2022年04月
2022年04月29日
保守派が持ち出す、リベラル批判の格言・箴言の類について考えていくシリーズ続行。
今回は右派の人がしばしば問題にする「平和主義者の攻撃性」について。
この批判の妥当性を考察していきましょう。
●【そもそもこの言葉の由来は?】
この手の批判の元ネタはリデル=ハートのこの↓言葉です。
『多くの平和主義者の友人と付き合っていて、彼らの見解にはもちろん共感するんだが、戦争の廃絶について私をほとんど絶望させることがあまりにも多い。というのも、彼らの熱烈な平和主義の中にある好戦的な要素が目の前にちらつくからだ』
…そもそも平和主義に共感してますね。
このリデル=ハートとはどんな人物かと言うと…
Wikipediaによれば↓こう。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
サー・バジル・ヘンリー・リデル=ハート(Sir Basil Henry Liddell-Hart, 1895年10月31日 - 1970年1月29日)は、イギリスの軍事評論家、軍事史研究者、戦略思想家。日本ではファーストネームを誤って「ベイジル」と発音・表記されることがあるが、「バジル」が英語での発音により忠実である。
軍事戦略、陸上作戦、核戦略の研究領域において奇襲、機動戦、間接アプローチ、大戦略などの研究業績を残した。20世紀という時代を象徴する戦略思想家[1]と称される。リデル=ハートに影響を与えた人物には孫子やカール・フォン・クラウゼヴィッツ、ジョン・フレデリック・チャールズ・フラーなどがおり、彼が影響を与えた人物にはハインツ・グデーリアン、オード・ウィンゲートやバーナード・ブローディなどがいる。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
第二次世界大戦が勃発した際のリデル=ハートの立場は攻勢に批判的であり、ドイツの軍事行動を予防し、また戦争の拡大を防止するために外交交渉によるドイツとの妥協の必要性を訴えた。しかしこれはドイツ軍が必ず敗北することを前提としており、電撃戦で連合軍が大きな損害を出すと批判されることにもなる。特に戦時中であったこともあり総力戦の批判は敗北主義と受け取られ、リデル=ハートの名声を貶めることとなった。大戦の後期にはドイツを完全に敗北させる総力戦は事実上不可能であり、またイギリスの財政を圧迫するだけだと論じた。1943年にチャーチルが枢軸国の無条件降伏を決定した際には反対の覚書を政府に送付している。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
…軍事評論家、つまりは通常は問題解決の手段としての戦争・暴力を否定しない立場でしょう。
一方で軍事的には決していけいけドンドン派ではなかったみたいですね。
そんな人物が『多くの平和主義者の友人と付き合っていて、彼らの見解にはもちろん共感する』と言ってる訳です。
『平和主義者の攻撃性ガ―!』というフレーズから受ける印象とは随分違いますね。
●【「攻撃性」とは何か?】
「平和主義者の攻撃性」はやたら批判されますが、そもそもここで言う「攻撃性」とは何のことでしょうか?
単に議論上の戦闘性や攻撃性なら、別に問題ないのでは?
そんなん、語調を問題にするトーンポリシングでしかないやん…。
例えば私は戦闘的無神論者ですが、「お前、戦闘的なんか…? 最低やな」とか言われたって困っちゃう。
結局、こんなん「ま、平和主義には共感するけどさ…その割にあんたら怒りっぽいよね…」という、愚痴でしかない訳ですよ。
平和主義とは別に「怒らない」ことではなく、「怒りを暴力と言う形では表明しない」ことなので、別に怒ったって良い筈です。
『良き市民の第一の義務は、必要な時に怒ることである。そして、その行為によってその怒りを示すことである』
J.ブライス(アメリカの政治家)
これに関連して、平和主義者が比喩として使うものを「暴力やんけ」と批判するやりくちについて触れておきましょう。
よく見るのはこういうやつですね。

この手の物件は
「9条を守ろう、と言いながら武力に頼ってるやんけ」
みたいな形で嘲笑されることが多いですが…
暴力は人類の本性に根深く喰い込んでおり、それを完全な形で排除するのは難しいのでしょう。
しかしその残滓が比喩という形でひょっこり顔を出したからって、ソレそんなに罪深いですか…?
例えば「ペンを武器に戦う」とか「理論武装」という比喩表現もアウトなん?
そんなん「貼り紙禁止の貼り紙」とか「速度制限超過の車を追いかけるパトカー」とかを「おかしいやんけ~!」と言ってる小学生みたいなモンやろ…。
球技はボールという逃げる獲物を追いかけたり、共同で敵陣を攻撃したり、明らかに狩猟や戦争といった残虐行為を模しています。
しかしバスケを暴力的だと言う人はいないでしょう。
それと同じで、論戦もまたヒトの好戦性を健康な形で非暴力化したものです。
勿論、罵倒や威圧や誹謗中傷はダメですが…軍国的で勇ましい言葉や、武力をちらつかせた恫喝まがいの言辞は右派の得意技ですよね?
●【イメージの問題?】
結局、「平和主義者は攻撃的」というのは、「ヴィーガンは押し付けがましい」とか「野党は何にでも反対する」とかと同じで、右派によって作られレッテル貼りされたイメージの問題でしかないんよね…
実際には、ヴィーガンは主張しているだけで無理やり採食を強制してる訳ではありません。
なのに主張が押し付けがましい?
世の中には焼き肉やハンバーガー等、肉食をさも当たり前に扱った広告が溢れています。
それらは押しつけがましくなくて、ごく稀にしか見ないヴィーガンの主張はおしつけがましいのですか?
何で?
「野党は何でも反対」というよくある批判については、野党が反対せざるを得ない様な悪法ばかり通そうとする与党さんサイドに問題があるのでは?
そもそも野党は法案の8割に賛成しています。
また、野党が全ての法案に賛成するなら…それなんて翼賛政治? だったら野党など必要ないよね。
●【疑心暗鬼が戦争を生む】
他に平和主義者に貼り付けられるレッテルには「お花畑」というものがあります。
「平和主義者はお花畑」とする批判者の対案は結局のところ「軍備で安心」に集約できます。
平和主義は無防備で心配だけど、軍備を行えば安心?
本当にそうですか?
軍備は国際的な緊張を高め、軍事衝突のリスクを高めちゃいますよ?
そもそも誰だって自分に火の粉が降りかかるなら、戦争などしたくないでしょう。
しかし「我が国は戦争を行う気などないが、あの国はそうではないのではないか」というお互いの疑心暗鬼が戦争を生むのです。
これは遺産争いで揉める親族間の争いに似ています。
お互いに
「俺は不当な要求などする気はないが、他の者はどうかな…? 揉めたくはないけど、そこに付け込んで自分だけ得しようとする奴がいたら許さんぞう!」
と疑心暗鬼になり、誰も悪くなくても揉めちゃうのです。
元は仲の良い親族だったとしても。
銃社会のアメリカでも
「誰かが銃を持つ→撃たれるのではないかと不安になる→自分も銃を持つ→皆が持ってるのでもっと不安になる」
という悪循環があります。
しかし結局のところ、銃を所持する市民は4割と少数派です。
「周りが怖いから軍備する」というなら、他国も同じ論理によって軍備を強化することになります。
あとに待っているのは果てしのない軍拡競争…
『それは血を吐きながら続ける、悲しいマラソンですよ』(ウルトラセブン)。
「怖い」周辺国と同じことをして他国に脅威を与え、いるかどうかも怪しい怪物から身を守るために自らが怪物となるだけです。
軍備で安全になるのなら、世界はとっくに戦争のない安全な場所になっている筈。
しかし現実はどうでしょう?
戦争はなくなり平和になりましたか?
戦争放棄は日本だけ。
つまりあらゆる戦争は軍備のある国家間で起きている訳です。
一方、日本は戦争放棄してから一度も侵略を受けていませんよね(まぁ9条のおかげかどうかは別としても)。
そして右派お薦めの軍備を「ちゃんとしてる」周辺国を危険視してるのは左右どちらですか?
右派ですね。
●【抑止力としての軍備?】
「軍備はあくまで抑止力だ」という意見もよく見かけますよね。
じゃあ、軍備は本当は使う気のないブラフ(ハッタリ)なんでしょうか?
ハッタリは見抜かれると意味を失います。
「どうせ本気で撃つ気はない」と思われると相手に舐められるからです。
それを避けるためには相手に「あいつら本気で撃つ気だ!」と思わせなければなりません。
そのための最も簡単な方法は、実際に「本気で撃つつもりでいること」です。
こうして「あくまでも抑止力」だった筈の軍備は安全装置を外され、相手にとって実際の脅威となります。
お互いに脅威なのでお互いを怖れ、排除したいと願う様になるのです。
こうして軍備を行うだけで実際に戦争が起きるリスクは増大します。
軍備は短期的には安全に思えても、長期的には極めて危険なのです。
ここには「平和主義は攻撃に弱いが、さりとて軍備を行うと戦争リスクが増す」というジレンマがあります。
ジレンマは簡単に解消されないからこそジレンマ。
片方だけ批判するのは片手落ちというもの。
どうしても「平和主義はお花畑」と言いたいのならば好きにすれば良いと思いますが、それなら「軍備で安心」だってお花畑です。
平和主義を批判する人はすぐ「平和ボケ」という言葉を使いますが、「軍事力があれば何とかなる」という能天気な発想自体が平和ボケの産物やろ…。
●【「平和主義と言いつつ暴力に訴える人」をどう捉える?】
「平和主義を標榜しつつ、結局暴力に訴えちゃう」という困った人もいて、彼らが批判の対象になることがあります。
そういう人は実際に矛盾しているので、批判には正当性があります。
しかしこれは「偽の平和主義者」に対する批判であって、「真の平和主義者」に対する批判ではない点には注意が必要でしょう。
そして平和主義を批判する人は当然、問題の解決法として戦争など暴力の行使を選択肢に入れてますよね?
あらゆる問題の解決に暴力を用いないなら、その人はすでに平和主義者なのですから。
これは単に言葉の定義の問題です。
そして社会では一般に傷害や強盗などの暴力行為は犯罪とされ、暴力は倫理的に否定されています。
つまり倫理的には
「真の平和主義者 > 平和主義を標榜しつつ結局暴力に訴える人 > そもそも暴力を否定してすらいない人」
の筈です。
かつては暴力はヒトの生存に必須でした。
我々は暴力を行使することによって生き残った人々の子孫であり、その性向を色濃く受け継いでいます。
暴力はヒトの本性にあまりにも深く根付いているため、それを払拭することは簡単ではありません。
平和主義を標榜している筈の人が、あまりにも簡単に暴力に流される…そういう笑うべき矛盾が一部に残っているのも現実でしょう。
しかし「そもそも暴力を否定してすらいない人」が「平和主義を標榜しつつ結局暴力に訴えちゃう人」に倫理について説教するのはどこかおかしくないですか…?
少なくとも暴力を放棄する努力をしている分だけ、「平和主義を標榜しつつ結局暴力に訴えちゃう人」の方がマシに思えるのですが。
また、その論理だと批判者も「真の平和主義者」には敬意を払うべきですが、彼らは大抵そうはせず、平和主義自体を攻撃します。
「平和主義は理想に過ぎない」 ←わかる
「戦争をしたくはないが軍備は必要」 ←まだわかる
「平和主義者はお花畑のキチガイ! とっとと隣国を消滅させようぜ!」 ←ファッ?
やけに鼻息荒い人が「私だって戦争はしたくない」とか言ってたって説得力ないですよ…?
●【矛盾していなければ許されるのか】
本来、「平和主義者の攻撃性ガ―!」という言説は「それ矛盾してるやん」的な意味の筈です。
つまり「俺らはそもそも暴力を否定してないから攻撃的でも矛盾はないけど、お前ら平和主義者がソレはおかしいやろ」という訳ですね。
…じゃあ矛盾がなければ暴力もアリなんですか?
例えば「暴力を否定してない人」と「平和主義を標榜しつつ結局暴力に訴えちゃう人」が殴り合いの喧嘩をしたとしましょう。
駆けつけた警察に「俺は矛盾してないからいいんだよ、でもアイツは矛盾するからダメでしょ? お巡りさん、アイツだけ捕まえて下さい」とか通りますかね?
その人の主義主張とは無関係に、暴力はダメでしょ。
【「デモはテロ」…? 奇論・珍論の数々】
ちょいちょい「選挙で決まったことに反対するのは民主主義に反する」とか言い出す人がいますが…
反対意見を表明する権利は常にあるに決まってるやん。
「表現の自由」を何だと思ってるのか…。
「決まったことには反対禁止」なんてやってるのは民主集中制を敷いてる日共くらいやで?
あと「デモはテロ」とか言っちゃう人も見ますね。
無届デモや座り込みデモは道路交通法違反で犯罪、ということの様ですが…
じゃあガンジーの無抵抗不服従運動もテロかよ。
デモの自由は常にあるっちゅーの。
デモ自体は犯罪にならないので、道交法を持ち出して引っかけてるだけです。
昔、警察がネズミ捕りをしていて急に違反者が全然いなくなったのでおかしいと思って調べたら、先ほど捕まって腹を立てた男がレーダーの上流で「この先ネズミ捕り注意」と書いた看板を持って立ってた、という珍事がありました。
男は「安全運転を呼び掛けているだけ」と主張してやめようとしなかったため、業を煮やした警察が六法全書をひっくり返して調べ、最終的に「道路使用許可がない」ことを盾にやめさせた、というエピソードがあります。
道路使用許可はこの様に無理くり持ち出されがち。
警察がオウムの車を調べて大型カッター(トラックには大抵積んである)が出てきたのを「銃刀法違反」で引っ張った、みたいなコトですね。
「でも違反は違反だろ!」という声が聞こえてきそうですが…
例えば企業が労働者に契約で守秘義務を課して内部告発ができない様にすることは、海外では問題になっています。
それでも勇気ある内部告発は契約違反だからアウトなんですか?
ていうかルール無視で尖閣衝突ビデオを流出させたsengoku38を支持してたのって右派でしたよね?
そもそも反権力デモを権力に届け出るとかおかしいやろ。
「9条を守る武装キャラ」の矛盾は問題にするのに、こっちの矛盾には気付きもしないんだよなぁ…。
あと右翼もデモはしばしばやりますよね。
河村市長なんて「表現の不自由展」に反対して座り込みまでやってたじゃないですか。
まぁアレはアピール用に7分座っただけだったので「座り込みっていうか休憩やろ」と揶揄されてましたが。
「デモはテロ」派の人はその辺はスルーですかそうですか。
●【平和主義を否定しつつ平和主義を持ち出す奇妙な論法】
平和主義は概ね左翼が唱えるもの。
全ての左翼が平和主義的とは限りませんが、平和主義者が右翼的でないことは確かです。
まぁ安倍政権は「積極的平和主義」なる珍妙なものを唱えていましたが、これはWikipediaでも
『曖昧さ回避 「積極的平和」とは異なります。』
『積極的平和主義(せっきょくてきへいわしゅぎ)とは、主に軍事的な手段によって、自国のみならず国際社会の平和と安全の実現のために、能動的、積極的に行動を起こすことに価値を求める思想である[1]。』
…とされていて、結局のところよくある「軍事力による平和」の変奏曲に過ぎません。
ところが右派はしばしば左派を「こいつらは暴力集団!」と糾弾してたり。
え…自分たちは暴力による解決アリ派の癖に、暴力の使用自体を否定してるやん。
結局、人心にアピールするのは暴力否定の平和主義だと暗に認めたカタチ。
もうこの人たちが平和主義者やん…。
そしてこの路線の極北はJアノンさん。
『トランプは平和主義者だから戦争しなかったもんな』
とか言ってましたが…
えっ、この人たちトランプさんを平和主義者だと思ってんの?
そしてトランプさんのそんな姿勢をもてはやすこの人たちも平和主義者ってことになるよね…?
ちなみにオバマさんもトランプさんもバイデンさんも「国際法上の戦争はしてないが軍事作戦はしてる」ので立場は全員同じなんですけど。
(00:06)
2022年04月27日
保守系の人が持ち出す言葉で↓こんなんよく見るよね。
◉『二十歳までに共産主義にかぶれない者は情熱が足りないが、二十歳を過ぎて共産主義にかぶれている者は知能が足りない』
◉『20歳までに左翼に傾倒しない者は情熱が足りない。
20歳を過ぎて左翼に傾倒している者は知能が足りない。』
◉『20歳の時にリベラルでないのなら情熱が足りない。40歳のときに保守主義者でないのなら、思慮が足りない』
これらはネットから適当にコピってきたものですが、何で年齢とか批判対象が微妙にちゃうねん。
さらにこれらはしばしば英国首相ウィンストン・チャーチルの言葉とされるのですが、チャーチルそんなん言ってない。
例えばこの↓サイトには、
【秋元@サイボウズラボ・プログラマー・ブログ】
『チャーチルが言ってないチャーチルの名言』
https://labs.cybozu.co.jp/blog/akky/2019/09/churchills-quotes-which-churchill-never-said/
こう↓あります。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
国際チャーチル協会が「誤ってチャーチルが語ったとされる名言 (Quotes Falsely Attributed to Winston Churchill)」という記事を公開しています。
25歳の時に自由主義者でなければ情熱が足りない。35歳までに保守主義者になってなければ知能が足りない。
よくツイッター等で見かける気もするこの言葉、チャーチルは15歳で既に保守主義者で、35歳では自由主義者だったそうなので、このようなことを言うはずがないそうです。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
さらにココ↓では、
【mobanamaのブログ】
『チャーチルの言葉』
https://mobanama.hatenablog.com/entry/20040729/1132768552
先のサイトと同じソースを根拠にやはりチャーチル説を否定し、『ソースには未到達』としつつも、この言葉の出典としてこんな説↓を紹介。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
229 :本当かよ! :04/05/27 14:37 id:kp27Hoig
>>208
まあね。そもそもこの言葉はチャーチルの言葉ではないらしいね。
20才までに共和主義者でないということは心臓が足りない証拠である。
30才までにそれであるということは頭が足りない証拠である。
ギゾー(1787?1874)
その他、バーナード・ショー、クレマンソー等々のバージョンもあり。
スレ違いスマソ。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ちなみに上記サイトに依れば、英文では「liberal / rebellious」対「conservative」という構図の様。
まぁ「かの有名な〇〇は☓☓と言った」的な名言は高確率で本人はそんなこと言ってないので、ちゃんと確認した方が良いよね。
では発言者がチャーチルかどうかはともかく、この言葉自体について。
若いうちは社会正義に敏感だけど、歳を取るとそういう感覚が鈍磨してきて「清濁併せ飲む度量が必要」とか言い出しがち。
「若いやつらは現実を知らない癖に綺麗事ばかりで青臭い」とも言えるし、「年取ると感覚が鈍磨して、自分が汚れたことを正当化し出すんだな」とも言える訳で。
こんなん「若者は揚げ物を好むが、老人は煮物を好む」みたいなモンで、別にどっちが上とかないやろ…。
しかもこういう言葉を持ち出して熱心に書き込む人の多くは最近、急にアクティブになった保守層ですよね。
そもそも「ガンガン政治的発言をして政治に積極的に参加し、この国を良くして行こう!」という情熱はそれこそ青臭く、本来なら若者のうちに通過しておくべきものなんじゃねーの?
そういう、最近急に「ネットde真実」に目覚めた人たちって、「今の社会に不満を持ち」「正義が行われることを切望し」「是正を求めて立ち上がった」訳ですよね?
それ左翼思想にかぶれた若者と同じや。
かつての学生運動とかでは打倒すべきは封建的な「社会」だったのが、その後社会の基調が「リベラル」になったから今度はそれに噛みついてるだけ。
保守つってもその本質は反権力なんよね…。
何故かマスコミとか野党とか中韓とかを「隠然たる力を持つ、打倒すべき権力」と見做してる、という…。
つまるところこの人たちは「遅れてやって来た左翼」に他ならず、いい歳して今さら学生運動みたいなことやってる癖に、何故か自分でそれを批判しているという、かなりカッコ悪いことになってる訳ですね。
特大のブーメラン。
【オマケ】
Kumicitさんの創造論やID理論に関するブログ『忘却からの帰還』には↓こんな記事が。
【忘却からの帰還】
『人が老いると保守的になる理由』
https://seesaawiki.jp/transact/d/%BF%CD%A4%AC%CF%B7%A4%A4%A4%EB%A4%C8%CA%DD%BC%E9%C5%AA%A4%CB%A4%CA%A4%EB%CD%FD%CD%B3
要約すると↓こんな感じ。
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
●人が老いると保守的になる理由
若い頃はリベラルな傾向があっても、人は老いるにつれ、保守的になり、右傾化し、権威主義的になり、頑固になっていく。
1:知的好奇心の減退
2:判断能力の減退
知識獲得を効率的に行うには、思考の節約が不可欠である。物事をカテゴライズあるいは白黒で見ることで、節約した効率的思考を行うことができる。老いた人々は曖昧さに対して非寛容な傾向があり、閉じた構造への欲求 を持っている。これは、原理や規範への強い志向と、自分の味方と矛盾する情報を無視する傾向として現れる。さらに、老いた人々は出来事や物事や人に対して、カテゴライズされた判断をする傾向が強くなる。これはより偏見的な行動につながある。偏見とは、前もって判断するという意味であり、老年では、新たな知識の獲得より、古い知識の保存が、重要だからである。
これにより、単純明快な判断、不都合な情報の無視、偏見的行動の傾向が高まるという。
3:親近感
我々は年を取ると、経験はより制約され予測可能なものとなる。これは部分的には適応的である。秩序と構造により、世界を自動飛行できる。一方、変化は、予防的適応や努力や即興が必要である。実際、人生のどの時点でも、変化は破壊的であり、苦労の多いものであるが、特に老齢ではストレスなものになる。したがって、保守主義が親近感を増やし、親近感が保守主義を高める。このラインの研究で、保守主義が自尊心とポジティブに関連していることが示されている。
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
(00:08)
2022年04月25日
最近、ネトウヨさん達を中心に、「答合わせ」という言葉がよく使われる様になっています。
例えば
「野党が喚いたら、マスゴミがそれを垂れ流しだしたな。これもう答合わせじゃん」
といった具合に使われます。
でもコレおかしくないですか…?
例えばこんな例を考えてみましょう。
A君が万引きの疑いをかけられました。
クラスメートのB君はこう言います。
「彼は根っからの悪人だ、万引きしたに違いない。
ああいう奴は問い詰められてもシラを切るに決まってる」
そして実際、A君は万引きを認めませんでした。
それを聞いてB君はこう言います。
「な、思った通り否定しただろ?
もうコレ答合わせだろ…やっぱりあいつは万引きしたんだよ」
…いやちょっと待って下さい、本当に万引きしてない人だって否定する筈ですよね?
疑われたら最後、認めても認めなくてもアウトって魔女狩りかよ…。
ネトウヨさんの論理もコレと同じで、
「自分の予測通りに進んでるから、自分の解釈は正しい」
という話ですよね。
しかしコレは『後件肯定』というよくある誤りです。
『後件肯定の誤謬』
『後件肯定の錯誤』
『後件肯定の虚偽』
とも呼びます。
後件肯定は以下の様な形を取ります。
【大前提】 もしPならば、Qである。
【小前提】 Qである。
【結論】 したがってPである。
…一見、仮言的三段論法として成立している様ですが、よく見ると小前提は大前提の後半(この部分が『後件』)をなぞってるだけで丸カブリ…
なので『後件肯定』と呼ばれています。
先ほどの万引きの例で言うと、
【大前提】 悪人なら、罪を否定する筈である。
【小前提】 彼は罪を否定した。
【結論】 彼は悪人である。
という訳ですね。
これだとどこが間違っているのか判りにくいので、判りやすい例を挙げましょう。
《例1》
【大前提】 ヒトであるならば哺乳類である
【小前提】 イヌは哺乳類である
【結論】 したがってイヌはヒトである
《例2》
【大前提】 ニューヨークがあるのはアメリカである
【小前提】 ワシントンがあるのはアメリカである
【結論】 したがってワシントンはニューヨークである
…どう考えてもおかしいですね。
しかし、同じ形式でも正しい場合もあります。
《例1´》
【大前提】 イヌであるならば哺乳類である
【小前提】 チワワは哺乳類である
【結論】 したがってチワワはイヌである
《例2´》
【大前提】 ニューヨークがあるのはアメリカである
【小前提】 エンパイアステートビルがあるのはアメリカである
【結論】 したがってエンパイアステートビルがあるのはニューヨークである
…これらが正しいのは推論の形式が正しいからではなく、ただの偶然に過ぎません。
形式は明らかに間違っている方と同じです。
ここでは判りやすい例で説明しましたが、詭弁というのは巧妙にやられると意外に判りにくいものです。
それでも、仕組みが解れば見抜くことはそれほど難しくありません。
ではネトウヨさんたちによる実例をいくつか見てみましょう。
Twitterを検索すれば↓こんなのがいくらでも出てきます。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
風日祈@kazehinomi
「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」が「日韓市民は連帯しよう」で答え合わせ完了。単なる在日の反日団体。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190820-00000044-cnippou-kr
午後10:46 · 2019年8月20日·Twitter Web App
1件のリツイート
1件のいいね
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
旦ちゃん@danchan0111
【速報】ニューヨーク・タイムズ、編集拠点を香港からソウルに移転へ | 保守速報
どうりでいつも反日記事ばっか書いてんなーと思ってたら…答え合わせ終了やんw https://hosyusokuhou.jp/archives/48882791.html
午後4:54 · 2020年7月16日·Twitter for iPad
4件のリツイート
3件のいいね
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ステロイドパワーズ@DPowers2020
返信先: @ChiakiAsamiさん
今の日本、
オールドメディアが偏向記事を書く
↓
ネトウヨがSNSで「正論」で訂正
↓
パヨクが発狂、最後は「差別!」か
「中指立てて」政権批判
↓
そして立憲民主党の支持率が下がる
SNSは今や
メディア、マスコミの
「反日答え合わせ」
になってる。
午後11:50 · 2020年9月23日·Twitter for Android
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
…はい、どれも見事に『後件肯定』ですね。
見ていると『答合わせ』はどうやら「ほら見ろ、思った通りだぜ」の意で使われている様ですね。
例えば上記の最初の例は
「反戦系団体は日韓連帯を叫んでる、だから正体は在日だ、思った通りだぜ」、
2番目のやつは
「反日記事ばかりのニューヨーク・タイムズが編集拠点を香港からソウルに移転した、つまりその正体は韓国だ、思った通りだぜ」、
というニュアンスがある訳ですね。
3番目のやつは都合の良い修飾だらけ…
これは『含みのある言葉』『充填された語』(loaded language)と呼ばれる詭弁です。
おまけに最後の段には飛躍がありますが、煎じ詰めれば
「メディアの記事をネトウヨが批判すると左翼が反論する、思った通りだぜ」
ということで、やはり同じです。
しかし最初の例は単に
「左翼は共感的で連帯しがち」
「自慰史観を批判する団体同士は一致点が多い」、
2番目のやつは
「中国はメディアが抑圧されるので近くにあって自由に報道のできるソウルに移転した」、
3番目のやつは
「お互いに論陣を張って反論・再反論を繰り返す」、
というだけでは…?
どれもごく当たり前のことですよね?
このへん、万引きの例で言うと
「A君は本当に万引きしてないので否定しただけ」
と解釈できるのと同じです。
むしろ2番目のやつなんか、もし他社は香港から逃げ出してニューヨークタイムズだけが残り続けたら、それはそれで「中国政府と仲良しだからだ」ってコトにされ、どっちにしてもネトウヨさんは「中韓ガ―!」と言い続けるのでは…?
この3つはいずれも
「実は左翼は在日」
「実はニューヨークタイムズと韓国はつながっている」
「実はメディアは左翼とつながってる」
…つまり
「世間には知られていないが実は○○と△△は裏でつながっている」
という話な訳です。
一般的には認められていない陰謀によって全てを説明する…
これって陰謀論じゃん。
そして陰謀論はどんな証拠が出ても結論は変わりません。
2番目の例でも、どっちに転んでもネトウヨさんは意見を変えなさ気でしたよね…
例えば「アメリカ政府は宇宙人と密約を云々」といったUFO陰謀論系の人たちは、
アメリカ政府がUFO関係の情報を積極的に出すと
「政府ももう認めざるを得なくなってきて、今のうちから情報を小出しにし、世間のショックを和らげようとしてるのだ」
と解釈します。
逆に政府が
「密約などない」
と否定しても、
「密約を隠蔽するために否定してるのだ、これだけ頑なに否定することこそが密約の証拠だ!」
と解釈し、「密約がある証拠」にカウントしてしまうのです。
陰謀論は都合に合わせて解釈を変更することで自論を守るため、いかなる方法でも反証されません。
それってズルくないですか?
ネトウヨさんは左翼に動機がありそうな事件が起きると「パヨクの仕業だ!」と言い立てますが、
右翼に動機がありそうな事件ではしばしば「パヨクの自作自演だ!」と人のせいにします。
そしてマスコミが事件を報道すれば
「いつものパヨクの自作自演を反日マスゴミが必死に報道…これもう答合わせだろ」
と都合よく解釈する訳です。
陰謀論者は
「いや、そう解釈すれば全てがつながって何もかもが上手く説明できるのだ」
と主張します。
確かに陰謀論でも現実を「説明」することはできます。
しかしそれが事実であるかは別問題。
あなたの帽子が突然ふわりと落ちたとしましょう。
その理由は「風が吹いたから」でも「妖精のいたずら」でも同じ様に説明できます。
しかしそれを支持する証拠が何もないなら、わざわざ妖精に登場願う必要はないのです。
スティーヴン・ジェイ・グールドが「矛盾のない説明をひねり出す事はどんなバカにでもできる。問題はそれが実際のデータと一致するかだ」みたいなことを言ってた様に思うのですが、どこに書いてあったか思い出せないので、リチャード・ファインマンさんの言葉を(ファインマンさんは常に「さん」付けですよな)。
『理論が美しいかどうか、あなたがどれくらい賢いかは大事ではない。事実が伴っていなければ全ては間違いなのだ。』
そして、普通に説明できることにわざわざ妖精や陰謀などを持ち出す必要はありません。
それは説明している振りをしつつ、「妖精」や「陰謀」など余計に説明が必要なものを増やしているだけです。
「余計な説明を増やすべきではない」「単純な説明ほど正しい」のです。
この経験則は『オッカムの剃刀』と呼ばれています。
「シンプルな方が正しい?
物事をあれやこれやの原因で説明するより、全てを陰謀で説明する方がシンプルじゃねーか」
と思うかもしれません。
しかし、陰謀論は先ほど触れた通り、説明が必要なものを増やしてしまっているので、ちっともシンプルではないのです。
例えば何でも「神の思し召し」で説明する宗教は一見、シンプルに世界を説明している様に思えます。
超複雑な仕組みを持つ生物はどうやって存在する様になったのか?
なぜ何も悪いことをしていないのにとてつもない災厄に襲われる人がいるのか?
全て「神の思し召し」の一言で説明できます。
しかしそんなことが出来る超知性体である神は生物よりも遥かに複雑な筈…その神はどうやって存在する様になったのでしょう?
災厄が「神の思し召し」なら、神は何故そんな理不尽に思える判断をしたのでしょうか?
「神の思し召し」は謎をひとつ先送りしただけで、何も解決していません。
むしろ余計な謎を増やしてしまっています。
何でも説明できる理論は何も説明しないのです。
シンプルなのは宗教や陰謀論による説明ではなく、それらを信じる人々のメンタリティーの方です。
世界は超複雑であり、それを貫くシンプルな法則もまたいくつもあります。
それらは相互作用し、その結果として立ち現れる現象は複雑怪奇なものとなります。
それを理解できない素朴な人々は過度に単純化された世界観に飛びつくのです。
「全ては神の思し召し」だとか、「全ては中韓の陰謀」だとか、ね。
実際に低学歴な人ほどダーウィン進化論を信じないというデータがあります。
ソース↓
【NATROMのブログ】
低学歴ほどダーウィン進化論を信じない
https://natrom.hatenablog.com/entry/20071203/p1
さらに『保守支持が低い認知能力と関連している』という研究もあったり。
↓それによると『右翼イデオロギーは世界の複雑さを最小化するので、低いメンタルの人を惹きつける』のだそうです。
【忘却からの帰還】
『「低い認知能力・右翼イデオロギー・偏見」という連鎖についての研究』
http://transact.seesaa.net/article/411217415.html
そんな右翼に人気なシンプルマインドのひとつが『自己責任論』です。
何かが起きた時、
「その環境は? 社会背景は? 成育歴は? 責任能力は? 情状酌量の余地は? 全ての要素を吟味しよう」
よりは
「ゴチャゴチャうるせー、とにかくやった奴に全責任があるんだよ!」
の方が解りやすいですからね。
かつて人類が進化した環境においては、グズグズと決断を迷っていると命に関わるため、「ざっくりで良いので、おおむね正しそうな判断を瞬時に下せる者」が生き残ってきました。
遅巧より拙速という訳ですね。
こういう、近道で効率的だけど手抜きの思考を『ヒューリスティック』と呼びます。
我々はその子孫なので、そういった傾向を受け継いでいます。
しかし現代の議論や裁判は石器時代とは違い、じっくり判断しても普通 危険はありません。
こういう粗雑な思考や
「世界観に合わないなら、現実の方を捻じ曲げれば良いじゃない」
というミラクル解釈(ネトウヨさんの得意技のひとつ)が自己責任論と結びつくと、しばしば『被害者叩き』が起こります。
…はい、どれも見事に『後件肯定』ですね。
見ていると『答合わせ』はどうやら「ほら見ろ、思った通りだぜ」の意で使われている様ですね。
例えば上記の最初の例は
「反戦系団体は日韓連帯を叫んでる、だから正体は在日だ、思った通りだぜ」、
2番目のやつは
「反日記事ばかりのニューヨーク・タイムズが編集拠点を香港からソウルに移転した、つまりその正体は韓国だ、思った通りだぜ」、
というニュアンスがある訳ですね。
3番目のやつは都合の良い修飾だらけ…
これは『含みのある言葉』『充填された語』(loaded language)と呼ばれる詭弁です。
おまけに最後の段には飛躍がありますが、煎じ詰めれば
「メディアの記事をネトウヨが批判すると左翼が反論する、思った通りだぜ」
ということで、やはり同じです。
しかし最初の例は単に
「左翼は共感的で連帯しがち」
「自慰史観を批判する団体同士は一致点が多い」、
2番目のやつは
「中国はメディアが抑圧されるので近くにあって自由に報道のできるソウルに移転した」、
3番目のやつは
「お互いに論陣を張って反論・再反論を繰り返す」、
というだけでは…?
どれもごく当たり前のことですよね?
このへん、万引きの例で言うと
「A君は本当に万引きしてないので否定しただけ」
と解釈できるのと同じです。
むしろ2番目のやつなんか、もし他社は香港から逃げ出してニューヨークタイムズだけが残り続けたら、それはそれで「中国政府と仲良しだからだ」ってコトにされ、どっちにしてもネトウヨさんは「中韓ガ―!」と言い続けるのでは…?
この3つはいずれも
「実は左翼は在日」
「実はニューヨークタイムズと韓国はつながっている」
「実はメディアは左翼とつながってる」
…つまり
「世間には知られていないが実は○○と△△は裏でつながっている」
という話な訳です。
一般的には認められていない陰謀によって全てを説明する…
これって陰謀論じゃん。
そして陰謀論はどんな証拠が出ても結論は変わりません。
2番目の例でも、どっちに転んでもネトウヨさんは意見を変えなさ気でしたよね…
例えば「アメリカ政府は宇宙人と密約を云々」といったUFO陰謀論系の人たちは、
アメリカ政府がUFO関係の情報を積極的に出すと
「政府ももう認めざるを得なくなってきて、今のうちから情報を小出しにし、世間のショックを和らげようとしてるのだ」
と解釈します。
逆に政府が
「密約などない」
と否定しても、
「密約を隠蔽するために否定してるのだ、これだけ頑なに否定することこそが密約の証拠だ!」
と解釈し、「密約がある証拠」にカウントしてしまうのです。
陰謀論は都合に合わせて解釈を変更することで自論を守るため、いかなる方法でも反証されません。
それってズルくないですか?
ネトウヨさんは左翼に動機がありそうな事件が起きると「パヨクの仕業だ!」と言い立てますが、
右翼に動機がありそうな事件ではしばしば「パヨクの自作自演だ!」と人のせいにします。
そしてマスコミが事件を報道すれば
「いつものパヨクの自作自演を反日マスゴミが必死に報道…これもう答合わせだろ」
と都合よく解釈する訳です。
陰謀論者は
「いや、そう解釈すれば全てがつながって何もかもが上手く説明できるのだ」
と主張します。
確かに陰謀論でも現実を「説明」することはできます。
しかしそれが事実であるかは別問題。
あなたの帽子が突然ふわりと落ちたとしましょう。
その理由は「風が吹いたから」でも「妖精のいたずら」でも同じ様に説明できます。
しかしそれを支持する証拠が何もないなら、わざわざ妖精に登場願う必要はないのです。
スティーヴン・ジェイ・グールドが「矛盾のない説明をひねり出す事はどんなバカにでもできる。問題はそれが実際のデータと一致するかだ」みたいなことを言ってた様に思うのですが、どこに書いてあったか思い出せないので、リチャード・ファインマンさんの言葉を(ファインマンさんは常に「さん」付けですよな)。
『理論が美しいかどうか、あなたがどれくらい賢いかは大事ではない。事実が伴っていなければ全ては間違いなのだ。』
そして、普通に説明できることにわざわざ妖精や陰謀などを持ち出す必要はありません。
それは説明している振りをしつつ、「妖精」や「陰謀」など余計に説明が必要なものを増やしているだけです。
「余計な説明を増やすべきではない」「単純な説明ほど正しい」のです。
この経験則は『オッカムの剃刀』と呼ばれています。
「シンプルな方が正しい?
物事をあれやこれやの原因で説明するより、全てを陰謀で説明する方がシンプルじゃねーか」
と思うかもしれません。
しかし、陰謀論は先ほど触れた通り、説明が必要なものを増やしてしまっているので、ちっともシンプルではないのです。
例えば何でも「神の思し召し」で説明する宗教は一見、シンプルに世界を説明している様に思えます。
超複雑な仕組みを持つ生物はどうやって存在する様になったのか?
なぜ何も悪いことをしていないのにとてつもない災厄に襲われる人がいるのか?
全て「神の思し召し」の一言で説明できます。
しかしそんなことが出来る超知性体である神は生物よりも遥かに複雑な筈…その神はどうやって存在する様になったのでしょう?
災厄が「神の思し召し」なら、神は何故そんな理不尽に思える判断をしたのでしょうか?
「神の思し召し」は謎をひとつ先送りしただけで、何も解決していません。
むしろ余計な謎を増やしてしまっています。
何でも説明できる理論は何も説明しないのです。
シンプルなのは宗教や陰謀論による説明ではなく、それらを信じる人々のメンタリティーの方です。
世界は超複雑であり、それを貫くシンプルな法則もまたいくつもあります。
それらは相互作用し、その結果として立ち現れる現象は複雑怪奇なものとなります。
それを理解できない素朴な人々は過度に単純化された世界観に飛びつくのです。
「全ては神の思し召し」だとか、「全ては中韓の陰謀」だとか、ね。
実際に低学歴な人ほどダーウィン進化論を信じないというデータがあります。
ソース↓
【NATROMのブログ】
低学歴ほどダーウィン進化論を信じない
https://natrom.hatenablog.com/entry/20071203/p1
↓それによると『右翼イデオロギーは世界の複雑さを最小化するので、低いメンタルの人を惹きつける』のだそうです。
【忘却からの帰還】
『「低い認知能力・右翼イデオロギー・偏見」という連鎖についての研究』
http://transact.seesaa.net/article/411217415.html
何かが起きた時、
「その環境は? 社会背景は? 成育歴は? 責任能力は? 情状酌量の余地は? 全ての要素を吟味しよう」
よりは
「ゴチャゴチャうるせー、とにかくやった奴に全責任があるんだよ!」
の方が解りやすいですからね。
かつて人類が進化した環境においては、グズグズと決断を迷っていると命に関わるため、「ざっくりで良いので、おおむね正しそうな判断を瞬時に下せる者」が生き残ってきました。
遅巧より拙速という訳ですね。
こういう、近道で効率的だけど手抜きの思考を『ヒューリスティック』と呼びます。
我々はその子孫なので、そういった傾向を受け継いでいます。
しかし現代の議論や裁判は石器時代とは違い、じっくり判断しても普通 危険はありません。
こういう粗雑な思考や
「世界観に合わないなら、現実の方を捻じ曲げれば良いじゃない」
というミラクル解釈(ネトウヨさんの得意技のひとつ)が自己責任論と結びつくと、しばしば『被害者叩き』が起こります。
もともと左翼は
「いつ何時、事故や災害や犯罪に巻き込まれるか判らない」
と考えがちなのに対し、右翼は
「普通に善良に暮らしていればおかしなことにはならない」
という世界観を持ちがちです。
すると、不幸な目に遭った人に対して左翼は
「いつ何時、事故や災害や犯罪に巻き込まれるか判らない」
↓
「誰でもそうなりうるのだから社会的弱者には共感的であるべきだし、自分がそうなっても困らない様にセーフティー・ネットは拡充しておくべき」
と考えがちなのに対して、右翼は
「普通に善良に暮らしていればおかしなことにはならない」
↓
「おかしなことに巻き込まれるのはそいつ自身のせい」
という自己責任論的な考え方をしがち…
その果てに
「被害者側に落ち度があったに違いない」
と考え、被害者叩きを行うことになります。
例えば性犯罪被害者に対して
「隙があったのでは」
「誘うような恰好をするからだ」
「全力で抵抗したのか?」
「本当は合意では」
などとセカンドレイプを行う、とかですね。
その背後には
「この世界は公正に出来ていて、善は報われ、悪は罰される様になっている」
という『公平世界仮説』があります。
これは
「世界は公正なのだから、不幸に見舞われるのはそいつが悪いせい」
という自己責任論に直結します。
しかし、よく考えればこの世界はその様に公正になど出来てはいません。
確かに、この世界は「公正であるべき」です。
しかし「どうであるべきか」というか価値命題から「どうであるか」という事実命題は導出できません。
それをやっちゃうのは『道徳主義的誤謬』と呼ばれる誤りです。
『公平世界仮説』と被害者叩きについては、近年ネットを中心に急速に知られるようになってきました。
かつての『悪魔の証明』がそうであった様に。
私が最初にこの概念に触れたのは↓ココで、2014年に紹介されています。
【忘却からの帰還】
被害者叩きの心理
https://seesaawiki.jp/transact/d/%C8%EF%B3%B2%BC%D4%C3%A1%A4%AD%A4%CE%BF%B4%CD%FD
『公平世界仮説』に基づく被害者叩きは、宗教界でもよく見られます。
苦しんでいる人に向かって
「前世の行いが悪かったから」
とか
「神罰だ」
とか言っちゃう人、いますよね…。
性犯罪被害者へのセカンドレイプは伊藤詩織をめぐる事件でも問題になりました。

↑
伊藤詩織を揶揄する漫画を見て談笑する長尾たかし(自民党国会議員) 、杉田水脈(自民党国会議員)、千葉麗子、花田紀凱、門田隆将、加藤清隆、漫画の作者であるはすみとしこ。


↑
同じ様なシチュエーションでめちゃめちゃ笑ってるはすみとしこ、杉田水脈、千葉麗子。
やっぱり宗教とネトウヨさんってアレですねぇ…。
(01:16)
2022年04月23日
◉【『ネトウヨ』は差別?】
私はネット上で発言する時に極力、罵倒語は使わない様にしているし、基本的にきちんと根拠を書く様にしています。
ツッコみどころがあまりない様に気をつけているので、ネトウヨさんからコメントをいただくことは滅多にありません。
それでも絡んでくるのは大抵、論理的なツッコみもできない癖に平気で罵倒してくる様なレベルの低い人達です。
…が、彼らがほぼ唯一ツッコんでくるのが『ネトウヨ』という言葉です。
「『ネトウヨ』という言葉は差別! レッテル貼り! ヘイトスピーチ!」
ということらしいのですが…
そもそも『ネトウヨ』って差別用語なん…?
語源は「ネット+右翼」で、「ネット」も「右翼」も差別的ではありませんが。
◉【「ブサヨ」「パヨク」はええんかい】
むしろ『ネトウヨ』の対義語としてネトウヨの皆さんが連呼する「ブサヨ」「パヨク」の方が気まずくないですか?
「ブサヨ」は「ブサイク+左翼」で、「ブサイク」の部分は明らかに根拠のない罵倒ですが?
「パヨク」の元ネタは「ぱよぱよち~ん」とか言ってた特定の個人です。
でもその人の行為と左翼イデオロギーとは何の関係もないですよね?
そんなん持ち出して左翼を侮辱されても
「は? ぱよちんと私に何の関係が?」
としか思えません。
的外れでも何でも相手を貶めるために持ち出せる材料は全て持ち出す、というネトウヨさんの傾向がよく表れた話ですね。
サンプル数1でそれを左翼の属性みたいに言っちゃうのって何よ?
◉【「ブサヨ」「パヨク」は本当に『ネトウヨ』の対義語なのか?】
あと、「ブサヨ」「パヨク」は実は『ネトウヨ』の対義語とは言えないフシがあります。
政治的トンデモさんである『ネトウヨ』と、普通に取り得る価値観のひとつである『保守』は基本的には区別されていますが、「ブサヨ」「パヨク」はリベラル全体を指すことが多いですよね。
例えば『ニコニコ大百科』の「パヨク」の項では最初に
『パヨクとは、左翼に対する最大級の褒め(と思いこんでいる)言葉である。』
とあります。
つまり「パヨク=左翼」な訳です。
そして「左翼」の項は冷静で客観的な記述を放棄し、左翼全体をめちゃめちゃディスってます。
一方で、「右翼」の項は特にそういう感じでもなく。
ネット全体では両者を区別してる人もいますが、ごく少数で殆ど見かけません。
だから「パヨク批判」とかされてもそれは大抵、放射脳とかアベノセイダーズとかの「リベラルの中の不適切なクラスタ」を適切に批判したものではなく、「リベラル全体」への不当な非難なんで反応に困るんですよね~…。
ちなみに左翼が「『パヨク』や『ブサヨ』という表現は差別だ」などと騒ぐのを見たことってほぼないなぁ…。
そもそも「俺達を悪く言うな」という内集団贔屓は右翼的言説、「あの人たちを悪く言うな」という外集団擁護は左翼的言説なんよね…
だから左翼は自身への侮蔑には比較的寛容で、他者が言われることを問題視しやすいと思います。
同じ日本人が他国に迷惑をかけていたらそら批判するでしょ…。
一方でネトウヨさんは他国にもいる「おらが国が一番」で手前ファーストなご同類と罵り合い、自分のことは棚に上げて相手ばかりを責め立ててますよね。
ネトウヨさんはしばしば「左翼は何でも差別と言い張る」「差別差別と騒ぐ奴こそが差別者」などと主張しますが、騒いでるのはどっちですかね?
「俺のことはいい、だが人様には迷惑をかけるな。人のことをとやかく言うよりまず己を正せ」
と
「僕悪くないもん、向こうもやってるもん」
…伝統的な日本人の価値観や美意識とやらに適うのはどっちなんですかね?
話がそれてきたので元に戻します。
さんざん差別したりお仲間の差別を放置しておいて自分が批判されたら「ネトウヨって言われて傷ついた! 差別だ!」って…
どんだけ豆腐メンタルなんですか?
さっきまで笑いながら主人公一行を半殺しにしてたジャンプ漫画の悪役が、ちょっと反撃されたら
「何ィ…この私の顔に傷を…? 貴様ら、絶対に許さんぞ!」
とかガチギレしてくる的なわかりやすさ…
『ネトウヨ』くらいでそんなに心が傷ついたなら、もっと過激な言葉で故なく傷つけられた人々の気持ちも推し量ってみたらいいのにね。
◉【自業自得では?】
「ネット」「右翼」単体では問題なくても、『ネトウヨ』には差別的な意味がある?
まぁ問題のない言葉でも組み合わせ方次第で別の意味を獲得することはあるよね。
でも『ネトウヨ』にネガティブな意味があるとしても、それは無茶な差別やデマを撒き散らしてきたことへの批判なんだしそんなんそれこそ自業自得でしょ。
ネトウヨさんはしばしば「在日が差別されるには理由がある」「自業自得」と言い続けてきました。
ならネトウヨが差別されるのも「理由がある」ことになるのでは?
あ、こう書くと
「つまりお前は『在日が差別されるのは自業自得』という論理を受け入れた訳だな?」
とか言う人が出てきそうなので先に言っときますが、それは全然違います。
ヘイトスピーチとは「自分で選べない属性に基づく差別」です。
「在日が悪さをしてる」といった類の主張は大半がデマや曲解なのですが、仮に一部にそういう人がいても、それをもって「在日は差別されて当然」としてしまっては、悪さをしていない大半の善良な人々にまで濡れ衣を着せることになります。
一方で『ネトウヨ』は自分で選んでなった属性なので、批判してもヘイトスピーチにはなりません。
まぁ『ネトウヨ』という呼称に多少の揶揄は入っているかもしれませんが、差別や罵倒、暴言とまでは言えないでしょう。
どう見ても一発アウトのヘイトスピーチはともかく、揶揄くらいええやんけ。
中傷や罵倒は良くないと思いますが、相手を批判する時に嘲笑的な言葉を全く使うべきではない、とも思いません。
哲学者のダニエル・デネットは宗教批判をする際に
『礼儀正しい形で、あなたが人生を捧げているのは愚劣なものですよ、と指摘する方法などない』
と言ってます。
例えば懐疑主義者は痛いタイプのオカルティストを「トンデモさん」「ビリーバー」と呼んだりしますが、これが差別にあたる、などという話は聞いたことがありません(ちなみに私が『ネトウヨ』を「ネトウヨさん」と呼称しているのは彼らが「政治的トンデモさん」だからです)。
そもそもこの程度の、あるいはこれ以上の揶揄などネトウヨさんの得意技でしょ。
前述の「パヨク」「ブサヨ」に「マスゴミ」「アカヒ」「ウジテレビ」「ミンス」「変態新聞」…
しかしこれらは別に「自分で選べない属性による差別」ではないので、私は特に問題視していません。
『ネトウヨ』も同様です。
だってネトウヨさんって自分で選べない属性じゃなくて、自分が好きでやってるんでしょ?
それにネトウヨさん側はしばしば「言いたいことも言えない息苦しい世の中は嫌だ、言葉狩りはやめろ」と主張してますよね。
自分が言われる側になると途端にダブスタですか?
◉【『ネトウヨ』の定義】
こういう話をしているとしばしば
「じゃあネトウヨの定義を言ってみろ」(ジャギ風味)
からの
「ほほう、その定義だと俺はあてはまらないな。俺は差別なんてしてないし。俺は差別と在日が嫌いだ。…つまり、ネトウヨなんていないんだよ!」
ΩΩΩ<な、なんだってー!?
という謎のコンボが発生します。
…が、「定義できない」→「『ネトウヨ』なんていない」というのはいくら何でも筋悪すぎでしょ…。
あと議論の際に用語の定義を決めてお互いの認識を揃えておくのは基本中の基本で大事なことですが、鬼の首とったみたいにやたら定義定義言う人って、作文書く時に毎回
「○○とはなんだろうか。広辞苑によると—」
で書きだす中学生みたいで微笑ましいよね。
ちなみに定義の話を持ち込む人は大抵自分からは定義を言いません。
「へぇ、そんなにお詳しいなら定義を教えて下さい」
とお願いしても
「そんなの自分で調べろ」
とか
「そんなことも知らないのか、話にならないな」
とか。
ご自身がそんなに簡単に定義付けできるならもったいつけずにさっさと出せばいいのに。
結局は定義が難しいことを認めてる様なものでしょう。
そもそも「○○とは何か」という「whatの問題」には答がありません。
「人間とは何か」「人生とは何か」「愛とは何か」…
それらに万人が納得できる答えなどある筈がないでしょ。
生物学はいまだに生命の完全な定義すらできませんが、だからと言って「生命など存在しないのだ」ということにはならないですよね?
同様に、完全な「『ネトウヨ』の定義」がなくても「ネトウヨなんていない」ということにはなりません。
なので科学者は「○○とは何か」という「whatの問題」には深入りせず、「○○はどの様な仕組みか」という「howの問題」に集中します。
必要のある時はとりあえずその場での用途に役立つ簡単な定義を行います。
「ネトウヨ」の単純な定義は広義には
「ネットを中心に近年台頭してきた急進的な保守派」
であり、狭義には
「その中でしばしば『差別』や『事実に反する主張』を行う者」
となるでしょう。
ヘイトスピーチ・歴史修正主義・ネットデマ…これらこそが狭義のネトウヨさんの特徴であり問題点でもあります。
狭義のネトウヨさんとはざっくり言えば
「広義の『ネトウヨ』の中の不適切なクラスタ」
「広義の『ネトウヨ』の中のトンデモさん」
です。
この定義はとりあえずのもので、長く主張したいほどのものではないがとりあえずの目的には充分でしょう。
批判されているのは狭義の方ですね。
広義は特に問題ありません(まぁ狭義の『ネトウヨ』にあてはまらない広義の『ネトウヨ』を見かけることはほぼありませんが)。
私が特に説明なく『ネトウヨ』と呼ぶ時は狭義の方を指しています。
ついでに言えば「差別はするが事実に反することは言わない」とか「差別はしないが事実に反することを言う」という人もあまり見かけません。
事実が何かすら理解できない人は差別がダメな理由も理解できないのかもしれません。
また、証拠より願望を優先するタイプの人は倫理より欲望や衝動を優先させるのかもしれませんね。
…という訳で、単に「近年になって急激に保守化した層」でしかない「広義のネトウヨ」は何ら問題視はしません。
保守派であることは原理的には別に悪いことでも何でもなく、単に「取りうる政治上の立場のひとつ」にすぎないからです。【註1】
しかし『ネトウヨ』はそうではありません。
ヘイトスピーチを行ったり事実に基づかない主張ばかりを振りかざす様な人々は許されるべきではなく、共存はできないのです。
ウヨサヨ問わず、まともな人なら
「左右はともにこの国を良くしようと願っているが、その方法について意見が一致しないだけ」
という点については合意できるし、お互いに尊重し合い、敬意を抱くこともできるでしょう。【註2】
しかしネトウヨさんはしばしば
「サヨクは反日で日本を憎み、中韓と手を組んで(あるいは指示を受けて)意図的に破壊しようとしている」
という陰謀論的で間違った世界観を抱きがちであるため、左翼に対して最低限の敬意を払うことすらまずありません。
価値観は多様であるべきですが、価値観の多様性を守るためには「排他的な価値観」だけは認めてはならないのです。【註3】
◉【『ネトウヨ』は必ず間違っている】
ネトウヨさんが特定の民族など集団全体を貶める言動は、例えば「富山県民は全員が犯罪者」と主張するのと同じで、「そんな訳ないやん」としか言い様がありません。
一方、「ネトウヨさんの言動は不適切」は「受刑者は全員が犯罪者」というのと同じで、そもそも定義により正しいのです。
「ネトウヨ」という言葉はおおむね批判的に用いられ、「新登場の、(ヘイトスピーチや歴史修正主義やデマ等によって特徴付けられる)批判されるべきクラスタを指す言葉」として浸透してきたのですから、それもむべなるかな。
ちなみに
「『ネトウヨ』は間違っている」
「何故なら間違っているのが『ネトウヨ』だからだ」
というのは
「聖書は神の言葉だから正しい」
「何故そうわかるかというと聖書にそう書いてあるからだ」
というのと同じく、根拠が同じところをぐるぐる回る循環論法なので、「あまり意味はない」とも言えます。
『ネトウヨ』=「間違ってる人」と定義したのならば、「『ネトウヨ』は間違っている」は「間違ってる人は間違ってる」と言ってるだけだからです。
「間違ってる人は間違ってる」は「力こそパワー!」等と同じくトートロジー(同義反復)に過ぎません。
しかしトートロジーは別名「恒真命題」とも呼ばれ、常に正しいのが特徴。
正しすぎて「うまいもんはうまい」とか「ダメなもんはダメ」とか、強調のレトリックにすらなります。
例えば
「右は左の反対側」
「左は右の反対側」
というのは完全に循環論法ですが、完全に正しくもあります。
こういう場合、外部的にどっちが右でどっちが左なのかが示されれば問題ありません。【註】
一方、聖書の正しさはそこが全く担保されてないのでダメのダメダメです。
ネトウヨさんの場合は「ヘイトスピーチや事実に反する主張」が間違っていることは確実なので、それらを行う人を『ネトウヨ』と呼ぶ限りは「『ネトウヨ』は常に間違っている」という言葉は常に正しいと言えます。
ヤベー奴を抽出したんだからヤベーの当たり前でしょ。
ちなみにネトウヨさんは「在日は悪事ばかりしている」等と主張しがちですが、これらの多くは決めつけばかりでデータの裏付けがありません。
たまにデータ付きで主張する場合も、大抵はそのデータ自体がデマの産物です。
さらにマズいのは、データがデマだと論破されると「本当のデータは隠されてるのだ」等と、結論を変えずに陰謀論に訴える点です。
陰謀論には証拠がありません。
それどころかしばしば「証拠がないのが陰謀の証拠」とされたりします。
証拠ないなら結論を変えろよ…
なお、
「それは『ネトウヨ』を批判するために都合よく考え出した操作的な定義だ」
という反論があるかもしれませんが、そうではありません。
例えば保守派論客、古谷経衡の著作『ネット右翼の終わり—ヘイトスピーチはなぜ無くならないのか』では要約すると
・ネットで誕生した前期ネット右翼が保守論壇という文明の力により近代化を遂げたのが「後期ネット右翼」。
・近代化しきれずに特定の(時に差別的な)言動を行っている人々が「狭義のネット右翼」。
「ネトウヨ」などと批判的な意味で使われているのはこっち。
・狭義のネット右翼は「真偽不明な情報を鵜呑みにする人」。
…としており、私が使っているとりあえずの定義とあまり差はありません。
現在、保守の中には「まともな保守」と「トンデモな保守」が混在していますが、私は両者を混同したまま批判する気はありません。
それではネトウヨさんと同じだし。
そこで両者を区別する用語が必要です。
「まともな保守」を故なき批判からきちんと守るために、「トンデモな保守」だけを分離する言葉が。
現在、その役割を果たしているのは間違いなく『ネット右翼』『ネトウヨ』という言葉です。
しかもそこにネガティブなイメージが付いたのは前述の通りの自業自得。
そもそも『ネトウヨ』がネガティブに語り続けられてきたのは、彼らが不適切だったからです。
ネットでただ保守派が増えただけで従来のまともな保守と大差ないなら、そこにわざわざ名前が付いたりしなかったでしょう。
彼らは差別とトンデモという、それまでの保守にはない属性を持っていたからこそ区別され、『ネトウヨ』と呼ばれ、批判されてきたのです。
『ネトウヨ』を批判するためというよりも「まともな保守」を護るために、「間違っている人々」を指す言葉が必要なのです。
ちなみにこの定義だと「差別はするがトンデモには流されない」あるいは「差別はしないがトンデモには引っかかる」タイプの『ネトウヨ』も入る筈ですが、そういう人はほぼ見ません。
差別とトンデモは『ネトウヨ』という車の両輪です。
彼らは大抵の場合、
「ニセ情報によって偏見を持ち、偏見によってニセ情報を鵜呑みにする」
のです。
多くの場合、差別とデマは共犯関係にあります
◉【では何と呼べば?】
『ネトウヨ』という言葉はネトウヨさん自身が自称してる場合もしばしば…
『根戸ウヨ子』というHNの有名な方もいますし、桜井誠の著作には『ネトウヨ アメリカへ行く: 日本のネトウヨが史上初めて米国政治家たちとの本音バトル!』というタイトルのものがあるじゃないですか。
今のところ、他に呼びようがないですよね…。
ニコニコ大百科の『ネット右翼の定義』にはこうあります。
『「ネット右翼」もしくは「ネトウヨ」は単なる思想のカテゴライズと言うわけでなく蔑称と言う色合いが非常に強い(特に「ネトウヨ」)
そのためそう呼ばれること自体が嫌な人もいるし、そう呼ぶことが都合の良い人も存在する。
この記事が荒れているのもこの理由のせいであるが、蔑称だからと言って無駄だと切り捨てるにはあまりにも言葉が広まってしまっている。』
『ネトウヨ』が嫌なら何と呼べば良いのか代案を出せばどうですか?
普段『代案を出せ』がお得意なんだし。
◉【レッテル貼り?】
『ネトウヨ』という言葉自体がレッテル貼りだ、という主張もよく目にしますね。
え、「不適切なレッテル貼りに使われることがある」と「呼称自体が不適切」の区別がつかない?
集団と個人、全般的傾向と個別の事例を区別できないことが多いネトウヨさんらしいお話ですな。
そもそも批判的な言葉はいかなるものでも全てレッテル貼りに利用可能な訳で、「本来の使用法を超えたレッテル張りに利用されることがある」というのはその用語の問題ではなく「レッテル貼り」自体の問題でしょう。
それはそれで大事な話ですが、この問題には関係ありません。
ここでそれを持ち出すのは論点のすり替えです。
あと
「『ネトウヨ』という言葉は民団の作ったレッテルだ」
という主張も見かけますが、完全なデマです。
この言葉がネット上で自然発生して広まる様子は様々な書物で分析されており、この陰謀論の入る隙間はどこにもありません。
◉【向こうもやってる?】
「ヘイトスピーチは向こうもやってる」という主張もよく見かけます。
しかし「相手もやってる」はこっちもやって良いという理由にはなりません。
「みんながいじめをやってたら、あなたもやっていい」と子供に教えたりしないでしょ?
「みんなやってたって、悪くないことにはならない」って幼稚園で習わなかったんでしょーか?
あと「相手がやってるならこっちもやって良い」とすると、外国の日本に対するヘイトスピーチも正当化されることになりますが?
「確かに俺たちもやり過ぎた。だけど向こうはお咎めなしというのは納得できない」←まぁわかる
「向こうもやってるんだから、俺たちがやっても悪い筈がない」←ファッ!?
ダブスタ批判は結構ですが、相殺法の具にしない様に。
あと「向こうもやってる」の殆どは海外の話ですよね。
ネトウヨさんが「日本人へのヘイトだ!」と騒ぐ時、国内の例として持ち出すのは大抵「日本死ね」とか不自由展くらい…
逆に言えば他に思いつく例などほぼないのです。
しかも「日本死ね」は内集団からのただの行政批判です。
なのにネトウヨさん達は発言者が「在日認定やめて」的な発言をしたことを根拠に在日認定してたりもう何が何だか…。
あと不自由展の天皇画像焼却は「美術館に作品を焼却されたことへの抗議」で思想性はありません。
どこがヘイトスピーチやねん…。
外国でヘイトスピーチしてる人は直接法的には裁けません。
だったら「ヘイトスピーチはダメ」という国際的な世論を育ててその国で禁止なり処罰なりされる様にするしかないよね。
率先してヘイトスピーチを行うことは、その足を引っ張るだけです。
◉【向こうのヘイトは批判しない?】
「サヨクは向こうのヘイトは批判しない」…これもよく見かける主張。
どこの国のものであれ、ヘイトスピーチには一貫して批判しています。
ネトウヨさんたちほど感情的になって騒いだりしないだけ。
あと私の場合、ネトウヨさんがトンデモ発言をしてたら取り上げますが、保守が適切な批判をしている限りはそれに対してどうこう言うつもりはありません。
それに対して「どうしただんまりか?」とか言われましても…。
先述の様に、国内のヘイトスピーチはその殆どがネトウヨさん側からのものです。
つまり今、私たちの目の前でヘイトスピーチしているのはネトウヨさんなんですよ。
mixi上でもネトウヨさんによるヘイトスピーチは日常的に見かけますが、「日本人に対するヘイトスピーチ」などほぼ見かけないでしょ?(ネトウヨが曲解して勝手にヘイトスピーチ認定しているのは見るけど)。
そもそも何故「悪いのは韓国」とか「中国」という風に国を単位に考えたがるのでしょう?
やってるのは「韓国」や「中国」全体ではなく、一部の人です。
しかもそういう人は大抵 韓国の「クッポン」、中国の「憤青」などどこの国にもいる過激な国粋主義者…つまりは「向こう版のネトウヨさん」で、いわばネトウヨさんのお仲間です。
悪いのは特定の国ではなく、「どこの国にもいるヘイトスピーカー」。
どこの国にいようがヘイトスピーカーは批判されるべきであり、日本で目につくのはネトウヨさんだから批判されている。
ただそれだけのことなんですが。
例えば中学生集団が他校の子をリンチしてたら止めますよね。
「いや、先に手を出したのはこいつらの学校なんすよ。隣町では俺らの仲間がこいつらにボコボコにされてるんすよ」
と言われて「じゃあ仕方ない、続けて」という大人なんていない訳で。
普通は止めるでしょ。
そもそもこれを「A中学とB中学の抗争」などと捉えるべきではありません。
これは「どちらの中学にも血の気の多いのがいて、似た者同士でやりあってる」だけであり、両校の一般生徒から見れば「どっちの学校であれ暴力的な生徒は迷惑よね」という話でしかないのです。
同様に、ヘイトスピーチの問題は「日本と中韓の罵り合い」などと捉えるべきではないでしょう。
これは「どちらの国にも血の気の多い国粋主義的なのがいて、似た者同士でやりあってるだけ」であり、両国の一般国民から見れば「どっちの国であれ、過激な人たちは迷惑よね」という話でしかない。
我々の敵は中韓の人ではありません。
日中韓どこにでもいる『ネトウヨ』じみた人々です。
向こうにいる中韓版ネトウヨさんみたいな人たちのことを批判したいなら、同じ土俵に乗って同じくらい汚れた手を振り上げても説得力に欠けると思うよ。
◉【『差別する側だけがヘイト』は不公平?】
「『差別する側だけがヘイト』扱いは不公平だ」…これもよく見るやつ。
ヘイトスピーチには「差別する側とされる側」、つまり「強者と弱者」があります。
「強者から弱者へのヘイトは許されないのに、逆は許されてる、それは公平ではない」というのがネトウヨさんがしばしば行う主張です。
ネトウヨさんは公平が大好きですが、大抵はそもそも非対称なものを並べて「不公平だ!」と騒いでるだけです。
例えば、差別を受けることなく育ったある白人がノリだけで気軽に「この黒人め!」と差別するのと、長年白人から差別を受け続けたある黒人が「この白人め!」と呪詛するのが全くの対等に扱われて良いと本気で思ってるんですかね…?
LGBTや障害者の問題でもそうなのですが、ネトウヨさんはしばしば「マイノリティーは弱者であることを振りかざして特権を得てる、それは不公平だ」と主張します。
逆差別の問題は確かに存在しますが、それは個々に解決すべきこと。
マイノリティーを見れば脊髄反射的に「特権ガ―!」と言い出すのは違うでしょ…
そんなに特権が許せないなら、そもそもその特権を持っている強者・差別者の側を批判すれば良いのに彼らは大抵そうはしません。
それどころか「今や自分たちは虐げられた弱者の側なのだ」と主張したりします。
しかし彼らが弱者である自分たちの「特権ふりかざし」とやらを批判するのは見たことがありません。
例えば髪の薄い人の傍では「ハゲ」と言うのを普通は自重するでしょう。
「いや、髪が薄いからといって特別扱いされるのは行き過ぎた特権だ、俺は堂々とハゲと呼ぶ」
とか言っちゃう人はデリカシーがない人ですよね?
デリケートな話題では安全距離は少し広めに取るものです。
それを「向こうは何言ってもいいのにこっちはダメなのかよ!」などと騒ぎ立てるのが果たして「公平」なのでしょうか?
そもそも髪が薄くない人は「ハゲ」とは言われないし、「ハゲ」と言われようが「フサ」と言われようが痛くも痒くもないでしょ…
その辺の重みづけなしに「ともかく平等」と言うのは悪平等です。
ネトウヨさんの振りかざす「公平」や「平等」は多くの場合、「ライオンにもウサギにも平等に草を与えるべきだ」という形式的平等です。
「ライオンには肉を、ウサギには草を」というのが本質的平等でしょう。
あとネトウヨさんは規制や抑圧が大好きな割に「ヘイトスピーチの取締りは表現の自由の侵害だ」とか言い出すので困ります。
じゃあ規制の範囲を「差別される側」にまで広げて規制を強化するのは矛盾してませんかね?
…という訳で予想通りというか何というか、ネトウヨさんがドヤ顔で持ち出してくる反論にはどれも説得性がありません。
こんなんに騙されちゃダメですよ?
【参照】
これまたネトウヨさんがよく持ち出してくる『悪魔の証明ガー!』についても書いてますので是非。
[相対主義に関するよくある質問]
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/FN/relativism.html
【註3:循環論法でも外部的に根拠が示されれば問題ない】
ダーウィンの進化論も「最適者が生存する」「生存したのが最適者」というのは循環論法ではないか、とお叱りを受けることがあります。
また、カール・ポパー(またしても)からは「反証可能性ないしこんなん科学ちゃうやん」等とツッコまれたりもしています。
でも「再現実験できないからダメ」なら歴史を扱う学問は全部アウトになるでしょ…。
進化論は「もし正しければこの世界はこうである筈だし、もし正しくなければこうである筈だ」といった「予測」をすることが可能だし、「適応が見られているのに生存しない」といった反証例もありえるよね…
そんなこんなでこの件はポパーも取り下げています。
あとよく創造論者が
「このアンモナイト化石が出土したのは白亜紀の地層だから、このアンモナイトは白亜紀に生息していた」
というのを利用して
「このアンモナイトが出土したから、この地層は白亜紀のものだ」
と推測するのは循環論法だと文句を言ってくるのですが…
同じ地層で「白亜紀の地層からアンモ出た」「アンモ出たし白亜紀」とかやってたら循環論法でしょうが、地層Aのアンモナイトを示準化石にして地層Bの年代を推定するのは循環論法ではなく「外挿法」という普通の推論だよね…。
そもそも「アンモが出土したのは白亜紀の地層」ということは、この地層はアンモ発見以前から別の手法で白亜紀と同定されてた訳で。
という訳でどちらも一見循環論法でも外部的にちゃんと根拠があるのです。
【ネトウヨさん「悪魔の証明ガー!」←は?】
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/10210701.html
【註1:左右はお互いに尊重し合い、敬意を抱くこともできる】
もっとも、お互いに完璧ではない人間同士なので、残念ながら過度に敵対しがちでもありますが…。
特に保守派はその根底に排外主義との親和性があり、リベラルの様に寛容で宥和的にはなれないことが多いよね。
【註2:価値観の多様性を守るためには「排他的な価値観」だけは認めてはならない】
これは哲学者カール・ポパーが主張したところでもあります。
ポパーは科学に「反証可能性のないものなんざ科学じゃねぇよ」という考え方を持ち込んだ功績者でもありますが、ネトウヨさんの陰謀論的主張は大抵 反証可能性がなく、議論の俎上に載せちゃダメ。
最近、「『排他的な価値観』も価値観のひとつとして認ないとおかしい、排他主義を認めないのは排他的だ」と言い立てるのが流行りですが…
そもそも排他主義を振りかざす者が価値観の多様性に訴えることもまた矛盾してるよね。
過度にペダンティックにならなければ、「スピード違反を取り締まるパトカーが制限速度を守っていないこと」や「『張り紙禁止』の張り紙」が問題視されることは通常ないでしょ…
あとこの辺とかを参考に。
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/10210701.html
【註1:左右はお互いに尊重し合い、敬意を抱くこともできる】
もっとも、お互いに完璧ではない人間同士なので、残念ながら過度に敵対しがちでもありますが…。
特に保守派はその根底に排外主義との親和性があり、リベラルの様に寛容で宥和的にはなれないことが多いよね。
【註2:価値観の多様性を守るためには「排他的な価値観」だけは認めてはならない】
これは哲学者カール・ポパーが主張したところでもあります。
ポパーは科学に「反証可能性のないものなんざ科学じゃねぇよ」という考え方を持ち込んだ功績者でもありますが、ネトウヨさんの陰謀論的主張は大抵 反証可能性がなく、議論の俎上に載せちゃダメ。
最近、「『排他的な価値観』も価値観のひとつとして認ないとおかしい、排他主義を認めないのは排他的だ」と言い立てるのが流行りですが…
そもそも排他主義を振りかざす者が価値観の多様性に訴えることもまた矛盾してるよね。
過度にペダンティックにならなければ、「スピード違反を取り締まるパトカーが制限速度を守っていないこと」や「『張り紙禁止』の張り紙」が問題視されることは通常ないでしょ…
あとこの辺とかを参考に。
[相対主義に関するよくある質問]
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/FN/relativism.html
【註3:循環論法でも外部的に根拠が示されれば問題ない】
ダーウィンの進化論も「最適者が生存する」「生存したのが最適者」というのは循環論法ではないか、とお叱りを受けることがあります。
また、カール・ポパー(またしても)からは「反証可能性ないしこんなん科学ちゃうやん」等とツッコまれたりもしています。
でも「再現実験できないからダメ」なら歴史を扱う学問は全部アウトになるでしょ…。
進化論は「もし正しければこの世界はこうである筈だし、もし正しくなければこうである筈だ」といった「予測」をすることが可能だし、「適応が見られているのに生存しない」といった反証例もありえるよね…
そんなこんなでこの件はポパーも取り下げています。
あとよく創造論者が
「このアンモナイト化石が出土したのは白亜紀の地層だから、このアンモナイトは白亜紀に生息していた」
というのを利用して
「このアンモナイトが出土したから、この地層は白亜紀のものだ」
と推測するのは循環論法だと文句を言ってくるのですが…
同じ地層で「白亜紀の地層からアンモ出た」「アンモ出たし白亜紀」とかやってたら循環論法でしょうが、地層Aのアンモナイトを示準化石にして地層Bの年代を推定するのは循環論法ではなく「外挿法」という普通の推論だよね…。
そもそも「アンモが出土したのは白亜紀の地層」ということは、この地層はアンモ発見以前から別の手法で白亜紀と同定されてた訳で。
という訳でどちらも一見循環論法でも外部的にちゃんと根拠があるのです。
(11:50)
2022年04月21日
2015年頃、「ラッスンゴレライ」のネタでブレイクした8.6秒バズーカーが反日であるという疑惑がネット上で話題になりました。
最初はネタかと思われましたが、あれよあれよという間に疑惑が増殖して「ここまでくればもはや間違いない」と考える人が続出。
内容はあまりに多岐に渡るので、代表的なやつを並べるとこんな感じ。
【ネタの意味について】
●ラッスンゴレライ⇒「落寸号令雷」で原爆投下時の号令
●ラッスンゴレライ⇒「Lusting God laid light(ラッスンゴーレーライ・神の裁定の光)」の意
●ラッスンゴレライ⇒旧約聖書に出てくる言葉で、ヤハウェは渇望し、裁きの光を下したという、当時の原爆と同じ意味
●「Enola Gay Returns」をアナグラムすると「Ratsunne Goleray」になる
●エノラゲイの機体名が別名「Last Sun Go Relay」
●B-29に「チョットマッテ」という機体がある。しかも機体番号からエノラ・ゲイの兄貴分、つまり「お兄さん」。
●「8.6秒バズーカー」の8.6は広島の原爆が投下された日付、秒(セカンド)は次を意味するセカンド、バズーカーが原爆を意味している
●誕生日が嘘。しかもその日付がミーティングハウス1号作戦とミーティングハウス2号作戦(いわゆる東京大空襲)の日
●楽しい南国 ラッスンゴレライ⇒旧日本軍は南陽州において玉砕した
●南国いうても色々あるよ。パリ、グアム、ハワイどれですの?⇒日本首脳部の攻撃対象地策定の過程
●キャビア→小さい玉子→littleボーイ
●フォアグラ→ファットマン→長崎に落とされた原爆
●トリュフ→キノコ
スパイダー →蜘蛛=雲
→トリュフスパイダー =きのこ雲
●フラッシュ = ピカドン = 原爆
●ローリングサンダー = 米軍の爆撃作戦名
●ネタに出てくるサウジアラビアとインドの首都を結んだ直線上に広島がある 。ウズベキスタンとアルゼンチンの首都を結んだ直線上にエノラゲイが離陸したテニアン島がある説
●決めポーズが「原爆の子」の像そっくり
●8.6秒バズーカーの使用しているサングラスはレイバンのもので、来日したマッカーサーが使用していたことでも有名なブランド
●赤いシャツに黒いネクタイはクラフトワークを意味している。クラフトワークのアルバムや楽曲には「放射能」というタイトルのものや「日本も放射能やめろ」というような歌詞がある。
【8.6秒バズーカーの発言】
●バズーカー公式Twitterアカウントで「 8月6日になんか出来るようになりたいなー!」
とやはり8月6日を意識していることを示唆する2年前のツイートが発見される
●はまやねんこと浜根亮太の過去の日記ブログがみつかり、未成年飲酒して吐瀉していたことが発覚
●はまやねんの学生時代のTwitterアカウントが特定され、「日本オワタ。中国と韓国とロシアに
一気に攻め込まれる(笑)植民地ぷぎゃあ」というツイートが見つかる
● はまやねんの日記で「世界の車窓からは日本はクソって思える番組やから幸せ」
との記述が発見される
●はまやねんの日記で「 イペリットと言う毒ガスが昔戦争で使われていたと言う情報を小6の修学旅行で得て」独自の新しい単語を作る遊びをしていたことが発見される
●はまやねんが広島の原爆ドームでピースをしていることから広島をバカにしている説
●田中シングルのサインが「しんでね」に見える説
●本人たちが反日と認めた
…といったところでしょうか。
…うわぁ…
これあかんやつや。
まずですね、
●数字の一致を気にしはじめる
●アナグラムをやりだす
●地図上に線を引いちゃう
この3つをやってる人を見かけたらその人は陰謀論者だと思って大体間違いないです。
あと鑑賞のポイントとしてですね、例えば「ラッスンゴレライ」の意味としていくつもの説があるやないですか。
これらは相互に矛盾してる訳ですが、それを気にせず同時に信じちゃうのも陰謀論者の特徴です。
ただし、彼らは「複数の意味をかけてある」とか言いだしたりもします。
…え、何が売れるかわからないお笑いの世界でブレイクするだけでも大変なのに、さらにいくつもの意味をかけなあかんの?
そんなことはほぼ不可能だし、仮に彼らにそんな能力があるならリズム芸とかじゃなくてそれを生かしたもっとクレバーなネタを作るやろ…。
しかもそれだけの手間暇をかけた壮大な陰謀の動機ってナニよ?
「くくく…愚かな日本人どもめ、このネタが反日的な意味を持っているとも知らず、無邪気に笑っておるわ!」
とかほくそ笑むためだけのために、こんな面倒でリスキーなことを…?
全く筋が通ってません。
そして仮にこれが反日的な陰謀だとすると、その恐るべき企てはとっても知的なネット民の皆さんの手によってことごとく看破されちゃってる訳やないですか。
こういった、「敵は巨大な陰謀を遂行する恐るべき力を持っているのに、一方ではミスだらけで山ほど証拠を残している」といった極度な買いかぶりと軽視が同居する倒錯した態度も陰謀論者の特徴です。
例えば「特定の民族は日本の政治とマスコミを掌握するほど狡猾で奸智に長けているにも関わらず、何をやっても失敗ばかりで笑ってしまうほどのバカである」とかね。
それにしても普通なら気付きもしないほのめかしを全て見破るなんて、まるで集団ストーカー被害を訴えている人々みたいに敏感なんですね。
でもアレって統…いえ、何でもありません。
では上記でリスト化した「疑惑のデパート」について、個別にツッコんでいくことにします。
●ラッスンゴレライ⇒「落寸号令雷」で原爆投下時の号令
…漢字…?
しかも英語でもなければ日本語でもないし。
●ラッスンゴレライ⇒「Lusting God laid light(ラッスンゴーレーライ・神の裁定の光)」の意
●ラッスンゴレライ⇒旧約聖書に出てくる言葉で、ヤハウェは渇望し、裁きの光を下したという、当時の原爆と同じ意味
この二つはほぼ同じものですが…
おいちょっと待て、「ヤハウェは渇望し」ってのはどっから出てきた?
明らかに付け足されてますね。
「Lusting God laid light」が英語として成立しているか、モノリンガルの私には判りかねますが、仮に成立していたとして…
空耳アワー?
●「Enola Gay Returns」をアナグラムすると「Ratsunne Goleray」になる
「Enola Gay」と「Returns」を組み合わせるのは恣意的すぎだし、ラッスンゴーレライの綴りを「Ratsunne Goleray」とするのもまた恣意的。
こういったこじつけはいくらでもできます。
●エノラゲイの機体名が別名「Last Sun Go Relay」
エキサイト翻訳にかけると「この前、日曜日に行きなさい リレー」という意味になりますが大丈夫ですか?
明らかにエノラ・ゲイと同一機体の機首に「Last Sun Go Relay」と書かれた証拠写真もありますが、コラです。
「enola gay crew」 でぐぐると元画像が出てくるよ。


●B-29に「チョットマッテ」という機体がある。しかも機体番号からエノラ・ゲイの兄貴分、つまり「お兄さん」。

日本と戦ってたのでB-29には妙な日本語名の機体は多いのです。
そんなん言うなら「大丈夫DAIJOBU」と書かれた機体もありますよ?

二回繰り返し、しかも「DAIJOUBU」ではなく「DAIJOBU」…
じゃあ小島よしおも反日かよ。
あとエノラゲイが兄貴分でも「チョットマッテのお兄さんがエノラゲイ…やはり原爆を暗示してる!」って言い出すんじゃないの?
ついでですが、コピペ濫用のせいでB-29を「戦闘機」としてるサイト多すぎ。
そんなんミリタリーど素人の私でも判りますよ?
●「8.6秒バズーカー」の8.6は広島の原爆が投下された日付、秒(セカンド)は次を意味するセカンド、バズーカーが原爆を意味している
兵器を別の兵器で例える…?
●誕生日が嘘。しかもその日付がミーティングハウス1号作戦とミーティングハウス2号作戦(いわゆる東京大空襲)の日
日付ちょっとズレてね?
●楽しい南国 ラッスンゴレライ⇒旧日本軍は南陽州において玉砕した
原爆だったり玉砕だったりラッスンゴレライに多義性を持たせすぎ。
そんなどうとでも取れる曖昧な意味を与えてしまうとどんなことにでもあてはめられるやん…。
●南国いうても色々あるよ。パリ、グアム、ハワイどれですの?⇒日本首脳部の攻撃対象地策定の過程
今度は玉砕の話がいつのまにか日本の攻撃対象地策定に変わってもうてるやん…。
●キャビア→小さい玉子→littleボーイ
●フォアグラ→ファットマン→長崎に落とされた原爆
●トリュフ→キノコ
スパイダー = 蜘蛛=雲
→トリュフスパイダー =きのこ雲
●フラッシュ = ピカドン = 原爆
●ローリングサンダー = 米軍の爆撃作戦名
「キャビア→小さい玉子→littleボーイ」「フォアグラ→ファットマン」ってどんだけ強引な連想ゲーム?
しかもここまでやっても「小さい」しか合ってない。
ボーイはどっから来たの?
●ネタに出てくるサウジアラビアとインドの首都を結んだ直線上に広島がある 。ウズベキスタンとアルゼンチンの首都を結んだ直線上にエノラゲイが離陸したテニアン島がある説


なんで方位がズレるメルカトル図法の地図で線を引くのか…
あとサウジ─インドの直線上に広島があるなら、東京・大阪も含め太平洋ベルト地帯は大体その線上にあるんじゃね?
それ話を広島に限定する意味ある?
あと「サウジ─インド直線は広島にかかる」筈だったのに、ウズベキスタン─アルゼンチン直線の地図ではサウジ─インド直線がテニアン島にかかってますけど?
●決めポーズが「原爆の子」の像そっくり
え、グリコのポーズをしたら反日ですか!?
●8.6秒バズーカーの使用しているサングラスはレイバンのもので、来日したマッカーサーが使用していたことでも有名なブランド
え、有名メーカーのサングラスかけたら反日ですか!?
●赤いシャツに黒いネクタイはクラフトワークを意味している。クラフトワークのアルバムや楽曲には「放射能」というタイトルのものや「日本も放射能やめろ」というような歌詞がある。
え、ミュージシャンと服がカブったら反日ですか!?
●バズーカー公式Twitterアカウントで「 8月6日になんか出来るようになりたいなー!」
とやはり8月6日を意識していることを示唆する2年前のツイートが発見される
…そりゃ8.6秒バズーカ―やねんから、8月6日になんかしたくなるのは普通じゃね?
●はまやねんこと浜根亮太の過去の日記ブログがみつかり、未成年飲酒して吐瀉していたことが発覚
誉められたことではないが、軽率な若者ってだけで反日とか関係ないやん…。
●はまやねんの学生時代のTwitterアカウントが特定され、「日本オワタ。中国と韓国とロシアに
一気に攻め込まれる(笑)植民地ぷぎゃあ」というツイートが見つかる
ネトウヨまとめブログにも普通にありそうな表現ですが?
● はまやねんの日記で「世界の車窓からは日本はクソって思える番組やから幸せ」
との記述が発見される
つまらない日常を否定したら反日ですかそうですか。
●はまやねんの日記で「 イペリットと言う毒ガスが昔戦争で使われていたと言う情報を小6の修学旅行で得て」独自の新しい単語を作る遊びをしていたことが発見される
言葉遊びは誰でもやるし、逆に芸人なのにやったことがない方がおかしい。
あと言葉遊びが好きなのは陰謀論者の皆さんの方ですよね?
●はまやねんが広島の原爆ドームでピースをしていることから広島をバカにしている説
観光地でピースしたら反日ですか…
平和のサインなのに…?
●田中シングルのサインが「しんでね」に見える説
強引。
空耳アワーの視覚版?
●本人たちが反日と認めた
認めてないのに「認めた!?」とか見出しに使われてますね。
東スポかよ。
認めなかったから「やっぱりそうだったんだ」と決めつける輩が多いですが、これは奇妙な論理と言う他ないです。
認めた場合→「やっぱり反日だったか!」
認めなかった場合→「やっぱり反日だったか!」
なぜなのか
要するにこれって結論ありきでどう答えても反日にされるという、反証可能性のない議論なんですよ。
ネトウヨさんのやってることって要するに魔女狩りなんじゃ…。
神とか愛国とか、「自分が絶対的な正義である」という錦の御旗を掲げる輩こそが最も残酷になるのって歴史あるあるですよね。
…とはいえ、これほど意味あり気に見えることが重なるととても偶然とは思えない─
そう考える人も多い様です。
でもそれって要するにドーキンス言うところの「ペトワック」─「本来偶然にすぎないのに,何か関係があるように見える事象の集合」(PETWHAC:Population of Events That Would Have Appeared Coincidental)なんですよ。
ヒトの脳は確率計算が苦手です。
特に当たりにばかり注目し、その背後にある分母を見ない傾向があります。
分母は意外に大きいので、奇跡としか思えない事象も実は起きやすかったりします。
さらに、ヒトの脳はありもしないパターンを検出するのが得意です。
これは鈍感で危機に気付かないよりは、過敏で誤報が多いくらい鋭敏な方が生存に有利だから。
…結果、ヒトの脳は陰謀論生成マシンとなるのです。
『ペトワックの例はたくさんあることをよく知っておけば、なにか偶然の一致が起きたときに惑わされずにすむ。ペテン師の策略のひとつは,ありふれた現象をさも珍しいことのように思わせることにある。』
━リチャード・ドーキンス━
…それにしてもネトウヨの皆さんはなんでこんなアホなネタに引っかかり、ガチ信じしちゃったんでしょーか。
そもそもネトウヨさんの主張全体が「俺らは世界に誇れるスーパー民族」「そんな俺らが恵まれないのは全て誰かのせい」という、願望まみれで都合の良い陰謀論的構造であり、普段からそういう手抜きな思考に陥っているとこんなのにも簡単に引っかかっちゃうんですかね~?
ともあれ、コレはネトウヨさんの数あるやらかしの中でも特大かつ笑える例として、語り継いでいく価値があると思います。
…が、そこで懲りないのがネトウヨさんクオリティー。
この話を蒸し返すと大抵「まぁどの道、おもんない芸人やったし」が着地点に…。
いや、一発屋の唯一のかき入れ時を思いっきり邪魔したらあかんやん!
しかもネトウヨさん設定では8.6秒バズーカーは「こっそり反日要素を山盛り織り込みつつ、ヒットギャグを出せる天才芸人」だった筈では…?
その後の8.6秒バズーカーが鳴かず飛ばずである点からも、この陰謀論が無理筋であることが見て取れますよね。
(21:59)