スティーブン・ピンカーの邦訳新作『人はどこまで合理的か』を読みました~。


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前作『21世紀の啓蒙  理性、科学、ヒューマニズム、進歩』に続き、上下巻分けの大著…だけど読みやすいし、ボリュームもちょっぴり控えめ。
まぁそれでも上下合わせて580ページ超、本文だけで500ページくらいあったり。
どこもかしこも面白いのですが、政治絡みの部分と特に面白かった部分を要約してご紹介。

まず政治ネタ。


ディット
「メタ分析してみたけど、右も左も政治的バイアスかかりまくりや!」

リベラル研究者たち
「リベラリズムは正しいねんから、保守に有利な研究が出てきても気にせんでええ。
これ不合理なバイアスちゃうねん、リベラルが常に正しいという事実に照らしてベイズ推論の事前確率を調整しただけや」

保守派
「自分をごまかすな」

ピンカー
「まぁ左派の方が正当性が立証されること多いし、科学と相性よさげではあるけど…公平な基準がない以上、どっちもどっちやろ」

スタノヴィッチ
「ベイズの事前確率を持ち出す時って、根拠より願望が優先されがちなの問題よね~」


(下 P.196)


ここしばらく「政治的な議論にベイズ持ち出すのってアリなんかな~?」と考えてたのですが…やっぱりやってる人いるんだ!?
その正当性はともかくとして、論の立て方自体はちょっと面白いです。
ピンカーも完全に左派の意見を容れないまでも、その正しさはある程度認めてるし。

ちなみに『動物の解放』で知られる哲学者、ピーター・シンガーは著作『現実的な左翼に進化する』において、「科学から左翼思想を引き出すのはアカンけど、左翼思想に科学を使うのはアリや」的なこと言ってたなぁ…。
なお、『現実的な左翼に進化する』の翻訳者はなぜかネトウヨさんの竹内久美子


話を『人はどこまで合理的か』に戻すと、証拠にオープンな人(つまり根拠があれば意見を変えられる人)は
◉陰謀論・オカルト・創造説・ワクチンと自閉症の関連性・人為的気候変動否定などを認めない
◉政府や科学を信頼
◉中絶・同性婚・死刑・戦争忌避などについてリベラルな姿勢

で、世界の潮流とベクトルが合ってるのだとか。
ただし、保守主義との相関関係は単純ではないそうです。
(下 P.196)

そして陰謀論に対する見方がめちゃめちゃ面白かったのが↓コレ。


メルシエ
「ピザゲートでライフル持ってピザ屋に押し入りニキいたけどさぁ…
子供が監禁されてると信じてる人が何百万人もいた割に、押し入ったのは1人だけ?
あと陰謀論者って闇の機関に抹殺されそうな割に堂々と声明発表やら集会やらしてるよね」

ピンカー
「ヒトは世界を2つに分けてるのかも。
合理的に推論して問題解決していく〈現実ゾーン〉と、思いを馳せるけど生活には影響しない〈神話ゾーン〉に。
〈神話ゾーン〉ではもはや真か偽かなんて無意味なんじゃね?」

(下 P.199)




ほほう…面白い!
この話の元ネタはヒューゴ・メルシエ人は簡単には騙されない 嘘と信用の認知科学』らしいので、そちらも読んでみました。


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こちらも約450ページ、本文だけで350ページくらいある〜。


こちらの興味深かった部分を要約するとこんな感じ。



◉人は簡単には騙されない。だって騙されやすい遺伝子は自然選択で取り除かれるし


◉ヒトは「開かれた姿勢」と「警戒すること」を両立させた『開かれた警戒メカニズム】を持つ。

有益なメッセージは進んで受け入れ(解放性)、有害なメッセージは捨てる(警戒)


・そのためにメッセージを受け入れる手がかりを探し、手がかりが見つからなければメッセージは捨てられる


・これは雑食動物の様なもの。

いろんな食物を試す方が良い(解放性)が、毒物には気をつけなければならない(警戒)


◉実は洗脳やプロパガンダや広告はほとんど効果がない


◉無意識的で日常的な判断は「システム1」で、

熟慮を要する判断は「システム2」。

システム1はヒューリスティックでバイアスに弱い。

システム1がうまく機能しないとより客観的で理性的なシステム2に取って替わられる


◉信念には日常的で行動の基盤となる『直観的』信念と、行動と無関係な『反省的』信念がある。

例えば「本が目の前にある」と信じることは『直観的』信念で、「本で日光を遮る」とか「本を人に貸す」といった行動に影響する。

しかし「夜空の星の多くは太陽より大きい」と信じることは『反省的』信念で、行動に直接影響しない。

(※これをピンカー風に言い直したのが〈現実ゾーン〉と〈神話ゾーン〉)


・陰謀論者が「やつらはあらゆる手段を使う」という話を誰でも入れる場所で堂々としちゃうの何でだろう?


・ユダヤ人店主が若い女性をさらうという都市伝説「オルレアンの噂」が流行った時、店を避けたり、逆にじろじろ眺める人たちがいた。

女性が性奴隷にされてるのなら、「凝視するだけ」ってどうなの?

なんで警察に通報しないの?


・ピザゲートで「子供たちが誘拐・監禁されてる」と何百万人もが信じていたのに、救出しようと押し入ったのは1人だけ。

あとは何もしないか、中傷メッセージを送ったり、グーグルのレビューにひとつ星を付けたりしただけ。


◉ヒトの脳はいろんなものに顔を見いだす。

コンセントや火星の山が顔に見えたりする(パレイドリア)

何かが顔に見えてもあまり困らないが、藪の中の敵の顔を見付け損なうと命に関わる。

この様な非対称性があるので、脳は過剰に顔を見付ける。


・同様に、セレブの噂に夢中になっても、自分の生活には関係ない。

だが進化的には「有力人物の情報を集める」ことは有利だった。


◉噂や陰謀論は奇怪な心のキャンディーで、自分たちのためにならない歪んだ快楽だが、うつつを抜かすのをやめられない


◉噂は大抵、「友達が見た」などと語られる。

これはソースを明かすことで信頼性を高める一方で、自分が直接経験した訳ではないとすることで責任から距離を取る効果がある。


・スナッフビデオ(殺人を撮影した映像)の噂を拡散した人の殆どは自分では観ておらず、話を聞いただけ


・大抵の陰謀論者は「キューブリックがセットで月着陸を撮影してるのを見た」とか「ケネディ暗殺の真犯人を知ってる」とは言わない。

有名陰謀論者のデイヴィッド・アイクですら「爬虫類人を見た」とは言わず、「人間が非人間的な形態に変化するところを見た、と告げる人たちに出くわすようになった」と主張


◉ヒトは何故、しばしば魔女狩りなどの冤罪で自白しちゃうのか?


・ヒトの脳は「誰かの意図」に敏感。

何も疑わずにいて誰かに傷付けられるよりも、誰も悪いことをしていなくても犯罪者を探したほうがマシなので、過剰に意図を探してしまう。

その結果、不運はしばしば誰かのせいにされる。


・あなたが同僚を「ホッチキスを盗んだな」と疑ってるとしよう。

それでも彼がこれからも上手くやっていきたいと思うなら、最善の手は「新しいホッチキスをプレゼントする」「一杯おごる」「コンピュータの問題を解決する」などだろう。

これは自白とみなされるが、こうして初めてあなたは彼を許し、仲良くやっていけるのだ。


・自白すると大抵は許される。

魔女だと認め、人を殺す魔術を使ったと自白しても通常は社会復帰できた。

だが実際に殺人を犯していたらこうはいかないだろう。

魔術信仰は『反省的』なもので、他の認知機能と十分に統合されていない。


・魔女を処刑する場合、魔術は告発要因ではなく後付けの正当化。

タンザニアでは魔女の処刑は干ばつや洪水の時に増加し、家族の重荷と見做される高齢女性が標的になりやすい。


◉金正日はテレポートや天候コントロールまでできたとされる。

おべっか使いは何故ここまで無茶くちゃなコト言って自分の愚かさを自白しちゃうのか?


・あるグループに入りたくて熱心さをアピールしたいなら、他のグループ全てに喧嘩を売り、退路を絶って見せるという手がある。


・同様に、金正日への媚びは大衆にそれを信じさせるためのメッセージではなく、大衆が信じない様なコトまで言っちゃう自分の忠誠心を金正日に伝えるメッセージだと理解することができる。

これも『反省的』信念で、実際に金正日が目の前でテレポートしたらおべっか使い本人もびっくりするだろう。


・地球平面説とかホロコースト否定とかのトガりまくった主張をする人は、あえて極端すぎる主張をすることで一般社会に戻るという退路を絶ち、「コイツ本気やな」とそのグループからの信頼を得ている


・自白は「こういうコトしました」ではなく「和解の手段」と考えた方がよい


◉フェイクニュースには効果はない


・フェイクニュースサイトを見た人が多い州ほどトランプ支持者が多い。

しかしフェイクニュースのせいでヒラリーからトランプに乗り換える人は殆どいない。

トランプ支持者がトランプ支持を正当化するためにウェブを漁ってるだけ


・2016年大統領選のフェイクニュースは8割以上がトランプ支持


◉分断は我々の印象ほどには進んでいない



…だそうです。
なるほど〜!
先日、「宗教信者は明らかな矛盾に気付いてない」という話をしましたが…


『むしろ信者さんサイドの信仰心が足りてない件について』
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/16422591.html


そもそも彼らにはそんな〈神話ゾーン〉の〈反省的〉信念は「どうでもいいこと」なのかもしれませんね。



そしてピンカーの本で一番グッときたのが↓ココ。そのまんま引用。

(※強調のために色変更したのは私)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━利用可能性バイアスのせいで見えにくくなっているが、人類の進歩は経験的事実である。ニュースの見出しに踊らされずに長期的な傾向先を眺めてみれば、人類全体が数十年前、数百年前に比べてより健康で、より豊かで、より長生きで、より良い食事をとり、より良い教育を受け、戦争、殺人、事故からよりよく守られていることがわかる。
私はこれらの変化について2冊の本を書いたので、「あなたは進歩を信じているんですね?」とよく訊かれる。だが答えは「ノー」だ。私はユーモリストのフラン・レボウィッツと同じで、信じなければいけないとされるものは一切信じない。人間の客観的な幸福(※ルビ:ウェルビーイング)を示す多くの指標は、時系列にプロットすると満足のいく増加傾向を示すが(常に、どこでもと言うわけではないものの)、それは何らかの力や弁証法や進化法則が人類を良い方へと押し上げているからではない。
むしろその逆で、自然は私たちの幸福など眼中にないし、パンデミックや自然災害など、私たちを苦しめようとしているように見えることの方が多い。「進歩」とは、この容赦のない宇宙の中で、人類がかろうじて示すことができた抵抗と、無理矢理もぎ取った勝利の総体を示す略語であり、説明を要する一現象のことである。
そしてその進歩を説明できるものが合理性である。人類の福祉を向上させると言う目標を掲げ(栄光や贖罪といった疑わしいものを追い求めるのではなく)、自分たちの創意工夫を制度にして他の人々と共有できるようにしたとき、時折、人間は成功する。そしてその成功を維持し、失敗を防ぐことができた時、時折、利得が蓄積される。この全体像を「進歩」と呼ぶ。

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(下 P.239)


私はこういう「限界づけられた希望」が大好物なのです。


スティーブン・ピンカーは基本的にリベラルな人なのですが(でも原発推進派)、行き過ぎ左翼から吊るし上げられたりもしたのでその辺とは距離を取ってる様に見えます。
キャンセルカルチャーというやつですね。
この辺の事情については下記を参照。


『ドーキンスの炎上騒ぎ ~時に左翼も行き過ぎる件~』
http://wsogmm.livedoor.blog/archives/12835525.html


また、ピンカーの巻き込まれたトラブルについてはココ↓参照


【現代ビジネス】
『「世界的知性」スティーブン・ピンカーが、米国「リベラル」から嫌われる理由 「学会除名騒動」の背景』

https://gendai.media/articles/-/74895


記事が消えた時に備えて全文をこのエントリの末尾に保存しておきます。



…余談ながらこの『人はどこまで合理的か』、邦訳の出版は草思社
ドーキンスやデネットの著作も出してる出版社ですが…その親会社は自費出版ビジネスで悪名高い「文芸社」
そのまた親会社はオカルト本でおなじみの「たま出版」
年末のオカルトバトル名物・あの韮沢社長の会社です。
より正確に書くなら、以前はWikipediaで「文芸社はたま出版の子会社」とされていたものの、現在はたま出版について(文芸社を創業した)『瓜谷綱延の実父である瓜谷侑広が創業。本店が同一住所にある』ということしか書かれていません…が、いずれにせよ何らかの関係があることは間違いない模様。








〈保存〉

【現代ビジネス】
『「世界的知性」スティーブン・ピンカーが、米国「リベラル」から嫌われる理由 「学会除名騒動」の背景』


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2020.08.16
# アメリカ

「世界的知性」スティーブン・ピンカーが、米国「リベラル」から嫌われる理由
「学会除名騒動」の背景
ベンジャミン・クリッツァー批評家
プロフィール
アメリカ言語学会への公開書簡
日本でもよく知られた言語学者・認知科学者であるスティーブン・ピンカーをめぐって事件が起きた。

2020年7月初頭、アメリカ言語学会( Linguistic Society of America = LSA)に所属する会員たちから、同学会に所属するピンカーを、学会の「アカデミック・フェロー」および「メディア・エキスパート」の立場から除名することを請願する公開書簡が発表されたのである。この書簡には、博士課程の学生や助教授・教授を中心とした600名以上の会員たちの署名が付けられている。

スティーブン・ピンカー氏〔PHOTO〕Gettyimages


公開書簡では、LSAが2020年6月に「人種的な正義」に関する声明を発表したことを受けて「ピンカーのこれまでの振る舞いはLSAの声明と矛盾するものである」と指摘されており、彼がLSAのフェローの地位にふさわしくない、と論じられている。ピンカーには差別の問題を軽視し続けてきた経緯があり、彼の振る舞いには「人種差別や性差別の暴力に苦しむ人々が挙げてきた声をかき消すようなパターンがある」と、公開書簡には記されているのだ。

……ひらたく言うと、ピンカーは差別の問題を矮小化して、差別に反対する運動の効果を損なうような主張を続けてきた、ということがこの公開書簡では主張されているのである。

公開書簡は発表された直後から話題になり、言語学者たちやピンカーの関係者をはじめとした様々な人々が書簡に対する賛成や反対の声を発表して、論争となった。特に注目すべき反応は、アメリカの月刊誌「ハーパーズ・マガジン」に発表された「公正と公開討議についての書簡」だ。

こちらの書簡は、厳密にはLSAの公開書簡に対して直接的に応答する目的で発表されたものではないが、言論の自由や開かれた討論、異なる意見に対する寛容の価値を強調するその内容のために、LSAへの公開書簡に対する反論に等しい議論として見なされるようになった。


こちらの書簡にも、アカデミアの内外から100名以上の人が署名を付けている。そのなかには言語学者のノーム・チョムスキーや政治学者のフランシス・フクヤマ、J.K.ローリングやサルマン・ラシュディやマーガレット・アトウッドなどの小説家たちをはじめとした多数の著名人が含まれており、こちらの書簡のインパクトを大きくしている。

ノーム・チョムスキー〔PHOTO〕Gettyimages


スティーブン・ピンカーが行ってきた主張
なぜLSAは公開書簡を発表したのだろうか。それには、ピンカーのこれまでの経歴が深く関わっていると思われる。

ピンカーの専門は言語学や認知科学であるが、彼は影響力のある一般書を多数出版してきたことでも有名だ。1990年代から2000年代に出版されたピンカーの著作は、当時はまだマイナーなものであった「進化心理学」の考え方を多くの読者に知らしめた。

また、2010年の著作では、統計やデータに基づいた「合理的な楽観主義」が論じられている。そして、ピンカーが発表してきたこれらの著作こそが、彼が「差別的」であり「社会問題に対して鈍感で無頓着」であると一部の層から批判される原因にもなっているのだ。

最近では日本でもすっかり定着した感のある「進化心理学」であるが、そのような考え方が存在することや、その考え方の魅力を世に広めた草分け的存在ともいえる著作が、ピンカーが1997年に出版した『心の仕組み』と2002年に出版した『人間の本性を考える――心は「空白の石版」か』である。

後者の本では、進化心理学という考え方の画期性を強調するために、「人間の思考様式や行動パターンなどは生まれた時点ではなにも決定されておらず、空白の石版に文字が書き込まれるように、教育や文化や社会制度などの後天的で環境的な要因によって身に付けられていくものである」という、それまでの社会科学で当然のものとされていた考え方を大々的に否定している。

そして、人間の思考や行動には、進化の歴史によって培われた先天的な傾向が存在すること、教育や文化などに影響される前から生まれつき備わっているこの特徴は、大人として成長した後にも人間の振る舞いや考え方に根強い影響を与え続けることが、強調されているのだ。


『暴力の人類史』や2018年に出版された『21世紀の啓蒙』では、歴史学や人類学をはじめとする様々な学問分野の膨大な資料を参考にしながら、「データを見てみれば、現在の世界は過去に比べて着実に進歩しつづけている」という主張が展開されている。

多くの人々がなんとなく抱いている「21世紀になっても戦争や紛争は起こり続けているし、犯罪も絶えないから、世界は特に平和になっているわけではない」というイメージや「科学技術の発展は新たな問題を生み出しており、環境問題も悪化させているため、人間は昔に比べて特に健康になったわけでもなければ幸福になったわけでもない」という考え方を、大量の資料や統計に基づいたデータによって否定していることが、これらの本の特徴だ。

そして、世界が昔に比べて平和で幸福になった理由として、科学や民主主義の発展を挙げて、その背景にある合理主義や啓蒙主義の重要性を強調するのである。

〔PHOTO〕iStock


進化心理学は差別を正当化する?
幾多の著作で進化心理学や合理的な楽観主義の考え方を広めてきたピンカーであったが、彼はその主張のために、多くの人からの不評と敵意を買ってきた経緯もある。そもそも、進化心理学の前提にある「進化論」は欧米の宗教的な保守からは批判の対象となっている(ピンカー自身も無神論者だ)。

しかし、ピンカーを批判するのは保守や右派だけではない。むしろ、その大半がリベラルや左派である、同業のアカデミシャンや学生たちからの批判を受け続けてきたのである。

進化心理学の魅力のひとつは、わたしたちが抱く 美的感覚や恋愛感情などのポジティブな心理状態から、性差別や人種差別などの社会問題をはじめとしたネガティブな物事まで、人間が関わることの大半について進化論や生物学に基づいた説明を行えることにある。

しかし、進化心理学で社会問題を扱うことには、「文化や社会制度が原因ではなく、生まれつきの傾向が原因であるのだから、批判しても仕方がない」と現状維持をうながしたり、「自然なことなのだから、正しいことなのだ」と正当化したりする、というイメージがつきまとう。


実際には、ピンカーやほかの進化心理学者たちが「生まれ付きのことだから仕方がない」「自然なことだから正しいことだ」とは主張していないとしても、性差別や人種差別について進化心理学に基づいた説明を行なうこと自体が、差別をおこなう個々人の責任をうやむやにして、差別を生み出す文化や社会制度の問題を矮小化する行為である、と見なされてしまうのだ。

特に、ピンカーには『人間の本性を考える』のなかで人間の男女間の生物学的差異を認めない「ジェンダー・フェミニスト」たちに苛烈な批判を行なってきた経緯がある。

フェミニストたちの一部は「レイプなどの性暴力は生物学的な性欲に基づく行為ではなく、社会的に構築された家父長制に由来する支配欲に基づいた行為である」といった理論を主張するが、ピンカーはその主張に反論して、生物学的な要因は性暴力の重大な原因であると論じたのだ。しかし、ピンカーの反論も、彼女たちには「生物学に基づいて性暴力を正当化する言説だ」としか受け止められなかったのである。



「合理的な楽観主義」が批判される理由
ピンカーの唱える「合理的な楽観主義」と、その主張を大々的に展開した『暴力の人類史』や『21世紀の啓蒙』も、現在の社会で起こっている問題を重要視している活動家たちとアカデミシャンたちからはかなり評判が悪い。

「現在は昔に比べて良くなっており、暴力も差別も昔に比べてマシになっている」と主張することは、「昔に比べてマシになっているのだから、現在起こっている暴力や差別の問題は深刻なことではない」と言っているようにも聞こえかねない。

昨今のアメリカでは人種に関する問題と性別に関する問題がとりわけ社会的注目を集めており、「現代社会の差別問題は非常に深刻だ」というイメージはかつてなく強くなっている。そのために、「いま」の良い面を強調するピンカーの主張に対しては、「いま起こっている人種差別や性差別の問題は大したことがない、と思っている」という疑いがかけられてしまうのだ。


また、ピンカーは民主主義や個人主義、自由主義や科学的思考、それらの根本にある「啓蒙主義」の発展こそが近代以降に社会を進歩させて暴力を減退させる推進力となった、と説く。

アカデミズムに詳しくない人からすれば、この主張は穏当なものに聞こえるかもしれない。しかし、20世紀後半の文系のアカデミアではポストモダニズムやポストコロリアニズムが影響力を持ったために、民主主義や啓蒙主義の価値を疑ったり批判したりすることの方がスタンダードとなっていた。つまり、ピンカーの主張は文系のアカデミアでは「異端」なのであり、そのために同業のアカデミシャンから批判の対象となったのだ。

〔PHOTO〕iStock


ピンカーは「近代」が人間の生活環境や道徳意識の向上のブレイクスルーとなったと論じているが、その主張は「西洋中心主義や植民地主義を肯定している」といった批判を浴び続けている。ピンカー自身が北米に生まれ育った白人男性という批判しやすい存在であることも、彼に対する批判を招き寄せる一因となっているはずだ。

「合理的な楽観主義」は、社会制度や経済の発達や新しい科学技術の発明などの様々な要素の積み重ねで世の中は少しずつ良くなってきた、という漸進的な世界観である。そのために、ラディカルな左派はピンカーの主張を受け入れない。彼らは現代の欧米における国家制度や資本主義経済に見切りをつけて、狩猟採集民の社会や無政府社会や共産主義などにオルタナティブを見出したがるからだ。

そして、社会運動を行う活動家たちの大半も、多かれ少なかれラディカルな左派の言説に影響されやすいものだ。そのために、ピンカーは活動家たちからはパブリック・エネミーと見なされやすい存在であるだろう。

……要するに、ピンカーは以前から至るところに「敵」をつくってきた人なのだ。LSAの内部にも、彼に対して日頃から反感を抱いていた人が多数いたであろうことは想像にかたくない。公開書簡に600名もの署名が集まったことの一因が、ピンカーが一般向けの著作で行なってきた論争的な主張にあることは否めないだろう。


では、ピンカーはレイシストなのか?
上述したように、ピンカーには左派や社会運動家から嫌われて、批判を受ける理由が充分にある。しかし、進化心理学が差別を正当化したり合理的な楽観主義が現代の社会問題を矮小化したりする可能性があるとしても、そのことはピンカー自身が差別を肯定するレイシストである、ということには直結しない。

実は、公開書簡で具体的に取り上げられている論点の大半はピンカーの著作の内容ではなく、彼がツイッターに投稿してきたツイートである。それも最近のものに限らず、2014年や2015年など数年前のツイートが含まれている。そして、 どのツイートも、ピンカーが人種差別の問題を軽視したり矮小化したりしていることを明確に示す証拠にはなっていないのだ。



取り上げられているツイートのうち大部分は、はアメリカの警官による黒人の射殺問題、またはアメリカの警察制度そのものの問題に関するものだ。

その内容を見てみると、ブラック・ライヴズ・マター運動の活動家たちの多くが主張するような「アメリカの社会には制度的なレイシズムが存在しており、警官による黒人の射殺問題も制度的なレイシズムのあらわれである」という仮説にピンカーが否定的である、ということはうかがえる。

その代わりにピンカーが肯定している仮説は、問題の原因は「そもそもアメリカの警官は、他の国の警官に比べて銃を発砲する機会が多すぎる」ということにあり、黒人が白人に比べて多く射殺されているのは単に黒人の方が白人よりも警察に通報される機会が多くて警察が犯罪現場で遭遇する可能性が高いからである、というものであるようだ。公開書簡では、「ピンカーの記事の要約の仕方が恣意的である」などと批判されているが、記事の内容と照らし合わせてみると、必ずしも間違った要約ではないのだ。

つまり、ピンカーのツイートからは、彼がブラック・ライヴズ・マター運動の活動家たちとは問題の原因について異なる仮説を支持している、ということしか読み取れないのだ。それが、公開書簡のなかでは「 差別を矮小化している」「差別に反対する声を抑圧する」とされてしまっているのである。


公開書簡の執筆者たちはピンカーのツイッターを数年前までさかのぼって調べたはずだ。それでも、彼らは、ピンカーが「差別の問題を矮小化」していることや「差別に反対する人の声を抑圧」していることを直接的に示す証拠を発見できなかった。

だから、「ピンカーは人種差別の問題の原因に関して、活動家たちとは異なる意見を抱いている」ということしか示せず、「活動家たちと異なる仮説を支持するということは、差別の問題を軽視して矮小化することである」というロジックで非難をおこなうことになったのである。



もし、「問題の原因について、活動家たちとは異なる仮説を支持する」ことが「差別を軽視したり差別に反対する声を抑圧したりするものである」と見なされてしまうと、ピンカーのみならずかなり多くの人たちが、社会問題に対して何も発言することができなくなってしまうだろう。差別問題に反対する活動家たちの意見に疑問や反論を呈することも許されず、黙って受け入れることしかできなくなってしまうからだ。

特筆すべきは、この公開書簡に600名もの署名が集まり、そのなかには学生だけでなく助教授や教授の署名もあったことだ。そもそもピンカーが多くのアカデミシャンから 批判されていたり嫌われていたりすることも一因ではあるだろうが、その背景には、もっと根深くて深刻な問題が存在する。

次回の記事では、昨今のアメリカのアカデミアに重大な影響をもたらしている「キャンセル・カルチャー」や「ノー・プラットフォーミング」の問題について、「公正と公開討議についての書簡」の執筆者の一人である社会心理学者のジョナサン・ハイトの議論を参考にしながら解説しよう。

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