2022年09月26日


都市伝説が好きだ。

人面犬だの、口裂け女だのといった個別の物語そのものは他愛もないものばかりでツッコミどころ満載である。
しかし、誰も物語の改変をはっきりとは意図していないにも関わらず、【註1】人から人へと伝播していくに従ってより洗練されていくという、都市伝説が成立する過程には驚異を覚える。

今の様にネットが発達する以前、都市伝説は主に子供たちの口伝えで広がっていくものだった。
テレビや雑誌などのメディアが取り上げないにも関わらず、それは水面下で静かに、しかし速やかに浸透していく。
大人の知らない間に。
だがそこには目的を持って意図的に組織された有機的なネットワークがあるわけではない。
あるのは局所的な人間関係の膨大な連なりだけなのだ。

盲目的でありながら、「小さなコピーミス」と「より怖いバージョンの選択」を繰り返すことで多種多様な物語を生み出す様子は生物の進化にも似ている。
そう、都市伝説はより恐怖を与える魅力的な物語になることでより多くの人に語られ、「人々の脳に自らのコピーを刻み込む」という機能を獲得したミーム(文化的な自己複製子)なのだ。

そしてその様々な物語が実はいくつかの類型的なパターンに集約されていくという、「多様性と普遍性」は神話や説話の構造の様でもある。

私は個々の話よりむしろこの構造や方向性を持たない貪欲なエネルギーの奔流、盲目性に惹かれるのだろう。
そこにはまるで巨大な太古の遺跡を一人ぼっちで歩きまわる様な、畏怖と困惑と好奇心がないまぜになった知的興奮がある。



その流れの中にあって個人的に妙にひっかかり、たまたま目にとまる度に頭の片隅にしまいこんでストックしていた話がある。
それを簡単にまとめてみたい。
なお、私のリサーチ能力はあまり高くないので、不正確だったりもっときちんと元を辿れる部分も多いと思う。
それらに詳しい方がおられたらご教授いただければ幸いである。





『件』(クダン)という妖怪をご存知だろうか。


稀に牛が人の顔を持った仔牛を産むことがあるという。
これが件だ。
件は人語を解し、予言(凶事が多い)をしてすぐに死ぬ。
その予言は必ず当たるという。

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人の顔を持つ牛なので「件」と書き、その予言が間違いなく的中するところから、確実なことを指して「よって件のごとし」という言い回しが生まれた、とも言う。
もっとも、これは後付けの様だ。


件にはいくつかのバリエーションがある。
先に挙げたのは最も標準的なものだ。
他に雌雄一対で産まれ、雄が凶兆を告げ、雌がその回避法を教える、というもの。
人面牛身ではなく、ミノタウルスの様な牛面人身のもの。
「娘が山に棲む獣に孕まされるとその獣の特徴を備えた子を産む。これを件と呼ぶ」という地方もあるらしい。
最後の例は一般的な「件」像から離れて見えるが、半人半獣というモチーフや畸形に対する恐怖は共通している。


都市伝説について語るのに何故「妖怪」などというカビ臭いシロモノを持ち出すのか、と思われるかもしれない。
だが「件」は終戦前後まで目撃談が続く稀有な妖怪であり、【註2】しかもその本質そのものが「噂の伝播」と切っても切れない、優れて近代的かつ都市伝説的な存在なのだ。


件という妖怪は江戸時代に成立したと思われる。
初期には「麒麟」や「白沢」の様に突如として現れる瑞獣として、豊作をもたらす存在だったらしい。
その姿を描いた図は護符としての力があるとされ、厄除けの絵が流行した。
件に関する最初の記録は1827年のもので、「クダベ」という人面の怪物が「これから数年間疫病が流行し多くの犠牲者が出る。しかし自分の姿を描き写し絵図を見れば、その者は難を逃れる」と予言した、という。

それがやがて「牛から産まれ、凶事を予言する」という不気味な存在へと変わっていく。
明治から昭和初期までは温泉街などに件の剥製と称する見世物がかかるくらいメジャーな存在であった様だ。
だがその存在は一度忘れられた。
件を再び有名にしたのは小松左京の小説であろう。

まず前段として、氏の作品に『牛の首』という短編がある。
これは「『牛の首』という怖ろしい話があるのだが、怖ろしすぎて誰も知らない」というストーリー。【註3】
肩すかしの効いたオチである。


そして『牛の首』から数年後、氏は今度こそ本当に、牛の首を扱った作品を発表する。
タイトルは『くだんのはは』。

普通に捉えれば「九段の母」、つまり九段の靖国神社に通う母親という意味で、「息子が戦死した母親」のことである。
…と見せかけて、氏は「件の母」の物語を書いてみせた。

戦時中、芦屋(兵庫にある高級住宅街)に座敷牢に閉じ込められた牛面人身の娘がいた。
それを目撃した主人公に生まれた娘もまた牛面で…というストーリーである。

そんなんただの小説やんけー、と侮るなかれ。
実はこの話、実際に芦屋近辺に流れた噂を基に書かれたものなのだ。


第二次世界大戦中には件をめぐる話は西日本に広く見られたという。
どこそこに「件」が生まれてもうすぐ戦争は終わると言った、とか、おはぎを食えば空襲を免れると予言した、といった噂が人々の口に上った。

昭和の時代に妖怪とは随分アナクロな感もあるが、当時の社会は現在の様に情報化されておらず、また戦時中で言論統制・報道管制が敷かれていたため、人々は正確な情報を得る手段も発信する場もなかった。
そんな状況の中で民衆は自らの願望を件の予言に仮託して囁きあったのだろう。
特高警察は流言蜚語を危険視し民衆の間に飛び交う噂を調査していた。
そのため、それらの記録に「件」をめぐる噂の実態が残ることとなった。


終戦直前から直後にかけては西宮などの兵庫県下での噂が急増する。
この時の「件」の特徴は牛面人身であることで、「牛の首がついた着物姿の娘」とされ、「空襲の焼け跡に牛女がいた」とか「牛女が動物の死骸を貪っていた」という目撃談がしきりに囁かれた。
小松左京の「くだんのはは」もこの時の噂を基にしているのだろう。


近代までその命脈を保ち続けた妖怪、「件」。
だが戦後65年、流石にその噂は絶えて久しい。
変わりに人々の口に上るのは様々な都市伝説だ。

都市伝説は常に生産され続けている。
新たなメディアが生まれる度に、そこにも現れる。
SNSも例外ではない。
日本初のSNS・mixiからも、その流行期に「ヨシムジさん」「地獄●●●」【註4】などの新たな伝説が生まれた。

そんな都市伝説に触れたくてmixiの「都市伝説」コミュに入っていたのだが、ある日こんな書き込みを発見した。


六甲の牛女について詳しく知っている方、教えて下さい



調べたところ、「六甲・牛女」は主に走り屋の間で囁かれる都市伝説で、人面牛身・着物姿の女が凄まじい速さで走り、追いかけてくるのだという。
「いわれは何も説明されておらず、訳がわからないがとにかくインパクトのある女が追いかけてくる」という意味では「100キロばばぁ」に連なる系譜の怪異であろう。

だがその姿は明らかに終戦前後に兵庫で目撃されたという「件」そのもの。
六甲もまた兵庫県の地名だ。

都市伝説…自己複製にこれほど都合の良いメディアがあるだろうか?



「件」はそもそもその登場からして「自らの絵図を写せ」と説き、自己複製を図る「コピー・ミー・コード」であった。
いわばチェーンメールである。

終戦前後、それは人々の願望を拾い上げ、拡大再生産するための「装置」として機能する。

そして21世紀。
現代のフォークロアたる「都市伝説」の中を、「件」は今も姿を変え、疾走し続ける。



時代は変わっても、変わることなく囁かれ、紡ぎ続けられる物語の中に。
あるいは、それを嬉々として語る人々の心の闇に。

奴は潜み続けるに違いない。







スーパーのチーズ売場によく潜んでいる「件」。

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【オマケ】

「件」は一部の人々の想像力を妙に刺激する様で、近年になってからメディアで扱われることが多くなってきた。
私のアンテナに引っかかってきたものだけでこれだけある。

●とり・みき 漫画『件のアレ』『パシパエーの宴』
『件のアレ』は件についての調査をわかりやすくまとめたコミックエッセイ。

●岩井志摩子 小説『依って件の如し』
岡山を舞台にした土着ホラー。
子供が目撃した件の正体は近親相姦中の母と兄。

●大塚英志 漫画『八雲百怪』
牛面人身タイプと人面牛身タイプが両方登場。

●熊倉隆敏 漫画『もっけ』
女子高で件の絵姿をラッキーアイテムとして所持することが流行る、というエピソードがある

●真倉翔 漫画『地獄先生ぬ~べ~』
珍しいパターンの件。
鳥の雛の畸形として誕生・雄が凶事を、雌が回避法を告げてすぐに死ぬ。

●雑誌『幻想文学』56号 特集「くだん、ミノタウロス、牛妖伝説」
めちゃめちゃ濃い大特集。

●映画『妖怪大戦争』
冒頭で件が誕生・予言をするシーンがある。

●ゲーム『せがれいじり』
主人公の乗り物が件。





【註1:誰も改変を意図していない】

「ちょっぴり効果的にしてやろう」「少しオチを変えてやろう」という意図はあっても、最終的に到達する洗練は誰も最初からは意図していないのではないだろうか。



【註2:目撃が続く稀有な妖怪】

河童など現在も目撃例が続く妖怪もいるが、もともとのメジャーさがまるで違う。
また人間には「小さいおっさん」などの荒唐無稽なものを見たり聞いたりするのを好む奇妙な癖がある様だ。
河童は真面目な怪談の担い手としてではなく、こちらの「奇談系」に分類される様に思われる。
一方、「件」には荒唐無稽さと妙なリアリティーが同居している。



【註3:「牛の首」のオチ】

話の筋が落語めいているのでそのへんに元ネタがあるのかと思い検索してみたがよく判らず。
それっぽい話が出てくることは出てくるのだが、むしろ小松左京の作品を落語化した様に思える。
何より、古典落語界からの情報が全く見つからない。


【註4:mixi上の都市伝説】

『ヨシムジさん』
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=56999&page=1&id=9665460


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