2022年11月08日


ワインボトルの様な、おおむね円筒形の瓶に水が満たされているとする。
特殊な器具を使わず、最も早く瓶を空にする方法をご存じだろうか。

瓶をただ逆さにしても水は出るが、大きな空気の泡がボコンボコンと断続的に入り、これが抵抗となって意外に時間がかかる。
これを例えば上下に振っても状況は殆ど変わらない。

正解は「瓶を回転させる様に揺すって渦を作る」である。
こうすることで排水しながら同時に空気が入る細い通路が確保され、スムーズに水が出ていく。


この渦は生命に似ている。
渦を作る水はどんどん入れ替わるが、「渦」そのものは維持される。
生物も新陳代謝によってその体を構成する物質はどんどん入れ替わるが、生命は維持される。

生命とは物質や存在ではなく、現象やパターンなのだ。
だが水なしには瓶の中に渦が出来ない様に、生命現象も物質を基盤にしている。




熱いコーヒーが入ったカップは、いずれ冷める。
これは熱エネルギーがカップに集中した「秩序」立った状態から、部屋全体に熱が拡散し、全てが同じ温度になるという「混沌」へと向かうからだ。
この世界は秩序から混沌へと向かう。
その流れは基本的には一方向で、逆はない。
これが「熱力学第二法則」、またの名を「エントロピー増大則」だ。

「エントロピー」とはものごとの乱雑さのこと。
つまり「秩序から混沌へと向かう」ということは「エントロピーは増大し続ける」ということと同じだ。
この宇宙全体もいずれはエントロピーが極大化し、全てのエネルギーが均等に分布した「熱的死」を迎えるだろう(他に勘案すべき要素がなければ。様々な理由でそうはならないという説もあるがここではさて置く)。
つまりいずれは宇宙はぼんやり&のっぺりしたものとなり、星や生命といった、複雑で見応えのあるものは消え去る。


「渦」という複雑なパターンは、一種の「秩序」だ。
それが出現するということは、混沌の中に秩序が生まれた、ということだ。

これは一見すると熱力学第二法則に反している様に思える。
だがそうではない。
渦が存在するおかげで水はより素早く流れ、高いところから低いところへと移動する。
これは位置エネルギーが高い状態から低い状態になったということであり、全体として見れば秩序から混沌への流れが加速しているのだ。
そして水が流れ切ると、もうそれ以上混沌へ向かうべきものはないので渦も消える。

生命も同じだ。
それは混沌の中に生じた秩序だ。
だが飼育ケースでネズミを飼えば、餌を熱エネルギーに変えてばら撒き、糞をし体毛を散らかしてケース全体としてはネズミがいないよりも急速にエントロピーを増大させている。

そもそも生物や渦は開放系、つまり外部と物質やエネルギーのやりとりがあるため、断熱系でのみ成り立つエントロピー増大則は適用できない。
だから飼育ケースや瓶と言った形で周囲の環境も含めて閉じ込めた断熱系で考える必要があるのだ。


ちなみに天文学者のフレッド・ホイルは、最も単純な単細胞生物がランダムな過程で発生する確率は「がらくた置き場の上を竜巻が通過し、その中の物質からボーイング747が組み立てられる」のと同じくらいだ、と述べた。
そんなことが起きる筈がない、と。

このアナロジーは進化論を否定しているので、聖書根本原理主義者がしきりに引用する。
それに対する反論はいろいろあるが、私のお気に入りは「竜巻自体が、自然に起きる秩序の例である」というものだ。【※註1】


この様な、エネルギーの流れを利用して自己組織化し、流れがある間だけ維持される束の間の構造を「散逸構造」と呼ぶ。

そして渦も生命も、それらがない時よりも効率的にエントロピーを増大させる。
それらは混沌へ向かうショートカットなのだ。



我々は混沌の中から現れ、混沌に還ることに抗う秩序であるが、存在することによってむしろ混沌を加速させるからこそ熱力学第二法則というこの世を統べる混沌の神にその存在を許容されているのだ。
そしていずれは混沌へと還る、束の間の存在でもある。


この宇宙でユニークなことが起きる時間はおそらく有限だろう。
それはやがては尽きる水の入った瓶であり、生命とはその水がつくる渦に過ぎない。
渦は水によって成り立つが水そのものではなく、水が作るパターンであり、渦を構成する水は絶えず入れ替わる。
渦ができることによって排水は加速されるが、水が尽きれば渦も消える。


シチュエーション・コメディ『ビッグバン★セオリーギークなボクらの恋愛法則』において、調子を尋ねられたエイミーはこう言う。
「いつも通りよ。皆と一緒でエントロピーが増大し、やがて死ぬ」


水は低きに流れ、川はより低い土地へと向かう。
もし既存のルートよりも効率的なショートカットがあれば川はルートを変える(そして古いルートは三日月湖として残ったりする)。

だがより効率的なショートカットであればいつでも勝手に作れる訳ではない。
我々がエントロピー増大に役に立つからと言って、すぐに存在できる様になる訳でもない。
3本目の腕が生えていれば便利かもしれないが、そう願えば即座に生えてくる訳ではないのと同じだ。
瓶の渦だって、ただ瓶をひっくり返せばすぐに生まれるものではない。
ショートカットを利用するには厳しい条件があり、それが守られる範囲でのみ利用可能なのだ。

瓶の渦であれば外部からのエネルギーが、生命においては適切な情報を持ち適切な環境に置かれることが必要だろう。
外部のエネルギーや物質を利用し、様々な法則に反しない形でより生存に有利なショートカットを見つけ続け、ここまで来るのに30億年かかっている。
そしてその間に我々はあまりにも高度に進化したため、我々の様な複雑な存在が渦の仲間だとは信じがたい、というレベルにまで発展した。

だがその原理は単純だ。

最初は誰も「生き残りたい」「存続したい」とすら思わなかった。

硬い岩は脆い岩に比べて長く存在する。
岩は別に「存続したい」などとは思わない。
岩は思考しないからだ。
だがそれでも硬い岩はそうでない岩よりも残りやすい。
脆い岩は崩れさり、辺りには硬い岩だけが残るだろう。
崩れ去った岩も消滅を特段悲しみもしなかった。

それと同じことが海中の分子にも起こる。
不安定な分子は消え、安定的な分子は存続しやすい。
それが何億年か続くうち、安定的な分子の中に、「渦」の様な、エントロピー増大則に反しない範囲で自然の織り成す、ちょっとした秩序を利用して、より複雑になるものが現れる。
それは例えば海岸の潮だまりで海水が蒸発・濃縮されることによって生じる生命のスープの様なものでも良い。
そんな分子の中にたまたま自己複製能力の片鱗を持つものがいたとしよう。
それは例えば泥の中のある種の結晶で、層状に積み重なって成長するのでおおむね上の層が下の層の形を型取る、といったものでも構わない。

原初的なものであっても、自己複製する分子が生まれれば後は簡単だ。
分子は岩と同様に意思を持たないが、それでも自己複製の速度や精度が高いものがあればそれらは優先的にコピーされていく。

やがてそれらはおよそ存続と自己複製に役立つ性質なら何でも備える様になる。
膜を作って自らを保護したり、動き回ったり、ライバルを襲ってその構成物質を奪ったり、他個体とコミュニケーションを取ったり、共同して大きな体を作ったり、より複雑な行動が取れる様に神経系を作ったり…。
そして神経系の発明はさらなるステージへ生命を押し上げる。

遺伝子が及ぼす影響はゆっくりなので、彼らはより素早く反応できる担体(エージェント)を用意した。
遺伝的プログラムに依らない柔軟で可塑性のある行動、間違いを繰り返さない学習能力、トライアル&エラーを脳内だけで済ますシミュレーション能力、他者の心を推しはかる能力…脳は個体の生存と複製のために行動を司る。

やがて複雑化した脳は、脳自身を上手く働かせるための仮想的な機能として、一種の幻想を生み出した。
それが我々―この体に宿る(かのように思える)意識だ。
我々は快楽という心理的な報酬を求め、苦痛を回避する。
それは大抵の場合、個体の生存と複製につながる。

我々はまがりくねった歴史の果てに登場した、かりそめの存在だ。
何の意味も目的もなく、ただたまたま存続しやすい性質を備えていたから存続するだけの物質。
そこから生まれた、果てしなく無目的な複製を続けるだけの自己複製子。
その自己複製子が次の世代までの間に使う乗り捨てのタクシーの様な乗り物、生物。
生物をより上手く生存・繁殖できる様にコントロールするための器官、脳。
その中を走る、おそらくは複雑な脳の働きをサポートするためのプログラムが「私」なのだ。

存続のための存続。
手段のための手段。
その連鎖の中から生まれた、おそろしく複雑な渦の様な現象、それが「私」。

この認識は虚無的に思えるかもしれないがそうでもない。
我々の究極的な存在理由が何もなかったとしても、そんな因果の最果ての理由が何になる?
そんなもん「父の弟の従妹の知り合いの近所の人の知り合い」くらいの距離感ですよ。
自分の人生の意義くらい自分で決められる。
我々はそれが出来る程度には複雑なのだから。
目的がないなら「目的を探すこと」を目的にすればいいじゃない。
(「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」くらいのノリで)【※註2】

というか、私的にはこうして自身の存在の究極要因を知れた時点で今この瞬間に死んでも『我が生涯に一片の悔いなし』ですよ!
来し方行く末という人類の気になる疑問ナンバーワンが解ったんだから『朝に道を聞かば夕に死すも可なり』ですよ!

そして生物は必ず死ぬ。
生物が生きているのは祖先が生き残るのが上手で、その性質を受け継いだからだ。
だがその性質というのは「何があっても生き残れる」とか「永遠に生き続ける」といったものではなく、「とりあえず複製するまでの間、運が良ければ死なずに済む」という程度のものでしかない。
だから生物は長く生きる様には作られていない。
死ぬまでに繁殖さえしてしまえば自己複製子は生き残るため、生物の個体は長生きする必要がないのだ。
だから個体は必ず死ぬ。
個体の行動を決める脳も、脳の生み出す意識も、個体と運命を共にする。
我々が何故存在するのかを考えれば、我々がうたかたの存在であることは否定し難い。
どれほど否定したくとも。


『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし』(方丈記)



…という様なことを、瓶を洗う度に考えている(考えんなよ…)。
これが現在の私の生命観なのだが(物理系の話はあまり得意でないので間違いがあったらごめん)、こんなポピュラリティーのない話、人にはしにくいよなぁ…

…と思ってたら、「生きものは水の中の渦と同じで、秩序をなくすための秩序」「生きているのは宇宙の秩序がなくなるのを助けるため」とか書いてある絵本を発見して驚愕。
児童書ですよ…!?

池谷裕二『いきているのはなぜだろう』がソレ。

まぁこの本、ラストで「生きているのは宇宙の秩序がなくなるのを助けるため」からの『そう。だから生きなくては』という結論が唐突でちょっと引きましたが…。
それって『だから』で結びつけられる話なんですかね…?
最後に急に「生きねば」って原作版ナウシカかよ。【※註3】

とはいえ、「おそろしく虚無っぽい話から突然、前向きに」という芸風は呆れるほど人様のことは言えないのでこの辺で。


なお、タイトルを『ペットボトルをふりふりしながら生の意味を考えてみる』としたが、1.5ℓペットボトルで水の排出速度を実測してみたところ…

◉そのまま流れるに任せる ・・・ 約20

◉上下に振る ・・・ 約20

◉揺すって渦を作る ・・・ 約1012


…やはり渦を作ると速い。

しかしペットボトルの場合は、


◉容器を握りつぶして押し出す ・・・  約5 


が一番速いのだった。








【※註1:フレッド・ホイル】
ホイルについては以下のエントリを参照。

http://wsogmm.livedoor.blog/archives/9352753.html


【※註2:「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」】

この言葉は実際にはマリーアントワネットではなく別の貴婦人の言葉だとか、いや元ネタは中国の「米がなければ肉を食べればいいじゃない」だとか、お菓子ではなくブリオシュだとか、ブリオシュはパンより安価だったからそれほど非常識ではないとか、いややはりブリオシュの方が高価だったとか、諸説ありすぎ。


【※註3:最後に急に「生きねば」って原作版ナウシカかよ】

ちなみに『もののけ姫』の『生きねば…』というコピーも原作版ナウシカのラストから採られたもの。





(00:39)

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