2022年03月18日
NHKの科学番組大好きっ子の私ですが、NHKはちょいちょいトンデモ方向に「やらかし」があるんですよね~…
有名なトコロでは「花に追われた恐竜」とか「奇跡の詩人」とか。
(これらについては最後にオマケの資料集を付けておくので参照を)
最近、『ヒューマニエンス 40億年のたくらみ』が面白いんだけど、ちょこちょこ結構アレな部分が…。
という訳で良かったトコ、トンデモだったトコ等々まぜこぜに取り上げていきたいと思います。
【『オトコとオンナ “性”のゆらぎのミステリー』】
この回は性は男女だけではないという「性スペクトラム」や、ヒトは本当に一夫一婦制なのかについて(類人猿の雌雄の体格差や睾丸の大きさについてのおなじみのやつ)切り込んでいます。
ちなみに進化生物学者など伝統に捉われない論理的な人は一夫一婦制を強くは支持しない傾向にあるのですが…
SF作家・山本弘の『BISビブリオバトル部』シリーズ、前作ではヒロインが同時に男性2人と付き合うポリアモリーを描いてたり、最新作『夢は光年の彼方に』(WEB連載中)ではその男性2人にBL展開っぽいのが。
あと『ざんねんないきもの事典』の類書『ゾウは足音を立てずに歩く どうぶつ「生きかた図鑑」』に「ヒトのように一対一でオスとメスがカップルになる動物は少数派」と書かれていて「え、ヒトって言うほど一対一ですかね…?」と思ってしまったです。
男女の体格差や睾丸サイズから見るとヒトは「一夫多妻、もしくはゆるやかな一夫一妻」ってトコだと言われてますけど。
さてこの番組、NHK制作・LGBT寄りだったり、伝統的価値観(実はさほど伝統的ではありませんが…)に逆らう内容・ディレクターが中国系っぽい名前…
ネトウヨさんが何か言いそう。
中国が性の多様性に理解があるとはとても思えませんが、ネトウヨさんは「夫婦同姓は中韓の文化侵略」「スパイを送り込みやすくするための陰謀」とか言っちゃうからなぁ…
そして「Y染色体が消える?」の話が。
これは『NHKスペシャル 女と男~最新科学が読み解く性~』 「第3回 男が消える?人類も消える?」(2009年1月18日放送)の内容の繰り返し。
「ヒトのY染色体はいつ消えてもおかしくない」という内容なのですが…
確かにヒトのY染色体は小型化していますが…
それは機能を持つ部分が少ないため、不要な部分が削れてきてるだけで、本当に重要な機能が削れたらそういうY染色体は自然淘汰にはじかれるので、なくなることはないんじゃないですかね…
もしなくなるとしたら、それはY染色体抜きでもなんとかする方法が進化した時でしょ…それなら別になくなってもええがな。
というかそういう動物は既にいるし。
↓ココとか参照。
【北海道大学 理学部 生物科学科 研究トピックス】
『トゲネズミ ~Y染色体がなくなってもだいじょうぶ。オスはしたたかに残り続ける~』
『トゲネズミ ~Y染色体がなくなってもだいじょうぶ。オスはしたたかに残り続ける~』
https://www2.sci.hokudai.ac.jp/dept/bio/research/1076
ココのパートはどうもNHKサイドが「以前の番組に準じた形で!」と押してきたんちゃうんか、と。
専門家の先生がちょっと言いにくそうにさらっと解説してたっぽく見えたし、NHKのやらかしは大抵、番組サイドが用意したストーリーに沿わせる形でむりくり歪曲を行うことで発生してます。
【『“体毛” 毛を捨てたサル』】
この回では、古脊椎動物研究所の犬塚則久がヒトの胎児にびっしり毛が生えていることについて「先祖の形を繰り返している」「おなかの中で育つその過程で長い進化の過程を再現している」と発言。
それヘッケルの反復説やん!
「個体発生は系統発生を繰り返す」という反復説は現在では支持されてません。
ヘッケルは熱心な進化論者でしたが、そもそもどうして個体発生がわざわざ系統発生をなぞるのか、その理由は曖昧…
まぁその辺は時代的な制約もあったのであまり責められませんし、その後、めちゃめちゃそれっぽい説明に置き換わります。
適応的な進化というのはしばしば「前肢を翼に変える」等、もともとある構造を転用して進む訳です。
だったら発生プログラムも祖先のものを流用し、そこに何かを付け加えているに違いない。
魚の発生プログラムにヒレを四肢に変えるプログラムを追加して四足動物を作る、といった具合に…
そう考えると反復説というのはちゃんと進化論を取り込んでるし、実にもっともらしいんですよね…。
しかしよく考えると、変更点が必ず祖先のプログラムの最後に追加されなければならない理由はありません(まぁ発生初期に大きな変更を加えるのは改良より改悪につながりやすいでしょうが)。
脊椎動物の胚がある段階ではどれも似てる、というのは事実です。
これは「この段階だけは変更しにくいため」と考えられます。
その前か後に変更を付け足すのはOKですが、変更がほぼ不可能な、むちゃくちゃ保守的なフェイズがあるのですね。
砂時計のくびれの様に、自由度の幅が急に狭くなるのでこの説を「発生砂時計モデル」と呼びます。
という訳で反復説は間違ってはいるのですが妙に魅力的…日本探偵小説三大奇書のひとつ『ドグラ・マグラ』に取り入れられたりもしています(当時は間違っているとは思われていませんでしたが)。
まぁ「胎児が進化の歴史を繰り返していく」というのは何だか壮大かつロマンチックな話ですもんね。
そして困ったことに今でもそれなりに人気があります。
カルト人気な三木成夫の本とかモロに反復説ですし。
町山智浩も創造論を批判する文脈で反復説を進化論が正しい証拠として挙げていましたな(まぁこの辺は一般にはあまり知られていない話なので無理もないとは思いますが)。
そしてその創造論は今でも「ヘッケルの反復説の図は捏造だらけ」と進化論を攻撃しています。
ヘッケルの図に捏造があったのは事実ですが、今は進化論自体が反復説を推してないんだから、そんなこと言われても困るんだよなぁ…。
まぁ途中までの考え方はそう的外れでもないし、間違ってはいるけれどいろいろ学ぶ点は多い、ビミョーな位置にあるのが反復説。
それ故に変なトンデモ発言は慎んでほしいものです。
【『“嗅覚” 生命のバロメーター』】
この回では福岡伸一が信じがたいトンデモ発言。
嗅覚の退化について語っている時に「いらなくなったから遺伝子が消えるっていうのは本当は進化論的には難しいですよね。用不用説になってしまいますよね」
と言い出し、嗅覚の進化の専門家・東原和成に軽くかわされてました(東原は最初の一文に不用意に同意した後、二文目にはノーコメント)。
…なんっじゃぁぁああこりゃああ!?
退化は普通に適応的な進化の一種で、適応的な進化をもたらすのは自然選択だけ。
用不用説を持ち出す理由なんてどこにもありません。
この人、「退化=用不用説」だと思ってんのか!?
しかも福岡伸一は「ダーウィニズムだけでは不完全」として用不用説を持ち出したことのある人物…
「用不用説になってしまいますよね」って、なったところでアンタは困らへんがな。
それとも「いや~困っちゃうな~、つい用不用説の正しさを指摘しちゃったよ、困った困った」的な意味なんでしょーか?
全然指摘できてませんが。
【『“自由な意志” それは幻想なのか?』】
タイトル通り、かなり攻めた回。
番組中でゲストのいとうせいこうが自由意志のあやふやさについて「この前ラーメン食べたんだけど、後から思えば昼にラーメンの話してたわ」みたいなトークをしていたのですが…
それに近いことを検証していたのが『水曜日のダウンタウン』の「打ち合わせ中 隣の部屋からカレーの匂いを送り続けたらその後全員カレー食う説」(2019年6月26日放送)。
多くの芸人がカレーの匂いを嗅がされた後、実際にカレーを食べに行っていましたが、本人はその因果関係に無自覚でしたな。
この回のキモは有名なリベット実験。
これは何か行動をしようとするよりコンマ数秒前に脳内の準備電位が上がる、ということを解き明かしたベンジャミン・リベットによる実験です(番組内では何故かリベットとは少し違う手順で再現してましたが…)。
意志が発生するよりも前に脳内の物理的状態が変化している、ということは「意思が体を動かしている」のではなく、「体が意思を作り出している」訳で、この実験は「原因と結果が逆やん…思てたんと違う!」と世界から衝撃をもって受け止められました。
でも唯物論は「心が物理的実体を生むのではなく、物理的実体が心を生む」としている訳で、よく考えたら当たり前ですよな。
そもそも何もないところから勝手に意思だの心だのが出てきたらそれは霊とかと同じオカルトな訳で、そら物理的基盤はあるに決まってるやん…。
なお、リベット自身は自身の成果を受け止めきれず、
「ほな自由意志は幻想ってコトか? 誰かが『人、刺したろ!』と殺人を犯しても、それは心が思う前に体が勝手に動いた結果で、その人には責任はないってコトか?」
↓
「いや、その前に『あか~ん!』と止めるために介入する時間がギリあるからセーフ! 自由意志はやっぱりあるで!」
と考えた様です。
ではその「介入してくる自由意志」とやらはどっから湧いてきたんですかね…?
…が、ダニエル・デネットやトール・ノーレットランダーシュの様ないけいけドンドン派に言わせれば、
「そやそや、自由意志なんて幻想や。
パソコンのアイコンって見えるし押せるしまるで存在してるみたいやけど、あんなん光のパターンで実在はせぇへんやろ?
それと同じで、自由意志は『便利な幻想』なんや」
というコトになります。
私は旧来の考え方にしがみつくリベットより歯切れの良いデネット側が好き。
で、興奮しておかんに「NHKがおもろい番組やっててな、自由意志より先に脳内の…」と話そうとしたら、おかんが喰い気味に「わかったわかった、後でゆっくり観るわな」と解説が始まる前に遮断してきよった~!
やっぱね、リベット実験みたいに「結果が原因に先行してる様に見える現象」も実在するんだな~、と痛感したですよ。
あるいはリベット自身の解釈の様に、「興味を持てない話を無理くりされる」という決定論的イベントが発生する前に『あか~ん!』と止めるために介入する時間がギリあって、話が始まるのを阻止したのかも…
おかんの自由意志、おそるべし!
【長めの補遺というか脱線】
『“自由な意志” それは幻想なのか?』の回では意思の源泉を「偶然」「ゆらぎ」「波」で説明してます。
しかも特に根拠なく。
これは決定論と自由意志論という古来の議論に則っているのでしょうが…
個人的には何か違う感じ。
一般的に「決定論と非決定論(偶然)」が対立し、かつ「決定論と自由意志論」が対立してるため、「非決定論(偶然)=自由意志論」だと思い込んで「意思の源泉は偶然、つまり非決定論的→自由意志の正体は偶然」と言いたいのだと思いますが…
逆に「脳の働きは物理的なもの、つまり自由意志の源泉は決定論的→自由意志は存在しない」としても良い訳で(というかこっちが定石)。
例えば『シュレーディンガーの猫』の思考実験の様に、放射性元素が原子崩壊するとそれを検知するデバイスがあるとしましょう。
原子崩壊がいつ起きるかは予想できず、非決定論的です。
このデバイスが全身に組み込まれたロボットがあるとしましょう。
右腕のデバイスが反応すれば右腕を挙げ、左脚のデバイスが反応すれば右脚が上がる…そんなロボットです。
つまりこのロボの動きは非決定論的です。
…ではこのたまにランダムにカクカク動くだけのロボを「彼は決定論的ではない…つまり彼は自由意志に基づいて動いているのだ」などと言えるでしょうか?
言えないですよね?
偶然で動いても自由意志にはならんでしょ…
つまるところ、「決定論と非決定論(偶然)」という場合の『決定論』と、「決定論と自由意志論」という時の『決定論』は別モノなんじゃないですかね…
この「脳の働きは決定論的だから自由意志は存在しないかも→いや、脳の働きは偶然だから非決定論的、つまり自由意志は存在する!」という無理くりな自由意志の救出は、リベットの「自由意志は幻想かも→いや、介入する時間がギリあるからセーフ! 自由意志はやっぱりあるで!」とそっくりですね…
まぁ自由意志はあまりにも明白に存在するので、それを否定することはヒトにとって心理的に難しい模様。
でもそれって「自由意志という幻想があまりにも強力にハードワイアードされてるからそう感じる」だけなのかもよ。
まぁこの辺の話はややこしいので、別にコレを「NHKのやらかしだ!」と鬼の首でも獲ったみたいに叫ぶつもりはありません。
むしろトガった神回だと思ってます。
【オマケ:資料集】
《「花に追われた恐竜」》
この問題は長らくネット上に良い資料がなかったのですが、いつの間にかちゃんとまとめてくれてる記事が2本も…!
ネットは日々記事が蓄積していくので、調べてもよく解らなかったことは時々調べなおすと数年後に急に良記事が出たりするよ!
【科学史趣味者の雑記帳】
『恐竜はなぜ「花に追われなかった」か? 「最新恐竜事典」「最新恐竜学レポート」など』
http://blog.livedoor.jp/semiwide38/archives/9039204.html
【note】
『今更ですが「花に追われた恐竜」』
https://note.com/stn10_18/n/nf34e2cc1325e
↑よくある擬人的表現を「ラマルキズム」だと批判するのはやり過ぎ…
…これらを見ると、NHKはそれなりに整合性を持たせようとしてもいますが、結局は用意されたストーリーにむりくり沿わせるスタイルに変わりはない感じ…。
《「奇跡の詩人」》
【ニコニコ大百科】
『奇跡の詩人』
https://dic.nicovideo.jp/a/%E5%A5%87%E8%B7%A1%E3%81%AE%E8%A9%A9%E4%BA%BA
【excite.ニュース】[NHKドキュメンタリーに批判殺到…大問題になった『奇跡の詩人』とは?]
https://www.excite.co.jp/news/article/E1476415935441/
↑政治的には良いこと言ってるけどスプーン曲げは信じちゃう森達也のトンデモ発言が紹介されてるよ!
ちなみにこの事件自体、NHKスタッフは「だって実際に起こったんだししょうがない」的な言い訳をしてて、「それでも僕の目の前でスプーンは曲がったんだ!」的に清田君を擁護しちゃう森達也とそっくりです。
森達也は基本的に「石持て追われる側」へのシンパシーが強火なのでこうなっちゃうんやろなぁ…。
ココのパートはどうもNHKサイドが「以前の番組に準じた形で!」と押してきたんちゃうんか、と。
専門家の先生がちょっと言いにくそうにさらっと解説してたっぽく見えたし、NHKのやらかしは大抵、番組サイドが用意したストーリーに沿わせる形でむりくり歪曲を行うことで発生してます。
【『“体毛” 毛を捨てたサル』】
この回では、古脊椎動物研究所の犬塚則久がヒトの胎児にびっしり毛が生えていることについて「先祖の形を繰り返している」「おなかの中で育つその過程で長い進化の過程を再現している」と発言。
それヘッケルの反復説やん!
「個体発生は系統発生を繰り返す」という反復説は現在では支持されてません。
ヘッケルは熱心な進化論者でしたが、そもそもどうして個体発生がわざわざ系統発生をなぞるのか、その理由は曖昧…
まぁその辺は時代的な制約もあったのであまり責められませんし、その後、めちゃめちゃそれっぽい説明に置き換わります。
適応的な進化というのはしばしば「前肢を翼に変える」等、もともとある構造を転用して進む訳です。
だったら発生プログラムも祖先のものを流用し、そこに何かを付け加えているに違いない。
魚の発生プログラムにヒレを四肢に変えるプログラムを追加して四足動物を作る、といった具合に…
そう考えると反復説というのはちゃんと進化論を取り込んでるし、実にもっともらしいんですよね…。
しかしよく考えると、変更点が必ず祖先のプログラムの最後に追加されなければならない理由はありません(まぁ発生初期に大きな変更を加えるのは改良より改悪につながりやすいでしょうが)。
脊椎動物の胚がある段階ではどれも似てる、というのは事実です。
これは「この段階だけは変更しにくいため」と考えられます。
その前か後に変更を付け足すのはOKですが、変更がほぼ不可能な、むちゃくちゃ保守的なフェイズがあるのですね。
砂時計のくびれの様に、自由度の幅が急に狭くなるのでこの説を「発生砂時計モデル」と呼びます。
という訳で反復説は間違ってはいるのですが妙に魅力的…日本探偵小説三大奇書のひとつ『ドグラ・マグラ』に取り入れられたりもしています(当時は間違っているとは思われていませんでしたが)。
まぁ「胎児が進化の歴史を繰り返していく」というのは何だか壮大かつロマンチックな話ですもんね。
そして困ったことに今でもそれなりに人気があります。
カルト人気な三木成夫の本とかモロに反復説ですし。
町山智浩も創造論を批判する文脈で反復説を進化論が正しい証拠として挙げていましたな(まぁこの辺は一般にはあまり知られていない話なので無理もないとは思いますが)。
そしてその創造論は今でも「ヘッケルの反復説の図は捏造だらけ」と進化論を攻撃しています。
ヘッケルの図に捏造があったのは事実ですが、今は進化論自体が反復説を推してないんだから、そんなこと言われても困るんだよなぁ…。
まぁ途中までの考え方はそう的外れでもないし、間違ってはいるけれどいろいろ学ぶ点は多い、ビミョーな位置にあるのが反復説。
それ故に変なトンデモ発言は慎んでほしいものです。
【『“嗅覚” 生命のバロメーター』】
この回では福岡伸一が信じがたいトンデモ発言。
嗅覚の退化について語っている時に「いらなくなったから遺伝子が消えるっていうのは本当は進化論的には難しいですよね。用不用説になってしまいますよね」
と言い出し、嗅覚の進化の専門家・東原和成に軽くかわされてました(東原は最初の一文に不用意に同意した後、二文目にはノーコメント)。
…なんっじゃぁぁああこりゃああ!?
退化は普通に適応的な進化の一種で、適応的な進化をもたらすのは自然選択だけ。
用不用説を持ち出す理由なんてどこにもありません。
この人、「退化=用不用説」だと思ってんのか!?
しかも福岡伸一は「ダーウィニズムだけでは不完全」として用不用説を持ち出したことのある人物…
「用不用説になってしまいますよね」って、なったところでアンタは困らへんがな。
それとも「いや~困っちゃうな~、つい用不用説の正しさを指摘しちゃったよ、困った困った」的な意味なんでしょーか?
全然指摘できてませんが。
【『“自由な意志” それは幻想なのか?』】
タイトル通り、かなり攻めた回。
番組中でゲストのいとうせいこうが自由意志のあやふやさについて「この前ラーメン食べたんだけど、後から思えば昼にラーメンの話してたわ」みたいなトークをしていたのですが…
それに近いことを検証していたのが『水曜日のダウンタウン』の「打ち合わせ中 隣の部屋からカレーの匂いを送り続けたらその後全員カレー食う説」(2019年6月26日放送)。
多くの芸人がカレーの匂いを嗅がされた後、実際にカレーを食べに行っていましたが、本人はその因果関係に無自覚でしたな。
この回のキモは有名なリベット実験。
これは何か行動をしようとするよりコンマ数秒前に脳内の準備電位が上がる、ということを解き明かしたベンジャミン・リベットによる実験です(番組内では何故かリベットとは少し違う手順で再現してましたが…)。
意志が発生するよりも前に脳内の物理的状態が変化している、ということは「意思が体を動かしている」のではなく、「体が意思を作り出している」訳で、この実験は「原因と結果が逆やん…思てたんと違う!」と世界から衝撃をもって受け止められました。
でも唯物論は「心が物理的実体を生むのではなく、物理的実体が心を生む」としている訳で、よく考えたら当たり前ですよな。
そもそも何もないところから勝手に意思だの心だのが出てきたらそれは霊とかと同じオカルトな訳で、そら物理的基盤はあるに決まってるやん…。
なお、リベット自身は自身の成果を受け止めきれず、
「ほな自由意志は幻想ってコトか? 誰かが『人、刺したろ!』と殺人を犯しても、それは心が思う前に体が勝手に動いた結果で、その人には責任はないってコトか?」
↓
「いや、その前に『あか~ん!』と止めるために介入する時間がギリあるからセーフ! 自由意志はやっぱりあるで!」
と考えた様です。
ではその「介入してくる自由意志」とやらはどっから湧いてきたんですかね…?
…が、ダニエル・デネットやトール・ノーレットランダーシュの様ないけいけドンドン派に言わせれば、
「そやそや、自由意志なんて幻想や。
パソコンのアイコンって見えるし押せるしまるで存在してるみたいやけど、あんなん光のパターンで実在はせぇへんやろ?
それと同じで、自由意志は『便利な幻想』なんや」
というコトになります。
私は旧来の考え方にしがみつくリベットより歯切れの良いデネット側が好き。
で、興奮しておかんに「NHKがおもろい番組やっててな、自由意志より先に脳内の…」と話そうとしたら、おかんが喰い気味に「わかったわかった、後でゆっくり観るわな」と解説が始まる前に遮断してきよった~!
やっぱね、リベット実験みたいに「結果が原因に先行してる様に見える現象」も実在するんだな~、と痛感したですよ。
あるいはリベット自身の解釈の様に、「興味を持てない話を無理くりされる」という決定論的イベントが発生する前に『あか~ん!』と止めるために介入する時間がギリあって、話が始まるのを阻止したのかも…
おかんの自由意志、おそるべし!
【長めの補遺というか脱線】
『“自由な意志” それは幻想なのか?』の回では意思の源泉を「偶然」「ゆらぎ」「波」で説明してます。
しかも特に根拠なく。
これは決定論と自由意志論という古来の議論に則っているのでしょうが…
個人的には何か違う感じ。
一般的に「決定論と非決定論(偶然)」が対立し、かつ「決定論と自由意志論」が対立してるため、「非決定論(偶然)=自由意志論」だと思い込んで「意思の源泉は偶然、つまり非決定論的→自由意志の正体は偶然」と言いたいのだと思いますが…
逆に「脳の働きは物理的なもの、つまり自由意志の源泉は決定論的→自由意志は存在しない」としても良い訳で(というかこっちが定石)。
例えば『シュレーディンガーの猫』の思考実験の様に、放射性元素が原子崩壊するとそれを検知するデバイスがあるとしましょう。
原子崩壊がいつ起きるかは予想できず、非決定論的です。
このデバイスが全身に組み込まれたロボットがあるとしましょう。
右腕のデバイスが反応すれば右腕を挙げ、左脚のデバイスが反応すれば右脚が上がる…そんなロボットです。
つまりこのロボの動きは非決定論的です。
…ではこのたまにランダムにカクカク動くだけのロボを「彼は決定論的ではない…つまり彼は自由意志に基づいて動いているのだ」などと言えるでしょうか?
言えないですよね?
偶然で動いても自由意志にはならんでしょ…
つまるところ、「決定論と非決定論(偶然)」という場合の『決定論』と、「決定論と自由意志論」という時の『決定論』は別モノなんじゃないですかね…
この「脳の働きは決定論的だから自由意志は存在しないかも→いや、脳の働きは偶然だから非決定論的、つまり自由意志は存在する!」という無理くりな自由意志の救出は、リベットの「自由意志は幻想かも→いや、介入する時間がギリあるからセーフ! 自由意志はやっぱりあるで!」とそっくりですね…
まぁ自由意志はあまりにも明白に存在するので、それを否定することはヒトにとって心理的に難しい模様。
でもそれって「自由意志という幻想があまりにも強力にハードワイアードされてるからそう感じる」だけなのかもよ。
まぁこの辺の話はややこしいので、別にコレを「NHKのやらかしだ!」と鬼の首でも獲ったみたいに叫ぶつもりはありません。
むしろトガった神回だと思ってます。
【オマケ:資料集】
《「花に追われた恐竜」》
この問題は長らくネット上に良い資料がなかったのですが、いつの間にかちゃんとまとめてくれてる記事が2本も…!
ネットは日々記事が蓄積していくので、調べてもよく解らなかったことは時々調べなおすと数年後に急に良記事が出たりするよ!
【科学史趣味者の雑記帳】
『恐竜はなぜ「花に追われなかった」か? 「最新恐竜事典」「最新恐竜学レポート」など』
http://blog.livedoor.jp/semiwide38/archives/9039204.html
【note】
『今更ですが「花に追われた恐竜」』
https://note.com/stn10_18/n/nf34e2cc1325e
↑よくある擬人的表現を「ラマルキズム」だと批判するのはやり過ぎ…
…これらを見ると、NHKはそれなりに整合性を持たせようとしてもいますが、結局は用意されたストーリーにむりくり沿わせるスタイルに変わりはない感じ…。
《「奇跡の詩人」》
【ニコニコ大百科】
『奇跡の詩人』
https://dic.nicovideo.jp/a/%E5%A5%87%E8%B7%A1%E3%81%AE%E8%A9%A9%E4%BA%BA
【excite.ニュース】
https://www.excite.co.jp/news/article/E1476415935441/
↑政治的には良いこと言ってるけどスプーン曲げは信じちゃう森達也のトンデモ発言が紹介されてるよ!
ちなみにこの事件自体、NHKスタッフは「だって実際に起こったんだししょうがない」的な言い訳をしてて、「それでも僕の目の前でスプーンは曲がったんだ!」的に清田君を擁護しちゃう森達也とそっくりです。
森達也は基本的に「石持て追われる側」へのシンパシーが強火なのでこうなっちゃうんやろなぁ…。
(23:52)
この記事へのコメント
2. Posted by Y 2023年07月03日 16:29
この回、やたらY染色体がなくなることでオスが消えるかもしれないと煽って、謎に男性を焦らせようとしていたのが何だかなぁ…
結局はY染色体がなくなっても存続している種もあるので安心という論調に落ち着いたけど。
結局はY染色体がなくなっても存続している種もあるので安心という論調に落ち着いたけど。








