2022年12月

2022年12月23日






今回も例によって話が長いが、頑張ってお付き合い願いたい。 
いつものことながら説明の単純化のために正確性を犠牲にした部分があることについてはご容赦いただきたく思う。 
平易な説明にするために難しい言葉はできるだけ避けたが、《》内に専門用語も併記しておいたので興味のある方は検索するなりしてさらに理解を深めていただければ幸いである。 


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男女は苦本的に同じものでありながら、一方で大きく違ってもいる。
身体的な違いだけでなく、思考様式までもが完全に違っているのでは、と思う瞬間は誰しもが経験したことがあるだろう。

それらの違いはどうして生まれたのだろう? 
いや、そもそもなぜ性別などというものがあるのか? 

「だって性別がなければ子供が作れないじゃん」というのは答になっていない。 
性は繁殖とひとくくりにされやすいが、本来は別のものだ。 

簡単に言えば、繁殖とは一つのものが二つになる過程であり、性とは二つのものが一つになる過程である。 
性がなくても繁殖はできるし、繁殖しなくても遺伝子交換はできる。 

おそらくは個体発生のはじめに性を持ってくると便利なので、後に両者が一体のものとなったのであろう。 
いまや繁殖と性は不可分のものとなり、我々は「そのどちらかだけを行う」ことはもはや出来ない。 

だが雄が子供を持つのは難しいとしても、「雌が雄なしで雌を産む」という雌しかいない生物を想像するのは簡単だし、実際に存在する。 
性はもともとは子作りとは無関係なのだ。 



男女の違いは性の違いである。 
ではなぜ性はあるのか? 

「性」とは要するに個体間で行われる遺伝子の混ぜ合わせである。 

性の起源や、その役割(メリット)については謎が多い。 
実はこの辺の話は非常に面白いのだが、話があまりに長くなる上、おそらくそこまで根源的な話に興味がある人はあまり多くはないと思われるので、それらについては別の機会に譲ることにしよう。 

ともかく性は存在する。 

性が導入されると、その後実に様々な出来事が必然的に起きる。 
それは「風が吹けば桶屋が儲かる」式の、あまりに長い物語なのだが、そのワンステップワンステップはドミノ倒しの様に確実なものである。 


性別は雄と雌の「2種類」とは限らない。 
わざわざ雄と雌に分化せず、一種類の性で済ますこともできるし、より多くの性別を持つこともできる。 
現にある種のバクテリアは5万種ほどの性別を持つ。 

だが多くの生物は結局のところ、2種類の性別──「雄」と「雌」を作ることを選んだ。 
それにはちゃんと理由がある。 


最初は雌雄の区別などなく、どの個体も同じ生殖細胞(配偶子)を使って生殖を行っていただろう。《同型配偶子》 
だがその中から移動性の高い配偶子を作るものが現れた。 
配偶子が自ら動き回ればその分、別の個体の配偶子と出会う確率は高くなる。 
それらの配偶子は機動性を高めるために小型化していった。 

しかし小型化するということは栄養が少なく、スタミナ切れしやすいということでもある。 
そこで自らは機動性を持たず、たっぷりの栄養を抱えて、「機動性の高い配偶子が来るのをひたすら待つ」というタイプの配偶子が生まれた。 

これが精子と卵子の起源である。 
「機動性も栄養も中間くらい」の配偶子もあったのだろうが、それらは定着しなかった。 
どちらかに特化した方が上手くいくのだ。 
これはコンピュータによるシミュレーションでも再現されている。 

はじめは同じ個体が精子と卵子の両方を生産していただろう 。《雌雄同体》 
だがここでもどちらかに特化した方が効率が良かったと見える。 
多くの生物は「精子のみを生産するタイプ」と「卵子だけを生産するタイプ」に分かれていった。 

これが雄と雌の起源だ。 
そもそも「雄」とは小さい配偶子を作る性、「雌」は大きい配偶子を作る性のことなのだ。 

現在でも同型配偶や雌雄同体の生物はいるが、少数派である。 



さて、雄と雌、役者は出揃った。 
ここから興味深いことが起きる。 
雄と雌とでは繁殖戦略が異なり、そこから様々な違いが生まれてくる。


雄と雌では生殖にかかるコストが違う。 
より大型で栄養の多い卵子は高くつくのだ。 
雄と雌が同数であっても、高価な卵子は生産数が少なく、貴重品である。 
雌は作れる子孫の数に制限がある。 
一方、雄は潜在的にはほぼ無制限に子孫を作れる。 
つまり雄の方が繁殖速度が速いのだ。《潜在的繁殖速度の差》 

ということは実数では雌雄同数でも、実質雄の方が多いのと同じだ。

さて、ここでひとつの疑問が浮かぶ。 
実質、雄が余るなら、はじめから雄を少なめに作ればいいではないか?【註1】 
大量の雄があぶれて繁殖に寄与しないなら、その方が効率が良さそうに思える。
しかし実際には大抵の生物の性比はほぼ1:1である。 
何故なのだろう? 

雄を少なめに作る賢い生物がいたとしよう。 
この集団は数を増やす上では有利である。 
何しろ雌が多いのでその分、より多くの子を残せる(雄は直接子供を生まない、いわば無駄な存在である)。
だがその中にもし雄を多めに生む個体が現れたらどうなるか? 
この集団の中では雄は多くの雌を受精させることができ、しかもライバルは少ないため、雄を多めに生む個体は非常に有利である。 
すると集団の中で「雄を多めに生む個体」は増えまくり、いつの間にかこの集団は雄だらけになってしまう。 
すると今度は雌が貴重となり、「雌を多めに生む個体」が有利になって雌が増え…
結局、性比は1:1に落ち着く。 
性比が1:1というのは、雄と雌のどちらを生んでも有利でも不利でもない、安定したポイントなのだ。 

そういう訳で一見無駄に見える「繁殖できない雄」を抱えつつ、大抵の生物は雌雄がほぼ同じ比率となる。【註2】 


雌雄は同数だが実質は雄は余る…
そこで雌をめぐる雄の競争が起きる。 
雌は貴重なプレミア品であり、売り手市場であるが、雄は供給過剰で値崩れしてしまうのだ。《ベイトマンの原理》

雄はしばしば他の雄と実力行使で、あるいは儀式的に、闘争を行う《雄間闘争》。 
あるいは雌が厳しい目で最も優秀な雄を選び《フィメール・チョイス》、雄は選ばれるべくしばしば装飾を発達させる。 
これらは性淘汰と呼ばれ、雄だけに発達した武器や装飾はこの過程を通じて進化する。【註3】 


雄と雌の違いは繁殖戦略にも影響する。 

雄はより多くの雌と交尾すればするほどより多くの子孫を持てる。 
そのため、雄は一般により多くのパートナーを求め、浮気をする傾向にある。 

一方、雌は少数の卵子しか持たず、これは1個体の雄だけで充分受精可能なため、浮気をする必要性は低い。【註4】 
浮気したところで子孫の数は増えないのだ。 
そこで雌は雄の数ではなく、質を重視する様になる。 


雌は繁殖成功度にあまり差がない。 
モテる雌でもモテない雌でも、遺せる子孫の数は大きくは変わらない。 
雌の場合、2倍モテれば子孫の数も2倍になる訳ではない。 
「卵子の数」という上限があるからだ。 
一方、モテない雌でも子孫が全く残せない、ということはあまりない。 
雄は余っているので、質の低い雌であってもパートナーになりたがる雄には事欠かない。 
1個体の雌を受精させるために必要なものはわずかな精子だけであるため、モテない雌には不相応なほどモテる雄でさえ、そのくらいは提供してくれる(それだけで子孫の数が増えるので雄にとってもお徳なのだ)。 
したがって雌はたとえ質が低くてもあぶれることはまずない。 
雌はリスクが少なく、安定した堅実な投資家と言える。 

雄はというと、完全に逆である。 
雌をめぐる激しい競争があるため、繁殖成功度には大きなばらつきがある。 
雌は雄の質にこだわるため、一部の質の高い雄が雌を独占することになる。 
そのため、モテる雄は非常に多くのパートナーを持つ。 
そのかわり、敗者はほとんど子孫を残せない。 
雄は勝者と敗者の差が激しい、ハイリスクで冒険主義的な投資家なのだ。 

したがって平均的な繁殖成功度は
「質の高い雄 > 質の高い雌 ≧ 質の低い雌 > 質の低い雄」
となる。


この様な傾向は広く見られるが、複雑な生物ではより顕著になる。 

比較的単純な生物は多数の卵を産む。 
子供が生き残るかどうかは運による部分が大きい。 
複雑な生物はおおむね少産少死である。 
大きな卵や子供を生んで世話をし、確実に育てようとする。 
《r戦略とK戦略》 

哺乳類の場合、妊娠と育児によって雌の負担は増大するが、雄は基本的に子育てに参加しない(人間の男性が育児に参加するのは貴重な例外なのだ)。 
雌はただでさえ少産な上に妊娠・育児期間(大型哺乳類の場合、数年に渡ることもある)は新たな繁殖は不可能なため、哺乳類の雌の繁殖速度は非常に低い。 

そのため、雌にはますますプレミアムがついてバリューが高くなる。 
要するに繁殖可能な雌はおそろしく貴重なのだ。 


この先にまだヒトの男女が辿った長い物語があり、これもまた実に興味深い話なのだが、それもまた別の機会に。 
それらの話も結局はここまでの話の延長上にあり、基本的には何も変わらない。 
繁殖戦略の違いが男女の違いを生む。
繁殖戦略が違うと生活環境も変わる──男性は他の男性と共に狩猟を、女性は他の女性と共に主に採集をして過ごす、といった様に。
そういった異なる環境では異なる選択圧が働き、男女はより違うものへと分かれていく。


我々男性は女性が同じ人間として男性と基本的に同じ知的能力と情動を持っていることを知っているし、社会的に同等の権利を有するべきだと思う。 

そして性的なパートナーとして女性はこの上なく美しいと思うし、尊重する。 

だが同時に、女性が一般に自己愛が強く、性的プライドが高く、男性に優遇されつつそれをさも当然とみなす傾向があることも知っている。【註5】 

私にはそれをどうこう言うつもりはない。 
それどころか耽溺してそれらの傾向を助長する気まんまんですらある。 
「無意識の傲慢さ」は女性の一種の甲斐性だと思っているからだ。 


それでも、そういった女性の「傲慢さ」が存在することは事実だ。 
そしてその根拠はといえば、究極的には「数の違い」という一点なのだ。 

この「数の違い」は性というものが出来た瞬間から──まだ雄も雌もなかったころから──いずれは生じることが運命づけられていたものである。 
ずいぶんと長いドミノ倒しだったが、それでも最後のドミノが倒れるエネルギー源は、元をただせば最初に倒されたドミノに与えられたエネルギーなのだ。 

数が少ないから女性はちやほやされて育ち、自分が愛されて当然の存在であると自覚する──あるいはそう思い込む。 

美しさや可愛らしさは本質的には関係ない。 
我々が女性を美しいと考えるのは、単に我々が人間の男性で、女性を美しく捉える様にプログラムされているからだ。 
ゴリラの雄はゴリラの雌を至高の美だと捉えていることだろう。 
それと同じことだ。 

女性は女性でプログラムに沿って厳しい目でパートナーを選んでいるのであろうし、たまたま甘やかされた環境で育ったからといってそれは彼女たちのせいではない。 
 
それは判ってるんだけどね~…。


例えば、飲み会でちやほやされてキャッキャとはしゃいでいる美女を眺める私の口元に笑みがこぼれる時。 

「ずいぶんニヤニヤしてるね? 何考えてるの?」 
なんて聞かれたりしたら、私は 
「え?…ちょっと人には言えない様なコト…」 
と答えるだろう。 
「え~ナニナニ~? えっちなこと?」 
なんて無邪気に笑う女子っこには決して言わないけれど。 

その「人には言えない様なこと」というのは、要するにこういうことなのだ。 


「また随分と楽しそうですな。
その君の価値を裏打ちしているのは大半が『数の差』でしかないのにね?」 




…いかーん!
非モテ期間が長かったせいで、女性へのルサンチマンが隠しきれない。

…という私の個人的事情はさておき。

性差の起源を知り、見つめることは両性の相互理解に有益であることは確かだ。
そして自分自身をより深く理解するためにも。









【註1: 雄が余る】 

「雄が余る」ということは繁殖に寄与しない訳で、いかにも無駄に思えるかもしれない。
だがそもそも「繁殖しない雄なんて『無駄』ではないか?」という疑問には「集団全体にとっては無駄」という含意がある。 
しかし生物は「種の存続」だの「集団全体の繁栄」だののため生きているわけではない。 
仮に「集団全体のため」に奉仕する利他的な生物がいたとしても、もしその中に自分の繁殖だけにはしる利己的な個体が現れたら、その利己的な個体は利他的な個体をうまく利用して成功を収める。 
すると利己的な個体が増え、この集団は遠からず利他的でなくなってしまうだろう。 

生物はあくまでより多くの自分の子孫(正確には遺伝子のコピーだが、ここでは両者はほぼ同じに扱える)を残す様に働くのだ。 
そのため、集団全体の利益ではなく、個体の利益が優先されるのだ。 


誤解を招かない様についでに補足しておくと、生物が自分の子孫のことを意識的に考える必要はない。 
機械的な行動であっても、それが子孫を残すことにつながることなら、それで充分なのだ。 
例えば子孫という概念を持たなくても、性欲さえあれば目的は達成できる。 

なんであれ、「子孫の数が最大化される様な性質」をたまたま備えている個体は(定義によって)そうでない個体より多くの子孫を残しやすい――ただそれだけのことなのだ。 

これもまた、シンプルで美しい論理である。 
そしてこれこそが、我々が今ここに存在する理由なのだ! 


透徹した美しい論理に対する畏敬の中に、少しばかりの冷笑が混入する──それは我々の存在もまた同様なのかもしれない。 



【註2: 雌雄がほぼ同じ比率となる】 

ついでに言えば正確には性比が安定するポイントは「同じ数を生む」時ではなく、「同じ資源量を投資する」時である。 
男性は病気に弱く、闘争による死亡率も高い。 
途中で死んだ場合、それ以上の投資は必要なくなるので、男性は平均的には安くつく。 
そのため、少し多めに生まれてくるのだ(人間の場合、男女比は105:100)。 
だが近代医療のおかげで多めに生まれた男性は殆ど減らず、男性余りに拍車をかける。 



【註3:性淘汰】 

性淘汰(性選択)もまた興味深い分野であり、我々に多くの性質や男女の違いをもたらしたのだが、ここでは割愛する。 



【註4:雌は…浮気をする可能性は低い】 

…と、昔は考えられてきた。 
だが実は雌はかなり積極的に浮気をするらしい。 

鳥類の体は空を飛ぶために莫大なエネルギーを必要とするが、一方で重荷となる余分な脂肪を蓄えることはできない。 
そのため常に給餌の必要があることから雄雌共同で子育てすることが多く、一般に仲睦まじいと思われてきた。 
しかしある種の鳥ではつがい外交尾で生まれた子が3割に達することが判明したという。 

また、ある鳥の雄は異常に嫉妬深く、24時間寝ずの番をしてペア雌を見張るが、もし見張らないと実際に雌は浮気するらしい。 

雌が浮気する理由はいろいろある。 
「雌がつい浮気しちゃうほどセクシーな雄」の遺伝子を自分の子供に受け継がすことが有利だから、という場合もあるし、我が子の命を守るためにあえて雄を受け容れる場合もある。 
しかしいずれにせよ、そこから人間の道徳を引き出すべきではない。 

言えることは、雌は決して受け身な存在ではなく、雄を選ぶ・拒否する・浮気する、と積極的に自らの繁殖に関わる戦略者だということだ。 



【註5: 一般に自己愛が強く、性的プライドが高く、男性に優遇されつつそれをさも当然とみなす傾向がある】 

一般に女性は恋愛面で有利だが、個別の事例としては女性が苦労する場合も当然多い。 
しかし全般的な傾向として女性の「私、もてなくて困ってるんですよー」は単に相手を選り好みしているだけ、とも取れる。
プライドと敷居を下げ、「本当に相手は誰でもいい」と考えるなら、女性がパートナーを見つけることは比較的容易だからだ。 
疑うならネット上に
「非モテです。誰でもいいのでパートナー募集」
と書き込んでみると良い。
女性なら数時間で複数のオファーが来るだろう。
しかし男性は何日待っても1件の引き合いも来ない様に思われる。

この様に男性の場合、相手を選り好みしなくてもあぶれまくる。 

これは数の違いがもたらす当然の帰結であり、同時に厳しい現実なのだ。 

したがって両性の「もてないんですよ~」「私だって苦労してますよ~」は、同等には扱えない性質のものである。 

もっとも、女性の繁殖戦略上の望みは「とにもかくにもパートナーを得る」ことではなく、「それをさらに絞り込む」ことなので、単にパートナーを得るだけでは女性は満足しないものなのだろう。
その点で上記の主張はやや不公平なものかもしれない。

さらに公正のために触れておくと、男性に見られやすい欠点も数多い。 
特に暴力的傾向は顕著であり、大雑把に言えばどこの文化でも殺人者の大半は男性である。


ただし、男性が暴力的な理由の一部は、女性がそういう男性を好み、選んできたからでもある。
ちなみにフェミニズム系書籍の中にもこの進化的説明を踏まえているものがある。







(00:19)

2022年12月15日




【今回の要約】


◉保守系サイト・アゴラが「学術会議が会合で赤旗の記事を配布してる」という記事を載せる
   ↓
ネトウヨさん達が拡散し、一斉に学術会議を批判


◉アゴラ「税金で赤旗を買ったのでは?」
   ↓
そう考えなければならない理由は特にない。
配布されたのは4件、うち3件はネット版、残り1件もネットで閲覧化。
そもそも学術会議が配布資料を購入しているかも不明
学術会議の関連記事が載ってることに気付いた関係者が持ち寄ってるだけでは?
そもそも購入してたとしても資料なら問題ないやろ…


◉アゴラ「赤旗の記事をわざわざ配布する理由は? もちろん共産党が議題なんやろな?」
   ↓
他の新聞にも特段「その新聞社でなければならない」必然性はない。
学術会議の関連記事を網羅的に配布してるだけ


◉アゴラ「政党機関紙で配布されたのは赤旗だけ」
   ↓
他党の機関紙と違い、一般紙同様の紙面づくりをしてるなど理由はある


◉【結論】アゴラ記事の執筆者、バイアスがすごい




…という訳でさっそく本記事を始めていきます。


2年前、菅首相(当時)による日本学術会議の任命拒否問題が騒がれていた頃…
ネトウヨさんたちがこんなコト言ってました。


【戦後体制の超克】
『【隠れ組織】日本学術会議が税金で赤旗を購入!←ネット「これもう日本共産党会議だろ」』

https://ameblo.jp/nihonkaigi-yachiyo/entry-12632282742.html




【5ちゃんねる】
『日本学術会議さん、共産党機関紙「赤旗」を税金で購入 会議資料として配布してた・・・』

https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1602920553/




ソースはいずれも池田信夫が主宰するオピニオンサイト『アゴラ』の記事です。【※註1】


【アゴラ】
『悲報:学術会議、会議資料として赤旗の記事を配布してしまう』

http://agora-web.jp/archives/2048552.html



タイトル通り、「税金で赤旗を購入し、配布するなどけしからん」というご宗旨の様です。
ソースとなる資料は↓コレ。


『委員会等で机上配布した新聞等記事一覧』
https://www.scj.go.jp/ja/member/iinkai/anzenhosyo/pdf23/newslist.pdf



この資料をよく見ると、1年4カ月の間に13回の会議が行われていますが…
赤旗の登場は3回の会議に4つの記事が配布されてるだけです。


◉p.3
・「軍学共同反対連絡会を結成」しんぶん赤旗、2016 年 10 月1日。
<http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-10-01/2016100101_01_1.html>
(2016 年 10 月3日最終閲覧)


◉p.12
・「軍事研究禁止を継承 学術会議 50 年ぶりに声明」『しんぶん赤旗』2017
年3月 25 日。

◉p.15
・「研究の軍事利用拒否しよう 日本科学者会議がシンポ」『しんぶん赤旗』
2017 年6月 26 日 。http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-06- 26/2017062601_04_1.html〉(2017 年8月 19 日最終閲覧)


◉p.17
・「軍事研究、多くの大学慎重 日本学術会議がリポート」しんぶん赤旗
(ウェブ版)、2017 年9月1日。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-09-01/2017090104_02_1.html


そのうち3回はURLが付記されており、ネット閲覧であることが判ります。
残りの1回↓もネット閲覧可能な記事。


【しんぶん赤旗】
『軍事研究禁止を継承 学術会議 50年ぶりに声明』

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2017-03-25/2017032501_04_1.html



アゴラの記事にはこうあります。

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さて、素朴単純に「赤旗の記事配布」の情報に接すると「学術会議事務局が経費で赤旗を購入し、必要な記事を抜粋、それを会議資料として配布した」と解釈できるのではないか。

それはすなわち「税金で赤旗を購入した」「税金で政党機関紙を購入した」ということである。「そう単純な話ではない」という批判が聞こえそうだが「新聞等記事一覧」程度の情報公開ならば「税金で赤旗を購入した」「税金で政党機関紙を購入した」という批判は避けられないのではないか。

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しかし配布された資料のリストを見ると…
『京都新聞』『四国新聞』『朝日新聞』(北海道版)『高知新聞』『沖縄タイムス』『琉球新報』『筑波大学新聞』
などの地方紙・地方版・大学新聞まであるやん…
これらも学術会議が税金で買ってんの?
わざわざ日本全国の地方新聞に至るまで?
それは考えにくいのでは…

こういうのって「関係者がたまたま見つけた記事を切り抜いて送ってきてくれてる」と考えるのが自然じゃないですかね…?
私だったらそうしますし、会社などではよくあることです。
だったら経費はかかってないよね。

仮に購入してたとしても、それは資料代なので正当性があるでしょう。
何も新聞を定期購読する必要はありません。
大抵の新聞は1部売りもしてます。
調べたところ、赤旗もバックナンバー1部売りがある様です。

え、「例え少額でも特定の政党にお金が流れるのはダメ」…?
もしそれが絶対にやってはいけないタブーなら、「公安警察や公安調査庁が資料として経費で赤旗や共産党の出版物を購入するのもアウト」になりますが、それで良いんでしょうか?【※註2】

あとアゴラはこうも書いてます。

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仮に会議資料として赤旗の記事を配布するとしても、それは赤旗の記事を配布しなくては会議が成立しないような事例に限られ、おそらくそれは日本共産党を議題とした会議ではないのか。管見の限り日本共産党は議題になっていない。学術会議の使命・目的を考えればそれは想像しがたいことである。
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…何でそんな奇妙なコトを思ったのか…
見れば分かりますが、これらの資料は学術会議関連の記事を網羅的に集めたものです。
おそらく「最近の学術会議に関する報道はこんな感じです」という参考資料として配布しているものでしょう。
2017年8月31日の会議では世間を賑わせたおかげで100件近い記事が配布されています。
こんなんいちいち会議場で議題として取り上げてへんやろ…。

それでも
「赤旗の記事を配布していいのは、そうしなくては会議が成立しない事例のみ! しかも共産党を議題にしてないと!」
と言うなら…
そのロジックだと話は赤旗に限らず、例えば
「日経の記事を配布していいのは、そうしなくては会議が成立しない事例のみ! しかも日経を議題にしてないと!」
というコトになる筈ですが…
なんでそんなに鼻息荒くイキってるのかサッパリ。

ていうか、学術会議の会合で何故か共産党が議題になってたら、それこそ大騒ぎするのは右寄りの人達の方やろ。



アゴラの難癖は多岐に渡ります。

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資料を読むと「机上配布した新聞等記事」の一部に赤旗の記事が挙げられている。これはおかしい。赤旗は政党機関紙であり、新聞と同種ではなく「新聞等記事」の「等」には含まれない。どういうことだろうか。
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赤旗は政党機関紙ではありますが、通常の新聞に準じた体裁を整えています。
Wikipediaにも
『紙面の大半は、政治、国際、経済、スポーツ[10]、社会ニュース、文化、芸術、教育、くらし家庭、テレビ・ラジオ欄[11]、4コマ漫画など、一般紙と同様である。』
と書かれてるし。
赤旗が真正の「新聞」かどうかについては議論の余地があるとしても、新聞「等」にすら『含まれない』と断言するのは強引やろ…。


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しかも政党機関紙の記事は赤旗しか配布されていない。なぜ赤旗だけなのか。なぜ他の政党機関紙の記事は配布されていないのか。
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例えば公明党の『公明新聞』はラテ欄込みで8ページしかなく、自民党の『自由民主』週刊のタブロイドで時事記事はあまり載ってない模様。
これらこそ「新聞」と言うよりは「政党機関紙」でしかないのでは?
まぁ私ならこれらの政党機関紙が配布資料に入ってても別に騒ぎ立てようとは思いませんが…

しかし先述の様に、全国の学術会議関係者が目にとまった関連記事を送ってくれるシステムなら、一般紙に準じた内容の赤旗を新聞感覚で読む関係者が送ってくれることでしょう。
要するに他の政党機関紙に比べると赤旗は売れてる上に一般紙と同じ感覚で読まれてるので、単純に誰かの目につき易いだけでは…?

あと学術関係者、つまり常識に捉われずに新奇なアイデアを生み出すインテリは、宗教の影響下にある『公明新聞』や現体制を肯定する『自由民主』との親和性は低いやろ…
コレは一種のバイアスではあるので社会学的な実験なら制御されるべきですが…
会議で配布する参考資料ってそこまで厳密じゃなきゃダメですか…?
だったらあらゆる情報をキャッチしたり統計処理したりするために余分にかかる費用を賄える様に、学術会議に潤沢な予算を付けるべきでは…?


あとバイアス云々を言うなら、このアゴラの記事の方が全体に無理してでも共産党をディスろうというバイアスに塗れてますよね。

そもそも執筆者は何で学術会議の内部資料を「赤旗」というキーワードで検索しようと思ったのか…?
おそらく、
「学術会議は共産党とツルんでる、何か不正なコトをしてるに違いない!」
と前もって考えてたからですよね。
そしたら検索してみたら赤旗の名が出てきたので、
「証拠、見つけたどー!」
と歓喜した、と。
しかしよく見ると、とても不正とは言えない正当性のあるものだった。
それでも関連を示す『証拠』はコレだけしかないし、一応は関係はあったのだから無理くり「不当だ!」ということにして書き立てた…
といったところではないかと、私には思えます。

このアゴラの記事を執筆したのは高山貴男なる人物。
ご本人のブログをのぞいてみると…

【高山貴男のblog】
https://ameblo.jp/takayamatakao/

直近のエントリは↓こんな感じ。

『カルト宗教批判を批判する』
『統一教会との「接点」問題は宗教行政の領域ではない』
『外国人の政治活動の容認が統一教会を拡大させた』
『モリカケよりひどい:統一教会との「接点」批判』
『反社対策でカルト宗教はなくならない』
『カルト被害は戦後レジームの結果』
『陰鬱な統一教会報道』
『政教分離をやめよ』
『政策を歪める「歴史」』
『武蔵野市条例:問われたのは「自治体と安保は無関係」という姿勢』
『歴史修正主義批判を批判する』
『マスコミは権力を監視しなくてよい』
『恐怖心と羞恥心を強要する差別禁止法に警戒せよ』
『メンタリストの暴言で考えたい「同胞」意識』
『「ロックダウン条例」が議論できない都道府県知事とは何者か』
『自由・人権・平等の美名の裏にあるもの』
『ただの子ども…日本型立憲主義者の正体~安保法制施行5年目に考える~』
『活動家の特性を挙げてみた:東日本大震災10年を機に』
『大人が大人を嗤う醜さ~森喜朗に同情した高校時代~』
『議論を停滞・混乱させる「国家・政府の擬人化」』



…どういう方なのかよく分かりますね。
特に最近は統一教会の問題を扱いつつ、何故か当の統一教会&自民以外の話ばかりする不思議な記事を量産してる模様。


…おや?
『マスコミは権力を監視しなくてよい』という記事がありますね。
ところがこの方、アゴラの記事の方ではこう書いちゃってます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
こうした批判を避けるためにも学術会議はなぜ赤旗の記事だけを配布したのか、丁寧に説明すべきではないか。この「赤旗の記事配布」の例をみても学術会議が如何に世論から遊離した組織であるか、如何にマスコミに監視されていないかがよくわかる
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

(学術会議が)『如何にマスコミに監視されていないかがよくわかる』
と書いてる人が
『マスコミは権力を監視しなくてよい』
…なんともダブスタ~!


さらに高山貴男はこう書いてます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ここにきて注目されている、日本共産党との「特別な関係」を推測する者もいるだろう。角度を変えて学術会議を見れば、この組織は日本共産党とそっくりである。組織中央が絶大な権力を持つ「民主集中制」が採られている。

学術会議が日本共産党の影響で「民主集中制」になったかどうかはわからないが、やはりこの組織を語るうえで必要なのは日本共産党との関係である。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

ほぇ~そうなんや~…
と思って「学術会議 民主集中制」でぐぐってみましたが、「学術会議が民主集中制を採っている」という情報はこの高山貴男の記事以外には出てきませんでした。
何かソースあるんですかね…?









【※註1:池田信夫】

池田信夫は、進化論系トンデモ批判で有名なNATROMさんに噛みつき、「素人の癖に相手を素人扱いする」というめちゃカッコ悪いムーブをしているのでお楽しみ下さ~い。

【NATROMのブログ】
『池田信夫氏からの反論』

https://natrom.hatenablog.com/entry/20070429/p1



【※註2:公安警察や公安調査庁】

これは公費支出の原則の話であって、「共産党の監視に正当性があるか」とはまた別の話。





【オマケ】

このエントリのために調べものしてたら↓こんなん発見。


【毎日新聞】
『学術会議任命拒否 民主主義の一丁目一番地=長谷川眞理子・総合研究大学院大学長』

https://mainichi.jp/articles/20201101/ddm/002/070/071000c



有料記事なので冒頭しか読めませんが、竹内久美子が異常に敵視して『日本型リベラル』扱いする長谷川眞理子が任命拒否について語ってます。







(00:01)

2022年12月11日




最近、↓こういうのが一部で話題になりました。


【わんこーる速報】
『【悲報】男「薬で性欲無くしたら女を『キンキンうるさいだけの豚』としかおもえなくなった」女「ギャオオオン」引用RTが地獄と化す』

http://onecall2ch.com/archives/10160717.html


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…個人的にはめちゃめちゃ女性差別的だなと思う一方で、心情的に理解できる部分もある、といったところ。
上記リンク先でも言われてるけど、この人、私と同じく性的弱者っぽいよね。
女性に対するルサンチマン溢れすぎだけど、その心情は同士としては分かりすぎる。
でも私もSSRI飲んでるけど、女性がこんな風に見えたりはしないですけどね〜…。


女性がただ「女性である」というそれだけの理由で男性から様々なサービスを受けているのは事実でしょう。
そして女性がしばしばそれに無自覚なのも。
男性側が、優遇されてるのに自覚さえしていない女性にムカっとするのはまぁ多少なりとも理解できます。

しかしそれは女性を(潜在的にであれ)性的に見た場合の話。
一人の人間として見た場合、女性は社会的に様々な不利を押し付けられています。
それを無視してこんなん言われた女性が怒る気持ちもまた理解できます。

そもそもこの見方は女性を性的にしか見てないですよね。
性的魅力を感じなくなったらまるで無価値だと言わんばかりです。
しかし、(異性愛者であれば)男性は男性に対して性的価値を感じませんが、だからと言って他の男性のことをこんな風にわざわざ貶めて表現することは通常ないでしょう。
良き友人や同僚や隣人として、仲良くできますよね。
女性が相手の場合も同じ様に、性的魅力を抜きにしても仲良くやっていける筈でしょ…

男性社会において女性は異性としては厚遇される一方で、一人の人間としては冷遇されがち




「女性の性的魅力のみに特化した」レイヤーというか、そういう角度の切り口もあるとは思うのですが、それ以外の角度を無視する理由がよくわかりません。

私の個人的な「女性像」はおよそ以下の様なものです。



――――――――――――――――――――――


デウス・エクス・マキナ(Deus ex machina)という言葉がある。
「機械仕掛けの神」という意味だ。 

ギリシャ時代の演劇では最後にいきなりクレーン装置によって神が登場し、ストーリーを強引に解決することが多かった。 
そこからご都合主義的な作劇法をデウス・エクス・マキナと呼ぶようになったという。 



ロボットもののアニメや漫画には必ず『その作品世界におけるロボットの総称』がある。 
例えばガンダムで言うところの「モビルスーツ」みたいなやつだ。 
他にも「アーマードトルーパー」とか「ラウンドバーニアン」「オーラバトラー」「メタルアーマー」「ヘビーメタル」「モーターヘッド」など、いろいろある。 
巨大ロボットを「デウス・エクス・マキナ」と総称する漫画もすでに存在する。

おかげでこの言葉も随分手垢がついてしまい、今さら取り上げるのも若干気恥ずかしい。 
まぁ巨大ロボットなんてモロに「機械仕掛けの神」だし、絶対いつか誰かがやるとは思っていたが。 

ちなみに「機械仕掛けの神」はやや誤訳で、別に神が機械仕掛けという訳ではなく、演じていたのは生身の役者。
つまり本来は「機械仕掛けによって登場する神サマ役」といった意味なのだが、それはそれとして。



巨大ロボットといえば、『謎の彼女X』という漫画がある。 
青年誌連載なのに中学生が主人公のラブストーリーで、3巻まで読んでもファーストキスもまだというもどかしすぎる展開と、唾液に執着した妙にフェティッシュな描写が個性的な作品である。 

作者は1巻の後書きでこの作品は「思春期の少年と少女の関係」を巨大ロボットアニメのアナロジーとして描いているのだ、と告白している。 

確かに男子にとって女の子というのは絶大な力を持ちながらも謎に包まれた存在である。【註1】 

ちょっとした運命のいたずらに巻き込まれて少年は女の子の唯一のパートナーとして深く関わることになる— 
こういったラブストーリーの典型的な展開は確かに「女の子」を「巨大ロボット」に置き換えれば、そのまま巨大ロボットアニメの王道である。【註2】 


そう考えれば、女の子こそが機械仕掛けの神であるのかもしれない。 
「神」と呼ぶにはあまりにはかなく物質的な、分子機械に過ぎないところなどいかにも機械仕掛けだ。 


実際、「女の子が空から降ってくる」とか、その変奏曲である「女の子がモニターの中から出てくる」といったストーリーの作品は枚挙にいとまがない。【註3】 

それらはあまりにストレートに男性の欲望に忠実であり、それ故に「ご都合主義」として批判され続けてきた。 
まさにデウス・エクス・マキナである。 


実は「棚ボタ的に異界から訪れる女性」というモチーフは民話・説話にも多い。 
「天女の羽衣」「雪女」といった超越的存在との婚姻や、「鶴の恩返し」「狐女房」といった異種婚にまつわる話がそうだ。 
これらをまとめて「異類婚姻譚」と呼ぶ。 

ただし、民話では大抵の場合、女性は最後には人間界を去ることになる。 
常ならぬ者は長く人界にいてはいけないのだろう。 


あたかも天界から神が降臨してくる様に、優しく抱きしめてくれる女の子が一人現れればそれで男の一生はOKになる。

例えばもしそんな奇跡が例の秋葉原の事件の犯人に起きていれば、あの惨劇はきっとなかっただろう。【註4】
だが現実にはそんな奇跡は起きなかった。 


勿論、女性を神の如くに扱うのは間違っている。 
それは過大評価というものだ。 
だがそもそも恋愛とはそういったものである。 

「好きな人が死ぬ」か「自分と好きな人以外の全人類が死ぬ」かどちらか選べと言われたら、迷わず人類滅亡の方を選ぶ人は少なくないだろう。 
それくらい明らかに間違った判断をしてしまうものなのだ。【註5】 

その人が微笑めば世界全体が自分に好意を持っている様に思える。 
その人を失えば世界が闇に閉ざされている様に感じる。【註6】 

もちろん、たった一人の人間が世界全体と同等の価値を持ったり、世界全体の好意度を代表しているはずはない。 



別のある角度から見れば、女性は神どころか単に「変わった霊長類」である(もちろん、男性がそうである様に)。 

「女体の神秘」などという言葉があるが、毛の少ない雌猿に過ぎない女体に神秘めいたものなどどこにもない。 
神秘があるとすれば、それは毛なし雌猿を崇高な究極の美として捉える男性の脳の方にこそ存在する。【註7】 

さらに視点を変えれば、究極的には異性もまた時間や物質やエネルギーがそうである様に、利用可能な資源のひとつに過ぎない。 




女性はユニークな猿であり、男性を根本から救ってくれる神であり、世界の自身に対する好意度の表れであり、分子機械であり、等身大の女の子であり、資源であり、比類なく美しいオブジェクトであり、対等なパートナーであり、母親の様な庇護者であり、子供の様な保護対象であり、共通の利益のために協力しあう共同経営者であり、時には裏切り者である。 

見る角度によってその姿は次々と変わっていく。 
それらのビジョンを統合できた時、女性の「真の姿」が立体的に立ち現れるのかもしれない。 
今のところ成功していないが。【註8】 


私はダメ人間なので女性に「究極の救済者」であることを求めてしまう。 
だが現実的にはそれを要求することは無理である。 

いや、むしろ一人の人間として尊敬することさえ難しいことさえある。 
私は基本的には性格重視なのだが、時には肉体的魅力にやられることもある。 
そういう時には確かに相手のことが好きなのに、「ああコイツの頭にはおがくずしか詰まってねぇし」と思ってしまったこともあった。 

「好きだから相手の全てを理解したいし、自分の全てを理解してほしい」 
若い頃はその想いを消せずに苦しんだりもした。 

今は「全てを」理解しあうのは無理だし、その必要もないと考えている。 


恋愛は人間の感情生活にとって最大の祭なのだ。 
祭には中心に置く神輿が必要だ。 
実のところ担ぎ出す神輿の中身は何でも良い。 
何であれ、祭の間はそれは神聖視される。 

むしろ神輿の中身なんて虚ろであればあるほど良い。 
必要なのはその実際の価値ではなく、祭の熱狂だ。 
ほんのひとときの、その熱量が人生を彩ってくれる。 
夏の祭の花火の様に。 


これは女性の人格を軽視しているわけではない。 
むしろ「私は女性を過大評価してしまっているけれど、本当のところはそれが間違いであることは自覚していますよ」という告白だ。 



…かくのごとく私はいらんことをぐりぐり考えてしまうタイプの人間である。 

おまけに自分で自分を止めることができない。 
そんなことをしようものなら 
「ふーん、思考停止しちゃうんだ? 楽になりたいからって、都合の悪いことから逃げちゃうんだ?」 
という自分の心の声に押しつぶされる。 

だから他者に思考停止を命令してもらうしかない。 
不思議なもので、他者の言葉はわりと無根拠に信じられる。 
ましてや神の如き救済者たる女性の口から出る言葉ならなおさらである。 
「神輿の中身は何でも良い」というのはそういう意味だ。 

私の望みはぎゅっと抱きしめられて、「もう何も考えなくていいからね」と言われたい、ただそれだけなのだ。 
たったそれだけのことで私は救済されるのに。 



じゃあセックスはいらないのか、というとそこはまた微妙な問題である。 

セックスは重要だが、性欲の処理という側面はどうでもいい。 
性欲は確かにあるが、それは何とでも処理できる。 

私にとって、セックスとは自身の存在が異性に本当に受け容れられた証なのだ。 

極論すれば、「私はセックスしてもいいくらいあなたが好きよ」と言われれば、その言葉だけで充分である。 

だが言葉は危ういものだ。 
常に嘘やお世辞の可能性がつきまとう。 
その言葉を証明するには結局のところ、実際の行為が必要になる。 



まぁ「Deus ex machina」というスペル自体、真ん中へんに「sex」って書いてあるしね。 



――――――――――――――――――――――



…そんなこんなで私は、女性差別には反対しつつも、女性へのルサンチマンには共感を覚える訳ですが…

ここでもう一つ、男性側の事情について擁護しておきたいことがあるのです。


男性は特定のタイミングで急にケチくさく振る舞うことがあります。
別れることになったり、脈なしだなと思った瞬間、それまでのデート代やプレゼント代などを回収しようと女性に請求する男性は少なくありません。
ココ↓とか見てるとちょいちょい報告されてます。


【きしょくて痛い男のLINE】
https://kishoita.com/


勿論、こういった言動は女性にはめちゃめちゃ評判が悪いのですが…
こういった「男を下げる」行動を取っちゃう男性の気持ちもある程度、理解はできます。
アレはおそらく↓こういうことなのでしょう。



「これまでは君が女性であり、(潜在的)パートナーだからいろいろとサービスし、懐が深くて、器の大きい男性であることをアピールしてきた。
だがそれももう終わりだ。
今の君のは何の値打ちもない。
だから遠慮する必要もない。
言っておくが、君に何くれとなく目をかけてきたのは君が『何もしなくても価値がある』からじゃない。
君にそんな価値などない。
あの時の食事は『君にはただ一緒に食べるだけで食事代以上の価値があるから』奢った訳じゃない。
アレはただの先行投資だ。
君には散々『投資』してきたのだから、一部なりとも回収させてもらう。
カッコ悪くても構わない。
君にダメージを与えるためならどんな手だって使う」



あるいはそれは必ずしも本心ではなく、その場の勢いで負の感情を叩きつけてしまっただけなのかもしれません。


男性はこういうところで、男女間の恋愛における不均衡──女性優位であること──に対する呪詛がちょっぴり漏れ出がち
女性は女性であるだけで恋愛市場で有利なもの(その興味深い理由については近日中に別エントリにて)。

最初から「詰みキャラ」で戦うしかない男性はホントに大変なのです。



男性のこういった器のちっちぇー言動を許してほしいとまでは言いませんが…

それでも、普段はそれをおくびにも出さない様にしている訳で、その点だけは評価してあげてほしいです。










【註1:女の子】 

ここで言う「女の子」は単に「女性」くらいの意味。



【註2:女の子と巨大ロボット】 

ロボットと女の子のアナロジーについてもう一つ。 

大槻ケンヂの自伝的要素の入った小説『ロッキンホース・バレリーナ』に興味深い描写がある。 

バンドマンになった途端に驚くほど簡単に何十人もの女の子と性的関係を持てる様になった主人公は「女の子ってガンダムに似てる」と思う様になる。 
ガンダムにはいろんな種類があって、どれも似ているのに微妙に違う。 
女の子の体も基本的なパーツの作りはみんな似てるのに、声も体温もそれぞれ微妙に違っていて同じ物は二つとない。 

主人公は「女なんて話の中身は変わりばえしないのに、体のパーツだけはみんな違う」などと考えながらガンプラを集めるコレクション感覚でいろいろな女の子と体を重ねていく、という最低な人物なのだが、この「女の子ガンダム論」にはハッとさせられる。 

女性の人格を無視した軽薄な形ではあるが、それでもここには人間の「共通性と多様性」に対する愛情が見てとれる様に思うのだ。 



【註3:女の子が空から降ってくる】 

降ってくる系だと『天空の城ラピュタ』『ああっ女神さま!』『ウィングマン』など。 

モニター系だと『ビデオガール』『AIがとまらない』など。 
あ、『リング』の貞子もそうだ。 
貞子は実は「両性具有の超絶美人」として設定されている。 

おまけに超能力者の娘でかつ幽霊、という異界度マックスの萌え萌えキャラなのだ。 

ちなみに両性具有はギリシャ時代以来、人類の理想化された姿として憧憬の対象であった。 
現在でもニューハーフやふたなりキャラは日陰の存在ながら常にニーズがある。 

ただし、実際の両性具有者(インターセクシャル)はそういったセクシャル・ファンタジーとはかなり遠い存在であり、その苦悩は深い。 

両性具有には100ほどのタイプが存在するが、その中には実際に「美形で性的魅力が高い」ことを特徴とするタイプも実在する。 



【註4:秋葉原の事件】

この事件については以下を参照。 

『ヒトのやること大体同じ:ジョーカー事件はアモクだよ説』
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/15038623.html



【註5:間違った判断】 

それでなくても我々はペットの死を立ち直れないほど悲しむ一方で、アフリカの多くの子供達を飢えさせて平然としている。 



【註6:その人を失えば世界が闇に閉ざされている様に感じる 

こういう主人公の個人的な感情が世界観に直結するよーな作品は「セカイ系」と呼ばれ、一世を風靡した。

私の場合、恋愛はトラブると「相手との関係」は棚上げでむしろ「世界と自己との関係性」とか「自分のアイデンティティー」とか「不安神経症の症状との戦い」とかの問題に突入してしまう。 
ま、目の前の問題からの逃避の可能性もあるけど。 



【註7:毛なし雌猿】

この話は何人かの女性に披露したが、すこぶる評判が悪い。


ちなみにえっちの時に意識的に「ほぉ…これが霊長類の持つフォルムのバリエーションのひとつか…」などと考えてみたりもするのだが、えっちの最中にえっちの文脈から外れることは困難であり、女性の体はどこまでも美しく見えているので女性の方々は安心されたい。 

それだけ女性の体が男性の脳を操作する力は強力なのだ。 
その力はまさに神の如く抗うことができない。




【註8:立体的に立ち現れる

軸の数が3本だと3次元、つまり立体になる。
数学的には軸の数をさらに増やしていくことも可能。
例えば軸が4本だと4次元の超立体となる。

しかしヒトの視覚は3次元立体を網膜に投影された2次元像としてしか認識できない。 
もし4次元人がいたとしたら、4次元超立体を3次元像として認識する筈である。 

「3次元像を認識する」とは…例えば立方体をあらゆる角度(断面も含む)からみた像を同時に思い浮かべ、それをひとつのイメージに統合できればOKなのだが、人間の脳にそんなことが可能だろうか?

なお、ヒット本『ケーキの切れない非行少年たち』の作者が『立方体が描けない子の学力を伸ばす』という本を出しているが…

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私は高校の頃、4次元超立方体(を2次元に落とし込んだもの)の図をそらで描いて「キモいな…」と言われていた。


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(00:25)

2022年12月01日


江沢民さんが死去しましたね。
という訳でちょっとTwitterを覗いてみましょう。


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…と、お怒りの方々がいっぱい。
安倍さん死去の際にあれだけいた「死者を鞭打つのは日本人のやり方ではない」系の発言をしていた人はどういう訳か見当たりません。
皆さんどこ行っちゃったの?

政治的な色彩の濃い人が亡くなった場合、相手陣営の場合はここぞとばかりに叩き、自陣営の場合は「死者を冒涜するな」と擁護する…というのは左右ともにやりがち。

翁長知事と津川雅彦が亡くなった時は、どっちも同じくらいディスってた模様。


【雑記(主に政治や時事について)】
『翁長雄志、津川雅彦、両氏の死についてのツイートを集計し、左右どちらのほうがクズなのか計量的に分析してみました』
https://www.po-jama-people.info/entry/2018/08/12/113435

…しかしTwitter内を「翁長 津川雅彦」で検索してみると、ぶっちぎりでイイネ&リツイートされてるのは↓コレ。


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…願望ではなく現実を見てほしいものです。

そして左右とも断罪してるのは大体左翼。
「トンデモに左右はない」のでどちらにもアレな人は大量にいるのですが、理性的なのはおおむね左派かと。
まぁ右派は反知性主義と親和性が高いしね…

しかし今回は「右翼は叩くが左翼は擁護せず」。
そもそも「左派は中国ベッタリ」というのは右派の妄想に過ぎないのでまぁ当たり前。



あと結構多いのが、


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…という産経の誤報に関するもの。
なお、その産経さんは…


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…元気いっぱいですね。


あとこれも多いのが陰謀論系。



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↑無意味な数の偶然の一致に異常に拘るのは陰謀論者の特徴です。


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↑ウィルス陰謀論とJアノンさんの2連発。
このJアノンさんは他にこんな主張も。


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予言を何度外しても終末や救世を待ち続けるのはカルトによくあるやつ。


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↑コレはぱっと見、普通のネトウヨさんに見えますが…引用されてるブログを見ると、


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…またしてもJアノンさん。
ウヨサヨの話以前に、こういう主張が少なからずあるって異常なことですよ?

ちなみに『ありすママの東大に行ける子を育てる親学』というのは、「日本会議・生長の家・統一教会」の三重苦・高橋史朗の唱える『親学』とは別モノの様ですが…
どっちに転んでもトンデモ案件。




(07:08)