2022年01月
2022年01月14日
ドーキンスは英語圏で最も高名な生物学者であり、政治的発言も多いため、炎上騒ぎがちょいちょいある。
例えばTwitter上で↓コレが炎上。
【AFP BB News】
『生物学者ドーキンス氏に「ヘイトの津波」、ツイートに批判』
https://www.afpbb.com/articles/-/3021833
『(友人や知人などに性行為を強要する)デートレイプは悪いが、ナイフを突き付けて見知らぬ人物をレイプするのはさらに悪い。見知らぬ人物によるレイプがデートレイプを容認する根拠になると考えるなら消えうせろ。そして考え方を学べ』
『軽度の小児性愛は悪いが、暴力的な小児性愛はさらに悪い。暴力的な小児性愛が軽度の小児性愛を容認する根拠になると考えるなら消えうせろ。そして考え方を学べ』
『軽いデートレイプは悪いが、暴力的なレイプはさらに悪い』
↓
炎上後のブログ
「ある種のレイプが別のレイプより悪いと順位付けることが『正しい』などとは言っていない。推論の方法について書いただけだ。どのようなレイプであれ、小児性愛であれ、それらの重大さを軽視するつもりは全くない」
…コレは
『デートレイプは悪いが、ナイフを突き付けて見知らぬ人物をレイプするのはさらに悪い』
という前半部分から勝手に
「だからデートレイプなんてたいしたことない」
と言ってると誤解されてないですか?
実際は逆なのに。
しかもヒトは印象で好悪や善悪を決め、理由を後付けで考える傾向があるため、一旦ムカつくと誤解が解けても判断は変わらないことがある。
Twitterのリチャード・ドーキンスbot@Dawkins_bot_jpより
https://twitter.com/dawkins_bot_jp/status/935329730110173184
(「正直言って、私がダウン症の子を身籠ったらどうするべきかわかりません。本当に倫理的なジレンマです」という投稿に対し)
— リチャード・ドーキンスbot (@Dawkins_bot_jp) November 28, 2017
中絶してもう一度挑戦しなさい(Abort it and try again)。選択肢がありながら、その子を世に生み出すのは非道徳的です。
●『(「正直言って、私がダウン症の子を身籠ったらどうするべきかわかりません。本当に倫理的なジレンマです」という投稿に対し)
中絶してもう一度挑戦しなさい(Abort it and try again)。選択肢がありながら、その子を世に生み出すのは非道徳的です。』
…まぁいかにも炎上しそうなネタではある。
多くの人は「知的障害者」と「知的障害」を区別していない様に思える。
「知的障害者」の個々の人格は尊重されるべきだが、「知的障害」という症状そのものは無いに越したことはない筋合いのものだろう。
「すでにいる知的障碍者の権利を守ること」と、「今後、知的障害に苦しむ人を減らすこと」は別のことであり、そして両者は両立可能である。
ダウン症の子を中絶することは、ダウン症を抱えて生きる人を否定することでも、彼らを生きるに値しないと断ずることでもない。
これは通常の中絶が、現在生きている人を否定したり殺したりすることを正当化しないのと全く同じだ。
実はこのあたりの区別はアンチナタリズム(非出生主義)に近い。
ドーキンスは近年、肉食削減主義を支持し、ヴィーガニズムに接近している。
そしてヴィーガニズムはアンチナタリズムと親和性が高い。
ヴィーガニズムの
「苦しむ能力のある動物に苦痛をあたえるべきではない」
という有感主義は、アンチナタリズムの
「生きることは苦痛に満ちているので、苦しむ者をこれ以上生むべきではない」
に極めて似ている。
ちなみにこの「生きることは苦しみ」という認識はやけに悲観的に見えるかもしれないが、仏教もモロにコレ。
だがだからといって非出生主義者は今、現に生きている者を殺そうとはしない。
「全ての苦しみを終わらせてやる!」
とか言って世界を滅ぼそうとする、ゲームのラスボスじゃないんだから。
むしろヴィーガンの対極にいるアンチや捕鯨賛成派とかが
「命は平等…だから全部殺してOK!」
とか言い出す訳で、こっちの方がラスボスっぽいよね。
さらに↓こんなのも。
Quora
『リチャード・ドーキンス博士が、「男性が女性と自認するのは受けいれられるが、白人が黒人と自認するのは非難される。なぜなのか議論してみよう」と発言して物議を醸していますが、どう思いますか?』
ドーキンスが
「男性が女性と自認するのは受けいれられるが、白人が黒人と自認するのは非難される。なぜなのか議論してみよう」
あるいは
「性別に関しては自認している方が本当とされるが、人種に関してはそうでない。なぜなのか議論してみよう」
と発言したらしい。
それについてどう思うか、との質問に対する解答として
『あいかわらず、ドーキンス先生とばしてんなー。さすが、元祖炎上商法やで。
物議を醸すほど、ドーキンス先生の勝ちやが、突っ込まざるを得ない。さすがやで。』
『めちゃくちゃ面白いですね
でもどう転んでもLGBTか人種関係者のどちらかを敵に回してしまいそうです。』
とか書かれててワロタ。
ドーキンスはもともと党派性には拘らずズケズケ言う人ではある。
ドーキンス自身はリベラルだが、左翼内の行き過ぎた言説にも容赦がない。
近年の著書にも
「人種の知能差はある。それを『差はあるが扱いは変えるべきでない』とせずに『差はない』にしちゃう人達がいる」
みたいなコト書いてるし。
あとリベラル的言説同士の矛盾というか、テーマごとの優先度の重みづけみたいな話もする。
例えば↓コレ。
https://twitter.com/Dawkins_bot_jp/status/1381519778423050240
多くのpro-choiceの友人とは異なり、私は、胎児の痛みは女性が自身の身体を管理する権利より重大になりうると考えている。しかしブタの痛みのほうがそれよりもさらに重要だと考えている。
— リチャード・ドーキンスbot (@Dawkins_bot_jp) April 12, 2021
●『多くのpro-choiceの友人とは異なり、私は、胎児の痛みは女性が自身の身体を管理する権利より重大になりうると考えている。しかしブタの痛みのほうがそれよりもさらに重要だと考えている。』
あと『利己的な遺伝子』にも
「福祉の拡充よりも大型鯨類の殺戮を止める方に関心がある、と言うと一部の友人はショックを受けるだろう」
みたいな話があったり。
あと↓こんなんとか。
ウェジー連載
【お砂糖とスパイスと爆発的な何か】
『無神論者になった私が、フェミニストとして居心地が悪い理由』
https://wezz-y.com/archives/53921
お、コレ書いてるのはフェミニズム批評の「さえぼう」こと北村紗衣ですね。
生物学内部にも男性優位の残滓があるのは事実だろう。
ヘレナ・クローニンという女性の研究者は大著『性選択と利他行動―クジャクとアリの進化論』において、
「配偶外交尾をする雄は『浮気な雄』と呼ばれるだけなのに、雌は『尻軽な雌』とか呼ばれるのはどういうこっちゃ~!?」
的な疑問を呈している。
だがドーキンスはフェミニズムには相当に気を使っており、それは著書のはしばしに滲み出ている。
『利己的な遺伝子』には
「私は不特定の人を『彼』ではなく『彼あるいは彼女』と書いている。『彼女あるいは彼』と書こうかとも思ったが、それはフェミニストにやりすぎと言われたのでやめた」
みたいな話があったし、『延長された表現型』だったかには
「私が架空の読者として想定している顔は女性だ」
的な話があった様に思う。
ドーキンスが攻撃するのは、科学否定を行う一部のフェミニズムだ。
そういったものの中には、
「女性は論理や科学といった男性中心主義的なものではなく、直観や感覚によってアプローチする」
「あなたはDNAなんてものが実在するなんて本気で思ってるの?」
みたいなトンデモが含まれている。
あとさらに↓こんなんとか。
【わが忘れなば】
『新無神論者たちのイスラモフォビア』
http://wagawasurenaba.hatenablog.com/entry/2014/09/20/102650
さえぼうによる批判もそうなんだけど、まぁ納得できる部分もある。
だが無神論のために戦う者は科学の話をしているのであって政治の話をしているのではない。
できるだけ政治的に正しくあるべきではあるが、常に誰よりも政治的に正しくある責を負わせるのは酷というものだろう。
また、科学者は科学の専門家であって、宗教やフェミニズムの専門家ではない。
それらの分野で科学者がそれらの専門家以上に詳しい筈もないし、もしそんなことがあればその専門家たちは何のためにいるのか?
ちょっと個人的な話に例えよう。
遠くに住む祖母が亡くなった時、私にはあまりリアリティーが持てなかった。
祖母は大切な人ではあったが、数年に一度しか会う機会がなかった。
だが祖母の家の隣で暮らしていた従兄はおそらく、私よりもずっと悲しんだことだろう。
どちらも同じく祖母の孫なのだから、同じくらい悲しむべきなのかもしれない。
だが、この距離感で「私も従兄と同じくらい悲しい」などとはとても言えない。
それはずっと祖母の近くで生活していた従兄に対して、逆に失礼というものだろう。
科学がいくら論理と理性の体現だからと言って、非専門領域のすみずみまでそうだと期待すべきではない。
かつて宇宙飛行士が政治家に立候補した。
「宇宙飛行士はあらゆる面で優れた資質を持っていないとなれないのだから、政治家としても有能な筈だ」
的な主張を本人がしていたが、その後、宇宙飛行士が政治家として有能だと証明されて次々に政界へ転身した、という話は聞かない。
誰もが専門外では暴論になりがちな部分はあるだろう。
科学者が期待するほど万能でないからといってこれを否定するのは、現実的な解決策を理想的ではないからと否定する「ニルヴァーナ誤謬」というものだろう。
ちなみにドーキンスのデートレイプの例では確かに大きな悪よりマシだからといって小さな悪を許すべきではないが、選挙などで「より小さな悪」を選ぶことは普通にある。
フェミニズムについて言えば、無神論者よりも宗教の方がはるかに女性差別的である。
イスラム批判について言えば、特定の宗教の危険性を指摘することは差別なのか?
じゃあオウム批判とかもアウトなんですかね…?
ドーキンスの言葉ではないと思うが、Twitterの無神論系botにこんな箴言があった。
●『戦争やテロは政治などに利用されているだけで信仰自体には責任が無いというものもいるがそれは間違いだ。利用されたものであったとしても、信仰自体が、その能力があるにも関わらず自分で考え判断することを放棄し第三者にゆだねることである以上、不都合な結果を招いた時に限り被害者ぶるのは筋違いだ』
…その通りだと思う。
ついでにドーキンスbotの発言からイスラム関連のものをいくつか拾ってみると…
●『この国(英国)でイスラムに批判的なことを言うのはほぼ不可能だ。なぜなら、そんなことをすれば、レイシストやイスラムフォビアとみなされてしまうからだ。』
●『世界中の全ムスリムによるノーベル賞受賞者は、ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジよりも少ない。中世には偉大なことをやっていたのだが。』
●『イスラムはフェミニズムによる革命が必要だ。だがそれは困難なことだろう。我々にいったいどんな手助けができるだろうか?』
●『人々はレイシストと思われることに怯えている。多くの人々の心には酷い混同があるのだ。彼らはイスラムを人種だと思っている。だがもちろん実際はそうではない。』
…特に問題のありそうなものはない。
確かに批判はしているが、差別と思しきものは見当たらない。
ついでに言っておくと、この手のbotは炎上した発言もちょいちょい流してるので(今回のエントリでもそこで収集したネタがいくつかある)、そういう発言を避けて載せている訳ではない様だ。
最後に↓コレ。
togetter
『リチャード・ドーキンスが「科学と懐疑主義」会議への招待を取り消された件についての雑感(セルフまとめ)』
https://togetter.com/li/932303
最近、ポリコレに過敏になって、そもそもリベラル派としてならしてきた知の巨人が告発されることがままある。
いくつか例を挙げておく↓。
【shorebird 進化心理学中心の書評など】
『スティーヴン・ピンカーに対する除名請願運動とその顛末』
https://shorebird.hatenablog.com/entry/2020/07/13/102519
【道徳的動物日記】
『ジェリー・コイン「障害者運動家たちがピーター・シンガーの辞任を要求」』
https://davitrice.hatenadiary.jp/entry/2015/12/05/144857
【道徳的動物日記】
『グレッグ・ルキアノフ, ジョナサン・ハイト 「アメリカン・マインドの甘やかし:トリガー警告はいかにキャンパスの精神的健康を傷付けているか」』
https://davitrice.hatenadiary.jp/entry/2015/12/19/210618
↓ココでは恋人選びの心―性淘汰と人間性の進化』で知らされるジェフリー・ミラーの興味深い発言が要約されている。
【shorebird 進化心理学中心の書評など】
『Virtue Signaling その24』
https://shorebird.hatenablog.com/entry/2020/02/14/083237
(コメ欄も参照)
「ニューロダイバージェントにとってスピーチコードは不可解」、つまりアスペとかやとヘイトスピーチ禁止と言われても理解できひんねん、的な。
そういえばドラマ『ビッグバン☆セオリー ギークなボクらの恋愛法則』でも、IQ187の天才物理学者シェルドンが他者の気持ちや社会常識を理解できず、悪意なく差別的発言をしてしまう、というのが定番ギャグだった。
ちなみにジェフリー・ミラー自身、ニューロダイバージェントらしい。
なお、この人は
「ヒトの排卵が隠蔽されてて周囲から分からないってホンマやろか…」
↓
「そや、ストリッパーのチップが排卵日に増えるか調査したろ! …増えてるやん!」
↓
イグノーベル賞を受賞
…という人。
トガりすぎた左翼が左翼を批判する、という図式は…
日本だと左翼文化人である町山智浩がちょいちょい左翼から突き上げられて炎上してる様なものか…?
まぁ「革命側だった筈の文化人が気付けば断頭台の露」とかフランス革命の頃からあった訳で。
こういうのは左翼にありがちだし、右翼もそこを突いて、差別の解消そっちのけで
「いきすぎた反差別の裏に利権ガ―! 言葉狩りガ―! ポリコレ棒ガ―!」
と言い立ててくる。
こういう右翼の態度は「病気には無頓着な癖に特効薬の副作用はやけに気にする」的な本末転倒に見える。
「言葉狩り」については…
「差別の撤廃」と「表現の自由」のどちらを優先すべきかは難問ではあるが、そもそも両者はともに左翼的言説であり、それをめぐる論争はもともと左翼内部の論争だった。
それを最近になって右翼が都合の良い時だけ「表現の自由」を持ち出し、使い慣れないものだから大抵は誤った形で主張しているだけだ。
「ポリコレ棒」云々については「やりすぎやろ」的な非難はあっても「ポリコレは根本的にここが間違っている」的な批判は見かけない。
そりゃそうだ、「差別はしても良いんだよ」なんて話、立論できる筈がない。
そもそもポリコレ自体の正しさには論駁できないものだから「そりゃそうだけどさぁ…何もそこまでしなくても…」と愚痴ってるだけやろコレ。
とはいえこれらの問題が全く存在しない訳ではない。
右翼は基本的に「個人より集団の利益を主張する」ところから個人の権利に関心が薄く、差別に流れやすい。
また「ヒューリスティック(近道で効率的だが手抜きの思考)である」という特徴からトンデモに陥りやすい。
だが一方で「トンデモに左右はない」ので、トガりすぎてトンデモになる極左も必ずいる。
左翼テロリスト、放射脳、一部のフェミニズム(例は先述)などがそうだ。
連合赤軍による「総括」「自己批判」といった内部へ向かう攻撃とその果てのリンチ殺人はその鮮やかな例だ。
それらの左翼トンデモさんが実在するからこそ、右翼もそこを批判してくるし、その批判には一定のリアリティーが発生する。
だからこそまともな左翼は、そういったものをきちんと批判しなければならない。
先ほど名前を出した町山智浩はちょいちょいやらかす。
だがそんな時、ロマン優光は政治的にもサブカル文脈でも敬愛して止まない町山智浩を、歯に衣着せず批判している。
そしてそんな耳の痛い話の載っているロマン優光のコラム『さよなら、くまさん』を、町山智浩は愛読しているという。
【オマケ】
2年前、エヴァのキャラデザで知られる貞本義行がTwitter上で「表現の不自由」展について問題発言↓。
町山智浩に諫められ、自らの発達障害(ADHD)を持ち出すという、先述の「ニューロダイバージェントにとってスピーチコードは不可解」を地で行く展開に…
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貞本義行@腰痛@Y_Sadamoto·2019年8月9日
キッタネー少女像。
天皇の写真を燃やした後、足でふみつけるムービー。
かの国のプロパガンダ風習
まるパク!
現代アートに求められる
面白さ!美しさ!
驚き!心地よさ!知的刺激性
が皆無で低俗なウンザリしかない
ドクメンタや瀬戸内芸術祭みたいに育つのを期待してたんだがなぁ…残念でかんわ
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醉舟@suishu_
貞本義行氏が例の慰安婦像を酷評した件で叩かれているが、あれを普通に芸術品としてみた場合、ぶっちゃけゴミ同然の価値じゃないの。芸術品ではないとは言っていない。しかし芸術品には自ずと価値の高低はある(勿論人により評価は異なる)。政治的に価値があるから批判はいけないというのは言論の不自由
午後4:48 · 2019年8月10日·Twitter Web App
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町山智浩@TomoMachi·2019年8月11日
いや、像そのものはさておき政治的背景が嫌だと言ったほうがまだマシ。政治的文脈抜きに純粋に造形物として見た場合、あの像は典型的な韓国人少女をプレーンに描いたものでしかないので、それをゴミとか汚ねえと罵倒するほうが差別的。例えば黒人を写実した像に対してそう言ったらどう取られるか。
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キルゴアさん@KilkilGoregore · 2019年8月10日
「ナディア」や「エヴァ」を手掛けたアニメーター貞本義行さんのこのツイート、表現に品がなくセンシティブさに欠けるのは事実やが、内容的にはヘイトスピーチではないし、あくまで現代アートの観点からの批判である点については、キチンと確認しておかねばならん。
ここまでで異論はございますかな?
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町山智浩@TomoMachi·2019年8月11日
少女像自体をまったく背景を知らずに見たら別に汚くはないし、天皇の写真を踏んだという事実はないし、「美しさ」や「心地よさ」だけを求められないのがまさに「現代アート」なので色々間違ってるんですよ。知りもしない「現代アートの観点」とか言って中立のフリしても無理がありますよ。
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貞本義行@腰痛@Y_Sadamoto
返信先: @TomoMachiさん
尊敬してる町山さんに言われると
辛いですね…
いつも深い考察ファイル
買わせてもらってます
今回の一件、米軍に轢き殺された
少女の背景まで知りませんでした。
発達障害(ADHD)丸出しで、考えもない発言
まあ全て言い訳になるので
黙って批判もレッテル貼も
受け入れて行こうと思ってます
午後7:04 · 2019年8月11日·Twitter for iPhone
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…つまりは発達障害(ADHD)のせいにした挙句、謝罪も撤回も反省もしないってコト?
それはちょっと…
2022年01月13日
推理小説の世界に『ノックスの十戒』というものがある。
ロナルド・ノックスの『探偵小説十戒』に出てくる、「推理小説のルール集」だ。
ルールと言っても絶対的なものではなく、「良い作品にしたかったらこの辺には気を遣った方が良いよ」的なガイドラインである。
内容は↓こんな。
1. 犯人は、物語の当初に登場していなければならない
2. 探偵方法に、超自然能力を用いてはならない
3. 犯行現場に、秘密の抜け穴・通路が二つ以上あってはならない
4. 未発見の毒薬、難解な科学的説明を要する機械を犯行に用いてはならない
5. 中国人を登場させてはならない
6. 探偵は、偶然や第六感によって事件を解決してはならない
7. 変装して登場人物を騙す場合を除き、探偵自身が犯人であってはならない
8. 探偵は、読者に提示していない手がかりによって解決してはならない
9. サイドキック(相棒)は、自分の判断を全て読者に知らせねばならない
10. 双子・一人二役は、予め読者に知らされなければならない
…まぁ納得ですな。
ちなみに5.の「中国人を登場させてはならない」というのは、中国人がオリエンタルな神秘の力を駆使したトリックを使う、とかはナシですよ、的な意味らしい。
まぁノックスが活躍した1920年代~30年代のヨーロッパは、東洋神秘主義に対するオリエンタリズムやら、モンゴル帝国に侵入された恐怖の記憶やら、それを利用した黄禍論やらで、東方の民族を「怪しいやつら」と見做していたのだろう。
中国を異常に警戒するあたり、現代の陰謀論と変わらない。
まぁヒトのやることは時代が変わっても大体一緒だったりするしね…。
で、コレ見てて思ったのだが…
コレを逆張りにすれば「陰謀論者の十戒」が作れるのではあるまいか?
という訳で早速、↓製作。
1. 陰謀を企てる組織は、歴史の当初に登場していなければならない
2. 陰謀の方法に、超常現象を用いても構わない
3. 論理構造に、抜け穴・欠陥が二つ以上なければならない
4. 未発見の根拠、難解な科学的説明を要する超技術を陰謀に用いても良い
5. 中国人を登場させなければならない
6. 陰謀論者は、第六感(直感)によって事件を解決しても構わない。だが偶然は持ち出してはならない。この世に偶然はなく、全ては誰かの意思の産物である
7. 陰謀論を撒き散らしてして別の陰謀を覆い隠す場合を含め、陰謀論者自身が陰謀を企てる側であってはならない
8. 陰謀論者は、公に提示していない手がかりによって推論してもよい
9. 信者は、自分の判断を全てSNSで知らせねばならない
10. 影武者・なりすまし説を急に唱えてもよい
1.と9.は逆張りじゃないんだけどその辺はご愛敬。
ちょっと説明が必要なものもあるので順に解説していくことにする。
【1. 陰謀を企てる組織は、歴史の当初に登場していなければならない】
陰謀組織は大抵、ユダヤ人とかイルミナティ―とかフリーメーソンとか、昔からある手垢のついたもの。
一見目新しく見えるものもしばしば古臭いものの現代版に過ぎなかったりする。
例えば「宇宙人」は「妖精」の、「ディープステート」は「影の政府」の類の焼き直しだったり。
【2. 陰謀の方法に、超常現象を用いても構わない】
陰謀論者はいきなり宇宙人による陰謀とか持ち出しても平気。
【3. 論理構造に、抜け穴・欠陥が二つ以上なければならない】
陰謀論者は「論理的に思考すると死ぬ病気に罹ってるんか?」と思えるほど、論理に穴が多い。
【4. 未発見の根拠、難解な科学的説明を要する超技術を陰謀に用いても良い】
人工地震とか、ありえないレベルのビル制御解体とか、真空&低重力でないと撮れない筈の月着陸のフェイク映像とか、何でもござれ。
【5. 中国人を登場させなければならない】
特に最近はあらゆる陰謀について「裏にいるのは中国」と主張される。
【6. 陰謀論者は、第六感(直感)によって事件を解決しても構わない。だが偶然は持ち出してはならない。
根拠がなくてもOK。だがこの世に偶然はなく、全ては誰かの意思の産物なので「偶然」という説明は嫌われる。
【7. 陰謀論を撒き散らしてして別の陰謀を覆い隠す場合を含め、陰謀論者自身が陰謀側であってはならない】
陰謀論者は「世にそんなに陰謀が溢れているのなら、そもそも自分は誰かに洗脳されて『陰謀論を撒き散らすという陰謀』に加担させられているのでは?」とは考えない。結果、実際に加担してしまっているかもしれない。
【8. 陰謀論者は、公に提示していない手がかりによって推論してもよい】
手がかりは大抵、論文や公文書やマスコミ報道ではなく、ネット情報や曖昧な目撃証言、あるいは脳内ソース。
【9. 信者は、自分の判断を全てSNSで知らせねばならない】
ビリーバーって自説の普及にむちゃくちゃ熱心よね…数は少ないのにやたら見る。
【10. 影武者・なりすまし説を急に唱えてもよい】
影武者やなりすましはバレやすさやバレた時のリスクを考えると現代においては非現実的だが、陰謀論者はやたら好む。
最近の流行はコム人間。
…まぁ↑コレは『ノックスの十戒』をもじって作ったので、当然のことながら割と強引である。
『陰謀論者の十戒』をガチめに作ると勿論、10箇条では収まらない。
思いつくまま、テキトーに挙げただけで↓この様に18箇条になった。
●マスコミの報道はともかく全て疑わなくてはならない
一方、マスコミが決して触れようとしないネット情報は真実であるので検証抜きで受け入れて良い
例外として、自説に有利な情報はマスコミ報道でも信じて良い
●陰謀論者は、その陰謀組織がどうやって資金を調達しているのか、どうやって大勢いる関係者に秘密を守らせているのか、等の難題は気にしなくて良い。
●陰謀論者の唱える「陰謀」は、その動機を十分に説明しなくても良い
→「特定の集団が『愚かな日本人め、これが我々の陰謀だとも気付かずブームに踊らされておるわ!』と悦に入るため」等のゆるめな理由でも全然OK
●陰謀論者が実在を主張する陰謀は、「普通バレへん訳ないやろソレ」という雑なものでも良い
→トランプ票を減らす方法が「道端に票を詰めた箱を捨てとく」とかでOK
●陰謀論者は自分に当てはまる言葉で相手を批判しなくてはならない
→例:「ブーメランだ!」「ダブスタだ!」と言ってる自分がブーメランだったりダブスタだったり
●陰謀組織はすでにマスコミや政府を手中に収めているほど強大だが、同時にありえないほどの凡ミスを連発し、必ず陰謀の証拠を残すほど愚かでなければならない。
●組織の秘密を証言する自称元関係者は、調べてもその所属が全く確認できないか、ごく限定的な関係(非正規雇用で数か月いただけ等)でなくてはならない
●陰謀論者は矛盾する複数の陰謀論を同時に信じても良い
●陰謀組織にはフリーメイソン、イルミナティ、ユダヤ資本、闇の政府、軍産複合体、宇宙人、共産主義者などの古典的なものを絡めると良い
またその変奏曲として、何でも中国のせいにするのが現在の流行である
●陰謀を行う者は何故か謎かけやパズルごっこが大好きである
→もちろん陰謀論者もそれらが大好きである
●陰謀論者たるもの、
「文字を並び替える(アナグラム)」
「数字を足したりかけたりしていじる」
「地図に線を引く」
「何らかの図像から予言を引き出す」(複雑に折りたたんだ紙幣やイルミナティ・カード等)
のどれかは嗜んでいくべきである
●陰謀論者は相手の力を利用する「柔道論法」を用いても良い
→NASAやマスコミの情報でも都合の良いものは持ち出す、
民主主義や人権や表現の自由といった左翼的言説に頼るなど
●都合が悪い時は敵の捏造・なりすまし・印象操作・自作自演のせいにせよ
それらはいつでもいかなる証拠もなしに繰り出して良い
→敵の罪は敵のもの、自分の罪も敵のもの の精神
●陰謀論者は強力な反論に対しての『個人的な懐疑に基づく推論』、要するに「私にはそれで説明できるとは思えないなぁ」といった個人の感想レベルで再反論しても良い
●相手が根拠を挙げて陰謀論を否定してきた時、再反論するよりは別の話を持ち出して論点をずらすべきである
それも否定された場合はまた別の話を持ち出す
これを繰り返し、ネタが尽きたら最初の話をまた持ち出せば良い
決着済みの話を何度でも繰り返すのは陰謀論者にとって基本戦術であると心得よ
●専門家に学術的に否定されても、気にせず議論を吹っかけよ
勝てなくても両論併記に持ち込み、一般人に
「学術的にもまだ論争中なんだな」「評価が分かれてるんだな」
と思わせれば陰謀論者の勝ちである
●陰謀論は全てを説明できる万能理論でなくてはならない
→例:「陰謀の証拠が何もないのは陰謀組織が証拠を消したからであり、証拠がないことこそが陰謀の証拠である」)
●陰謀論は「オッカムの剃刀」「反証可能性の欠如」「悪魔の証明」の、少なくともどれかには抵触しなくてはならない
いずれより完全なものを作りたいので、「他にこんなのもあるよね」というのがあればお寄せいただきたい。
2022年01月12日
ここしばらく、全体的には良いが時々「?」となる話をぶっこんでくるNHK『ヒューマニエンス』や『ダークサイドミステリー』、非常に有益な著作を書く原田実の微妙なスタンスなど、「全体的には素晴らしいが細部については疑問の残るアレコレ」について書いてきた。
今回はその流れで、私が以前から絶賛してきた優れた生物系科学ライター、北村雄一の『ダイオウイカvsマッコウクジラ 図説・深海の怪物たち』について取り上げる。
まずこの書籍、ありえないほど面白い。
そもそも北村雄一といえば深海ブームの遥か前から優れた深海魚本を出していた人物である。
だがこの本、タイトルこそ深海生物本だが、内容的には(著者も自認する様に)1/3ほどはシーサーペントを扱ったUMA本…
UMA本と言っても勿論、ムーあたりから出てる本の様な素っ頓狂な内容ではなく、その正体として挙げられているのは懐疑主義系UMAファンならお馴染みの面々。
だが新味がないかと言えばさにあらず。
それらの生物について、マニアにも知られていない様な驚愕の事実の数々が載っていて、読みながら何度も呻き、のけぞった。
めちゃめちゃ面白い!
もうね、私の駄文なんて読む暇あったらコレ買って下さい、マジで。
しかもリュウグウノツカイに関する記述を求め、古代ギリシャ・ローマ時代の文献まで渉猟する博覧強記っぷり!
生物系ライターには生物には詳しくても進化論はあまり理解していない人も少なくないが、この人は進化論系の著作も多く、大安心。
ちなみに深海本のフリしたUMA本、と書いたが、この人の『恐竜と遊ぼう―博物館で恐竜を100倍楽しむ方法』という本は児童書かつ恐竜本のフリしたほぼティラノサウルス本であり(ついでに言うと後年、実際に『ティラノサウルス全百科』というティラノオンリー本も出している)、さらに言えば子供に分岐分類学について教える本であった。
さらに絵が超絶上手い!
おそろしく正確であるだけでなく、「何故このアングルで描いた…?」という挑戦的な構図。
個人的にはこの人の絵、古生物の復元画家として有名なダグ・ヘンダーソンやグレゴリー・ポールと並ぶ味わい深さがあると思っている。
…という訳で私はこの人を心の底から尊敬している。
だから今回のエントリは批判めいた話というよりは、オタ特有の「気に入ってるから細部が気になってついケチを付けてしまう」という歪んだ愛情表現だと受け取っていただきたい。
私はこの人の著作は殆ど揃えている筈だが、その中でも出色の出来なのが本書。
そんな好著だが、最後のシーラカンスの章で急に「ん?」となる部分が出てくる。
要約すればこうだ。
世間では、ダーウィンが「強いものが生き残るのではない、生き残るのは変化するものだ」と言った、という伝説がまかり通っているが、そういう事実はない。
これは小泉首相が所信表明演説で述べたことで広がり、最近も自民党がこれを誤引用し改憲を正当化しようとして炎上した。
だがシーラカンスは殆ど変化せずにきた、「生きた化石」であり、この表現が間違いであることは明白。
研究者がダーウィンの政治利用に怒るのには理由がある。
かつて左派のマルクス主義者や、右派の今西錦司を持ち上げたナショナリズムがダーウィンを利用し暴れまくったからだ。
だがそれだけでは腑に落ちないだろう。
皆さんがこう思うのは、おそらく人間がずるを見抜く力を持つせいだ。
研究者はどうして決して景気を活性化しようとは言わないのか?
研究者は決まった額の給料を保証されているので、不景気になった方が実質の価値が増えて有利になる。
不景気になるほど有利になる人たちは景気を悪くしようとせっせと努力する。
これはアダムスミスが2世紀前に指摘したことだ。
私は自民党が正しいとか、研究者が正しいとか、そうしたことに興味はない。
物事は機械的な仕組みで決まる。
景気が良くなる方が良い人が多数派なので社会はその方向に行くだろう
景気が良くなると研究費は微増するが研究者の資産価値は下落するので彼らは文句だけ言うだろう。
以上、政治と科学の対立を語り、政治にも利はあることも示してきた。
…ということなのだが…
いや、マルクス主義者や今西錦司は反ダーウィニズム、もしくは非ダーウィニズムでしょ…
ダーウィニズムを捻じ曲げて利用した訳ではなく、むしろ批判してた側。
ダーウィニズムを受け入れた上で利用してたのは悪名高い社会ダーウィニズムや優生学では?
この辺の下り、めちゃめちゃディスっててスゲー感情的。
締めの部分に至っては
『20世紀とはマルクス主義者や今西謹二たちがかように荒れ狂い、学問体系に巨大な傷を残した時代であり、知的に劣ったくだらない100年でもあった。』
とまで言ってるし。
ついでに言っておくとこの本、これまでのこの人の文章とやや違って、まるで口述筆記したみたいに砕けた表現が多い。
それがやや硬質な常体の文に置かれているので、怒りや諦観・自嘲といった感情が強調されがちな気がする。
まぁより一般人向けに伝わりやすい文体を模索した結果なのかもしれないが…
ただでさえこれまでになかった政治経済の話をしている中でこの語調なので、何やら心配してしまう。
あと小泉総理の発言については、これまた要約すると
小泉総理は
「ダーウィンは生き残るものは変化に対応できるものだという考えを示したと『言われています』」
とわざわざ断りを入れてるからセーフ!
これってこう解釈したよ、っていう注意喚起の表明だから嘘じゃない。
個人の意見を嘘という人はいない。
…的なコト言って免罪。
いや、『言われています』というのは「伝聞ですよ」もしくは「一般的にこうだとされてますよ」程度の意味ちゃうん?
言うほど『解釈』や『個人の意見』か?
こんなん関西人の「知らんけど」と同じで、とりあえずソレ付けたら責任逃れできるってモンちゃうやろ…
あと、研究者が景気を活性化しようとは言わないのはそれが一般に研究者の仕事ではないからでは?
そんなん政治家や経済学者(つまりそれを目的・専門とした研究者)の仕事やろ…。
あと研究者というのは、その非凡な知性を科学的真実の追及に使おうと考えた人たちな訳ですよ。
勿論、彼らも聖人君子ではなく個々に利己的な訳だけど、それは通常、科学上の業績争いとか、せいぜいそれを利用した地位や権力の追及、そして時に学問上の不正といった形で出てくるのが普通では…
研究者が「俺の資産価値のために景気を悪くしよう」と画策するとは思えないっす。
そもそも研究者にとって、研究費の獲得は自分の食い扶持と同じく切実な問題なんじゃ…。
あと不景気になると一件あたりの研究費が減るだけでなく、研究者のポスト自体が削減されて大ピンチにならないですか?
その辺あやふやなのに、
「研究者がダーウィン利用に怒るのはダーウィンが利用され続けてきたから。
だがそれだけでは腑に落ちないのは、おそらく人間がずるを見抜く力を持つせい。
研究者側にはもうひとつ、経済的な理由がある」
みたいな進化心理学(心理学とダーウィニズムを融合させたもの)っぽい説明を与えちゃうと、ダーウィニズムを利用してるのは果たしてどっちだか、わからなくなってくるよね…。
…普通、サイエンス系の人ならこういう時は「前もって何が役立つかわからないからこそ基礎科学に投資すべきだ」とか言うもんじゃないの…?
ましてや進化論系の人なんだから、「ある遺伝子は一見すると病気の原因に見えるが、特定の環境では生存に役立つ」みたいな話すればいいじゃん。
鎌型赤血球症遺伝子はマラリア耐性を持たせるとか、糖尿病の原因遺伝子が低栄養な環境では生存上有利だとか。
遺伝子には多様性があった方がカタストロフに強い、みたいなもんで、研究にも多様性がある方が実りが多いでしょ…。
実際、本書にも「知能を下げてでも省エネにした方が有利な環境もありうる」みたいな話がバッチリ載ってるし。
なんか急に経済学に傾いた説明が始まって面喰らったが、思えばこの本、「まえがき」からして何故か経済学の話から始まってたんよな…
そして振り返れば、最終章のひとつ前にあるオウムガイの章から予兆はあった。
バージェス・モンスターのひとつであるネクトカリスを頭足類とするトンデモ論文が鵜呑みにされて報道されたことについて、科学ライターのギャラが低いので科学記事に正確さを求められても困る、みたいな話が載っている。
そしてそこから「新自由主義のせいで不景気が常態化→金を失くした出版界は事実を報道する力を無くした」的な話を展開。
そこでは新自由主義について『その性質上、一部の成功者が自分たちの資産価値を増大させるために不景気を常態化させてしまう』とある。
あ~なるほど、その「一部の成功者」に科学者をあてはめちゃった訳ね…。
まぁギャラについてはプロのライターとして苦労されたと思うので、こういう捨て鉢な気持ちになっちゃうのは理解できます。
不景気でただでさえ多くはないギャラが下がったのも事実なのだろう。
ホントにね、こういう有能な人こそ報われるべきなんですよ!
ただ、科学記事ってホントに科学の素養のない人が担当してることって昔からザラにあるじゃないですか。
むしろレベルの低かったこの業界を底上げしてきた功労者が故・金子隆一や北村雄一、その周辺の人たちだと思ってたのだが…違うの?
…という訳で、名著なのに急な政治的発言にびっくりして色々書いちゃいましたが、私の溢れるラブも伝わってるといいなぁ…。
あ、別に科学に絡めた政治的発言がダメってんじゃないんですよ?
そんなんドーキンスもグールドもしょっちゅうやってるし、私ももう嫌になるくらいやってます。
ピーター・シンガーの『現実的な左翼に進化する』に至っては「やれ!」って感じだし。
ただ、疑問が湧いちゃう発言だったってだけです。
まぁこういうことはちょこちょこあって、私に人生レベルで影響を与えた『徳の起源―他人をおもいやる遺伝子』(著者はドーキンスのツレでもあるマット・リドレー)は逆に、最後の最後に急に特に根拠も示さずに新自由主義を称揚してきて、たじろいだです。
【オマケ】
本書には懐疑主義者にはお馴染みの「人は見たいものしか見ない」的なフレーズが出てくる。
だがその言葉は著者にもあてはまる気がしてならない。
例えば↓コレは本書に収められたダイダロス号(昔はよく「ディーダラス号」と表記されていた)の遭遇したシーサーペントとその正体の図。

その元の図。

こちらはよく見ると頭の形が微妙に違い、エラのあたりがウナギの様につるりとしているが、北村雄一の改写版ではエラが張って、イカのひれにちょっぴり寄せてるよーな…
この元の図は改写されて何バージョンかある様だが、形はどれもさほど変わらない。
あと↓こちらはオパビニアの復元史(拾い物)。
1:化石そのままな感じ。

2:まぁ普通の生物っぽく復元してみました、って感じ。 目は左右一対で、顔の先端にあるノズルの先端は左右に開く。左右から伸びたものが中央で融合した跡が正中線上に描かれている。

3:目は5つ、ノズルの先端は上下に開くという奇妙な姿に。最も有名な図でもある。復元図を発表したら爆笑で学会が一時中断した、というエピソードがあるのはおそらくこの図。

4・5:ノズル先端が上下開きなのか左右開きか図では判りにくい…が、最近の研究では左右開きらしい。

…で、興味深いのは二枚目だ。
3枚目の有名な図を知っていると、いかにも奇想天外な動物を常識に沿って解釈した、つまらない復元に見える。
だが結果的に、この図はかなり良いところを突いている。
バージェス頁岩動物群にはよくあることだが、研究が進むにつれ、オパビニアも当初思われていたほど奇妙でも孤立してもいないことがわかってきたのである。
あのノズルはどうも左右開きで、左右から伸びて融合しているらしい。
しかもオパビニアにも脚があったという説もある(論争中)。
ちなみに私も昔から、左右に張り出したヒレ・斜め上を向いた3対の尾ビレ・発達した複眼と頭部の触手などがアノマロカリスと共通してるよね~、と思っていた。
あと大型のマンボウにはやけにデコッパチで形の異なるものがいるとも思っていたら、後にそれがマンボウとは別種のウシマンボウに分類されてびっくりした。
素人考えも時には当たるものらしい(ちゃんと研究した訳でも先に発表した訳でもないので無価値だが)。
ともあれ、2枚目は「ノズルは左右融合で先端は左右開き、脚がある」という点で以外にも先進的だったらしい。
もっとも、ノズル融合部分の線は化石からは見つかっていない様だ。
という訳で、2枚目の図にあるあの線は「コレは左右のものが一体化して出来てるに違いない」という思いが生んだ、見えちゃいけない「幻の線」でもある。
願望が見せた、ルネ・ブロンロの「N線」やダレンパティウスの「精子の皮膜を脱いで出てくる小人」みたいなもんか…
一方、こちらは北村雄一による復元図。


…「幻の線」、あるやん!
(上図は『ドラえもんのびっくり古代モンスター』、下図は北村雄一の公式サイトより。それぞれ部分)
あ、復元図をある程度推測で描くのは仕方のないことなので、別に責めるつもりはありません。
ただ「オパビニア、先祖返りしてるやん!」と思っていたく感動しただけなのです…。
あと↑この下図(着彩されてる方)のオパビニアは見慣れないので奇妙に感じますが、よく見ると逆に自然で説得力が…!
流石ですね。
ちなみに海洋堂の食玩『チョコラザウルス』のアノマロカリスは「よく見かける復元図って生物として不自然じゃね? 自然になる様にシャコに寄せたろ!」という造形スタッフの自由過ぎる解釈でアレンジされてるのですが… (色もモロにモンハナシャコだし)

(画像は拾いもの)
…コレ言うほど自然か?
2022年01月11日
前回のエントリで「懐疑主義者にはリベラルが多いかと思ってたら最近はそうでもなかった」という話をしたので、その具体例。
「優れた懐疑主義者でありつつ右派・歴史修正主義寄り」として真っ先に思い浮かぶこの人について。
まず最初に言っておくが、私はこの人の仕事を心の底から尊敬している。
著作も随分読んだが、どれも素晴らしかった。
今回のエントリは批判のために書いた訳ではなく、この複雑怪奇で捉えどころのない人物を何とか捉えようとあがいた過程の、備忘録の様なものだと思っていただきたい。
まずWikipeddiaを見てみよう。
Wikipedia:原田実
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%94%B0%E5%AE%9F_(%E4%BD%9C%E5%AE%B6)
――――――――――――――
略歴
広島市中区出身。修道高等学校を経て[1]、1983年(昭和58年)に龍谷大学文学部仏教学科卒業(文学士)。1984年(昭和59年)から3年半、オカルト系出版社八幡書店に勤務、古史古伝・霊学書籍の広告を担当した。また、伊集院卿のペンネームで雑誌『ムー』に記事を執筆。
その後広島大学研究生を経て、1991年(平成3年) - 1993年(平成5年)に昭和薬科大学文化史研究室にて、古田武彦の下で助手を務める(最初の1年は事務助手(副手))[2]。
1995年(平成7年)パシフィック・ウエスタン大学博士課程修了(Ph.D.)。なお、パシフィック・ウエスタン大学は非認可の学校で判決によって閉鎖された(ディプロマミル)。『ゼンボウ』1996(平成8年)9月号には、史学博士とある。
元「市民の古代研究会」代表(2001年(平成13年)-2002年(平成14年))。と学会およびASIOS[3]の会員でもある。『トンデモ本の逆襲』(1996年刊行)のあとがきには「自分の著作を送ってきた読者」の一人として書名『幻想の津軽王国』と共に紹介されているため、その後の入会と思われがちだが[誰によって?]実際の入会は1994年(平成6年)である。雑誌『ゼンボウ(全貌社刊)』[4]、『正論』[4]、『新潮45』[4]、『季刊邪馬台国』[4]などに寄稿している。また、シャーロキアンでもある[要出典]。
――――――――――――――
その経歴をオカルト・トンデモ寄りの側面からまとめると、
・オカルト系出版社に勤務
・『ムー』に執筆
・古田武彦の助手で「市民の古代研究会」代表
・ディプロマミル出身
となる。
ちなみに古田武彦とはトンデモな偽書『東日流外三郡誌』を擁護していた研究者、「市民の古代研究会」はその影響下にある団体である。
ただし、原田実はその後 袂を分かち、『東日流外三郡誌』を偽書としている。
斉藤光政の名著『戦後最大の偽書事件「東日流外三郡誌」』にも偽書であることを暴くための調査に原田実が加わっていることが克明に描かれているが、原田実自身の偽書を扱った著作ではそのあたりへの言及は少ない。
ディプロマミルというのはお金で学位を買える非認定大学のことで、「学位商法」とも呼ばれる。
日本では「特許大学」という名で学位っぽいものを販売していた企業がそれに近い。
まぁ私も小学生の頃はムー民だったし、高校生の頃は竹内久美子やウィルソン・ブライアン・キィを信じてたので別にどうこう言うつもりはないです。
歴史修正主義寄りの側面では…
•雑誌『ゼンボウ』『正論』『新潮45』に寄稿
•Wikipediaには載っていないが「新しい歴史教科書をつくる会」元会員
Twitterのプロフは↓こんな感じ。
――――――――――――
原田 実@gishigaku
偽史・偽書の研究をしています。 ビリーバー的関心からいわゆる古史古伝と関わり始めたのがきっかけで、それからかれこれ40年以上もたってしまいました。 現在の主なテーマは「江戸しぐさ」
――――――――――――
そしてTwitterには↓こんな発言が。
――――――――――――
原田 実@gishigaku·2012年9月10日
原田実=歴史修正主義者説にも一応根拠はあって以前『正論』『ゼンボウ』によく論考を書いていたことと「南京大虐殺」の証拠とされる資料のいくつかについて内容を批判したことがあげられる
返信
原田 実@gishigaku·2012年9月10日
返信先: @Rin_Subaruさん
1998年1月17日開催の「新しい歴史教科書を作る会シンポジウム」で「古代史ブームの中の新説・異説・珍説」 という報告をしています
http://www8.ocn.ne.jp/~douji/gyouseki.htm
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――――――――――――
原田 実@gishigaku
と学会で「歴史修正主義者」といえば、志水さんと私が元「新しい歴史教科書をつくる会」会員。で、私は日本「南京」学会の会員だったりする。
午前11:43 · 2012年6月29日·Twitter Web Client
3件のリツイート 1件の引用ツイート 3件のいいね
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ワールドワイドウェブ@worldwideweb01·2016年6月10日
返信先: @gishigakuさん
つまり、一定レベルの非があったというところまでは共通認識として語れるって事ですよね。今回噛みついてた方の仰り様と実際の原田さんの見解は結構違う感じがします。
原田 実@gishigaku·2016年6月10日
「南京」は90年代のブームで肯定か否定かの二分論という図式ができてしまった上、それぞれに政治的思惑がからんでいたのでいかなる発言もその枠で解釈されがちなのです。
@worldwideweb01
返信
ワールドワイドウェブ@worldwideweb01·2016年6月10日
返信先: @gishigakuさん
日中共同研究で両国の研究者が一定の非があったところまでは共通見解と出来るところまでは検証なり議論は尽くしていて、日本政府もそこまでは認めざるを得ないところ位までは来ている。あとは、程度問題の認識のギャップだと思うのですが、そこを超越する極論にしたがる人達が…
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原田 実
@gishigaku
返信先:
@gishigaku
さん
「"偽書"としての南京大虐殺」は『新潮45』2003年11月号掲載でした。その他の南京事件関連論考としては、「南京大虐殺・元大本営海軍参謀の偽証」『月刊日本』2002年4月号、「捏造された“何もかも軍隊が悪い”偽史」『新潮45』2006年4月号があります。
@dogu_fm
午後1:19 · 2015年2月15日·Twitter Web Client
――――――――――――
…この『新潮45』2003年11月号掲載「"偽書"としての南京大虐殺」は読んでみたいのだが、残念ながら入手できなかった。
だがネット上には↓こんなログが残っている。
『読まれ方おられますか? - 思考錯誤』
http://pipponan.fc2web.com/oldshiko_07/oldshi_07_13yo.htm
…簡単に言うと、左翼系掲示板に本人が降臨、なんだかんだあったものの、(少なくとも表面的には)双方それなりに礼儀をわきまえた議論をした様だ。
原田実も歴史修正主義寄りとは言っても勿論『まぼろし派』等ではなく、その規模や詳細について異論を唱えているだけの、やや穏健な立場らしい。
なお、そこで原田実が↓こんな発言をしているのが興味深い。
――――――――――――
ちなみに南京問題について山本会長と私の見解は違いますし、さらにいえば会員間でもまず意見の一致は見ないでしょうが、お互いそれで角突き合わせるような大人気ないことはいたしません
――――――――――――
――――――――――――
ちなみに、と学会での南京問題の扱いについては下記日記の11月16日付での言及がかなり実情に近いものと思われます。
http://www.tobunken.com/diary/diary.html
――――――――――――
…その日記というのが↓コレ。
裏モノ日記 2003年11月16日
http://www.tobunken.com/diary/diary20031116000000.html
―――――――――――――
落ち合って、井泉の方へ。見学団長のK川さん(博物館職員)、I矢さん、昨日一緒だったTくんなど、総勢9人。二階の座敷に上がって、生ビールとカニサラダ、串カツで乾杯。コンピューターばなし、と学会ばなしで雑談。『神は沈黙せず』は面白いけれど、また会長の悪いクセで小林よしのりシンパを刺激するようなことを中で書 いているので叩かれるであろう、というような話。某氏曰く
「大体、南京大虐殺完全肯定派っていうのはと学会の中でも会長くらいで、少数派なんですけどねえ」
―――――――――――――
…ところが原田実が得意とする江戸しぐさ批判は、願望と現実を混同した歴史修正主義系トンデモの鮮やかな例として取り上げられ、しばしば南京事件と並置されるのだ。
例えば↓コレ。
『文教大学オープンユニバーシティー教養講座 あやしい「科学」の見分け方 その2』
http://221.186.87.228/~masa/lecture/2016/slide161122.pdf
↑上記は長島雅裕(文教大学教育学部)による講座用のスライドPDF。
なかなかに良く出来ている。
『歴史修正主義~「江戸しぐさ」から南京事件まで~』という章があり、『おすすめの本』には原田実の江戸しぐさ本2冊が挙げられている。
原田実の著作には触れられていないが、↓ココも江戸しぐさと南京事件を並置して歴史修正主義を批判している。
「江戸しぐさ」と歴史修正主義|神戸金左衛門
https://note.com/kanbe67/n/n5a020104dc56
江戸しぐさ批判の功労者である原田実が、南京事件については歴史修正主義寄りであることはなかなかに微妙…
ところが原田実は江戸しぐさ系著書では当時の安倍政権界隈が教育に及ぼす影響について何度も警鐘を鳴らしている。
特に『オカルト化する日本の教育 ─江戸しぐさと親学にひそむナショナリズム』はそのあたりを主軸に据えており、タイトルの時点でナショナリズム批判っぽい。
しかし原田実は自分の過去を隠そうとしたりはしないが、現在のスタンスについてあまり語ることもしない。
その立ち位置は何とも微妙で、上手く捉えることが難しい。
あまり党派性に捉われない人にも見えるが、その割に『つくる会』とはいくら何でも振り切れすぎやろ…。
2022年01月10日
小学校の国語教科書にデマを見抜く「4つのスイッチ」という話が載っているらしい。
その教科書は全国の約6割の小学校で使われているという。
ソースは↓ココ。
【NHK WEB特集】
『デマやうわさを見抜く4つのスイッチ 大人も必要な小学校の授業』
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210324/k10012932061000.html
上記記事によれば、
●「まだわからないよね」
●「事実かな 印象かな」
●「他の見方もないかな」
●「何が隠れているかな」
…という4つのスイッチを使うことでデマを見抜けるのだという。
では早速、この4つを使ってアメリカ大統領選のデマを見抜いていこう。
「メディアはバイデン候補の勝利を報道している」
↓
●「勝ったのはバイデンか、まだわからないよね」
●「バイデンが勝ったというのは、確定した事実かな? メディアがばら撒いてるただの印象かな?」
●「勝ったのはトランプだ、といった他の見方もないかな?」
●「この話の裏には、何が隠れているかな? マスゴミ? ディープステート? 中国? 銀河連邦?」
…「4つのスイッチ」を使ってQアノンさん・Jアノンさんになることも可能やんけ!
実際にデマに騙されない様にすることは難しい。
デマをばら撒く人も、それを批判する人も、同じくメディアやネットから情報を得て、大抵は「自分こそが正しい」と思ってやっている。
しかも両者の動機付けは「自分は多くの人が知らない真実を知っている」という、全く同じ快楽なのだ。
「メディアリテラシーを身に着け、情報を鵜呑みにせず、事実に基づいて自分の頭で考える」なんてことはネトウヨさんだって言うし、おそらくは心の底から信じている。
実践はできていないが。
例えばデマに騙されっぱなしのネトウヨさん丸出し芸人のほんこんさんは↓ココでこんなことを言っている。
【NewsCrunch】
『ほんこん氏が教えるフェイクに騙されないツイッターの使い方』
https://wanibooks-newscrunch.com/articles/-/1191
―――――――――――――
――ツイッターで発信するうえでは、どんなことに気をつけていますか?
ほんこん 計算に基づいた数字的な根拠を出してツイートすること。文系だと感情論でツイートする方も多いけど、ツイッターは理系のやり方でやった方がいいと思います。そしてフェイクに騙されない。これが一番大事やね。
―――――――――――――
かつてはトンデモと事実の区別は簡単だった。
だがトンデモさんサイドもネットでそれなりに勉強したのか、付け焼刃ながら批判者サイドと同じ武器を手にする様になり、状況は変わった。
例えばかつては懐疑主義者、つまりはトンデモバスターの専売特許だった「悪魔の証明」を、トンデモさんサイドがアポロ計画陰謀論などに持ち出す様になった。
ネトウヨさんも例外ではない。
彼らは南京事件やもりかけ問題でしきりに「悪魔の証明ガ―!」と叫ぶ様になった。
政治的トンデモさんであるネトウヨさんがトンデモバスターの伝家の宝刀を手に入れたのだ。
その結果、事実に基づく側もトンデモ側も少なくとも表面的には『「悪魔の証明」という思考ツールを尊重する知的な人』に見える様になった。
実際はトンデモさんサイドの使い方は問題だらけだったが。
現在ではネトウヨさんの主張は表面的にはリベラルの主張を逆手に取ったものが増えている。
リベラル「ネトウヨさんさぁ、弱者であるマイノリティーを差別するのはあかんやろ?」
ネトウヨさん「全くその通り。在日に支配されてる弱者でありマイノリティ―である我々日本人への差別を許すな!」
リベラル「ネトウヨさんさぁ、民族差別は許されへんでしょ?」
ネトウヨさん「全くその通り。中共によるウイグル族弾圧を許すな!」
リベラル「ネトウヨさんさぁ、権力は監視され批判されねばならないんじゃないの?」
ネトウヨさん「全くその通り。マスゴミという第四の権力を監視・批判せねば!」
リベラル「ネトウヨさんさぁ、フェイクニュースを安易に信じずに疑ってみるべきなんじゃないの?」
ネトウヨさん「全くその通り。マスゴミはフェイクニュースを撒き散らしている!」
…という、「ああ言えばこう言う」状態…。
また、かつては懐疑主義者はおおむねリベラルだったが、その後 懐疑主義者の中にも歴史修正主義的だったりネトウヨさんと親和性が高い人物が散見される様になり、事態は簡単ではなくなった。
懐疑主義者といえどもイデオロギーが絡むと冷静ではいられなくなるらしい。
こうしてかつては簡単だったトンデモと事実の区別はつきにくくなり、混迷の時代となった。
それに乗じて「何が事実かは人によって違うのだから、それぞれの判断で語れば良い」的な詭弁を持ち出し、両論併記に持ち込もうとするネトウヨさんを見かけたりもした。
そうした混乱の中、「これは懐疑主義の敗北ではないのか?」と思えることが二つあった。
ひとつは日本最強の懐疑主義団体ASIOSの書籍でロズウェル事件について「その後さまざまな証言が続いた結果、今ではこの事件について解釈次第でどうとでも言える状態になっている」的な記述があったこと。
もうひとつは、NHK『ダークサイドミステリー』の「ケネディ暗殺陰謀論の正体に迫る」で、結局は水掛け論でどっちが正しいかは分からないし陰謀論は消えることなく続くだろう、的な結論になっていたこと。
これは今にして思えばどちらも「陰謀論は常に生み出され、山盛り迫ってくるからキリがないよね」的なぼやきでしかないのかもしれないが、いつもは歯切れの良い人達が急にトーンダウンした様に見えたので当時の私はやや面喰った。
ちなみに『ダークサイドミステリー』はそもそも番組のいきさつがややこしい。
先に懐疑主義番組『幻解!超常ファイル ダークサイド・ミステリー』があり、そこからスピンオフ的に『ダークサイドミステリー』が生まれた。
その際、サブタイトルを抜き出してメインタイトルに据えている。
今では後者がレギュラー番組、前者は散発的な特番…しかも『ダークサイドミステリー』の方は主に歴史上の謎や奇談を扱っており、明快な謎解きはない場合もある。
番組の構成は共通で、ナレーションは中田譲治、MCの栗山千明は白っぽい衣装の「光のナビゲーター」(通称「白栗さん」)と、黒っぽい衣装の「闇のナビゲーター」(通称「黒栗さん」)の二役を演じるのだが…
前者ではオカルト信者の黒栗さんはいつも「幽霊なんて存在しないって…? これを見てもまだ否定できるのかしら?」みたいな発言をし、白栗さんがそれに対して懐疑主義的な発言を行う。
つまり黒栗さんは常に間違っているのだ。
ところが後者では黒栗さんは人類に警告をしたり、ヒトの心の闇を指摘したりと、(基本的にやってることは前者と同じなのだが)ちゃんと正しいことを言うのでややこしい。
まぁ世界は複雑で真贋つけがたく、片方を簡単に倒せる藁人形に仕立てて勧善懲悪的な単純な構図に落とし込める様なものではないのは確かだが…
そういった一見ものわかりの良い態度でトンデモ物件に無批判な社会に警鐘を鳴らし、懐疑主義をわかりやすく提示することがこの番組のスタンスだったのでは…。
もっとも、これはどちらも大事なことであり、「どちらに軸足を置くのか」だけの問題なのかもしれない。
例えば「トンデモに左右はない」ので、トンチキな発言をする人は保守にもリベラルにも必ずいる。
だが一方で、「保守派は陰謀論等に弱い」「トンデモさんが厚い層を成すほどいてSNS上で優勢なのは保守側である」という実態がある。
その背景として「保守の考え方はヒューリスティック(良く言えば節約的、悪く言えば手抜き)だから」という理由もある。
そのため、陰謀論等を扱った書籍には「保守派の方が陰謀論等に弱い」とある場合が多いが、著者が「誰もが陰謀論にハマりえる」という話に軸足を置きたい場合は「トンデモに左右はない」ことを強調することになる。
だがこれは強調部分の違いに過ぎず、特に矛盾はしていないのだ。
混迷の時代ではあるが、それでも懐疑主義とトンデモを分かつ明瞭な線はちゃんとある。
事実とデマを区別する方法は沢山あるが、私が4つだけ「区別するスイッチ」を挙げるなら以下の4つだ。
・「『反証可能性』があるか」
・「『ヒュームの法則』に反してないか(『自然主義的誤謬』に陥ってないか)」
・「『悪魔の証明』になっていないか」
・「『オッカムの剃刀』に抵触していないか」
子供向きに解りやすく言い換えるとこうだ。
・「否定する方法が原理的にない主張は相手にしなくて良い」
・「事実から価値観は引き出せない。ふたつをごっちゃにしてない?」
・「『ないこと』の証明は難しいので、『ある』と言い出した人が証明すること」
・「無駄に複雑な説明は必要ない。単純な説明ほど正しい」
もっとも、『悪魔の証明』は先述の通り誤用されやすい代物だ。
『オッカムの剃刀』は経験則に過ぎず根拠にはなり得ない…が、良き指標にはなる。
我々はより一層、デマの区別に慎重にならねばならない。
慎重と言えば…
車を運転する人なら誰もが教習所で習ったであろう、
「『だろう運転』ではなく『かもしれない運転』を心がけましょう」
というやつ。
「どうせ何も起きない『だろう』」ではなく「誰かが飛び出してくる『かもしれない』」
と考える、という慎重な運転だが…
実はコレさえも逆方向に解釈が可能だ。
「誰かが飛び出してくる『だろう』」だって『だろう運転』とも言えるし、「何も起きない『かもしれない』」だって『かもしれない運転』だと言えなくはないからだ。
※『悪魔の証明』については以下を参照。
2022年1月9日のエントリ
『悪魔の証明』
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/10210701.html
【付記】
これを書いている間に『ダークサイドミステリー』に「超能力の謎を解明せよ!~千里眼事件の光と闇~」という回があった。
そこでまたしても微妙な発言が…
発言者は以下の2名。
◉「世界的発見からニセ科学まで科学研究の歴史が専門」だという井山弘幸(新潟大学フェロー)
◉「心霊・怪異現象を扱った近代文学を研究
千里眼事件に詳しい」という一柳廣孝(横浜国立大学教育学部教授)
念写実験に対するトリック疑惑について井山は
「詐欺とかフェイクの証拠も厳密じゃない。検証をちゃんとしてないですよ。最初から疑うことを決めてかかってる感じ」
↓
え、詐欺やフェイクの付け入る隙がある時点でダメじゃん…
そういう科学論文は普通にリジェクトされるっしょ。
いくら強く疑ってもどうしても否定できない、そういうものだけが信用するに値するんじゃないの?
それこそが懐疑主義精神ってモンでしょ…
一柳
「科学の検証システムに乗っかって考えるんだったら、千里眼の存在は未だに実証されてないと思います。ただ、だからない、とも言えない」
↓
…「ないこと」は証明しにくいので「ある」と主張する側に挙証責任があるが、「千里眼あるよ派」はそれに成功してないよね?
井山
(反証主義を持ち出し)
「いつまでも否定できないことは科学じゃないことの証拠。だが反証されない方が魅力が残る」
↓
これはつまり「千里眼は科学ではない」と言っているのだが…
反証主義というのは「『原理的に』反証する方法のないもの」なんてのは要するに何でもアリなんだから科学じゃありませんよー、ってコトでしょ。
要するに『全知全能の神』とか『世界5分前仮説』とか、そういうのは相手にしませんよー、という…
千里眼は原理的には反証可能だけど、実際の問題として反証に耐えられなかっただけでは…
そもそも反証主義では例えば『地球球体説』の様に「いつまでも否定できない」仮説こそが良い仮説でしょうに。
一柳
「『科学的に証明できない』とは『科学システムでは意味付けできない』を意味するだけで、『ない』とは言えない筈。いつの間にか私たちは『科学的には証明できない』と聞くと『ない・デタラメ』と思うようになっている。それは多分千里眼事件が大きな役割を果たしてないか」
↓
例えば「人生には価値があるのか」といった価値観に属する事柄(価値命題)ならば『科学システムでは意味付けできない』と言えるが、「千里眼があるのかないのか、本当なのかデタラメなのか」は完全に事実命題であり、科学の範疇でしょ…。
あと黒栗さんが千里眼を擁護するでもなく、騒動のドタバタっぷりを冷笑してたという…。
【資料】
今回のネタ元である
【NHK WEB特集】
『デマやうわさを見抜く4つのスイッチ 大人も必要な小学校の授業』
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210324/k10012932061000.html
をリンク切れに備えて全文保存しておく。
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デマやうわさを見抜く4つのスイッチ 大人も必要な小学校の授業
2021年3月24日 15時46分
「デマは、事実が中に紛れているので、本物っぽいというか、よけいに不安になります」
近所の中学校で新型コロナのクラスターが発生したというデマを信じかけた母親は、こう語りました。
SNSの使い方やメディアリテラシー教育を受けてこなかった時代に育った今の大人たちは、デマを見抜く方法を身につけていないと専門家は指摘します。
そこで「4つのスイッチ」。多くの小学生が習うというデマやうわさを見抜くための授業を体験してみませんか。
(報道局 映像センター 清水希理・小林可奈)
情報を見極められない大人たち
「○○中学でクラスター出た」
兵庫県に住む40代の女性は去年12月、ママ友どうしのグループLINEでこの情報を受け取りました。
複数人同時に休んだらしいし、学校名も具体的だし、それに知り合いが話しているので「事実に違いない!」と思ったと言います。
母親が受け取ったLINE
母親
「コロナの第1波のときは感染者がそこまで多くなかったので、やつぎばやに話が膨らんでこないんですけど、第3波になると感染者数が多くなっているので、話が膨らんでくるんです。でも真実が含まれているから、どこまでが本当でどこまでがうそでどこまでが推測なのか、身近な情報も混ざってくると心配さが増しました」
コロナ禍になり、人づてやSNSでデマに接する機会も増えたという人も多いのではないかと思います。
デマを見抜く力が一層求められている一方で、メディアリテラシー教育を受けてこなかった時代に育った私たち大人は、その力が身についているでしょうか。
白鴎大学特任教授 下村健一さん
メディアリテラシーに詳しい白鴎大学特任教授の下村健一さんは、大人こそ子どもと一緒に学ぶ必要があると指摘します。
下村健一さん
「情報を見極めるメディアリテラシーは、父親・母親の世代は学校で教わっていないんですね。だから理科や算数、国語みたいに親が子どもに教えるという構造が成立しません。では、どうすればいいのか?子どもと一緒に学ぶことです」
小学校で使われる4つのスイッチ
そして、下村さんが提唱しているのが「4つのスイッチ」を身につけること。「まだわからないよね」「事実かな 印象かな」「他の見方もないかな」「何が隠れているかな」という情報を見極める4つの方法です。
これ、実は全国の約6割の小学校で使われる、国語の教科書に載っている内容なんです。
その「4つのスイッチ」を、埼玉県の小学校で子どもたちが実際に使う姿を見られると聞き、取材に行ってきました。
訪ねたのは、杉戸町立西小学校の5年生のクラスです。
杉戸町立西小学校 上山諒教諭
担任の上山諒教諭です。
子どもたちに実際の生活の中で“4つのスイッチ”を使えるようになってほしいと、およそ2か月にわたって授業を重ねてきました。
この日は、これまでの授業の集大成。ニュースや新聞記事に書かれるような情報を例示して、子どもたちの見極める力を試しました。
【授業で使った例文】
「再度の緊急事態宣言を出し、二度目の一斉休校をするのではないか」
「コロナ疲れのためか、旅行に行く人で空港はごった返した。どの家族も楽しそうに、わくわくした表情で足早になって歩いていた」
授業では、この文章に含まれる事実とあやふやな情報を仕分けます。この時使うのが、これまで学んできた「4つのスイッチ」です。
先生「皆さん、頭にスイッチ入れてくださいね!」
4つのスイッチを使う子どもたち
はじめの例文で、子どもたちが注目したのは「二度目の一斉休校をするのではないか」という部分です。
Aさん:まだ二度目の一斉休校をするか分からない
Bさん:Aさんと同じで、ぼくも。二度目の一斉休校にならないかもしれない。まだわからないよねスイッチ
情報をすぐにうのみにせず、「まだわからないよね」といったん立ち止まって考える。これが4つのスイッチの1つ目、最も大事なスイッチです。その場で正しい、正しくないと決めつけない、結論を急がないということなんだそうです。
さらに、こんな意見も出てきました。
Cさん:政府が言ったわけじゃないから、休校は確実じゃない
Dさん:政府に限らず、まだ誰も言ってない
子どもたちは、この情報を言ったのは誰なのか?と情報源を考えていました。そして、情報源が示されていないことから、これは不確かな情報なのではないかと考えたようです。
続いて、取り組んだのはこちらの例文です。
上山教諭が用意した例文
コロナ疲れのためか、旅行で空港はごった返した。
どの家族も楽しそうに、わくわくした表情で足早になって歩いていた。
まずはスイッチを使わずに読んでみます。
先生:どう感じた?
Bさん:楽しみという感じ
Cさん:危機感が薄いように思った
では、次に4つのスイッチの2つ目「事実かな 印象かな」スイッチを使って読むと、どうなるでしょうか。
Bさん:「コロナ疲れのためか」とか「わくわくした」の部分は事実ではなく、記者の印象?
このスイッチを入れると、印象が混じったことばを取り除くことができます。
スイッチを使って読むと…
残ったのは「旅行に行く人が空港にいた」「どの家族も歩いていた」というシンプルな情報。
スイッチを使わずに読んだときの「楽しみという感じ」「危機感が薄いように思った」という感想は、印象が混じったことばに左右された感想だったことに気付かされます。
そして、3つ目のスイッチを使うと、この情報はさらに違って見えます。「他の見方もないかな」スイッチです。
Cさん:旅行じゃない人もいるかも
Dさん:家に帰れなくて空港にいるのかも
見方を変えることで、旅行ではない理由で空港にいるのかもしれないと考えていました。確かに、旅行に行く人だという根拠は情報のどこにも書かれていません。根拠がないことから、思い込みの混じった不確かな情報かもしれないと考えたようです。
さらに、同じ部分を「何が隠れているかな」スイッチを使って考えた子どもも。
Eさん:出かけていない人もいる
Dさん:あーそれもあるか!
「何が隠れているかな」と情報が伝えていない部分について想像し、そもそも出かけていない人もいるのではないかと考えていました。
子どもたちはさらに想像を広げます。「ずっと自粛している人もいる」「外出しているけど空港じゃないところにいる人もいる」と、隠れていた部分に次々と光を当て、見える景色を広げていました。
授業を受けた子ども
「『まだわからないよね』スイッチが上手に使えました。『事実かな 印象かな』スイッチは使い方が難しかったです」
「4つのスイッチの使い方が分かって、使い分けられるようになりました。ふだんの生活でもぜひ使ってみたいです」
杉戸町立西小学校 上山諒教諭
「実生活の部分で必ず使えるのかというとまだ分からないかもしれないですが、少なくとも何か考えるきっかけになったと思うので、これ本当かなってつぶやくこと、考えることができるようになっているとうれしいです」
親はどう学ぶ
さらに、この授業を行った杉戸町立西小学校の保護者にアンケートをすると、同じ悩みを抱えていることもわかりました。
「SNSの使用に心配なことがある」
「親の私もよくわからない」
長島さん親子
小学3年生から中学3年生の4人の子どもを育てる長島尚子さんです。
長島尚子さん
「一方的な物の見方にならないように家族で共有することが大事だと思います。しかし、SNSなどで自分が詳しくないツールも中にはあるので今後対応できるのか不安はあります」
自宅に取材に訪れた日も、小学5年生の眞智さんと尚子さんが、テレビやインターネットで見聞きした情報について親子で話をしていました。
尚子さん「昨年の春ごろにトイレットペーパーが不足したことは知ってる?」
眞智さん「ニュースで聞いたことある」
尚子さん「SNSとかでトイレットペーパーがなくなるって騒ぎになって、みんなが買いに行っちゃったんだよね」
このあと眞智さんは尚子さんに、そろそろ携帯電話がほしいと話します。
眞智さん「(携帯電話)持ってないけどほしい」
尚子さん「今のとこ、必要性とかないもんね。でもLINEとかはやりたいでしょ」
眞智さん「うん。ツイッターとかSNSは周りでやってる人いないから、あんまりよくわかんない」
こんな会話が繰り返されるたびに、尚子さんは、眞智さんが携帯電話に流れてくるデマやうわさに惑わされないだろうか、心配になると言います。
長島尚子さん
「大きくなるにつれて、(携帯電話を)持たせてあげたいなとは思うけど、不安はやっぱりありますよね。大人も、情報の扱い方というのを考えながら、勉強しながら、一緒に成長していくのは大事だなとは思っています。子どもはきたものをすべて受け取ってしまうと思うので、その中でやっぱり正しい選択をしてほしいなと思うし、迷ったときは親に相談してほしいし、最後のとりでになりたいなと思いますね」
情報が次々と押し寄せる現代に暮らす私たち。
インターネットやスマートフォンといった現代のツールとの向き合い方について、4つのスイッチの提唱者、白鴎大学特任教授の下村さんは、親と子が一緒に学ぶことが大切だと指摘します。
下村健一さん
「包丁が危ないから使うなとは言わないですよね。子どもと会話をしながら、一緒に学んでいくことはとても大切です。教える側と教わる側に分かれるんじゃなくって、親子で一緒にテレビやスマホの画面を見ながら、『まだわからないよね』とか『他の見方もないかな』とか親がつぶやいてみせる。その姿をぜひお子さんに見せてあげてください。保護者の皆さんもこの情報が合ってるのかなというのを真剣にチェックする。その様子を横で子どもたちが見ていればこうやって受け取るんだってわかってくる。それが大事なんじゃないでしょうか」
情報を吟味することを、幼いうちから親が一緒になって教えること。
こうした意見に対しては、ひねくれた子どもを育ててしまうのではないかという指摘もありますが、専門家は「決してそうはならない」と言います。メディアリテラシーで育むのは、うがった見方ではなく、多様な見方なんだそうです。
私には保育園に通う子どもがいますが、この子はすでにスマートフォンに向かって「ぐるぐる検索して!」と話しかけています。
一緒に料理をしながら包丁の使い方を学ぶように、情報との向き合い方を、私も子どもと一緒になって学んでいかなければいけないと思いました。
報道局 映像センター
清水希理
2013年入局 初任地は静岡局
一児の母 休日は子どもと電車を見に出かけます
報道局 映像センター
小林可奈
2008年入局 初任地は岡山局
二児の母 休日は子どもと公園で虫取りに
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