詩人はとある小島に流れ着いた
犬と猫とコウモリとピエロが彼を迎えた
「私はこの世の全てを憎む
憎んでも憎んでもまだ余るこの世の全てを
言葉で燃やし尽くして見せよう
力を貸してくれ」
しかし怯えたピエロの密告により
男は警官隊の銃弾に倒れた
その夜 犬はワンワンと吠え
猫はニャーニャーと鳴き
そしてコウモリは黙して語ることがなかったのであった


   『大槻ケンヂ詩集 花火』所収
    「詩人オウムの世界」より




皆さまご存じの通り、当ブログは竹内久美子批判にむちゃんぽ力を入れています。
著書、特に自伝本やらインタビューやら読んでると竹内久美子がなぜあんな感じの残念な仕上がりなのか、何となく見えてくるものが。
という訳で今回はその辺の話を掘り下げていきます。


竹内久美子は性的な話はゲッスいゴシップに至るまでしまくる割に、不思議なくらい自分のパートナーや性的経験の話は全くしません
芸風からして真っ先にしそうなモンなのに。

そしてちょっと前まで「竹内久美子」でぐぐると、「竹内久美子 夫」とか「竹内久美子 独身」とかが検索ワードのサジェストに上がったものです。
やはり皆さんその辺が気になる様ですね。
しかし調べても竹内久美子さんにパートナーがいるという情報は出てきませんでした。
以上、竹内久美子さんに関する情報をまとめてみましたがいかがでしたか?


そしてお得意の性愛について書く時、普通は読者の「常識」に迎合して
「愛やセックスは素晴らしいものですね。
しかしそれらも動物行動学の視点で見ると少しばかり違って見えます」

みたいな、ベタな前口上くらい付けそうなモンじゃないですか。
でも竹内久美子がそういう風に書いたの、見たことない。

一方で、
「私も女性同士のエロ画像でも性的に興奮するので不思議に思ってた」
とか
「秋篠宮様の指がたまんねぇ、むほ〜!」
みたいな話は平気でしてはります。
なので「恥ずかしいから」とかではなさげ。

個人的な「性的興奮」については平然と語る、あけっぴろげもおっぴろげな人物が、パートナーや性的経験については不自然なほど頑なに語らない…
となるとパートナーはそもそもいないとか、経験値がごく低いのではないか、という推測が成り立ちそうですね。

あと竹内久美子はセックスだけでなく、ヒトを含む動物の利他行動についても礼賛しません。

例えば、南米に棲むチスイコウモリは空腹の仲間に餌(ウシなどの血液)を吐き戻して分け与えるのですが…
コレは利他行動の鮮やかな例として有名です。
しかし誰にでも分け与えると、「自分は貰うが人には与えない」というフリーライダーにいいようにしてやられてしまいます。
そこでチスイコウモリは「過去に吐き戻しをしてくれた個体の顔を覚え、そういう個体には恩返しするけど、くれなかった相手には自分も与えない」という方法でフリーライダーを排除します。
コレには高度な個体識別能力と記憶力が必要なので、めちゃ凄いことですよね。
特にネトウヨさんはフリーライダー絶対殺すマンなので、ココにはいたく心を動かされそうなもの。

しかし竹内久美子は児童書『悪のいきもの図鑑』で、チスイコウモリを「吐き戻ししてくれなかった個体には自分も吐き戻しをしないイジワル動物」として描きます。
えっ何で!?

まぁ動物に善だの悪だのといった倫理を当て嵌めることが既に間違ってるのですが。
そういう意味ではこの本のコンセプト自体がアウト。
しかも普段、「人間に置き換えて考えると無茶に思えることも、動物行動学的にはこの様に説明がつくのである」とかいう話がお得意なのに、なぜ急にチスイコウモリの適応戦略をディスるという奇行に!?

この本はざんねん系動物本ブームに当て込んだものなので、悪く言うしかないという事情はあるにせよ、チスイコウモリに関しては通常の真逆です。
普通は仲間に厚いぐう聖扱いやろ。

※この件について詳しくは↓下記のエントリを参照。


『【またかよ】竹内久美子2018「リベラルは睾丸が小さく浮気などできない」→竹内久美子2020「睾丸の大きい男は行動も怪しい」…小さくても大きくても何か言われる模様』
https://wsogmm.livedoor.blog/archives/14117080.html



この様に、竹内久美子は利他行動に妙に冷淡なのですよね…
いや、まともな研究者なら妙な擬人化は避けるのでそうなるのも理解できるのですが、竹内久美子は上記の様にその辺ガバガバなのに。

そして竹内久美子最大の悪癖、「近代以降の話まで全部進化で説明しちゃう安易な態度」は何なのか…
自然選択が働くほどの時間ないやん。
「この形質は進化的に有利だから保存されてきた」といった説明を「適応主義」と呼び、その切れ味の良さは自然選択説の威力を見せつけてくれますが…
竹内久美子のは適用範囲を超えた「行き過ぎた適応主義」です。ダメ、絶対。

自伝本やインタビューを読むと、竹内久美子は発達障害で人間関係に苦労してきたことがうかがえます。
そして周囲への恨み節がすごい。
それを大体「あいつらは左翼だから」ということにして片付けます。
「自分ではなく周りのせいにする」は左翼の悪癖だと思われがちですが、右翼もしてるやん。
その左翼嫌いは、幼い頃からの「何となくの権威的なものへの反感・逆張り」によるものの様です。
根は深いが理由は浅い。


…コレって社会に適応できず、愛を知ることもなかったディスコミっ子が世を拗ねて動物行動学を振りかざし、
「どう?
あんたたちが崇めてる愛だの人間性だのとかいう御大層な代物は、動物行動学で分析すれば全て『遺伝子のコピーのため』、たったコレだけで説明できちゃうのよ!」

とブチ上げて知識の高みから周囲を見下ろしてるだけなんじゃ…?


何故そんなことが分かるのか? というと…
私自身が全く同じコトやってたからだよ!
まぁ私は趣味レベルで本を読んでただけですが、竹内久美子は京大で日高敏隆門下としてガチ研究しといてコレ。

しかし動機はどうあれ、動物行動学という学問そのものには価値があります。
…なんだからそこでやめときゃいいのに、何でも嘲笑してやりたいので適用範囲外にまで当て嵌めてトンデモ化。
にも関わらずそのトンデモ大風呂敷が世間に受けちゃった結果、「コレもう何言っても信者が付いてくるやん」状態になり、皇室ネタやら陰謀論やらあらゆる方向に新規出店することになったのでは?

同じ轍を踏んだとはいえ、私はそうはなりませんでしたからね!

そもそも私は高校生の頃に竹内久美子を読んで大ハマりしてました。
あ、ここからウゼェ自分語り始まるよ〜!
当時の私は集団に馴染めず、いじめられたりするストレスフルな日々。あ、今も馴染めてないですよ?
今から思えば普通にハッタショ。
しかしバカなので「不登校」とか「引きこもる」という発想がなく、毎日元気に通学してました。

そして善良な両親に育てられた「良い子ちゃん」でもあったのでいじめてくる奴らの気持ちがビタイチ分からず、
「あんなことをしていったいなにがたのしいんだろう、ぼくにはさっぱりわからないなあ」
と(平仮名で)思ってました。
いじめられっ子と言っても空気が読めない私は「いじめられる側」としての自覚が薄く、
「お前、自分の立場分かってんのか?」
などと言われても
「対等やろ、お互い人権があるねんから」
とか言い返してました。(ノ∀`)アチャー

しかしいじめの中である日、少年は覚醒します。
「モラルは自分を守ってなどくれへんのや。
いじめる側の気持ちが分からん…?
良識とやらを捨て去って考えればそんなことないで。
圧倒的な力の高みから他人を見下ろすなんて、楽しいに決まってるやろー!」
闇堕ちデビルボーン。
私は問題が解決しなくても、理由が分かればわりと納得できちゃうタイプの子でした。

それからの私は社会に背を向け、常識を疑い、モラルに唾を吐き、世界を憎悪しました。
今だったら大規模掲示板群によくいるタイプ。

この頃、ラヴクラフトの小説にハマります。
いわゆるクトゥルー神話は
「人間の存在に意味などない。強大な力を持つ神々は人間など意に介さない。ヒトがアリを踏んでも気付かない様に」
という宇宙的恐怖を描いてたからです。
今思えばめちゃめちゃ地味でつまんないのに。

江戸川乱歩にもハマります。
乱歩作品は、まだ何もせぬ内からこの世の全てに飽き果てちゃったダメ人間が猟奇殺人を犯す、みたいな話ばかりで、荒んだ私の心にそっと寄り添ってくれました。
焼き魚の上のはじかみの様に。

大槻ケンヂの鬱屈した小説『グミ・チョコレート・パイン』の如き暗き青春。
グミチョコではのっけから大槻ケンヂ(をモデルにした主人公)が1日3回規則正しくオナヌーしてたことが赤裸々に描かれていますが、私もご多分に漏れず、過剰な性欲に悶々とする日々…おまけにわりと恋愛体質。
おかしいよね、一生DT確定顔なのに(Cバージン)。
「少し喋っただけの女子をすぐ好きになっちゃう弱男」とかありがちな上に迷惑すぎる。

そして男子校育ちというDTエリート教育を受け、DT貴族に属していた当時の私にとって女子とは「こちらを見て何ごとか笑いさざめく謎の上位存在」…あまりに遠い、蜃気楼の様なものだったのです。ほぼ土地の精霊。

理解できなかったのは女子だけではありません。
いじめっ子たちは「コイツら悪魔の申し子か?」というくらい嫌なやつらでしたが、常にそうという訳ではないことにも気付きました。
彼らは仲間同士では仲良くやってるし、クラスメイトたちもいじめの黙認という形で彼らに協力しています。
何ならいじめという共同作業や共犯関係を通じて、お仲間同士の絆を強めてるまである。

イルカのオスは一頭のメスを集団で追い回し、押さえつけてレイプすることがあります。
メスから見ればレイプ魔ですが、オス同士で言えば利他行動。
ヒトも仕事の後、上司の奢りでフーゾクに行き、帰りにラーメン食べながら「さっきの娘、ちちショボかったっすね〜」とか感想を述べ合う、みたいなことするじゃないですか。
女性をモチーフとして介在させながらその実、ホモソーシャルが目的で、何ならミソジニー混入。
もうお前らがセックスしろよ、ボノボはそうしてますよ?

話がズレましたが、いじめっ子たちは私の様に社会性がない訳ではなく、むしろ世渡り上手で情に厚い一面も持っているのです。
何かボタンのかけ違いがあっただけで、出会い方が違ってたら私と親友になる未来もあったのかも。
などとこちらは夢想したりもするのですが、あちらはそうではない模様で無邪気にチェーンでしばいてきたりするのでした。
♪せーつーなーい片想い、あなたは気付か〜ない〜(古い)。

そんなある日、私は人生を変える本に出会います。
竹内久美子の『そんなバカな! あるいは神について』です。
そこにはヒトが時に利己的に、時に利他的にふるまう理由が書いてありました。
全ては遺伝子の戦略なのだ、と。

そうだったのか…!
やはり世間様が大事だ大事だと騒ぐ人間関係だの社会だのには何の意味もなかったんだ!
そして私には一生手に入らないであろう、愛とやらにも。
竹内久美子は私が社会を、人間関係を、他者を、唾棄すべきものだとすることに正当性を与えてくれたのです。
アホの高校生だったので、あちこちに論理の飛躍があることには全く気付きませんでした。オデ、ニンゲン、キライ。

数年後、元ネタであるドーキンスの『利己的な遺伝子』を読んだら、竹内久美子の様なトンデモには絶対に陥らない様な予防線が何重にも貼ってある良書で驚愕。
竹内久美子、アレ全部ぶっちぎってトンデモ方向に行ったんか…逆に器用やな。

そして私は竹内久美子のことなどすっかり忘れ、進化生物学の本を貪る様に読み漁りました。
社会に適応できなくてアイデンティティーを確立出来なかった私は、その代わりに自らの来し方・依って立つところを生物学に求めたのです。

ここでヒトの心に興味がある人は心理学、
心の源泉に興味を抱く人は大脳生理学、
ヒトの起源に興味を持つ人は古人類学などに向かうでしょう。
さらにもっと根源的なところ…
なぜ「何もない」のではなく「何かが存在する」のか、とかに興味のある人は理論物理学とか哲学とかに行くのもアリ。
しかし私の心を捉えたのは、
「ヒトは何故かくも我儘だったり、かと思えば優しかったりするのか?」
というテーマでした。
コレは進化生物学では「利他行動」をめぐる問題として盛んに研究されています。

もう一つ、強く興味を持ったことがあります。
持ち前の惚れっぽさを発揮した私はある女子とええ感じになったのですが、その後 数年間に渡り「燕の子安貝を取ってきて、あと火鼠の皮衣も〜」レベルのえぐい搾取を受けることに。
お金で解決できない分、タチの悪いやつ。
ぼったくりバーや結婚詐欺師が天使に見える。
皆さんにお伝えしておきますが、自分の裁量で動かせる範囲内のお金で片付くトラブルなんて、全然トラブルちゃうよ。

ここでもまた「ヒトの利己性」に直面した訳ですね。
そして何故にヒトは(というか私は)かくも異性に弱いのか。
コレまた進化生物学では「性選択」をめぐる問題として熱い議論が続いてます。

ちなみにドーキンスはこう言ってます。

我々は、たとえその相手との関係が長期的に見て誰の利益にもならないことを良心の正しい判断が告げる場合でさえ、特定の異性の魅力に抗しがたいことがある

…どうしたドーキンス!?
何か苦労してるなぁ…

そして竹内久美子による俗流のやつではない、ちゃんとした進化生物学を理解した結果、
「竹内久美子ヤバすぎるやろ…
コレは誰かがちゃんと批判しないと!
でも研究者はそんなことに時間を使ってられないよなぁ…
じゃあ私がやるか」
となった訳です。

まぁ一般人より拗らせた元ファンの方が敵に回すと恐ろしいよね。
ちなみにオカルト批判にも熱心な私ですが、もちろん元ムー民
小学5年生の頃にガチハマりしてました。

という訳で、私が進化論に興味を持ったり竹内久美子批判に異常に熱心だったりするのには個人的な動機があるのですね。
「シンジくんがアスカではなくマリとくっついたのは、庵野監督がみやむーにフラれた後で安野モヨコに救われたから」みたいな話やな…

そんなこんなで竹内久美子の気持ちが分かりすぎる(まぁ単なる自己投影かもしれませんが)。
実際、世を拗ねてた高校時代を知る友人に久しぶりに会ったら「ネトウヨになってるかも、と思ってた」と言われました。
あっぶなー!
私も竹内久美子みたいになるトコでしたわ。

そんなんしているうちに何とか世界と仲直りした私でしたが、性愛は相変わらずの謎。
ドーキンス先生も
「遺伝子がちょい書き替わったくらいで複雑な行動が変化する、というのが信じられへん?
ほな性行為について考えてみなはれ、納得やろ」

みたいなコト言うてはります。
それくらいセックスというのは奇妙な行為。

大体、「君の排泄器官と排泄器官の間に僕の排泄器官を入れてみないか」とか交渉するの、頭おかしいやん。
そんなんに合意する女性はおらんやろ…
ところがソフィスティケートされた方法でお願いされると、結局のところ多くの女性は同意し、しばしば悦びさえもって、男性の奇妙キテレツ摩訶不思議な望みを叶えてくれるのです。(※ただし以下略
♪みんなっみんなっみっんな〜 叶えてくれる〜
ふっしぎっなポッケで 叶えてくれる〜。

いやホントふしぎ。

そんな私なので、ほとんどの世界線では今なおバキバキDTライフをエンジョイしてるのですが…
この世界ではおそらくは何らかのバグにより、謎の分岐が発生。
さらにはぐれメタルばかり追いかけた結果、妙な方向の経験値が無駄に高まりました。

非モテの癖に生意気な、と思われるでしょうが…
これまた何らかのバグにより、表示されるグラフィックは何故かはぐれメタルではなく、しびれだんびらやボストロールだったのでご安心下さい。

しかし私はちょっぴり相貌失認のケがあり、人の顔を認識するのがやや苦手で、特徴というかアクの強い顔の方が好きなので無問題。
美人さんはみな同じ顔に見えるので、アイドルとかは全く見分けが付きません。
♪アイドルより〜普通に〜女芸人がっ好っき〜(永野)。
美人とは、目が離れてるとか顎がしゃくれてるといった、極端な特徴のない平均顔のことなので、把握するとっかかりがなくて困るです。

あとプレイヤーキャラクターもぜんぜん格好いい勇者とかではなく、デスピサロ(変型後)みたいなグラフィックなことも申し添えておきますね。
このゲーム、バグが多すぎないですか?

それと経験値の大半は皆さんがほぼ興味を持つことのない特殊プレイによって得たもの…いわば変態行為手当。
客観的に見ると全然羨ましくないやつなので重ねてご安心下さい。
バニラはあんま知らねぇ。

※バニラ:無難なセクロス。バニラ味は万人好みであることに由来し、元々はゲイ界隈の用語らしいですが、近年は異性愛でも使うっぽい。

ちなみに「バニラ」という言葉の由来はスペイン語で「鞘」を表す「vaina」(バイナ)に縮小辞をつけた「vainilla」(バイニーリャ)。
コレが英語の「vanilla」になった模様。
バニラビーンズは耳かきみたいな形の細長い鞘に入ってますからね。

そして「baina」と綴りが似た「vagina」(膣)も原義は「鞘」で、関係の深い単語だったり。
実際「vagina」という名称は膣だけでなく、関節の腱鞘にも使われます。
例えば前脛骨筋腱鞘はラテン語(学術用語は大体コレ)で「vagina tendinis musculi tibialis anterioris」。

vanillaとvaginaの語源が同じだと思うと、バニラが「普通のセックス」を表すのは愉快な偶然ですね。
そう考えると、フーゾク産業への入口となるのが
「♪バ〜ニラ・バニラ・高収入♡」
なのもさもありなん。

ついでに、うちの地元には「grains de vanille」(グラン・ヴァニーユ)という、どちゃくそ美味しくてお洒落な洋菓子店があるのですが…コレはフランス語で「バニラの種」という意味。
このお店、裏路地にひっそりとあるのですが、すぐ横が大きな産婦人科という鋭い地形なのでそこの見舞客でめちゃめちゃ賑わってたり。
「鞘」のおかげで大繁盛。

なお、バニラには媚薬・催淫剤としての歴史もあったりして奥が深い(鞘だけに)。

ちなみに京都のバニラカーは景観条例の関係で薄墨仕様。侘び&寂び。

IMG_6040
↑バニ子の瞳が「¥」になってないという。
キャラのアイデンティティーが大ピンチ。
音量も控えめ。


さらについでに、学術用語は大体ラテン語、という話ですが…
例えば生物の学名はギリシャ風ラテン語で付けるナスになってるヌス。
なので「下品なエロ用語も、格調高いラテン語で言うたら許されるやろ」という風潮があります。
逆に言えばわざわざラテン語を使う言葉はエロワード率高し。
森鴎外の『ヰタ・セクスアリス』なんて英語で言えば「セックスライフ」やろ。(超訳)

例えばチャップリンは16歳の妻に口腔性交させてたのがバレちゃって大ピンチになったのですが、コレは当時はド変態行為。
なので難解なラテン語を使って
「すんません、『フェラチオ』させてましたー!」
と公表。
コレに対して当時のアメリカ人は
「フェラ…チオ…? 何ソレ」
となった模様。

コレについてはさらに興味深い話があるので、↓ココ参照。


【映画評論家町山智浩アメリカ日記】
『チャップリン フェラチオ ロリータ』

https://tomomachi.hatenadiary.org/entry/20040527


なお、現代日本ではすっかり市民権を得たフェラチオですが、一般化したのはせいぜい80年代のAVブーム以降で、それまでは日本でもとんだ鬼畜行為でした。
普及しすぎたかもしれません。

何故か日本ではフェラチオという言葉の方も浸透していますが、アメリカではその後忘れられ、今では「blow job」が一般的。
コチラは「吹く作業」的な意味ですね。
火吹き棒的なイメージなのかアメリカ人。

ちなみにかまどで火吹き棒を吹く「火男」がなまって「ひょっとこ」になった、という説があるのですが…
息を吹くために口をすぼめ、煙がしみて片目を閉じ気味にしてる訳ですね。
だとすると、「ひょっとこフェラ」という薄い本界隈の造語…
アレは、「blow job」(吹く作業)をする人を「ひょっとこ」に例えるという、思わぬ角度で正鵠を射ていたのでは…。

なお、正鵠は「射る」でも「得る」でも問題ない模様。


ついでに、山の中に出る妖怪は一つ目に一本足が多いのですが…「呼子」とか「一本ダタラ」とかそうよね。一本ダタラ土俵入り。
コレは山の中でタタラ製鉄を行なっていた民が、タタラ(ふいご)を踏み続けるために片足が発達し、火を見続けるために片目を失うことが多かったコトに由来する、という説が。
コレも「ひょっとこ」みたいな話で興味深い。


などというフェラチオ大脱線ついでに、もうちょいフェラチオトリビアを。
…フェラチオトリビアって何?


【トリビア】

◉フェラには上位互換があり、「フェラ」「フェラミ」「フェラゾーマ」と威力が増していく。

◉バイストン・ウェルではミ・フェラチオが成長したのがエ・フェラチオ。

※当ブログは基本的には正確な情報を載せることを目指していますが、一般的なサイトとのバランスを取るため、時おり意図的な嘘をそれと分かる形で混入させています。


さらについでにvagina周りの話をすると…
医療業界では産婦人科を「ギネ」と呼ぶです。
由来は「Gynakologie」、ドイツ語で「婦人科」。
まぁ本来は産科は含まない様ですが。
あと女性型ヒューマノイドを「ガイノイド」(gynoid)と呼びますよな。
この辺はギリシャ語に由来する「女性の・女性器の」という意味の接頭辞「gyno-」(母音の前ではgyn-)から来ているのですが…
この「gyn」のあたり、「vagina」とつながってそうな綴り。

一方、男性型ヒューマノイドはアンドロイド。
「andro-」は「男性の・人間の」を意味する接頭辞…
男性ホルモンのアンドロゲンとかにも使われてます。
なので両性具有はアンドロギュノス(androgynos)…
ふたなり系の薄い本で100万回くらい見たやつ〜。
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(※画像は桜玉吉『しあわせのかたち』より引用)

男性と人間全般を代表させちゃうのは英語でも割とそうで、「man」は「mankind」(人類)とか「human
」に使われてますよな。
なお、「woman」は「wif」+ 「man」で「妻になる人」が語源。
男性に「人間」全般の意味があるのに、女性は「女性器」て酷ない? ほぼ「まんさん」呼び。

なので女性型も含めてヒューマノイド全般をアンドロイドと呼ぶことあるよね。
「-oid」は「〜の様な・もどき」という意味の接尾辞。

一方、「gyno」に「人類全般」的な意味はないどころか女性器の意味合いが付与されており、ガイノイドはいわば「膣もどき」(超訳)。
この辺、女性への偏見や扱いの酷さが言語に残っている気が。


いつも通りに脱線につぐ脱線でしたが、人様の性的経験にツッコむ以上、自らの話も開示しなければ失礼なので今回は心のパンツを脱ぎました。
むしろ脱ぎすぎたかもしれません(微妙に古い)。
他者との距離感がバグってるので適切な脱ぎ具合が分からない。


なお、世を儚んでいた大槻ケンヂはその後、不安神経症などでメンがヘルに。
後を追う様に私も同じルートを辿ります。
しかしその後、オーケンは逆ギレ的に世界を肯定する詩を書く様になっていくのでした。
私がどうなったかは皆さんご存知の通り。

…で、竹内久美子はいつまでソコにいるつもりなんでしょうか?



この世界を 憎しむだけの想いは
忘れたよ 今はもう 静かにさあ


   『大槻ケンヂ詩集 花火』所収
    「小さな恋のメロディ」より