2022年10月24日
世の中には「ユニコーン系男子」とか「処女厨」と呼ばれる人たちがいる。
非オタの人のために説明しておくと、女性の処女性に異常なまでに拘る人々のことである。
「ユニコーン系男子」という名称は伝説上の動物・ユニコーンは処女にだけ心を許す、という伝承に基づく。
彼らは特にアニメ・声優ファンに多いとされている。
アニメなどの二次元は自らの理想を投影・仮託しやすい分、こじらせやすいのかもしれない。
近年では架空のキャラクターが非処女とされただけで騒動に発展するらしい。
【ニコニコ大百科】
『処女厨』
http://dic.nicovideo.jp/a/%E5%87%A6%E5%A5%B3%E5%8E%A8
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
処女信仰の中でもアイドルやアイドル声優と言ったエンターテインメントの世界の人から、二次元の女性キャラクターにまで処女であることを異常に押し付ける傾向が人一倍強い事で知られる。
後者の主な例が漫画「かんなぎ」の非処女疑惑騒動であり、この騒動は似たような顧客層を持つ美少女ゲーム界隈にも影響を与え、純愛系ゲームのヒロインは全員必ず処女にする、あるいは初Hシーンで必ず破瓜表現をつけるといった対策が施される事になった。
女性アイドルの交際が発覚したり、非処女であった事が発覚した場合突如アンチ側に移り、関連グッズを破いたり叩き割る、タレントに危害を加えたりするはた迷惑な存在として知られている。
中にはストーキング行為に及ぶものまでいれば、殺害予告までして逮捕されたものもいたり犯罪者になってしまう者も少なくない。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
…まぁこういう犯罪者&その予備軍扱いもどうかと思うが、そもそも「処女厨」という概念自体に「行き過ぎた言動を行う人」という含意もあり(「厨」は「厨房」、つまり「中坊」であり、「中学生なみのレベルの人」という意味である)、定義によってそういった人々を多く含む。
ことに声優ファンのユニコーン系男子は興味深い存在である。
声優とはアニメのキャラクターと一体の関係でありつつ、同時に実在の女性でもあり、実際に処女であったり非処女であったりする。
したがって声優はアニメの美少女と同様に処女性を問題とされるが、この拘りは対象が実在女性である分、「二次元のキャラクターの処女性を気に病むこと」ほどの奇異さからは解放されてもいる。
そのためか、彼らは声高に処女性に執着してみせがちなのだ。
声優ファンは
『完全に娼婦の声になってる。今の愛生、昔みたく処女膜から声がでていない』
との名言を生み出したことで知られている。
他にもこんな名言の数々が存在する。
【(まとめては)いかんのか?】『声優に彼氏発覚した時の声豚の名言で打線を組んだwwww』
http://blog.livedoor.jp/livejupiter2/archives/5003549.html
(現在はリンク切れ)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
1 名前:風吹けば名無し :2011/12/23(金) 00:45:17.29 ID:b2qxxhSv
1(二)俺に死ねと言っているのかよ
2(遊)世界はなぜ僕を追い詰めるのか
3(一)チンポしゃぶった口から出る音を俺に聞かせたのか
4(左)耳に精子がかかる
5(三)こんな思いをするのなら花や草に生まれたかった
6(右)近くの心療内科に行ったら急性ストレスによる適応障害って診断された
7(中)今後誰かが同じ過ちをしない為にも、ここは徹底的に叩くのが正解
8(捕)完全に娼婦の声になってる
9(投)処女膜から声が出ていない
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ユニコーン系男子の生態については他にこのあたりを参照されたい。
『ノムケン!』
声豚の名言キモすぎわろたwww
http://blog.livedoor.jp/nomuken77/archives/1636506.html
http://dic.nicovideo.jp/a/%E5%87%A6%E5%A5%B3%E5%8E%A8
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処女信仰の中でもアイドルやアイドル声優と言ったエンターテインメントの世界の人から、二次元の女性キャラクターにまで処女であることを異常に押し付ける傾向が人一倍強い事で知られる。
後者の主な例が漫画「かんなぎ」の非処女疑惑騒動であり、この騒動は似たような顧客層を持つ美少女ゲーム界隈にも影響を与え、純愛系ゲームのヒロインは全員必ず処女にする、あるいは初Hシーンで必ず破瓜表現をつけるといった対策が施される事になった。
女性アイドルの交際が発覚したり、非処女であった事が発覚した場合突如アンチ側に移り、関連グッズを破いたり叩き割る、タレントに危害を加えたりするはた迷惑な存在として知られている。
中にはストーキング行為に及ぶものまでいれば、殺害予告までして逮捕されたものもいたり犯罪者になってしまう者も少なくない。
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…まぁこういう犯罪者&その予備軍扱いもどうかと思うが、そもそも「処女厨」という概念自体に「行き過ぎた言動を行う人」という含意もあり(「厨」は「厨房」、つまり「中坊」であり、「中学生なみのレベルの人」という意味である)、定義によってそういった人々を多く含む。
ことに声優ファンのユニコーン系男子は興味深い存在である。
声優とはアニメのキャラクターと一体の関係でありつつ、同時に実在の女性でもあり、実際に処女であったり非処女であったりする。
したがって声優はアニメの美少女と同様に処女性を問題とされるが、この拘りは対象が実在女性である分、「二次元のキャラクターの処女性を気に病むこと」ほどの奇異さからは解放されてもいる。
そのためか、彼らは声高に処女性に執着してみせがちなのだ。
声優ファンは
『完全に娼婦の声になってる。今の愛生、昔みたく処女膜から声がでていない』
との名言を生み出したことで知られている。
他にもこんな名言の数々が存在する。
【(まとめては)いかんのか?】
http://blog.livedoor.jp/livejupiter2/archives/5003549.html
(現在はリンク切れ)
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1 名前:風吹けば名無し :2011/12/23(金) 00:45:17.29 ID:b2qxxhSv
1(二)俺に死ねと言っているのかよ
2(遊)世界はなぜ僕を追い詰めるのか
3(一)チンポしゃぶった口から出る音を俺に聞かせたのか
4(左)耳に精子がかかる
5(三)こんな思いをするのなら花や草に生まれたかった
6(右)近くの心療内科に行ったら急性ストレスによる適応障害って診断された
7(中)今後誰かが同じ過ちをしない為にも、ここは徹底的に叩くのが正解
8(捕)完全に娼婦の声になってる
9(投)処女膜から声が出ていない
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ユニコーン系男子の生態については他にこのあたりを参照されたい。
『ノムケン!』
声豚の名言キモすぎわろたwww
http://blog.livedoor.jp/nomuken77/archives/1636506.html
…で、10年近く前にちょっと話題になったのがコレ。


アイドルグループのファンは自分が応援しているメンバーを「推しメン」と呼ぶが、これは推しメンならぬ「推し膜」Tシャツ。
この発想には度胆を抜かれた。
なにしろ声優やアイドルを「処女である」と勝手に仮定し、その処女性を「処女膜」に象徴化し、「処女膜」を声優やアイドルの代名詞とした上で省略して混成語にし、それを何の説明もなく使用し、しかもその流通が成立しているのだ!
なんというねじくれっぷり。
そもそも処女膜というのは一般に「処女の証」であって(実際にはその証拠能力は低いが【註1】)、膜そのものが魅力的という訳ではない。
というか、正確には膜ですらなく、ただの襞のようなものである。【註2】
それが神聖視され、愛情の対象である声優やアイドルそのものと同値で結ばれ、等価に扱われている!
だがこういった倒立はフェティシズムの本質である。
例えば、ただの布きれに過ぎないパンツが「性器を覆っている」という理由でプレミアムを付与されて神聖視され、その結果「パンツの中身よりむしろパンツが好き」という本末転倒な人も出てくる。
フェティシズムは「呪物崇拝」と訳される。
つまり極めて呪術的な行為である。
ジェームズ・フレイザーは『金枝篇』において呪術を「類似の原理に基づく『類感呪術』」と「接触の原理に基づく『感染呪術』」に大別した。
類感呪術とは「似ているもの同士には呪術的な関係がある」という「類似の原理」に基づくもの。
水を撒いて雨乞いすると雨が降る、とかキットカットを持っていれば「きっと勝つ」に音が似ているので受験に受かる、とかがこれにあたる(ついでに、「スタンド使い同士はひかれあう」というのもコレじゃないかと思う)。
感染呪術とは「関係があったもの同士には呪術的な関係がある」という「接触の原理」に基づくものである。
つまり密着していたものにはその特性が「うつる」という考え方だ。
この発想には度胆を抜かれた。
なにしろ声優やアイドルを「処女である」と勝手に仮定し、その処女性を「処女膜」に象徴化し、「処女膜」を声優やアイドルの代名詞とした上で省略して混成語にし、それを何の説明もなく使用し、しかもその流通が成立しているのだ!
なんというねじくれっぷり。
そもそも処女膜というのは一般に「処女の証」であって(実際にはその証拠能力は低いが【註1】)、膜そのものが魅力的という訳ではない。
というか、正確には膜ですらなく、ただの襞のようなものである。【註2】
それが神聖視され、愛情の対象である声優やアイドルそのものと同値で結ばれ、等価に扱われている!
だがこういった倒立はフェティシズムの本質である。
例えば、ただの布きれに過ぎないパンツが「性器を覆っている」という理由でプレミアムを付与されて神聖視され、その結果「パンツの中身よりむしろパンツが好き」という本末転倒な人も出てくる。
フェティシズムは「呪物崇拝」と訳される。
つまり極めて呪術的な行為である。
ジェームズ・フレイザーは『金枝篇』において呪術を「類似の原理に基づく『類感呪術』」と「接触の原理に基づく『感染呪術』」に大別した。
類感呪術とは「似ているもの同士には呪術的な関係がある」という「類似の原理」に基づくもの。
水を撒いて雨乞いすると雨が降る、とかキットカットを持っていれば「きっと勝つ」に音が似ているので受験に受かる、とかがこれにあたる(ついでに、「スタンド使い同士はひかれあう」というのもコレじゃないかと思う)。
感染呪術とは「関係があったもの同士には呪術的な関係がある」という「接触の原理」に基づくものである。
つまり密着していたものにはその特性が「うつる」という考え方だ。
小学生の時の「ウンコ踏んだ奴はウンコ野郎、ウンコ野郎に触られた奴もウンコ野郎」、という謎ルールがコレにあたる。
しかしフレイザーは「感染呪術には類感呪術を含んだものも存在する」とも述べている。
例えば藁人形による呪いは「人の形をした藁人形に釘を刺すと対象者が苦しむ」という部分は類感呪術だが、「藁人形に相手の髪の毛を入れる」という部分は感染呪術と言える。
類似の「紙製のヒトガタに息を吹きかけてから神社に奉納するとヒトガタが身代わりになって病気や悪運を持って行ってくれる」という呪術も同様だ。
下着フェチにもまた両者が同居している。
つまり性器と接触していたパンツは性器の属性に「感染」しており、性器のシンボルとして扱える。
そしてそのシンボルという「類似」のものに対して行ったことは実物に対して行ったことと同じなので、下着をクンカクンカすることは性器をクンカクンカすることと同列、あるいはそれ以上に扱えるのだ。
本体をサポートする側が本体以上の評価を得るという、下着フェチ。
あるいは処女性のシンボルに過ぎない処女膜が処女(希望的観測)本人の代名詞化するという、「推し膜」における下剋上。
価値の逆転という意味でこれは紫衣事件に匹敵する歴史的転換点と言えるだろう。
呪術の本質はシンボル操作であり、シンボル操作をともなう性倒錯は呪物崇拝(フェティシズム)の名に相応しい。
話が逸れたので元に戻す。
処女厨は声優・アニメファンに多いとされている、と書いたが、実際には多くの普通の男性は処女性に拘る。
例えばこの辺を見ると、処女性に拘りすぎて自らを苦しめてしまっている男性がうじゃうじゃいる。
『ひでぶっ!!BOOKMARK』
「非処女」と、幸せな結婚を目指すスレ
http://hidebookmark.com/blog/funny/1350705048.php
(現在はリンク切れ)
しかも一人が非処女で妥協しようとすると、他の者が説得にかかったりする。
バケツに何匹ものカニを入れておくと必死で逃げようと這い上るが、お互いに脚を引っ張りあってどのカニも脱出できないという。
こういうのって誰も幸せにならないカニバケツだなぁ…。
これに比べると処女キャラが好きなだけのアニメファンの方がはるかにましに思える。
声優ファンはともかく、アニメファンはそのことで自分の好きな人を傷つけずには済む。
ネットの世界ではちょっとしたことが炎上につながる。
ここ10年ほどはアルバイターが職場で悪戯した画像をネット上にアップする、所謂「バイトテロ」が問題になった。
ああいうのはやらかした本人も不用意ではあるが、同時に叩く側の問題でもある。
他人の不幸を加速したいだけの物見遊山な人も多いが、真剣に怒っている人もそれなりの数がいるだろう。
叩かれる側は一応は悪いことをしているので、反論や擁護をしにくい立場にある。
狭量な正義感に捉われた人々は大義名分を手に入れ、安全な場所から存分に攻撃衝動を解放できるという訳だ。
そしてネット上の風潮はしばしば現実と乖離する。
特に不倫をめぐる問題がそうだ。
ネット上では不倫は大罪とされ、特に女性であれば「誰にでも股を開くビッチ」として異常な攻撃を受ける。
しかし現実社会においては不倫というのは「好ましくはないにせよしばしば陥るもので、好きな気持ちは止められないから仕方がない」程度の認識の人が多いのではないだろうか。【註3】
女性の不倫が現実から乖離するまでに異常な叩かれ方をするのは、女性が貞淑であることを多くの男性が望んでいるからだ。
女性は子供が自分の子であることを確信できるが、男性はそうではない。
したがって男性は自分の子でない子供の養育をさせれるリスクを背負っており、女性の「体の浮気」を嫌悪する傾向にある。
一方、女性は男性が浮気して外で子供を作っても自分の子供が減る訳ではない。
しかし男性が他の女性や子供の養育にリソースを振り分けると自分が不利になるため、女性は男性の浮気がいつのまにか本気になる「心の浮気」を嫌悪する傾向がある。
男性が若くて健康的で貞淑で処女の女性を好むのは、これから産むことのできるその男性の子供の数が最も多いからだ。
この傾向は世界中で普遍的に見られる。【註4】
イスラム圏では聖戦(ジハード)に参加した男性は死後、天国に行くとされている。
天国には72人の処女が彼を待ち受け、さらに決して悪酔いすることのない酒や果物、肉などを好きなだけ楽しむことができると言うのだ。
イスラム圏は一夫多妻制だが、男女の比率は世界中どこでもおよそ1:1。
ステイタスの高い男性は複数の女性と結婚するため、一部の男性が多くの女性を独占することになり、あぶれる男性が大量に出てくる。
イスラム圏では婚前交渉は禁止なので、独身男性はセックスを知ることもなく子孫も残せない。
そうなると彼らの命はおそろしく安くなる。【註5】
どうせ現世で女性が手に入らないのなら、天国の処女を当てにするしかない。
そこで彼らは航空機を乗っ取り世界貿易センタービルに突っ込むことになる。
実際、911のテロや自爆テロの実行犯はその様に説得されたらしい。
妄想上の処女のためにそこまでする人々もいる、ということを考えれば、声優やアイドルマニアの処女信仰など可愛いものだ、とも言える。
ここでイスラムの教えについて少し調べてみよう。
Wikipediaの『ジハード』の項にはかつてこう記されていた。
「性交を困難にし、それでもやり遂げられるかをテストするため」という説もあるが、これは「女性が意識的にそう目論んでいる」という意味ではなく、単に「処女膜のある女性は結果的にそういう男性の子を産み、『処女膜の遺伝子』と、『処女膜を破れる強い男性の遺伝子』を広げることになった」という意味。
モグラにも処女膜があるが、それは土の侵入を防ぐためらしい。
【註3:不倫】
ちなみにこれは「責任を負えるのは自分に選択権があるものについてのみ」であり、「恋愛感情はコントロール不能なので選択の埒外である」という暗黙の仮定に基づく。
これに対して不倫を許さない人は「人間は自らの行動に対してほとんど常に自由な選択権を行使しており、したがって大抵のことは自己責任である」と考えている。
これは結局のところ「人間に自由意思はあるのか」という数千年来にわたって決着をみなかった哲学的な問いかけであり、どちらも一応擁護可能ではある。
だが科学的知見から言えば、昔ながらの「人間には完全な自由意志が与えられている」という無邪気で素朴な考え方を続けるのは無理がある。
可能なのはせいぜいこの程度のものだろう。
「人に自由意思はないかもしれない。
仮にあったとしても常にあるわけではなく、その度合いも時どきによって高まったり低まったりするだろう。
だがそれでは誰も自らの行為に責任を追えず、犯罪にも責任を負わせられなくなり、社会を維持することができなくなる。
だから擬制として『人には多くの場合、自由意思が存在する』と仮定することにしよう」
【註4】
高名な文化人類学者マーガレット・ミードは1920年代、ポリネシア・サモア諸島でフィールドワークを行い、著書『サモアの思春期』においてサモアの原住民は性的に奔放で思春期のストレスもなく、処女性に拘ることもない、と記述した。
この研究は「氏か育ちか」、つまり人間を作るのは遺伝的要因なのか環境的要因なのか、という論争で環境説を支持するものとして喝采をもって迎えられた。
性の罪悪視やそれに伴う処女信仰はキリスト教世界が生んだ文化的なものであり、本来人間はタブラ・ラサ(白紙状態。ラテン語で「空白の石版」の意。英語ではブランク・スレート)で、後から何でも書き込めるのだ、という訳だ。
そのため、ミードの著作は現在でもジェンダー論者の著作に引用され続けている(男女の違いはあくまで環境要因のみ、ということになるためだ)。
だがデレク・フリーマンがミードの研究を詳細に調査したところ、その多くはでたらめであったことが判明した。
ミードがサモアに滞在したのは数か月に過ぎず、言語も判らず、地元の少女たちのホラ話を真に受けてしまっていた。
結局、サモアの人々も処女性には強いこだわりを見せることが判明。
世界中で行われた調査結果から、処女へのこだわりは人類に普遍的な形質、ヒューマン・ユニヴァーサルであるらしい。
【註5】
あぶれた男性が命を安売りする傾向については下記のエントリを参照。
『ヒトのやること大体同じ:ジョーカー事件はアモクだよ説』
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/15038623.html
【註6】
空飛ぶスパゲッティ・モンスター教については下記のエントリを参照。
『空飛ぶスパゲッティ・モンスター、クトゥルー神話の怪物としか思えない』
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/15709640.html
【付記】
私自身は処女性に特にこだわりはない。
処女性はもともとは繁殖能力の指標に過ぎないので、セックスが繁殖ではなくコミュニケーションの手段となり、避妊法も発達した現代においてそこにこだわることにあまり意味はない。
だがそれを言い出せばセックスや恋愛だって突き詰めれば遺伝的なプログラムに過ぎない訳で、その線からの説得はあまり有効ではないだろう。
我々は生物的本性から自由ではないのだ。
世の中には逆に「処女は面倒くさい」とか言い出す人もいるが、こういう態度は処女の方に失礼だし、「俺はその気になれば処女も落とせるんだぜ?」みたいな自慢臭がして好きではない。
処女は「崇拝せず・嘲笑せず・忌避せず」の皮膜三原則で。
ただし、私も書籍などを買う時は商品の処女性にこだわる。
書店員・田北鑑生のエッセイによれば、書店の客はしばしばこれにこだわり、スカトロ雑誌『お尻倶楽部』を買う客でさえ表紙のちょっとした汚れにものすごくうるさかったりするらしい。
「写ってるのはウンコなのに」
とは氏の弁。
なお、今回のタイトルは映画『ヴァージン・スーサイズ』とその原作『ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹』のもじり。
イスラム絡みではこういうネタもあったが、ガセっぽい気もするので扱わなかった。
『なんでも評点』
死刑前夜の若い女囚たちから処女を奪う権限を与えられた18歳の看守 ― イランでは処女の死刑が禁止なので、このような方法が採られている?
http://rate.livedoor.biz/archives/50870951.html
しかしフレイザーは「感染呪術には類感呪術を含んだものも存在する」とも述べている。
例えば藁人形による呪いは「人の形をした藁人形に釘を刺すと対象者が苦しむ」という部分は類感呪術だが、「藁人形に相手の髪の毛を入れる」という部分は感染呪術と言える。
類似の「紙製のヒトガタに息を吹きかけてから神社に奉納するとヒトガタが身代わりになって病気や悪運を持って行ってくれる」という呪術も同様だ。
下着フェチにもまた両者が同居している。
つまり性器と接触していたパンツは性器の属性に「感染」しており、性器のシンボルとして扱える。
そしてそのシンボルという「類似」のものに対して行ったことは実物に対して行ったことと同じなので、下着をクンカクンカすることは性器をクンカクンカすることと同列、あるいはそれ以上に扱えるのだ。
本体をサポートする側が本体以上の評価を得るという、下着フェチ。
あるいは処女性のシンボルに過ぎない処女膜が処女(希望的観測)本人の代名詞化するという、「推し膜」における下剋上。
価値の逆転という意味でこれは紫衣事件に匹敵する歴史的転換点と言えるだろう。
呪術の本質はシンボル操作であり、シンボル操作をともなう性倒錯は呪物崇拝(フェティシズム)の名に相応しい。
話が逸れたので元に戻す。
処女厨は声優・アニメファンに多いとされている、と書いたが、実際には多くの普通の男性は処女性に拘る。
例えばこの辺を見ると、処女性に拘りすぎて自らを苦しめてしまっている男性がうじゃうじゃいる。
『ひでぶっ!!BOOKMARK』
「非処女」と、幸せな結婚を目指すスレ
http://hidebookmark.com/blog/funny/1350705048.php
(現在はリンク切れ)
しかも一人が非処女で妥協しようとすると、他の者が説得にかかったりする。
バケツに何匹ものカニを入れておくと必死で逃げようと這い上るが、お互いに脚を引っ張りあってどのカニも脱出できないという。
こういうのって誰も幸せにならないカニバケツだなぁ…。
これに比べると処女キャラが好きなだけのアニメファンの方がはるかにましに思える。
声優ファンはともかく、アニメファンはそのことで自分の好きな人を傷つけずには済む。
ネットの世界ではちょっとしたことが炎上につながる。
ここ10年ほどはアルバイターが職場で悪戯した画像をネット上にアップする、所謂「バイトテロ」が問題になった。
ああいうのはやらかした本人も不用意ではあるが、同時に叩く側の問題でもある。
他人の不幸を加速したいだけの物見遊山な人も多いが、真剣に怒っている人もそれなりの数がいるだろう。
叩かれる側は一応は悪いことをしているので、反論や擁護をしにくい立場にある。
狭量な正義感に捉われた人々は大義名分を手に入れ、安全な場所から存分に攻撃衝動を解放できるという訳だ。
そしてネット上の風潮はしばしば現実と乖離する。
特に不倫をめぐる問題がそうだ。
ネット上では不倫は大罪とされ、特に女性であれば「誰にでも股を開くビッチ」として異常な攻撃を受ける。
しかし現実社会においては不倫というのは「好ましくはないにせよしばしば陥るもので、好きな気持ちは止められないから仕方がない」程度の認識の人が多いのではないだろうか。【註3】
女性の不倫が現実から乖離するまでに異常な叩かれ方をするのは、女性が貞淑であることを多くの男性が望んでいるからだ。
女性は子供が自分の子であることを確信できるが、男性はそうではない。
したがって男性は自分の子でない子供の養育をさせれるリスクを背負っており、女性の「体の浮気」を嫌悪する傾向にある。
一方、女性は男性が浮気して外で子供を作っても自分の子供が減る訳ではない。
しかし男性が他の女性や子供の養育にリソースを振り分けると自分が不利になるため、女性は男性の浮気がいつのまにか本気になる「心の浮気」を嫌悪する傾向がある。
男性が若くて健康的で貞淑で処女の女性を好むのは、これから産むことのできるその男性の子供の数が最も多いからだ。
この傾向は世界中で普遍的に見られる。【註4】
イスラム圏では聖戦(ジハード)に参加した男性は死後、天国に行くとされている。
天国には72人の処女が彼を待ち受け、さらに決して悪酔いすることのない酒や果物、肉などを好きなだけ楽しむことができると言うのだ。
イスラム圏は一夫多妻制だが、男女の比率は世界中どこでもおよそ1:1。
ステイタスの高い男性は複数の女性と結婚するため、一部の男性が多くの女性を独占することになり、あぶれる男性が大量に出てくる。
イスラム圏では婚前交渉は禁止なので、独身男性はセックスを知ることもなく子孫も残せない。
そうなると彼らの命はおそろしく安くなる。【註5】
どうせ現世で女性が手に入らないのなら、天国の処女を当てにするしかない。
そこで彼らは航空機を乗っ取り世界貿易センタービルに突っ込むことになる。
実際、911のテロや自爆テロの実行犯はその様に説得されたらしい。
妄想上の処女のためにそこまでする人々もいる、ということを考えれば、声優やアイドルマニアの処女信仰など可愛いものだ、とも言える。
ここでイスラムの教えについて少し調べてみよう。
Wikipediaの『ジハード』の項にはかつてこう記されていた。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
イスラームにおける「天国」はアラビア語で(جنّة jannah) と呼ばれ、『クルアーン』ではその様子が具体的に綴られているが、それによれば、緑なす木々に覆われ、果実は枝もたわわに実り、清らかな川が数多く流れて、快適な風がつねに吹きわたっている清浄なところであり、天国行きを許されたものに対しては、現世の酒とは異なり、いくら飲んでも酔わない美酒や最上の食べものがあたえられるという。『クルアーン』にはさらに、男性は天国で72人の処女(フーリー)と交わることができ、彼女たちは何回性交におよんでも処女のままである、と記している。
この「処女」の表現は、比喩的なものにすぎないという意見も多く、あるいはまた、実際は「処女」ではなく「白い果実」という意味であるという説もあるが、過激派組織が自爆テロの人員を募集する際に、年少の者などに対し、このような天国の描写を意図的に用いている場合が少なくないとされ、問題となっている。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
で、このフーリーというのは何かというと…
これまたWikipedia『フーリー』の項の以前のバージョンにはこうある。
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フーリーは天国に来たイスラム信者の男性のセックスの相手をするとされ、一人につき72人のフーリーが相手をするともいわれる。彼女たちは永遠の処女であり、セックスを行い処女膜が破れても、すぐさま再生するとされる。
イブン・カスィールによれば、ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフは『天国では男性は一日100人の処女とセックスが出来る』と述べていた。また、『われわれは天国で処女とセックスが出来るのでしょうか?』と問いかけた信者に対して、『もちろん出来る。そしてセックスが終わった後には、彼女は清らかな乙女に戻るのだ。』と述べたともしている。
別の伝承によれば、 ムハンマドは『天国では信徒たちは女性に対してそれだけの強さを与えられるであろう』と述べたところ、アナスが『ああ、アッラーの使徒よ! そのようなことが出来るのでしょうか!?』と問いかけた、ムハンマドは『百人の男に匹敵する精力を得られるのだ』と答えたという。ムハンマドの教友の中には、ムハンマドが『天国の男たちは処女の花を散らすのに忙しくなる。』といったと伝えている者も居る。
イブン・カスィールはフーリーに関して、『彼女たちは陽気で、夫の前に誰ともセックスを行わなかった乙女たちである。』と述べ 、また『天国においては, 彼女たちが老いたならば, 明るく、若く、美しく、親切でかわいらしく、夫に対して情熱的な処女へと絶えず戻るのである。』とも述べている。
イマーム・スユーティーは『フーリーとセックスをするたびに、あなたは彼女が処女である事を知るであろう。加えて、勃起したペニスはなえる事がなく、永遠に勃ちつづける。あなたがセックスを行うときの感覚はすばらしく気持ちよく、この世のものとは思えない。この世でこれを経験してしまったならば、気絶するほどである。それぞれの(ムスリム男性)はこの世の妻に加えて、70人のフーリーを娶れる。そして彼女たちはみなあなたの欲望をそそるような名器の持ち主である。』と述べている。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
うわぁ…読んでるこっちが恥ずかしい。
永遠に若いままで、再生する処女膜まで持ち、名器ぞろいで処女なのにエロい72人。
しかも男性も永遠に勃起できるて。
ナニそのご都合主義…。
そしてどうなってるねん天国の性比…。
フーリー、「処女にリセットする」というチート技が使えるので、同じフーリーが多数の男性を相手にしながら毎回「夫の前に他の男とセックスしなかった」状態にリセットしてる疑惑。
なお、コルドバのエウロギウスは9世紀に「こんな天国、ただの売春宿やんけ」と批判したらしい。
清々しいほど欲望に忠実なイスラムの天国だが、これに匹敵する教義を持つ宗教を発見した。
他でもない、われらが『空飛ぶスパゲッティ・モンスター教』である。【註6】
スパモン教の天国にはビール火山とストリッパー工場があるという。
なお、女性やゲイの信者のために男性ストリッパーも用意されており、しかもそれはストレートの男性信者には見えない仕様。
ついでに言えば、スパモン教の地獄は天国と変わりがないとされている。
ただしビールは気が抜けており、ストリッパーは全員が性病持ちであるらしい。
なんとも欲望に忠実な教義である。
無限の酒に多数の女性…イスラムと変わらんがな。
ちなみにトンデモ理論を批判する懐疑主義界隈の用語で「ポーの法則」というのがあってですね…
【忘却からの帰還】
『メモ「ポーの法則」』
処女性について、喪男の私はこう考えている。
「大抵の男性はダメなのであり、イケメンたちがそのダメっぷりを女性に教えてくれたからこそ、彼女たちは『イケメンもブサメンも結局はダメ』という悟りを得て、それゆえに私の様な非モテにもチャンスが巡ってくる。
むしろ、いばらをかき分け、道を切り拓いてくれたイケメンにありがとうやで!」
【註1:処女の証】
破瓜時に必ず出血があるわけでもなければ、出血があれば破瓜という訳でもない。
出血は破瓜の必要条件でもなければ十分条件ですらない。
ついでに言えば、付き合ってるからといって必ずセックスする訳でもなければ、セックスしていれば付き合っているという訳でもない。
したがってセックスは付き合うことの必要条件でもなければ十分条件ですらない。
【註2:処女膜】
その機能はいまだに不明である。
イスラームにおける「天国」はアラビア語で(جنّة jannah) と呼ばれ、『クルアーン』ではその様子が具体的に綴られているが、それによれば、緑なす木々に覆われ、果実は枝もたわわに実り、清らかな川が数多く流れて、快適な風がつねに吹きわたっている清浄なところであり、天国行きを許されたものに対しては、現世の酒とは異なり、いくら飲んでも酔わない美酒や最上の食べものがあたえられるという。『クルアーン』にはさらに、男性は天国で72人の処女(フーリー)と交わることができ、彼女たちは何回性交におよんでも処女のままである、と記している。
この「処女」の表現は、比喩的なものにすぎないという意見も多く、あるいはまた、実際は「処女」ではなく「白い果実」という意味であるという説もあるが、過激派組織が自爆テロの人員を募集する際に、年少の者などに対し、このような天国の描写を意図的に用いている場合が少なくないとされ、問題となっている。
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で、このフーリーというのは何かというと…
これまたWikipedia『フーリー』の項の以前のバージョンにはこうある。
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フーリーは天国に来たイスラム信者の男性のセックスの相手をするとされ、一人につき72人のフーリーが相手をするともいわれる。彼女たちは永遠の処女であり、セックスを行い処女膜が破れても、すぐさま再生するとされる。
イブン・カスィールによれば、ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフは『天国では男性は一日100人の処女とセックスが出来る』と述べていた。また、『われわれは天国で処女とセックスが出来るのでしょうか?』と問いかけた信者に対して、『もちろん出来る。そしてセックスが終わった後には、彼女は清らかな乙女に戻るのだ。』と述べたともしている。
別の伝承によれば、 ムハンマドは『天国では信徒たちは女性に対してそれだけの強さを与えられるであろう』と述べたところ、アナスが『ああ、アッラーの使徒よ! そのようなことが出来るのでしょうか!?』と問いかけた、ムハンマドは『百人の男に匹敵する精力を得られるのだ』と答えたという。ムハンマドの教友の中には、ムハンマドが『天国の男たちは処女の花を散らすのに忙しくなる。』といったと伝えている者も居る。
イブン・カスィールはフーリーに関して、『彼女たちは陽気で、夫の前に誰ともセックスを行わなかった乙女たちである。』と述べ 、また『天国においては, 彼女たちが老いたならば, 明るく、若く、美しく、親切でかわいらしく、夫に対して情熱的な処女へと絶えず戻るのである。』とも述べている。
イマーム・スユーティーは『フーリーとセックスをするたびに、あなたは彼女が処女である事を知るであろう。加えて、勃起したペニスはなえる事がなく、永遠に勃ちつづける。あなたがセックスを行うときの感覚はすばらしく気持ちよく、この世のものとは思えない。この世でこれを経験してしまったならば、気絶するほどである。それぞれの(ムスリム男性)はこの世の妻に加えて、70人のフーリーを娶れる。そして彼女たちはみなあなたの欲望をそそるような名器の持ち主である。』と述べている。
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うわぁ…読んでるこっちが恥ずかしい。
永遠に若いままで、再生する処女膜まで持ち、名器ぞろいで処女なのにエロい72人。
しかも男性も永遠に勃起できるて。
ナニそのご都合主義…。
そしてどうなってるねん天国の性比…。
フーリー、「処女にリセットする」というチート技が使えるので、同じフーリーが多数の男性を相手にしながら毎回「夫の前に他の男とセックスしなかった」状態にリセットしてる疑惑。
なお、コルドバのエウロギウスは9世紀に「こんな天国、ただの売春宿やんけ」と批判したらしい。
清々しいほど欲望に忠実なイスラムの天国だが、これに匹敵する教義を持つ宗教を発見した。
他でもない、われらが『空飛ぶスパゲッティ・モンスター教』である。【註6】
スパモン教の天国にはビール火山とストリッパー工場があるという。
なお、女性やゲイの信者のために男性ストリッパーも用意されており、しかもそれはストレートの男性信者には見えない仕様。
ついでに言えば、スパモン教の地獄は天国と変わりがないとされている。
ただしビールは気が抜けており、ストリッパーは全員が性病持ちであるらしい。
なんとも欲望に忠実な教義である。
無限の酒に多数の女性…イスラムと変わらんがな。
ちなみにトンデモ理論を批判する懐疑主義界隈の用語で「ポーの法則」というのがあってですね…
【忘却からの帰還】
『メモ「ポーの法則」』
http://transact.seesaa.net/article/156103598.html
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ポーの法則は、原理主義(より一般的には、任意の常軌を逸した理論)のパロディと本物は、いずれも同様に正気とは思えないので、パロディと本物を区別できないと指摘する。
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つまり世界3大宗教のひとつに数えられるイスラム教は、パロディ宗教であるスパモン教と区別できないほど同様に正気とは思えない教義を持つトンデモ宗教なのだ。
というか、スパモン教の方がましですらある。
現代的な視点で見るとイスラムの男根思想っぷりには目を覆いたくなるが…
これは歴史上の出来事ではなく、現在起きていることなのだ。
しかも21世紀はイスラムの世紀、とまで言われる躍進っぷり。
大丈夫か人類。
ポーの法則は、原理主義(より一般的には、任意の常軌を逸した理論)のパロディと本物は、いずれも同様に正気とは思えないので、パロディと本物を区別できないと指摘する。
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つまり世界3大宗教のひとつに数えられるイスラム教は、パロディ宗教であるスパモン教と区別できないほど同様に正気とは思えない教義を持つトンデモ宗教なのだ。
というか、スパモン教の方がましですらある。
現代的な視点で見るとイスラムの男根思想っぷりには目を覆いたくなるが…
これは歴史上の出来事ではなく、現在起きていることなのだ。
しかも21世紀はイスラムの世紀、とまで言われる躍進っぷり。
大丈夫か人類。
処女性について、喪男の私はこう考えている。
「大抵の男性はダメなのであり、イケメンたちがそのダメっぷりを女性に教えてくれたからこそ、彼女たちは『イケメンもブサメンも結局はダメ』という悟りを得て、それゆえに私の様な非モテにもチャンスが巡ってくる。
むしろ、いばらをかき分け、道を切り拓いてくれたイケメンにありがとうやで!」
【註1:処女の証】
破瓜時に必ず出血があるわけでもなければ、出血があれば破瓜という訳でもない。
出血は破瓜の必要条件でもなければ十分条件ですらない。
ついでに言えば、付き合ってるからといって必ずセックスする訳でもなければ、セックスしていれば付き合っているという訳でもない。
したがってセックスは付き合うことの必要条件でもなければ十分条件ですらない。
【註2:処女膜】
その機能はいまだに不明である。
「性交を困難にし、それでもやり遂げられるかをテストするため」という説もあるが、これは「女性が意識的にそう目論んでいる」という意味ではなく、単に「処女膜のある女性は結果的にそういう男性の子を産み、『処女膜の遺伝子』と、『処女膜を破れる強い男性の遺伝子』を広げることになった」という意味。
モグラにも処女膜があるが、それは土の侵入を防ぐためらしい。
【註3:不倫】
ちなみにこれは「責任を負えるのは自分に選択権があるものについてのみ」であり、「恋愛感情はコントロール不能なので選択の埒外である」という暗黙の仮定に基づく。
これに対して不倫を許さない人は「人間は自らの行動に対してほとんど常に自由な選択権を行使しており、したがって大抵のことは自己責任である」と考えている。
これは結局のところ「人間に自由意思はあるのか」という数千年来にわたって決着をみなかった哲学的な問いかけであり、どちらも一応擁護可能ではある。
だが科学的知見から言えば、昔ながらの「人間には完全な自由意志が与えられている」という無邪気で素朴な考え方を続けるのは無理がある。
可能なのはせいぜいこの程度のものだろう。
「人に自由意思はないかもしれない。
仮にあったとしても常にあるわけではなく、その度合いも時どきによって高まったり低まったりするだろう。
だがそれでは誰も自らの行為に責任を追えず、犯罪にも責任を負わせられなくなり、社会を維持することができなくなる。
だから擬制として『人には多くの場合、自由意思が存在する』と仮定することにしよう」
【註4】
高名な文化人類学者マーガレット・ミードは1920年代、ポリネシア・サモア諸島でフィールドワークを行い、著書『サモアの思春期』においてサモアの原住民は性的に奔放で思春期のストレスもなく、処女性に拘ることもない、と記述した。
この研究は「氏か育ちか」、つまり人間を作るのは遺伝的要因なのか環境的要因なのか、という論争で環境説を支持するものとして喝采をもって迎えられた。
性の罪悪視やそれに伴う処女信仰はキリスト教世界が生んだ文化的なものであり、本来人間はタブラ・ラサ(白紙状態。ラテン語で「空白の石版」の意。英語ではブランク・スレート)で、後から何でも書き込めるのだ、という訳だ。
そのため、ミードの著作は現在でもジェンダー論者の著作に引用され続けている(男女の違いはあくまで環境要因のみ、ということになるためだ)。
だがデレク・フリーマンがミードの研究を詳細に調査したところ、その多くはでたらめであったことが判明した。
ミードがサモアに滞在したのは数か月に過ぎず、言語も判らず、地元の少女たちのホラ話を真に受けてしまっていた。
結局、サモアの人々も処女性には強いこだわりを見せることが判明。
世界中で行われた調査結果から、処女へのこだわりは人類に普遍的な形質、ヒューマン・ユニヴァーサルであるらしい。
【註5】
あぶれた男性が命を安売りする傾向については下記のエントリを参照。
『ヒトのやること大体同じ:ジョーカー事件はアモクだよ説』
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/15038623.html
【註6】
空飛ぶスパゲッティ・モンスター教については下記のエントリを参照。
『空飛ぶスパゲッティ・モンスター、クトゥルー神話の怪物としか思えない』
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/15709640.html
【付記】
私自身は処女性に特にこだわりはない。
処女性はもともとは繁殖能力の指標に過ぎないので、セックスが繁殖ではなくコミュニケーションの手段となり、避妊法も発達した現代においてそこにこだわることにあまり意味はない。
だがそれを言い出せばセックスや恋愛だって突き詰めれば遺伝的なプログラムに過ぎない訳で、その線からの説得はあまり有効ではないだろう。
我々は生物的本性から自由ではないのだ。
世の中には逆に「処女は面倒くさい」とか言い出す人もいるが、こういう態度は処女の方に失礼だし、「俺はその気になれば処女も落とせるんだぜ?」みたいな自慢臭がして好きではない。
処女は「崇拝せず・嘲笑せず・忌避せず」の皮膜三原則で。
ただし、私も書籍などを買う時は商品の処女性にこだわる。
書店員・田北鑑生のエッセイによれば、書店の客はしばしばこれにこだわり、スカトロ雑誌『お尻倶楽部』を買う客でさえ表紙のちょっとした汚れにものすごくうるさかったりするらしい。
「写ってるのはウンコなのに」
とは氏の弁。
なお、今回のタイトルは映画『ヴァージン・スーサイズ』とその原作『ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹』のもじり。
イスラム絡みではこういうネタもあったが、ガセっぽい気もするので扱わなかった。
『なんでも評点』
死刑前夜の若い女囚たちから処女を奪う権限を与えられた18歳の看守 ― イランでは処女の死刑が禁止なので、このような方法が採られている?
http://rate.livedoor.biz/archives/50870951.html
(01:13)








