2022年03月19日
コロナ禍に乗じて福岡伸一がトンデモ発言をしていたので取り上げておきます。
福岡伸一については少し前に、下記のエントリでこう評しました。
【科学的にも正しく尊い「男系男子」?】
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/9846059.html
ちなみにこの福岡伸一は…なんていうか全体論者的な人物で、「還元論だけでは説明できないんじゃよー」みたいなことを言う割に、じゃあ全体論で何が説明できるのかというとその辺は曖昧という、「スティーヴン・ジェイ・グールド日本版」みたいな人という印象。
まぁ「ホリスティック医学」とかの全体論めいた主張とか、現代ダーウィニズムを批判して「構造主義生物学ガ―!」と吠えてる池田清彦とか、あの辺って「掘っても結局何も出てこない」気がするよね…個人的にはそれと同じフォルダにしまってます。
…が、この人、発言はソツがないというか、間違ってはいないんですよ。
見事に正統的な説明をしてくる。
ただ「全体論者の筈のあなたがその還元的説明を持ち出す…?」とは思いますが…
竹内久美子なんかよりははるかに正確。
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…と、あまり褒めも否定もしなかったのですが…。
朝日DIGITALに↓こんな記事が。
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テーマ特集新型コロナウイルス
アピタル
「ウイルスは撲滅できない」福岡伸一さんが語る動的平衡
2020/4/6 5:00 有料会員限定記事
青山学院大学教授・生物学者の福岡伸一さん
ウイルスとは電子顕微鏡でしか見ることのできない極小の粒子であり、生物と無生物のあいだに漂う奇妙な存在だ。生命を「自己複製を唯一無二の目的とするシステムである」と利己的遺伝子論的に定義すれば、自らのコピーを増やし続けるウイルスは、とりもなおさず生命体と呼べるだろう。しかし生命をもうひとつ別の視点から定義すれば、そう簡単な話にはならない。それは生命を、絶えず自らを壊しつつ、常に作り替えて、あやうい一回性のバランスの上にたつ動的なシステムである、と定義する見方――つまり、動的平衡の生命観に立てば――、代謝も呼吸も自己破壊もないウイルスは生物とは呼べないことになる。しかしウイルスは単なる無生物でもない。ウイルスの振る舞いをよく見ると、ウイルスは自己複製だけしている利己的な存在ではない。むしろウイルスは利他的な存在である。
福岡伸一さんの連載「動的平衡」はこちら
今、世界中を混乱に陥れている新型コロナウイルスは、目に見えないテロリストのように恐れられているが、一方的に襲撃してくるのではない。まず、ウイルス表面のたんぱく質が、細胞側にある血圧の調整に関わるたんぱく質と強力に結合する。これは偶然にも思えるが、ウイルスたんぱく質と宿主たんぱく質とにはもともと友だち関係があったとも解釈できる。それだけではない。さらに細胞膜に存在する宿主のたんぱく質分解酵素が、ウイルスたんぱく質に近づいてきて、これを特別な位置で切断する。するとその断端が指先のようにするすると伸びて、ウイルスの殻と宿主の細胞膜とを巧みにたぐりよせて融合させ、ウイルスの内部の遺伝物質を細胞内に注入する。かくしてウイルスは宿主の細胞内に感染するわけだが、それは宿主側が極めて積極的に、ウイルスを招き入れているとさえいえる挙動をした結果である。
ここから続き
これはいったいどういうことだろうか。問いはウイルスの起源について思いをはせると自(おの)ずと解けてくる。ウイルスは構造の単純さゆえ、生命発生の初源から存在したかといえばそうではなく、進化の結果、高等生物が登場したあと、はじめてウイルスは現れた。高等生物の遺伝子の一部が、外部に飛び出したものとして。つまり、ウイルスはもともと私たちのものだった。それが家出し、また、どこかから流れてきた家出人を宿主は優しく迎え入れているのだ。なぜそんなことをするのか。それはおそらくウイルスこそが進化を加速してくれるからだ。親から子に遺伝する情報は垂直方向にしか伝わらない。しかしウイルスのような存在があれば、情報は水平方向に、場合によっては種を超えてさえ伝達しうる。
それゆえにウイルスという存在が進化のプロセスで温存されたのだ。おそらく宿主に全く気づかれることなく、行き来を繰り返し、さまようウイルスは数多く存在していることだろう。
その運動はときに宿主に病気をもたらし、死をもたらすこともありうる。しかし、それにもまして遺伝情報の水平移動は生命系全体の利他的なツールとして、情報の交換と包摂に役立っていった。
いや、ときにウイルスが病気や死をもたらすことですら利他的な行為といえるかもしれない。病気は免疫システムの動的平衡を揺らし、新しい平衡状態を求めることに役立つ。そして個体の死は、その個体が専有していた生態学的な地位、つまりニッチを、新しい生命に手渡すという、生態系全体の動的平衡を促進する行為である。
かくしてウイルスは私たち生命の不可避的な一部であるがゆえに、それを根絶したり撲滅したりすることはできない。私たちはこれまでも、これからもウイルスを受け入れ、共に動的平衡を生きていくしかない。
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…ちなみに当初はこの記事、後半は有料だったのですが、「コロナ禍だし今だけ無料!」という扱いだったので無料で読めました。
なおその後、朝日新書『コロナ後の世界を語る 現代の知性たちの視線』 に収録された模様。
さて、早速 気になる部分を再度引用してツッコんでいきたいと思います。
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…利己的遺伝子論はウイルスを生命体と捉える…?
ドーキンスそんなこと言ってない。
そもそもドーキンスは「自己複製するのは生物だけとちゃうで。例えば文化もそうやで」という立場で、文化の自己複製子を「ミーム」と名付けてます。
福岡伸一は「動的平衡」をキーワードにしてて、コレをやたらゴリ押ししてきます。
そしてすぐに自分が間違いだと見做すものと「動的平衡」を並べて「この単純で素朴な考えに比べて動的平衡はしなやかで深遠」みたいな顔をするのですが…
コレ、ちょいちょい相手が言ってもいないことを批判する「藁人形論法」なんよね…。
例えば福岡伸一は『ツチハンミョウのギャンブル』という本を出しているのですが、コレは週刊文春連載時は『パンタレイ パングロス』という、韻を踏んだタイトルでした。
福岡伸一自身の言葉によれば、パンタレイ主義とは『あらゆることは偶然で、すべては移ろっていく』、パングロス主義は『すべては宇宙の偉大なる設計者によってあらかじめ計画・配剤されている』ということらしいです。
もちろん福岡伸一は前者を肯定し、後者を否定しているのですが…
え、パンタレイとかパングロスってそんな意味ですっけ…?
「パンタレイ」(panta rhei)の意味はヘラクレイトスの「万物は流転する」ですね。
こちらは「大体合ってる」感じですが、「偶然」の要素までこの言葉に入れちゃうのは強引な気が。
そして「パングロス主義」はヴォルテールの『カンディード、あるいは楽天主義説』に登場するパングロス博士に由来します。
パングロス博士は「鼻は眼鏡をかけるためにある」とか言っちゃう人物。
ダーウィニズムは大変切れ味が良いのですが、それ故に時にやり過ぎます。
証拠もなしに何でもかんでも「この形質は○○という目的のために進化したのだ。全ては適応の結果なのだ」とする行き過ぎた適応論をこのパングロス博士になぞらえて「パングロス主義だ」と批判したりするのですね。
…つまりコレ、ゴリゴリのウルトラダーウィニストを指す言葉で、『すべては宇宙の偉大なる設計者によってあらかじめ計画・配剤されている』という創造論的な考え方とは真逆じゃねーか!
で次。
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ウイルスの振る舞いをよく見ると、ウイルスは自己複製だけしている利己的な存在ではない。むしろウイルスは利他的な存在である。
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…う~ん、コレは利他とか利己という言葉の定義が混乱してるなぁ…。
まず利己行動とは「自分の自己複製を有利にする行動」、利他行動とは「自分の自己複製を犠牲にして他者の自己複製を助ける行動」のことな訳ですよ。
利他行動をする生物は自分の自己複製を犠牲にしている訳ですから、仮に現れても増えることなく消えていきます。
つまり真に利他的な生物は定義により、長く存続することはできません。
でも一見すると利他的に見える行動はしばしばあります。
これを利己的遺伝子説は「一見すると利他的に見える行動も、よく見ると遺伝子レベルでは利己的なのだ」と説明します。
この「一見するとそう見える」というゆるい意味では、「利他行動は実は利己行動の一形態である」という訳ですね。
その意味では利己的遺伝子説は「生物は利己的であり、利他的ではありえない」とは言ってません。
むしろ「どうして生物はしばしば利他的に見えるのか」を説明するために利己的遺伝子説が生まれたのです。
つまり「○○は利己的ではなく利他的」という言説は
・【厳密には…】 → 「定義により」ありえない
・【ゆるい意味でなら…】 → そもそも利己と利他は対立するものではなく、利他は利己に内包される
…ということですから、どっちに転んでも間違いです。
ちなみに村上和雄というトンデモさんがいるのですが、この人も同様の発言をしてました。
たしか『ナイトサイエンス教室〈1〉生命の意味』という著作だったと思うのですが、「僕は利他的な遺伝子というのもあると思う。それについてドーキンスとやりあってもいい」みたいなコト言って「この人、分かってNEEEEE!」感を醸し出してましたな。
なお、この人は著者紹介で「ノーベル賞に一番近いとされる科学者」と書かれてたりするのですが【註1】…
それってソースは何ですか?
村上和雄は遺伝子にオンオフのスイッチがあるという事実から『君のやる気スイッチをオンにする遺伝子の話』とか『スイッチ・オンの生き方』などという、タイトルの時点で乱暴かつ安易な本を書いてみたりもしています。
が、村上和雄を語る上で最も重要なキーワードは「サムシンググレート」 でしょう。
これは「生命は進化論では説明できない。なんかもっとこう、偉大な何か(サムシンググレート)があると思うんだよね~」的な、超絶ぼんやりした考え方です。
…それって神やん。
そして「神とは言わないけど、偉大な何かが…」的な言い逃れを繰り出すのって、どっかで見たことあるよね?
これってアメリカで
「いやいや、神とは言ってないですよ?
神とは言ってないけど、『知性あるデザイナー』が生命を作ったという科学的な仮説も成り立つので、生徒には公平に進化論と知性あるデザイナー説の両方を教えましょう!」
とか言って科学教育に宗教を持ち込もうとしてる『ID理論』と同じやんけ!【註2】
しかも村上和雄は天理教の信者で、著書でサムシング・グレートを「あれは親神様のことです」と認めちゃってるんだよな~…
まぁこの人は自著のタイトルが 『どうせ生きるなら「バカ」がいい』とか『アホは神の望み』とかなので、親神様の望み通りに生きたら良いと思います。
でもそれを科学や教育の世界に持ち込むのは勘弁な!
話が福岡伸一から村上和雄にズレたので戻します。
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それは宿主側が極めて積極的に、ウイルスを招き入れているとさえいえる挙動をした結果である。(中略)
つまり、ウイルスはもともと私たちのものだった。それが家出し、また、どこかから流れてきた家出人を宿主は優しく迎え入れているのだ。なぜそんなことをするのか。それはおそらくウイルスこそが進化を加速してくれるからだ。親から子に遺伝する情報は垂直方向にしか伝わらない。しかしウイルスのような存在があれば、情報は水平方向に、場合によっては種を超えてさえ伝達しうる。
それゆえにウイルスという存在が進化のプロセスで温存されたのだ。
(中略)
その運動はときに宿主に病気をもたらし、死をもたらすこともありうる。しかし、それにもまして遺伝情報の水平移動は生命系全体の利他的なツールとして、情報の交換と包摂に役立っていった。
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ほほ~…
つまりウィルスは宿主にとって短期的には死をもたらす厄介者だけど、長期的には進化をもたらすから、そちらの利益を選んで受け入れることにした、と…?
「う~ん、今は死んじゃいそうだけど何万年か先にええことありそうやし耐えとこ!」
という道を歩んだ生物は全滅しますよね?
進化は盲目的な過程であり、その様な長期的展望は持ちえません。
遺伝情報の水平移動がしばしば起きるのは事実ですが、それが「宿主側の適応の結果として生じ、維持されている仕組みである」と考える理由って何かあります…?
一方、利己的遺伝子論なら「それは寄生者側の適応として、より効率的に自己複製するために生じ、維持されているのだ」という形でわりと簡単に説明がつきます。
そもそもヒトは何にでも理由を求める生き物。
それ自体は良いことなのですが、しかしその性質は「全ては神が作った」という宗教や「全てはフリーメーソンの計画通り…!」という陰謀論をも生み出してきました。
進化論にも「生存のための戦略」といった擬人的な表現が頻発します。
しかしそれらはあくまでも比喩的なもので、
「動物は神によって人間の『ために』作られた」
といった、テレオロジー(目的論:「何の役に立つのか?」)ではなく、
「ライオンの牙は狩りをする『ために』ある」
というテレオノミー(適応の科学:「何が有利性となって進化したのか?」)として厳に区別されている…はずなのですが…【註3】
どうやらヒトは「○○は××の役に立つ」という例を見ると「○○は××のために作られた」という考えに飛びついてしまう様です。
例えば有名な『ガイア仮説』がそうです。
地球全体が生命体の様に自己調節をしている、という仮説ですが、どの様な仕組みを通じてそんな能力が獲得されたのかについてのちゃんとした説明はありません。
ここには
「地球の○○という特徴は環境の維持に役立つ」
↓
「○○は環境維持のための仕組みに違いない」
という発想が見て取れます。
しかしそのような仕組みがどうやって生まれたのかの説明はありません。
ガイア仮説と言えば、超名作漫画『寄生獣』もガイア丸出しでしたね(そういやこっちもシンイチだなぁ…)。
この作品はこんなナレーションで始まります。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
───地球上の誰かがふと思った
『人類の数が半分になったら いくつの森が焼かれずにすむだろうか……』
───地球上の誰かがふと思った
『人間の数が100分の1になったら たれ流される毒も100分の1になるだろうか……』
───誰かが ふと思った
『生物(みんな)の未来を守らねば……………』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
…そしてパラサイト爆誕。
つまり
「パラサイトは人工調整の役に立つ」
から存在する、と。
コレ
「地球の○○という特徴は環境の維持の役に立つ」
から存在する、というガイア仮説と同じやん…
もうその
「○○は××の役に立つから説明抜きに即・存在できる」
というナイーブな考え方、やめましょうよ…
私に3本目の腕があったら便利かもしれませんが、それだけの理由で突然腕が生えたりしないっつーの。
福岡伸一は先述のように妙なパングロス主義批判をしていますが、その割に自分自身が「鼻は眼鏡をかけるためにある」とか言っちゃう超楽観主義のパングロス博士とほぼ同じことをしてるんじゃないですかね…?
あと進化モノSFって大体は神だのオーバーロードだの超越的な存在が出てきて、そいつらの起源は説明しないのな…。
知性抜きの盲目的な進化を扱った作品は貴重です。
ちなみに『寄生獣』には利己的遺伝子論の話も出てくるのですが…ガイア仮説を提唱したラヴロックはドーキンスの論敵。【註4】
ドーキンスは
「惑星間で淘汰が起きる、とかじゃない訳よね? じゃあどうやってこんな仕組みが進化すんの?」
的な批判をしてます。
ラヴロックもラヴロックで、ドーキンスが
「星は子供を作らないから生物じゃねぇよ」
的な批判したのを受けて
「だったら閉経したお婆ちゃんは生物じゃねぇのかよ」
的に反論してます。
子供の言い争いかよ…。
さらに「百匹目の猿」の話を捏造したことで知られるトンデモさん、ライアル・ワトソンは『シークレット・ライフ ─物たちの秘められた生活』において
「かつて地球には炭素生物だけでなく珪素生物もいたが、消えた…だが彼らは炭素生物、つまり我々にシリコンチップを大量生産させることで復活を遂げたのだ」
的な主張をしています。
コレも珪素生物が炭素生物にどの様な影響を与えてシリコンチップを作らせたのかの説明はありません。
これではガイアも珪素生物云々もただの思い付きに過ぎないでしょ…。
ほなアレか?
アミノ酸の旨味たっぷりなラーメンスープは、生命発生以前のアミノ酸が溶け込んだ「生命のスープ」が我々ヒトを操って自分達を再現させとるんか?
こんなユルいアナロジーなんていくらでも考え出せます。
ラーメンスープと「生命のスープ」の類似性はあさりよしとおが漫画『HAL―はいぱああかでみっくらぼ』で指摘してるので、オリジナルのやつを紹介しましょう。
ウチの近所にあったタコ焼き屋のタコ焼きはふわトロ系。
あまりに柔らかいので、容器の中でたこ焼きが丸型を保てず、自重で押しつぶされ、押し合いへし合いしてひとかたまりになってました。
よく見ると四角くそれぞれのタコ焼きの境目が見える感じ。
柔らかい皮にドロドロの生地がくるまれてて、中にらせん状に巻いたタコの足(紅ショウガによって染色されがち)や、エネルギーたっぷりで高カロリーな、だけど別の料理(天プラ)に由来する天カスや、もろもろの具材が入ってる…
コレ、細胞じゃね?
柔軟な細胞膜にドロドロの原形質基質がくるまれてて、中にらせん状に巻いた染色体(塩基性の色素によく染色されがち)や、エネルギーを司る、だけど別の生物(αプロテオバクテリア)に由来するミトコンドリアや、もろもろの細胞内小器官(オルガネラ)が入ってる…その同じユニットがいくつも集まり、押し合いへし合いしてひとつの組織を作る。
そう、タコ焼きは細胞による細胞の拡大再生産であり、細胞はタコ焼きを作るために生まれてきたのです! ΩΩΩ<な、なんだってー!?
…ユルいアナロジーから「○○は××のために作られた」といった類の話を持ち出す言説は↑これレベルの妄言じゃないですかね…。
※字数制限のため2回分け。
【註2:科学教育に宗教を持ち込もうとしてる】
なお、日本では教育に宗教を持ち込んだりしないよね…と思いきや、この「サムシンググレート」はいくつかの教科書や教材に紛れ込んでいます。
教育学者の高橋史朗がこのサムシンググレートに肩入れしてるんですよね~…。
高橋史郎は「親学」というトンデモな教育メソッドを唱え、「江戸しぐさ」も信じてたり、持論の権威付けに『ゲーム脳の恐怖』の森昭雄を利用したりと節操がない人なんですが…。
ちなみに高橋史郎は「新しい歴史教科書をつくる会」元副会長・「日本会議」役員で、新宗教『生長の家』くずれなんですよね…
『生長の家』はかつては反共路線で政治の世界にも熱心に手を出していました。
まぁ今で言うと『幸福の科学』みたいなもん。
その後、教団は路線変更して政治からは距離を置く様になったのですが、一部は教団と袂を分かち、政治の世界に残り続けたのですね。
その中にこの高橋史郎や日本会議事務総長の椛島有三らがいます。
私は一部の左翼の様に、日本会議を右翼の背後で糸を引く団体とは見做してません。
特定の組織を諸悪の根源とするのは「フリーメーソンガー!」「イルミナティ―ガ―!」とかの陰謀論と変わらないし。
あんなん右翼爺ちゃんの草の根運動やろ…。
しかし、右翼の動きについていろいろ調べていくと「日本会議」の名や『生長の家』くずれの人士に何度も行き当たるのもまた事実。
別にそれらが統一的な意思の元で何かの策略を張り巡らしているとは思いませんが、それらが同じ志向の人間を引き寄せ、助け合ったりしてるうちに右翼への人材供給源になったんだろうな、程度には注目しています。
【註3:テレオノミー(適応の科学)】
ドーキンスはテレオロジー(目的論:「何の役に立つか?」)とテレオノミー(適応の科学:「何が有利性となって進化したのか?」)の区別に厳格です。
彼は「ワニの歯を虫歯にしやすくする遺伝子」を仮定し、それのせいでワニが餌を食べにくくなって、その分、周囲の個体により多くの餌が渡るなら、これを「利他行動のための遺伝子」と呼んでも良い、的なことまで言ってます。
何とも自由~!
つまり我々が感じる「目的」ではなく、結果が全て、という訳ですね。
ただし、ここでは適応について語っているのであり、進化(遺伝子頻度の変化)には様々な理由があるけれど、適応をもたらせるのは自然選択だけなので、適応はあくまで自然選択の枠組みで説明されなければならない訳です。
虫歯遺伝子の話は突拍子もない様に見えますが、ちゃんと自然選択のフレームに組み込まれてます(利他的な遺伝子は自然選択によって支持されないであろう、という方向ではありますが)。
これだけ「『○○のための遺伝子』の意味はガバガバでもいいよ~」というドーキンスですが、話がテレオノミーから外れてテレオロジーに堕することは許しません。
ちなみに最近は
「科学者による『ぼくのかんがえたうちゅうじん』の類は《どういう仕組みで生きてるか》は考えてあっても《どうやって進化したか》は考えてなさそう」
コレも珪素生物が炭素生物にどの様な影響を与えてシリコンチップを作らせたのかの説明はありません。
これではガイアも珪素生物云々もただの思い付きに過ぎないでしょ…。
ほなアレか?
アミノ酸の旨味たっぷりなラーメンスープは、生命発生以前のアミノ酸が溶け込んだ「生命のスープ」が我々ヒトを操って自分達を再現させとるんか?
こんなユルいアナロジーなんていくらでも考え出せます。
ラーメンスープと「生命のスープ」の類似性はあさりよしとおが漫画『HAL―はいぱああかでみっくらぼ』で指摘してるので、オリジナルのやつを紹介しましょう。
ウチの近所にあったタコ焼き屋のタコ焼きはふわトロ系。
あまりに柔らかいので、容器の中でたこ焼きが丸型を保てず、自重で押しつぶされ、押し合いへし合いしてひとかたまりになってました。
よく見ると四角くそれぞれのタコ焼きの境目が見える感じ。
柔らかい皮にドロドロの生地がくるまれてて、中にらせん状に巻いたタコの足(紅ショウガによって染色されがち)や、エネルギーたっぷりで高カロリーな、だけど別の料理(天プラ)に由来する天カスや、もろもろの具材が入ってる…
コレ、細胞じゃね?
柔軟な細胞膜にドロドロの原形質基質がくるまれてて、中にらせん状に巻いた染色体(塩基性の色素によく染色されがち)や、エネルギーを司る、だけど別の生物(αプロテオバクテリア)に由来するミトコンドリアや、もろもろの細胞内小器官(オルガネラ)が入ってる…その同じユニットがいくつも集まり、押し合いへし合いしてひとつの組織を作る。
そう、タコ焼きは細胞による細胞の拡大再生産であり、細胞はタコ焼きを作るために生まれてきたのです! ΩΩΩ<な、なんだってー!?
…ユルいアナロジーから「○○は××のために作られた」といった類の話を持ち出す言説は↑これレベルの妄言じゃないですかね…。
※字数制限のため2回分け。
続きは以下で。
【チコちゃんに叱られろ:後編】
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/12835675.html
【註1:著者紹介で「ノーベル賞に一番近いとされる科学者」と書かれてたりする】
例えば村上和雄の著作『奇跡を呼ぶ100万回の祈り』のAmazon商品紹介にはこうあります。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
世界のダライ・ラマ14世推薦!
遺伝子工学の世界的権威であり、
ノーベル賞に一番近いとされる科学者・村上和雄氏による、
国難にあえぐ日本への愛と希望のメッセージ。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━【チコちゃんに叱られろ:後編】
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/12835675.html
【註1:著者紹介で「ノーベル賞に一番近いとされる科学者」と書かれてたりする】
例えば村上和雄の著作『奇跡を呼ぶ100万回の祈り』のAmazon商品紹介にはこうあります。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
世界のダライ・ラマ14世推薦!
遺伝子工学の世界的権威であり、
ノーベル賞に一番近いとされる科学者・村上和雄氏による、
国難にあえぐ日本への愛と希望のメッセージ。
【註2:科学教育に宗教を持ち込もうとしてる】
なお、日本では教育に宗教を持ち込んだりしないよね…と思いきや、この「サムシンググレート」はいくつかの教科書や教材に紛れ込んでいます。
教育学者の高橋史朗がこのサムシンググレートに肩入れしてるんですよね~…。
高橋史郎は「親学」というトンデモな教育メソッドを唱え、「江戸しぐさ」も信じてたり、持論の権威付けに『ゲーム脳の恐怖』の森昭雄を利用したりと節操がない人なんですが…。
ちなみに高橋史郎は「新しい歴史教科書をつくる会」元副会長・「日本会議」役員で、新宗教『生長の家』くずれなんですよね…
『生長の家』はかつては反共路線で政治の世界にも熱心に手を出していました。
まぁ今で言うと『幸福の科学』みたいなもん。
その後、教団は路線変更して政治からは距離を置く様になったのですが、一部は教団と袂を分かち、政治の世界に残り続けたのですね。
その中にこの高橋史郎や日本会議事務総長の椛島有三らがいます。
私は一部の左翼の様に、日本会議を右翼の背後で糸を引く団体とは見做してません。
特定の組織を諸悪の根源とするのは「フリーメーソンガー!」「イルミナティ―ガ―!」とかの陰謀論と変わらないし。
あんなん右翼爺ちゃんの草の根運動やろ…。
しかし、右翼の動きについていろいろ調べていくと「日本会議」の名や『生長の家』くずれの人士に何度も行き当たるのもまた事実。
別にそれらが統一的な意思の元で何かの策略を張り巡らしているとは思いませんが、それらが同じ志向の人間を引き寄せ、助け合ったりしてるうちに右翼への人材供給源になったんだろうな、程度には注目しています。
【註3:テレオノミー(適応の科学)】
ドーキンスはテレオロジー(目的論:「何の役に立つか?」)とテレオノミー(適応の科学:「何が有利性となって進化したのか?」)の区別に厳格です。
彼は「ワニの歯を虫歯にしやすくする遺伝子」を仮定し、それのせいでワニが餌を食べにくくなって、その分、周囲の個体により多くの餌が渡るなら、これを「利他行動のための遺伝子」と呼んでも良い、的なことまで言ってます。
何とも自由~!
つまり我々が感じる「目的」ではなく、結果が全て、という訳ですね。
ただし、ここでは適応について語っているのであり、進化(遺伝子頻度の変化)には様々な理由があるけれど、適応をもたらせるのは自然選択だけなので、適応はあくまで自然選択の枠組みで説明されなければならない訳です。
虫歯遺伝子の話は突拍子もない様に見えますが、ちゃんと自然選択のフレームに組み込まれてます(利他的な遺伝子は自然選択によって支持されないであろう、という方向ではありますが)。
これだけ「『○○のための遺伝子』の意味はガバガバでもいいよ~」というドーキンスですが、話がテレオノミーから外れてテレオロジーに堕することは許しません。
ちなみに最近は
「科学者による『ぼくのかんがえたうちゅうじん』の類は《どういう仕組みで生きてるか》は考えてあっても《どうやって進化したか》は考えてなさそう」
みたいな批判をしてたり。
【註4:ラヴロックはドーキンスの論敵】
ちなみにラヴロックは『利己的な遺伝子』を好意的に読んでたり、ガイア仮説が環境保護系の人たちによって宗教の様に祭り上げられていることからは距離を置いたりと、意外にナイスガイでもあるので念のため。
あと『寄生獣』がガイア理論と利己的遺伝子という相反する説の両方に触れてる件は、今調べてみたらすでに言及している人がいました↓
【『寄生獣』と利己的遺伝子とガイア理論の衰退の話】
https://togetter.com/li/787273
【註4:ラヴロックはドーキンスの論敵】
ちなみにラヴロックは『利己的な遺伝子』を好意的に読んでたり、ガイア仮説が環境保護系の人たちによって宗教の様に祭り上げられていることからは距離を置いたりと、意外にナイスガイでもあるので念のため。
あと『寄生獣』がガイア理論と利己的遺伝子という相反する説の両方に触れてる件は、今調べてみたらすでに言及している人がいました↓
【『寄生獣』と利己的遺伝子とガイア理論の衰退の話】
https://togetter.com/li/787273
(23:58)








