2022年06月

2022年06月30日


以前に『ヒトのやること大体同じ』シリーズと題して4回に渡り、一見すると未開の部族に伝わる奇習にしか見えない文化が実際には我々の文化と変わりないことを紹介してきた。


『ジョーカー事件はアモクだよ説』 
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/15038623.html
『神待ちはカーゴカルトだよ説』 
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/15057769.html
『富裕層のやることはポトラッチだよ説』 
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/15057775.html
『お歳暮はクラ交易だよ説』
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/15091784.html


今回はその中でも最も我々に見覚えのある文化について扱った『富裕層のやることはポトラッチだよ説』 の続き。





   (承前) 





ポトラッチは様々な意味を持ちうるが、端的に言えば過度な贅沢を通じて自分のステイタスを上昇させる行為…『誇示的消費』である。 
それは我々の生活のあらゆる場所に顔を出すが、とりわけ「これはポトラッチ的だな」と思えるものをリストアップするとこうなる。 


【不動産とそれに付属する設備】 


ポトラッチの本質は「ちょっとの差にえらいコスト」である。 


  [高い天井や眺めの良さ] 

天井高や眺望といった、実用性とはあまり関係のない付加価値こそ最もコストがかかる部分であり、それ故にそれは贅沢品となり、それらを備えることはステイタスとなる。 

ただし、それらの不動産的価値についてあけすけに語るのは下品とされているので、婉曲表現がなされる場合もある。 
例えば誰かが「私、庭で大きな犬を飼うのが夢なの」と語る時、彼女の関心が犬ではなくその収容スペースの方にあることは想像に難くない。 


  [別荘やプール、クルーザー] 

こういったものは年に何日も使わない割に場所を取り、メンテナンス費等のランニングコストも莫大である。 
私有するにはいささかコストパフォーマンスが悪い。 
それ故にそれらは憧れの贅沢品となりえる。 


  [高級車] 

フェラーリは 

◉まともに動く状態を維持するだけで整備士が必要 

だとか、 

◉雨漏りするので苦情の電話をしたら「お客様、雨が降ってるのに当社の車を走らせた、ですって!?」と逆に叱られた 

とか、伝説に事欠かない(まぁあくまで伝説であって、全てが事実とは限らないだろうが)。 
にも関わらず非常に高価なのは、フェラーリを維持できることがステイタスを上昇させるからに他ならない。 


  【旅行】 


そういった生活の延長として、ポトラッチ精神は旅先でも如何なく発揮される。 


  [遠い国の綺麗なビーチ] 

綺麗な海、綺麗な砂浜、綺麗な空。 
そしてその中にあって、「何もすることがない」という贅沢。 
この最高の環境で何もせず、ただビーチでごろごろするだけ…これこそがステイタスである。 
リゾート地で見るもの全てに嬌声をあげ、余裕なくあくせく遊ぶのは庶民の反応。 
あらゆる楽しみを知り尽くして今さらそれらに興奮することもなくなり、贅沢に倦むことに慣れていてこその裕福層なのだ。 
ただし、これを自宅のカウチで24時間やってもステイタスにはならない。 
それはただの引きこもりである。 


ポトラッチは旅の手段である交通機関にも関わってくる。 


  [新幹線のグリーン車] 

数時間の快適さに結構な金額。 
でもまぁお金に余裕がある人の中にはこのゆったりさ加減は切実にありがたい、という人もいるだろう。 


  [飛行機のファーストクラス] 

だがここまでいくとサービス内容と金額の乖離が大きく、ポトラッチ的な意味合いの方が大きくなってくる。 


私が最もバカバカしいと思うのはこれ。 
   ↓ 

  [豪華客船] 

こいつはすでに交通機関ではなく旅の目的そのものとも言えるが、それだけにとにかく無駄の塊でできている。 
洋上なのにわざわざショッピングセンターでお買い物とかね。 
コンサートホールで音楽鑑賞とかね。 
歓楽街に寄港するのにカジノ完備とかね。 
そんなん普通に家の近所なり寄港地なりの街でしたらええやん。 
じゃあ日常の街中では出来ないことをやればOKかといえば、最近は海上でロッククライミングとかできる豪華客船もあって油断できない。 
それはそれで別に海の上でやらんでもー! 

でも豪華客船で一番アホだと思う設備はコレ。 
船上のプール。 
『船』というのは何かというと、「水をわざわざ排水して作ったスペース」な訳ですよ。 
そうやって苦労して作った空間にまたわざわざ水貯めてプール作るとかね、もう何がやりたいねん? 
これぞ究極のポトラッチ【註1】。 




  【人件費】 


膨大な数の使用人を抱える、など人件費をもってステイタスとするのもポトラッチとしてよくある方法である。 
無駄な人件費の極北はコレ。 


  [隠遁者] 

金持ちは庭に金をかける。 
イングリッシュガーデンなんか見た目は牧歌的な田舎の風景だが、アレは必死に自然さを演出しているだけで実は作意の塊の、めちゃめちゃ手がかかる代物なのだ。 

で、18世紀ごろのイギリスでは「風景のすみっちょに世捨て人とかいたら絵になるんじゃね?」とかいう謎の考えに基づき、金持ちは自分の庭園に「隠遁者」を住まわしてたらしい。 
それを眺めながらままならぬ人生に思いを馳せる、それが最高にお洒落だったのだろう。 
まぁ本当にそういうことを考えていたらこんなことにお金を出したりしないと思うが。 

隠遁者と言っても7年契約とかで雇われてる、ビジネスライクな存在。 
ギャラは結構良かったらしいが、何しろ7年間一歩たりとも外出禁止、おしゃべり厳禁。 
住居完備賄いつきの家庭的な職場だが、7年の間に死ぬこともしばしばあるのでちょっぴりリスキーなお仕事ではある。 
ちなみに給料の支払いはあと払い、つまり7年後。 
まぁ使う場所もないので生活に困りはしなかっただろうが。 
この奇妙な長期契約が結ばれる理由は、あまりの辛さに逃げ出したり精神に異常をきたして自殺する者がいたかららしい【註2】。 


  【歪んだ器】 


茶道の世界では歪んだ形の茶器が珍重されたりする。 
現代でも、手作りの歪んだデザインの器やカトラリーは人気だ。 
こういった倒錯した心理がどの様に生まれるのか、スティーブン・ピンカーは スプーンを例に以下のような巧みな説明を行っている。 

かつてはスプーンの最上のものといえば、完全に左右対称で細かな装飾が入り、組になった何本かが完璧に同じ形をしたものだった。 
そういったものを作り出すには超絶的な職人技が必要であり、それらを所有することはごく一部の裕福層だけに可能なことだったのだ。 
したがって完全な形のスプーンを持つことが贅沢でありステイタスだった。 

しかし近代的な工場生産の時代に入ると完全に対称で同じ形をした装飾的なスプーンを作るのはごく容易になり、それらは最も安価な品になった。 
そして現在、最も高級なスプーンは職人の手によって作られたいびつな形のもので、その手作りの味わいが珍重されている。 
工場生産の時代にあえて職人の手業で作られたものは人件費の分高価であり、「歪んだスプーンにあえて大金を出す」という行為は裕福な者にだけできるステイタスだからだ。 

時代によって何が「良い」かは変わっていくが、その背後にある論理は常に「その時代に最も金がかかるもの」なのだ。 

驚異的なのはその論理が当の本人にも全く自覚できないことだ。 
実を言えば私もいびつな食器の類が大好きなクチだ。 
だが私自身は(少なくとも意識的には)純粋に審美的な理由から好んでいる、と思い込んでいる。 
「あーこれ良いなー」と感じる気持ちが時代に規定され、コストやレアさと関連づけられた、ステイタスを求める行為だとは露ほどにも思えない。 
だが疑いの余地なくその審美性とやらの基準はそれらの影響下にあるのだ。 




歪んだ器を愛でた代表的な茶人と言えば千利休。 
彼は織田信長・豊臣秀吉に仕えたが、信長・秀吉とくればこのエピソード。 


  【草履を懐で温める】 


これって土足という汚いものを懐中という大切な場所の代表選手みたいなトコに入れた結果が「若干温もっただけ」という、コストパフォーマンスの悪さが究極のポトラッチとして信長にバカ受けしたのではあるまいか? 




  【嗜好品】 


嗜好品とは、明確な味や栄養といったはっきりした利点が特にないにも関わらず、かすかな香りや風味を嗜むために摂取されるもののことだ。 
それらは生活に必ずしも必要のない贅沢品であり、それ故にポトラッチ的色彩を帯びやすい。 

嗜好品がしばしば産地や年数や等級などによって細分化され、そこには何らかの差が確かに存在するものの一般には解りにくい、という状況を生みだしがちなのはそのせいだろう。 
誰にでも違いが判るものでは意味がないからだ。 
一部の人間にしか判別できない些細な違いに大金がかかるからこそそれはポトラッチになりうる。 
だからこそ年末になると「芸能人格付けチェック」で利きワインとかやってるわけだ。 
僅かな違いを判別し、その差に大枚をはたけることがステイタスなのだ。 


明確な味でも栄養でもない刺激を求めた結果、それらはしばしばお茶、チョコレート、アルコール、タバコやドラッグなど酩酊感覚や高揚感といった、ちょっとした精神変容を起こすものに行き着く。 


  [ワイン] 

細分化と格付けが最も進んだ嗜好品、それがワインだ。 
したがって低価格帯の商品と極上品の価格差も激しい。 
実はワインの味は必ずしも値段に比例しない。 
だが「これは高価なワインだ」と知って飲むと美味しく感じるという心理的効果があるらしい。 
本来は価値が値段を決めるべきなのに「値段が価値を決めてしまう」ということは往々にしてある。 
それが行き過ぎて値段が味を変えてしまうこともあるという訳だ。 



一般的な意味では嗜好品に入らないにせよ、嗜好品的な側面の強い食品もある。 
蕎麦、牡蠣、チーズ、生ハムやソーセージといった加工肉、ハーブなどの香辛料。 
これらは繊細な風味の違いが問題にされる点で嗜好品に近い。 


 [牡蠣]  

オイスターバーでは日持ちのしない生牡蠣を「銚子産、厚岸産、アメリカ産、ノルウェー産…」などといった具合に世界中から集めて格付け・細分化しており、これは流通の発達した現代になってから登場してきた新しいポトラッチとして興味深い【註3】。 

  

高い栄養価を持ち明確な味を持つ食品でも、ランクが細分化された米、肉、果物などはポトラッチ的側面が強いと言えるかもしれない。 


  [果物] 

日本ではフルーツは贈答品によく使われる定番である。 
しかし、こういった習慣は日本独自のものらしい。

【御免Δ(←デルタ)】
『海外記事「外国人が異常に高いと感じる日本の6つのもの」とその反響』
http://goyaku.blog45.fc2.com/blog-entry-413.html

【高帽子の翻訳 海外反応】
『外国人「日本の果物は高すぎる!」  海外反応』
http://wthjapan.blog.fc2.com/blog-entry-35.html
海外ではフルーツは比較的安く、贈答品に適していないのだろう。 
ひいてはポトラッチになりえない、ということでもある。 

日本人は食べ物の見た目に異常にこだわるため、傷のつきやすいフルーツはランク付けの対象になりやすく、傷の全くないものは高値で取り引きされる。 
そのため、よりデリケートでなおかつ痛みが目立ちやすいフルーツほど珍重され高価になる傾向があるのだろう。 
桃とかそうですね。 
白桃うまー。 

  
  [肉] 

こいつも『芸能人格付けチェック』に毎回登場しますな。 
しかも高級肉と比較させられるのはスーパーでグラム1000円の肉とか。
しかし思えばグラム1000円って結構良い肉ですよ? 

以前のエントリでも書いたが、大抵の食品で低価格帯のものは価格の差がそのまま味の差であることが多い。 
グラム200円の肉と400円の肉の違いは歴然としている。 
だが高価格帯の商品は価格の差と味の差が正比例するわけではない。 
グラム5000円の肉と10000円の肉の違いはさほど明白ではないだろう。 
価格帯が上に行くほど、味の改善効率はどんどん低下する。 
しかしそのわずかな差に平然とお金を出せることこそがステイタスなのだ。 
倍の金額で味が大きく向上するなら、それを買うことは意外ではない。【註3】 
わずかな違いにばかばかしいほどお金がかかるからこそ、それはポトラッチとして有効なのだ。 
ほんのひと味、美味しくするために平然と何倍ものお金を上積みできる生活、それこそはステイタスになりえる。 
したがってグラム1000円の肉と最高級の肉の間にはさほどの差異は存在せず、よほど舌が肥えていないとブラインドでは区別がつかないのも無理はない。 

そして問題なのは「良い肉とは何か」ということだ。 
これまた以前に少し触れたが、日本では高級な肉ほど柔らかくてサシが強くなり、最も高級なものは「ほぼ脂身やんけ」という領域に達する(奇妙なことに純粋な脂身はタダ同然なのだが)。 
対して欧米では強い噛み応えといかにも肉らしい味を持つ赤味の肉が好まれる。 

つまり安い肉ほど「肉の味がちゃんとする」とも言える訳だ。 
また、良質な肉ほどその脂は良い香りがしてむっとせず、意外にさっぱりと食べられるものである。 

『芸能人格付けチェック』で挑戦者が「Aの肉の方が脂があっさりして赤身の味が強い」と感じたとしよう。 
この場合、彼が「Aの肉はサシが足りず、赤味の味がする、これは安物だ」と考えたとしても、逆に「Aは肉本来の味がちゃんとして脂のしつこい味がしない、これは高級品だ」と推論したとしても、それなりの説得力はある。 
味の分析がきちんとできたとしても、正解に辿り着くためには恣意的な文化がどちらを高級としているかを知っていなければならない。 

要は文化的に何が「良い」とされてるかによってどちらが美味しいかは変わりうる訳だ。 
美味しさというのはその程度のものなので、個人差や文化の差でグラム1000円の方を美味しいと考える人がいても特におかしくはない。 



文化的に何が良いとされているかは結構曲者で、例えば煎茶で高級品とされる玉露は旨みが大変強いが、これをそういった文化を知らない素人が飲んでも「うわぁ、何このわざとらしいまでの旨味…これはアリなのか?」と感じるだけで、それが良いものなのか悪いものなのか判断はつかないだろう。 
基本的に嗜好品にはそういった「風味の経験と習熟&文化的な習得」が必要なものが多い。 


また何がよしとされているのか、地域や時代によって違いがある場合も多い。 

麺類などの薬味としてのネギを例にとると、関東においてネギと言えば通常は白ネギであり、それは刻んだ後 料理の味に影響を与えないように水にさらして臭みを抜き、主に歯応え・食感を楽しむものとされている。 
一方、関西においてネギとはすなわち匂いの強い青ネギのことであり、それはその強烈な香りを積極的に楽しむためのものである。 
関西では香気の強い(つまりは臭い)ネギこそが高級品なのである。 



  【贈答の返礼】 

話が関西に及んだついでに。 
京都にはいかにも因習に縛られた古都らしい、「おため」という贈答に対する返礼の不文律がある。 

【NIKKEI STYLE】
『東京人も知っておきたい 関西流お祝い返し「おため」』
https://style.nikkei.com/article/DGXZZO42033560R30C12A5000000/

…うーん、ザ・ポトラッチ…今でもこんなんやってんのん、怖いわ! 

で、そこまでいかなくてもお土産などをいただいた時のちょっとしたお返しも「おため」と呼ぶのだが、これも「速やかに、そしていただいた以上のものを返さなくてはならない」という妙なプライドからしばしば贈答合戦に発展する。 

私の知人の京女は「京都人は『鉄砲返し』やしな!」と言ってこの不毛な消費に参戦するのだが、この「鉄砲返し」なる言葉も実にポトラッチ的。 
おそらくはタイムラグなしでもの凄い威力、という隠喩に由来するのであろうが、これももともとは体面を重んじて行われる奇妙な因習を指す。 

【ひかりの杜】
『鉄砲返し 鶴見区』
http://www.aoisousai.net/article/14242968.html 

だがこの手の気の遣い合いは我々が日常的に行っていることでもある。 

アメリカ人の書いたエッセイ等にしばしば描かれているのだが、あちらでは夫婦間のクリスマスプレゼント交換は基本的に気が重いものらしい。 
送る側は相手より金額がはるかに低いプレゼントになってしまったと言っては落ち込み、あるいは金額にものを言わせたプレゼントになってしまったと言っては落ち込み。 
貰う側は貰う側で明らかに安っぽい歯ブラシセットや、趣味の合わない高価なネクタイに「うわぁ、これ前から欲しかったんだ、ありがとう」と言うのが苦痛だったり。 

やはり贈与というのは基本的に相手に返礼の義務を背負わせる攻撃の一種なのだろう。 
下記のエントリの注釈で「最後通牒ゲーム」について触れた。 

『公平性を求める心─あなたの心のキュウリを投げるサル─』
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/10241126.html

実はパプアニューギニアのある部族では最後通牒ゲームで相手に半分以上を渡すプレイヤーが多いのだが、受取る側はこれをしばしば拒否する。 
これは贈答に対するそれ以上の返礼を負担に思うためらしい。 
つまり「贈与するのはかまわないがされるのは嫌」なのだ。 
そしてまたしてもパプアニューギニア。 



  【デリケート自慢】 

金持ちが白いスーツを着るのは、汚れの目立つ白を綺麗に維持するのは困難だからである。 
つまりあれは「自分は汚れ仕事はしない」という宣言であり、同時に「私はスーツが少しでも汚れたらすぐに買い替えることができる。だから白いスーツでも困らない立場にあるんだよ」というアピールなのだ。 

同様に、上流階級の女性がしばしば爪を信じられないくらい長く伸ばすのは「こんな爪では何もできないけれど、私は料理や家事などする必要がない生活をしているから平気なのよ?」という信号なのである。 

逆説的だが、敢えて弱点を持ち、それを晒すことで「私はこんなハンデがあっても平気なくらい力があるのだ」とアピールすることができるのだ。 


  [ハンディキャップ理論] 

生物学の世界でも「ハンディキャップ理論」という、動物が派手な色彩や構造物を持ったり目立つ行動を取ることで自分の力を見せつけ、敵から襲われにくくなったり異性にモテる様になる、というひねくれまくった説がある。 

ちなみにライオンは2日かけて100回以上の交尾を行うが、これは雌が雄のスタミナを確認しているらしい。 
つまり雄は実際に交尾に必要なスタミナ以上の力を見せつけないと雌にモテない訳だ。 
これは一見奇妙に見えるが、よく考えればヒト女性も似た様なことをしている。 
つまり、家庭を運営するのに必要な生活費以上の収入のある男性がモテるのと構図は同じなのだ。 

だが女子が男子の質を見極める時、ヒトでは懐の具合を探られるのに対して、ライオンではセックスの強要…何この格差社会。 
女子っこはライオンの雌っこに倣って、収入ではなく交尾スタミナに注目してくれればいいのに。 

…と思ったけど、そっちはそっちでまったくもって自信レスなことに気付いてみたのでもういいです。 




なお、ヒトの脳がこんなにも複雑なのは、必要以上に複雑で壊れやすい器官を形成して運用するだけの遺伝子の優秀さをアピールしているのだという説がある。 
まさにポトラッチ…! 
脳については「動物の行動を統御する重要な体の部位で、高級にして複雑なものほどこわれやすく、最も高級なものは、はじめから壊れている」 という素敵な言葉を目にしたことがあるのだが、はからずもこれは本質を突いていた訳だ。 

ちなみにこの説によると女子っこが男子を脳の出来具合(具体的には面白トークなど)で選んだために男子の脳は巨大化したのだが、男子の脳を評価するには男子と同等の知力が必要となるため、女子の脳も男子に迫る勢いで巨大化したのだという。 
何ともひねくれまくった話…。 

脳の巨大化を説明する仮説はいろいろあるが、この説は特に有力視されてはいない。 
だが男性の脳が(体格差を考慮しても)女性よりわずかに大きい理由をエレガントに説明している点は評価したい。 




   (続く) 








【註1:豪華客船は究極のポトラッチ】 

私は豪華という名の虚飾にはあまり興味がないらしい。 
海外旅行も(旅自体にあまり興味はないのだが)「エジプトにピラミッド見に行きたい」とかはまぁ見聞を広めたり現地でしか味わえないホンマモンの迫力に感動したり古代に思いを馳せたり意義があると思うのだが、「マカオで豪遊したい」とかはどうにも理解できない。 

…と思いきや、エジプト行って「ミイラ、ガン見してきました」と報告してきた同僚が 
「同年代の女子3人で行ったんですけど、他の二人は『ピラミッドは宇宙人が作った』とかガチ信じで、『みんなが飛行機やと思ってるもんの8割はUFOやで』とか言ってくるんですよ…」 
とか言っててドン引き。 
ロマン溢れすぎもどうかと。 



【註2:隠遁者】 

ソースは『図説「最悪」の仕事の歴史』という本。 







【註3:倍の金額で味が大きく向上】 

なのでお薦めは味の改善効率、つまりコストパフォーマンスの最も高い領域の品物を買うことである。 
個人的な経験則で言うと、大体底値の2倍あたりが狙い目。 
例えば鶏肉なら、スーパーの安物の倍くらいの値段のものを高級店や専門店(京都には鶏肉専門店が多い)で買って親子丼にして食べるとその旨さに驚かされたりする。 
一般的な安物のパスタが一皿1200円くらいまでと考えるなら、パスタに出せる値段は2400円まで、となる。 
これ以上の値段を取る店はポトラッチ度が高く、もしあなたがお洒落な内装や慇懃なサービス、背伸びしたデートに興味がないのなら、値段に見合った味は期待できないと思う。 






(00:04)

2022年06月28日


2011年、主婦年金問題が取り沙汰された。
「過去2年分だけ後から払えば後は不問にする」という救済法が非難の的になったのだ。


そもそも年金制度自体がガタガタになってるとか、突っ込まれ要素ありすぎな民主党(当時)のやることだから叩かれやすかったとか、揉めるファクターはいろいろあると思うのだが… 
結局のところ、問題の核は 
「ほな真面目にコツコツ払てきた人は丸損やんけ」 
というところにある。 

私自身はこの政策が正しいとも間違っているとも思わないが、興味深い問題ではある。 

考え様によってはこの政策、「うっかりミスを救済する」という人に優しい仕様で、もし自分が受益者だったら神レベルの対応である。 
一方、今までちゃんとお金を払ってきた人ももともとの約束通りの年金額なのだから損はしていない。 

ゲーム理論で仮定されている様な合理的なプレイヤーなら、自分が得をする可能性はあるが損はしないこの制度に賛同するはずである。 

確かに公平性という一点から見れば不公正が生じてはいるが、公平性のみにそこまでクローズアップするべき理由は特にない。 


例えば、小学校でのこんなやりとりを想像してほしい。 


先生「この前のテストを返します。4問目なんだけど、ちょっとね、問題文がわかりづらくて間違えちゃった子が多かったの。後から考えたら、先生の書き方も悪かったのね。だから4問目は全員正解にします」 

生徒たち「わ~い」 

みぎわさん(仮名)「ちょっと待ってください! 私はちゃんと勉強して、問題文もちゃんと正しく解釈したんです! それなのに、バカの山田(仮名)…じゃなかった、山田くん(仮名)も正解だなんて、酷い!酷すぎます!」 

先生「う~ん…みぎわさん(仮名)の気持ちもわかるけど…でも先生のせいで点が悪くなっちゃう人たちの気持ちも考えてあげないと…ね?」 

みぎわさん(仮名)「だって…だって…そんなの知らないもん! とにかく私は嫌ぁぁぁああああ! うわぁぁぁああああああん!」 


…とかいう状況だったら、多くの人はみぎわさん(仮名)の態度を見苦しく思うのではないだろうか。 

これはこの政策が正しいという主張ではない。 
「小学校の道徳レベルの素朴さで」考えれば、問題になった救済措置こそが倫理的という見方も取れる、というアンチテーゼの提出に過ぎない。 

大人はえてして子供にだけは道徳的態度を望むものだ。 
自分達ができもしないあれこれを子供には押し付ける。 

「みんな仲良くしなさい」 
「嘘をついてはいけません」 
「宿題はしたの?」 
「またテレビばっかり観て」 
「早く寝なさい」 
「えっちな本なんか見ちゃダメよ」 
「バカなことを言うんじゃありません」 
「ゲームは一日1時間」 

そんな完璧超人、見たことないし。 


いつもの如く脱線したので話を戻して、要はこの政策、倫理的にも論理的にも見かけほど不当とはいえない、という立場も取れるわけだ。 

ところが人間という奴は、必ずしも合理的にはできていない。 
人間は自分が不公正な扱いを受けることにおそろしく敏感なのだ。 



こんなクイズを解いてみてほしい。 


一方の面に数字が書かれ、もう一方の面にはアルファベットが書かれているカードが下のように並んでいる。 

 A K 4 7 

次のルールが守られていることを確認するためにめくらなくてはいけない2枚のカードはどれか? 

〔ルール〕 
カードの片面に母音が書かれていたら 
その裏には偶数が書かれてある 


多くの人は「Aと4」と解答する。 
しかし正解は「Aと7」である。 
これは「4枚カード問題」(ウェイソン選択課題)として知られている。 

ルールは「母音の裏は偶数」だけだ。 
偶数の表は母音でも子音でも問題ない。 
つまり子音の裏は偶数でもかまわないので、4をめくって偶数の裏が母音かどうかチェックしても仕方ないのだ。 
したがって調べるべきは、裏が奇数なのに表が母音かもしれない7である。 


ではこんな問題はどうだろうか? 

あなたは警官で、バーで「20歳未満は飲酒してはならない」というルールが守られているかを確認しなければならない。 
次の客のうち、飲み物の種類か年齢を確認する必要があるのはどの客か? 


・ウィスキーを飲んでいる客

・オレンジジュースを飲んでる客

・45歳くらいに見える客 

・17歳くらいに見える見える客 


こちらは誰もがすんなりと正解できる。 
勿論、ウィスキーを飲んでいる客と17歳くらいに見える客である。 


だがこの二つの問題、論理構造は全く同じなのだ。 
にも関わらず、身近で具体的な題材で説明するとぐっと解りやすくなることを「主題材料効果」と呼ぶ。 
何故この様な現象が起きるのだろうか? 

ヒトの脳は多くのモジュールの塊であると考えられており、その中には裏切り者を検知する専用のモジュールがあって、人間関係のルールの逸脱には敏感だからではないか、と言われている。 

これはヒトが進化する過程で「社会生活の上でどう振舞うか」が生存上重要だったため、身に付いた能力なのだろう。 

ヒトは裏切り者を検知することに長けているのだ。 


それは同時に「純粋な論理的思考はやや苦手」ということでもある。 
ヒトはしばしば論理ではなく、感情で動く非合理的な動物である。 

だが感情は論理の近似としてそこそこ使える便利な道具ではある。 
差し迫った危険に対処するには時間のかかる論理的思考よりは感情の方がマシである場合が多く、遅巧よりは拙速が有効だったのだろう。 

非合理な脳を持つことは生き方としてはわりかし合理的だったりもする。 

だがその遺産として、我々は時に感情に捉われ、ミスを犯しがちな脳をひきずっているわけだ。 


裏切り者検知モジュールがあるのと同様に、不公平が生じてないかどうかを検知するモジュールもおそらく脳内に存在するだろう(あるいは両者は同一のモジュールかもしれない。)。 
先史時代、自分が公平に扱われているかどうかをチェックする能力は非常に重要であったに違いない。 
現代でもスーパーのレジや鉄道のホーム等、行列での順番をめぐる小さな諍いが絶えないが、これらも「公平さ」に関するトラブルである。 


実は「公平性を求める心」の起源は古くサルにまで遡れる可能性がある。 

オマキザルに軽作業をさせ、報酬としてキュウリを与えると、サルは喜んでキュウリを食べる。 
ところが隣で別のサルに同じ作業をさせ、こちらにはブドウを与えると… 
キュウリしか貰えなかった方のサルは怒って「こんなもん、いるかーい!」とばかりにキュウリを投げつけてくるらしい。
まさに「怒りの葡萄」。 


http://www.ted.com/talks/lang/ja/frans_de_waal_do_animals_have_morals.html 
キュウリだけでも何もないよりはマシなのだし、そもそも最初はキュウリで満足していたのだから、とりあえず手の中にあるキュウリは食べるのが合理的である。 

にも関わらず、サルはそうしない。【註】 



これは「公平性を求める心」が公平性を求めても仕方のない場面で誤適用された結果なのかもしれない。 


あるいはゲーム自体をひっくり返し、ゲームの枠組みを越えた新たな展開を生むためのもの、という可能性もある。 

例えば「お前、絶交な」とか。 
これは高度な社会生活を送る動物にとっては 
「今後、俺なしでやっていけんの? どうなっても知らないよ」 
という脅迫として有効だ。 

もしくは損することを承知の上であえて拒否することで 
「アイツはすげぇな、プライドのために損を覚悟でNOを突きつけたらしいぞ、カッコイイ」 
「アイツは決して引かない奴だから、下手な交渉はやめておいた方が良さそうだ」 
といった形で集団内での評価と社会的地位が上がる、といったメリットがあるのかもしれない。 

つまり一見、不合理に見える情動も、「損して得とれ」という意味で長期的には合理的なのかもしれない訳だ。 


だがそれとても結局は「合理性の近似」に過ぎない。 
いずれにせよ、情動という厄介な代物が(多くの場合には適切に働くにしても)時に不適切な場面で顔を出し、我々を振り回すことに変わりはなさそうである。 


という訳で件の主婦年金問題を弾劾する批判の声。 
私には、人々の心に宿るミニミニモンキーが一斉にキュウリを投げつけている様に見えて仕方ないのだ。 
それが適切な怒りなのかどうかは各自の判断に委ねるとしても。 










【註:サルは合理的な行動を取らない】 

ヒトでも同様の行動が見られる。 
ゲーム理論で使われる「最後通牒ゲーム」。 
これは 
「二人のプレイヤーに合計1000円が贈られる。プレイヤーAは分配の比率(Bに1割~9割を与える)を提案し、プレイヤーBはそれを受け入れるかどうかを決定する」 
というゲームだ。 

このゲームの最適な戦略は決まっている。 
あなたがAなら、自分により多く分配すべきだ。 
つまりBに1割、自分に9割である。 
あなたがBなら、Aは当然「お前には1割しかやらん」と言うだろうが、それでも何もないよりはマシなので、その提案を飲むべきである。 

だが実際に多くの人にこのゲームをプレイさせると、そうはならない。 
プレイヤーBはしばしば「お前は1割な」という提案を拒否するのだ。 
キュウリを投げつけるサルと同じに。 
プレイヤーAもBの取り分を1割ではなく、4~5割で提案してくることが多い。 






(00:02)

2022年06月26日


今回のネタはメンタリストDaiGo先生。

先生がどういう人物かについては↓こちらのエントリで扱っています。 


『メンタリストのメンタリティー』 
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/9359407.html



そして2021年8月、メンタリストDaiGo先生が炎上。
この頃は毎日の様に新しい話が出てきて、話題に事欠きませんでしたね。




【ホームレス問題】



最初に問題になったのは『ホームレスの命はどうでもいい』というこの発言。 


『【超激辛】科学的にバッサリ斬られたい人のための質疑応答』 
1:52:45~ 
https://youtu.be/bMHPkn4fe7U?t=6803 

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僕は生活保護の人たちにお金を払うために税金を納めてるんじゃないからね。 
生活保護の人に食わせる金があるんだったら猫を救って欲しいと僕は思うんで。 
生活保護の人生きてても僕は別に得しないけどさ、猫は生きてれば得なんで。 

猫が道端で伸びてたらかわいいもんだけど、ホームレスのおっさんが伸びてるとさ、なんでこいつ我が物顔でダンボール引いて寝てんだろうなって思うもんね。 

人間の命と猫の命、人間の命の方が重いなんて全く思ってないからね。自分にとって必要ない命は軽いんで。だからホームレスの命はどうでもいい、どちらかっていうといない方がよくない?ホームレスって、言っちゃ悪いけど、いない方がよくない? 
みんな確かに命は大事って思ってるよ、人権もあるから一応形上大事ですよ、でもいない方がよくない?正直。 
邪魔だしさ、プラスになんないしさ、臭いしさ、ねぇ、治安悪くなるしさ、いない方がいいじゃん。 
猫はでもかわいいじゃんって思うけどね僕はね。 

もともと人間は自分たちの群れにそぐわない、社会にそぐわない、群れ全体の利益にそぐわない人間を処刑して生きてるんですよ。犯罪者殺すのだって同じですよ。犯罪者が社会にいるのは問題だしみんなに害があるでしょ、だから殺すんですよ、同じですよ 

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…社会ダーウィニズム丸出しですね。 

『もともと人間は自分たちの群れにそぐわない、社会にそぐわない、群れ全体の利益にそぐわない人間を処刑して生きてるんですよ』 

つまり「群れの利益」が「個人の利益」より優先される訳ですね。 
…それ「群選択」や。 

「命がけで集団の利益のために尽くす個体」の群は、「自分ファーストな個体」の群より結束力がある分、強いですよね。 
したがって、「利他主義者の群」は「利己主義者の群」を打ち破り、生き残る筈です。 
これが集団間で選択が起きるという「群選択」です。 
ところが、「利他主義者の群」に利己主義者が(移入や突然変異によって)入り込むと、自分は犠牲を払わずに強い群の利益だけ享受する利己主義者の方が有利なため、「利他主義者の群」は遠からず利己主義者に置き換わり、「利己主義者の群」に変質してしまいます。 
集団間では利他主義が強いのですが、個体間では利己主義が強いのです。 
そのため、実際には群選択は殆ど成立し得ません。 

近年、この素朴な群選択とは別口で、「マルチレベル選択」という新たな形の群選択も提唱されてはいます。 
が、このへんは主に科学哲学の領域で、生物学者はあまり興味を持っていない様です。 
そもそもマルチレベル選択は典型的には「血縁選択を別の表現で記述したもの」に過ぎないので、掘っても何も出てこないし。 
しかもコレを急に持ち出す学者は結局この理論をちゃんと理解してなくて、結局は素朴な群選択を復活させたいだけっぽかったりしがち…。 

ヒトの進化にはこのマルチレベル選択が当て嵌まるのでは、という話もありますが、そういうことをきちんと理解してる人はただでさえややこしいこの分野で、「素朴な群選択の話をしている」という誤解を招く表現はしないものです。 
結局、特に説明もなく群選択っぽい話をしちゃう人というのは大抵の場合、何も考えずに素朴な群選択に陥ってるだけ… 
指摘されて後から「アレは実はマルチレベル選択の話で…」などと事後的に救出するのはかなり無理筋なので念のため。 


…で、コレが『科学的にバッサリ斬られたい人のための質疑応答』なんですか? 

まぁメンタリストDaiGo先生のことだから、『科学的にバッサリ斬られたい人』というのはDaiGo先生で、私はメンタリズムで操られて斬りつけちゃったのだと思います。 
よくわかんないけど、気が付いたら斬ってました。 
私は悪くないのでスラップ訴訟はやめてください。 



それにしてもこの人、仮に命に優劣があるとして、ではこの人の命の価値がどの程度のものか、皆がどう判断すると思ってるんだろう… 
『自分にとって必要ない命は軽いんで。だからホームレスの命はどうでもいい』 
って言うなら、皆が 
『自分にとって必要ない命は軽いんで。だからDaiGoの命はどうでもいい』 
って思ってたらどうするんですかね…? 

コレ↓思い出したわ。 

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ワイ天才、障害者問題へ一石を投じる名案を思い付く 


1 風吹けば名無し 2016/07/26(火) 19:09:44.62 ID:6Fyo28dPa 
無人島にガイジ全員集めて武器1つずつ持たせてドローンで中継しようや 

めちゃくちゃ数字取れるやろこれ 


7 風吹けば名無し 2016/07/26(火) 19:11:18.19 ID:1x7d+/sk0 
ええな、イッチは武器何にするん? 
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なお、ロンドンブーツ1号2号の田村淳もこの件を批判。
ついでに共演番組での「メンタリズム」披露について
『遠くにマネジャーがいて、信号を送っているしぐさを僕は見たことがあるんで、なんだ、そういうことなのかと思った』
と発言。
これは直後にロンブー淳が
『確証がないのに、そのことに触れたというのはよくないなということで、謝罪したいと思います』
『(炎上した発言に)乗じて自分がそのことを発信したのは本当に不用意だったと思います』
と謝罪動画で語っていましたが…




【ねとらぼ】
『田村淳、DaiGoへの“追い打ち”発言を謝罪 「もう発言が拡散されてます」「もっと対応すべき」と厳しい声も
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/amp/2108/22/news040.html



コレ「やっぱメンタリズムって手品やろ」という、以前からある疑惑に対する重要な証言でしょ。
淳も『確証がない』としただけで、「あっやっぱ僕の思い違いっした」等と撤回した訳ではないし。
大体、もし本当にトリックを使ってないなら「苦労してメンタリズムで当ててみせたのに手品扱いされた」訳で、鼻っ柱の強いDaiGo先生が騒がないとは考えにくいっしょ。

こういう時に何も言わないのは手品師の特徴です。
手品だか超能力だか分からないのを売りにしていた時代のMr.マリックだって「超魔術です」とは言うけど「手品ではありません」とは言わない。
DaiGo先生も「これがメンタリズムです」とは言うけど「手品じゃないよ」とは強く主張しないよね。






【収入問題】

あとDaiGo先生関連でよく貼られる画像 
『お前の生涯収入 俺の2週間くらいだけど?』 

IMG_0055

というのは、 

『お前がどんだけ良い大学入って 
どんだけ良い会社に就職しても 
お前が一生かかって稼ぐ額は、 
YAZAWAの2秒』 

という矢沢永吉語録そっくりでワロタ。 

それにしても凄いですよね。 
『お前の生涯収入 俺の2週間くらいだけど?』 
なんてなかなか言えません。 

ではDaiGo先生の年収は具体的にいかほどなんでしょうか? 
コレは皆さん気になるみたいで、ぐぐると平均年収から算出してる人がいます。 
しかし、それは発言の切り取りというもの。 
もしかしたら年収20万円の下積み芸人の話、とかかもしれないじゃないですか。 
そこはちゃんと検証しないと。 

という訳で元動画を探してみました。 
見つかったのが↓コレ。 


【メンタリストDaiGo×ただよび講師陣】チャンネルコラボ同時配信!! 
https://www.youtube.com/watch?v=LxQM___7a8Y

問題の発言は42分あたりにあります。 
で、判明したのは… 
コレ、やっぱ普通の収入の人の話ちゃうやん。 
慶應の同窓生で銀行や電通に入って「年収2000万コースや~!」とか言ってた人たちのことでした~! 
むしろ富裕層の話かよ。 

まぁ年収2000万はなかなかいませんよね。 
年収平均は400万、銀行でも600万ほどです。 
できるだけ低く見積もって、「年収2000万コース」というのは若いうちにいきなり2000万ではなく、定年前の50代でようやく2000万に到達するの意、と解釈しておきます。 
50代の平均年収はおよそ600万ですので、2000万というとその3.3倍ですね。 
サラリーマンの生涯賃金は2.7億円くらいなので、その3.3倍で8.9億ですか。 
それを2週間で稼いでいるということは、年収231億ですよ。 
すごい! さすがDaiGo先生! 
そりゃ~これだけの年収からきっちり納税してるなら、文句のひとつも言いたくなるのかもしれませんね。 
税務署はその辺、ちゃんと仕事をしてるんでしょーか。 
誰かつついてあげると良いかもね。 


この数字、景気が良すぎて 
「え、年収231億…? 嘘やろ!?」 
と思われるかもしれません。 
実際、皆さんそう思われる様で、「メンタリスト DaiGo 年収」でぐぐるとサジェストに「嘘」と出ます。 
でもこの超高額年収、まんざら嘘でもないっぽいんですよね… 
こんな記事↓がいくつも出てますし。 


『メンタリストがDaiGo(ダイゴ)が月収(収入)を発表「年収100億くらいかな」「月収は8億円かな」』 
https://audition-list.com/%E8%8A%B8%E8%83%BD%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9/%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%8Cdaigo%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%B4%E3%81%8C%E6%9C%88%E5%8F%8E%E5%8F%8E%E5%85%A5%E3%82%92%E7%99%BA%E8%A1%A8%E5%B9%B4%E5%8F%8E%EF%BC%91%EF%BC%90%EF%BC%90%E5%84%84%E3%81%8F%E3%82%89%E3%81%84%E3%81%8B%E3%81%AA%E6%9C%88%E5%8F%8E%E3%81%AF%EF%BC%98%E5%84%84%E5%86%86%E3%81%8B%E3%81%AA_i722 


芸能人で他に収入源があって超高収入な人なんていくらでもいますよ。 
叶姉妹とか、叶恭子とか、叶美香とか。 
あと多分、髭男爵とかも「貴族のお漫才」をやってるので多分そう。 
その路線だと横山たかしも有名ですよね。 

特に叶恭子さんは「貴族相手に一晩10億で体を売った」的なことを自伝に書いてるしな~…。 
「えっ、恭子さんのドコにそんな価値が…?」 
と思うかもしれませんが、富裕層というのは宇宙に行くのに100億円とか出しちゃうものなので、前人未到のサイバーセックスに10億なんて安い安い、という人もきっといるのでしょう。 


ちなみに「年収100億くらいかな」「月収は8億円かな」のソースはこうです。 

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具体的な金額内容はポリシー違反となるため言及は避けつつ、動画広告収益と「案件のようなもの」を足してざっくり「4000万円ぐらい」と回答しました。 

次にニコニコ動画について。現在は10数万人の有料会員を抱えているらしく、月額は550円であるため収益は「だいたい7000万円くらい」とのこと。 

しかし、DaiGoによると「これが実は少ない2つです」。最後は9月25日にローンチされたDラボです。 

現在の会員数が7万6068人、客単価が6047円だと回答。10月18日時点で収益が4億5990万728円だとし、これに退会率・増加率を加味して計算し直すと、30日換算で7億9219万3282円、「約7.9億円」となるそう。 

3つの収益を集計し、今月のDaiGoの月収はざっくり9.1億円と話し、この数値の実現を支えた関係者や視聴者に感謝を述べました。ざっくりですね、計算すると、4000万+7000万+7.9億円なので 今月の僕の月収は9.1億円でした。 


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なんかアレだ、「数字より傾きだけが大事」と言いつつ、棚ボタ的な臨時収入があると嬉しそうに公表しちゃうあたり、 
「お金はね、もういっぱいあるんで! 全然困ってないんで! あ~お金に興味ない! 全然ないわ~!」 
と、いかに興味ないかを延々語る人っぽいよね…。 
ヤンキーが「俺なんて昔、バカばっかやってましたよ」と言いながら武勇伝を語る「否定的肯定」に近いっていうか。 
あるいはアレ。 
マルチ商法を熱心に勧誘してくるネズミちゃんが羽振りの良いトコ見せるために背伸びして買った中古のベンツを「こんなの、たいしたことないよ」と言うやつみたいで微笑ましいですな…。 

…それはともかく、どうもDaiGo先生は実際には「年収100億くらいかな」とも「月収は8億円かな」とも言ってない様ですね。 
『人生最高額を更新したので月収を公開します。』という動画の中で『今月の僕の月収は9.1億円でした』と言ってるだけです。 
さらに『月収公開動画の誤解についてお話しします。』という動画もあり、2本とも見ると2時間20分かかってDaiGo先生の思うツボなので観るのはやめときます。 

ともあれ、「月収9.1億円」もやはりD-Lab立ち上げ時の最大瞬間風速7.9億円がその大半な訳で、それはDaiGo先生も認めておられます。 
そこから勝手に「月収がソレなら年収は100億超えるやろ」という話になっただけっぽい…。 

…というコトなら、単純計算で年収231億になっちゃう『お前の生涯収入 俺の2週間くらいだけど?』の話はやっぱ盛りすぎでは?

なお、DaiGo先生はスナック芸レベルの手品でテレビに出たらもてはやされ、巨大化する虚像と実際の自分の乖離に悩まされて「やめるやめる詐欺」を連発。
その頃のことを『しくじり先生 俺みたいになるな!! ~失敗人生!ちょっと待って3時間SP』でこう語っています。

《「金と権力のない人間とはかかわらない」という"分かりやすい物"を求める状態へと悪化》

https://news.mynavi.jp/article/20150420-a612/

それを反省した筈だったのに、金も権力もないホームレスを叩いてみたり、金持ち自慢してみたり。

…全然直っとらんやないか!
肥大化するキャラに人格を呑み込まれちゃって、行っちゃいけない方向に振り切れちゃったんでしょーか。



しかしこの元動画、「こんなモンずっと観続けるとか、私も暇だな…」と思ってたのですが、得るものはありました。 
そこではDaiGo流超高収入術のヒントが語られていたのです。 

動画によれば、DaiGo先生のD-Labは大学中退の弟がアプリ開発を手掛けていて、初月予想売上が7.9億円だそうです。 
ここからDaiGo先生はこう言います。 
『高卒でも1ヶ月で7.9億円稼げる』 
…何とも夢のある話ですね。 

この話は「勉強するのに遅すぎるとかない、適切なタイミングで勉強すれば良い」という文脈で語られます。 
でもこの数字は立ち上げ時の瞬間最大風速で、しかもDaiGo先生の人気頼みじゃないですか。 
まだ誰も使ってないんだから、アプリとしての出来が人気につながったとは思えません。 
それなのに、アプリ開発をしただけで「1ヶ月で7.9億円稼いだ」ことになってるやん…。 
弟のギャラがいくらだったか知りませんが、7.9億まるまるってコトはないでしょ… 
兄弟というコネ抜きで普通に技術者として雇えば、高くてもせいぜい百万円オーダーでは? 
しかも「1ヶ月で7.9億円」というのは本人の収入の大部分を占めてた筈。 
それを弟の数字としても利用し、二重にカウントしてしもてるやん…。 

数字は盛り盛り、しかも二重にカウント。 
これこそがDaiGo先生の超高収入のコツかもしれませんね。 


ちなみにこの件に関するネット民の皆さんの反応は↓こんな感じです。 


『【悲報】Daigoさん、YouTube以外の収益で年収100億円を超えていた…』 
https://www.deresuteuramatome.com/oto_game/archives/201 



それと実話BUNKAタブー編集部にこんなコト言われてたのが印象的。 

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実話BUNKAタブー編集部@BUNKA_taboo 
これまで何度もDaiGoさんに言及しようかと思うことがありましたが、スペルをチマチマ大文字小文字切り替えてタイプするのが面倒かつ、それが正しいのかググって確認するのも面倒くさいんで触れないできました。興味ないんで今後も特に触れません。 
午後5:49 · 2021年8月13日·Twitter for iPhone 
32件のリツイート 
2件の引用ツイート 
102件のいいね 
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あと個人的に面白いと思ったのは↓コレ。 


『「1万円で質問に答えます」―メンタリストDaiGoが3時間半で85万円稼ぐ。次は3万円に値上げ?』 
https://ytranking.net/blog/archives/36922 


そんなに信者がいるのなら一件10万円くらいでもいいし、逆にそんなにお金が余ってるのなら無料でも良いのに、ちまちま調整までして一般人でも出せる額を一生懸命探ってるトコが味わい深いですね。 

こういう人のメンタリティーって別に心理学に頼らなくても丸わかりな訳で、そんな「わかりやすさ」がDaiGo先生の人気の秘密かと思いました。 










【オマケ】 

この件が騒がれてた頃に見つけたDaiGo先生関連のネタ。 
特に検索した訳ではなく、ネットを巡回していて出くわしたもの。 
おおむね遭遇順に並んでいます。 
タイトルを眺めているだけでも流れが分かる(ただし、ちゃんと知りたいことはソースを辿って自分で調べようね。ネットリテラシーの基本だよ!)。 
むちゃくちゃ多くてまとめるのが面倒でした。 
やはり話題の人はちがいますね! 


●【動画】メンタリストDaiGo「生活保護の人に食わせる金があるなら猫を救え。ホームレスの命もどうでもいい、いない方が良くない?邪魔だしさ」 
http://j-seiji.blog.jp/archives/10983335.html 

●メンタリストDaiGo、ホームレス差別発言で炎上 → 謝罪どころか反論してしまう 
http://gahalog.2chblog.jp/archives/52512337.html 


※ついでに脱線 
●ホリエモン「DaiGoが炎上してるのって炎上させたい人がすげー頑張って炎上させてる感じ。俺の餃子屋の時と同じ。誰かを吊し上げたいだけ」 
http://blog.livedoor.jp/nanyade/archives/30138645.html 

●メンタリストDaiGoさん、一転謝罪 →信者から大量のスパチャ 
http://j-seiji.blog.jp/archives/11002961.html 

●DaiGoさん、逆ギレ「過剰に書いたマスコミは訴える!弁護士とかのチームに連絡します」 
http://j-seiji.blog.jp/archives/10995525.html 

●メンタリストDaiGo氏「昨日の謝罪を撤回します」 生活保護やホームレスへの誹謗中傷問題で 
https://johosokuhou.com/2021/08/14/50210/ 
●DaiGoさん、ガチ謝罪表情考え中 支援団体から抗議 CM出演中の飲むシリカも声明発表 ほぼ全方位から叩かれてしまう… 
https://yoshidakenkou.net/post-47928/ 
●DaiGo氏、流石にまずいと思ったのか今度はスーツ姿でちゃんと謝罪するも… CMは放送自粛になる模様 
http://j-seiji.blog.jp/archives/11018983.html 

●DaiGo氏のCM出演を見直し、「のむシリカ」の公式サイトに謝罪文 ホームレスの炊き出し支援などを実施 「不適切な発言」 
https://johosokuhou.com/2021/08/15/50251/ 

●【悲報】涙の謝罪をしたDaiGoさん、とんでもない発言を発掘されてしまうwww 
http://majikichi.com/archives/10424266.html 
●【悲報】DaiGoさん、明治のHPからひっそりと消されてしまう 
http://j-seiji.blog.jp/archives/11036389.html 

※ついでに脱線 
●【悲報】元テレ朝記者さん、DAIGOとDaiGoを間違えて批判→謝罪→鍵垢→垢削除の炎上フルコースへ… 
http://onecall2ch.com/archives/9868269.html 

※ついでに脱線 
●ひろゆき氏が「命の優劣」問題に持論「単に綺麗事を言いたいだけに」 
https://news.livedoor.com/topics/detail/20710817/ 

●【悲報】DaiGoさん、何故か動画を80本近く削除してしまう 
http://blog.livedoor.jp/rock1963roll/archives/5279732.html 


●【話題】心理学者から見たメンタリストDaiGo「心理学の知識は陳腐 読書量も少なく寄せ集めの知識で語る疑似科学のエンターテイナー」 
https://democracy-sokuhou.blog.jp/archives/30191944.html 

●DaiGo「あと日本には自民党と愚党しかないな。野党じゃなく愚党!自民の足引っ張るだけの愚党」 
http://blog.livedoor.jp/googleyoutube/archives/51988225.html 

●【悲報】DaiGo「LGBTQで集まるのはバカ。弱ぇなぁ」 
http://majikichi.com/archives/10425326.html 

●【悲報】メンタリストDaiGo「妊娠できる能力がない女に男は用がない」新たな火種か・・(なんjスレ) 
https://fgo-babylonia-cafe.jp/1234-2/ 


あとスキャンダルネタ。 

●メンタリスト・DaiGo、“女子中学生”に淫らな行為!? 「淫行」で取り沙汰された芸能人 
https://www.excite.co.jp/news/article/Cyzowoman_201612_post_121646/ 

●メンタリスト・DaiGo、“全裸写真”公開でネットドン引き! 「気持ち悪い」「何目指してる?」と辛辣な声続出 2 
https://news.mixi.jp/view_news.pl?id=6075475&media_id=61 





(00:01)

2022年06月24日


前回の続き。


【驚愕のプロパガンダ映画『神は死んだのか』 前編】
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/14981195.html



   (承前) 





◉「立場を利用しての押し付けやめろや」 

  ↓ 
これは教授の人格の問題であって、神の実在に関する議論とは関係がないよね? 

それにこの部分はフィクションよね? 
おっと、あなた方は架空と実在の区別が苦手なんだっけ、失敬失敬。 

あと押し付けは宗教の得意技よね? 
魔女狩りとか異端審問はナニよ…。 
無神論を標榜する社会主義国が宗教弾圧をした? 
それは無神論を無謬の教義として盲信したからでしょ? 
危険なのは盲信であって無神論ではありません。 

よく

「無神論者は『無神論教』という宗教を信じているだけだ」
という反論を聞きますが、健康な科学は対立仮説にも心を開き、必要があれば自説を修正したり棄却したりします。 
そこには盲信の要素はなく、「宗教の一種だ」という批判は当てはまりません。 
我々が科学を受け容れるのは、証拠がそれを強いるからです。 

「無神論も宗教」というのは無理矢理共通点を探しているだけで、「聖書だって科学論文だって紙に書かれた文字という意味では同じだ」と言う様なもの。 
そりゃ確かにそうだろうけど、それがどうしたの? 



教授の反論 
◎「それは縛りを解くため。宗教は心のウィルスや! しかもキリスト教は弱者を狙うところが悪質やん」 


   ↓ 
ここのくだり、やけによく出来てます。 
いいぞ教授、もっと言え! 
でも無神論否定映画なのに大丈夫なのか? 

それともアレか、ココはガチの信者なら 
「宗教をウィルス扱いかよ! 無神論ってマジで糞だな」 
ってなるので、無神論をめっちゃ貶めてみせたつもりなのか…!? 
でも私的には「宗教はウィルスです」で全然OK。 


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ドーキンスは、こんな内容の本を想像するように我々に言った。〈この本を信じなさい。そしてあなたの子供たちにも信じさせなさい。さもないと、あなたが死んだ時、きっと地獄と呼ばれるとても不快な所へ行くことになりましょうぞ…〉。「こういうのが、非常に有効な自己複製暗号(copy-me code)の一例だ。もちろん、指令をすぐ受け入れるほど馬鹿な奴はどこにもいない。『これを信じて、あなたの子供たちに信じるように言いなさい』なんて。もう少しさりげなく、もっとうまい方法で装いを凝らす必要がある。もちろん、私が何について話しているかお解かりでしょう」。もちろん。すべての宗教のように、キリスト教も、特に成功した連鎖手紙の例なのだ。他に何と言えるのか? 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

   ジョン・ホーガン「科学の終焉」より


…他にも劇中、無神論者側の主張は意外にマトモに扱われています。 
こういうトコはわりと良心的で好感が持てますね。 
もっと無茶苦茶なことを言わせて藁人形論法に持ち込むかと思ったのに…逆になんだかガッカリ。 

問題はクリスチャン側の主張があまりにgdgdな内容だということで、要するに自爆もいいトコなんですよ。 



ジョシュの反論 
◉「なぜ神を憎むのか?」 

教授の反論 
◎「神は俺から全てを奪いよったんやー!」 

※ちなみに教授は12歳の時に母をガンで失っていますが、神は救ってくれず…あとクリスチャンの嫁に絶賛逃げられ中です。 


◉「存在しないものを憎めるのか?」 

  ↓ 
どんなものだって想像はできます。 
存在しないものを信仰することすらできますからね。 



以上で議論は終了。 
で、評決を取った結果、なんと全員が「神はいる」と判断。 
ジョシュの勝利です。 

ちなみにこの作品、青春映画としての出来は決して悪くはありません(良くもないけど)。 
でもここのところだけ実に奇妙なんですよ。 

主人公が勝つのは理解できます。 
どんな映画であれそれが普通だし、ましてやプロパガンダ映画なのですから。 
しかしプロパガンダであれ、それを普通の映画のフォーマットに落とし込む以上はちゃんと映画の作劇法に乗っ取っていくべきだし、実際ここまでわりとちゃんとそうしています。 
ですが普通、主人公が何かの競技で相手に勝つには何かそれなりに納得のいく「ドラマツルギー上の理由」が必要でしょ~? 

別に何だっていいけど、「短期間ながら謎の東洋人のジジイに特訓をつけてもらった」とか、「実は生き別れの父親がその世界では伝説的な人物でその才能を受け継いでいた」とか、「てめーはおれを怒らせた」とか、普通は何かあるやろ。 

ところが本作にはそれが全くありません。 
ただの学生が図書館に通って本を読み、あれこれ考えて演説したら、哲学科で無神論の講義を受けている学生が全員、説得されてしまうのです。 
ふしぎ! 
これも神のご加護か…。 
あるいは 
「無神論なんてインチキ理論はキリストの愛という真実を知れば学生にだって簡単に論破できるシロモノなんだよ!」 
ということなのかな。 
その割に現実の世界では一向に勝利を収めていない様ですが。 



表決の後、たじろぐ教授の前で学生たちは一斉に 
「神は死んでません」 
「神は死んでません」 
とつぶやき始めます。 
なんじゃそら。 

ちなみにこの映画、原題は『God's Not Dead』です。ポスターを見れば判る通り、『God's Dead』(「神は死んだ」)に「Not」を後付けする形で「神は死んでいない」としたのですね。 

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…「~は死んでいない」っていう表現、普通は死んだと思われているものにしか使わないよね。 
こんなトンチキな演出する暇があるなら、そもそもどうして神は死んだとされているのか、ちゃんと考えた方が良いと思うよ? 

で、話としては主人公の勝利ですが、他にサブエピソードとしてこんな描写があります。 

◉イスラム娘は隠れキリシタンがバレて家を追い出される。 

  ↓ 
なにそれ宗教の非寛容性を批判してんの? 
同じアブラハム宗教なのに「イスラム教<キリスト教」という図式ひどくね? 

なお、行き場のない彼女はプロテスタントの信者に保護され、教会のイベントに出席したりしますが、どこに住みどうやって生活しているかは謎。 


さらに終盤ではいろんな奇跡が起こります。 

◉車のバッテリーがあがり、業者に何度も代車をよこしてもらうも、何故かどれもバッテリーがダメ… 
ところが神に祈ると急に最初の車のバッテリーが回復
! 

  ↓ 
…ここまでトラブルが続くもんかね!? 
それならそれで、「連続でバッテリーがダメになる」という奇跡を起こす、という神の介入があったのでは? と考えてもよさ気なものですが…
これに巻き込まれた牧師は異常にポジティブなので、出発できなくても「まぁいいじゃん」と気にしていません。 
トラブルになっても気にせず、解決したら「神のおかげだ!」… 
神が悪である証拠はカウントせず、善である証拠だけカウントしとったらそら「神は善なる存在」ってなるよ。 


◉認知症のおばあちゃんが急にいいことを言う 

  ↓ 
…まだら認知症(血管性の認知症に多い)か作話じゃね? 
ちなみにビリーバーが持ち出す「神を感じた瞬間」ってこの程度の、偶然でも説明できる話が多いよね。 


◉教授は逃げた嫁を追いかけ、クリスチャン・バンドのコンサートに向かう途中でいきなり交通事故に。 

  ↓ 
またしても無神論者のみを不幸が襲います。 
クリスチャンはバッテリーあがりとかで済むのにな! 

さらにたまたま通り掛かったポジティブ牧師が 
「即死しなかったのは…転向するチャンスが与えられたってことなんだよ!」 
とか超前向き発言… ΩΩΩ<な、なんだってー!? 
殺しにかかっておいて改宗させてから死なせるなんて神の慈悲、恐るべし。 

そして教授は改宗してから死亡…。 
教授の死体を前にポジティブ牧師は 
「今夜の全ては祝福に通じていた…苦痛はほんの一時だけだ」 
と笑顔でご満悦。 
こえーよ。 

「ダーウィンがいまわの際に神に許しを乞うた」というインチキ伝説もあるし、クリスチャンって無神論者が転向するフィクション好きよね~…。 


ラストはクリスチャン・バンドのライブ。 
ミュージシャンが「みんな、『神は死んでいない』のメールを知り合い全員に一斉送信しよう!」と呼びかけてエンディングへ。 

最後にテロップが出ます。 

『ムーブメントに参加しメールを送りましょう』


迷惑なスパムメールですね。 
知り合いから届いたらその場で着信拒否モノです。 
さらにもう一発テロップ。 

『この映画は全米の大学の数々の訴訟事件に触発されて制作された』

触発…? 
実話やったんちゃうんかい!? 
まぁ映画で「実話がベース」とかいうのは大抵、胡散臭いので最初から信じてなかったけどさ。 


で、教授の死からバンド演奏までの間にこんな描写も。 

◉無神論者の女の子はガンに侵されますが、クリスチャン・バンドのミュージシャン達に勇気づけられます。 

   ↓ 
教授の母親といい、無神論者周辺にだけガンが多発してるトコに偏りを感じます。 
「バカめ、神を信じないからだ」とでも言いたいのでしょうか。 

ちなみに彼女はジャーナリスト志望で、ネット上では既に有名人。 
車には『肉は殺し』『アメリカンヒューマニスト』『I LOVE 進化論』のバンパーステッカーを貼っています。 

そんな彼女は映画の冒頭で、許しがたいと思っているある人物にインタビューを行います。 
相手は狩猟が趣味で、水鳥をおびき寄せる笛を売って儲けた人物。 
彼は熱心なクリスチャンで、インタビューにも気さくに応じ、悪びれもしません。 

ここの描写、典型的で面白いですね。 
熱心なクリスチャンのステロタイプは政治的には保守派で銃(と全米ライフル協会)が大好き。 
神は人間のために自然を作り給うたし、そこからいくらでも好きなだけ取って良いと許可もくれているので狩猟にも肯定的です。 
「自然はいくらレイプしてもOK!」ってサラ・ペイリン(「保守派のバービー人形」の異名を持つ女性議員)も言ってたし。 

一方、無神論者のステロタイプは進化論を信じ、世俗的ヒューマニストであり、動物の殺戮に反対し、菜食主義を掲げるインテリのリベラルです。 

いくらなんでもここまでステロタイプな奴、いるかよ!? 
と思ったけど何のことはない、私がわりとそうでした。 


【ステロタイプな無神論者の図】 

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なんか↑コレ、中学校で配られたりした「お子さんはこんな格好をしていませんか?」という非行化防止ビラみたいですね。 
ウンコ座りのヤンキーやスケバンの絵が描いてあるやつ。 



ちなみにこういった特定の思想のステロタイプを描いた作品として『女性鬼』という超B級なホラー映画があってですね… 

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ヒロイン(モンスターも兼任)はVagina dentata、つまり「歯の生えた膣」を持つ訳ですよ。 
セックスすると相手のちんこを大切断。 
でも物語冒頭、本人もそのことに気付いていません。 
つまり処女です。 

この「処女」に説得力を持たせるため、ヒロインは純潔団体に入っているという設定。 
なので、ヒロインが熱心なクリスチャンだったり、進化論に対して嘲笑的だったりする描写があります。 
クリスチャンと純潔主義と反進化論には親和性があり、一種のミーム複合体を形成しているんですね。 
そんなトコまでちゃんと描写していて感心しましたよ! 

さらに彼女は自分のアソコに歯があることに気付き、「vagina dentata」でぐぐってみたりします。 
で、自分が数々の神話や伝説に登場し、最後には成敗されちゃうモンスターであることに気付くのですね。 
スゲェ! 
ちゃんとヴァギナ・デンタータの文化史について触れてるトコがスゲェ! 



…とか書くとスゲェ面白そうですが、内容は当然、超地味です。 
だって直接描写は一切ナシで何本か指やちんこがもげるだけなんだもん。 

しかもヒロインは「コイツちんこもいだる!」と思った相手といちいちセックスしなきゃいけないんですよ? 
肉を切らせて骨を断つ、というか「肉を与えて棒を断つ」という荒業。 
もっと自分を大事にして! 
…もしかして「復讐は自分をも傷つける」という教訓かとも思ったのですが、そんな高尚なテーマ性はなさげです。 


あとヒロインの性器に歯が生えた理由ですが、一切解説はありません。 
でも、舞台となる街の背後に常に原発が映り込んでいます。 
原因は放射能…。【註3】 
…話、粗いな! 
昔の怪獣映画かよ。 

しかし怪獣映画や神話のセオリーと異なり、「怪物」たるヒロインが倒されることなくエンディング。 



ちなみにヴァギナ・デンタータはもちろん直接描写できない訳ですが、被害者の死体を調べた検死官が「遺体に残された歯はヤツメウナギに似ている」みたいな話をするシーンがありまして、えらい直接的なメタファーやな~と感心しました。 
この映画の製作者、いろいろ判ってるなぁ…。 

あ、でもホラー映画としてはもう、ほんっとに糞面白くないので観なくていいです。 













【オマケ】 

ちなみにヤツメウナギの歯というのはこんなのです(以下、人によってはグロ画像、もしくはエロ画像なので注意)。 






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種によって歯の形や大きさ・配列が違うらしく、それぞれに美しいので、いくつか貼っておきます。 

IMG_6206

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この辺は基本的にヒマワリの種的な配列…フィボナッチ数列がなんちゃらとかいうアレでしょうか。 

知らんけど。 


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歯の生え方は種により異なるみたいですね。




【註3:放射能】 

「放射線」や「放射性物質」ではありません。昔の怪獣映画みたいに「怪物の誕生」を無理矢理説明するには、ここはあくまで「放射能」です。 




(00:15)

2022年06月22日


『神は死んだのか』という壮絶なキリスト教原理主義プロパガンダ映画を観てみました…が、ツッコみどころがあまりに多かったのでズギャアアアっと大紹介。 
ストーリーはこんな感じ。 
ちなみに実話がベースという触れ込みです。 



主人公のジョシュはクリスチャン。 
大学で哲学の講義を取ります。 
ところが教授はゴリゴリの無神論者。 
受講生全員に「神はいません」と書いてサインを入れ、提出する様に指示する暴君っぷり。 

クリスチャンのジョシュはこれを拒否。 
教授は「では3回の講義で20分ずつ与えるので神の存在を証明してみろ」と言い出します。 
60分演説し放題って…教授、結構いいやつじゃねぇか! 
ちなみに判定法は受講生による多数決。 

ジョシュの「神の存在証明」、内容は↓こんな。 



【ジョシュのプレゼン 第1回 】


◉「神がいると言う証明はできないが、神がいないと言う証明もできない」 
◉「『創世記』は宇宙が無から生まれたとしている。これはビックバン理論に合致する」 
◉「聖書は正確だった。その間2,500年間 科学は間違っていた」 
◉「無から有は生まれない。無神論者はそれ(生命の起源)を例外扱いしていた」 

◎学生からの質問 
「ドーキンスは『じゃあ神を作ったのは誰よ』と言ってるよね?」 

ジョシュの反論
◉「神が何かに作られたと言う前提はキリスト教の教え方に反するので意味がない」 
◉「宇宙があなたを作ったのなら、宇宙を作ったのは誰なのか? すべてはどう始まったのか、神抜きでの説明は無理だ」 

教授からの反論 
◎「ホーキングの宇宙の自発的創造については触れないのか?」 

ジョシュの反論 
◉「それでも僕の信仰心は変わらない」 


【ジョシュのプレゼン 2回目】

◉「ホーキングの『神はいらない』発言について数学者レノックスはこう言っている。 
『これは循環論法だ。[存在する必要に迫られて自らを創造した]というのは[スパムは別の食べ物にないすばらしい味だからこそ最高の食べ物]というのと同じで論点先取だ』」 

教授からの反論 
◎「お前ホーキング ディスってんの?」 

ジョシュの再反論 
◉「ホーキングは哲学は神だとも言ってますけど?」
◉「進化論は生命の起源を説明していない。 ダーウィンは化学物質を含む水に電が落ちて生命が誕生したと主張した。 だが彼は『自然は飛躍しない』とも言っている。 しかしストロベルの指摘によれば生命の歴史を24時間とするとラスト90秒で大半の動物が現在と変わらない姿で出現している。 ほぼ一瞬で自然は大ジャンプしている。創世記通りだ。 


ジョシュのプレゼン 3回目 

◉「なぜ悪はあるのか? 人間に自由意志が与えられているからだ」 

教授 
◎「都合がいいな。 
いつか悪を排除しよう、だがその日まで戦争や貧困、津波やエイズに何とか対処しろってか」 

◉「道徳的絶対主義や。クリスチャンは善悪はっきりしてるで? 道徳的指針は神や!」 

教授 
◎「無神論者は道徳的でないと?」 

◉「違う、道徳的である理由がないと言っている。この議論かて無神論が正しかったら意味ないで? 人間も金魚も変わりないってことやもん」
◉「立場を利用しての押し付けやめろや」 

教授の反論 
◎「それは縛りを解くため。宗教は心のウィルスや! しかもキリスト教は弱者を狙うところが悪質やん」 

ジョシュの反論 
◉「なぜ神を憎むのか?」 

教授の再反論 
◎「神は俺から全てを奪いよったんやー!」 

ジョシュの再々反論
◉「存在しないものを憎めるのか?」 




…以上です。 
では早速ツッコんでいきましょう。 



●「神がいると言う証明はできないが、神がいないと言う証明もできない」 

  ↓ 

はいはい 悪魔の証明 悪魔の証明 

…のっけからコレかよ! 

何かが「ある」ことは簡単に証明できますが、「ない」ことは証明のしようがありません。 
これを『悪魔の証明』と呼びます。 
白いカラスがいることを証明するには実物をたった1羽連れてくるだけで済みますが、白いカラスがいないことは一体どうすれば証明できるというのでしょうか? 
したがって「ある」と「ない」は対等ではなく、「ある」と主張する側がその挙証責任を負うのです。 
神の存在証明を果たす責任があるのは信者の側です。【註1】 

のっけから「神がいると言う証明はできない」と自分から言い切っちゃってますけど大丈夫…? 


◉「『創世記』は宇宙が無から生まれたとしている。これはビックバン理論に合致する」 

  ↓ 

はいはい 柔道論法 柔道論法 

科学の成果を真っ向から否定しておいて、都合の良い時だけ科学の権威を振りかざすとは一体どういうつもりなのでしょうか。 
相手の力を利用する『柔道論法』です。 


◉「聖書は正確だった。その間2,500年間 科学は間違っていた」 

  ↓ 

はいはい チェリーピッキング チェリーピッキング 

それ都合の良いところだけを摘み取ってますよね? 
『チェリーピッキング』です。 
他に科学が間違っていて聖書が正しかった例は一体いくつあるのでしょうか? 
そしてその逆の例は何千ヶ所? 

それに間違った推論プロセスに基づいて言ったことがたまたま当たったからといって「その推論が正しかった」ということにはなりません。 
例えば「鉄は羽根より重いから速く落ちるだろう」という推論は結果は合っていますが正しくはありませんよね? 羽根がゆっくり落ちるのは空気抵抗のせいであって、軽いからではありません。真空中では同時に落ちます。

さらに自己修正能力は科学の美点です。 
科学は自身に間違いがある可能性を認め、より良いものに更新され続けています。 
全知全能、すなわち無謬を前提とし、誤りを認めたがらないどこかの宗教とは違います。 



◉「無から有は生まれない。無神論者はそれ(生命の起源)を例外扱いしていた」 

  ↓ 

え、有神論者は神という特大の「例外」を持ち込んでるのに…? 
それについさっきは「宇宙が無から生まれた」とか言ってませんでしたっけ? 


◎学生からの質問 
「ドーキンスは『じゃあ神を作ったのは誰よ』と言ってるよね?」 

ジョシュ 
◉「神が何かに作られたという前提はキリスト教の教え方に反するので意味がない」 


  ↓ 

いや、それって重要な問題を見落としてるのを指摘されてるのに「俺らはそれについては考えないことにしてるんだ」って言ってるのと同じですよ? 

あと 
「複雑で合目的なデザインは勝手に生えてきたりしないので何かに作られた筈だ」 
と言い出したのはキリスト教の側です。 
18世紀にウィリアム・ペイリーという神学者が『自然神学』という本の中で 
「丘の上に石が落ちてても特に疑問はないが、時計が落ちていたら時計を見たことがない人でもそれが何かの目的のために作られたもので、製作者がいることを確信する筈だ。同様に、生命という複雑なものには必ずデザイナーがいる。つまり神だ」 
みたいな主張をしたのです。 

ドーキンスはこれを踏まえた上で 
「じゃあ神はもっと複雑なんだから、そのまたデザイナーが必要だよね?」 
と言い返したのですね。 


ちなみにこの映画の中でドーキンスに反論している部分はこれだけです。 
後は教授が他の教授陣と内輪で「あいつドーキンスをディスりやがったよ!」とか言ってる時にクリスチャンの妻が乱入。 
「あなた、別れるわ!」と言われてしまいます。 

…どうもドーキンスを否定する根拠がなかった模様(あれば描いているはず)。 
それでこの意趣返し…子供かよ!? 




◉「宇宙があなたを作ったのなら、宇宙を作ったのは誰なのか? すべてはどう始まったのか、神抜きでの説明は無理だ」 

   ↓ 
だからなんで宇宙の起源は気にするのに神の起源は気にしないのよ!? 

あと「神抜きでの説明は無理」というのは個人的な猜疑心に過ぎないよね? 
オカルト畑の人はしばしば、どれだけちゃんと説明しても 
「そうはいってもNASAは何か隠してるんじゃないの?」 
「そうはいっても死ねばなんかあるんじゃないの?」 

と個人的な猜疑心に基づいて疑ってきますが… 
こちらにはそんな根拠のない、漠然とした印象から出た話に付き合う理由はないのですよ? 


あとしばしば「なんであれ、全ての原因を神と呼んでいるだけ」とか言っちゃう人がいますが… 
…それはキリスト教的な人格神じゃなくてよくね? 



教授からの反論 
◎「ホーキングの宇宙の自発的創造については触れないのか?」 

ジョシュの反論 
◉「それでも僕の信仰心は変わらない」 


  ↓ 

え、反論できなくても態度を変えないの…? 
どんな欠点を指摘されても自説の誤りを認めないのは「私は根拠なくこの説を信じてます」という非論理的な態度であり、盲信です。 
大体、「それでも僕の信仰心は変わらない」って要するに「私は信じます」という、ただの信仰告白やん…。 
非信者がそんなものにいちいち付き合うとは思わないでね。 

宗教の人は追いつめると結局のところ、 
「信じたいから信じている」 
「信じているから信じている」 
「とにもかくにも信じている」 

というのを信仰の根拠としがち。 

でも 
「信じたいから信じている」 → 現実と願望の混同 
「信じているから信じている」 → 単なる同義反復 
「とにもかくにも信じている」 → ただの信仰告白
 
であり、根拠にはならないんじゃないでしょーか。 



◉「ホーキングの『神はいらない』発言について数学者レノックスはこう言っている。 
『これは循環論法だ。 
[存在する必要に迫られて自らを創造した]というのは[スパムは別の食べ物にないすばらしい味だからこそ最高の食べ物]というのと同じで論点先取だ』」 


  ↓ 
あ~、オカルトの人って科学から「それって循環論法じゃね?」「論点先取じゃね?」などとツッコまれがちなんで、それらの論法を自分たちも使ってみたくなるみたいですね。 
でも生兵法なんで大抵使い方を間違ってます。 


循環論法というのは「Aの根拠はB、そしてBの根拠はAだ」という論法で、根拠が同じ場所をぐるぐる回っています。 
これは結局、煎じつめれば「AだからAである」と言ってるだけで何も説明していませんね。 
具体例を挙げると、 
「聖書は神の言葉である。何故なら聖書にそう書いてあるからだ」 
とか、そういうやつのことです。 

『存在する必要に迫られて自らを創造した』というのは一見すると循環論法に思えますが、これは単に「存在は必然だった」という意味の、レトリカルなキャッチフレーズでしょう。 
このフレーズ以外に全く根拠のない閉じた論法ではなく、キャッチフレーズでは省略されているだけで、外部にちゃんと根拠があれば問題ありません。 

例えば 
「彼氏の部屋は彼女の隣、彼女の部屋は彼氏の隣」 
というタイトルの恋愛映画があったとしましょう。 
この場合、二人の部屋が何階のどこにあるのか、タイトルからだけでは判りませんが、だからといってこういう状況がありえない訳ではないし、劇中で「二人の部屋は2階で一番東の角部屋が彼氏、そのひとつ西が彼女」という描写があれば把握できますよね? 
タイトルだけ見て「それは循環論法だ!」とか言われても困ります。 

キリスト教原理主義者はしばしば 
「ダーウィンの進化論は『最適者が生存する』という理論だが、最適者というのは『生存した者』のことだろう。つまりこれは『生き残るやつが生き残る』という循環論法だ」 
と言い立てますが、これも同じ。 
『最適者の生存』はハーバート・スペンサーが考え出したキャッチフレーズに過ぎません。 
Wikipediaの『適者生存』の項でも 
『ただし比喩的表現であって科学的な用語ではなく、生物学でこのメカニズムに対して用いられる語は「自然選択」である』
とあります。 
そもそも『適応が見られるのに生存しない』といった、進化論が反証される状況も考えうるので『最適者』イコール『生存者』でもないし。 

これは要するに「モテ顔に整形したらモテるはず」というのと同じです。 
一見、「モテる奴はモテる」と言ってるだけの同義反復・循環論法に見えますが、「何がモテ顔か」は外部的に決まります。 
例えばモテ顔を「甘いマスク」とすると、「モテ顔に整形したらモテるはず」というのは「甘いマスクに整形するとモテる筈」となり、どこにも循環論法はありません。 
しかも「モテ顔に整形したのにモテなかった」という場合もありえるので、検証もできますよね? 



教授からの反論 
◎「お前ホーキング ディスってんの?」 

ジョシュの再反論 
◉「ホーキングは哲学は神だとも言ってますけど?」 

  ↓ 

はいはい レトリック レトリック 
あとコレ↓な。 

「アインシュタインはときどき、神の名を引き合いに出したので(そうする無神論的科学者は彼だけではない)、むりやり曲解して、これほどに高名な思想家が自分たちの側に立つと主張したがる超自然主義者たちの誤読を招き寄せることになった」 ― リチャード・ドーキンス 



◉「進化論は生命の起源を説明していない。ダーウィンは化学物質を含む水に電が落ちて生命が誕生したと主張した。だが彼は『自然は飛躍しない』とも言っている。しかしストロベルの指摘によれば生命の歴史を24時間とするとラスト90秒で大半の動物が現在と変わらない姿で出現している。ほぼ一瞬で自然は大ジャンプしている。創世記通りだ。 

  ↓ 

『ダーウィンは化学物質を含む水に電が落ちて生命が誕生したと主張』?

ダーウィンそんなこと言ってない。 
それはミラーの有名な実験では…。 
あと現在の生命誕生シナリオではその説は否定されてます。 

大ジャンプの話は地質学的なタイムスケールで言えば「一瞬」で起きますが、実際には何百万年もかかってゆっくりと漸進的に進化していく訳で何も問題はありません。 
また進化は基本的に保守的なもので、変化よりはむしろ安定が特徴です。 
長い安定期があり、時おり(地質学的タイムスケールだと)一瞬のうちに変化してまた安定に入ると考えられています(断続平衡説)。 



あと聖書の記述は膨大でおまけに一貫性がなく、矛盾や文書ごとの食い違いがあるので、そのうちのひとつが「当たったー!」とか言われましても。 


「創世記通りだ」というのはおなじみの「柔道論法」ですね。 

つーか、 
「生命の歴史を24時間とするとラスト90秒で大半の動物が現在と変わらない姿で出現している」 
というのが 
「創世記通りだ」 
というのがさっぱり解りません。 

「生命の歴史を24時間とするとラスト90秒で大半の動物が現在と変わらない姿で出現している」 
というのを文字通りの意味で肯定しているのだとしたら…進化史を受け入れちゃってるよね? 

いやいやわかってる、結局は「神による創造」を主張したいんでしょ? 

では 
「生命の歴史を24時間とするとラスト90秒で大半の動物が現在と変わらない姿で出現している」 
を少しアレンジして 
「生命の歴史を24時間とするとラスト90秒で大半の動物が現在と変わらない姿で創造された」 
にしてみましょう。 
…なんか主張自体が矛盾してますよね。 
生命誕生後にまた生命が誕生するって何だよ。 
それとも神はまず単純な生命を創造し、それを何十億年も放置してから最近になって急に複雑な動物を作ることにいそしみ始めたんでしょーか。 
締切間際になってから書き始める大学生のレポートかよ。 

…勿論、ここでキリスト教原理主義者は 
「うむ、神は実際、数十億年待ってから創造を再開されたのだろう。 
その理由は我々人間などには理解できないが、神には何か計画がおありなのだ」 
などとお得意の言い逃れを披露することも出来ます。 
でも聖書にはそんな言い訳、書いてないよね? 
必死になって「無理矢理こう考えればつじつまが合わなくもない」という、ポストホックな(特別製の)説明を乱発するのはいいかげんにしましょう。 
それに神の意図が人間の理解を超えているなら、どうして「神は善良だ」などと言えるのでしょう? 


さらに「ラスト90秒」が全く合ってない件について。 
キリスト教原理主義の中でも『若い地球派』の皆さんの場合、聖書の記述を足し合わせて「地球が創造されたのは6千年前」と主張しておられます。 
しかし生命の歴史を24時間とすると1秒はおよそ4万4千年…【註2】 
創造が行われたのはラスト90秒どころか、0.14秒なんですが…。 
これが「創世記通り」…? 

「地球は6000歳」という主張を行わない『古い地球派』の場合でも特に「ラスト90秒で動物たちが作られた」とは主張していないし、聖書にもそういう記述はありません。 
ちなみにキリスト教原理主義者は 
「進化論による生物の出現の順序と創世記の生物が創造された順序が一致している」 
と主張することもあります。 
…これまた「柔道論法」の果てにうっかり進化論を認めとるやんけ! 
しかも聖書には「魚」「鳥」「獣」くらいのざっくりしたことしか書いてないし(脊椎動物だけかよ)、創造の順序にも記述によってばらつきがあります。 


OK、OK。 
じゃあ最大限、好意的に解釈してみましょう。 
「進化の事実も出現の年代も受け入れないけど、『現生の動物の大半は比較的最近になって出現した』という部分だけは共通している」 
と言いたいのかな…? 

…それ共通部分ほとんどないよね? 
「長く続いた進化の結果、比較的最近になって大半の動物が現在と変わらない姿になった」 
というのと 
「比較的最近になって大半の動物が現在と変わらない姿で神によって創造された」 
というのは全く違うことだし。 

しかも出現の原因が進化であることも年代も認めないのであれば、キリスト教原理主義者にとってはそもそも 
「生命の歴史を24時間とするとラスト90秒で大半の動物が現在と変わらない姿で出現している」  
という説自体に全く根拠を見いだせないことになります。 
そんなシロモノとごく一部が一致するからといって、なんで鬼の首を獲ったみたいに騒ぐのか…。 
…結局、科学の権威にすがった「柔道論法」でしかないよね。 


それから、ストロベルさんて誰? …と思って調べたところ、聖書関係の本ばかり書いてるジャーナリストでした。 



◉「なぜ悪はあるのか? 
  人間に自由意志が与えられているからだ」 

  ↓ 

なんで「神の気に喰わないこともできる」という謎仕様にしたのか、その意味がわからへん…。 
製造物責任って言葉、知ってるかな…? 



教授 
◎「都合がいいな。いつか悪を排除しよう、だがその日まで戦争や貧困、津波やエイズに何とか対処しろってか」 

  ↓ 

教授ナイス突っ込み! 



◉「道徳的絶対主義や。クリスチャンは善悪はっきりしてるで? 道徳的指針は神や!」 

教授 
◎「無神論者は道徳的でないと?」 

◉「違う、道徳的である理由がないと言っている。この議論かて無神論が正しかったら意味ないで? 人間も金魚も変わりないってことやもん」
    

  ↓ 

ほほ~、非クリスチャンには道徳的である理由がないのかぁ…。 
ではクリスチャンが殺人を行わないのはどうしてでしょう。 
それが神の命令だから? 
じゃあ神が殺人禁止命令を出さなければ殺人を犯すってコト…? 
あるいは神が「殺せ」と命令すれば嬉々としてその声に従うってコト…? 
どっちにしても全く道徳的ではないんですが…。 

え? 
もちろんクリスチャンは神の命令抜きでも最初から道徳的です、って? 
それは結構なことです。 
でもそれって結局、道徳は神とは関係なく存在するってコトですよね。 
じゃあ神など持ち出さなくとも道徳的に生きることは出来るんじゃないですか? 
なのに何故、道徳はクリスチャンの占有物だなどと傲慢にも主張できるのでしょうか? 



『もしあなたが神が不在であれば泥棒・強姦・殺人が多発するであろうと主張するのならば、あなたは自分が不道徳なことを暴露しているのであり、それはいいことを聞いたから我々は今後あなたのことは大きく避けて通らせていただく』
     ― マイケル・シャーマー ー

(神がいなかったらどうして善人でいられるのか?という問いに対して) 
『それは道徳ではなく単なるご機嫌取りかゴマすりであり、空にある巨大な監視カメラや、あなたの頭の中であらゆる動きや卑しい考えさえ監視している盗聴器を気にしているだけではないか?』
    ― リチャード・ドーキンス ― 

『人類の一番の悲劇は、道徳が宗教にハイジャックされたことだ』
    ― アーサー・C・クラーク ― 

「私たちが道徳的であるために神を必要とするというのが、たとえ真実であったとしても、それで神が存在する可能性がより高くなるわけではなく、単により望ましくなるだけのことにすぎない」 
    ― リチャード・ドーキンス ― 









(長くなりすぎたので続く) 








【註1:悪魔の証明】 

悪魔の証明については以下のエントリを参照。

『ネトウヨさん「悪魔の証明ガー!」←は?』
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/10210701.html


【註2:1秒はおよそ4万4千年】 

生命の歴史を38億年として計算。 
そもそも「創造論は科学と合致する」というのがキリスト教原理主義側の主張なので、科学側の数字を使うのは当然です。 
別の数字を使いたいならその数字と根拠が必要ですが、キリスト教原理主義側には具体的な数字は『若い地球派』の「地球は6000歳」しかありません。 
矛盾だらけのキリスト教原理主義者の主張を最大限好意的に解釈し、「地球の歴史のごく最近になって動物が創造された」という意味だとして、ここに「地球は6000歳」をあてはめると… 
動物が創造されたのはここ数百年くらい、ということに…。 



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