2025年10月01日



排外主義の嵐が吹き荒れ、「日本人ファースト」などという言葉が流行る中、Xで↓こんなん発見。


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こんなんが1万リポストて。
これには↓こんなリプライが付き…


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さらに↓こんな引用リポストも。


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その後、↓コミュニティノートが付き…


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↓Grokにまとめられ。


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↑ココで触れられてるファクトチェックサイトの記事が↓コレ。


【InFact】
『【FactCheck】マザー・テレサは「自分の国で苦しんでいる人がいるのに他の国の人間を助けようとする人は、他人によく思われたいだけの偽善者」と言ったのか?』

https://infact.press/2024/05/post-23411/


↑ココによれば、この根拠不明のデマは2008年まで遡れる模様。


マザー・テレサと言えば「ぐう聖」とかの比喩的表現ではない、カトリックのリアル聖人。
このデマはそのマザテレがこない言うてんねんぞ、という権威主義に訴えて排外主義を正当化してる様ですが…
マザテレって言うほど聖人か?

この人、
◉貧困の救済はあまりやってなかった。やってたのは主に伝道
◉施設の医療レベルが低すぎてめちゃ危険
◉死を待つ人々に「天国行きたい?」「…ああ…」「はい、同意取ったー! こっそり洗礼しとくね」的なやり方で勝手に改宗させることを奨励
◉「神の与えたもうた苦痛を受け入れるべき」という宗教的立場から、緩和ケアに無関心
◉宗教的理由で中絶・避妊・離婚に否定的
◉蓄財しまくってて、死後の資産額がえぐかった
◉ハイチやアルバニアの独裁者などとの交際
◉晩年は情熱を失ってた
◉結局は「浅黒い肌の人たちを導く白人」という、西洋に都合の良い植民地主義やんけ

…等、黒い噂が絶えへん人やで?


ついでに言えば最後のやつ、ジャンル的には「白人酋長もの」やん…
「愚かな有色人種を導くのはやっぱ頭の良い白人だよな」ってやつ。
映画で言うと、古くは『ターザン』から近年では『アバター』なんかもコレよね。

ちなみにインド人は「コーカソイド」「アーリア人」の末裔とされたりもしたので、「肌は浅黒いけど白人やんけ」と言われるコトもあるのですが…
混血が進んでたりもする上、現在では「コーカソイド」「アーリア人」がそもそも科学的には意味をなさない概念とされており。
あと一口に「白人」つっても、「真の白人と言えるのはやっぱ西ヨーロッパ系よ。ユダヤ人とかは典型的な白人ちゃうし」みたいな、謎の白人内ヒエラルキーもあったりしたので〜。


話が脱線したので戻しまして。
マザテレ批判のソースは↓このへんとか。


【ハフィントンポスト】
『マザー・テレサは聖人ではなかった』

https://www.huffingtonpost.jp/krithika-varagur/mother-teresa-was-no-saint_b_9658658.html



【Wikipedia】『マザー・テレサに対する批判』



↑Wikipedia「マザー・テレサ」の項では「批判」が載ったり削られたりしてましたが、近年は充実。
さらに「マザー・テレサに対する批判」として独立まで果たした模様。
ただし、以前は載っていた資産の話は現在は削られてたり。
それらの資産話は、例えば↓このサイトに載ってます。


【オカルト系情報サイト】
『マザーテレサの資産から見る活動の黒歴史』

https://b29.biz/mother-black.html


↑このサイト自体はオカルトをあまり深掘りするでもなく、ソースもろくすっぽ挙げずにテキトーなこと書いててあまり感心しません。
マザーテレサの記事も、以前のWikipediaあたりからの丸写しでしょう。

ちなみにこのサイトには『マザーテレサとは』というページもあるのですが…


【オカルト系情報サイト】
『マザーテレサとは』
https://b29.biz/mother-teretha.html



そこには↓こうあったり。


1997年に没した人物であり 、日本においては日教組などの左翼思想を持つ教員に非常に高い評価を得ている


え、そんなん聞いたコトないけど。
と思って調べてみましたが、何も出てきませんでした〜。
コレが例えばヘレン・ケラーだったら、婦人参政権運動や公民権運動やってたガチ左翼のアメリカ社会党員なので大納得ですが…
マザテレは宗教者やで?
宗教と親和性が高いのは、左翼よりは右翼やろ…。


あと↓こういう記事もあるのですが…

『徳川家康の前に現れた肉人(UMA)』
https://b29.biz/tokugawa-nikuzin.html


ここで「肉人」を「ぬっぺふほふ」と結びつけて紹介。
それ読んだあたりでたまたまタイムラインに↓こんなん流れてきましたー。


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まぁ件のサイトはそこまで酷いコトはしてないけど、ちょっと笑いましたー。


あとWikipediaには↓こうあるのですが…

『一方で、それらの批判はインドのヒンドゥー至上主義の極右・ファシスト団体「民族義勇団(RSS)」により過剰な歴史修正が行われているという見方もある[2][3]。』

つまり別の宗教からの不当な攻撃だ、という訳ですね。
しかしマザテレをdisったことで有名な本を書いたのはクリストファー・ヒッチェンズ(ヒッチンスと表記されることも)。
この人、サム・ハリス、ダニエル・デネット、リチャード・ ドーキンスと並ぶ「新無神論の四騎士」の1人やで?

無神論者というのは「神という超自然の存在を、事実に基づいて徹底的に懐疑する人々」ですよ?
インドの「民族義勇団」のことはどうだか分かりませんが、ヒッチェンズは他の宗教の影響を受けたり、事実をねじ曲げたりする様な人物ちゃうやろ。

ちなみに先ほど紹介したハフィントンポストの記事にもヒッチェンズの名前が2回に渡り出てきます。


なお、Temuで↓こんなTシャツ売ってたり。

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(※↑上の画像3点はTemuの各当該商品ページより引用)







《資料》


【ハフィントンポスト】
『マザー・テレサは聖人ではなかった』


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マザー・テレサは聖人ではなかった

マザー・テレサの列聖は、彼女の問題だらけの伝説に蓋をすることになる。
  
Krithika Varagur
クリティカ・ヴァラグール ハフポストUS版「What's Working」プロジェクト アソシエイトエディター。インド出身

2016年04月12日 21時56分 JST
更新 2023年01月22日 JST

2016年の9月4日にマザー・テレサが聖人に列せられる。これは驚くことではない。2003年に彼女は福音に列し、列聖への道を一直線に進んでいるようだ。だが、彼女は聖人ではない。
マザー・テレサの列聖は、彼女の問題だらけの伝説に蓋をすることになる。改宗の強制、独裁者との疑わしい関係、収益の不適切な管理、それに、質の悪い医療などだ。最悪なのは、彼女が慈善の金を第三世界に浪費した典型的な白人だったこと。こうした理由で誰もが知る彼女のイメージが形成され、インド独立後の精神を深く傷つけ、分裂の根源となった。
2013年、オタワ大学の研究で、マザー・テレサを取り巻く「人のために尽くした寛容な行為の神話」は覆えされた。彼女の崇高なイメージは事実と違い、基本的に弱体化したカトリック教会がメディア・キャンペーンを強要した結果だったと結論付けている。

彼女はその生涯に、100カ国で計517の慈善活動を行ったが、研究では、医療を求めた者はほとんど診療してもらえなかったという。医師は不衛生な、「適していない」環境で診療しなければならず、食料も不十分で、鎮痛剤もなかった。資金が足りなかったわけではない。マザー・テレサの呼びかけは海を越えていたからだ。研究者らによれば、診療環境が十分でなかったのは、彼女が「苦しみと死に対する独特の信念」を持っていたからだという。
「キリストの受難のように、貧しい者が苦しむ運命を受け入れるのは美しいものです。世界は彼らの苦しみから多くのものを得ています」。マザー・テレサはかつて、ジャーナリストのクリストファー・ヒッチェンスが投げかけた疑問に対し語った。
キリスト教では忍耐を神聖視しているとはいっても、どんなひねくれた考え方をしたら、そんな考え方になるのだろう。

彼女の活動場所から、その答えはすぐ分かる。人種差別的な植民地主義だ。100カ国で活動し、アルバニア生まれであるにもかからず、マザー・テレサはインドのマザー・テレサとされ、インドは「コルカタの祝福されたテレサ」を生んだ。彼女はその地で、歴史学者のヴィジャイ・プラシャドが言う「黒い体を誘惑と過ちから救うために働く、植民地の典型的な白人女性のイメージ」となった。
彼女のイメージは植民地の論理に完全に縛られている。世界で最も貧しい褐色の肌の人々を救う、輝く光を持った白人というイメージに。
マザー・テレサは殉教者だった。インドや南半球の貧しい人のための殉教者ではなく、白人とブルジョワのための殉教者だ(プラシャドは、それは「貧困を生み、維持する力に真に立ち向かう」のではなく、その反対の役割を果たしたと言う)。

では、彼女はどうやって褐色の人々を救ったというのか? 仮に救ったとしても疑わしい。彼女にはいつも「思惑」があった。インドの最も貧しく、病気の人々をキリスト教に改宗させることだ。ヒンドゥー教のNGO指導者は2015年に語っている。彼女とその修道女が死にそうな人に洗礼を施した例が数多くある。
彼女を何か特別なものにしようとする教会の熱烈なキャンペーンもあった。
このキャンペーンは彼女の存命中にスタートした。中絶反対を唱えるイギリス人ジャーナリストのマルコム・マゲリッジが、大きな十字架の前で祈るパブリック・イメージを作りだし、マザー・テレサのイメージを広めた。最初は1969年の聖人伝ドキュメンタリー、次は1971年の著書だ。彼は人々に、マザー・テレサは歴史上ではなく「神話の域」にあると位置づけた。
彼女は死後、(聖人に次ぐ)福者の地位になったが、、それはルールを破っても捕まりたくない人が熱烈に支持したからだ。教皇ヨハネ・パウロ2世は通常、必要な死後5年というプロセスを放棄し、死後1年で手続きを開始した。

素晴らしい功績があるとされるひとりの女性には、非難されることなどないと思っているかもしれない。だが、マザー・テレサは生前、悪名高き独裁者と親交があった。ハイチのジャン・クロード・デュヴァリエ(マザー・テレサに1981年、レジオンドヌール勲章を授与した)と、アルバニアのエンヴェル・ホッジャ労働党第1書記だ。
こうしたものはどれも特に目新しくはない。ほとんどは彼女が列福した2003年に浮上した。クリストファー・ヒッチェンスの著述と、タリク・アリのドキュメンタリー「地獄の天使」の中で示されている。これは死者の悪口を言うためのものではない。
しかし、マザー・テレサが時間を経ずして聖人になるのはかなり腹立たしい。私たちは神を想像し、自分たちに似た人の中に神聖さを見いだす。この中で、マザー・テレサのイメージは西側至上主義、白人至上主義の残像として映る。彼女の栄光はインドの精神の犠牲の上に成り立っている。また、10億人のインド人と、分離した人々の犠牲がある。彼らは、自分たちを助ける白人は特別で優秀だとの概念を強制的に植え付けられた。改宗など大したことではないと思わされた。ノーベル賞を受賞した5人の「インド人」のひとりが病気の人を死なせる女性だったという、とんでもない事実を受け入れざるを得なかった。貧困は美しくない。マザー・テレサは時を経て白人にとっての聖人となっても、褐色の肌にとっての聖人とはならないだろう。

この記事はハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。

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【Wikipedia】『マザー・テレサに対する批判』

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マザー・テレサに対する批判

マザー・テレサに対する批判(マザー・テレサにたいするひはん)では、カトリック教会の修道女であり伝道師[1]であったマザー・テレサに対する批判を扱う。


マザー・テレサは45年以上の長きにわたり、貧しい人、病める人、孤児、末期の人たちのために尽くしてきただけでなく、インドから世界中に広がった彼女の信徒たちを導いてきたとされている。1979年にはノーベル平和賞を受賞し、1997年に亡くなると、ヨハネ・パウロ2世がテレサを列福し、2016年9月にフランシスコによって列聖されて聖人となり、彼女の命日である9月5日は祝日となった。
世界中の人々から讃えられ、各国の政府や組織から称賛を受けたマザー・テレサだが、彼女に対しては生前から批判や告発、抗議の声も少なくなかった。その矛先は例えば彼女の修道会の資金管理であり、末期の人への洗礼の奨励や医療ケアのクオリティ、そして植民地主義やレイシズムのアイコンとなっていることであった。
一方で、それらの批判はインドのヒンドゥー至上主義の極右・ファシスト団体「民族義勇団(RSS)」により過剰な歴史修正が行われているという見方もある[2][3]。

メディアにおける批判
インド生まれでイギリスに移住した医師で作家のアロー・チャタジー (Arup Chatterjee) は、マザー・テレサの施設で短い間働いていたことがあり、その後テレサの修道会について資金管理を含めた運営の実態の調査に取り組んでいる。1994年にはイギリスのクリストファー・ヒッチェンズとタリク・アリー (Tariq Ali) という2人のジャーナリストが、チャタジーの仕事をベースにして、イギリスのテレビ局Channel 4でドキュメンタリー番組『地獄の天使』(Hell's Angel) を製作した。
翌年、ヒッチェンズは『宣教師の立場』(The Missionary Position) を出版し、番組で放映された数々の告発をあらためて活字化した。チャタジーも2003年に『最終評決』(The Final Verdict) を出版し、ヒッチェンズの本よりは落ち着いた筆致ではあったものの、やはりテレサの事業について同じような批判を行った。
インドの首相だったインディラ・ガンディーは1975年に非常事態令を発動し、言論の自由を制限して野党や反対派を弾圧したが、その後マザー・テレサは「国民はさらに幸せになった。仕事は増え、ストライキはない」と発言している。こうした是認的なコメントはテレサと国民会議派の友好関係の現れだと受け取られた。これにはインド国外のカトリック系メディアからも批判があった[4]。

末期の人への洗礼
マザー・テレサは自らが率いる修道会において、末期の病人がどんな信仰を抱いていようと、かまわずひそかに洗礼を行うことを奨励していた。神の愛の宣教者会にいたスーザン・シールズは次のように書いている。「修道女たちは、死の危険が迫る人たちに『天国への切符』を望んでいるか、とたずねなければならなかった。肯定的な返事があったら、それは洗礼に同意したとみなされた。修道女たちは患者の額を濡れた布で冷やすようにみせかけながら、必要な言葉を静かに唱えながら洗礼を施すのである。なぜ秘密裏に行うことが大事かといえば、マザー・テレサの修道女たちがヒンドゥー教徒やイスラム教徒に洗礼を施していることを明るみにだすわけにはいかないからである」[5]。
ジャーナリストのマレー・ケンプトンを筆頭として、こうした行為には批判が相次いだ。洗礼を施すのに、患者には意志決定ができるだけの十分な情報(自身が洗礼を本当に望んでいるのか、キリスト教における洗礼の神学的な意義とは何か)が与えられていないからである[6]。一方で作家のシモン・レイスは、ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックスへの投書でテレサを擁護している。「洗礼の仕草が持つ超自然的な効能を信じている人々は、それを心から望んでいるはずだ。そして信じていない人にとっては、善意による他愛もない仕草に過ぎない。頭の上のハエを手で払ってもらうのと同じことである」[7]。

黒い交際
1981年、テレサはハイチを訪れ、独裁者ジャン=クロード・デュヴァリエからレジオン・ドヌール勲章を受けとっている。
『宣教師の立場』において、ヒッチェンズはアルバニアのエンヴェル・ホッジャ政権をテレサが支持していたとして、激しく批判している。テレサは1989年8月にアルバニアを訪れており、そこでホッジャの未亡人であるネジミエをはじめ当時のアルバニア首脳や政府要人から歓迎を受けた。その後テレサはホッジャの墓に花束をそなえ、マザー・アルバニア像に花冠を飾っている[8]。
テレサはイギリスのメディア王として知られたロバート・マクスウェルからも資金提供を受けていたとされている。(彼は後に暴かれたように、従業員の年金基金から4億5000万ポンドを着服していたことで知られる)。チャールズ・キーティングが事業で失敗した後に詐欺事件で起訴されたとき、キーティングの人柄を擁護する陳述書がテレサの名で作成されたことにも批判が集まった[9]。キーティングはマザー・テレサに数百万ドルの寄付を行っており、時には自分のプライベートジェット機を貸し出すことまでしていた[9]、
テレサはリーチオ・ジェッリがノーベル文学賞にノミネートされたときに支持を行った[10][要出典]。ジェッリは、フリーメイソンのロッジ(支部)であるプロパガンダ・デューの創設者であり、イタリアにおける複数の殺人や汚職事件との関与が指摘されるだけでなく、ネオファシスト的なイタリア社会運動やアルゼンチンの軍事政権との強い結びつきで知られている。[要出典]

慈善活動
チャタジーによれば、マザー・テレサの「貧困の救済者」というパブリック・イメージには語弊があり、実際には彼女が運営した最大級の施設でもわずか数百人程度に施しをおこなっていたに過ぎない。1998年にカルカッタでの活動が報告されている慈善支援団体は200を数えるが、テレサの宣教者会はその中でも大規模な慈善団体とはいえない。例えばアッセンブリーズ・オブ・ゴッドの慈善活動では、一日に1万8000食を振る舞い無数の困窮者を支援することで有名である[11]。
チャタジーは、修道会の主たる活動は慈善事業ではなく、むしろ資金が投じられていたのは伝道活動だと主張している。例えば、パプアニューギニアに8箇所あった神の愛の宣教師会のうち、地元住民を受け入れている施設は一つもなかった。これらの施設は地元住民をカトリックに改宗させるためだけに運営されていたのである。
マザー・テレサは伝道を行った国のヒンドゥー教徒から、貧者を「秘密裏に」カトリックに改宗しようとしていると非難されることもある[12]。クリストファー・ヒッチェンズは、テレサの組織が苦しみを美徳とし、貧窮にあえぐ人々を助けようとしないカルト団体だと断じている。彼によれば、マザー・テレサが貧困について述べた言葉そのものが、彼女の意図するのは人民の救済ではないことを証明している。1981年の記者会見で「貧しい人には自らの分け前で我慢することを教えるのですね?」と問われたテレサはこう答えているのである。「貧しい人が自らの分け前を受け入れることはとても美しいことだと思います。キリストのご受難と共にあるということですから。」[8]。

医療ケアのクオリティ
1991年にカルカッタにあるテレサの施設「死を待つ人の家」を訪れた、イギリスの医学雑誌ランセットの編集委員であるロビン・フォックスは、そこで患者に行われていた医療ケアを「でたらめ」(haphazard) と表現している[13]。修道女とボランティアたちにはまったく医学的知識がない者もいたが、ホスピスであるこの施設には医者がいないため、彼女たちが患者のケアについて決定権を持っていたのである。フォックスはこの施設の環境に関してマザー・テレサの責任を重くみるとともに、テレサの修道会が治療の可能な患者と不可能な患者の区別をつけていないことに注目している。つまり、助かる可能性のある人でも、感染や処置不足により死の危険に晒されてしまうところである。
フォックスもこの「死を待つ人の家」で修道女たちは清潔さを保ち、患者の傷や痛みによくつきあい、親切心にあふれていることは認めるのだが、彼女たちが患者の苦痛に対処する手段は「憂慮すべきほど不十分」だと述べている。この施設の処方集には強力な鎮痛剤がなく、フォックスはこれこそがマザー・テレサの取り組みと、一般的なホスピス運動をはっきりと区別するものだと考えた。フォックスの観察では、注射針はお湯ですすぎ洗いされるのみで殺菌が十分ではなく、結核を患った患者も施設内で隔離されていなかった。修道会の施設における、このような不注意な医療ケアを報告する文書は枚挙にいとまがない。かつてテレサの教団で働いていたボランティアの一部からも同様の意見が提出されている。マザー・テレサ自身がこうした施設を「死を待つ人の家」と表現している通りである[要出典]。
2013年、マザー・テレサに関する文献の96パーセントをカバーし包括的な検討を行ったモントリオール大学の研究者グループの研究は、かねてからあったマザー・テレサに関する批判を補強している。いわく「苦しみを癒やすかわりに讃美することをもって病人のケアとしている。…彼女の政治家との疑わしい交際、受けとった巨額の資金の管理への疑問、とくに中絶、避妊、離婚に対するあまりに教条的な見方」。無数の批判があることを顧みないバチカンの意図に疑問を投げかけつつ、モントリオール大学の研究はマザー・テレサの「神聖化されたイメージ―事実の分析に耐えるものではない―が構築されており、彼女の美化はメディアを巻き込んだ巧みなキャンペーン活動によって組織的に行われた」と指摘している。その活動を担ったのが、カトリックに改宗した中絶反対派のジャーナリスト、マルコム・マゲリッジであった[14][15]。

植民地主義とレイシズム
歴史学者ヴィジャイ・プラシャドの『人種化された空間における白人女性』(White Women in Racialized Spaces) のあるエッセイでは、マザー・テレサについて次のような言及がされている。
マザー・テレサは、浅黒い皮膚をした人々を彼ら自身の惑溺と怠惰から救うために尽力するという、植民地における白人女性の最も純粋な典型といえます。… 欧米諸国に支配されている国際メディアは、白人だけがどういうわけか社会に変化をもたらす能力に恵まれているという植民地時代の考え方のままです。非白人が社会変革に取り組んでいても、メディアは白人の支援者や指導者を見つけようとします。言うなれば、非白人の俳優に舞台の袖から指示を飛ばしている白人を探そうとします。メディアは言外にこんなメッセージを伝えているように思うのです。非白人は自分の意思において能力を最大に発揮してはならず、植民地の行政官なり、IBMやIMFのテクノクラートなりからの命令を待たなければいけない、といった風な。貧しい人々を救済する活動が報道されるときにも、黒い肌の人間はまたもや不可視の存在として扱われます。なぜならメディアは、マザー・テレサのような使い古して陳腐になった存在だけを称揚したがり、自分たちを解放するために戦う人々には気づかないふりをするのです。したがって、マザー・テレサのような人物の生涯を、公にして厳しい視線にさらすのはいつの時代も困難です。[...] マザー・テレサの仕事は富裕層の罪悪感を和らげるためにある世界的企業の一部門であり、貧困をつくりだし維持する陣営へ本当に挑戦するものではないのです[16]。

死後の批判
マザー・テレサは1997年に亡くなった。彼女は生前に書いた文章や手紙をすべて破棄してほしいと望んでいたにもかかわらず、コレクションは死後に書籍として出版された[17][要ページ番号]。公開されたテレサの文章からは、晩年の彼女が孤独感と戦っていたことが明らかに読み取れる[18]。それは修練者であった若き日のテレサが抱いていた強い思いとは対照的なものであった[19]。手紙のなかで、彼女は何十年にもわたって神から切り離されている感覚を持っていたこと、神の愛の宣教師会を創始するために励むことができた若い頃の情熱を失っていることを訴えている。その結果、一部には彼女が「信仰をやめた」と評価したり、死後においてなおその偽善を批判する者も現れた[20][21]。


批判への反論
この節の加筆が望まれています。
保守的な宗教系専門誌ファースト・シングス(First Things ) は、クリストファー・ヒッチェンズの手法や、モントリオール大学の検討結果を批判する記事を掲載した[22]。

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【オカルト系情報サイト】
『マザーテレサの資産から見る活動の黒歴史』

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マザーテレサの黒歴史を解説

マザーテレサの資産
マザーテレサの清貧で献身的な自己犠牲のイメージからは想像もつかないと思うが、実は、現在語られているマザーテレサ像は、全て嘘だということではないが、カトリック教会によるプロパガンダであり実際には別の黒歴史の顔を持っている。
今回はそのようなマザーテレサの裏の顔を暴露していく。

マザーテレサといえば貧しい人々のためにその身を犠牲にしてまで尽くしていくというイメージであるが、 その功績の裏腹に黒い噂がまことしやかに囁かれている。

まず死を待つ人の家についてですが、たとえ助からないとわかっていたとしても、精一杯に介護したという形跡はない。
しかし死を待つ人の家の実態は非常に衛生環境が悪く、劣悪な環境であり、患者がどれだけ苦しもうと薬は一切投与されない。
それに対して、死を待つ人の家の資金面が乏しいという考えがあるが、マザーテレサがなくなった時点での、彼女の資産は銀行預金で48億円も持っていた。

48億円もの大金を持っていたにも関わらず、死を待つ人の家の患者には一切医療的な処置はされなかった。
48億円もいるあれば、インドではまともな病院が何個も作れるような金額である。

しかし、マザーテレサは、48億円もの資産を持っているにも関わらず、一切病院を作ることもなく、死にかけている人を看取り続けた。

なぜ、マザーテレサは48億円の資産で人々を救わなかったのか?
マザーテレサには莫大な資産があったが、人々の救済のためにお金を使わなかったその理由は宗教家にあるというのが定説である。

キリスト教には受難と言う、のたうち苦しめながら死んでいくことを美しいとする思想がある。
受難とは苦しみに耐えることは素晴らしいことであり、 マザーテレサによるキリスト教の解釈である。
実際にマザーテレサを取材したジャーナリストによると「どうしてこんな馬鹿げた考えを持てるのか」と憤っているようである。

死を待つ人の家の実態
では、マザーテレサは実際にどんな看病していたのか?

マザーテレサは、苦しんでいる人に対し、ひたすら耐えろと言い続けた。
死を待つ人の家の実態は、痛みに苦しむ死にそうな人に 「痛みに苦しみながら死ねば天国に行けるんですよ」や「痛みに耐えることは美しい」といったことを言ってきたのであった。
痛みに耐えろ!ってとても恐ろしい思想の宗教みたいですね。
実際にマザーテレサの実態は、危険なカルト宗教と変わりがなかったようである。

考えは歪でも人々を救いたいという信念は本物だったのか?
マザーテレサは、死を待つ人の家の人々には、痛みに耐えろと言ってきた。
しかしマザーテレサ自身が 、心臓病になった時は清潔で設備の整った近代的な病院でペースメーカーを入れる手術をしている。
患者には痛みに耐えろと言いながら、マザーテレサは麻酔薬を投与され治療を受けている。
他人には不衛生な環境で、 ろくに痛みをを和らげる処置されされなかったのに、自分は快適な環境で手術を受けていたのである。

ゆがんだ宗教観
しかも、マザーテレサは、神なんて実際にはいないんじゃないかと何十年も悩み続けていた。

結局マザーテレサは、 神がいることを認めることが出来ずに死んでいったのである。
痛みに耐えることがキリスト教の教えであるのならば、神であるキリストを心から信じていたはずである。

しかし、神なんているのかな?なんて考えながら、痛みに耐えるなんて言っているのだから、それはもはやキリスト教ではなく自分の考えではないだろうか?
しかし、マザーテレサが貧しい人々を助けているというデモンストレーションを多くの人々にとって、精神的な支柱となったのは事実である。

現実のマザーテレサ
現実のマザーテレサは、 貧しい人々を大々的に救った聖女だと言われているが、その実態は不衛生な環境で、よくわからない宗教観を患者に押し付けながら、一切医療的な処置をせずに人々を看取っていたというのが現実のようである。

聖人認定されたマザーテレサ
色々といわくつきのマザーテレサは、カトリック教会によって聖人認定をされたのは事実である。
カトリック教会にとって聖人認定されるということはものすごい名誉なことである。

聖人認定される条件として、 まず専門家による審査が行われこの人物は聖人認定をされるかどうかふさわしいか検討される。

さらに、二つの奇跡を起こすことが聖人認定の条件である。
奇跡とはその人がいなかったら起こり得なかったことである。
マザーテレサの場合は、 2003年にマザーテレサに乗ったインド人女性の腹部の腫瘍が消えてなくなったことである。
そして2015年に脳腫瘍を患っていたブラジル人男性がマザーテレサに祈りを捧げたことで回復したということである。
この二つの条件によりマザーテレサは聖人になってしまったのである。

その裏には凋落するカトリック教会の権威を復活させるための、 権威プロパガンダであると言う政治的な意図が内在している。
マザーテレサ自身も「私は聖女ではない、周りがそう言っているだけ」 と語っていたようである。
マザーテレサは日本に来日した時には、日本の中絶事情を見て、日本は資源は豊かだが心は貧しいと悲観していた。
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【オカルト系情報サイト】
マザーテレサとは

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マザーテレサとは

マザーテレサの生い立ち
マザーテレサは 1910年生まれのオスマン帝国人である。

本名はアグネス・ゴンジャ・ボヤージュという長ったらしい名前であり、 9歳までは家族愛に満ちた温かな家庭で育てられていた。
しかし、マザーテレサが4歳の時に第一次世界対戦が勃発し、 バルカン半島では民族間の勢力均衡が崩壊し、 実業家だったマザーテレサの父親は、 アルバニア独立運動に参加をし、毒殺されてしまった。

そのことに衝撃を受けたマザーテレサは、 人間の醜い感情が父親の命を奪ったと激昂し、次第に宗教の世界に没頭していく。

そんな中で、カトリック教の聖人であった聖フランシスコの影響を強く受けた。

聖フランシスコの影響
聖フランシスコは13世紀のカトリック修道院修道士であり、戦乱が続くイタリアで路頭に迷った人々を助けることに生涯を捧げた聖人である。
聖フランシスコは「神よ、あなたの望む平和のための道具として私をお使いください私、 憎しみがあるところには愛を、不当な社会には許しを、 分裂のあるところには団結を」という言葉を残していて、 マザーテレサもフランシスコのような人間になりたいと心に固く誓ったようである。

1997年に没した人物であり 、日本においては日教組などの左翼思想を持つ教員に非常に高い評価を得ている。

マザーテレサの活動
マザーテレサは毎日教会に通っていると、 教会の神父から、教会の宣教師たちがイギリスの植民地であったインドで 布教活動をしているという話を聞き、マザーテレサ自身もインドに行きたいと思った。
インドに行き人々を救えば、聖フランシスコのような人間になれるかと思って、インドに行くことを決意する。

この時、マザーテレサは18歳だった。
そしてマザーテレサは、 インドの北部の町コルカタの修道院で教師として配属され、教会で働くことになった。
その後18年の月日が流れたが、1946年に起きたコルカタの大暴動により、マザーテレサの人生は大きく変えられてしまう。
コルカタの大暴動とは、イスラム教信者とヒンドゥー教信者の 対立と闘争であり、 マザーテレサはこの暴動の凄惨な光景を目の当たりにし、 このような言葉を残した。

「通りに普通に転がっている死体の山、あるものが刺殺され、ある者は殴り殺された。乾いた血の海の中には信じられない姿で横たわっている物がいた酷い有様である。」
この時、安穏としていたマザーテレサは、聖フランシスコの言葉を思い出した。
そして貧しい人々を救いたいという若かりし頃の初心に戻り、協会を飛び出し、インドのスラム街で青空教室を開いた。
その時マザーテレサは最も質素な白い木綿のサリーを着て、 貧しい人々と生きていく決意を示した。
最初は物資も何もなかったので、貧しい人々を集め、地面に木の棒で文字を書いて学問を教えた。
そのような活動をしていると、昔を教えた教え子がマザーテレサのもとにやってきた。
その後も、10人ほどの人々がマザーテレサの前に駆けつけた。

行き倒れた人を救う
ある日マザーテレサは、スラム街を歩いていると行き倒れの人を発見する。
その後病院に運ぶが、スラム街では行き倒れは当たり前であり、病院も相手にしなかった。
その時マザーテレサは、 物質的な貧しさだけではなく、 誰からも愛されずに死んでいく 見捨てられた人々こそ救いの手を差し伸べるべきだと思うようになっていく。
そのためマザーテレサは、行き倒れている人を収容する死を待つ人の家を開設し、自らの宗教観を行き倒れている人に語った。

死を待つ人の家は、行き倒れて死ぬ人の最後を看取る施設であり、 せめて最期には愛されながら亡くなってほしいという、マザーテレサの考えである。
死を待つ人の家では、特に医療的な処置はされなかったと言う。

マザーテレサの功績
マザーテレサは、世界中の最も貧困層の人々に救いの手を差し伸べて救済したと言われている人物である。
1979年にはノーベル平和賞も受賞していて、 カトリック教会からは聖人認定されている人物である。
見事に模範的な人間であるような経歴の持ち主だ。

マザーテレサのノーベル賞受賞により、世界中の市民団体や財団、宗教団体や NPO法人から多くの支援を受けた。
マザーテレサは、 一人ひとりの尊厳を守ることが世界平和の道筋だと考えていたようである。
教科書的な考えでは、マザーテレサは自分の身を犠牲にしてまでスラム街の人々を献身的に救い続けたらしい。
しかしマザーテレサの評価については、カトリック教会によって美化されたものであり、実際はどうだったかと言うと別の側面もあったようである
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(※画像は特記がなければXの各当該アカウントより引用)


(00:39)

この記事へのコメント

1. Posted by 暗黒大将軍   2025年10月01日 20:48
仮にそういうことが「偽善」なんだとしたら、偽善はやむを得ないどころか「必要」でさえあると思いますね

「やらない善よりやる偽善」なんだから、文句があるならソイツが身近な困窮者を援助してからにしろってことです

利害、損得だけで人間関係を構築するのが「自由主義」の要諦で、売名、偽善などのインセンティブが働いてる社会のほうが結果的に弱者救済のアベレージも高いと思います

余談ですが、マザームーンみたいに「自国より他国から多く毟り取る」人は偽善者呼ばわりはされにくいんでしょうかね(笑)
2. Posted by ランゲニック   2025年10月03日 14:02
「偽善」って言葉はもうこのご時世、
「なんかいいことしてるらしいけどオレは気に入らない(キリッ」くらいの意味しか持たなくなった
3. Posted by か   2025年10月03日 16:54
そんなん言い出したら国際的に貢献した人、例えば中村哲さんとかが偽善者だとでも?
本当にネトウヨってロクでもないな

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