サブカルチャー

2022年12月11日




最近、↓こういうのが一部で話題になりました。


【わんこーる速報】
『【悲報】男「薬で性欲無くしたら女を『キンキンうるさいだけの豚』としかおもえなくなった」女「ギャオオオン」引用RTが地獄と化す』

http://onecall2ch.com/archives/10160717.html


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…個人的にはめちゃめちゃ女性差別的だなと思う一方で、心情的に理解できる部分もある、といったところ。
上記リンク先でも言われてるけど、この人、私と同じく性的弱者っぽいよね。
女性に対するルサンチマン溢れすぎだけど、その心情は同士としては分かりすぎる。
でも私もSSRI飲んでるけど、女性がこんな風に見えたりはしないですけどね〜…。


女性がただ「女性である」というそれだけの理由で男性から様々なサービスを受けているのは事実でしょう。
そして女性がしばしばそれに無自覚なのも。
男性側が、優遇されてるのに自覚さえしていない女性にムカっとするのはまぁ多少なりとも理解できます。

しかしそれは女性を(潜在的にであれ)性的に見た場合の話。
一人の人間として見た場合、女性は社会的に様々な不利を押し付けられています。
それを無視してこんなん言われた女性が怒る気持ちもまた理解できます。

そもそもこの見方は女性を性的にしか見てないですよね。
性的魅力を感じなくなったらまるで無価値だと言わんばかりです。
しかし、(異性愛者であれば)男性は男性に対して性的価値を感じませんが、だからと言って他の男性のことをこんな風にわざわざ貶めて表現することは通常ないでしょう。
良き友人や同僚や隣人として、仲良くできますよね。
女性が相手の場合も同じ様に、性的魅力を抜きにしても仲良くやっていける筈でしょ…

男性社会において女性は異性としては厚遇される一方で、一人の人間としては冷遇されがち




「女性の性的魅力のみに特化した」レイヤーというか、そういう角度の切り口もあるとは思うのですが、それ以外の角度を無視する理由がよくわかりません。

私の個人的な「女性像」はおよそ以下の様なものです。



――――――――――――――――――――――


デウス・エクス・マキナ(Deus ex machina)という言葉がある。
「機械仕掛けの神」という意味だ。 

ギリシャ時代の演劇では最後にいきなりクレーン装置によって神が登場し、ストーリーを強引に解決することが多かった。 
そこからご都合主義的な作劇法をデウス・エクス・マキナと呼ぶようになったという。 



ロボットもののアニメや漫画には必ず『その作品世界におけるロボットの総称』がある。 
例えばガンダムで言うところの「モビルスーツ」みたいなやつだ。 
他にも「アーマードトルーパー」とか「ラウンドバーニアン」「オーラバトラー」「メタルアーマー」「ヘビーメタル」「モーターヘッド」など、いろいろある。 
巨大ロボットを「デウス・エクス・マキナ」と総称する漫画もすでに存在する。

おかげでこの言葉も随分手垢がついてしまい、今さら取り上げるのも若干気恥ずかしい。 
まぁ巨大ロボットなんてモロに「機械仕掛けの神」だし、絶対いつか誰かがやるとは思っていたが。 

ちなみに「機械仕掛けの神」はやや誤訳で、別に神が機械仕掛けという訳ではなく、演じていたのは生身の役者。
つまり本来は「機械仕掛けによって登場する神サマ役」といった意味なのだが、それはそれとして。



巨大ロボットといえば、『謎の彼女X』という漫画がある。 
青年誌連載なのに中学生が主人公のラブストーリーで、3巻まで読んでもファーストキスもまだというもどかしすぎる展開と、唾液に執着した妙にフェティッシュな描写が個性的な作品である。 

作者は1巻の後書きでこの作品は「思春期の少年と少女の関係」を巨大ロボットアニメのアナロジーとして描いているのだ、と告白している。 

確かに男子にとって女の子というのは絶大な力を持ちながらも謎に包まれた存在である。【註1】 

ちょっとした運命のいたずらに巻き込まれて少年は女の子の唯一のパートナーとして深く関わることになる— 
こういったラブストーリーの典型的な展開は確かに「女の子」を「巨大ロボット」に置き換えれば、そのまま巨大ロボットアニメの王道である。【註2】 


そう考えれば、女の子こそが機械仕掛けの神であるのかもしれない。 
「神」と呼ぶにはあまりにはかなく物質的な、分子機械に過ぎないところなどいかにも機械仕掛けだ。 


実際、「女の子が空から降ってくる」とか、その変奏曲である「女の子がモニターの中から出てくる」といったストーリーの作品は枚挙にいとまがない。【註3】 

それらはあまりにストレートに男性の欲望に忠実であり、それ故に「ご都合主義」として批判され続けてきた。 
まさにデウス・エクス・マキナである。 


実は「棚ボタ的に異界から訪れる女性」というモチーフは民話・説話にも多い。 
「天女の羽衣」「雪女」といった超越的存在との婚姻や、「鶴の恩返し」「狐女房」といった異種婚にまつわる話がそうだ。 
これらをまとめて「異類婚姻譚」と呼ぶ。 

ただし、民話では大抵の場合、女性は最後には人間界を去ることになる。 
常ならぬ者は長く人界にいてはいけないのだろう。 


あたかも天界から神が降臨してくる様に、優しく抱きしめてくれる女の子が一人現れればそれで男の一生はOKになる。

例えばもしそんな奇跡が例の秋葉原の事件の犯人に起きていれば、あの惨劇はきっとなかっただろう。【註4】
だが現実にはそんな奇跡は起きなかった。 


勿論、女性を神の如くに扱うのは間違っている。 
それは過大評価というものだ。 
だがそもそも恋愛とはそういったものである。 

「好きな人が死ぬ」か「自分と好きな人以外の全人類が死ぬ」かどちらか選べと言われたら、迷わず人類滅亡の方を選ぶ人は少なくないだろう。 
それくらい明らかに間違った判断をしてしまうものなのだ。【註5】 

その人が微笑めば世界全体が自分に好意を持っている様に思える。 
その人を失えば世界が闇に閉ざされている様に感じる。【註6】 

もちろん、たった一人の人間が世界全体と同等の価値を持ったり、世界全体の好意度を代表しているはずはない。 



別のある角度から見れば、女性は神どころか単に「変わった霊長類」である(もちろん、男性がそうである様に)。 

「女体の神秘」などという言葉があるが、毛の少ない雌猿に過ぎない女体に神秘めいたものなどどこにもない。 
神秘があるとすれば、それは毛なし雌猿を崇高な究極の美として捉える男性の脳の方にこそ存在する。【註7】 

さらに視点を変えれば、究極的には異性もまた時間や物質やエネルギーがそうである様に、利用可能な資源のひとつに過ぎない。 




女性はユニークな猿であり、男性を根本から救ってくれる神であり、世界の自身に対する好意度の表れであり、分子機械であり、等身大の女の子であり、資源であり、比類なく美しいオブジェクトであり、対等なパートナーであり、母親の様な庇護者であり、子供の様な保護対象であり、共通の利益のために協力しあう共同経営者であり、時には裏切り者である。 

見る角度によってその姿は次々と変わっていく。 
それらのビジョンを統合できた時、女性の「真の姿」が立体的に立ち現れるのかもしれない。 
今のところ成功していないが。【註8】 


私はダメ人間なので女性に「究極の救済者」であることを求めてしまう。 
だが現実的にはそれを要求することは無理である。 

いや、むしろ一人の人間として尊敬することさえ難しいことさえある。 
私は基本的には性格重視なのだが、時には肉体的魅力にやられることもある。 
そういう時には確かに相手のことが好きなのに、「ああコイツの頭にはおがくずしか詰まってねぇし」と思ってしまったこともあった。 

「好きだから相手の全てを理解したいし、自分の全てを理解してほしい」 
若い頃はその想いを消せずに苦しんだりもした。 

今は「全てを」理解しあうのは無理だし、その必要もないと考えている。 


恋愛は人間の感情生活にとって最大の祭なのだ。 
祭には中心に置く神輿が必要だ。 
実のところ担ぎ出す神輿の中身は何でも良い。 
何であれ、祭の間はそれは神聖視される。 

むしろ神輿の中身なんて虚ろであればあるほど良い。 
必要なのはその実際の価値ではなく、祭の熱狂だ。 
ほんのひとときの、その熱量が人生を彩ってくれる。 
夏の祭の花火の様に。 


これは女性の人格を軽視しているわけではない。 
むしろ「私は女性を過大評価してしまっているけれど、本当のところはそれが間違いであることは自覚していますよ」という告白だ。 



…かくのごとく私はいらんことをぐりぐり考えてしまうタイプの人間である。 

おまけに自分で自分を止めることができない。 
そんなことをしようものなら 
「ふーん、思考停止しちゃうんだ? 楽になりたいからって、都合の悪いことから逃げちゃうんだ?」 
という自分の心の声に押しつぶされる。 

だから他者に思考停止を命令してもらうしかない。 
不思議なもので、他者の言葉はわりと無根拠に信じられる。 
ましてや神の如き救済者たる女性の口から出る言葉ならなおさらである。 
「神輿の中身は何でも良い」というのはそういう意味だ。 

私の望みはぎゅっと抱きしめられて、「もう何も考えなくていいからね」と言われたい、ただそれだけなのだ。 
たったそれだけのことで私は救済されるのに。 



じゃあセックスはいらないのか、というとそこはまた微妙な問題である。 

セックスは重要だが、性欲の処理という側面はどうでもいい。 
性欲は確かにあるが、それは何とでも処理できる。 

私にとって、セックスとは自身の存在が異性に本当に受け容れられた証なのだ。 

極論すれば、「私はセックスしてもいいくらいあなたが好きよ」と言われれば、その言葉だけで充分である。 

だが言葉は危ういものだ。 
常に嘘やお世辞の可能性がつきまとう。 
その言葉を証明するには結局のところ、実際の行為が必要になる。 



まぁ「Deus ex machina」というスペル自体、真ん中へんに「sex」って書いてあるしね。 



――――――――――――――――――――――



…そんなこんなで私は、女性差別には反対しつつも、女性へのルサンチマンには共感を覚える訳ですが…

ここでもう一つ、男性側の事情について擁護しておきたいことがあるのです。


男性は特定のタイミングで急にケチくさく振る舞うことがあります。
別れることになったり、脈なしだなと思った瞬間、それまでのデート代やプレゼント代などを回収しようと女性に請求する男性は少なくありません。
ココ↓とか見てるとちょいちょい報告されてます。


【きしょくて痛い男のLINE】
https://kishoita.com/


勿論、こういった言動は女性にはめちゃめちゃ評判が悪いのですが…
こういった「男を下げる」行動を取っちゃう男性の気持ちもある程度、理解はできます。
アレはおそらく↓こういうことなのでしょう。



「これまでは君が女性であり、(潜在的)パートナーだからいろいろとサービスし、懐が深くて、器の大きい男性であることをアピールしてきた。
だがそれももう終わりだ。
今の君のは何の値打ちもない。
だから遠慮する必要もない。
言っておくが、君に何くれとなく目をかけてきたのは君が『何もしなくても価値がある』からじゃない。
君にそんな価値などない。
あの時の食事は『君にはただ一緒に食べるだけで食事代以上の価値があるから』奢った訳じゃない。
アレはただの先行投資だ。
君には散々『投資』してきたのだから、一部なりとも回収させてもらう。
カッコ悪くても構わない。
君にダメージを与えるためならどんな手だって使う」



あるいはそれは必ずしも本心ではなく、その場の勢いで負の感情を叩きつけてしまっただけなのかもしれません。


男性はこういうところで、男女間の恋愛における不均衡──女性優位であること──に対する呪詛がちょっぴり漏れ出がち
女性は女性であるだけで恋愛市場で有利なもの(その興味深い理由については近日中に別エントリにて)。

最初から「詰みキャラ」で戦うしかない男性はホントに大変なのです。



男性のこういった器のちっちぇー言動を許してほしいとまでは言いませんが…

それでも、普段はそれをおくびにも出さない様にしている訳で、その点だけは評価してあげてほしいです。










【註1:女の子】 

ここで言う「女の子」は単に「女性」くらいの意味。



【註2:女の子と巨大ロボット】 

ロボットと女の子のアナロジーについてもう一つ。 

大槻ケンヂの自伝的要素の入った小説『ロッキンホース・バレリーナ』に興味深い描写がある。 

バンドマンになった途端に驚くほど簡単に何十人もの女の子と性的関係を持てる様になった主人公は「女の子ってガンダムに似てる」と思う様になる。 
ガンダムにはいろんな種類があって、どれも似ているのに微妙に違う。 
女の子の体も基本的なパーツの作りはみんな似てるのに、声も体温もそれぞれ微妙に違っていて同じ物は二つとない。 

主人公は「女なんて話の中身は変わりばえしないのに、体のパーツだけはみんな違う」などと考えながらガンプラを集めるコレクション感覚でいろいろな女の子と体を重ねていく、という最低な人物なのだが、この「女の子ガンダム論」にはハッとさせられる。 

女性の人格を無視した軽薄な形ではあるが、それでもここには人間の「共通性と多様性」に対する愛情が見てとれる様に思うのだ。 



【註3:女の子が空から降ってくる】 

降ってくる系だと『天空の城ラピュタ』『ああっ女神さま!』『ウィングマン』など。 

モニター系だと『ビデオガール』『AIがとまらない』など。 
あ、『リング』の貞子もそうだ。 
貞子は実は「両性具有の超絶美人」として設定されている。 

おまけに超能力者の娘でかつ幽霊、という異界度マックスの萌え萌えキャラなのだ。 

ちなみに両性具有はギリシャ時代以来、人類の理想化された姿として憧憬の対象であった。 
現在でもニューハーフやふたなりキャラは日陰の存在ながら常にニーズがある。 

ただし、実際の両性具有者(インターセクシャル)はそういったセクシャル・ファンタジーとはかなり遠い存在であり、その苦悩は深い。 

両性具有には100ほどのタイプが存在するが、その中には実際に「美形で性的魅力が高い」ことを特徴とするタイプも実在する。 



【註4:秋葉原の事件】

この事件については以下を参照。 

『ヒトのやること大体同じ:ジョーカー事件はアモクだよ説』
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/15038623.html



【註5:間違った判断】 

それでなくても我々はペットの死を立ち直れないほど悲しむ一方で、アフリカの多くの子供達を飢えさせて平然としている。 



【註6:その人を失えば世界が闇に閉ざされている様に感じる 

こういう主人公の個人的な感情が世界観に直結するよーな作品は「セカイ系」と呼ばれ、一世を風靡した。

私の場合、恋愛はトラブると「相手との関係」は棚上げでむしろ「世界と自己との関係性」とか「自分のアイデンティティー」とか「不安神経症の症状との戦い」とかの問題に突入してしまう。 
ま、目の前の問題からの逃避の可能性もあるけど。 



【註7:毛なし雌猿】

この話は何人かの女性に披露したが、すこぶる評判が悪い。


ちなみにえっちの時に意識的に「ほぉ…これが霊長類の持つフォルムのバリエーションのひとつか…」などと考えてみたりもするのだが、えっちの最中にえっちの文脈から外れることは困難であり、女性の体はどこまでも美しく見えているので女性の方々は安心されたい。 

それだけ女性の体が男性の脳を操作する力は強力なのだ。 
その力はまさに神の如く抗うことができない。




【註8:立体的に立ち現れる

軸の数が3本だと3次元、つまり立体になる。
数学的には軸の数をさらに増やしていくことも可能。
例えば軸が4本だと4次元の超立体となる。

しかしヒトの視覚は3次元立体を網膜に投影された2次元像としてしか認識できない。 
もし4次元人がいたとしたら、4次元超立体を3次元像として認識する筈である。 

「3次元像を認識する」とは…例えば立方体をあらゆる角度(断面も含む)からみた像を同時に思い浮かべ、それをひとつのイメージに統合できればOKなのだが、人間の脳にそんなことが可能だろうか?

なお、ヒット本『ケーキの切れない非行少年たち』の作者が『立方体が描けない子の学力を伸ばす』という本を出しているが…

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私は高校の頃、4次元超立方体(を2次元に落とし込んだもの)の図をそらで描いて「キモいな…」と言われていた。


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2022年11月18日



※このエントリは性的な表現を含んでいます。
一般的な意味で「性的」かどうかは分かりませんが。






今回はサブカルチャー系の本を紹介する。



昨今はサブカル流行りであり、大型書店に行けば「サブカルチャー」という本棚まであって、「サブカルってナーニ?」という人でもうんざりする量のサブカル本を目にすることができる。

本来、サブカル本というのは「分類不能な本」であり、様々な本棚を渉猟して自分の手で探すものだったのだが、便利になったものだ。

一方で「これがサブカルでございます」とばかりにお仕着せで商品を並べられるのは味気なく、やや寂しいことでもありますな。

これが面白い本を意欲的に集めた店の個性が滲み出た本棚ならまだしも、大抵の書店では売れ筋の本を並べただけの、どこの店でも似たりよったりの金太郎飴状態になっていてなんともやるせない。

そういった店に並んでいるのはセンセーショナリズムにはしったSEXマニュアルや風俗嬢の告白手記ばかりで、一体これのどこがサブカルチャーなのかと問いたくなる。
サブカルチャーとはエロネタの便利な言い換え語ではない筈なのだ。

という訳で、今回取り上げるのは私が自分の足で捜し当てた、これぞ隠れた名作と言える一冊である。


その本とは…

『私がテレフォンセックスで出会った凄まじき性癖を持つ漢たち』


…すみません。
でもタイトルに反して内容はめちゃめちゃ感動的なんですよ!
少なくとも私にとっては。

著者は元ナンバーワンテレフォンセックス嬢・菊池美佳子。
テレフォンセックス嬢というのは要するに素人を装った、店のサクラである。
本書は著者――仕事では「ミカ」と名乗っていたそうなので、ミカさんと呼ばせていただく──が7年の勤務で(電話回線上で)出会った男性客の様々な、珍奇な性癖を紹介したものである。

なにしろテレフォンセックスなので、現実には叶えることが困難だったり不可能だったりする妙なプレイを希望する客もいるのだ。
それらの中には発想がぶっ飛びすぎてて全く理解できないものもある。

私が本書を購入したのも、そういった人類の想像力の限界に挑んだ性的ファンタジーのカタログとして面白いかもしれない、と思ったからだ。


だって1回のプレイでこんなこんな設定を山盛り要求してくるお客さんとかいるですよ?


【前半】
ミカさんはOLという設定。男性の睾丸を崇拝し、頬摺りしたりする。

【中盤】
男性の前で習いたての格闘技を披露し、その最中に事故で睾丸を蹴ってしまう。
睾丸は蹴られると落っこちる、という驚愕の世界観。
片方の睾丸を落っことした男性は悶絶、体のバランスが取れなくなる。
男性の体をよく知らないミカさんはバランスを取ろうともう片方の睾丸も蹴り落とす。
ていうかそんな男体の神秘、私も知りませんでしたよ!

【後半】
一旦電話が切れ、もう一度かかってくるとミカさんは「男性の睾丸は醜いと信じ、通り魔的に男性の睾丸を蹴り落としまくってる悪の女王」という設定にチェンジ。
しかし先ほど蹴り落とされた筈の彼の睾丸は驚異の再生を遂げ、狼狽した女王は成敗される(具体的にはレイプ)。



うわぁ、オリジナリティー溢れすぎ…
「世界は奇怪な蟲たちの棲む巨大な菌類の森・腐海に沈みつつある」とかいう有名作品の設定なんてメじゃありません。
常識を軽々と超越した驚異の世界観!

ちなみに最初に睾丸を蹴り落としたのは女王ではなくOLミカさんだった筈だが…いんだよ、細けぇことは


本書にはこういった男性の個人的すぎる妄想が煮こごりになっている。
ところがそれを描写するミカさん、めちゃめちゃ良い人なんである。

どんなご無体な設定を要求されても、それがどんなに女性差別的な内容であっても…彼女は「それがこの人の性的嗜好なら」と、健気にそれを受けるのだ。

それはもはや「プロだから」とかいうレベルを越えている。

例えば完全に無言の客というのもいて、その人は電話口を「コンコン」とノックする以外、何の音も立てないのだという。
しかし彼女はその「コンコン」さえ、「無言でごめんね…」という彼の気持ちの表れかもしれない、なんて想像してみたりするのだ。

うわぁ、ええ人やぁ…

ちなみにお店はごく普通のスタッフによって運営されているそうで、「お客様は風俗に行くことができない障害をお持ちの方かもしれないから」と誠心誠意のサービスに努める様、アドバイスしてくれたりする。

どの業界もそうである様に、良い人もいればそうでない人もおり、それが人の営みである以上、そこには美談も多く存在するのだろう。

あ、ちなみにこの仕事をしてる女性たちは普通の水商売や風俗で働くのはちょっと無理めな、見た目の仕上がりがやや残念な方が多く、ミカさんもその例にもれないそうです。


本書には他にも様々な男性とその性癖が登場し、それぞれに驚嘆したり感心したりして楽しめるが、ここではこれ以上は扱わない。

唯一例外として、私が最も感動した話のみ紹介する。
「春川かおる」と名乗る男性客とのエピソードだ。

彼は40歳DTのM男性だ。
それもかなりの真正らしい。


【春川かおる ちょっとイイ話】


40歳DTというだけでいろんな女王様テレフォンセックス嬢から偏見の目で見られ、「この皮かぶり野郎が!」と罵倒されていたが、彼は包茎ではないので、そんな風に責められても興奮できない。
しかしミカさんだけは彼が包茎でないことを信じて「マゾ奴隷の癖に、ズル剥けチ◯ポだなんて生意気ね!」と逆転の発想で責めてくれ、それがいたくお気に召した模様で常連に。


SMクラブにも通っていたが、他の客もいる待合室からプレイを始める女王様に辟易。
しかしその様子を淡々と見ていた受付嬢の視線に興奮。
「受付の事務員さんを指名したい」と交渉するも店側は「あくまで事務員なので」とNG。
その話は本人にも伝わっているであろうに、それでも淡々と受け付け業務をこなす事務員に大興奮。


客は指名した女性が空くのを待つ間に指名した子と先客とのやりとりを盗聴できるシステム。
ミカさんは他の客の前ではMを演じることもあるが、春川かおるはそれを聞いて「M女として扱われてるミカさんに苛められてる自分はMの中のMだ!」と興奮。
ミカさんも「私の悲鳴でチ◯ポおっ勃てるなんて許さないわよ!」と上手くその後のプレイに取り入れていたとか。



そんな彼が急に現れなくなる。
ところが1年後、ミカさんを指名し続けてきたS男性が突然「春川かおるでございます」と名乗る。
そう、彼は一年に渡ってSのフリをしていたことを明かせば、極上のお仕置きを受けられると期待していたのである。
ミカさんはとっさに「知ってたわよ!」とアドリブで返答。
「私が気づいてないとでも思っていたの? 本当に恥知らずなマゾ奴隷ね! お望み通りたっぷりお仕置きしてあげるわ! それに、春川かおるという名前! 本名だとばかり思ってたら杉村春也の『英語教師・景子』というSM小説に出てくるマゾ主人公の名前じゃないの! 調べたのよ! 本当にお前は恥知らずね!」
と罵倒されただけで絶頂に。
以降、主従関係再開。


そんなナイスガイな春川かおるくんだが、別れの時がやってくる。
ミカさんが引退を決心するのである。

一応、素人ということになっているテレフォンセックス嬢が引退する場合、それまでの常連にわざわざそれを告げることはない。
ただある日を境に姿を消すだけだ。
ところがミカさんは一人一人に「家庭の事情でもう来れなくなる」と告げ、きちんと別れの挨拶をするのである。
別れを告げられた春川かおるはミカさんを慰留する。
だがそれが叶わないと知った彼は、こう懇願するのだ。

「僕を、ほかの女王様に譲渡してからこのSM回線を去ってほしい」
と。

ミカさんはそれに応える。
決してハードすぎるプレイや営業優先のやたらに長引かせたプレイをしないであろう、適切な後任を選んで彼を譲渡するのだ。

そして最後の日。
二人のプレイはこんな風に進む。

「私がお前をいたぶるのは今夜で最後よ! 明日からは○○女王様の奴隷として、たっぷり可愛がってもらうがいいわ!」

「ミカ女王様の仰るとおりに致します」

「あら、お前ときたら、自分の意志とは関係なく、私が選んだ女王様に譲渡されてしまうのよ! よくもまぁ、そんな屈辱的で惨めなことが耐えられるわね!」

「ミカ女王様のご命令でしたらどのようなことにも従います」

「そう。随分と感心な心構えだこと。じゃあ、そうねぇ・・・最後にもう一つだけ、お前にとっておきの命令を下してあげるわ! 確かお前は、四十になってもまだ童貞の、恥ずかしいマゾ奴隷だったわね?」

「はい、かおるは四十にもなって一度も女性とセックスしたことのない、童貞マゾ奴隷でございます」

「そりゃ、そうよ! お前のようなマゾ奴隷に、世の女性たちが体を開くわけがないでしょう!」

「はい、ミカ女王様の仰るとおりでございます」

「いいわ、自分の立場をよくわきまえているようね。それじゃ、最後の命令よ! お前は、私がこのSM回線を去ったあとも、そしてお前自身がいずれこのSM回線を去ったあとも、一生童貞のままでいなさい! 一生涯、女性とセックスすることはこの私が禁止します!」

「ああっ・・・かおるは、ミカ女王様のご命令に従い、一生涯童貞でいることを誓います」



その後、彼はもう一度だけ電話をかけてきたという。
プレイのためではなく、本当に最後の挨拶のためだけに。
涙声で。
「もちろんプレイもお上手でしたが、それだけでなく、ミカ女王様のお優しいお人柄があったからこそ、こんなにも長くお仕えできたのだと思います」

応えるミカさんもいつの間にか泣いていた。
ミカさんは最後にこう言ったという。

「新しい女王様によく可愛がってもらうのよ! プレイだけじゃなくて、仕事のほうも体に気を付けて頑張りなさい。プレイにのめり込みすぎて借金などしてはダメよ! テレフォンセックスは、お小遣いの範囲で楽しむものよ」



…なんといういたわりと友愛じゃ。
王蟲が心を開いておる!



春川かおるは…
ミカさんの選んだ女王様に仕える限り。
童貞であり続ける限り。
常にミカさんの命令に忠実な奴隷であり続ける。
それが、ミカさんとの唯一の絆だから。
ミカさんの存在を感じ続ける、唯一の方法だから。

なんという愛。

ミカさんもそれを知っていたから、あえてそう命令したのだろう。
もしいつか春川かおるの前に素敵な女性が現れて二人が結ばれ、ミカさんを忘れていったとすれば、それはそれで幸せなことだ。
だが、そうならなかった時のために。
深い深い闇の中で誰にも救われることのない人間を照らし出す、一縷の光を彼女は与え、そして去っていったのだと思う。


ミカさんの春川かおるに対する気持ちは恋愛感情ではないだろう。
だがそれは確かに、一種の愛なのだ。

一般的には男女はお互いに強い恋愛感情によって精神的にも肉体的にも結ばれることが理想なのだろう。
だが世の中にはそれがかなわぬ人間もいる。
それが同情に基づく極めて希薄な精神的つながりだけであっても。
ただ一言の命令に、どんなにか彼が慰められるか計り知れない。
だって、彼は誰かとつながっていられるのだから。
狂おしいほど愛した女性と、確かにつながっているのだから。
それが彼の全て。
彼のアイデンティティーそのもの。

それは世間の人が思う愛とは少しばかり形が違うものかもしれない。
いわば愛が逆上がりしてしまった状態だ。【註1】
だが逆上がってしまった愛は、しばしば胸を打つ。

これこそがサブカル本だよ!!




…と、熱くなってしまったが、話は少し変わってもうちょっと続く。



清家新一という人物がいる。
随分前に亡くなったので、正確には「いた」か。

彼は学生時代、自分のノートに奇妙な落書があるのを見つけた。
それは(彼の弁によれば)火星人の女性からのメッセージで、「火星は素晴らしいところ。そこで待っています」という意味のことが記されていたという。

普通ならイタズラか何かだと思うところだが、彼は信じた。

そしてこの女性を勝手に恋人だと決め、さらにまたしても勝手に「ガートレットさん」と命名した。

そしていつの日か火星の恋人に会いに行くために、「空飛ぶ円盤」の開発に一生を捧げた。

彼の著書には70年代の時点で「円盤機関始動せり」「空飛ぶ円盤完成近し」といったタイトルが冠せられていたが、実際に円盤が浮上することは最後までなかった。
彼は東大理学部の大学院を出た秀才だったが、その理論は完全にトンデモだったのだ。

彼は「コイルをメビウスの輪にしたものに通電すると磁界内の時間が逆転する」という珍妙な理論を唱え、その磁界に置いた水を「ネゲントロピー水」と呼んで飲用していたが、本人によればおかげで七十歳を越えても夜も現役だったらしい。
仮にメビウスコイルで時間が逆転するとしても、「その影響下にあった水を飲めば若返る」という主張は呪術にしか見えないが。

さらに彼はどういう訳かNHKアナウンサー(当時)の桜井よし子ファンで、ガートレットさんの容姿は桜井女史に似ていると勝手に認定。
週に2回、女史にネゲントロピー水を送り付けるという迷惑行為にいそしんでいたらしい。
清家氏によれば、桜井よし子は「氏の好みの服を着てテレビに登場する」などの方法で秘密のメッセージを氏に送り、「早くあなたの赤ちゃんがほしいの」などとおねだりしてきたという。
それってただの統合・・・いえ、何でもありません。

ともかく、科学的には彼の生涯を賭した研究は全くの無意味だった。
それは間違いない。

では彼の一生は一体何だったのか?
全くの無意味だったのか?


UFOについて「ある・ないを越えたところにドラマがある」という独特のスタンスを取るロックミュージシャン・大槻ケンヂは清家新一の著書を読み、最初は笑い飛ばした。
だが2回目に読んだ時、「妄想上の火星の恋人に会うために何十年も研究を続けるという行為は普通の恋愛以上に人間的なのではないか?」と気付き、落涙したという。

この様に、人並み外れた情熱は時として人を感動させる。
例えその方向性が激しく間違っていたとしても。

まぁ大槻ケンヂは当時、自律神経失調でいろいろナーバスになっていたからなぁ・・・


そんな彼は後にトンデモ発明家を肯定的に取り上げた歌「機械」を作詞している。【註2】

こんな歌だ。

https://www.uta-net.com/song/146533/



…きっと春川かおるの目にも、くっきりと見えたのだ。
電話回線のその向こう、白く輝く、天使の翼が。

そう信じたい。







なお、最後に告白しておくと、ミカさんに教えられるまでもなく私には「春川かおる」なる名が『女教師・景子』から取られたものだということが判った。
だってこの本、高校生の時に授業中こっそり読んでたし。
しかも一度手放したものの「初期衝動には忠実でなければ!」と思い直し、古書店を探すも名作故に手放す人が少ないのかなかなか見つからず、15年がかりでやっと再入手した本なのだ。


まぁ私もどちらかと言えば「向こう側」の人だし。









【註1:愛が逆上がりした】

この表現は、私にサブカルチャーの面白さを教えてくれた、とり・みきの漫画『愛のさかあがり」へのリスペクトである。


【註2:『機械』】

こういった珍発明をするトンデモさんは世界中にいるが、この歌に影響を与えたのはこの清家新一のエピソードと、ケイト・ブッシュのPV「クラウドバスティング」だと思われる。
「クラウドバスティング」の元ネタは怪しげなトンデモ発明品「クラウドバスター」だ。

フロイトの高弟、ウィルヘルム・ライヒは性エネルギー「オルゴン」なるものを提唱(ちなみにオルゴンは性的絶頂を意味するオルガスムスから名付けられたという)。
これを放射することで雨雲を生成・消滅させるという気象兵器「クラウド・バスター」を開発した。
彼はガチで「これでUFOを撃墜するんじゃーい」と主張していたらしい。
それってただの統合・・・いえ、何でもありません。

「クラウドバスティング」はライヒとその発明品をロマンティックに、見事に映像化している。

なお、ウィルヘルム・ライヒの名は『機械』にも登場する(歌詞カードには載っていないが)。




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