2025年10月29日
「公明党は創価学会が作った政党だから、政教分離の原則に反する」
という言説をよく目にします。
特に最近、公明党の連立離脱発言の影響で↑こういう主張を投稿する人が急増してる様ですね。
そしてそういう主張には大体、
「政教分離って『国家は宗教に口を出さない』ってコトやで?
逆パターンの『宗教が政治に口出す』のはセーフや」
といった反論がされます。
まぁ国家が特定の宗教を推した結果があの戦争だったので、そういうのはもうやめとこ、という訳ですね。
よくあるやりとりは例えば↓こんな感じ。


そして公明党は長らく自民と連立し、支えてきた保守側。
じゃあ「政教分離に反する!」と言い出すのはリベラル側…かと思いきや、まんざらそうとも限らなかったり。
そもそも公明党は「平和の党」「福祉の党」を自称しており、元々は左翼的な性格も強いんよね。
一方でかつては法務省から右翼にカテゴライズされたこともあるし。
はたまた中道という意見もあったり。
また国政では自民と組み、都議会では都民ファーストの会と組み、大阪府議会では大阪維新の会と組み…
節操なく勝ち馬に乗り続けようとしていて、思想性関係ない感もあります…が、一貫して右派と組んでるとも言えるし。
という訳で、公明党は保守っちゃ保守だけど違うっちゃ違う、という微妙な立ち位置。
そしてネット界は昔から全般に右寄りが多いのと同時に、創価学会への風当たりが強め。
ゼロ年代には「部落・在日・創価学会」の三本柱が「メディアが扱わないタブーネタ」としてネット上で人気となり、多くの人を「ネットde真実」に導いちゃいました。
それらの中にはデマや陰謀論も多く、特に在日ネタはほぼほぼそう。
そしてこのデマ & 陰謀論がネトウヨさんを生み、現在も続いています。
ついでに言えば、「在日は税金や公共料金が免除」みたいな話は部落ネタを換骨奪胎したものだったり。
そして当時は
「創価学会は芸能界を支配しており、芸能人の大半は学会員」
などと言われ。
2ちゃんねるを覗いてると、話の流れと無関係にめためた長大な「学会員芸能人リスト」みたいなんが貼り付けられてるのをよく見かけたものです。
あと「騒音おばさんは実は創価学会の被害者」とか、どう見てもアレな「創価学会による集団ストーカー被害」とかが囁かれたのもこの頃。
私は戦闘的無神論者なのであらゆる宗教を批判しており、逆に創価学会だけを特別視はしていないのですが、ネット界は右寄りな割に創価批判かまびすしく。
で、先ほど「公明党は政教分離に反する」論者の例として貼った画像ですが…
ポスト主は渡辺喜美の直弟子で、「みんなの党」を経て(何故か立憲民主党に寄り道もしたけど)今は「SNS保守の会」代表を務める、ゴリッゴリの保守。
Xのプロフィールは↓こんな。


あと「政教分離に違反してねぇよ」派の他のご意見は↓こんな。






↓添付画像①

↓添付画像②


…という訳で制度上は「政教分離に反してねぇよ」派が正しい、としか。
しかし…「制度上、問題ない」は「倫理上、問題ない」とは別のこと。
マルチ商法かて法律上はセーフですが、倫理上は大問題やろ。
そして結構な割合の人が「公明党は政教分離に反する」と考えている、ということは…
「そもそも宗教が政治に介入するのは好ましくない」と、多くの人が考えてる、というコトでもあり。
つまり『政教分離』とは
「厳密には『国家は宗教に口出すな』ってこと。
でも、より一般的には『宗教は政治に口出すな』という意味でも使われがち」
と解釈できます。
こういう「広義と狭義、あるいは原義と転義で意味が違ってること」って普通にあるよね。
例えば「ツンデレ」とか「カエル化現象」とか。
そしてユルい方の意味でなら、「公明党は政教分離に反する」もあながち間違いとは言えへんよね。
「いや、そんなん勝手に言葉の定義を書き換えてるだけやん。卑怯やろ」
とおっしゃる向きもあるかもしれません。
それならこの広義の「政教分離」に何か別の名前を付けて、区別すれば済むことです。
「宗教による政治介入禁止論」とか何とか。
そうしたいなら是非そうして下さいな。
いずれにせよ、私が言いたいのは
「『宗教は政治に口を出すべきではない』という主張自体はそれほどおかしなものではないよね」
ということに過ぎません。
これって、そんなに変ですか?
もちろん、
「ほな信教の自由はどうなんねん」
という反論があるのは予想できます。
しかし…ある権利が別の権利との兼ね合いで制限されるのはごく普通のことやん?
例えば、「表現の自由」があるから何言ってもOKかと言えば、そうではないよね。
差別や誹謗中傷は許されません。
そもそも「信教の自由」は意味が分からないことがあります。
例えば、あなたが
「1+1=3だ」
と主張したければ、根拠が必要です。
根拠がなければそれは単に棄却されて終わり。
しかし
「私は1+1=3だと信じている、それが私の信仰なのだ」
と主張すると…
それは突然、神聖不可侵となり、誰も文句が言えなくなります。
もちろん↑コレは比喩であって、この通りのコトが起きる訳ではありません。
…が、コレが「信仰」が社会でどう扱われているかの本質です。
特に西欧社会ではそう。
無神論者のバイブル(矛盾)『神は妄想である』の著者で、オックスフォード大学で学生を指導していたリチャード・ドーキンス博士は↓こんな感じのコト言ってます。
「学生が『信仰上の理由でその日はテストを受けられない』と言えば、俺ら教員は別日にテストできる様に別の問題を作るよ?
でもそれって『その日はお婆ちゃんちに行くんで』とどう違うねん!?」
さらに ドーキンスが科学啓蒙のための財団を作った時、その公益性を証明したりの手続きがめためた煩雑だったそうです。
なのにコレが宗教団体だと「あっ宗教団体さんですか、だったらすぐ申請通りますよ」的にさっくさくなのにもおかんむり。
確かに宗教は「宗教である」というだけの理由で優遇されすぎ。
ちなみにドーキンスの終生のライバルだったスティーヴン・ジェイ・グールドは
「科学と宗教は持ち場が違うんねん。
科学は事実について語る。
宗教は道徳について語る。
お互いの領域を守って、領空侵犯はしない。
これでどうやっ!?」
みたいなコトを言いました。
これを「NOMA」(non-overlapping magisteria:「重複しない教導権」)と呼びます。
…が、ドーキンスはこれにもババギレ。
「いや、道徳は別に宗教の占有物ちゃうやろ。
あと『事実については科学におまかせ』の筈やのに、聖書に非科学的な話が満載なんはどういうこっちゃ〜!?」
とか言い返します。
確かに聖書には「海が割れた」とか「処女が孕んだ」とかのありえない事実命題が書かれてますよね。
科学に対する領空侵犯やろ。
そして、道徳は宗教の占有物なんか問題。
無神論者は道徳的にはなれないとでも?
そもそも宗教信者は宗教のおかげで道徳的なんですか?
例えば、宗教信者が殺人を行わないのはどうしてでしょう。
神様が「殺しちゃダメ」って命令したから?
それって神様に言われな分からんコトか…?
じゃあ神が殺人禁止命令を出さなければ殺人を犯すってコト…?
あるいは神が「殺せ」と命令すれば嬉々としてその声に従うってコト…?
どっちにしても全く道徳的ではないんですが…。
え?
もちろん宗教信者は神の命令抜きでも最初から道徳的です、って?
それは結構なことです。
でもそれって結局、道徳は神とは関係なく存在するってコトですよね。
じゃあ別に神サマを持ち出さなくても、道徳的に生きることは出来るんじゃないですか?
無神論者は神サマ抜きで道徳的に生きてますよ?
『もしあなたが神が不在であれば泥棒・強姦・殺人が多発するであろうと主張するのならば、あなたは自分が不道徳なことを暴露しているのであり、それはいいことを聞いたから我々は今後あなたのことは大きく避けて通らせていただく』
― マイケル・シャーマー ー
(神がいなかったらどうして善人でいられるのか?という問いに対して)
『それは道徳ではなく単なるご機嫌取りかゴマすりであり、空にある巨大な監視カメラや、あなたの頭の中であらゆる動きや卑しい考えさえ監視している盗聴器を気にしているだけではないか?』
― リチャード・ドーキンス ―
『人類の一番の悲劇は、道徳が宗教にハイジャックされたことだ』
― アーサー・C・クラーク ―
『私は教会と国が完全に分離することを希望する。思うにこの二つの団体は別々でさえも、かなり我々をメチャクチャにしてくれるので、二つが一緒になれば、死は免れられない』
ー ジョージ・カーリン ー
『私たちが道徳的であるために神を必要とするというのが、たとえ真実であったとしても、それで神が存在する可能性がより高くなるわけではなく、単により望ましくなるだけのことにすぎない』
― リチャード・ドーキンス ―
(00:26)
この記事へのコメント
1. Posted by H 2025年10月29日 04:15
創価学会は「身内に不幸があると入信させようとする」と言われた過去があり、結果として信徒には社会の中で困ってる人や不幸な人が多い。だから社会福祉や貧困層、困ってる人に目を向ける政策をしてきた。ここがリベラルっぽいと思われる部分。
でも2世3世になると普通の「さほど不幸ではない普通の社会人」になるから変わってきていると思う。
でも2世3世になると普通の「さほど不幸ではない普通の社会人」になるから変わってきていると思う。
2. Posted by ランゲニック 2025年11月01日 02:29
主様は個人的に宗教への忌避感嫌悪感がどっちかというとある感じかな








