2022年04月29日
保守派が持ち出す、リベラル批判の格言・箴言の類について考えていくシリーズ続行。
今回は右派の人がしばしば問題にする「平和主義者の攻撃性」について。
この批判の妥当性を考察していきましょう。
●【そもそもこの言葉の由来は?】
この手の批判の元ネタはリデル=ハートのこの↓言葉です。
『多くの平和主義者の友人と付き合っていて、彼らの見解にはもちろん共感するんだが、戦争の廃絶について私をほとんど絶望させることがあまりにも多い。というのも、彼らの熱烈な平和主義の中にある好戦的な要素が目の前にちらつくからだ』
…そもそも平和主義に共感してますね。
このリデル=ハートとはどんな人物かと言うと…
Wikipediaによれば↓こう。
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サー・バジル・ヘンリー・リデル=ハート(Sir Basil Henry Liddell-Hart, 1895年10月31日 - 1970年1月29日)は、イギリスの軍事評論家、軍事史研究者、戦略思想家。日本ではファーストネームを誤って「ベイジル」と発音・表記されることがあるが、「バジル」が英語での発音により忠実である。
軍事戦略、陸上作戦、核戦略の研究領域において奇襲、機動戦、間接アプローチ、大戦略などの研究業績を残した。20世紀という時代を象徴する戦略思想家[1]と称される。リデル=ハートに影響を与えた人物には孫子やカール・フォン・クラウゼヴィッツ、ジョン・フレデリック・チャールズ・フラーなどがおり、彼が影響を与えた人物にはハインツ・グデーリアン、オード・ウィンゲートやバーナード・ブローディなどがいる。
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第二次世界大戦が勃発した際のリデル=ハートの立場は攻勢に批判的であり、ドイツの軍事行動を予防し、また戦争の拡大を防止するために外交交渉によるドイツとの妥協の必要性を訴えた。しかしこれはドイツ軍が必ず敗北することを前提としており、電撃戦で連合軍が大きな損害を出すと批判されることにもなる。特に戦時中であったこともあり総力戦の批判は敗北主義と受け取られ、リデル=ハートの名声を貶めることとなった。大戦の後期にはドイツを完全に敗北させる総力戦は事実上不可能であり、またイギリスの財政を圧迫するだけだと論じた。1943年にチャーチルが枢軸国の無条件降伏を決定した際には反対の覚書を政府に送付している。
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…軍事評論家、つまりは通常は問題解決の手段としての戦争・暴力を否定しない立場でしょう。
一方で軍事的には決していけいけドンドン派ではなかったみたいですね。
そんな人物が『多くの平和主義者の友人と付き合っていて、彼らの見解にはもちろん共感する』と言ってる訳です。
『平和主義者の攻撃性ガ―!』というフレーズから受ける印象とは随分違いますね。
●【「攻撃性」とは何か?】
「平和主義者の攻撃性」はやたら批判されますが、そもそもここで言う「攻撃性」とは何のことでしょうか?
単に議論上の戦闘性や攻撃性なら、別に問題ないのでは?
そんなん、語調を問題にするトーンポリシングでしかないやん…。
例えば私は戦闘的無神論者ですが、「お前、戦闘的なんか…? 最低やな」とか言われたって困っちゃう。
結局、こんなん「ま、平和主義には共感するけどさ…その割にあんたら怒りっぽいよね…」という、愚痴でしかない訳ですよ。
平和主義とは別に「怒らない」ことではなく、「怒りを暴力と言う形では表明しない」ことなので、別に怒ったって良い筈です。
『良き市民の第一の義務は、必要な時に怒ることである。そして、その行為によってその怒りを示すことである』
J.ブライス(アメリカの政治家)
これに関連して、平和主義者が比喩として使うものを「暴力やんけ」と批判するやりくちについて触れておきましょう。
よく見るのはこういうやつですね。

この手の物件は
「9条を守ろう、と言いながら武力に頼ってるやんけ」
みたいな形で嘲笑されることが多いですが…
暴力は人類の本性に根深く喰い込んでおり、それを完全な形で排除するのは難しいのでしょう。
しかしその残滓が比喩という形でひょっこり顔を出したからって、ソレそんなに罪深いですか…?
例えば「ペンを武器に戦う」とか「理論武装」という比喩表現もアウトなん?
そんなん「貼り紙禁止の貼り紙」とか「速度制限超過の車を追いかけるパトカー」とかを「おかしいやんけ~!」と言ってる小学生みたいなモンやろ…。
球技はボールという逃げる獲物を追いかけたり、共同で敵陣を攻撃したり、明らかに狩猟や戦争といった残虐行為を模しています。
しかしバスケを暴力的だと言う人はいないでしょう。
それと同じで、論戦もまたヒトの好戦性を健康な形で非暴力化したものです。
勿論、罵倒や威圧や誹謗中傷はダメですが…軍国的で勇ましい言葉や、武力をちらつかせた恫喝まがいの言辞は右派の得意技ですよね?
●【イメージの問題?】
結局、「平和主義者は攻撃的」というのは、「ヴィーガンは押し付けがましい」とか「野党は何にでも反対する」とかと同じで、右派によって作られレッテル貼りされたイメージの問題でしかないんよね…
実際には、ヴィーガンは主張しているだけで無理やり採食を強制してる訳ではありません。
なのに主張が押し付けがましい?
世の中には焼き肉やハンバーガー等、肉食をさも当たり前に扱った広告が溢れています。
それらは押しつけがましくなくて、ごく稀にしか見ないヴィーガンの主張はおしつけがましいのですか?
何で?
「野党は何でも反対」というよくある批判については、野党が反対せざるを得ない様な悪法ばかり通そうとする与党さんサイドに問題があるのでは?
そもそも野党は法案の8割に賛成しています。
また、野党が全ての法案に賛成するなら…それなんて翼賛政治? だったら野党など必要ないよね。
●【疑心暗鬼が戦争を生む】
他に平和主義者に貼り付けられるレッテルには「お花畑」というものがあります。
「平和主義者はお花畑」とする批判者の対案は結局のところ「軍備で安心」に集約できます。
平和主義は無防備で心配だけど、軍備を行えば安心?
本当にそうですか?
軍備は国際的な緊張を高め、軍事衝突のリスクを高めちゃいますよ?
そもそも誰だって自分に火の粉が降りかかるなら、戦争などしたくないでしょう。
しかし「我が国は戦争を行う気などないが、あの国はそうではないのではないか」というお互いの疑心暗鬼が戦争を生むのです。
これは遺産争いで揉める親族間の争いに似ています。
お互いに
「俺は不当な要求などする気はないが、他の者はどうかな…? 揉めたくはないけど、そこに付け込んで自分だけ得しようとする奴がいたら許さんぞう!」
と疑心暗鬼になり、誰も悪くなくても揉めちゃうのです。
元は仲の良い親族だったとしても。
銃社会のアメリカでも
「誰かが銃を持つ→撃たれるのではないかと不安になる→自分も銃を持つ→皆が持ってるのでもっと不安になる」
という悪循環があります。
しかし結局のところ、銃を所持する市民は4割と少数派です。
「周りが怖いから軍備する」というなら、他国も同じ論理によって軍備を強化することになります。
あとに待っているのは果てしのない軍拡競争…
『それは血を吐きながら続ける、悲しいマラソンですよ』(ウルトラセブン)。
「怖い」周辺国と同じことをして他国に脅威を与え、いるかどうかも怪しい怪物から身を守るために自らが怪物となるだけです。
軍備で安全になるのなら、世界はとっくに戦争のない安全な場所になっている筈。
しかし現実はどうでしょう?
戦争はなくなり平和になりましたか?
戦争放棄は日本だけ。
つまりあらゆる戦争は軍備のある国家間で起きている訳です。
一方、日本は戦争放棄してから一度も侵略を受けていませんよね(まぁ9条のおかげかどうかは別としても)。
そして右派お薦めの軍備を「ちゃんとしてる」周辺国を危険視してるのは左右どちらですか?
右派ですね。
●【抑止力としての軍備?】
「軍備はあくまで抑止力だ」という意見もよく見かけますよね。
じゃあ、軍備は本当は使う気のないブラフ(ハッタリ)なんでしょうか?
ハッタリは見抜かれると意味を失います。
「どうせ本気で撃つ気はない」と思われると相手に舐められるからです。
それを避けるためには相手に「あいつら本気で撃つ気だ!」と思わせなければなりません。
そのための最も簡単な方法は、実際に「本気で撃つつもりでいること」です。
こうして「あくまでも抑止力」だった筈の軍備は安全装置を外され、相手にとって実際の脅威となります。
お互いに脅威なのでお互いを怖れ、排除したいと願う様になるのです。
こうして軍備を行うだけで実際に戦争が起きるリスクは増大します。
軍備は短期的には安全に思えても、長期的には極めて危険なのです。
ここには「平和主義は攻撃に弱いが、さりとて軍備を行うと戦争リスクが増す」というジレンマがあります。
ジレンマは簡単に解消されないからこそジレンマ。
片方だけ批判するのは片手落ちというもの。
どうしても「平和主義はお花畑」と言いたいのならば好きにすれば良いと思いますが、それなら「軍備で安心」だってお花畑です。
平和主義を批判する人はすぐ「平和ボケ」という言葉を使いますが、「軍事力があれば何とかなる」という能天気な発想自体が平和ボケの産物やろ…。
●【「平和主義と言いつつ暴力に訴える人」をどう捉える?】
「平和主義を標榜しつつ、結局暴力に訴えちゃう」という困った人もいて、彼らが批判の対象になることがあります。
そういう人は実際に矛盾しているので、批判には正当性があります。
しかしこれは「偽の平和主義者」に対する批判であって、「真の平和主義者」に対する批判ではない点には注意が必要でしょう。
そして平和主義を批判する人は当然、問題の解決法として戦争など暴力の行使を選択肢に入れてますよね?
あらゆる問題の解決に暴力を用いないなら、その人はすでに平和主義者なのですから。
これは単に言葉の定義の問題です。
そして社会では一般に傷害や強盗などの暴力行為は犯罪とされ、暴力は倫理的に否定されています。
つまり倫理的には
「真の平和主義者 > 平和主義を標榜しつつ結局暴力に訴える人 > そもそも暴力を否定してすらいない人」
の筈です。
かつては暴力はヒトの生存に必須でした。
我々は暴力を行使することによって生き残った人々の子孫であり、その性向を色濃く受け継いでいます。
暴力はヒトの本性にあまりにも深く根付いているため、それを払拭することは簡単ではありません。
平和主義を標榜している筈の人が、あまりにも簡単に暴力に流される…そういう笑うべき矛盾が一部に残っているのも現実でしょう。
しかし「そもそも暴力を否定してすらいない人」が「平和主義を標榜しつつ結局暴力に訴えちゃう人」に倫理について説教するのはどこかおかしくないですか…?
少なくとも暴力を放棄する努力をしている分だけ、「平和主義を標榜しつつ結局暴力に訴えちゃう人」の方がマシに思えるのですが。
また、その論理だと批判者も「真の平和主義者」には敬意を払うべきですが、彼らは大抵そうはせず、平和主義自体を攻撃します。
「平和主義は理想に過ぎない」 ←わかる
「戦争をしたくはないが軍備は必要」 ←まだわかる
「平和主義者はお花畑のキチガイ! とっとと隣国を消滅させようぜ!」 ←ファッ?
やけに鼻息荒い人が「私だって戦争はしたくない」とか言ってたって説得力ないですよ…?
●【矛盾していなければ許されるのか】
本来、「平和主義者の攻撃性ガ―!」という言説は「それ矛盾してるやん」的な意味の筈です。
つまり「俺らはそもそも暴力を否定してないから攻撃的でも矛盾はないけど、お前ら平和主義者がソレはおかしいやろ」という訳ですね。
…じゃあ矛盾がなければ暴力もアリなんですか?
例えば「暴力を否定してない人」と「平和主義を標榜しつつ結局暴力に訴えちゃう人」が殴り合いの喧嘩をしたとしましょう。
駆けつけた警察に「俺は矛盾してないからいいんだよ、でもアイツは矛盾するからダメでしょ? お巡りさん、アイツだけ捕まえて下さい」とか通りますかね?
その人の主義主張とは無関係に、暴力はダメでしょ。
【「デモはテロ」…? 奇論・珍論の数々】
ちょいちょい「選挙で決まったことに反対するのは民主主義に反する」とか言い出す人がいますが…
反対意見を表明する権利は常にあるに決まってるやん。
「表現の自由」を何だと思ってるのか…。
「決まったことには反対禁止」なんてやってるのは民主集中制を敷いてる日共くらいやで?
あと「デモはテロ」とか言っちゃう人も見ますね。
無届デモや座り込みデモは道路交通法違反で犯罪、ということの様ですが…
じゃあガンジーの無抵抗不服従運動もテロかよ。
デモの自由は常にあるっちゅーの。
デモ自体は犯罪にならないので、道交法を持ち出して引っかけてるだけです。
昔、警察がネズミ捕りをしていて急に違反者が全然いなくなったのでおかしいと思って調べたら、先ほど捕まって腹を立てた男がレーダーの上流で「この先ネズミ捕り注意」と書いた看板を持って立ってた、という珍事がありました。
男は「安全運転を呼び掛けているだけ」と主張してやめようとしなかったため、業を煮やした警察が六法全書をひっくり返して調べ、最終的に「道路使用許可がない」ことを盾にやめさせた、というエピソードがあります。
道路使用許可はこの様に無理くり持ち出されがち。
警察がオウムの車を調べて大型カッター(トラックには大抵積んである)が出てきたのを「銃刀法違反」で引っ張った、みたいなコトですね。
「でも違反は違反だろ!」という声が聞こえてきそうですが…
例えば企業が労働者に契約で守秘義務を課して内部告発ができない様にすることは、海外では問題になっています。
それでも勇気ある内部告発は契約違反だからアウトなんですか?
ていうかルール無視で尖閣衝突ビデオを流出させたsengoku38を支持してたのって右派でしたよね?
そもそも反権力デモを権力に届け出るとかおかしいやろ。
「9条を守る武装キャラ」の矛盾は問題にするのに、こっちの矛盾には気付きもしないんだよなぁ…。
あと右翼もデモはしばしばやりますよね。
河村市長なんて「表現の不自由展」に反対して座り込みまでやってたじゃないですか。
まぁアレはアピール用に7分座っただけだったので「座り込みっていうか休憩やろ」と揶揄されてましたが。
「デモはテロ」派の人はその辺はスルーですかそうですか。
●【平和主義を否定しつつ平和主義を持ち出す奇妙な論法】
平和主義は概ね左翼が唱えるもの。
全ての左翼が平和主義的とは限りませんが、平和主義者が右翼的でないことは確かです。
まぁ安倍政権は「積極的平和主義」なる珍妙なものを唱えていましたが、これはWikipediaでも
『曖昧さ回避 「積極的平和」とは異なります。』
『積極的平和主義(せっきょくてきへいわしゅぎ)とは、主に軍事的な手段によって、自国のみならず国際社会の平和と安全の実現のために、能動的、積極的に行動を起こすことに価値を求める思想である[1]。』
…とされていて、結局のところよくある「軍事力による平和」の変奏曲に過ぎません。
ところが右派はしばしば左派を「こいつらは暴力集団!」と糾弾してたり。
え…自分たちは暴力による解決アリ派の癖に、暴力の使用自体を否定してるやん。
結局、人心にアピールするのは暴力否定の平和主義だと暗に認めたカタチ。
もうこの人たちが平和主義者やん…。
そしてこの路線の極北はJアノンさん。
『トランプは平和主義者だから戦争しなかったもんな』
とか言ってましたが…
えっ、この人たちトランプさんを平和主義者だと思ってんの?
そしてトランプさんのそんな姿勢をもてはやすこの人たちも平和主義者ってことになるよね…?
ちなみにオバマさんもトランプさんもバイデンさんも「国際法上の戦争はしてないが軍事作戦はしてる」ので立場は全員同じなんですけど。
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