  
●電話会社のキャンペーン  
●カルト(非宗教的なものも含む) 
●巨大企業 


私ならあと「歌・音楽」「チェーンメール」「(クダンやアマビエ等の)予言獣」を入れますね。 




目についたのはコレくらい。 

この本、博覧強記の著者がいろんな話をしていて面白いです。 
一部に誤解は見られるものの、進化論を一応は理解してるし、特に進化論否定もしてません。 
進化論は間違っている、と主張する本ではなく、進化論の「誤用」の歴史についての本です。 
しかし、よく見ると話があちこちに飛んでる隙にけっこう胡散臭い飛躍があったりします。 
特にキリスト教系大学でキリスト教徒が教えるせいか、進化論絡みになると途端にあちこちにヤバい匂いが… 

進化論者なら
「偉大なダーウィンを社会がこの様に悪用した」 
と書くであろうところを、宗教信者は
「ダーウィンの悪影響は社会にこの様に残っている」 
的にちょっとニュアンスが異なるというか、わざわざダーウィンの印象が悪くなる方向へ誤解が生じる書き方をしちゃってる感じ。 

昔、『別冊宝島45 進化論を愉しむ本』というムックがあって、沼田寛という科学ライターが 
「進化論はキリスト教の天敵として発達してきた。 
したがって進化論には近代の有害なエキスが大量に入っている。 
勿論、現代進化論ともなるとソフィスティケートされて殆どわからないが、その匂いを嗅ぎ分けるのはほぼカイカンである。 
皆も嗅いでどんどん中毒になろう!」 

みたいな文章を書いていたのですが…【※註】 

この表現、「進化論」と「キリスト教」を逆にするとこの本にこそ相応しい気が…。 



ちなみに佐藤優は 
『佐藤優さん、神は本当に存在するのですか? 宗教と科学のガチンコ対談』 
という本も出しているのですが… 
コレ進化論系トンデモの女王・竹内久美子との共著なんだよなぁ…。 

この本、『宗教と科学のガチンコ対談』と銘打ってる割に、何故か佐藤優が宗教界代表、トンデモさんの竹内久美子が科学界代表、イラストは哲学的な様でいて哲学の素養はなさげなヨシタケシンスケ、という地獄の三つ巴…。 








【※註:『別冊宝島45 進化論を愉しむ本』】 

この本こそ私が進化論にハマったきっかけのひとつ。 
今思うと反ダーウィニズム臭が強かったなぁ…。 
沼田寛の文章も反ダーウィニズム系ながらユーモラスでめちゃめちゃ面白く、未だに影響を受けてるかも。 


(00:03)

2022年06月02日


   ※下記のエントリの続き。 




『佐藤優『「悪」の進化論』をのぞいてみちゃう 前編』
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/14882211.html




   (承前)






続いてP.465からが先述の『ヒトラー、スターリン、ドーキンス』という小見出しの部分。 
おさらいするとココは 

●物理学者のフリーマン・ダイソンが宗教分野でのテンプルトン賞を受賞し、ヒトラーもスターリンも無神論者であることに言及。 
ドーキンスはこれに反発し、『世界でもっとも代表的な物理学者の一人による宗教の承認』であると述べた。 
●無神論といっても、何も信じないヒトラーと、無神論を内包する共産主義を信じるスターリンは違うよね 
●宗教は酷い事をしたけど、無神論者だってそれ以上にひどいことしてるやんけ、とマクグラスは指摘している 


という話でした。 
この部分はこう結ばれています。 

P.468 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
無神論だから科学的であり、なおかつそうした知的態度が人間にとって良き事柄なんだとは全然言えない。無神論か、神を信じているかということは、科学から独立している事象であり、また倫理観も科学から独立した事象だ。 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

…確かに、無神論だから科学的、とは限りません。 

例えばオカルトに対して否定的な人の中には、健全な懐疑主義に依るのではなく、無根拠に頭から否定する「オカルト否定派」がいます。 
これは非科学的な態度です。 

しかし、否定派が非科学的だからといって、肯定派が科学的ということになる訳ではありません。 
きちんと調べもせずに否定する否定派も、きちんと調べもせずに肯定する肯定派も、同じくらい無根拠で非科学的、というだけのことです。 

「オカルトに否定的」が必ずしも科学的でないのと同様に、根拠なく頭から神を否定するタイプの無神論は科学的とは言えないでしょう。 
しかしだからといって宗教が科学的になる訳ではありません。 
一部の頭ごなしの無神論と同様に、宗教もまた非科学的だというだけのことです。 


倫理観などの価値観は科学の守備範囲外です。 
しかし、「神が存在するかどうか」は事実の問題であり、それは科学の独壇場です。 
そこに宗教の出番はありません。 
『無神論か、神を信じているかということは、科学から独立している事象』なんてこと、全くないっしょ…。 

ちなみにドーキンスのライバルであったグールドは『重複しない教導権』(事実に関することは科学の守備範囲で、価値観に関することは宗教の守備範囲)という考え方を提唱しました。 
コレに対してドーキンスは 
「宗教は『処女が妊娠』とか、『海が割れた』とか、事実命題にもいっちょかみしてくるやんけ! 
あとなんで価値観が宗教の独占物みたいになっとんねん…無神論者にもモラルはあるわ!」 

的におかんむり。 




さらにP.469で佐藤優はこう言ってます。 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
要するに、ドーキンスは「ダイソンとかアインシュタインは本当は神様を信じていないんだけど、神のような概念を尊重するとか宗教に敬意を払っているふりをしているだけに過ぎない」と批判している。つまり、そのように振る舞ったほうが、無知蒙昧な一般人が喜ぶからだというのがドーキンスの解釈だ。 
 でも、それが正しいとすれば、なぜダイソンやアインシュタインは大衆を喜ばせたいわけだろう? それは要するに、世間を敵に回したら得にならない。さらにそれを別の言葉で言えば、お金が儲からない。だから、そういうふりをしているんだというのがドーキンスの主張なんだね。 
 でも、ここで端なくもドーキンスが信じている宗教が現れているよね。それはどういう宗教だろう? Tくんは何だと思う? 
(T) 金儲け教というか……。 
まさにその通り。いわゆる拝金教だね。 
「ヒトはお金で動く」、それをもうちょっとソフィスティケートして言うと「ヒトは利害得失のみによって動く」ということをドーキンスは暗黙の裡に前提にしている。ということは、ドーキンス自身がそういう価値観を持っている人だということだよね。「カニは自分の甲羅に合わせて穴を掘る」。そういうことだよね。 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

…え、ドーキンスはダイソンやアインシュタインの煮え切らない態度を批判してるのに、ダイソンやアインシュタインと同罪扱いなの? 
何で? 

批判者を批判される側と同罪にしちゃうのって、ネトウヨさんがしばしば持ち出す 
「どうしてこれを差別だと思ったんだ? その言葉が差別だと判るということは、その人の中に差別心があるということだ」 
とかと同じやん… 

仮に「防衛機制ガ―!」「投影ガ―!」とかを持ち出して、無理くり同罪にできたとしても… 
「『あいつら、結局は金で動いてるだけや!』と指摘するドーキンスこそが実は拝金教だ」 
というなら、 
「『ドーキンスは結局、拝金教や!』と言ってる佐藤優こそが拝金教だ」 
ということになるのでは…? 

これってネトウヨさんがヘイトスピーチを指摘された時にしばしば持ち出す 
「そうやって『差別、差別』と騒ぐ奴こそが差別者やぞ」 
とかの言葉が、発言者自身にも適用されるので結局は「ネトウヨさんは差別者」になるのと同じやん…。 

「アホ」という発言に「アホって言う方がアホ」と言い返して、「ほな今アホって言ったお前もアホやんけ!」で瞬殺される小学生かよ…。 


なお、上記の引用部分の小見出しは 
『はたしてドーキンスは無神論者か?』 
というものなのですが… 

これって無神論者に向かって 
「お前かて『無神論という宗教』の信者やんけ」 
と言い立てる、宗教側のお馴染みの手の変奏曲ですよね。 
『無神論という宗教』が『拝金教』に変わっただけ。 


ちなみに「お前かて『無神論という宗教』の信者やんけ」論については、 
「聖書かて『種の起源』かて印刷物という点では一緒やんけ」 
と言われた様なもので、 
「無理くり共通点を探してくるけど、えらい遠いな~…」 
としか。
宗教も無神論も「何かを信じる」点では同じだ、と言いたいのでしょうが… 
無神論は盲信ではなく、証拠が我々に信じることを強いるのです。 
ソコ、全然違うから! 


あとそもそもドーキンスって言うほど拝金教か…? 

わざわざこんなん↓作ってますけど。 


Wikipedia:「リチャード・ドーキンス」の項より↓ 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ドーキンス財団 
2006年にドーキンスはNPOの「理性と科学のためのリチャード・ドーキンス財団(英語版)」(RDFRS)を設立した。財団は発展途上にある。イギリスとアメリカで慈善財団として認められている。RDFRSは信仰と宗教の心理学研究、科学教育プログラムや科学教育教材、世俗的な慈善団体などへの支援、融資を計画している。またウェブサイトを通じてヒューマニズム、合理主義、科学に関する情報や科学教材の提供を行っている[80]。 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

それに著書の中でも、わざわざ脱線してまで 

◉科学界でしばしば研究室のボスが自分を論文の共著者にする様に強要することへの嘆き
◉ディベートで自分が信じてもいない立場を擁護することへの批判 


…といった話をしています。 
モラルめちゃめちゃ高い…ぐう聖やん。 


「ヒトは利害得失のみによって動く」というのはまぁ話のレベルによるよね… 
深いレベルの話をすれば、自ら殉教した聖人だって宗教的法悦とか矜持とか自己満足とか、そういった心理的な利得…自分の利益のために殉教を選んだ訳で。 
でもそういうコト言い出すと誰だってそうで、ドーキンスに限った話じゃなくなるよね。 
「ドーキンスは『ヒトは利害得失のみによって動く』という価値観を持っているのだ」 
と言いたいのであれば、日常のレベルでドーキンスの行動原理を見ていく必要があるでしょう。 

Twitterのドーキンスbotや無神論系botにあるドーキンスの言葉から、利得と宗教に関係するものをいくつかピックアップしてみると… 


◉『宗教が慰めをもたらすからといって、宗教が正しいということにはならない』 

…慰めという「利得」よりも「正しさ」を取ってますね。 


◉(神がいなかったらどうして善人でいられるのか?という問いに対して)『それは道徳ではなく単なるご機嫌取りかゴマすりであり、空にある巨大な監視カメラや、あなたの頭の中であらゆる動きや卑しい考えさえ監視している盗聴器を気にしているだけではないか?』 


◉『善良に振る舞う唯一の理由が、神の承認と報酬を得るためだと本気で言うつもりか?それは道徳じゃない。ただの媚びへつらいだ。』 


…信仰こそが倫理ではなく「利得」によるものだと糾弾。 


◉『私たちが道徳的であるために神を必要とするというのが、たとえ真実であったとしても、それで神が存在する可能性がより高くなるわけではなく、単により望ましくなるだけのことにすぎない』 

◉『…たとえ全ての無神論者は容赦なくつづく苦悩によって神経症に苛まれ自殺に追い込まれるとしても、宗教上の信念が正しいと言うことを証拠立てる上で毛ほどの役にも立つまい』 


信仰による利得にも、無神論による損失にも、ドーキンスは全く無関心ですけど? 


◉『宗教は、極めて多くの悪の根源だ。』 

◉『多くの信仰心篤い人々は、宗教がなければ人がどうして善良でいられるのか、或いは善良でありたいと望むことすらできるのか、想像しがたいと感じている。この疑問はさらにエスカレートし、同じ信仰を共有しない人々に対する憎しみの発作へと信仰をもつ人々を駆りたてる』 


…と、宗教の罪を追求。 


◉『道徳的な行動と、宗教への帰属、実践あるいは信条の間に有意な正の相関があれば、じきに発見されるだろう…極めて多くの宗教団体がそのことに関する伝統的信念を科学的に実証しようと必死になっているからである(彼らは自分たちの信念を支持してくれる場合には、科学の…力に深く感銘を受ける)』 

…科学への領域侵犯もチクリと批判。 


◉("反パスカルの賭け"として)『ごく小さな確率ながら神の存在がありえることを認めると仮定してみよう。だがそれでも不在に賭けたほうが、存在に賭け、神を拝み、犠牲を捧げ、神のために闘い、死ぬ、そんなことに時間を浪費するよりも充実した人生を送れるだろう』 

…『パスカルの賭け』というのは、 
「神を信じれば、神がいた場合に天国での永遠の命を得る。神がいなくても失うものはない。よって信じるべき」 
という、キリスト教徒であった数学者パスカルの考えのことです。 
ドーキンスはそれに対して「神を信じることで失うリソースめっちゃあるやん」と反論し、「自分なら『反パスカルの賭け』に出るね!」と言ってる訳ですね。 
つまり利害得失の点から神を信じるべきだという議論を持ち出したのはドーキンスではなくキリスト教の側なんよね…。 


…そしてドーキンスはこう言います。 

◉『死んだあとも再び生きることができるなんて甘い考えを持つな。そんなことは起きない。一つしかない人生を最大限に生きなさい。』 


…この比類なく高潔な人物のドコが『ヒトはお金で動く』『ヒトは利害得失のみによって動く』『そういう価値観を持っている人』なんですか? 


というか、普通に考えても『ヒトは利害得失のみによって動く』から『拝金教』は急に飛躍しすぎやろ…。 


そもそも『利己的な遺伝子』って、煎じ詰めれば 
「動物は遺伝子の利害得失によって動く様にプログラムされている。一見、利他的に見える行動も遺伝子レベルでは実は利己的。だが我々はミームによってそれに反乱を起こすことができるのだ」 
って本やぞ… 
別に利他主義を否定してないし、それどころか遺伝子の利己主義からの脱却を叫んでいるのに。 





   ※字数制限のため次回に続く。 


(00:10)

2022年05月31日


昨年、
『同志社大学講義録 「悪」の進化論 ダーウィニズムはいかに悪用されてきたか』 
という本が出ました。

IMG_5776


著者は有名な佐藤優です。 
一応 説明しておくと、肩書は作家で、元外務省主席分析官。 
同志社大学大学院神学研究科を修了後、外務省に入省しています。 
この人は政治思想的には左右を問わず様々な文化人とバランス良く交流しており、特にヤバい匂いはしません。 
本書は母校である同志社大学(キリスト教系)での講義内容を書籍化したもの。 



目次を見てみると、↓こんな感じで全体が7講に分かれています。 


第1講 
トランプも悪用した「進化論」のロジック 

第2講 
今も残る「社会進化論」の害毒 

第3講 
ナチズムの父はダーウィンだった? 

第4講 
歴史もまだ「進化」するか―唯物史観 

第5講 
スターリンに影響を与えたダーウィニズム 

第6講 
宗教になった「マルキシズム」 

第7講 
「神殺し」をするドーキンス進化論 



…なんかこの世の悪は全て進化論と結びつきそうな勢い。 


では第1講『トランプも悪用した「進化論」のロジック』を読んでみましょう。 

あのトランプさんが進化論を悪用したとか超気になる~! 
そもそも共和党の票田は国民のおよそ3割を占めるキリスト教福音派。 
つまりトランプさんは創造論と親和性の高い層に支えられてるのに、進化論を持ち出すことなんて出来るんでしょーか? 

第1講は70ページ以上あるのですが、ワクワクしながら読み進めると… 
ん? 
トランプさんどこ? 

第1講にはトランプさんの名前は3カ所にしか出てきません。 

P.78では、成り上がりのセレブの例として名前が出てくるだけ。 

あとはP.77の 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
トランプとかを含めて、アメリカ人の基本的な発想にはこの社会進化論が今でも底流に流れている。 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

と、P.80の 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  •  これはアメリカ学ではきちんと教えてくれないことなんだ。アメリカの人種偏見は単に路上で起きているだけじゃない。今はBLM運動とかでアメリカは騒乱状態になっているけれども、警察に撃ち殺されると言う形での人種偏見は分かりやすい。でも、そうではなくて、社会の深層に潜り込んでいて、外から見えない人種差別がある。それが、ここでいう社会進化論なんだ。いわゆる新自由主義経済思想だって、この社会進化論を根っこにしている。それだけアメリカ人のエリートにも深い影響与えている。トランプ大統領の出現にしても、それはこの社会進化論に由来していると言える。 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

…これだけ。 
たったこれだけで『トランプも悪用した「進化論」のロジック』とか言っちゃってんの。 
何ですかこの風が吹けば桶屋が儲かるシステムは。 


ちなみに第7講には『ヒトラー、スターリン、ドーキンス』という小見出しがあります。 
こちらも 
「お、ドーキンスがヒトラーやスターリン並みのやらかしを…?」 
と思っちゃいますよね? 
ところがこの部分は要約すると以下の程度のことでしかありません。 

●物理学者のフリーマン・ダイソンが宗教分野でのテンプルトン賞を受賞し、ヒトラーもスターリンも無神論者であることに言及。 
ドーキンスはこれに反発し、『世界でもっとも代表的な物理学者の一人による宗教の承認』であると述べた。 
●無神論といっても、何も信じないヒトラーと、無神論を内包する共産主義を信じるスターリンは違うよね 
●宗教は酷い事をしたけど、無神論者だってそれ以上にひどいことしてるやんけ、とマクグラスは指摘している 


…またタイトルだけ大げさな羊頭狗肉システムかよ! 
あ、マクグラスという人については後述します。 




続いて第1講で気になるのは↓ココ。 

P.44 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
パラダイムは徐々に変化していくのではなくて、非連続に交代していく。つまり、断絶があって発展していく。この考え方というのは実は、ダーウィンの進化論にもひじょうに親和性が高いよね。 
ダーウィンの考え方では、ヘビのような動物が鳥のような動物に進化していくプロセスはかならずしも連続的ではない。ある時点で突然変異が起きて、バーンと跳ね上がるような形で進化が起きる。だから、パラダイム論というのも進化論とひじょうに似ている。 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


この話はP.64でも繰り返されます。 

…でもダーウィン進化論の本質は「ちょっとずつ変化する」という『漸進主義』(グラデュアリズム)ですよ? 
そもそもダーウィンの着想の根本にあったのは『斉一説』を唱えたライエルの著書『地質学原理』だし(その件は本書のP.52でも触れられてるんですけどね…)。 
『斉一説』というのは、「地形は主に風化や浸食など小さな力が長年かけて作る」という説のことです。 
これに対して「火山や地震などによって急にできる」とするのが『激変説』。 

遺伝学は当初、「形質って急に変化するよね…ダーウィニズムとは相性が悪いなぁ」と思われてました。 
遺伝学イケイケの時は「ダーウィニズムはもう古い!」みたいになって死に体だったのです。 
しかしその後、ダーウィン進化論と遺伝学は統合され、『総合説』が生まれました。 
まぁ「急に変化」つってもマクロな目で見ればごく小さな変化だしね…。 

ちなみに私が進化論に興味を持ち始めた80年代にも「ダーウィニズムはもう終わり」とか言われてましたが、それから四半世紀経ってもその兆候はありませんね…。 

なお、突然変異によってクソデカ進化が起きるという『跳躍説』というのもありますが、今ではダーウィニズム嫌いの人がたまに持ち出すくらいで、真面目に信じる人はほぼいません。 
ゴールドシュミットという人が「すっごい変異体のことを『将来有望な怪物』と呼ぼうぜ!」とか言ってて、ネーミングはロマンいっぱいだったんだけどな~…。 

さらに後になって、グールドらによって「進化はちょっとずつ進むんやない…急速に進化した後、大きな停滞があるんや!」という『断続平衡説』が唱えられました。 
コレは「ダーウィンは間違っていた!」みたいに喧伝されましたが、ドーキンスは「ダーウィンかて進化がずーっと全く同じ速度で起きるとは思ってなかったやろ…そんなんダーウィニズムに対するちょっとした註釈や」と一蹴。 

…という訳で、進化論とパラダイム論はあまり似てません。 

あとパラダイム論自体、科学哲学の世界では今はあまり支持者がいない模様(ソースは伊勢田哲治『科学を語るとはどういうことか 科学者、哲学者にモノ申す 増補版』P.74)。 



…という訳で、第1講を読んだだけで結構アレな本ということが判ったので、後はドーキンス批判が続く第7講を何ヵ所か拾い読みする程度にとどめておきます(それでもすごい量)。 




で、第7講が始まる直前、P.442で佐藤優は 
『ドーキンスの主張を直接読むのではなく、ドーキンスを批判しているマクグラスの著作を扱う』 
と言い出します。 

このマクグラスという人は神学者ですが、元は生物学者&マルキストだったとのこと。 

そういやドーキンスのライバルだったグールドも、生物学者でゴリゴリの左翼で宗教に寛容だったよね… 
しかもドーキンスはマクグラスの批判に賛成できないとする一方で、マクグラスがドーキンスの主張をまとめる手腕は評価している模様… 
このスタンスもグールドとの関係に似ててワロタ。 
そらバトるわ。 


第7講で盛んに引用されるのはこのマクグラスの著作『神は妄想か?―無神論原理主義とドーキンスによる神の否定』。 
ちなみにその本の帯にはこうあります。 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
信仰とは非合理的なことなのか? 科学と宗教は敵対するのか? 科学者は神を信じないのか? 宗教は必然的に暴力と結びつくのか? ベストセラーとなった『神は妄想である』の著者で、熱烈な無神論者・反宗教主義者・科学的合理主義者として知られるリチャード・ドーキンスの主張を一つ一つ丁寧に検証しながら、キリスト教信仰の妥当性を探る。 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

…まぁ神学者だけあってキリスト教擁護の本だと認めてる訳ですね。 

で、ドーキンスを直接引用せず(孫引きはあるけど)、マクグラスのドーキンス批判本を引く…つまりは借り物の議論で話を進めちゃうぞ~、と宣言しちゃったも同然の佐藤優はちゃんとドーキンスを読んでるんですかね…? 
なんかP.67では『遺伝学者のドーキンス』と言っちゃってて、基本的なトコからして間違ってるんですけど。 
ドーキンスは普通、進化生物学者か動物行動学者(エソロジスト)扱いでしょ…遺伝学は違いすぎ。 

なお、P.456では『われわれ神学者』と言ってるので、佐藤優は自らを神学者だと認識している様です。 
…そうなん? 



さて、ここからようやく第7講の内容について。 



P.448ではドーキンスを『科学主義』として批判が展開されています。 
「科学を万能だと思うなよ」的な、よくある議論ですね。 
でもドーキンスは、ヒトが進化の産物ゆえに認識しがたいことがあることはちゃんと認めてるんですけどね… 
我々はヒトが扱うスケールや時間を認識しやすくデザインされているので、地質学的時間、天文学的な距離や確率、量子レベルのスケールで起きる事象を扱うのは苦手なのです。 
ドーキンスは批判者を先回りして、自説の限界やその理由をちゃんと述べる人なんよね… 
なので、「それについては私の著作をちゃんと読んでね、それについて書いてあるから」で話が終わりがち。 

あと科学に限界があろうがなかろうが、宗教はそのかわりにはならないですよ? 
オカルトさんはよく「科学にも解明できないことはある」とか言いますが、だからといって科学で解明できないことがオカルト的手法でなら解るってコトにはならんわな…それと一緒です。 


このドーキンスの先回り反論はP.454あたりでも披露されます。 
ここでマクグラスの 
「『遺伝子が道具として個体を使う』と『個体が道具として遺伝子を使う』、両方の見方が可能ではないか」 
という批判が紹介されるのですが… 

そもそもドーキンスはマクグラスに言われるまでもなく、最初の著書『利己的な遺伝子』においてネッカーキューブ(2種類の見方ができる立方体を描いた図形)のアナロジーを持ち出しています。 
つまり 
「淘汰される単位は個体なのか、遺伝子なのか? 
それは見方によってコロコロと入れ替わるが、どちらも正しく、等価なのだ」 

という主張です。 
この時点ではドーキンスは『利己的な遺伝子』という概念は「より良く理解するための見方を提供するもの」であり、実証にはなじまないことを認めていました。 

しかし2冊目の著書『延長された表現型』においてはさらに歩を進め、『個体が道具として遺伝子を使う』という個体選択論ではなく、『遺伝子が道具として個体を使う』という遺伝子選択論こそが正しいのだ、と主張するようになっています。 
例えば分離歪曲因子(セグレゲーション・ディストーター)など、個体を犠牲にして自らのコピーを最大化する利己的DNAの存在は、個体選択では説明できないですからね…。 

「個体か遺伝子か」という議論は「卵が先か、鶏が先か」という議論に似ていますが、ドーキンスはそれについては遺伝子の変化が進化をもたらすのだから卵が先だとしています。 
さらにドーキンスは 
『鶏は卵が別の卵を作る手段に過ぎない』 
というサミュエル・バトラーの言葉を引用し、 
「卵を遺伝子に、鶏を個体に置き換えればこれは正しい」 
的なことを言いました。 


ちなみにこの部分で佐藤優は 
「神学では複数の解釈が併存するのはよくある」みたいなことを言い出し、さらにP.459では 

「神学は結論ありき。 
でも科学はソレ真似しちゃダメだよね」 


みたいな話をし、さらにP.471あたりでは、 

「神学は独断論で主観やナラティブ(モノガタリ)がベース。 
自然科学は不可知論から始まり、ゼロから考え、『天動説→うまく説明できない→地動説→でも太陽系自体が動いてるよね?』と常に結論を留保する。 
なのにドーキンスって独善論だよね」 


みたいな話も出てきます。 

ドーキンスが独善論かどうかはさて置くとして、 
「神学は複数の解釈があってもいいけど科学はソレしちゃダメ。 
神学は結論ありきだけど科学はソレしちゃダメ。 
神学は独断論だけど科学はソレしちゃダメ」 

というダブスタが超気になる~! 

あと不可知論って「そんなことはどうやったって人間には解らない」という立場なのでは… 


ついでに言えば、 
「自然科学は不可知論から始まり、ゼロから考え、『天動説→うまく説明できない→地動説→でも太陽系自体が動いてるよね?』と常に結論を留保する」 
というのも怪しい気が… 
そういう素朴な科学観が成り立たないからこそ出てきたのがクーンのパラダイム論で、そのパラダイム論を第1講で持ち出したのは他ならぬ佐藤優ですよね? 
あと天動説は周転円とか導入してかなり頑張ってたし、「うまく説明できない」ってコトはなかったんじゃ…。 



P.461ではマクグラスの 
「多くの人は神を信じてる、というデータは、科学者は神を信じてないとも信じてるとも解釈可能ではないか」 
的な話が紹介されますが… 

そんなん本気で知りたかったら一般人ではなく科学者にアンケート取れや、としか…。 



P.466ではマクグラスの 
「無神論が科学に基づくのではなく、無神論者が科学に無神論を持ち込んでる」 
的な主張を、佐藤優が 
「つまり無神論寄りの人が科学者になるってこと」 
的に要約しちゃってますが… 
その2つは別のことなんじゃ…。 

それはさて置くにせよ、依然として科学者に無神論者の割合が高いことは変わりないですよね? 

あと
「無神論が科学に基づくのではなく、無神論者が科学に無神論を持ち込んでる」 
とか言い出すなら、科学者の中にも宗教信者がいることだって 
「有神論が科学に基づくのではなく、有神論者が科学に宗教を持ち込んでいる」 
とも言えますよね? 
科学者といえども伝統的・文化的な宗教の影響は強力で避けがたく、その残滓を払拭できてない人もいる、ってだけでは…? 



   ※字数制限により、次回に続きます




(00:00)