当ブログを読んでいる奇特な人はとっくにお気づきの通り、私の話はその多くが
「○○の構造って××と同じだよね」
という類似性やアナロジーを扱ったものである。
この手の話のキモは「どれだけかけ離れたものを持ってきて喩えに使うか」、これに尽きる。
ヒトが「面白い!」と思うのは意外性に満ち、着地点が予想できない話だ。
だから予想の斜め上をいく、オチの読めない話を用意した方が良い。
科学の世界でも、似たもの同士にしか通用しない理論よりは、全く違ったものを統一的に記述できる理論の方が好ましいとされる。
ニュートンは林檎と蜜柑という「似たもの」のふるまいを同時に説明したのではなく、林檎と地球のふるまいという「違うもの」を統一的に記述した点が偉大なのだ。
林檎と地球は全く違って見えるが、どちらも重力を持って他の物体を引っ張っているという点では同じである、という風に(まぁあの林檎の話はあくまで伝説だろうが)。
そして私のアナロジーの大半はセックスにまつわるものである。
まぁこれはフロイト以来の伝統とも言える(フロイトの精神分析は反証可能性がない疑似科学なので信じていないが)。
という訳でセックスをめぐるアナロジーについてはさんざん述べてきた私だが、まだ使っていないネタが山ほどあるので一気に放出してみたい。
あまりに長大な日記は敬遠されるのでこういうのは小出しにした方が良いのは分かっているのだが、たまに力みすぎの日記を書きたくなっちゃうんである。
アナロジーをいっぺんに並べることによって話がどんどん複雑化していき、「分からんもんを説明するのに余計に分からんもんで例える」という最悪な状況を楽しんでいただければ幸いである。
かつて友人とラーメンを食べに行った時、その店はカウンターに様々な調味料や薬味が並んでいて取り放題だったのだが、彼があまりにもいろんなものをブチ込みまくってたので「それ却って不味くなってない?」と尋ねたところ、彼はこう答えた。
「ええねん、ウマいマズいよりも入れることが楽しいねん」
…まぁ本人が分かった上でやってるならそれもまた良し。
…みたいなことですよ(そしてこれもまたひとつのアナロジー)。
数ヶ月前にiPhoneを買い換えた。
真新しいぴかぴかのiPhoneに傷をつけたくなかったので、無理してめちゃめちゃ高価なiPhoneカバーも購入した。
2メートルからの落下にも耐え、水中に落としても30分は大丈夫と言う優れものだ。
ただ充電はカバーを外して行わなければいけない。
ところが先日、充電のためにカバーを外す時の勢いでうっかり床に落としてしまい、特大の傷がついてしまった。
損傷を回避するためのカバーをしていたがために落下させて損傷させるとは本末転倒もいいところである。
だが世の中にはこういうことが結構ある。
(※これからこの現象をアナロジーを通じてセックスと結びつけていく訳だが、話がスゲェ長大になり、その間にいくつも別のアナロジーを挟むことになるので読む方も大変だとは思うが、頑張っていただきたい)
私は常々「性感染症って怖ぇ~!」と思っている。
性が何のためにあるのかは完全には解明されていない。
しかし仮説は山ほどあり、その中のどれか(もしくはいくつかの組み合わせ)が正解なのだろう。
その中でも有力なものに「パラサイト仮説」(赤の女王仮説)というものがある。
感染症を引き起こすのは細菌やウィルスなどの寄生者である。
彼らは我々の体の脆弱性に付け込み、体内に侵入しようと狙っている。
どんな強力なプロテクトでも、充分な時間をかければ突破することは可能であろう。
パラサイト仮説は「セックスは遺伝子の組み合わせを毎世代変えることで寄生者に対抗するための仕組みなのだ」という説だ。
遺伝子の組み合わせが違えば、寄生者が狙いを定めるべきウィークポイントも違ってくる。
世代ごとに組み合わせを変えれば、寄生者はその変化の速度についてくるのが難しくなるのだ。
これは我々が時どきコンピュータのパスワードを変更するのに似ている。
ちなみに「赤の女王」は『鏡の国のアリス』に登場するキャラクター。
彼女の国では、「その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない」のだという。
寄生者に対抗するために進化し続けたところで、相手も進化するので特別有利になるわけではなく、せいぜい現状維持が精一杯──そんな皮肉な状況を表したネーミングだ。
ところでラーメン業界に「春木屋理論」なるものがあるのをご存知だろうか。
これは荻窪の名店「春木屋」の店主・今村五男が着想し、TVチャンピオンラーメン王選手権第2代ラーメン王に輝いた武内伸が普及した理論である。【註1】
その理論的核心を武内自身の言葉から引用しよう。
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「『春木屋の味は、いつもかわらない』と言われるが、『変わらない』と言われるためには、常に味を向上させなければならない」
ご主人のこうした理念にも感銘を受けた。
終戦後の昭和23年に店を開き、食糧事情がどんどんよくなるなかで、同じものを出していたら、味が落ちたと言われてしまう。ベースになる味は変えず、客の舌の一歩上の味を出しつづけることが、「変わらない」と言われる秘訣だという。
この言葉は、どんな授業よりもインパクトがあり、リアリティがあった。私はこれを「春木屋理論」と命名し、座右の銘とした。
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武内伸『ラーメン王国の歩き方』より
同じ立ち位置に居続けるためには変化を続けなければならない──
これめっちゃ「赤の女王」やん!
ちなみにこう言うと「変化に最も対応できる生き物が生き残る」というダーウィンの有名な言葉を思い出す人がいるかもしれないが、実はダーウィンそんなこと言ってない。
この件については下記のエントリを参照。
【自民党がダーウィンを誤解した件】
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/9619231.html
例えば樹木の幹。
植物は葉に日光を受けることで光合成を行う。
つまり葉とはエネルギー生産プラントなのだ ←プラント(植物)をプラント(工場)で例えてしもてるやん…【註2】
そのため、葉は日当たりが良い様に高く持ち上げた方が良い。
こうして幹を持つ樹木が生まれた。
だがその結果、日当たりが良くなったかというと、そんなことはない。
他の樹木も幹を持ち、葉を持ち上げたからだ。
幹を作るには莫大なコストがかかる。
だがそれを支払ったところで有利にはならず、結果は幹なしでやっていた頃とあまり変わらないのだ。
それでも一度始まった軍拡競争は止められず、森林の幹はしばしば数十mという馬鹿馬鹿しいまでの高さになる。
もし樹木に意思があったとして、「全員、一律10mずつ幹を省略」という協定でもあれば全ての樹木が得をする筈だが、もしその協定を破ればその木は太陽光を独占できてしまう。
そうなると誰もが協定を破りたがるだろうし、むしろ自分だけ協定を守ると不利な日陰に追いやられるのでこの協定は決して守られない。【註3】
樹木は樹幹・幹・根など多様な生息環境を生み出し、他の生物に餌や棲家を提供していると思われがちだが、実際には自身のためにのみ成長し、それを他の生物がこれまた自身のために利用しているだけのことである。
この幹とそっくりの事情を抱えているのが店の看板だ。
看板というのは他店より目立とうとするための競争が起きやすく、しばしば過剰に華美になるものだ。
周囲が派手こくしているのに自分だけが地味にしてしまうとにぎやかさに埋没してしまう。
だがコストをかけて派手にしたところで特別有利になるわけではなく、せいぜいがどんぐりの背くらべだ。
派手さは派手さを呼び、誰もそのサイクルから抜けられなくなる。
植物の幹がより高くなる方向に進化する様に。
京都は観光都市なので「景観条例」というのがあり、派手な看板を取り付けることが制限されている。
マクドナルドでさえ、京都では地味なえび茶色…だったのを通り越して、最近はモノトーンの店舗も。
コンビニも。
バニラカーですらセピア色。【註4】
(上の画像はいずれも拾い物)
近年になって急に取り締まりがキツくなり、あちこちの店が看板の照明を消す様に指導されたり、撤去を求められたりしている。
そのせいで使えなくなった看板にもコストがかかっている訳だし、撤去にも費用がかかるので業者の側からはおおむね評判が悪い。
他にも広告業界の食い扶持とかその波及効果による経済の活性化とかいろいろあろうし、それらの事情もまぁわかるのだが…
広告に規制が入ることによって長期的に見ればどの業者も過剰な広告コストがカットされ、それでも各店の相対的な有利・不利は特に変わらず、結果的には全員が得をするのではないだろうか。
少なくとも大阪・道頓堀の巨大看板・立体看板群の様な奇怪なものに発展することはない。【註5】
つまり景観条例は看板の設置費という無駄な「幹」を全員一致で節約する「協定」となりうる様に思えるのだ。
京都における景観問題は80年代に観光地・嵐山にタレントショップが林立し、わけても鼻毛をとび出させた寛平ちゃんのド派手な看板が「京都に似つかわしくない」と問題視されたことでクローズアップされた。
思えばあの寛平ちゃんこそが規制導入を考えさせる契機となった、広告業界におけるとりわけ馬鹿馬鹿しいほど背の高い「幹」だったのではないだろうか。
…あまりピンとこない?
ではさらに身近な例を挙げてみよう。
それは女子のメイクだ。
「顔をメイクする」という行為に「看板を派手にする」という行為とごく近いものがあることは誰しも理解できることと思う。
いや、顔を「メイク」、すなわち「作る」のだから看板以上のものだ。
大抵の女子はメイクをし、それは彼女たちを実際に美しくする。
だが誰もがメイクという「下駄」を履いている訳で、全員がすっぴんの場合に比べると著しく有利になる訳ではなく、相対的な順位は殆ど変らない。
全員がメイクをやめるという「協定」があればメイクにかかる手間や費用が省け、全員が明らかに得をする。
仮に協定が作られても、それを破って自分だけメイクすれば圧倒的に有利なので、協定は常に裏切りの誘惑に晒される。
また、みんながメイクをしている中で自分だけがメイクをしなければおそろしく不利になる。
こうしてメイクがすさまじい徒労と浪費であることを自覚してなお、誰もメイクをやめることができなくなる。【註6】
話を戻すと、どうやらセックスとは寄生者対策のために存在するらしい。
ところが、寄生者を振り切ろうとして行うセックスを利用して増殖する寄生者がいる。
それが性感染症を引き起こす細菌やウィルスだ。
寄生者対策の防衛機構を利用する寄生者!
なんとも恐ろしく、美しい。
この赤の女王的なレースはこの先も永遠に続く。
あたかも軍拡競争の様に。
「それは血を吐きながら続ける、悲しいマラソンですよ」【註7】
…と、寄生者を軍拡競争のアナロジーで説明し、軍拡競争をウルトラセブンの名台詞で説明。
何かから保護するための対策を講じると、そのための仕組みに乗じて別の脅威が襲いかかってくる。
その点においてiPhoneカバーとセックスは、非常に似ていると思うのだ。
…という訳でようやく最初のアナロジーであるスマホカバーと性感染症のアナロジーについての説明が終わった訳だが、話はまだ終わらない。
この「防御のせいで却ってつけこむ隙が生じる」というパラドキシカルな現象について、さらなる別の例を見つけたので紹介する。
街中では自動車用の駐車場はそれなりにあるが、原付やバイクのための駐輪場はほとんど存在しないと言って良い。
だが先日、繁華街の路地の奥にかなり大きな駐輪場がオープンしているのを発見した。
以来、大変便利に使わせてもらっている。
この駐輪場はバイクに自分の手でワイヤーをかけてロックし、出庫時に300円を投入してそのロックを外すというシステムである。
見張っている人はおらず、ワイヤーをかけずに利用することも可能。
つまりきちんとお金を払って利用するかどうかはそれぞれの良心に任されているのだ。
当然かなりの割合でお金を払わないフリーライダー(ただ乗り屋)が発生する。
ワイヤーを全くかけずに堂々と駐輪する者、ロックをかけた様に見せかけているが実際にはかけていない者など様々である。【註】
ところでこの駐輪場の入り口付近にはなぜかちょっとした空きスペースがある。
そこにもワイヤーロックを設置し、駐輪スペースとして使えば収入も上がるはずなのに、なぜこんな無駄なスペースがあるのだろうと不思議に思っていた。
だが何度か使っているうちに謎は解けた。
どうやら運営サイドは日に何度か、無料使用しているフリーライダーのバイクにワイヤーロックをかけるため、自動車で巡回している様なのだ。
その際の駐車用スペースとしてあえて入り口付近に自動車をなんとか1台停められるだけのスペースを空けてあるという訳だ。
そしてこの「無料利用を防止するための見回りのために設けられた空きスペース」を利用して無料で駐輪する輩がもちろん存在する。
フリーライダー排除のための見回りスペースを利用するフリーライダー。
これ寄生者対策であるセックスの瞬間を狙ってくる性感染症と全く同じですよ!
運営サイドはその後、駐車スペースにチェーンを張った。
だがそれでもロックのない隙間に駐輪するフリーライダーは消えず、さらに運営サイドは違反者のバイクをロックするという強硬策に。
まさに軍拡競争!
さて、卑近な話と進化論のアナロジーを語り、進化論と別の卑近な話のアナロジーを語るという実に無駄なことをしてきたわけだが、ここでもう一つ「赤の女王」についてもアナロジカルな話をしたい。
多くの生物は有性生殖を行う。
だが何事にも例外はある。
生物界には無性生殖を行う者も少数ながらいるのだ【註9】。
そもそも有性生殖は効率が悪い。
有性生殖の生物は大抵の場合、雄と雌の二型に分かれ、その性比は1:1となる【註10】
一匹の雌が10匹の子を成すとしよう。
有性生殖の生物が10匹いたとすると、雌は半分の5匹。
5匹が10匹ずつ生むので二世代目は50匹。
その半分を占める25匹の雌が10匹ずつ生み、3世代目は250匹、子を生める雌だけだと125匹。
ところが無性生殖なら10匹の雌が二世代目には100匹、三世代目には1000匹に殖える。
しかもその全員が子供を生める雌だ。
つまり有性生殖は高くつくのだ。
これを「有性生殖の二倍のコスト」、あるいは「雄のためのコスト」と呼ぶ。
雄は自分では子を生まない、不要としか思えない存在だからだ。【註11】
では何故、性は存在するのか?
こんなにも不合理なのに?【註12】
有性生殖から二次的に無性生殖に以降した生物にはいくつかのパターンがある。
まず、遠く離れた系統にぽつりぽつりと散発的に出現していること。
過酷ではあるが、安定した環境であること。
つまり無性生殖の系統は長くは続かず、長期的に繁栄することはほぼないらしい。
そして過酷な環境ではそもそも周囲にあまり生物がいないので敵も少なく、また安定した環境では新たに登場する敵はあまりいないし、急な変動に対応する必要もない…
こういった状態では子孫にバリエーションをつけて敵の出現や環境の急変に備える必要がないため、効率の良い無性生殖が有利となる。
だが長期的には敵の進化や環境変化は避けがたいため、絶滅してしまう。
過酷な環境というのは高濃度の塩分や強アルカリ、乾燥と湿潤の繰り返し、貧栄養や高い水圧など。
安定的な環境には上記の環境がずっと続く塩湖やソーダ湖、定期的に干上がる湖、深海なども含まれる。
不死身で有名なクマムシ【註13】や、5000万年に渡りセックス抜きで生き延びてきたヒルガタワムシは体内の水分をほぼ出し切ってクリプトビオシスと呼ばれる乾眠に入る。
塩や乾燥が菌などの外敵を寄せ付けにくいのは鮭フレークが意外と日持ちすることからも理解できるよね。
【付記】
今回、織り込めなかったアナロジーの小ネタがいくつかあった。
外に使いどころもなさそうなのでメモだけ残しておく。
◉ランナウェイ:意味が無くても正のフィードバックで浸透 → 台風コロッケみたいなもん
◉遺伝子優良説(指標説)とハンディキャップ仮説の違い
・具の多いおにぎりは上部に具を見せびらかすことが可能
・ハンディキャップ仮説 :具が少ないおにぎりでも上部見せびらかしはできるけど、そのぶん中身スカスカになっちゃう
《註釈》
註釈の中にいくつか嘘が混じっているが気にしてはいけない。
【註1:今村五男・武内伸】
今村五男:春木屋の先代終身在職店主。「春木屋理論」は今村の着想を武内が定式化した。
武内伸(Ph.D. 1960 - 2008):TVチャンピオンラーメン王選手権ラーメン王の座は「ラーメン界のフィールズ賞」とも呼ばれる。
(鬼嘘)
【註2:プラント(植物)をプラント(工場)で例えてしもてる】
このネタはあちこちで言ってるがウケた試しがない。
【註3:協定は決して守られない】
このあたりの事情は「共有地の悲劇」や「囚人のジレンマ」に通じるものがある。
「共有地の悲劇」については近く当ブログで解説する予定。
「囚人のジレンマ」についてもいつかは扱いたいのだが、良いオチを思いつかない。
【註4:バニラ】
バニラは「鞘」の意であり、バニラビーンズが長い鞘に収まっていることに由来する。
これは鞘状の器官である膣を学術用語であるラテン語で「vagina」と起源を同じくする。
他にも関節の滑液鞘は「Vagina synovialis」(英語では「Synovial sheath」)。
したがって風俗求人広告が「バニラ」であることはひどく暗示的。
【註5:大阪・道頓堀の巨大看板・立体看板群】
「大阪・道頓堀の巨大看板・立体看板群とその景観」はユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録。
ただし、「大阪・道頓堀の巨大看板・立体看板群とその景観および大阪人」として自然遺産も兼ねた複合遺産に移行させる動きもある。
また「負の世界遺産」にすべきとの意見もある。
(鬼嘘)
【註6:メイク】
たまにいるノーメイク女子は…あえて日当たり競争から降りた陰性植物の様なものかもしれない。
植物が燦々と降り注ぐ日光を諦め、森の下生えとして木漏れ日でほそぼそとやっていく戦略を選ぶなら、競争から外れて高い幹を伸ばす必要はなくなる。
ちなみに私はいわゆる美人への興味が薄く、ノーメイクは特に気にならない。
【註7:「それは血を吐きながら続ける、悲しいマラソンですよ」】
断片的知識から引用したものの、この手の話題に詳しいわけでは全くないので悪しからず。
私は幼少時、熱烈な恐竜ファンだったので「荒唐無稽な怪獣ドラマのせいで恐竜の地位が不当に幼稚なものとして扱われている」という理由から怪獣には一切の興味を示さなかった。
後におたく化し、模型雑誌やガレージキット等を通じて怪獣に関する知識に触れたが、原体験を欠いたままなのであまり詳しくはない。
【註8:フリーライダー】
仲良し女子はこういう輩がゆるせないらしく、わざわざ手間暇かけてそういうバイクを探してはロックし、「成敗」している。
しかも駐輪場のオーナーに声をかけて許可まで得て。
まぁ「駐輪場が赤字になってビルが建ったりすれば自分が停める場所がなくなって困るから」という説明もあるが、それにはコストがかかり過ぎている。
これは「ヒトは何故コストを度外視してまで熱心にフリーライダーを罰しようとするのか」という興味深い問題であるがここでは扱わない。
【註9:無性生殖を行う者】
複雑な生物(いわゆる高等生物)の大半は有性生殖を行うが、単純な生物はそうではない。
彼らのことを無視したり「下等生物」と呼ぶのは偏見だとは思うが、そのことはここでは一旦棚上げしておく。
…などというセルフ突っ込み注釈を付けるのって士郎正宗みたいよな。
【註10:有性生殖の生物は大抵の場合、雄と雌の二型に分かれ、その性比は1:1】
その理由は下記エントリを参照。
【性差の起源】
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/16462696.html
【註11:雄は不要としか思えない存在】
養蜂家にとって雄蜂は労働も産卵もしない無駄な存在だった。
「ドローン」は本来、雄蜂を指す言葉で、転じて「不活発な活動体」を指す様になった。
昨今はドローン技術の発達により、不活発とは言えなくなってきたが…。
【註12:性は不合理】
この問題の泰斗であるジョン・メイナード=スミスは「Why sex?」という、非常に重要な疑問を6文字で表した。
ちなみに私はメイナード=スミスとその妻(こちらも研究者)の髪の毛を持っている。
「史上初めて『Why sex?』という疑問を持った人物」と「そのセックスパートナー」のもの、という超貴重品。
【註13:クマムシ】
乾燥や放射線や真空に耐えるのは乾眠している時のみだし、爪の先でぷちっと押せば潰れるのでさほど不死身ではない。
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